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4・偽装工作



「戸倉さんどうかしましたか?何かいつも以上に疲れた顔してますけど。お昼どうします?」


 隣のデスクから、後輩の岡大輝がひょっこりと覗き込んできた。そのわりには、地毛である茶色がかった髪が落ちてくると、夕介など忘れたかのように払いのける仕草をする。

 大して心配していないのではと思いもしたが、夕介は地味に散らかったデスクの上を片づけながらぽつりともらした。


「人身事故、起こした」


 岡の瞳にはっきりと「動揺」の二文字が浮かび、周囲を警戒しながら、つつっと椅子を寄せてくると、小声で叫んだ。


「まずいじゃないですか! 何のんきに仕事なんて……。今日はいつもの蕎麦屋じゃなくて、あっちのうどん屋にしましょう」


 社内の人間に聞かれないように会社から少し距離のあるうどん屋を選んだ理由は理解できるが、麺である必要はどこにあるのか。

 よほど犯罪者らしいこそこそした動きをする岡によって、夕介は強引に連行された。

 そのうどん屋には予想した通り、見知った顔がない。だが他に客はたくさんいた。

 夕介は、自分とは根本から違う人種である、この軽薄な後輩の意見も参考にすべく、ことのあらましを語った――。


「……何やってんですか、本気です?」


 岡は呆れながらうどんをすする。ごくんと喉を上下にしてから、ため息をつく。


「その女の家族が捜索願いでも出してたらどうするんですか」


「年間何十万の捜索願いが出されるんだぞ。警察もいちいち探したりはしないものだ」


「でも、手ぶらで歩いてたなら、近所に住んでたりしません?」


「その時は、記憶喪失だったから、うちで預かってたって言うだけだ」


 夕介は山菜の天ぷらをかじり、岡のいかがわしいものでも見るような眼差しから逃れる。


「はぁー。戸倉さん、結構な悪人だったんですね」


「俺の一番は陽太なんだ。しばらく陽太と暮らせば情がわく。記憶が戻ったとしても、あの女も訴えたりはしないだろう」


「というか、子供訴えますかね?」


 ひなたが訴えるかどうかを考えたところで答えなんて出ない。

 ならば少しでも恩を売り、陽太に情を移してもらえればいいのだ。


「上手くいきますか?ちょくちょく経過報告くださいね」


 何だかんだ文句をつけておいて、岡は愉快そうに目を細めている。

 他人事だと思って、と夕介は低くうめいた。


「あ、そうそう。服とかどうするんですか?」


「うん?」


「だから、服ですよ。家にその子の服とかないと、怪しまれません?」


 箸からうどんが滑り落ちた。

 ちゃぽん、とつゆの中へと沈む様をじっくりと眺めてから、


「……それはまずいな」


 ようやく声が出た。

 岡の指摘した通り、当然本人の生活必需品がなくてはおかしい。


「服とか靴なら、前の彼女が置いてったものがありますけど」


「恩にきる」


「まだ貸すなんて言ってませんって。戸倉さん、奥さんの私物とかは」


「全部捨てた。……あいつが、そう言ったからな」


 雪乃は自分の痕跡を残したがらなかった。

 布団はごくごくたまに岡が来たときに必要になるのでとってあるが、きちんと残っているのは写真だけだ。

 当時は抵抗があったが、吹っ切るために今はそれで良かったのだと思っている。


「仕方ないから仕事終わったら持ってきますよ。その代わり、きちんとどうなったか教えてくださいね」


「わかってる。だが、お前を喜ばすようなことが起きないよう、俺は祈る」


「神頼みって、似合いませんから」


 からからと笑う岡に、夕介は脱力してため息をついた。





 駅を出てすぐのところにある保育園に陽太を迎えに行くと、今日はどうやら一番最後だったらしく、いつものように小言を言われた。


「陽太くんは物わかりがいい子ですけど、もっと早く迎えに来て欲しいと思ってますよ」


