第86話 歴史と真相
あの後、腹が減っただのと言って煙に巻こうとしたのかとシオン達は疑ったのだが、事情を聞くと本当にただの空腹だった。
「いやぁ!悪いな。どこぞの食料をたくさん詰めた虚空庫が鉄砲玉みたいに飛んで行ったせいで、昨日から何も食べておらず、背中と腹がくっつきそうだったのだよ」
「悪かったわ。けど、それどころじゃなかったのよ」
彼の特殊な狭い虚空庫には食料を貯め込む事が出来ず、旅の間は全てマリーの虚空庫に貯蓄していた。しかし、その食料庫であったはずのマリーは街を救う為に脇目も振らずに走り、ロロと食料の事をすっかり忘れていたのだ。
「あの、聞きたい事があるんだけどさ……もしかして、ロロの奥さんってマリーさん?」
「ぶほっ!?」
「はへ?わあああああああ!?ちょっと待て!やめろ!剣と魔法ストップ!ストップ!」
ああ腹減ったと虚空庫から食料を取り出し始めた二人へと、いきなり僕が爆弾を放り投げる。かつて会った時に、ロロが自分の妻は『勇者』だと言っていた事を思い出しての質問だ。
「ねぇ、ロロ。あなたいつの間にとんだデマ広めてるのかしら?切り刻んであげてもいいのよ?」
「違う!確かに私の妻は『勇者』だったがあれはずっと昔の話だろう!?裸は確かに見たが、浮気など自分は一生せん……ぎゃああああああああああああああああああ!?」
「言うなって言ってんでしょ!?」
「ははっ。死ねばいいのに」
瞬く間に首元に突きつけられた剣と、僕の心が闇の沼へと言葉が進むごとに沈んでいく。
(落ち着け……血が出ていないのはどういう事だ?ロロが血が出るより早く治癒しているのか?)
それより俺は、剣で斬られているのに血が出ないという、目の前の不思議な光景の原因を見極めようとしていた。以前、ロロと会った時より成長した部分かもしれない。
「と、兎にも角にも自分の妻がマリーだというのは誤解だ!ある意味、近しい仲ではあるが!」
「はぁ!?も、もしかして寝てる私に手を出したりしてないでしょうね!」
「いや、ちょっ待っ!」
誤解を解いたにも関わらず、また誤解を招くような発言をしたロロに、マリーは顔を真っ青にして自らの身を抱き締める。
「……見損なったわ。ロロ。忌み子の私にも普通に接してくれる稀有な人だと思ったのに」
「最低だね。柊。うちの街で女の子に強引に手を出したら刑どうなるっけ?」
「事実確認さえ取れれば、すぐさま死刑だな」
「処刑人は僕がやるよ!腕がなるなぁ!」
「だから違うと言っているだろうが!話を聞け!自分は妻以外を抱く気はないっ!なんだこの街は……お前ら無実の人間を死刑していないだろうな!?」
この場の全員からゴミ屑を見るような目を向けられ、刑の相談をされ、僕が愛剣に震える手を伸ばす。裁判も無しにトントン拍子で進む死刑の準備に、ロロは頭を掻き毟って必死に容疑を否定。
「……本当に違うのだ。全て話す……のだが、その前に腹ごしらえをしよう」
「ここは医務室なんだけど?」
「ぬ?どちらにしろ昼時だろう。一緒に食べて悪い事はあるまい。こうして親睦を深める事は非常に大事で……いだだだだだだだ!?やめろ!その……刃物を刺すな!あと刃物の名前はなんだ!教えてくれ!」
誤解も解いたと、医務室の中で忠告を無視してご飯を食べ始めたロロに、梨崎が笑顔でメスを突き刺した。もちろん、深さはさほどでもない。
「あんたの身体にチクっとしたのはメスって言うのよ。てか、本当にすぐ治るのね。あんたの皮膚移植したら、みんなこうなったりしない?もしくは血を飲ますとか」
