第83話 握手と喪失
環菜に背負われたシオンが魔法要員、その他強化の使える軍人達が物理要員として、ジルハードの後を追いかける。
「行ったか」
「そう、みたいですね」
一方仁は、屋根の上から慣れない義足でゆっくりと柊の隣へと歩き、その場で氷の膝をついた。咳を抑えようとした手は目的を果たせず、ぶらりと垂れ下がる。吐き出された血の塊は、防がれる事なく地面へと染み込んでいく。血を流しすぎた彼にとっては、その数滴さえ貴重だった。
「傷の具合は?」
「まだ、戦えます。まだ、戦いは終わっていません」
口ではこうは言っているが、怪我は治りきってなどいない。知らない女医に絶対安静と言われた身体で痛覚を僕に押し付けて、無理やりここまで走ってきたのだから。現に今も三重刻印で高速の治癒を施す事で、何とか意識を保っている。
「奴らは退いた。詳しい理由は私にも分からん」
「退いた……?あの戦力差で一体何が……!」
それでも、少しでも戦力になればと戦場に駆けつけたが、どうやら無意味だったらしい。柊の言葉に目を見開き、驚きと痛みと疑問に体を震わせる。仁も柊もマリーの戦いを見ておらず、騎士達が退いた以外に分からなかったのだ。
「とにかく、その傷が大丈夫とは私には思えん。貴様は梨崎のところで休んでおけ。あの灰色のを追い出すのは軍とシオンでやる」
「お断りさせていただきます。いつ、奴らが来るか分からない。俺達は救わないといけないんです」
大丈夫と吐いた嘘はあっさりと見抜かれ、休む事を命令された。しかし、退いたと見せかけて間髪入れずの襲撃が想定の中にあったが故に、仁は食い下がる。
「何も戦うなとは言わない。戦いがない間は休め」
「ですが、少しでも対応が遅れればそれだけ死者が……!っ!」
感情に任せて振った腕に激痛が走り、蹲る。だが、その蹲るという行動ですら、金属の棒で全身を滅多打ちにされたような痛みの引き金を引いてしまう。
「今の貴様の役目は、次の襲撃に備えて休む事だ。無論、襲撃があった場合は即座に前線に出てもらう」
「僕達は、蓮さんにみんなを救えと……!もう、間に合わないのは嫌なのさ!」
それでも止まらない少年の瞳に映る色は、柊がよく鏡で見るものだった。自分が背負った物の重みを理解し、向き合い、受け入れ、己が運命と定めた狂気の黒。
「間に合いたいのなら冷静になれ。それともなんだ?その身体で無理に戦って誰も守れずに死ぬ気か?それが、蓮が最後に言い残した事か?」
「けど、救えないなんて……俺達は誰も死なせたく」
「誰も死なない戦いなどない。勝利の足元に犠牲がない訳がない。今の自分が守れる範囲を弁えろ」
「……分かり、ました」
その狂気をよく知る柊が返した正論に、仁は頷く他なかった。今無理をして、次の襲撃の時に満足に戦えない方が遥かに悪い。そう頭では分かっていても、未だに心は拒もうとする。
「この女と仁を担架で梨崎の元に運べ。仮に襲撃があっても死んでも守り切るんだ。いいな?」
仁は硬い布の上に乗せられ、『勇者』と共に梨崎という医者の元へと運ばれていった。一緒に運ばれている女性の素性が気になったが、口を開くのさえ億劫で。
「残党が街の中にいるやもしれん。少数でいいから探しに行け。見つけても無理に戦わず、報告と一般人の救援を最優先しろ。その他は全員、壁の上で再度の襲撃の傾向がないか見張れ」
運ばれ揺れる耳に入ってきたのは、よく通る柊の指示の声。大勢の軍人と仲が良かったであろう蓮の死に動揺した様子は一切見せず、ただ淡々と的確に物事を進めている。
「か、壁の上とは奴らが去った方角だけではなく、全方位でしょうか?」
