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1.約束

「俺たち兄弟なんだからさあ」


 それがしばらくの間の晃飛の決め台詞となった。


 兄弟なんだから助け合うのは当たり前だ。そう言って、まずは仁威と珪己を自身の住む家へと住まわせる話を強引に進めた。


 二人が長く逗留した宿を引き払うとき、女将に「この前はきついこと言ってごめんよ」と言われた瞬間、珪己は別れが辛くて泣いてしまった。


「また遊びにおいで」

「また来ますね」


 二人で母娘のように抱き合いながら別れを惜しんだ。


 晃飛の家は零央の街の中心部、道場と同じ敷地内の離れにあった。


 この道場は中古物件を破格の値段で購入したもので、頭金は故郷で日雇いの仕事を掛け持ちしてねん出したものなのだそうだ。ここだと故郷にいた頃の五倍は稼げるそうで、もうほとんど借金は残っていないんだ、そう言った時の晃飛の顔は誇らしげだった。


「ささ、遠慮しないで入ってよ」


 中古とはいえ、そこは手入れの行き届いた気持ちのいい家だった。家を囲む竹垣はきっちりと結わえられており破損したものはなさそうだし、廊下も部屋も使い込まれたがゆえの痛みや変色はあるものの清潔感に満ちている。


 まだ数日だが、こうしてつきあってみると、晃飛の雑なくせに繊細な性格が珪己にも少しずつ分かってきた。家に対しては後者が影響しているようだ。十人くらいの大家族でも住めそうな家は、これを立てた人物が食客を住まわせていた頃の名残らしい。庭も広く若者一人で住むには贅沢とも言えるくらいだ。


 家の中に足を踏み入れても、仁威はいまだぶつぶつと言っている。


 どうやら迷いがあるようだ。


「やはりお前の世話になるのはな」

「いいっていいって。部屋はたくさん余ってるし全然平気だから」

「うむ……だがな」

「俺たち兄弟なんだから遠慮すんなって」


 それに珪己までもが加わるから話はややこしくなる。


「そうですよ。私たち兄弟じゃないですか。こういう時は助け合うものですよ」


 長い不和の期間を経て、珪己と仁威は開陽にいたころのような関係にようやく戻った。


 お互いの言葉の足りなさを不徳の致すところであると謝罪し合い、それでようやく……本当にようやく和解に至ったのである。


 だからこうして、珪己の快活な様子を見ることができるだけで、仁威は強く言えなくなってしまう。お前はお前の好きにすればいい、そう珪己に伝えた気持ちが本心であるからこそ余計にだ。


 口ごもった仁威に代わり、なぜか晃飛が珪己に応酬した。


「それ君が言うことじゃないよね。それに俺は本当は仁兄と二人だけがいいんだけど」

「晃飛さん、それどういう意味ですか」

「言葉どおりだけど?」


 やりあう二人はもうすっかりなじんでいる。仁威と晃飛は長い付き合いだが、それに劣らないほどに。こうなってくると仁威もなかなか抵抗しずらい。それに住むところにも金にも困っていたのは事実だから、こうして旧知の男と知らない街で偶然出会えたのは幸運だったともいえる。ここに住まわせてもらい宿代が浮くだけでも相当楽になる。


「じゃあ君の部屋はあっちの一番奥だから自分で掃除してね。それと食事は俺が作ってあげるけど、君も作るのを手伝ってよ。ここに居候するんだからそれくらいはしてもらわないと」

「はい、もちろんです」

「いや、それなら俺が」


 うっそりと割って入った仁威に晃飛は引かなかった。


「仁兄は夜遅くまで仕事しているんだから、これはこの子の仕事でいいの」

「そうですよ。私にもできることがあるならさせてください」


 二人に訴えられ、仁威は不承不承うなずいた。


「分かった。だがお前は料理をしたことがないだろうから、最初は包丁や火にはあまり近づくなよ」

「何それ!」


 晃飛が吹き出した。


「仁兄、それはもう兄さんじゃなくて父さんじゃない? 過保護すぎだよ」

「ですよねえ。隊長って過保護すぎてやんなっちゃいます」


 じろりと仁威が睨むと、晃飛はぺろりと舌を出し、珪己は「掃除してきまーす」と、そそくさと自分一人のための室へと逃げていった。


 二人きりになったところで晃飛が言った。


「仁兄はもう仕事にでかけるの?」

「いいや? あと半刻ほどはここにいる。俺も何かしたほうがいいか?」

「ううん、そうじゃなくてさ。二人で積もる会話でもしようよ」


 誘いは簡単に断られると思っていた。

 だが仁威はそれに『是』と答えた。


「実は……お前に言っておかないといけないことがある」


 深刻な話を切り出す前触れを感じたが、晃飛は笑って受け止めた。


「いいよ。でも聞いても俺、仁兄と兄弟であることはやめないし、仁兄とあの子をこの家から追い出すつもりもないからね」

「……晃飛! これはそんなに甘い話ではないんだ!」


 仁威から発せられた大声は珍しいことだが、それにも晃飛は笑みを崩さなかった。


「仁兄も何か勘違いしていない? 俺もそんな甘ったるいだけの感傷で仁兄を兄貴と呼んでいるわけじゃないんだけど」


 二人の視線が交錯した。


 晃飛の弧を描くような目の奥には確かに強い想いが見えた。それは少年時代、仁威のことを兄と呼び慕い出してから今まで……ずっとだ。仁威が武官となるために故郷を出て以来だから、二人の再会は実に八年ぶりのことだが、晃飛の想いの強さは色あせるどころかより一層強く濃くなっているようだった。