その浅い傷が一瞬で塞がったのを見た彼女は、ロロの身体を利用しようと考え始める。確かに、致命傷に近い傷でもすぐに治る彼のような兵士がいれば、戦力は以前の比にならない。
「その方法はなくもないかもしれんが、今の君達では到底難しいと思うぞ。それにやめた方がいい。悠久は人には辛すぎる夢で、ほぼ代償を背負う事になるだろうからな」
「代償?」
不老不死に近い身体の事を聞き、それをあくまで戦力的にだが羨んだ梨崎に、ロロは食べ物を口に運ぶのを止めた。その顔に浮かぶのは憎しみと寂しさとも取れない、言葉では言い表せない感情だった。
「そう。例えば嘘を吐けば死ぬ。空気に触れれば身体が溶け出す。人の血肉を啜らないと死ぬ。記憶を無くし続ける……強大な力には常に代償が付き纏う」
「まぁ、過ぎた力は身を滅ぼすって事だな。で、ロロはここに何をしに?」
(……なんでロロ、僕らの代償を知ってるんだろう。隙を見て口止めしないとバラされるかも)
秘密にするはずだった多重発動の代償を例として口に出したロロに、仁は警戒心を引き上げて話題を逸らす。
「うっかり口を滑らせてしまってな。元よりシオンが第一の試練を突破した以上、話さねばならない事だったのだが、予定を早めようという事だ」
「すごくお腹が空いたって言ってたし、それなら仁にもその話を聞いてもらった方がいいかもって思って」
話の中身はよく分からないが、大事な事なのと、二度話すよりは一度にまとめた方が合理的なのは分かる。
「それにあんな大衆を前に、日本人ではない特徴を持った奴を放し飼いにはしておけん」
「『魔女』絡みって事はかなり大事な話になるだろうから、外で話すのはゾッとしないわね。というより、私外に出て大丈夫だった?」
事情を知らぬ者にとって、ロロとマリーは虐殺者に見えてしまう。下手にうろつけば民はパニックを起こし、軍が出動する事態に発展するだろう。その事を今思い出したのか、マリーは心配そうに柊へと確認を取るが、
「軍内には既に昨日の時点で通達済み。先の騒動で怯えた一般人には、仁やシオンと同じ境遇だと説明した。この街の危機を救ってくれたともな」
「目撃者が多かったから、それなりに噂は広まってるよ。新しい希望だってね。けど、ロロ……さんはまだダメだね」
マリーに関しては多少軍の監視という民に見える首輪を付けねばなるまいが、外出は大丈夫だと返答。
「この自分が怯えられるのは中々珍しい。新体験だ。ただ、自分は行かねばならぬ場所がある。なるべく早く外に出れるようにしてくれ」
「それに関しては約束しよう。と、言いたいところだが」
「見返りか。名君と暴君を兼ね備えた男とは珍しい。その生き方の先には最悪な破滅か、最高の未来のどちらかしかないぞ?」
切られた言葉の意図を即座に読み取ったロロは、柊を見定めるような目を向ける。独裁を敷く事でこの街と日本人を守り続けてきた男には実に言い得て妙な評価だと、この場のシオン以外の人間がそう思った。
「お褒めに預かり光栄だが、この生き方を辞める気はない。と、いう事でだ。君が出歩く事で少なからず起こる混乱、私や軍の貴重な時間を補って余りあるメリットが欲しい」
「ないなら軍内で監禁か、すぐさま街を追い出すしかないね。その身体じゃ殺しても死なないでしょ?」
「成る程成る程。この街を救う為ならどんな事でもするといった感じか。実にいいな」
常人ならば民の前での処刑さえあり得たと遠回しに伝えた暴君らしい二人の言葉に、ロロは欲しい情報が手に入ったと笑う。そして、悠久を生きた男が得た情報を活かして差し出した見返りは、
