6.愛の持つ力について
午後、晃飛が屯所へと出かけたところで、仁威は庭で洗濯に勤しむ珪己を見つけた。午前中の稽古で汗だくになった二人が着替えたため、新たに仕事が増えたのだ。
「手伝うか?」
「いいえ大丈夫です。たいちょ……あ、いえ、兄さんは! そう、兄さんはお仕事までゆっくりしていてください」
はにかみながら珪己は言った。
だが休めと言われても、この放浪の旅が始まって以来の手持無沙汰の時間に、仁威には特に何もすることがなかった。八年間、体が資本の第一隊所属だったこともあり、珪己や晃飛が思う以上に仁威は丈夫なのだ。昨日晃飛が塗った薬も効果が高く、体の痛みは一晩でだいぶひいた。昼寝をするような性分でもないし、太陽が上空に位置するこの時間帯、室にこもっている方が暑い。
それになぜか去りがたい。
仁威はその場、軒下に腰を降ろし庭を眺め出した。
だが視線は庭の何物でもなく、労働を再開した珪己へと自然に移動していった。
まだ不慣れなのだろう、珪己が洗濯物を踏むたびに盛大に水しぶきが跳ねている。空中に舞う水滴は、その都度強い陽光を吸収してきらきらと宝玉のように輝いた。
ふいに世界が反転した。
天空に蓋がされ、一瞬にして闇に包まれる。
――ここは開陽、楊家の庭のほとり。
空を覆うは満天の星空。
蛍が放つ儚げな光の軌道。
暗い池の前にたたずんでいたのは――当時八歳の楊珪己だ。
その錯覚は束の間のことで、仁威の意識はすぐに現実へと戻った。
ここは開陽ではなく零央だ。
今は昼日中であり、あそこにいるのは齢十六の楊珪己だ。
あの夜うつろな表情で池に視線を落としていた子供が、今は満面の笑みを浮かべながら水しぶきをあげている。見るからに幸せそうに――。
(お前は本当に幸せなのか?)
幸せの定義を知らずともそう問いかけたくなる。
(剣を握らせ、開陽から連れ出し、それでもお前は幸せだと言えるのか?)
八年前のあの夜、剣を握るきっかけを作った一人はまず間違いなく自分だ。
そして剣を持ちたくなるような動機作りに一役かったのもまた自分自身だ――。
先ほど晃飛まで巻き込んで稽古をつけたのもそうだ。三人で行うことで剣を握ることへの恐怖が薄れるだろうと考えてのことで、案の定、強者である晃飛との仕合を見ることで、珪己は封印してきた武芸への好奇心を取り戻すことができた。
晃飛には稽古終了後にちくりと言われた。
「仁兄は俺のことを利用したあ。兄貴のくせに、仁兄のくせに」
まあでも俺も勉強になったからいいけどさ。そうも言っていたが、昼餉の間中じとっとした目つきで睨まれた。だが意外にも珪己が武芸者であることへの驚きは大きくなかった。
「なんか二人が稽古しているところを見ていたら色々分かったよ」
なぜ仁威が珪己を過剰に気にかけ、珪己が仁威を隊長と呼ぶのか。そういった疑問が解けたらしい。
ただ、そう晃飛がしたり顔で言った瞬間、珪己の顔が曇ったことに仁威は気づいてしまった。
晃飛はまだすべてを理解したわけではない。なぜ仁威が珪己に心を尽くすのか、その根底は八年前の楊武襲撃事変にこそあるのだ。
おそらくただの上官の娘、ただの部下だったらここまではしていない。命じられれば実行していたかもしれないが、自主的には関わろうとはしなかったはずだ。
仁威と珪己はまだ和解したばかりだ。
だが二人は八年前のことについて深く会話をすることができていない。
(……難しい)
どう話をすればいいのか、仁威はいまだ決めかねている。
これ以上は何も語らない方がいいのか。
それとも時系列に沿って事実のみを伝えておくべきなのだろうか。
はては当時の自分の心境についてまで語るべきなのだろうか。
他にも分からないことがある。当時共に行動した李侑生のことも伝えておくべきなのかどうか、だ。今は言う必要はないと思っているが、もしかしたら、いつか言わざるを得ないときがくるのかもしれない。
珪己は今、晃飛の着ていた衣を楽し気な様子で踏んでいる。
こうして洗濯をする姿は身にまとう衣のとおり街娘のようにも見える。今日、扱い慣れていない重い木刀にも徐々に慣れていった姿を思い起こせば、不慣れな家事もなんなくこなせるようになっていくのだろう。
だがあの少女は上級官吏の娘であり、李侑生の愛する唯一の少女なのだ。
『――珪己殿のことを愛しているんだ』
やけに澄んだ瞳で、晴れ晴れとした顔でそう告げてきた旧知の男のことを思い出す。
あれは芯国の大使館に潜入する直前のことだった。
仁威の知る李侑生とは愛を軽視するような男だった。愛を信じていなかったと言ってもいい。そこは仁威にも通じるものがある。だが似ているようで違う。仁威は愛の存在を確信している。だが愛というものを恐れている。愛というものはこの世に確かにあるが、その無尽の力には恐ろしさを感じている。
だがあの日の侑生は愛を至高のものとして受け入れていた。自らを捧げても悔いることのないかのように愛に殉じていた。それを望むような言動も見せていた。まったくの別人のように。愛の定義を変えることで侑生は変貌を遂げ、枢密副使という高位を棄てる覚悟で芯国の大使館に同行してきたのだ。
(愛……か)
この晴れ晴れとした陽気とは真逆の天候の夜、仁威は紫苑寺という古寺で呉桃林という女僧と会話をしている。そのとき仁威はこの女僧に問うたのだ。愛とは結局何なのか、と。
『愛とは……人が持ち得る究極の力でしょう』
そう女僧は告げ、さらにこう語った。
『その力を生かすも無駄にするも、それはその人次第のこと』
『愛は気づけばそこに生じているものです』
それに仁威は反論した。
それでは人は誰もが欲を抑えなくなるのではないか、と。
これに女僧はきっぱりと答えた。
それは愛に罪を押し付けているだけだ、と。
『その愛が生まれ育つことには必ず理由があるのです』
『ですが、愛することに理由は必要ない、私はそう思っております。大事なことは、どこに愛があるのか、それだけではないでしょうか。自分は誰を、何を愛しているのか。または自分が何者に愛されているのか。それさえ分かっていればいいのです。あとは、その愛を自分がどうしたいのか、その愛によってどんな自分でいたいのか、それを定めればよいのです』