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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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『魔女の記録 』1話 邂逅

 

「きっと、彼女ほど優しい人間(・・)はこの世にいない。優しいからこそ、彼女は世界を救う為に『魔女』となり、世界を敵に回したのだから。そんな人だったから自分は初めて支えたいと思い、傍観者である事をやめてしまったのだよ」


 此度語られる物語の主役は『勇者』でもあり、『魔女』でもある彼女だ。だが、忘れないで欲しい。彼女は『勇者』でもあり、『魔女』でもあったが、ただのクロユリという名前の人間でもあったという事を。


「世界から『魔女』と恐れられ、恨まれ、憎まれ、疎まれる彼女が何をしたのかは、全て世に伝わる『魔女の記録』に書かれている。今回話す記録は、書き方と受け取り方がまるっきり違うがな」


 この記録を残したのは、いつか訪れるであろう『魔神』復活の危機に備えての為。図らずしも不死に近いロロ達だが、クロユリに施された封印は永遠ではなく、定期的にかけ直さねばならない。


「『勇者』の名を継いであの塔を登り、弱った『魔神』に勝利してもらうには、本当の事を知らねばならない。本当の事を知らぬ者は、あの場において最悪の足手纏いだからだ」


 有事の際、暴れる『魔神』を抑え込んで封印を施せる後継者が必要だった。故にその候補だけに、この世界の真実は伝えられる。







「第一の試練である、己の命を投げ捨ててまで他者を救う覚悟があるかだが……この場の全員、その覚悟があると見た」


 仁、シオン、マリーは既に証明となる数多の傷を負っている。柊と梨崎は、この街の為ならば何をするのも厭わない。よってロロは全員を、他者の為ならば命も何もかもを投げ捨てる覚悟があると認めた。


(他は分からなくもないんだけど、梨崎さん……?)


(芯はある人だ。きっと、その時になれば分かる)


 梨崎にその覚悟があるのかと首をかしげるが、この世界において医者は非常に危険な職業である。治癒が困難な病の側に寄り添い続け、感染するリスクが最も高いのだから。


「だが、これより先はそれだけでは足りない。世界を敵に回す覚悟を持って、この物語を聞くがよい」


 その覚悟は、この場にいた全員が出来ていた。なにせすでにこの街は、世界を敵に回しているのだから。


 しかしその覚悟は余りにも矮小だったと、話を聞き終えた彼らは思うことになる。












 出会いは偶然といえば偶然だった。あの頃、歴史にしか興味がなかったロロがある二つの噂を聞きつけ、その出所へと向かう途中。


「やめんか!こら!自分は余り美味しくは……ちょっとかじるな!ぎゃあああああああああ!?」


 いつものように空腹で生き倒れ、狼に食われかけた。というよりかなりガブられた。とはいえロロは不死。魔物に何千回噛まれようが、何度消化されようが死ぬ事はない。


「なんでよ」


 またいつものように飽きられるまで、かじられ終わるのを待つとするか。そう諦めた瞬間だった。


「なんで、こんなところで食われてるの!」


 ごもっとも。茂みから姿を見せた女性が、血だらけで飲み込まれる寸前のロロを見て怒りを吐き出す。ぴゅーと噴水のように血を零しながら、その姿を見た彼は疑問符を頭の上に浮かべた。


「なぜ怒っているのだ?助けられるなら助けて欲しいが、見た所ただの村人だろう?この狼の興味がそっちに向かないうちに逃げるといい」


 怯えや悲しみ、罪悪感ならまだ分かる。なのになぜ怒るのかと、当時のロロは思ったものだ。


「はぁ……状況、分かってるの!?死ぬかもしれないって時に……!」


「いや別に……それより、黒髪とはまた珍しいな。まるであの施設の……」


 放置しろと言ったら、女性は更に怒りを募らせた。それはロロや狼へではなく自分自身、或いは運命のような、どうにもならないものへと向けた怒りのように見えた。


「……ああっ!もう……」


「何がああっ!もうなのだ!こいつらは群れる!一匹倒そうがあまり変わらんのが分からんのか!いいから早く逃げ……なんだその魔力量は?おかしくなったのか?」


 葛藤の末、魔法を発動させようと手を翳した女性をロロは無茶だと怒鳴りつけて、切り替えた魔力眼を故障したのかと錯覚した。


 通常、魔力眼というものは、魔力がある場所が淡く光る程度のもの。どれだけ光っても、発動の際に集まった魔力が明るいくらいなものだ。分かりやすく言うなら、蛍か。


「光で、視界が見えん」


 永くを生き、馬鹿げた魔力を持つ者を何人と見てきた。彼らの魔力は眩かった。だが、目の前の黒髪黒眼の彼女は格が違った。その場に太陽があるのかと思う程だった。魔物でさえ理解したのか咀嚼を止めて、ただ呆然と誰もが立ち尽くす。


