第85話 疑惑と綻び
「敵の特徴だけ話す。そこからは二人で向かってくれ。君達だけの方が早いだろう」
医務室を飛び出し、廊下を走る三人。その先頭にして足枷の柊は途中で後ろを振り返り、情報を渡して離脱しようとしていた。
「お願い。できたら銀髪のダンディな騎士じゃない事を願っているわ」
「……私も。でも、その前にこのままで良いのかしら」
マリーは困ったように肩を竦め、シオンは仮面の下を不安に染めて了承。グラジオラス騎士団を退けてすぐという事を考えれば、再編されたカランコエ騎士団の襲撃の可能性は十分にあり得る。
「そうよね。柊さん?囮の可能性も考慮した方がいいと思うわ」
そしてそれを率いる男が、単身囮という可能性も。マリーはその事を進言するのだが、
「のだけれど、シオンちゃん。仮に貴女のお父さんと一対一で戦って、どれくらい耐えれる?」
「……10分生き残れれば、良い方です」
「私も『確撃』の最大範囲を外したら勝てる気がしないわね」
その囮一人を制するには、シオンとマリーの二人がかりでないと厳しいと判断。やはり、作戦の変更はしない方がいいかと溜め息を吐いた。騎士団の再編はまた済んでおらず、恨みに駆られたサルビアが単身乗り込んで来たという願望に縋り付くしかない。
「そんなにシオンの父親は強いのか?」
「ええ。世界で最も剣の才能のあった男が、世界で最も努力をした結果生まれたのが、化け物を超えた化け物。サルビア・カランコエよ。彼だけでこの街滅ぼせるんじゃないかしら?」
ただ純粋な剣術勝負であれば、彼に勝てる者は絶対にいないとマリーは断言できた。さすがに10km先の街を指先だけで吹き飛ばす『魔女』と『魔神』相手だと、近接以外では勝ち目はないだろうが、この街くらいなら軽い物だろう。
「……洒落にならん……報告では白髪眼帯の男性だったが、見ようによっては銀髪を白と捉えた可能性もあるな」
個人が軍を相手取って勝つという日本では到底考えられなかった想定と、尚且つサルビアである可能性の高さに、柊は禿げた額を抑える。
「待って。白髪に眼帯?」
「どうかしたか?」
「それってもしかして」
「……忘れていたわ。というより、シオンちゃんも知り合い?」
「は、はい。旅の途中で会ったというか」
だがしかし、特徴を聞いたマリーは柊とは違う意味で頭を抱え込み、シオンは一致する語り部を頭の中で思い浮かべる。
「なるほど。彼が探していたのは貴女……ああ、そうそう。襲撃者の話だけど、私をこの街まで案内してくれた男がいてね?害はないと思うから安心して良いわ」
「うん。忌み子にも普通に接してくれた、良い人よ」
「……は?」
とんでもない奴が来たと思って作戦を一から練り直していた柊は、二人の反応に非常に珍しい間抜けな声を上げた。
「柊司令!報告が!」
「なんだ?」
ペースを乱されるもすぐさま立て直し、進行方向から走ってきた軍人から報告を受け取る。この辺りの切り替えの早さは、さすが街を束ねる者と言えよう。
「その、白髪の男があっさりと拘束されました!ええと、「話せば分かる!敵意はない!妻が怒るぞ!超怒るぞ!だから離して!」と意味不明な事を叫んでおり……」
「は?」
まぁ、もう一度訳の分からんものをぶつけられたら、柊も固まってしまったのだが。
兎にも角にもゆっくりでも大丈夫だろうと、柊も一緒に現場へと着いたのだが、
「こら変な物は持っておらんわ!その本は返せ!読むな!というか読めんだろ!?中身が知りたい?それは18禁の挿絵付きのべすとにしてろんぐでせらーな物語で……おいやめろ!嘘は言ってない!」
縄でぐるぐるに縛られた白髪の男の持ち物を、軍の人間が改めていた。得意げになったり、止めようと芋虫のようにごろごろ這い回ってぴょんぴょん跳ねて抵抗したりと必死になっているのだが、それはさながらコントであった。
「確認しよう。これが最も才能があり、最も努力をした化け物ではないのだな?」
「「こんなのじゃないわ」」
努めて冷静を装った柊の確認に、サルビアをよく知る二人は失礼なと即答。こんなのが今世紀最強の片翼である訳がない。そもそもサルビアだったら縄くらい筋肉だけで引き千切るし、縛られる事も有り得ない。
