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9・動物園に行こう II



 パラソルのついた飲食スペースがちょうど一つ空き、陽太がすばやく席を確保した。誇らしげな息子の仕事ぶりを褒めてやり、丸いテーブルを囲んでそれぞれ座る。

 どちらも陽太の隣に座るので、おのずと夕介とひなたの間はあまった空席が隔たる。


「おべんとうは?」


 キラキラとした笑みで、陽太が足をばたつかせた。

 ひなたの食の信者となりつつある息子の将来を、夕介は少しばかり憂慮した。このクオリティーを自分に求められても困る。


「急だったから、陽太くんの期待に添えるかどうか……」


 自信なさげに言うくせに、蓋を空けてみればカラフルで見栄えのよいできなのだ。

 謙虚な日本人そのままだなと、夕介は苦笑した。

 いただきますをすると、さっそくとばかりに手を伸ばした陽太は、ラップにくるまれたおにぎりを掴み取ってぱくついき、目を丸くする。


「うめぼし、すっぱくないね?」


「すっぱいほうが良かった?」


 ううん! と陽太はひなたへと向けて首を振る。

 夕介は、そんなばかな、とラップを剥いて一口食べた。


「……」


 視覚情報と舌の情報とが噛み合わずに、苦い顔となった。


「パパのはすっぱいの?」


「いや、」


「にがいの?」


「そういうわけでは……」


「おいしい?」


「いや、まぁ……うん」


 認めるのは癪だったので歯切れ悪い答え方となり、ひなたの不興を買いながら、最近の梅干し事情について考え込んだ。今まで食べていた食塩の塊のような梅干しは、一体なんだったのだろうか。


「ゆでたまごは、ひよこさん」


 陽太がフォークでゆでたまごを差した。切り口がぎざぎざになった白身から、目のついた黄身がひよこのように頭を出している。


「うん。じゃあ、ポテトサラダは?」


「しろくまさん」


「にんじんは?」


「うさぎさん」


 動物の形を工夫して作られたおべんとうを挟み、仲良く親子のように会話する二人に、夕介は疎外感から口を挟んだ。


「動物園に来て、動物を食うのか」


 ひなたに対しての嫌みだったのに、陽太がしゅんとしてしまった。


「……陽太くん。動物の形をしてるだけで、みーんな食べ物だよ?」


 ひなたがそう囁くと、陽太は気を取り直して食べはじめて、夕介は焦りを鎮めた。

 物言いたげなひなただったが、すぐに諦めたのか目を逸らす。

 何か言いたいことがあるのなら言えよ、と夕介は心で毒づき、投げ出していた足を動かすとひなたの足を蹴ってしまい、険悪ムードの再来となってしまった。

 だがどちらも大人なので、陽太に気づかせるへまはせずに、表面上は和やかな親子の食事を続けた。


「パパはどうぶつ、なにがすき? ぞうさん?」


「特にこれと言って思いつくものはないが……強いて言うなら、ナマケモノだな」


「えー……。ひぃちゃんは?」


「何でも好きだけど、一番はパンダかな」


「パンダはいないね」


 ひなたは、そうだね、と肩を竦めた。

 パンダを見たいと言われたらどうしようかと戦々恐々としていた夕介だったが、陽太はパンダにそこまでの愛着が芽生えていなかったらしく、だだをこねることはなかった。


「いつか見れるといいね?」


「うん。そうだね」


 二人してどこか遠くへと目を遣った。パンダに想いを馳せているのだろう。


「陽太。ちゃんと前見て食べないとこぼすぞ」


 言ったそばからぼろぼろとご飯をこぼした陽太は、あーあ、という顔で落ちた米の塊を眺めている。


「……まぁ、蟻が食うだろう」


 そのせいで陽太はちらちら地面を気にしていたが、夕介は特に注意することもなく、したいようにさせておいた。






 陽太はもこもこふわふわな動物には意欲的に近づいたが、ワニやイグアナなどの毛のない顔の怖い動物は見向きもしなかった。

 というより、見ないように努めていた。

 普段夕介を置いて走って先に行く陽太も、爬虫類コーナーでは鳥肌を立てながら足にしがみつく。ただ、顔だけは一丁前に平気なふりをするものだから、夕介はさりげなさを装い呟いた。


