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5.指導するものとされるもの

「いい稽古場だ」


 道場の扉を開けた瞬間、一目でそう言った仁威に晃飛は破顔した。


「うわあ、仁兄に褒められるなんてうれしいなあ。……でも」


 なぜか道場に珪己がついて来ている。

 それが晃飛には不思議だった。

 しかもこれから立会いをする二人の男以上に興奮し、目を爛々と輝かせている。


「君、好きだねえ。そんなに木刀の音を聴きたいの? でも危ないからいないほうがいいと思うけど」


 自分の実力と、想像できる仁威の実力と。

 生半可な立会い、もとい仕合になるわけがない。


 だが仁威がそれをゆるした。


「ああ、そいつは大丈夫だ」

「ふうん、ならいいけど」


 晃飛は壁にかかる木刀を二本とると一本を仁威に放り投げた。受け止めた仁威は肩の力が抜けており、まったくこの立会いに気概をもっていないようだ。


 だから晃飛の意識は仁威のみへと一気に集中していった。


「そんなふうに余裕ありそうにしていると痛い目みるよ? 屯所での俺の業、見たでしょ」

「心配には及ばない」

「へえ……」


 二人は道場の中央で向かいあい、礼をとった。

 どちらからともなく悠然と木刀を構える。


 晃飛は胸の前で木刀を持ち、切先を仁威の眉間に向けた。それが常道だからだ。


 この位置からなら、頭上高く振りかぶる業にも、同じ高さから繰り出す業にも対応できる。しかも晃飛はここから重心を落として一気に突く業も得意としている。それは先日屯所で見せたあの業だ。より腰を落とせば相手の脛を払うこともできる、まさに万能の構えなのである。


 仁威も晃飛と寸分たがわず同じ型をとった。

 それに晃飛が忌々しそうな顔になった。


「そうやって本当に俺のことを指導しようとするわけ?」

「無駄口はたたくな」


 常のごとく無表情で、だが低く発した仁威の声には指導者としての威厳が感じられた。すでに仁威はこの立会いの意味付けを決め、そのとおりに実行するべく動いているのだ。


 晃飛の小さな反抗など歯牙にもかけていない。


 気づくや、晃飛の表情が真剣な面持ちへと変貌した。


 小さく開いた口で息を吸い込み、丹田で気を練りながら細く長く吐いていく。吸って、吐いて。吸って、吐いて。そうやって積み重ねるように気を膨らましていく。視界に仁威の全身を入れつつも、木刀と、木刀を持つ腕を注視する。


 連動するかのように仁威から発せられる気の波動も膨らんでいく。


 それを肌で感じながら、晃飛は隙を伺っている。だがそのようなものははなから期待していない。なんといってもあの仁威が相手なのだ。故郷で別れた八年前も相当の手練れであったし、若干十六で武挙に合格し近衛軍第一隊所属となったくらいだ。しかも、あれからほぼ独学で研鑚を積んできた晃飛と違い、仁威はこの国最強の第一隊でもまれていたわけだし、第一隊隊長を拝していたとなると、その腕前に国が直々にお墨付きを与えているようなものである。


(だけど俺だって……!)


 右足をにじり出しながら、少しずつ距離を縮めていく。

 それに仁威が後退していく。

 逃げているわけではなく間合いを保っているのだ。


 気を纏っているとはいえ、仁威は表情はおろか体の細部一つとっても次の行動を読ませようとはしない。晃飛に合わせて動いているだけだ。ただ、切先の高さも向きもぶれることなく真っ直ぐに晃飛の眉間を狙い続けており、そこに職人の業ともいえる仁威の腕前が垣間見える。


(隙がなければ――作るしかない)


 晃飛のにじり出る足が一気に前へと踏み込んだ。

 だが体重の移動を感じさせない滑らかな動きだ。

 その動きは流水のごときで、流水はさらに濁流のごとく変貌していく。

 晃飛の纏う闘気が凄味を増した。


「てえええいっ!」


 中央に構えていた剣を軽く引き寄せ、前進とともに回転させていた腰の動きにのせて突きを繰り出そうとし――。


 その瞬間、仁威の木刀の先端が初めて動いた。


 動いた、ただそれだけのことで、晃飛は不覚にもどきりとしてしまった。


「……っ!」


 一寸、動きが乱れ、遅れた。


 するとそれに合わせるかのように仁威がやや大きめに踏み込んできた。そして晃飛の手首、打つ寸前で木刀の先端をぴたりと止めた。


 ――見事な寸止めであった。


 まだ立会いを初めてわずかな時しかたっていないのに、今や晃飛は弟子との稽古を終えた直後よりも汗をかいている。はあはあと荒い呼吸を始めたのは、無意識で常よりも息をすることをこらえてしまっていたからだ。


