3.ごめんね
夜分遅くにも関わらず、仁威が戻ると晃飛が「おかえり」と玄関口に現れた。
「夜食あるよ。仁兄のためにたくさん作っておいたんだ」
「それは助かる」
「饅頭は妹も一緒に作ったんだよ」
「……本当か?」
まるで赤子が初めて立った時に居合わせたかのような表情になっている。
「うん。不格好だけどね。あ、部屋に運ぶから仁兄は先に着替えてて。たらいと手ぬぐいは部屋に用意してあるから」
「……ありがとな」
それは二人が再会してからの初めての礼の言葉だった。
晃飛が照れくさそうに視線をさまよわせた。
「……そういうこと急に言われると反則だ」
「なんだって?」
「ううん、なんでもない。じゃ、あとでね」
仁威が与えられた部屋で上半身を拭いていると、晃飛が盆を持って入ってきた。
裸体を一瞥した晃飛は途端に顔をしかめた。
「仁兄……よく痛くないね」
腕から肩から背中から、正面にまわれば胸板や腹まで、どこもかしこも打ち身特有の青紫色に染まっている。だが肘から手に向かっては、怪我はほとんど見られない。その部分は袖からのぞく部分なため、見とがめられないようにと仁威が故意に攻撃を受けないようにしていたからだ。
「そうだと思って薬を持ってきたよ」
手に持つお盆の上には綺麗に整った饅頭と不出来な饅頭が一つずつ、汁椀、南瓜の煮物、それに塗り薬があった。薬入れの蓋をあけ、指先に付け、晃飛は手早く仁威の打ち身の一つ一つに塗っていった。
会話のない部屋の中に薬品特有の刺激臭が漂っていく。
晃飛の指先が、背中を這い出したところで小刻みに震えだした。
「……晃飛?」
「こんなに……。こんな目にあうなんて……可哀想に」
ふん、と仁威が鼻を鳴らした。
「俺は武官だ。怪我をして可哀想などと思われたら終わりだろうが」
「何言ってるんだよ。元武官だろ? それに本当は痛いくせに」
「痛いかどうかは関係ない。やるべきかどうか、それだけだ」
「……仁兄は」
長い沈黙を経て晃飛がつぶやいた。
「仁兄は武官になんてならなければよかったんだ。そしたらこんな目にあわずに済んだのに」
「だからそれは」
「俺と一緒に道場をやろうって誘ったのに……なのに断るから……仁兄は馬鹿だ」
やがて仁威がぽつりと言った。
「そうだな……。でも俺が武官になることはあいつの望みだったから」
「……透威の?」
薬を塗る晃飛の指がとうとう止まった。
「ああ。あいつは禁軍に昔から憧れていたからな。俺が武挙に合格したと聞いて、一番に喜んでくれたのはあいつだった」
透威――それは仁威の実の弟である。
そして仁威と晃飛を繋ぐもっとも大きな男の名前だった。
晃飛がたまらずといった感じで仁威の背に抱き着いた。
「じゃあ……じゃあ仁兄がこんな目にあったのは俺のせいだ」
仁威は背に熱い滴が落ち伝い流れていくのを感じた。
「ごめん、ごめんね仁兄……。俺はいつも仁兄に迷惑ばかりかけてしまう……」
肩に載せられた晃飛の手に己の手を重ね、仁威は目をつぶった。
「お前のせいじゃない。そうやって何でも自分のせいだと思うな……」
「でもさ、でも」
「大丈夫だ。これは俺の人生で俺の体だ。だからお前は気にすることなんて何もないんだ。……お前が俺といることで罪悪感を抱いてしまうのなら、俺とあいつはこの家を出たほうがいいのかもしれないな」
「だめだだめだ! それは絶対にだめだ!」
顔をようやく上げた晃飛に、仁威は振り返った。
「だったらもう透威のことで自分を責めるな。透威は……俺の弟はお前を恨むような奴じゃない」
それでも首を縦に振らない晃飛に、仁威は最終宣告をした。
「だったら俺たちは出ていく」
「分かった! 分かったから!」
やはり俺たち三兄弟の長男はこの人だ。
悟り、晃飛は観念した。