「当たり前だ。早い段階で敵影を見つけ、シオン達を叩き起こして間に合わせる時間を作らねばならん。今後は昼夜問わず、見張りを壁上に設置する」
前からそうするべきだったと、柊は初めてここで表情を悔しげに崩す。偵察隊五人だけが先行した今回は、本隊の侵入に時間があった為対処できた。仮に一斉に突入されていたのなら、この街は堕ちていただろう。
「ですが一体、どれだけの人手が必要か」
「一般人にも報酬を出す形で募集をかけるなりして、捻り出す。最早足らないからと局所的な警備に甘えられん」
「了解しました。各員に通達してきます」
今まで出来なかった理由は、単純に人手不足。小さいとはいえ、街一つを覆う規模の壁に常に満遍なく監視を配置するだけの余裕は、軍には無かった。
「……今回の戦いで失った物は、大きい。これより先、さらなる困難が訪れるだろうな」
命令を広めに走った部下の背に目を向けつつ、つい数時間前までは生きていた者達の顔を思い浮かべる。表情はまだ、仮面に隠れて崩さないまま。
「だが、得た物もまた」
彼の仮面が外れるのは、部屋に帰って一人になってからである。
「仁、起きた?」
翌朝、目を覚ました仁の耳へと一番に飛び込んできたのは、いつもと違ってとても沈んだシオンの声。必死に痛みに耐えていたのだが、どうやら途中で気絶してしまったらしい。
今現在も、身体は焼けるように痛い。だが、そんな些細な事より確かめねばならないことがあった。
「どうなった?」
「……やっぱり気になるよね」
隣のベットに彼女も寝ているようで、顔を見ることはできない。質問に声を出す事を返事として、事の顛末を尋ねる。
「今の所は大丈夫。あの後、灰色の騎士は逃走したわ。壁を乗り越えていくのは確認したけど、私もその辺りですでに意識が怪しくて」
戦闘の経験の差か、シオンを背負った環菜よりティアモを抱えたジルハードの方が脚が速く、追いつく事が出来なかった。
「あれから襲撃は?」
「私達もついさっきまで休んでたけど、呼び出されなかった事を考えたら、ないと思う」
「本当にか?」
「あの金髪のすごい美人さんが、何かしたのかな。堅さんや柊さんが庇っているように見えたけど」
シオンの言葉におかしいと首を傾げる。仁ならば、すぐに部隊を再編成して襲撃し直す。現実ではそうならなかった要素は一体どこにと記憶を辿り、見つけたのは見知らぬ金髪の騎士。
「大まかなところは正解だと思うわよ?グラジオラス騎士団は、私を恐れて撤退したわ」
「っ!?さっきの……?」
「貴方は?」
向かい側にあるベットがもぞもぞと動き、金髪の騎士が頭を抑えながら顔を出す。攻撃より先に声をかけてきた事、軍が保護した事を考えれば敵ではないだろうと、仁は警戒を最低限まで緩めつつ問い掛ける。
「申し遅れたのと、ベッドの上からでの自己紹介を詫びるわ。私は当代『勇者』のマリー・ベルモットよ」
「嘘……!『勇者』って貴方、なんで……?」
自己紹介を聞いたシオンは驚きにベッドから飛び上がって剣を引き抜き、臨戦態勢に。一方、あの戦いの後初めてシオンをまじまじと見た仁は、彼女に増えた傷の数に唇を噛み締めつつ、疑惑の目を『勇者』へと向ける。
「前に会ったことがあるって言ってた人か?」
「ええそうよ。シオンちゃんが小さい時だけどね。大きくなっていて驚いたわぁ」
「あ、貴方はほとんど変わっていない……!そ、そんなことより『勇者』の貴方がなんでここに!?」
ニコニコと嬉しそうに笑うマリーに、シオンは変わらず剣を向け続ける。敵対の意思はないように見えるが、彼女の経歴を聞いていた仁も警戒のレベルを大幅に引き上げた。