「ロロ。迎えに来たわ……きゃっ……」
ロロの抵抗に軍人の男が落とした本を拾ったマリーが、中身を読んで固まった。ついさっき18禁の挿絵付きと呼ばれた例の本で、内容はかなり過激なラブシーンであった。
「おお!その声はマリーか!助かった……この不埒な奴らをなんとかしてくれ!前こっそり来た時は身包み剥がされて首を落とされて壁の外へと捨てられたが、今回も酷いな!まさか玄関から入って捕まるとは思わなかっあいだあ!?」
「……あんたのが不埒よ!」
恥ずかしさの余り、マリーが全力でぶん投げた本が助けを求めていたロロの額に命中。本は空高く舞い上がり、髪が本の形に凹む。
「なぁにぃ!?まだ裸を見られた事を気にしているのか!あれは仕方ない。粘液を落としたくて川に飛び込んだらまさか先客がいて、しかもその女が裸だったなんて思いもよらんわ!それに安心しろ!私は妻以外の女の身体に興奮しないから不埒ではない!」
「柊司令。やっぱりこいつ騎士団関係者だから処刑していいわよ。てかしていい?」
「よく分からんがやめておけ」
裸を見られた事を暴露された挙句、いくら恋愛対象になり得ない男とはいえその光景に価値は無いと言われてムカついたマリーは、剣を掲げて殺気を迸らせる。
「あ、あの、お久し……!?」
シオンがぺこりと会釈をした視線の先の地面に、空からエロ本が降ってきた。視界に広がったかなりハードな文章を化物染みた速読で読み取ったシオンは、反射的に魔法を発動させてしまう。
「あっつ!?いだだだだだだだ!?何故だ!?」
「ああああああああ!?ごめんなさい!びっくりしちゃってごめんなさい!」
「……何故か酔馬に近しいものを感じる」
炎に焼かれてまた転げまわって跳ね回る芋虫の姿にシオンは平謝りで水をかけ、柊は今は外だと涙をこらえる。
「で、結局君は何者なのだね?」
「申し遅れた。我が名はロロ・カッシニアヌム。歴史に残された伝説の語り部をしている者だ!すまないが、これがこの国流の歓迎かね?」
縛られて地面に転がったまま大仰なよく通る声で、皮肉交じりの自己紹介をこの場にいる軍人達へと届かせる。
「非礼は詫びよう。しかし、こちらはもう騎士に一人壁内に入られるだけで終わりかねない程、緊迫した状況にあってね。ご理解願う……傷が思ったよりも酷いな。すぐに医者を」
謝罪の意を示す為に、柊自ら縄を解いていく。その際、シオンの魔法で付けられたと思しき火傷を見つけた彼は医者を手配しようとするが、
「ん?ああ大丈夫だ。すぐに治る」
「……これも治癒魔法かね?」
傷なんて無かったように塞がったロロの身体に、柊はかつての仁とシオンと同じように目を見開く。普通、治癒魔法は跡が残るが、ロロの場合はそれが無い上に速度も段違いだった。
「いや、系統外……まぁ個人以外には使えない特殊な魔法だと思ってくれ。この街に来た目的は色々あるが……とりあえずシオン、久しぶりだな」
「あ、うん。お久しぶり、です」
散らばった本を拾い集めて虚空庫に放り込んだロロは、真っ直ぐシオンへ向き直る。さっきのふざけた雰囲気は消え、その片目にはただ一つの色があった。
「君が持つ、あの木の家から持って行った本を返して欲しい」
「あ、あの家、貴方のだったの!?ご、ごめんなさい!勝手に住んで、燃やしてしまって!」
自分が勝手に使っていた上に燃やしてしまったあの木の家の主人を目の前にして、シオンは地べたに擦り付けんばかりに頭を下げる。
「やはり知らなかったか。いや、もう済んだ事だ。それに、燃やした理由も住んだ事情も聞いていてな。もう怒ってはいない。頭を上げてくれ」
「で、でも」
しかしロロは優しい目でシオンを見るだけで、怒る事はなかった。行くあてもなかった彼女が住んだのは、魔物に襲われたから燃やしたのは、どちらも仕方がないことだ。それでも普通は怒る。だが、ロロは普通ではない。
「本当に構わんのだ。きっとクロユリも、君に使われて喜んでいるとも。だが、その中の一冊は私と未来にとって非常に意味を持つものなのだ。だから、返して欲しい」