「お願い。制御、出来て。固まったら、あの人を殺しちゃうから、分散……!」


 莫大すぎるが故に、制御出来ないのだろう。彼女は苦しげに、魔法の扱いを知らないような粗さと非効率さで魔力を束ねて、発動させようとする。余りの効率の悪さだ。それこそ、常人なら発動すらできないだろう。


「ははっ……!そうか、貴様が……!」


 だが、ロロは確信した。発動の成功を。そしてわざわざこの近辺に来た理由の片方の、一夜にして王宮を崩壊させた謎の魔法の使い手が誰だったのかを。


「素晴らしい!これ程の魔力……!見た事がなああああああああああああああああああ!?」


 発動したのは、氷魔法だった。森という引火しやすい環境を考えての選択だったには違いないが、規模が不味かった。魔物どころかロロまでガッチガチの氷漬けである。だがそれでも、何とか威力を分散させる事に成功したのだろう。


「あれ程効率の悪い使い方で、これか」


 先程まで生気溢れていた森は、白く死んでいた。少なくとも、ロロの視界の範囲の森は全て氷に包まれていた。これが正しい魔法の使い方だったのならば、一体どれだけの規模になっていたのか。長生きしてきた彼でも、答えは出なかった。


「……巻き込んでごめんなさい。これからは気をつけて。もう二度と会う事はないし、助ける事もない。さようなら」


「ちょっと待ってくれ!話を聞かせ……行ってしまったか」


 叩きつけるように謝罪と忠告と別れを告げた女性は足早に、背を向けて去っていった。その時に彼女が涙を拭っていたように見えたのはきっと、気のせいではないだろう。


「むう。かなり恥ずかしがり屋なのか?いやしかし、泣いていたのは何故だ?相変わらず、人の心というものは分からんな」


 ロロは人に興味はない。だが、見ず知らずの自分を助け、礼も要求せずに泣きながら去っていった、とてつもない魔力の持ち主にして一国を滅ぼした女ともあれば、話は別だ。ぜひとも話を聞いて、歴史の記録に加えたい。


「おかしな事に、身のこなしはど素人だったからな。自分でも追い付くのは容易だろう……ん?おろ?」


 走り出そうとして、身体が動かない事に気が付いた。そういえば自分もまとめて氷漬けになっている事を思い出し、


「おーい!帰ってきてくれー!助けてー!話を聞いてくれー!」


 声の限り叫んだが、助けは来なかった。仕方なくロロは何度も何度も壊死しながら、 氷が溶けるのを待ち続けた。












 あれから二日後、近くの街にロロは何とか辿り着いていた。


「酷い目に合った。自分以外なら死んでいたぞ全く」


 魔法の氷はそう簡単に溶けるものではない。常温で太陽に照らされていたとしても、莫大な魔力が込められたものは何時間でもそのままだ。さすがに一日経っても溶け切らないのは稀であったが。


「走り去った方角的にはこの街にいると思うのだがな。まぁ仮にいなくとも、もう一つの噂を確かめられるかもしれん」


 しばらくはここに滞在するかと、ロロは活気溢れる街の通りを歩き、噴水の前の椅子に腰を下ろした。水遊びをする子供達に巻き込まれないよう、なるべく彼らから離れた椅子にだ。


「それにしても、相変わらずいい街だ」


 子供が安心して遊んでいる。これは、治安がとてもいいという証拠だ。衛兵が定期的に周回していたりと、王都のはずれにある貧民街なんかとは比にならないだろう。少なくとも、この戦乱の世にそうあるものではない。


「この街の領主は敏腕ではあるが、特殊な趣味をお持ちだったか。だとすれば、あの噂が真実の可能性はぐっと高まる。現に自分も片鱗を体感したしな」


 虚空庫から分厚い本を取り出し、望むページを開いて目でなぞっていく。系統外、『記録者』の能力にして義務の一つである、今までロロが刻んできた真実の歴史が描かれた本の内の一冊だ。嘘はない。だって嘘を吐いたのなら、ロロは死ぬのだから。