黒髪戦争で万を超える敵兵を殺害し、首級をあげるのにも貢献した今世紀最強の片翼。シオンを圧倒した実力を持つサルビアと同列に語られる騎士が、何故ここにいるのか。
「簡単よ。私、OLだったもの」
「おーえる?って何?惚けてるの?」
「「い、今なんて!?」」
さらっと告げられた略称にシオンは剣を握る力を強め、仁は身体の痛みも考えずに身を乗り出した。到底、信じられる事ではなかったから。
「OL。オフィスレディで、私は元日本人って事。要はシオンちゃんの世界じゃなくて、そこの火傷君の世界出身ってわけ」
「仁と、同郷?」
「だから助けてくれたんですね」
だがそれは、OLという単語の意味を知っている通り、事実なのだろう。騎士団を裏切ってまで街を助けようとした理由にも納得がいく。
「そういう事。日本人が虐殺されているのに、黙ってられなくて……裏切っちゃったの。だから少なくとも、私は日本人の味方よ」
「シオン。警戒しなくていい。この人は味方だ」
話の流れに違和感は無い。一騎当千の強さを持つマリーを相手に、半壊した騎士団では勝てないと判断して撤退した事も、彼女が裏切ってこちら側についた理由も全て筋が通っている。
「ありがとう。火傷君……じゃ、呼びにくいわね。貴方、名前は?」
「桜義 仁です。信じられんかもしれませんが、多重人格というか。今は俺の人格が表に出てます」
「どうも!僕です!マリーさんよろしくね!」
「多重人格ってすごいわね。人生二回分だけど初めて見たわ……よろしくね。俺君、僕君」
最早恒例となった自己紹介と反応の一セットを終えた仁は、マリーと握手を交わす為にベットから降りようとして、改めて気づいた。
「じ、仁!?」
「そういや吹っ飛んだんだな。俺の脚」
「シオン。僕らが勝つには、そうするしかなかっただけさ。作れば問題はないよ」
自分の事のように悲痛な叫びをあげた少女に、仁は心の底からの笑いで返して、太ももの刻印で氷を伸ばして脚を形作る。さすがに肉体を置換された左脚とのクオリティは雲泥の差だが、動作に支障は無いだろう。
「よっこら、あれ……ぐっ……」
「ちょっと大丈夫?」
「あんまり動いちゃダメ……筋肉がズタズタになってるの」
もう一度ベットからの脱出を試みたが、思うように力が入らない身体は勝手に崩れ落ち、天井がまた前になった。途端に始まった激痛の嵐に、仁の意識はバラバラに砕け散りそうになる。
「……シオンもまた、怪我しちゃったのな」
「どうせ『黒膜』すぐに消さなかったんでしょ?」
「脚無くした仁に言われたくないわよ……」
上から覗きこみ、視界の天井を隠したシオンに付けられた様々な種類の傷は、間違いなく『黒膜』の代償によるものだ。彼女の技量でこれだけの種類の傷を、普通の戦闘で付けられるとは考えにくい。
「不謹慎だけど、青春してるのねぇ。あー、羨ましい」
「ち、違うわ!その、えーと」
「今、俺らが幸せに浸る暇はないので」
肩を組んで立ち上がった二人の距離感から察したのか、マリーはこれまたニタァと嫌らしい笑みを浮かべてからかってきた。シオンの反応は相変わらず、暗に好意を示す学ばないものだ。
「一秒でも、時間が惜しいんです。俺は強くならないといけない」
「僕達は、皆を守らないといけない」
「だから、貴方の力が私達には必要なんです。協力、お願いします」
少年と少女は支え合った身体でマリーのもとへと歩み寄り、傷だらけの手を二つ、差し伸べる。詳細は分からないが、騎士団を撤退させる程の戦力は絶対に手放すわけにはいかない。
「ええ。日本人を守る為に、共に戦いましょう」
マリーはその手を、傷一つ無い綺麗な手で力強く握り返した。
「けど貴方、ただの日本人……よね?ここの代表さんか何か?」