「そうだな。この世界の滅びを回避出来る……という見返りはどうだろうか?少なくとも、その方法を伝授し、力を貸す事は出来る」
「……!?」
「そんな方法が、本当にあるのか?」
この場にいる者全てをあり得ないと震撼させ、ゲームの勝利条件みたいだと疑わせ、でもあるならばと希望を感じさせてしまう、救いの手だった。
「ある。なにせ嘘をつけば死ぬこの自分が、あるというのだから。とは言っても救えるのはこの世界自体で、この街の未来までは保証できん。ただし、素晴らしい戦力を一人、もしくは二人。プレゼントしようではないか」
どんな甘言も嘘であれば意味はない。真贋の問いに、ロロは己の命を懸けてでも真実だと断言し、少しずつその救いの手と貸す手の内容を明かしていく。
「その戦力は本当に、僕らの置かれたこの絶望的な状況を打破する事ができるのかい?世界一つを敵に回してるみたいなもんなんだよ?」
「ちょっとやそっと強いだけの個人だと、さすがに厳しいと思うのだけれど大丈夫?私のお父さんのサルビア・カランコエと渡り合える?」
しかし明かされた手の内も、到底信じていいとは思えなかった。今現在、この街は世界規模で四面楚歌なのだ。それをたった二人の力でどうにかするなんて、『魔女』か『魔神』でもない限り無理だというもの。
「……驚いた。シオンはカランコエの末裔で、あやつが父親で母親は……成る程。全てが繋がった。ただ試練を突破しただけで『黒膜』を使いこなせるのはおかしいと思ってはいたのだ」
しかしロロは疑問に答えず、シオンの父親と正体にうんうんと頷いて勝手に納得するばかりだ。
「父さんに会ったの?」
「ああ。会ったとも。強いが、脆い男だな」
「サルビアを脆いって言えるやつなんて、信じられないんだけど」
手脚に剣を突き刺され磔にされてぼろ負けした彼が述べたサルビアの評価に、その強さを知る者達は不信感を募らせる。剣の強さに脆いなど言えるわけもなく、精神的な面でも、忌み子であれば実の娘さえ殺しにかかるような男だ。家族さえ手にかける冷酷さを脆いと評したのだろうか。
「話を戻そう……とは言ったものの、何から話せば良いのか。自分もこの物語を語るのは何分初めてでな」
「物語?」
「ああ、物語だ。全てを知らねば、話は進むまい。ご静聴とは言わない。分からないことがあればいくらでも聞いて欲しい」
野菜のついた口元を拭い、身だしなみをさっと整えたロロは、虚空庫から暗号の本を取り出す。
「さて、君達に問おうか。『勇者』とは、何だと思う?」
「え?」
しかし彼はすぐには本を開かず、この場の面々を一人一人じっくりと見渡し、急な問いを投げかけた。てっきり話が始まるのかと身構えていた者達は、一様に固まってから思考し始める。
「勇気ある者の略で、『勇者』」
梨崎の答えは、勇敢なる者。
「弱き者を助ける為に、戦う人。綺麗事にして正義を行う者」
マリーの答えは、弱者を助ける正義の心を持つ者。
「全てを救う為に、敗北以外のいかなる手段を使う者」
柊の答えは、何をしてでも全てを救う者。
「自分の守りたい範囲なら誰だって、頑張って守る優しい人」
シオンの答えは、守りたい範囲を守る者。
「いいぞいいぞ。すぐに出てくるのは実にいい。やはり、君達には資格があるのかもしれないな」
いきなりの問いにも関わらず、仁以外の全員がすぐに答えを返した事にロロは嬉しそうに手を叩く。
「で、君は?」
そして、再度仁へと問う。『勇者』とは如何なりや?