「何百年か何千年に一度生まれるという、伝説の神獣の幼体を保護したというあの噂。あり得んと笑いたいが、保護したのがカランコエだとうーむ……あやつも嘘を吐かぬしな」


 ロロがこの街にやってきたのは、伝説と謳われた神獣の姿を見て、その生態を記す為。神獣らしくふざけた強さを誇るらしいが、幼体は幼体。生まれたばかりで盗賊に売り飛ばされそうになったところを、頭の硬い騎士が保護したらしいのだ。


「そして王都に預けた所、盗まれた。大方管理を申し出た貴族が横流しにしたのだろう。あの騎士も死に物狂いで探し回っているらしいが、あやつは実に実に実に馬鹿だからな。裏の筋を辿るなど考えつきもせんだろう」


 どうせなら個人で飼うか元の居場所に戻せと、一目見ようとわざわざ王都まで無駄足したロロは愚痴る。そこから裏のやばいルートをいくつも探り、辿り着いたのがこの街。何度か捕まったが、死体のふりをしておけばやり過ごせた。まぁナイフで何度も刺されたり魔法で頭を吹き飛ばされたりした後に、死んだフリをしたからなのだが。


「魔物愛好家の領主が競り落とし、つい最近この街に届いたとの噂。はてさて、どうするか」


 どうやって神獣の姿を見るか。それが悩みであった。いくら何でも、見える所に置いてある訳がない。それ相応の苦労が必要になるだろう。


「とりあえず、あまり時間もないし屋敷に忍び込むか。その為の下準備をしつつ、ついでにあの黒髪の女を探して……あ」


 本から顔を上げた先に、この世界でも非常に珍しい黒髪の女が歩いていた。間違いなどしない。二日前に自分を助けようとした、彼女だ。


「ちょっと君!待ってくれ!」


 なんたる偶然。なんたる好機。興奮に身を打ち震わせながらロロは彼女に駆け寄り、呼び止めた。


「なに?あなた誰?」


「は?いや、二日前に会っただろう?」


 不機嫌そうに振り向いた彼女が発した言葉に、思わず困惑する。あの出来事は長生きをしているロロからしても、なかなか衝撃的で刺激的な体験だった。たった二日で忘れるものではない。


「……そういう事ね。残念だけど、()違いだわ。じゃあ、私はこれで」


「そんな訳ない!これ程の魔力を持った女性が、他にいるものか!」


 切り替えた視界は白光に塗り潰され、彼女の魔力がいかにイカれている事を教えてくれている。こんな魔力がポンポンいるものかと、ロロは背を向けた彼女に手を伸ばし、


「だから分からない?私に関わらな……いで……?」


「すまん。事故った」


 振り向いて拒絶しようとした彼女の豊満な胸を、がっちりと掴んでしまった。一般人なら寸前もののこの状況だが、人に興味がないロロにとって、とても柔らかくて指が沈んで、素晴らしい感触であるという以外の感想はない。