「……いくつか言ってもいいか?」


 仁威の問いかけにも晃飛はうなずくことしかできない。


「まず一つ。そうやって固くなっては本来の力を出すことはできない。たとえ俺が相手でも未知の相手でも、だ。常に心と呼吸は整えておけ。力を抜き、瞬時に最高の業を繰り出せるようにしておかねばならん。これは一人稽古でも意識すれば十分習得できることだ」

「あ……ああ」


 ようやく発せられた声は、ただその鋭い指摘を認めるものだった。


「次に真逆のことを言うが、かといって己の力を過信してはいけない。お前は昔から突きを好んでいたな。おそらくよく修練を積んでいたのだろう、昔に比べて格段によい業になっている。だが突きには弱点がある。突く寸前、必ず剣を引かねばならない。その瞬間、せっかく縮めた間合いが開いてしまうんだ。そして引く動作の間、お前はそれ以外の動きに順応できなくなる」


「だから俺はっ」


「分かっている。それを防ぐためにはより速く剣を動かすしかないし、速度をあげることで打力が増すと言いたいのだろう。確かにお前の突きは相当なものだ。だがな、速ければ速いほど、一層順応性が劣ってしまうんだ。であるから、お前よりも速く動ける奴なら誰だって俺と同じことをするだろう」


 だからお前は相手を見て業を使い分けなくてはならない。

 そう締めくくり、仁威は口をつぐんだ。


 晃飛は悔しさに歯をぎりりと鳴らした。


 その時、道場に大きく手を叩く音が鳴り出した。


「さすがです! さすが隊長! それに晃飛さんもすごいです!」


 それは珪己だった。


 先ほどまでおとなしく座って見ていたはずなのに、立ち上がり、興奮に頬を染めている。


「はあ? 君に何が分かるわけ?」


 それを遮ったのは仁威だった。


「お前もやってみるか?」

「え?」


 仁威は真っ直ぐに珪己を見つめている。

 珪己は束の間その視線を見返し――。


「はい!」


 大きな返事をした。


「よし。晃飛、その木刀をあいつに渡せ」

「ええっ?」

「晃飛さん、ください」


 気づけば珪己は晃飛の前に立ちその両手を突き出している。

 早くくれといわんばかりに。


「え……でも」

「いいから渡せ。大丈夫だ」


 再三言われ渡すと、珪己は見るからに嬉しそうに笑った。


(木刀を渡されてこれだけ喜ぶなんて、本当に木刀の音が好きなのかな)


 そう思いつつ、晃飛は二人から離れて壁際に座った。


 おそらく仁威は珪己のお遊びにつきあって木刀をこんこん打ち合ってあげるだけなのだろう、そう思いながら。


 だが実際は違った。

 珪己が構えをとった瞬間、分かった。


(この子は……!)


 慣れた動き、重心の落とし方。

 構えた高さ、その切先のぶれのなさ。

 瞬時に纏った気の濃密さ――。

 どれもすべてが、少女が武芸者であることを証明していた。


 晃飛が驚きの中にいるうちに仁威も構え、あっという間に稽古が始まった。


 それは晃飛との間で実施した立会いとは比べ物にならないくらい稚拙なもので、こちらこそ本当の意味での指導、稽古だった。


 珪己が振るう木刀の動きはやや遅く、おそらく普段は軽い刀を使っているのだろうと推測できる。だが動きは悪くない。いや、晃飛がかかえる弟子たちに比べればよほどいい。弟子のほとんどが手習いまたはお遊び程度にこの道場に通っている。それに比べて珪己の剣筋は実戦を前提とした動きになっている。


 それはなんらかの闘いを経験したものでなければ身に付けられないものだった。


 仁威が闘う相手に合わせて動くこと自体は先ほどまでとは変わっていない。珪己が出てくれば下がり、下がれば出る。打たれれば受ける。時折自らが業をふるってみせて防御させる。


 真剣な表情ながらも珪己がある種の光悦状態にあることが伝わってくる。


 二人の稽古を眺める晃飛もまた同じように感極まっていった。


 見取り稽古とはまさに稽古なのだ。見ていることで学べることがここにはあった。どのようにすれば弟子を鍛えることができるのか、仁威の動きはまさにそのお手本だ。


 晃飛は先ほど仁威に言われたことの一つ、『己を過信してはならない』という言葉の意味を一つ理解した。指導者であるからといって驕ってはいけないのだ。剣技自体と指導力は比例しない。どのように教えればいいのか、こうして道場を開き屯所に教えに出向きつつも、今まで真面目に検証してこなかったそのことに晃飛はようやく気づかされた。


 珪己とそれから晃飛と、二人に食い入るように見つめられながらも、仁威には特段の変化もみられない。これもまさに先ほど仁威が述べたとおり、つまりは平常心を保つということだ。


 この即席の三兄弟の稽古はしばらく続いた。交代があるとはいえ一刻ほど続いた稽古によって、疲弊しきった晃飛と珪己はしばらく動くことすらままならなかった。かたや仁威は陽気特有の暑さでわずかに額を湿らせただけだった。

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