「あっちでヘビに触れるらしいな」


 ぞっ、と陽太が身震いをさせて、夕介はくつくつと笑う。

 しかし次の言葉で笑っていられない事態となった。


「パ、パパがさわったら、あんしんできるかもしれない!」


 夕介は顔をひきつらせて、考えあぐねた結果、


「君子危うきに近寄らず、だ」


「なぁに、それ」


「つまり、危ないところに近づかない方が賢いってことだ」


「虎穴に入らずんば虎児を得ずともいいますよ?」


 ひなたが小首を傾げながら、悪意のない顔で話に参加してきた。


「ひぃちゃん、それは?」


「危ないところに行かないと大きな利益……欲しいものが手に入らないよってことだよ」


 ヘビ回避のための口実を台無しにされた夕介が見据えると、彼女はごめんなさいと肩をすぼめた。


「そこまで言うなら、触って来いよ」


 夕介はひなたの腕を引ったくり、大蛇を首にかけた猛者のような飼育員の前へと突き出した。

 陽太が「ぎゃっ!」と悲鳴を上げて、猛抗議をしながら夕介のジーンズの尻ポケットにぶら下がり、剥ぎ取る勢いで引っ張る。


「ひぃちゃんがたべられる! やめてあげて! ヘビさんゆるしてっ!」


 あまりの剣幕に怯んだ夕介は、陽太をなだめるためにしゃがんだ。


「わかったから、ほつれるからそれ以上引っ張らないでくれ」


 半分涙目の陽太と夕介の間へと、突然にゅっとヘビの顔が覗いた。


「「ぎゃっ!!」」


 二人そろって腰を抜かす。

 陽太はそのまま這って逃げて、柱の後ろから様子を窺い、置いていかれた夕介は、おそるおそる顔を上げ、驚愕の光景を目の当たりにした。

 うっすらと黄色がかった大蛇を、ひなたが首にかけている。眉を下げ、しきりに重い重いと言ってはいるが、重いどころの問題ではない。

 頭のネジがどこかに飛んでいったのではないだろうかと、夕介は疑念を抱いた。実際少し前に頭を打っている。

 夕介は立ち上がると、さりげなく彼女から距離を取った。

 大蛇をバーベルかなにかと勘違いしているのだろうか。触るだけででも恐怖体験だというのに、それを首なんて急所にかけるとは。

 まず最初に眼鏡を買うべきか考慮していたところでひなたはヘビを飼育員へと返却し、何食わぬ顔で戻ってきた。

 夕介はやや彼女を避けつつ、陽太を連れてきて盾にする。


「ひぃちゃんたべられたかとおもったー……」


 ほっとする陽太もどうやら目が悪いようだ。どう見ても五体満足で、無事生還してそこにいる。

 二人を眼科へと急ぎ連れて行かないといけないだろうか。


「さすがに私は大きすぎて食べられないよ」


 ひなたは相変わらずのんきな口振りだ。

 人は食べないにしても絞め殺しそうな大蛇相手に、恐れを持たないのか。

 夕介はまじまじと眺めていると、その視線に気づいたひなたと目が合い、さりげなく逸らす。


「あの、別にヘビが好きとかではないです」


「いや、わかっている。目が悪いんだろう」


 きょとんとするひなたが疑問符を浮かべているのを横目に見ながら、今日は割りと会話をしているなと夕介は思った。

 これが動物園の持つ魔力なのだろうと深く頷く。

 そしてハ虫類館というおぞましい建物からの脱出に成功すると、陽太は晴れやかな顔でその他の動物を見に走った。その駆け足がぴたりと止まり、見上げた先にいたのは、キリンだった。子供の目線だと、首が痛くなりそうなほど真上を向くことになる。

 夕介が隣へと並ぶと、陽太の視線がずいぶんと下げられた。キリンと比べたらそうなるのは仕方がない。


「なんでくび、長いの?」


 至極まっとうな疑問だ。これならば夕介にでも答えられた。


「高いところの葉っぱを食べるために、長くなったらしい」


 ふぅんというように、陽太はまたキリンを見上げた。


「ふべんだね」


 確かに不便だ。なぜ手足が伸びなかったのか。


「キリンは、あの長い首で闘うんだよ」


「えっ!」


 ひなたの一言に陽太が食いついた。夕介がなぜ首が伸びたかと教えたときよりも反応がいい。

 夕介は内心舌打ちした。


「やさしいかおしてるのに、たたかうの? だれと?」


「メス……好きな女の子を取り合って、男の子同士で闘うんだよ」


「へぇー! かったほうが、その子とつきあえるの?」


「それはその子次第かな?」


 夕介は、なんだそれ、と心の中で突っ込んだ。

 勝ったんだから、付き合うくらいしてやればいいのに、なんて高飛車な女だ、と。


「ぼくも首、長くなる?」


 陽太が首長族を夢見出す前に夕介は早い内に断ち切った。


「人間だから、キリンにはなれないぞ」


「そっかぁ」


 この長さで十分生きていける。

 ひなたを窺うと、微笑ましげに陽太を見つめながら、消え入りそうな声音で呟いた。


「好きな子でもいるのかな?」


 それは夕介にはまったくと言っていいほど、ない発想だった。

 いくら子供だからって、ただ単純に首を長くしたいと思うわけがない。

 あまりにも恋愛というものから遠ざかりすぎた。

 元々、積極的に誰かへとアプローチすることもなかったが。


「それにしても、動物が好きなのか?」


 ヘビに果敢に向かっていくくらいなのだから、好きなのだろう。

 しかしひなたは、曖昧な苦笑をする。


「そうですね……」


 記憶喪失でも、好き嫌いは変わらないのだと思ったのだが、突っ込んだことは聞くべきではなかったのだろうか。夕介は気まずさを感じながら、


「無理に、思い出そうとしなくていいから」


「…………はい」


「……陽太、そろそろ帰るか」


「えー?」


 不満げな陽太によって、これが最後だと何度も言い聞かせながら、結局帰宅は一時間以上も延長されたのだった。




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