「きゃああああああ!?へ、変態!」


「いや、違う。自分は君を呼び止めようと……!」


 とはいえ触られた側からすれば、たまったものではない。短く叫ばれ、蔑んだ目で罵倒された。なんとか弁解しようとするが、


「何事だ!」


 治安がいいこの街は、衛兵が街を周回している。婦女子が叫べば当然、すぐに彼らは駆けつけてくるのだ。実に良い街だろう。


「あ、あの男の人がね!嫌がるお姉ちゃんのおっぱいを無理矢理揉んでた」


「おいこら童!?勝手な事を言うな!」


 無邪気な子供の善意によって、ロロは変態へと仕立て上げられる。故意ではないと何度も話すが、子供達の変態コールは鳴り止まない。


「そうなんです。私見たんです……あの男が彼女を呼び止めて、その、触ったのを」


「ふざけるな!?確かに触ったが他意はない!」


 違うのは、鼻息荒く興奮したロロが本当に触ったという事だけである。つまり、現行犯である。目撃者の証言もあれば、言い逃れることも出来ず。


「言い訳は違う場所で聞く。子供の目もあるからな。ほら、ついてこい変態!」


「やめんか!こら!引っ張るな……!くそっ!自分は絶対に嘘は吐かん!死んでも吐かん!」


 こんな所で問題を起こして牢にぶち込まれてしまえば、屋敷に忍び込むなんて夢のまた夢になってしまう。自分の絶対に譲れない誓いを叫ぶが、信じてもらえる訳もない。


「それ自体が嘘だろうが!」


「なぁにぃ?馬鹿にしてるのか貴様!」


 『記録者』として決して許す事のできない発言に、ロロは思わず衛兵の頭をすぱんとはたく。硬い兜にロロの虚弱体質で何のダメージもないが、殴ったという事実は残る。


「い、今衛兵を殴ったな……!暴行と公務執行妨害も追加だ!」


「ふ、ふざけるな!?あ、やめろ!六人がかりは卑怯……のおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 新たな罪を理不尽に追加され、六人もの衛兵に身体のあちこちを掴まれ、捕まった。


「こ、この街は滅ぶぞ!?いいんだな!」


「いい加減にしろっ!極刑になりたいのか!」


 必死に叫んだ情報も戯言だと思われ聞き流され、ロロは一晩牢屋にぶち込まれる事になった。









「全くあの女に衛兵め……!一体なんだと言うのだ!自分はただ偶然胸を揉んだだけだぞ!あんな肉の塊に興味はないわ!……悪くはなかったが」


 虚空庫から本を取り出して今日あった出来事、主に初めて触った感触について記していく。こんな事をしているから、冤罪に合うのだろう。


「ま、飯が出たのはありがたかった。今晩も野宿で飯抜きになりそうだったし、これはこれでいいか」


 ちなみに牢にぶち込まれる際、虚空庫の中身を改められた。しかし、『記録者』の代償として狭い虚空庫には本以外の何もなく、金も食料も持たない男と哀れみの目を向けられた。そのせいか出されたご飯は罪人にしてはやたら豪勢で、温かかった。


「ふむ。住めば都とはこの事……なに?釈放?すまんが一晩止めてはくれ、あ、やっぱりダメ?」


 しかし、割と悪くないと思った牢屋生活は、一晩ではなく数時間で終わりを迎えた。


「全く、なぜいきなり釈放という流れになったのだ?」


 牢から出たロロは廊下を歩きつつ、出してくれた衛兵へと尋ねる。少なくとも、痴漢に暴行に公務執行妨害と三つの罪を重ねられていたはず。例え痴漢が取り下げられても、残りの二つは消えない。


「ん?ああ、被害にあった女性が来てな。事故だったと頭を下げたそうだ。それに誤解と気づいて連行しなければ、暴行も公務執行妨害も無かったからな。こちらが悪かった。謝罪する」


「……それはそれは、心が広い事だな」


 いい飯を出してくれたり、誤解と気付けば素直に非を認めたりと何ともまあ、優しい衛兵達と女である。掌返しと言わないでほしい。


「しかし、最後に叫んだアレはいただけない。住民に変な不安を煽る事になる。これからは気を付けるように」


「何を言う。あれは少なくとも真実だ」


 この治安も良く、平和な街がいきなり滅びるとはさすがの衛兵も信じてくれなかったようだ。嘘だと決めつけられ、ムッとするロロだが、


「はいはい分かったから。あとこれ、言い方悪いけど口止料と謝罪ね」


「……賄賂は犯罪のはずだが?」


 チャリンと手渡された中々のお金に、衛兵の顔を覗き見る。確かに冤罪と騒がれるのは外聞に悪いが、真面目に仕事に取り組む姿から、彼らが口止め料を渡すとは思えなかった。


「口止料というのもおかしい。君達は何も職務を忠実に全うしただけだ。自分は不服に感じたが、少なくとも大衆は何も言わんだろうに」


 そもそも、道端で女性の胸を鷲掴みにする男を連行する事自体、何も間違った行いではあるまい。ロロが吹聴したところで、そこまでの批判はないだろう。なのに何故?


