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16・お遊戯会の外で



 そのスタジャンでよくその門をくぐれたな、と夕介が呆れていると、


「ひなたちゃんは中ですか?」


 岡は悠然と、猫の額ほどの運動場を横切りそう言った。


「関係者以外立ち入り禁止と門に貼ってあっただろう」


「え? ひなたちゃん留守番ですか?」


 岡に勝手に敷地内へと入るなと注意したのに話が噛み合わず、夕介は渋面を浮かべ、諦めた。


「……中にいる」


「じゃあ俺も」


「陽太のクラスの出番までまだ時間がある。今行っても立ち見だ」


 岡は踏み出した一歩を、ゆっくりと元の位置へと引いた。


「だったらあの、木陰にある鉄棒にでも座って待ちますか」


 座れないことはないが子供用なのでかなり低い。そして大の男二人、鉄棒に並んで座る光景は他者にどう映るのだろうかと思いつつも、重力に逆らい続ける体力はなく、夕介はその提案を受け入れた。


「しっかし、戸倉さん保育園まったく似合いませんね」


 お前に言われたくはない、と夕介は目で言ってため息をついた。

 この場所が似合うのは、子供くらいなものだろう。


「保育士さんと合コンでもしようかな」


「いいんじゃないか」


 夕介は意図的に、ここの保育士たちが恐ろしいということを伏せた。


「後で誰かに声かけてきます」


 夢は壊さないでおこう。

 夕介は沈黙を貫いた。


「そういえば、ちょっと調べてみたんですけど、この辺りでひなたちゃんに該当しそうな行方不明者はいなさそうです」


「ネットでか?」


「いえ、近くの署の婦警さんに。合コンでさらっと」


「……」


「捜索範囲を広げているところですけど、そもそもあのペンダントにどこまで信憑性があるんですかね?」


 気を取り直して考える。


「自分の名前じゃないのに、首に下げるか?」


「そーですよねぇ……。アイドルとかのグッズでもなさそうだし……」


 うーん、と考え込むように岡は眉を寄せ、ひどく言いにくそうに問いかけてきた。


「たとえば……ですけど、恋人の名前とかじゃ……ありません?」


「それは、つまり……」


 ひなたが同性愛者かどうか、ということだろうか。


「本人が忘れているだけで、実は女の人の方が、とか。――どうですか? 一緒に暮らしててその傾向は?」


「いや、それは……考えたこともなかった」


 しかしこの与太話がもしかして真実なのだとすると、ひなたの名前すらわからないことになる。

 手がかりがこれ以上減らされてはお手上げだ。


「さりげなく聞いてみてくださいよ」


「どうやって」


「好きな人のタイプとか、芸能人だと誰が好きだとか」


 思えばそういう話はしたことがなかった。

 ひなたはたいてい、陽太と子供向け番組ばかり観ているからだ。


「そういうのを聞き出すのは、岡の方が得意だろ」


「まぁ、それもそうですね。後でさりげなーく探りを入れてみますけど、ショック受けないでくださいよ」


「人の趣味嗜好に偏見は持たないよう心がけている」


 きっぱりと言い切ると、岡は夕介をしばらく眺めて苦笑した。


「戸倉さんってなんかやる気なさそうな見た目ですけど、そういえば中身はストイックですよねー。酒や煙草もやらない、一緒に暮らす女にも手を出さない。なにが楽しくて生きてるんですか?」