ロロは変わらない過去に謝罪を求めず、未来の為に協力を頼む。その声に秘められし意志の強さは、弱者たる彼が強者たるシオンに戦いを挑み、奪う事も辞さないと感じさせる程だった。
「うん。本は、返……今なんて言ったの?」
「……しまった」
シオンは本を虚空庫から取り出したところで、聞いた言葉の全てを理解して、凍り付いた。一方のロロも思わず口を滑らせたと、焼かれようが変わらなかった顔の色を真っ青に染め上げる。
「ねえ!今、クロユリって?なんで、貴方が『魔女』の名前を知っているの?」
クロユリ。シオンが『黒膜』を使った時に流れ込んできた映像の中、『魔女』が呼ばれていた名前。それをなぜ、目の前の男が今口にしたのか。
「……はぁ……下手に誤魔化して制約に引っかかる可能性を考えれば、話すのが吉か。まぁ第一の試練を超えた以上、何れにしても話そうとは思っていたが、まさかこんな形になってしまうとは」
彼はブツブツと己の失敗を悔やんでいたが、観念したようだ。頭を掻きながらシオンから本を受け取り、純黒の装丁の一ページ目を開く。その本は、シオンがかつて読む事ができないと言っていた本の内の一冊。
「日本語?いや、交互に混ざっているのはなんだ?」
「日本語と共用語だわ。私達の世界の言葉を交互に使って暗号化してるのね」
理由は柊とマリーが述べた通り、日本語とシオンの世界の言葉を混ぜ合わられた暗号になっていたからである。これをこの場ですらすら読めるのは、ロロ以外にはマリーだけだろう。
「……すまないが、話すのは後にしていいかね」
「え?」
二つ言語の文字をなぞり上げようとした手を止めたロロは、ただ純粋な感情を一つ込めた声でこの場の者に呼び掛ける。
「腹が減った。死にそうだ」
「…………」
その感情の名は、食欲と言う。
「ん……ここは?」
目を覚ました彼女は、見知らぬ部屋に困惑する。その部屋には見た事がない物に、あり得ないくらい高級そうな物、平民でも持っている物が入り混じっていたから。
「もしかして」
少なくとも、自分の国では到底あり得ない部屋だ。辿り着いたその思考は、そのまま今の自分が置かれた答えでもあった。
「起きたか……動くな。魔法も使うな」
「!?」
目の前に立っていたのは、鬼と見間違う程の怒気と粘つくようなどす黒い殺気を放ち続ける、黒髪黒眼の忌み子。身体に染み付いた本能が咄嗟に虚空庫へと手を伸ばして、彼の声で止められた。
「……両腕と右脚は、もうないがな」
否。伸ばそうとした手なんてもうこの世になかったから、止めざるを得なかった。無くなった手脚に、気を失う前の記憶が沸騰した湯のように脳から溢れ出し、心を焦がし、
「いっ……」
「叫ぶな。落ち着け」
世界に悲しみを訴えようとした声は、口に押し込められた布によって強引に堰き止められた。息を押し戻され、吐き気と共にえづく。
「かはっ……何の用ですか?何故生かしたのですか?」
恐怖や喪失感に襲われつつも必死に冷静を装い、口元を押さえていた忌み子へと鋭い声を向ける。同時に、魔力を練り上げて魔法の準備も忘れない。おさらく自分は『勇者』に四肢を焼き切られた後、目の前の男に捕らえられたのだ。
「貴様に、聞きたい事があって生かした」
「そうですか。質問に答える気は微塵もないです」
ならば、第一に優先されるのは情報を渡さない事。そして次に考えるのは、敵の懐に潜り込んだ者として出来る限りの情報を集めての生還か、出来る限りの首をあげて死ぬ事。よってトーカは、得意の氷魔法で血の花を室内に飾りつけようとして、
「貴様の身体には、あの門でお仲間を吹っ飛ばした爆弾が埋め込まれている。俺が死ぬ、もしくはボタンを押すかすれば、貴様の身体は内側から弾け飛ぶ。体内からの攻撃には障壁も無意味だろ?」
「……いい事を聞きました。貴様だけは必ず殺せるわけですね」
トーカの動きを読んだのか、男は両手を上げて殺してみろと挑発する。会話の中で彼が述べた障壁の特徴は的確であり、トーカは目の前の男を情報を持つ者と認定。たかが雑兵を一人を巻き込んで死ぬよりはと、即座の殺害を中止して様子を見る事に変更。