「……お前を巻き込みたくないんだ。これは俺とあいつの抱えていることだから」

「何言ってんの。兄弟の問題は俺の問題でもあるでしょ。違う?」


 仁威は深くため息をついた。


「お前はほんとうに昔から変わらないな。楽天家で直情的で」

「仁兄も変わらないじゃないか。口下手で頑固で」


 沈黙の後、先に観念したのは仁威だった。


「実は……あいつは枢密院の上級官吏の娘なんだ」


 枢密院とはこの国の中枢において軍政を担う組織のことであり、国中に配置される武官のすべては枢密院に所属する。つまり、あの少女は仁威の上官の娘である、そう仁威は説明したのだ。それゆえの過保護なのだと暗に弁明したのだが、晃飛の反応は違った。


「ああ、だろうね。あの子そんな感じだもん。世間知らずで無邪気な感じが特にね」

「晃飛!」

「はいはい分かりました。で?」


 飄々とした態度の晃飛に軽く舌打ちをした後、仁威は続けた。


「あいつは芯国の王子に見初められてしまってな」


 なぜ国交が開かれていない国の王子と珪己が知り合ったのか、そこに興味がわくのが普通なのだが、ここでも晃飛は人とずれた反応をした。


「うっそー! あの顔とあの体型で? なんでなんで?」


 今度こそ仁威はきつく晃飛を睨んだ。


「お前、本当に話を聞く気があるのか?」

「あるある。聞く気あるから」

「本当だろうな」

「本当だってば。それにさ、話してくれるってことは、正確な情報を得ていた方が俺が安全だろうと、そう思ってのことだろう?」


 軽く目を見開いた仁威に晃飛がほほ笑んだ。


「うん。ありがとね、仁兄。もうちゃかさないようにするから話を続けてよ」


 ごほんと軽く咳払いをして仁威は話を再開した。


 つまりはこうだ。


 少女の本名は楊珪己。その珪己のことを、偶然開陽に訪れていた芯国の王子が見初めてしまったのだという。しかも珪己を無理やり拉致した。仁威はその監禁場所、芯国の大使館に潜入し、王子を打ち負かし、珪己の奪還に無事成功した。


 そこまで聞いて晃飛が口笛を吹いた。


「やるねえ」


 で、だ。


 その芯国の王子は珪己のことをあきらめていないのだそうだ。それにおそらく、自分をぶちのめした仁威のことも王子は探している。だから二人は開陽を脱出した。仁威は第一隊隊長の地位を棄て、珪己は家族と別離の挨拶をすることなく。


 ただ、放浪は突然開始されたため、手持ちの金はすぐに尽きてしまった。それで仁威は二つの仕事を掛け持ちしていたというわけだ。


 だが仁威は珪己のことをいずれ開陽に戻してやりたいと願っている。そのため屯所での生活に耐えていたのだが、晃飛の登場によってそれはできなくなってしまった。


「開陽の状況を知ることのできるような人脈はないか? お前が危ない橋を渡らなくて済む、そんな情報源があれば紹介してもらえると非常に助かるのだが……」

「そうだねえ、なくはないけど」

「なにっ?」


 餌に食いつかんばかりなのはそれを仁威が本心から望んでいるからだ。

 だが晃飛はにやにやと笑うだけだった。


「頼む、教えてくれ」


 仁威の縋るような目つきに晃飛が破顔した。


「仁兄がそこまで言うんなら紹介してあげなくもないよ」

「そうか。助かる」

「でも一つだけ条件がある」

「なんだ? 何でも言ってくれ」


 何でも。


 その言葉はまさに先日珪己が発したものだ。

 何でもするから兄を助けて、そう言って晃飛に頭を下げた珪己。


 仁威も同じだ。

 頭は下げていないが晃飛に必死で乞うている。


「……あの子に恋愛感情はもたないって、そう約束してくれたらいいよ」

「は……?」


 言葉が失われたが、二人は視線だけで会話を続けている。

 晃飛の意図を探るべく、仁威は一瞬も視線をそらそうとしない。

 晃飛は細めた目の奥から同じように仁威をまっすぐ見つめ返している。


 仁威の視線がわずかに揺れた。

 それはどう答えるべきか迷ったからだ。


 だから晃飛は助け舟を出した。


「同じ家に三人で暮らして、二人だけがいちゃついていたら面白くないじゃん。ここにいる間は俺たち三人は兄弟だってこと。いいでしょ?」

「……ああ」


 答えた仁威の視線はやはり揺れていた。

 見逃してしまいそうであったが確かに揺れていた。

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