この場で前に進み出たのが、刻印を刻んだだけの若い日本人である事に疑問を覚えたのだろう。その表情は徐々に訝しげなものへと変わっていく。
「やはりその眼は誤魔化せませんか。少し、待っててくださいね」
「これから先の話は、余り聞かれたくない事さ」
「あら、私には話してくれるの?」
普通の大きさの俺の声を、表に出た僕の人格がヒソヒソ声へと抑えてドアに耳を推し当てる。強化した聴覚は、誰もいない静寂を教えてくれた。
「司令が人払してくれてるみたいだね。単刀直入に言うと、僕達はこの街の人間に嘘を吐いている」
「俺とシオンだけに魔力があり、俺ら二人だけが自由に魔法を使えると言うと嘘を。貴方に話したのは、魔力眼を持っているからです」
「……それは、どういうことかしら?意味が分からないのだけれど」
「全部、話します。まずはこの街が今置かれている状況についてです」
まとめられた秘密だけでは、全容は伝わらない。だから仁は、己が犯した罪やこの街の現状などを全て、包み隠さず話し始めた。
「……理解はしたわ。私の想像以上に状況は悪くて、貴方が自分の為に皆を騙していた事。そしてその嘘が通じない私には、黙っていて欲しいという事」
「その通りです」
話が進むにつれてマリーの表情は険しさを増していき、聞き終わる頃には苦虫を噛み潰していた。
「いくつか質問があるの。仁君は自分の為に嘘を吐いたのになんで、そんな風に身をすり減らすの?矛盾してないかしら?」
仁の身体はどう見ても、己が助かりたいが為に他者を蔑ろにする嘘を吐いた者の姿ではない。『限壊』によって崩壊した筋肉も、失った両脚も、負った火傷さえも、誰かを救おうとした時のものだ。
「矛盾してませんよ。前の俺は自分が一番大事だった。けど、今の俺はこの街が一番大事なだけです」
「でも、もう後戻りは出来ない。吐いた嘘は、どんな無理や無茶を重ねてでも吐き通すつもりさ」
その全ては己で選んだ傷で、これからも負い続ける事を、仁は断言する。
「その嘘を吐き通すのは難しいわよ。公表する気は?」
「したらどうなるかは、分かりますよね。信じていた金箔の偶像がただのメッキのゴミと知った時、この街は終わりますから」
本当の事を話せば罪悪感は軽くなり、街の人達を騙さなくても良くなる。マリーからの提案に、しかしすぐさま首を振る。守りたいと思う者達だからこそ、騙し続けなければならないと。
「反軍勢力に餌を与えて滅びに直行しちゃうよ。この街はもう、反乱が起きただけで終わっちゃうくらい瀬戸際なんだ」
狭い街の中で内乱を起こそうものなら、その火は瞬く間に全日本人を焼く。例え滅びなかったとしても、その火傷に衰弱した街は、騎士団に付け入る隙を与えてしまう。
「……分かった。その嘘を共有するわ」
「ありがとうございます」
本当は、嫌なのだろう。必死に隠そうとはしているが、彼女の綺麗な顔が僅かに陰ったのを見逃さなかった。それでも飲み込んでくれた事に、感謝を述べる。
「聞きたい事はまだあるの。さっき聞いた限りだと、この街はもう限界に近いのよね?」
「ええ。そうです。このままだと数ヶ月以内には限界に達するでしょう」
「それをどうにかするアテはあるの?」
マリーの加入により、騎士団や魔物との戦闘はかなりマシにはなるだろう。しかし彼女でも、資源的な部分の限界を止める事は出来ない。例え守っても滅びは止められない事を、彼女は危惧したのだ。
「それは、ないです」
「そう。貴方達も、現実的な案を持っていないのね」
仁の返答に、マリーは深いため息を漏らす。抗う術がない事が、この街の運命は決まっている事が、たまらなく悔しいのだろう。