「……『勇者』とは、己の命も手段も顧みず、時には死してなお希望を繋ぎ」
「最後に託された一人が、世界を救う。その過程に至るまでに戦った者達全て……だと、思います」
仁の答えの半分は、酔馬で、蓮で、堅で、環菜で、楓で、桃田で、梨崎で、マリーで、シオンで、誰かを守らんと戦う者達だった。もちろん、そこには敵であるジルハードやティアモ、サルビアさえも含まれる。彼らもまた、世界を救った者達なのだから。
「救う事は絶対なのだな?」
「……悩みましたが、譲れませんでした。結果が出せなければ、それまでに死んだ全ての者達の思いが無意味になります」
「だから、救えなかったら、『勇者』じゃないと思ったんだよ。だって、守ろうとした人達の命も、繋いでくれた人達の遺志も守れていないんだから」
いくら遺志を繋ぎ、骸と敗北を永遠と積み重ねても、光に届かなければ意味だ。自分が届かずに骸となり、新しい誰かが踏んで進むのならばいい。だが、自分が全てを無に帰してしまう事だけは、ダメだ。『勇者』は救うか、託さなければダメだ。
「……と、まぁこのように、人によってたくさんの『勇者』の定義がある。つまりだ。『勇者』なんて、誰でも名乗ればなれてしまうものなのだ」
最後の仁の答えに、ロロの目はどこか懐かしいものを見るような色へと変わる。しかし、彼は特にその事を口に出す事もなく、先の問いの答えに意味はなく、答えが複数ある事に意味があると述べた。
「……ロロ。訂正して欲しいわ。こっちはそんな気軽な気分で『勇者』を名乗っていないの。本気で誰かを救う為に、誰かの人生を奪う覚悟を持って、名乗っているの」
しかし、彼の話した『勇者』の名の軽さに、マリーが思わず口を挟んだ。確かに、名乗れば自称『勇者』にはなれるが、それを『勇者』と認めるわけにはいかない。彼女はそう思ったのだ。
「言った通り、『勇者』を名乗っても本人に力が与えられることもなく、本人が変わることは何もない。この名前は祝福でも何でもなく、呪いなの。分かってる?」
そうだ。『勇者』とは、本気で名乗った者から諦めるという選択肢を消し去り、永遠と誰かの為に抗わせ、時には名乗った本人を殺す呪い。誰でも使える公共施設ではない。名乗った以上、苦しみを味合わねばならない。
口で反論したのはマリーだけだったが、仁の内心も同じだった。少なくとも仁は、己の命を捨てる覚悟を持って『勇者』を志したのだから。仁が見てきた『勇者』は、皆そうだったのだから。
「ああ。分かっている。こちらの言葉が足りなかったことは詫びよう。だが、分かってくれ。方法に関わらず名乗りさえすれば、自称であれど歴史には認められてしまう。これが、重要なのだ」
「……続けて」
マリーはまだ何かを言いたそうにしていたが、話の進行の為に飲み込んだようだ。
「それに私の妻は君達と同じか、それ以上の覚悟を背負って、『勇者』を名乗ったとも」
しかし、ロロは収まりかけた炎にガソリンをぶちまける。なぜそんな事をと、この場にいた全員が思うほど、子供染みた背比べだった。
「言ってくれるわね。挑発?」
「挑発ではない。事実だ」
「なら、教えてよ。貴方の奥さんの話を」
マリーは眉をひそめ、僅かに言葉で不快感を示したものの直接怒る事はなく。彼の妻の覚悟は、一体どれほどだったのかを尋ねるだけに留めた。悠久の時を生きたロロより、マリーの方がまだ大人である。
「ああ、もちろん。最初からそのつもりだとも。先の言い方、自分に非があったのは認める。しかし、この事実を譲る気はないとだけ、予め断言しておく」
まだ言うかと思い、ロロの隻眼を見た者は考えを改めさせられた。その目は異常。盲信さえ生温いまでの、信頼。誰にもそこは覗けぬと思うだけの暗闇。そして、狂おしいまでの恋慕があった。
(確か、『魔女』の力を削いで『魔神』を封印したのがロロの奥さんだよね)
(……世界最悪の二人を止めたのも、身を呈した事も、すごいとは思う。けど、それ以外に何が……?)
