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6・偽りの家族生活 I



 スマホのアラームが頭上で鳴り、夕介はまぶたを下ろしたまま右手をさまよわせた。

 二度三度と裏切られ、ようやく手で掴むと、アラームを止めて布団の中へと再び潜る。

 あと一分だけ、と普段のように誰へともなく言い訳をしていると、ふと違和感を感じてもう一度頭を出した。


「うん?」


 三つ並んで敷かれた布団は、夕介の以外は空っぽになっている。

 それに、どこからかいい匂いが漂ってきて、布団から這い出ると導かれるようキッチンへと誘われた。

 食卓の小さなテーブルに、一切の労力なく和食が並べられている。

 つやつやとしたご飯に、だし巻き玉子。ほうれん草のおひたし。焼き鮭。そして部屋中に充満するこの匂いは、味噌汁だ。

 こんな朝食は、何年ぶりだろう。

 雪乃はお世辞にも料理が上手とは言えなかったので、実家で暮らしていた時以来だ。

 あまりにも呆然と立ち尽くしていたからか、ちゃっかり座ってご飯を待っていた陽太がこちらを見て言った。


「パパ、まだ寝てる?」


「立ったまま寝れるほど、器用ではないな」


「おはようございます」


 岡の元カノの服を着てキッチンに立つひなたは、陽太に箸を手渡しながらあいさつをしてきた。


「……おはよう」


 昨日までと、自宅が百八十度変わってしまったようだ。

 ひなたはそれが当然自分の仕事だと思い朝食を作ったのだろうが、予定していた今日の夕飯である鮭炒飯は変更されることがこの時点で決定した。

 夕介は椅子にかけながら、食卓に並ぶメインの焼き鮭に目を遣り、ひなたを見る。


「鮭って、二切れしかなかっただろ?」


 夕介と陽太の前にそれぞれ一切れずつあるので、ひなたは自分の分がないことになる。


「私は、大丈夫です」


 彼女は夕介に箸を渡し、そう言った


「いや、何が大丈夫?」


「え?」


 ひなたは驚いた表情で夕介を見つめた。

 そんな返しをされると思っていなかったのか、彼女の口からは何も言葉は出てこない。

 夕介は自分の鮭を箸で半分に切り、片方をひなたの、控えめに盛られた白米の上へと乗せた。

 それを黙って眺めていたひなたは、初めて柔らかく微笑んだ。


「すみません。ありがとうございます」


 ばつが悪くなった夕介は、鮭の欠片を口へと運んだ。

 よく焼けていて美味しい。


「いっただっきまーす!」


 陽太はしっかりと手を合わせてから、にこにことしてご飯を食べ始めた。

 パンでない珍しい朝食が嬉しいのか、朝からご機嫌だ。

 陽太は好き嫌いはないので、何でも美味しそうに食べている。

 しかし夕介は味噌汁の具に、見慣れないものが入っていることに気づき、それを箸で摘まみ上げた。こいつは、玉ねぎだ。

 まず陽太を見る。美味しそうに食べている。

 子供に毒味させている気分だが、子供だからこそ思いきった行動が取れるものだ。大人になると、過去の経験と照らし合わせて慎重になる。

 たかが玉ねぎ一つでも、だ。


「パパ、どうしたの?」


「わからないだろうが、今、玉ねぎと話し合っているところだ」


「玉ねぎ、なんて言ってる?」


「いや、それは……」


 まさか普通に乗ってくると思わなかったので、口ごもっていると、


「甘いですよ」


「うん?」


 声の主であるひなたを向く。味噌汁のお碗を両手で持ち、小首を傾げていた。


「玉ねぎです」


「ああ……玉ねぎか。……陽太、甘いか?」


「うん!」


 そうか、と頷いた夕介は、無駄な抵抗を止め、一度お碗に玉ねぎを返却してから箸を置いた。


「すききらいはだめだって、チカせんせいにおこられるよ?」


 それは情けない。

 夕介は陽太のじっという眼差しに促され、玉ねぎの見え隠れする味噌汁を一口飲んだ。