もっとも、そんな高性能な爆弾がこの街にあるわけもない。男の言っている事はハッタリである。しかし、日本の知識が極めて物理に特化している以外に無いトーカは、信じるしかなかったのだ。
「死にたくなければ、知っている事を全て話せ」
「どうせ殺すのでしょう?なら、何も言わずに貴方を道連れにして死んだほうがマシです」
今度は隠す気も無く、トーカは魔法を展開する。目の前の男も対抗するように氷の盾を刻印で展開し、震えた銃口を彼女へと向けて、発砲した。
「貴方、どちらですか?私を殺したいんですか?それとも情報を聞き出したいたいんですか?」
「うるさいっ!」
枕に空いた穴と、目の前の男の矛盾した行動を見たトーカは問い掛ける。しかし、震えの止まらない彼は明確な答えを返す事は無く、ただ銃口を向けるのみだった。
「復讐と疑惑」
「!?」
「うちの団長並に、分かりやすいんですね」
男が自分に銃口を向ける理由は、顔を見ればすぐに読み取れた。片方は団員の中にも取り憑かれた者が何人かいて、見慣れたものだったから。そしてもう片方は、騎士として生きてきた自分がいつも抱えていたものだから。
「殺して、ください。情報を吐く気もなく、もう一線に立てる身体でもなく。私に残された価値は、貴方を殺して死ぬ事くらい」
「……貴様こそなぜ、その価値を遂行しない?」
先程まで考えていた優先事項のほとんどを投げ捨てた騎士の言葉は、男の感情に戸惑いを湧き上がらせた。目の前の敵を殺して死ぬか、目の前の敵に殺されて死ぬか。普通選ぶのは前者だろう。
「貴方が私を殺すに値する理由を持っていて、私が殺されるべき罪を背負っているからです。復讐は、筋の通った殺人の動機ですから」
だが、殺されても仕方がないと判断したのなら、選択は逆転する。たった一人、この目の前の男を生かしたところで、他の団員達に特に支障は出ないだろうから。団長や副団長を前にすればただのゴミだ。
「……聞かせろ」
「答える気はないです。怖いんです。殺すなら、早く殺してくださ」
「いや、俺は、知りたい……事がある」
戸惑いが男の冷静さのスパイスになったのか。銃口を突きつけたままだが、彼の声は幾分か冷めたものになっていた。ただ、その答えを知りたいという熱は一切冷める事はないようである。
「この戦争を今すぐ平和に終わらせ」
「貴方達が全員自殺する以外にはないです。そうしないなら、どちらかが死ぬまで殺し合い続けるだけです」
当たり前すぎて、情報を与えたにすら入らない。故に、トーカは男の質問に答えた。日本人と異世界人は決して相容れぬのだ。どちらかが生きている限り、どちらかは死の危険に晒されるのだから。
「なら、聞かせてくれ……!」
「何をですか?答えられるかは質問次第で、さっき答えたのは情報ですらない自明な」
満足のいく答えではなかったのか、男の銃を握る手に力が込められた。その様子をどこか冷めた様子で見つつ、次の質問を待つ。
「……桜義 仁は、日本人なのか……?」
その質問をしたのは、銃口を向けている者の名は、薊 堅。
仁の嘘は、綻び始めていた。
『トーカ・ベルオーネ』
グラジオラス騎士団に所属する女性騎士。年齢は26歳。慎ましく、しなやかな筋肉に包まれている長身。鋭い剣のような容貌の持ち主。
職務に忠実で真面目ではあるものの、融通がきかないわけではない。心を許していない者にはほとんど口を開かないが、許せば許すほどにからかい始めたりする。他人の心情を推し量る能力も高く、ずっと前からティアモとジルハードの関係に呆れ返っていた。最近ようやく結ばれて、肩の荷が降りましたとのこと。
騎士としての能力は、サルビアやジルハードほどではないにしろ相当上位に属している。マリーと最大範囲の『確撃』を視認した瞬間、対応した信号魔法を打ち上げれたのは彼女のみであった。
剣も魔法も判断能力も優秀ではあるものの心の部分は脆く、迷いがある。それが本来の実力を引き出す妨げになっていると、ジルハードに指摘されていた。
物語が好きで、『記録者』の記した歴史物から最近人気の作家までを幅広く、なおかつ深く押さえている。
その他の好物は果汁の汁を氷魔法で固めて作った、日本でいうアイスのようなもので、虚空庫に常に貯蓄されている。
 