一体どれだけ譲れなかったのか。一体彼女が何をしたのなら、ここまで譲れなくなるのか。呆れと怒りを忘れさせ、いっそその答えが知りたくなる程だった。
「さて、ではなぜ誰でも『勇者』になれる事が重要なのかだが……例えば!この場で『彼』という代名詞が誰を指しているのか、分かるかな?」
話のペースを乱して自分のものへと変えるロロお得意の、唐突で関係なさそうに見える質問が投げかけられる。
「男だから僕、俺君、ロロ、柊さんの誰かだろ?」
「正解。だが『彼』という言葉だけでは、その中の誰かは分からない」
「それがさっきの『勇者』の定義と、何の関係があるの……?」
僕の答えにロロがピンポンと丸を出すが、シオンとマリー、梨崎は意味がわからないと首を傾げている。
「『勇者』は代名詞であり、中身は空だと言いたいのだな?」
「つまり、その中身は知らぬ間に入れ替わっていても嘘にはならないと」
だが柊と仁は、ロロの言わんとしている事に気付いた。そしてあの物語を知る仁は、その先の欠片を知り、鳥肌が立ち始めたのを感じた。今までのピースの欠片が一部欠けたままだが、仁の想像の中で見えた全体像が仮に正しいのなら。
「……嘘だろ……いや、でも……合う」
「仁、どうしたの……?」
きっと、全てが覆る。あり得るのだろうか。世界が丸ごと、誰かの掌の上で悠久の時を踊り続けていたなんて。いや、あり得たからこそ、この想像は成立する。
「さすがは滅びかけた街を纏めるだけはある。仁が分かったのは想定外だったがな……準備は整った」
今度こそ、ロロは本を開く。重々しく、愛おしく、味わうようにゆっくりと。
「語り部は自分、『記録者』にして『魔神』にして『勇者』が夫。ログ・ロロ・カッシニアヌム・ライター」
「「『魔神』!?」」
驚いたシオンとマリーの声を無視したロロの白い指がなぞれば、文字は宙に浮かび上がって踊り、映像へと組み上がっていく。
「語られるのは、誰もが真実を知りながら、真実を知らぬ物語の真実。おとぎ話にして神話にして伝説にして実話!世界を滅ぼした『魔女』であり、世界を救った『勇者』であり、そして、我が妻であった彼女の物語……『魔女の記録』」
そこに映し出されたのは、記録者という嘘を吐けば死ぬ男が書き、今まで誰もが真実に騙され続けて、世に正しく伝えられる事はなかった、彼女の物語。
『勇者条件』
それは、とある最悪の戦争が終結した宴の席。
「なぁ『勇者』さんよ。聞きたいことがあるんだが……」
「あら、どうしたの?結婚生活がうまくいってない?」
一人離れて飲んでいたマリーの隣の席に、腰に剣を差した男が腰掛ける。ひどい戦争だったからか。いつもは酒を嗜む男だったのに、今日はグラスを握っていなかった。
「そっちは順調この上なく。お互いにぞっこんだからな」
「独身には羨ましい限りだわ……で、どうしたの?」
同じくマリーもグラスを置き、茶化しながら問う。一人で飲みたいオーラを出していたのに、それを突き破ってきた理由は何か知りたくなったのだ。
「……人が斬れなくなったっていうのは」
「本当よ。万単位で殺してきたのに、ね」
最後まで言わせることなく、即答する。その通りだった。戦争の途中まで、マリーはほとんどの躊躇いもなく人を斬っていた。斬れていた。何本の剣をダメにしたのかなんて分からないくらい、人を斬り殺した。魔法で焼き殺した。
「反乱を起こした奴らが悪いと思ってた。反乱を起こされた私達が正しくて、正義があると思ってた」
ずっと思っていた。常に自分達に正義があると。相手が悪くて、悪い奴にはどんな手段を取ってもいいと。悪い奴らを殺して、味方を守るのが英雄だと。なのに今はもう、誰も殺さないし、殺せない。その確信があった。何より、マリーが殺したくなかった。
「正義って浮気者なのね。私はこんなに一途に思ってたのに、みんなにあるんだもの」
「……」
だって、誰にだって正義があると知ったから。正義が悪を殺すより、正義が正義と殺し合う方が多いと知ったから。自分が殺した二万人以上の人間の数だけ正義があり、それら全てを自分が奪ったと知っていたから。