「宿、どうするの?これからの飯は?さすがに無一文の面倒を見ずに、野垂れ死にさせるのは気が引けてね」


「なるほど。意図を読み取れなかった自分が悪かった。そういう事なら、口止料を頂くとしよう」


 理由は賄賂という悪名に隠された、施しという名の善意だった。別に野垂れ死んでも再生するだけだが、それでも飢えは辛く、寒さは身に染みる。変に断って心配させるより、受け取るのが礼儀だろう。


「飯も合わせて三泊分くらいはある。肉体労働系の仕事ならすぐに見つかるとは思うんだが……」


「ありがたく使わせて頂く。それとだが、これは忠告でこの賄賂のお礼だ。今すぐこの街を離れろ」


「……どういう事だ?」


 そして、恩を受けたのなら返すのが礼儀というものだ。あまり歴史に干渉する事を好まないロロだが、ここで何もしない方が嫌だった。


「そのままの意味だ。近い内にこの街に危機が訪れる。来る前に逃げろとな」


「……悪いが、それを信じる事は出来ない。この街は内部だ。今すぐ戦争に巻き込まれるとは思えないし、衛兵達も精強。そう簡単には落ちないよ」


「そうか。なら、さらばだ」


 しかし例え忠告したとしても、突拍子もない内容を信じてもらえるとは限らない。信じない人間にこれ以上とやかく言うつもりはないと、ロロは歩き出そうとして、


「もし本当でも、離れるわけにはいかない。俺は、この街を守るのが仕事だから」


「……そうか。すまないが、最後にもう一つだけいいか?」


「ん?ああ。宿なら」


 衛兵が告げた己の譲れない部分に、ロロはゆっくりと振り返る。そして、尋ねるのだ。


「名は何と言う?」


「あ、えーと……俺の名?ミラト・グラジオラスだ」


「ありがとう。世話になった」


 魔物に食われて死ぬであろう、心構えだけは英雄の弱者の名前を。












「ぬ?君は確か」


「あ、あの!」


 今度こそグラジオラスという名の衛兵と別れ、すっかり日も暮れた街を歩くロロの行く手を、黒い人影が遮った。


「さっきはごめんなさい!私、驚いちゃって……」


 何かを言う前に、彼女は長い髪をばさっと振り回す程の勢いで頭を下げた。その場で言えなかっただけで、ロロの態度から悪気がなかった事を分かっていたのだろう。


「構わん。さっきの衛兵から、君のおかげで釈放されたのは知っていてな」


「け、けど私があの場で誤解って言ってたら……」


「いい。触った自分も悪かった。お互い様という事にしよう」


 先程までは愚痴っていたが、頭を下げられてしまえばこちら側にも非があったと思うもの。互いに頭を下げ合い、同時に顔を上げてお互い様だと笑う。


「で、君はやはり、先日私を助けてくれた女性であっているのかね?」


 わだかまりも無くなったロロは、あの時からずっと気になっていた事を彼女へと問う。何故、足早に森から立ち去ったのか。何故、人違いなどと言ったのか。疑問は尽きなかった。どうしようもなく疼いて、知りたかった。


「……合ってるけど、違う」


「どういう事だ?」


 しかし、彼女から返ってきたのは潤んだ黒眼と、矛盾。ロロは真実を明らかにしようとにじり寄り、回答を迫る。


「私、魔法を使うと……記憶が、無くなるみたいなの。だから、貴方の事なんて覚えていないわ」


 艶やかな赤い唇から帰って来たのは、彼女が背負った余りにも残酷な代償だった。



『カクタス・カランコエ』


 斬れぬものなし。世界最強の剣の使い手だったとされる、初代剣聖。その剣の強さから、王より剣聖の名前を直接授与された。銀の眼と髪だったと記録されている。


 障壁無効の系統外『確撃』を持つ『剣聖』とはほぼ同世代ではあるが、別人。純粋な剣術ならカクタスの方が上である。


 系統外は持っておらず、己の剣のみで名を挙げる。世界中の強者に剣で戦いを挑み続け、勝ち続けた男。しかし、彼が戦争に参加することはほとんどなく。仮に参加したとしても、すぐに敵の本陣まで切り込んで指揮官の首を挙げる程度で、斬り殺した人数は極めて少なかったらしい。


 性格は極めて真面目で馬鹿であったと記されている。真面目過ぎて要領が悪い、という意味だそうだ。


 朱と白の双剣を好んで使っていたとされている。相手が物理障壁を張ってきた場合、仕方なく溜息を吐き、その日の気分で振るう方を選んでいたらしい。


 彼の残した言葉に、「斬れないものを探せ」というものがある。それを見つけることができれば、強くなる手がかりになるらしい。彼の血を引くカランコエ家は、多くの剣聖を輩出してきた剣の名家であり、その家の教訓になっている。


 斬れないものを探し出し、斬る練習を繰り返して、いずれ斬る。これを繰り返せばこの世に斬れないものはなくなる、という意味だそうだ。


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