 若いのにずけずけと言う保育士の千香に対して、夕介は言い訳がましく、


「これでも急いだ方で――」


「陽太くん、いつもよりも元気がありませんでしたし」


「それは……、はい」


「……わたしが家まで送っていっても良いんですよ?」


 かすかに声のトーンが変わる。

 今は保育士ではなく、義理の妹としての提案だ。

 彼女に頼るようになってしまうと、いつか陽太を取られてしまいそうで、夕介は落ち着かない気持ちが押し寄せて来る前に、陽太を抱えると一言謝って逃げた。


「すみません、明日こそは」


 背後で頬を膨らましているだろう千香を眺めて、陽太が不思議そうに尋ねてきた。


「チカせんせい、おこらせた?」


「大人の女は、時々機嫌が悪くなるんだ」


「ほるもん?」


 子供にホルモンバランスの話なんかすべきでなかった。すっかりと覚えてしまったらしい。

 陽太の将来を憂いたが、もはや後の祭りだ。

 保育園から遠ざかりほっとしていると、背後からクラクションを鳴らされて、振り向いた。

 そろそろと近づいてきた黒いワゴン車が、夕介たちの横に停車する。

 窓が開き、岡の顔が現れると、陽太は笑顔で片手を上げた。


「だいき!」


 それに答えるように岡も片手を上げて返事をしてから、後部座席を指差した。


「送ってきますよ」


「悪いな、色々と」


 夕介は車へと乗り込むと、陽太にきっちりとシートベルトを締めた。


「いえいえ。お礼に、新妻の顔を拝んでいきますから」


「余計なことは、絶対に話すなよ」


「はいはい。まずは偽装工作ですね」


 すっかりと仕切られている。

 アパートに着いてからも岡の仕事は完璧で、玄関に女物の靴とサンダルを配置し、クローゼットに何枚かの服を吊るし、使いかけの化粧水やらを洗面所の戸棚に並べ、新品のタオルを引き出しへと詰め込んだ。

 さすが女を取っ替え引っ替え修羅場をいくつも潜り抜けてきただけのことはある。

 人としては最低だが、役には立った。

 岡が作業している間に、夕介は陽太にご飯を食べさせながら、その様子を感心しながら眺めていた。


「あと、何かいるか?」


「必要だけど俺にはどうしようもないものが一つ」


 思案顔で人差し指を立てる岡の、次の言葉を黙って待った。

 考える手間は、初めから放棄している。


「わかりませんか?まったく、これだから男はっ……!」


 吐き捨てた岡に、お前も男だろうと突っ込むのをどうにか抑えて、続きを催促した。


「時間がないから早く、答え」


「下着ですよ、下着。下はまぁいいとして、ブラのサイズは人それぞれでしょう? 誰かのもので代用できません」


「……確かに。で、どうすれば?」


 夕介は完全に丸投げすることにした。

 しかし腕を組んで頭を捻らせている岡に、一応提案だけはしておいた。


「全サイズ、そろえるか?」


「戸倉さん、バカですか? ブラジャーはカップ数だけでなく、アンダーバストもあるんですよ? 一般的なA〜Fカップだけでもすでに六種類あるのに、アンダーバスト数もバリエーション豊富にそろえて、さらに洗い替えまで足したら、いくつ買うことになると思ってるんですか。変態通り越して、もはや業者ですよ、業者」


 夕介は絶句した。

 何故そんなことを女でもないのに知っているのか、という疑問はとりあえず胸に秘める。

 とはいえ、困ったことになった。本人に直接尋ねるわけにもいかないのだから。

 すると岡が苦肉の策とばかりに呟いた。


「もういっそ、風に飛ばされたことにするしか……」


「苦しいが仕方ない。採用しよう」


 今からなら、ひなたを迎えに行った後でも、最寄りのショッピングセンターの閉店時間にどうにか間に合う。

 夕食を終えて一息ついている陽太を抱えて、夕介はひなたを迎えに岡の車で病院へと向かった。

 夜空にはすっかりと月が浮かんでいた。



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