 冷めかけているが、特に味に問題はない。

 それから内心おそるおそる玉ねぎを口へと運ぶ――。


「……なくは、ないな」


 確かに二人の言う通り、玉ねぎは甘くなっていた。

 たかが玉ねぎ一つに、朝の貴重な時間を無駄にしたのだが、朝食を作る手間が省かれている分まだ余裕は残されている。


「ぼくのおさかなも、ひぃちゃんにあげるね」


 陽太が橋でつつきすぎてぼろぼろになった鮭の一部を、ひなたへとお裾分けする。

 夕介が半分に分けたときより、明らかに感動の具合に差があった。

 どうにも陽太との距離が近い。

 隣同士に座っているからではなく、心の壁が一枚も二枚も薄いのだ。

 夕介はだし巻き玉子を口に入れて、きちんとだしの味がしていることにうめく。小姑のように文句をつけるつもりはなくても、完璧だと逆にあらを探したくなるのは人の性だ。

 とはいえ、自分よりも圧倒的に優れた料理を作る彼女に、口出しできる立場にはない。

 気の利いたことも皮肉も思い浮かばず、ただただ黙々と食べ進めた。


「よるごはんは、ハンバーグがいいなぁ」


 陽太がすでに胃袋を掴まれていて、夕介は妙な危機感を感じて口を挟んだ。


「ハンバーグはこの間食べたじゃないか」


 コンビニのレトルトだが。


「まいにちでも、いいよ?」


 毎日合挽き肉の塊を食べれるほど、夕介の胃袋はアメリカナイズされていない。

 それにもとより、好みは洋食より和食だ。


「……ほら、あれだ。好物はたまーに食べるからこそ、特別感を味わえるんだ」


 理解したのかは不明だが、陽太は難しい顔をしてから妥協案を提示してきた。


「ハンバーガーでも、いいよ?」


 単品かパンに挟んであるかの違いで別物にされたらたまったものではない。


「ファストフードは、体によくないと言う。ハンバーガーはまた来週だな」


 いつもはこれでうやむやになるに、今日は不服そうに夕介を見据えている。

 そして夕介は、陽太の肩を持つ存在がそこにいたことを失念していた。


「ロコモコでもだめですか?」


「ろこもこって、なぁに?」


 悪いことに、陽太が未知なる料理名に食いついてしまった。

 陽太の想像ではもこもこした食べ物なのか、両手が羊を触ったときのような仕草になっている。

 それがおかしくて、つい堪えきれずに体を曲げて笑ってしまった。

 陽太が見咎めるような眼差しで射貫いてきたので笑いを収め、素直にすまないと謝った。


「これはもう、作ってもらうしかない」


 こうなると陽太はてこでも引かない。

 ハワイでも何でもない、日本の小さな桜色のちょっとだけ愛嬌のあるこのアパートで、ロコモコも夕食に出されるとは夢にも思ってなかっただろうな、などと思いながらため息をついた。


「何買って来れば、ロコモコになる?」


 ことの元凶に尋ねると、不思議そうに目を丸くした。


「私が買って来なくていいんですか?」


「あ……そうか」


 その方が効率的だ。

 それに彼女が自分自身を夕介の妻だと思っている以上、何かしらの家事仕事を与えておかないと怪しまれる。気が引けるにしてもだ。

 買い物を彼女に一任すると、掃除や洗濯もしていいかと訊かれた。


「……大丈夫か?」


 陽太の手前、怪我は、という主語を伏せたが伝わったようで小さく頷いた。

 こうして家事全般を彼女に任せることになり、夕介の負担が一気に減った。反面、これまで時間をやりくりしてやってきたことが無駄だったような寂寥感が胸を占めた。

 彼女を妻と思えない以上、住み込みの家政婦というのが正しい気がする。

 先行き見えぬまま、今夜の夕飯のメニューだけが、確固として決められたのだった。



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