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7.三兄弟の誕生

 次の日、非番だというのに晃飛が屯所に行くと、予想していたとおりにあの少女が門前に立っていた。


 少女は今日も晃飛が現れたことに即座に気づいた。初対面でのあの文字通り飛び上がった驚きの仕草は嘘のようだ。そして自ら近づいてくる少女の形相は鬼のようだった。今日は忠犬なんて可愛いものではない。闘犬だ。


 対峙し口を開きかけた少女の唇を、晃飛は人差し指で押さえた。


「はいはい、分かってるから。分かってるからさ、またあの店に行くよ?」


 そう言って歩き出した晃飛の後ろを、虚を突かれた少女があわてて追いかけてくる。そして昨日と同じ店、同じ茶と団子を頼み女給が去ったところで、少女が向かう机に身を乗り出してきた。


「晃飛さん、昨日何にもしてくれなかったでしょう? 兄さんは今朝もいつものようにでかけてしまいました。一体どういうことですか?」


 無償での頭を下げてのお願いだったはずなのに、少女のほうは当然のごとく晃飛を責めてくる。これに晃飛は深いため息をついた。


「それはこっちが訊きたいよ……」

「ん? 何のことですか?」

「君の兄さんは昨日付で屯所での仕事は辞めたよ」

「ええっ。そうなんですか?」

「そうなの」

「じゃあなんで」

「なんでって、だからそれはこっちが訊きたいんだって」


 そこに茶と団子が運ばれてきた。一つ一つが丁寧に机の上に並べられていく間、少女は晃飛をじっと見つめ、晃飛は椅子の背もたれに腕をかけ足を組み、気だるい態度でいた。


 もう一度女給が去ったところで晃飛が茶に口をつけた。その様子を注意深く観察する少女の視線は、まるで闘いのさ中にある武芸者のようだ。


 だがその視線がふいに下がった。


「……もしかしたら新しい職を探しに行ったのかも。お金を稼がなくちゃいけないから」


 悲し気に伏せた睫は、晃飛の胸中に巣くうたとえようもない鬱憤を刺激した。

 それは昨日、屯所の門前で仁威に去られて以来のものだった。


『困ってるならさ、俺ん家おいでよ。飯くらい食わせられるよ? 連れがいるなら一緒に連れてくればいいし』


 そう言ったのに、『いい』と、ただそれだけを言って仁威は去ってしまった。

 八年ぶりの感動の再会だったというのに、だ。


「君たちさ、お金に困っているんだろ」


 低い声音に少女が身を縮こませた。

 それが晃飛の潜ませていたもう一つの感情、苛立ちまでをも膨張させた。


「……なんでそのくせ仁兄は俺に頼ってくれないのかなあ。ねえ、なんで?」


 茶の入った椀を強めに机に置くと、少女が驚き顔をあげた。


「なんで仁兄は君と一緒にいるの? なんで仁兄はあんなことまでしなくちゃいけなかったの? ねえ……なんでだよっ!」


 椀を持っていた手がいつの間にか拳になり、机を力強く叩いていた。


 晃飛の示す怒りは少女にとっては突発的なものである。それでも怒りを向けられる理由には心当たりがあるようで、少女は泣きそうになるのを我慢するかのようにぎゅっと唇を噛んだ。


(これだから女は嫌いだ)


 何かあれば泣けば済むと思っている。

 腹の底から深く息を吐いた。


「あのさあ、黙っていられても困るんだけど」

「……それ以上はやめろ」


 第三者の介入、だがその声の持ち主が思い当たる二人は揃ってその声がした方を見た。

 そこにいたのはやはり袁仁威だった。


 仁威は座る二人を見下ろし腕を組んでいる。

 少女が椅子の上、ぎりぎりまで一気に後退し背をそらせた。


「隊長! どうしてここにっ」

「それはこっちの台詞だ。なぜお前がこいつと知り合っている。それにあれほど一人で外出するなと言っただろうが。あとその職位を外で口にするな」


 きつい言い方は仁威特有のものだが、その目に憤りの色はまったく見えない。いや、二つの感情だけが見える。それは安堵と愛しさだ。


 仁威がこんなふうに穏やかな感情を他人に示すところを晃飛は初めて見た。

 だから嫉妬した。


「もしかして二人は……義理の兄妹か何か?」


 義理と言ってもその根本の形にはいろいろとある。一つはお互いの兄弟姉妹と一方が婚姻関係にある場合、もう一つは義理の兄妹になろうと二人が誓い合った場合だ。


 前者はないと晃飛は知っている。仁威には兄と弟が一人ずついるが、兄嫁はこの少女ではないし、弟は……若くして死んでいる。仁威がこの少女の姉と結婚している可能性もあるが、昔から女嫌いであった仁威だ、それはない。だから二人が恋人または夫婦であるという推測ははなからしていない。


 後者のほう、誓いによって兄妹になるというのはこの国では随分珍しい。同性同士であれば珍しくはないが異性同士となると晃飛はこれまで聞いたことがない。異性同士であれば、素直に婚姻という形式をとることを選ぶからだ。


 晃飛の質問に二人は答えようとしなかった。少女は突然の仁威の登場に心底あわてふためいていて、「これには理由があってですね」「たまたま偶然ですね」としどろもどろに語っている。その都度「理由とは何だ」「偶然などあるわけがない」と仁威が反論している。


 すっかり二人の世界に没入している。


 嫉妬に加えて悔しさがつのっていく。


(……俺の仁兄なのに)


 思っただけのつもりが声に出ていたようだ。

 仁威がようやく晃飛を見た。


「俺たちは兄弟ではないだろうが」


 仁威の言い分は正しい。二人は実の兄弟でもないし誓いも結んでいない。晃飛が一方的に慕い、恩義を感じ、『この人を兄にする』と勝手に決めただけのことだ。兄と呼ぶことを仁威がやめさせないのは晃飛の気持ちを汲んでいるから、ただそれだけのこと。それに甘え、仁威が武官となって故郷を離れるまで晃飛はずっとそばにいた。


 晃飛がぶすっと押し黙った。

 唇を尖らせ眉間にしわを寄せ、子供のようにむくれている。


 それに諸悪の根源であろう少女が話しかけた。


「晃飛さん」

「……なに?」

「晃飛さんは、その、隊長とお知り合い……なんですよね」

「そうだよ。でもただの知り合いじゃない。俺は仁兄のことをよく知っているし、仁兄のことが好きなんだ」

「おい、晃飛」

「いいだろ? だって本当のことだから」


 仁威に応酬した後、晃飛は少女に向き直って言った。


「君が前に言っていたのと同じだよ」

「私が?」

「そう。同じ気持ちを俺も仁兄に持っているってこと」


 本心では自分の気持ちこそが最上だと信じているが、昨日この少女の見せた決意はそんなふうに簡単に軽んじられるものではない。案の定、少女は思案顔になった。


 やがて少女が言った。


「あの……それでは三人で兄弟しませんか」

「はあ?」


 高い声を上げたのは二人の男だ。

 だが少女はかまうことなく、まるでいいことを思いついたかのように瞳をきらめかせた。


「隊長が長男、晃飛さんが次男、私が末っ子。どうですか?」


 当然『否』だ。

 だが脳みそを高速で回転させた結果、晃飛は迷うことなく『是』と答えた。


「いいね。そうしよっか」


 こうして、ここ零央に不思議な三兄弟ができあがったのである。

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