 ひどい言われようだが、夕介間髪入れずにこう返した。


「陽太と睡眠」


「陽太はわかりますけど、睡眠って。三大欲求ではありますけど……」


 ストイックなどではない。

 ただ、憶病者なだけだ。


「ひなたちゃんに変な気、起きません?」


「陽太がいるから、な」


「でも、陽太はすっかりママだと思ってるんでしょう?」


「ひなたは母親だが、妻ではない。まだ取り返しのつく内に、帰らせてやりたいんだ」


 それって、と、岡は呟き、すぐに口をつぐんだ。

 今さら投げ出そうとして見えるだろう。理不尽で自分勝手なことだとは、夕介も理解している。

 全て知った時、傷つくのは彼女だということも。


 泣くだろうか。


 その姿を想像しかけて、見ないよう目を逸らした。







「パパちゃんとおきてたね」


 劇を終えた陽太は、晴れ晴れとした表情でそう言った。


「立ったまま寝られるほど、器用ではない。前にも言ったぞ」


「陽太くん上手だったよ! 可愛いくまさんだった!」


 夕介を押しのけ、ひなたが興奮して陽太を褒めそやし、岡もしゃがんで目線を合わせ、それに同調した。


「陽太、良かったぞ。台詞もはっきり言えてたし、何より他の子よりも堂々としてた!」


 陽太は甘い大人たちの大絶賛に気を良くし、満面の笑みだ。

 ここだけではなくあちこちで我が子を褒める声が聞こえてきて、親子仲良く手を繋ぎ帰っていく。

 陽太を取り囲む二人の方がよほど親らしく見え、このまま三人で行ってしまうのではないかという不安が胸をよぎった。


「あ、陽太くん」


 千香がこちらへと笑顔で向かってきて、やはり手放しで褒めたので、陽太は夕介の足に抱きつきキラキラした眼差しで仰ぐ。


「……良かったぞ」


 くまさん帽子の上から手を置くと、にぃーっこりと目を細めた。

 それを微笑ましげに見つめていた千香は、同じような表情をするひなたと岡をちらっと見てから夕介に問いかけた。


「こちらの方は? ひなたさんの彼氏ですか?」


「戸倉さんの会社の後輩で、岡と言います」


 岡はころっと表情を対女性用に変えると、気さくかつ礼儀正しくあいさつをした。

 だがいつひなたの彼氏になったのか、否定しないので誤解を招きかけている。

 ひなたもはっきりと違うと言えばいいものを、千香に向き合うと萎縮してしまうらしく、愛想笑いのまま固まっていた。


「……まず、付き合っていないことを否定しろ」


 ぼそりと指摘すると、千香が何を勘違いしたのか、むっと片眉を上げる。


「へー、ひなたさんはモテモテですねー」


 嫌味しかないその言葉に、当の本人は見に覚えがないので、首を傾けている。

 そういう仕草がさらに勘に触るのか、千香は半眼でひなたを見据え続けていた。

 しがない夕介ごときに出せるような助け船などなく、じっと嵐が過ぎるのを待った。

 千香が他の先生たちに呼ばれてこの場を立ち去るまで、耐え抜いた。


「なんか……保育士さんのイメージが変わりました……」


 千香はひなたに対して特に、風当たりがきついのだ。

 元々、はきはきした性格だったが。


「チカせんせい、またおこってたね」


 心の癒しを得るため、岡は陽太を背中からぎゅっと抱きしめた。


「だいき、あまえっ子?」


 くまさん帽子に頬を擦り付けて、岡は、そう、とだけ答えた。


「そういうときは、お子さまランチをたべるといいよ」


 陽太は確実に今自分が食べたいものを勧めている。

 あわよくば奢ってもらう算段を立てているのかもしれず、誰に似たのだろうかと夕介は真剣に首を捻った。


「陽太、お子様ランチは年齢制限があるから、岡には無理だ」


「じゃあ、かわりにたべてあげるね」


「……頼んだ」


 しょぼくれた岡が陽太を煽る。

 どうしたってお子様ランチから離れる気はないらしい。

 すっかりお子様ランチに執着し始めた陽太を、どうするか。


「陽太。今日の夕飯の材料はもう買ってある。だからお子様ランチはまた今度だ」


「だいじょうぶ。だいきがつれていってくれるから」


 言質も取らずに言うものだから、岡はきょとんとしている。


「ファミレスよりもひなたのご飯の方が美味いだろ」


 陽太を諦めさせるための言葉だったのだが、知らず知らずの内に夕介はひなたを褒めていた。


「ありがとうございます」


 素直に礼を言われてしまい、しどろもどろになる。


「いや、まあ、うん」


「じゃあ、ひぃちゃんにお子さまランチつくってもらう!」


 陽太が執念で打開策を見つけ、夕介の意図せぬ言葉に後押しされたひなたが、がんばりますとやる気を見せた。


 ますます夕介は何も発言出来なくなり、結局ひなたに全てを話すのは陽太が寝静まってからにしようと、目標だけは立てたのだった。






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