「私の力は人を殺すのに適し過ぎてた。だから私は最前列に立って、殺せる限りを殺してきたの」
部下を守る為だ。国を守る為だ。誰かを守る為だ。人殺しの上手い、自分が戦わなければと思っていた。
「で、これからどうするよ。『勇者』なんかやめて、結婚でもするか?それともなんか夢でも追うか?」
だが、この戦争でその考え方は変わった。戦争の引き金を引いた男の言葉が耳から離れずに、マリーを縛り続けていた。正しさなんていくつもあると知ってしまった以上、もう剣は握れそうになかった。振るえそうになかった。
それは致命的なことだと、男は思った。誰もが内心で目を逸らすそれを見つめてしまうのは、余りにも心を痛める行いだから。直視してしまった結果、戦えなくなった者を何人も見てきた。いや、それならまだいい。
「戦場で急に剣が振れなくなって死ぬくらいなら、引退しちまった方がいい」
その痛みが剣を鈍らせ、マリーが死んでしまうくらいならば、『勇者』なんてやめろと戦友である男は言ったのだ。
「ありがとう。でも、断るわ」
だが、マリーは即答した。何の躊躇いもなく、『勇者』を続けると言った。これには男もひどく驚いていた。想像していた反応と、余りにもかけ離れていたから。
「私の力は人を殺すのに適しているけれど、殺さない無力化にもとても向いているの。私なら、できると思うの」
「何をする気だ?他の国も忌み子もなにもかもみーんな力で従わせて、争いのない世界でも創るのか?」
「違うわよ。私はこのまま、誰も殺さない戦争を続ける『勇者』になる。不可能に思うでしょう?でも、大丈夫」
彼女が辿り着いたのは理想。誰も死なない戦争という、ありえない妄想にして幻想。絶対に実現不可能と思われるホラを『勇者』は吹き、
「人を救う為なら、不可能を可能にするのが『勇者』だから」
そのホラを実現させるからこそ『勇者』だと、笑うのだ。敵も救ってこそ、『勇者』だと思うのだ。
「綺麗事だな」
「でしょ?綺麗で美しくて、すごいこと。だって、味方だけじゃなくて敵も救えるのよ?単純に考えて二倍の人数が助かるのよ?」
男は嘆息するが、マリーはその溜息に嘆息してしまう。なんで、誰もこの答えを実行しないのか。なんで自分はこの結論に至るまでに、泣き叫び、壊れそうになる苦しみを超えたのか。いかなる理由があれ殺人は許されないことだって、最初から分かりきっていることじゃないか。
「やらない理由がないじゃない」
殺す為の剣はもう振るえない。だが、殺さずに守りたい。考えて、考えた。守らないのは論外。ならば変えるのは殺害の有無。なぜ、殺すのか。殺す理由は何か。殺さないことはできるのか。数日間、吐いて狂いそうになって、その答えを探し続けてようやく見つけた。
殺すのは、大切な誰かを守る為の無力化。殺すことが一番、相手を黙らせるのに適しているから。だったらそれと同じ効果、つまり殺す事とほぼ同じレベルの無力化ができるのならば、殺害は必要ないのではないだろうか。こうして生まれたのが、彼女の生き方となる欲張りな結論。
「……そうか。難しいだろうが、頑張れよ」
やらない理由がないとマリーは言ったが、それは彼女の話だ。やらない理由?到底実現不可能だけで十分だ。マリーの強すぎる系統外があって初めて、実現するものなのだから。常人にはとてもじゃないができっこない。
「わざわざ心配してくれてありがとね。小鬼が斬れない剣聖さん」
「どうやら杞憂だったみたいでよかったよ。『勇者』」
騎士の中には心が耐え切れず、その罪悪感から自ら命を絶ってしまう者もいる。それを危惧して、男は声をかけてくれたのだ。そのことに礼を言うと、彼は照れ臭かったのか背中を向けて、立ち去ってしまった。
「………戦いはきっと、なくならない。なら私は、戦争による死者を一人でも減らす為に」
彼女にとって『勇者』とは、人を殺して人を守る者の名前ではない。人を守る為だけ存在の、名前だった。
刃なき名刀は研がれ続ける。その剣は誰かを殺す為ではなく、誰かを救うその為に。