「ただ、思いつかないからと言って、諦めて死を待つのは嫌です」
「なるようになるなんて言わないさ。延命している間に何とかする策を、練り続ける」
だが、守る事に意味がないわけではない。守って延びた時間で、この街を救う策が出来るかもしれないからだ。
「刻印があれば、今より食料を多く取れるようになりますし、騎士団ともある程度は戦えます。今までの予想よりは、延命できます」
刻み手が増えた事で、軍の戦力や生産力は大幅に向上する。次の騎士団の襲撃も、人海戦術で撃退できるかもしれない。
「それに希望はまだあるのさ!」
「見たかもしれないけれど、この街には『黒膜』って言う防御機能が備わっているの。それを制御する部屋が、この地面の下のどこかにあるはず」
「その防御機能を作ったのは、なんと『魔女』なんです。そこに、何かこの状況を打破する手がかりがあるかもしれない」
『黒膜』は重い代償があるにしろ、性能は街一つを覆う両面の障壁とふざけたものだ。かの伝説の、それこそ世界を相手取った『魔女』の残した何かがあれば、騎士達にも対抗できるかもしれない。
「嘘……?」
仁達から『魔女』の手がかりがこの街にあると聞いたマリーは、背筋を凍てつかせる。
「……『魔女』の部屋なの?あそこは?」
「知ってるんですか!?」
衝撃に打ちひしがれた彼女の口ぶりは、まるで『魔女』の部屋に入った事があるかのようなものだった。
「私のこの世界での記憶の始まりは、そこなのよ。この壁内のどこかにある地下室から、這い出てきたのを覚えてる」
「「場所は!?」」
「ごめんなさい。さすがにここまで変わってると難しいわ」
柊達に捜索してもらってはいるものの、未だ見つからない部屋の在り処を知っているのではと、シオンは身を出した。俺は身体が痛いので心だけ乗り出した。
「ねえ。『魔女』の部屋から出てきたすごく強いマリーさんってもしかして、『魔女』?」
身を乗り出さなかった僕が合わせたパズルのピースに、俺とシオンはマリーの彫像のような顔ををじっと見つめる。
「えっ!?ちょっと違うわよ!私の魔力量それなりだけど、さすがに彼女程の魔力は無いわ!それに第一『魔女』は黒髪黒眼でしょ!?」
「ですよね」
彼女の述べた証拠も確かであるし、何よりこのあたふたとした様子は到底、世界を滅ぼした『魔女』とは思えなかった。
「と、とりあえず私はその部屋については何も知らないわ。けど、あそこが特別な場所だって事は分かるの」
「どうしてだい?」
「……分からない。けど、頭の奥で誰かがそう言っているような気がして……」
「しっ!誰か走ってくるわ」
マリーの何とも不確かな返答を、シオンの立てた一本指が遮った。次いでパタパタと廊下を駆け、ドアに手をかける音が室内に響き、
「起きてるかなっと……うんうん。起きたね。経過はどう?しばらく休んでと言いたい所だけど、仁以外はお仕事ね」
「そこの……麗しいお方も、もし私達に協力してくれるなら来て欲しい。敵らしき男が門付近に現れた」
入ってきたのはくるくると注射針を回して遊ぶ女医と、顔に深い皺を刻んだハゲ頭。そして、予想されていた再度の襲撃を予期させる来客の報だった。
「あら、お上手ね。マリーよ。さっきのお願いだけど、いいわ。仁君とシオンちゃんと話して、ここの味方になる事を決めたから」
「ありがとう。そして遅くなったが、この街を救ってくれた事、軍の司令として感謝する」
「You’re welcome. 日本人として当然の事をしただけよ」
英語での「どういたしまして」と日本人だという告白に、柊と梨崎の顔は豆鉄砲をマシンガンで連打されたようなものへと変わる。
「ちょっと待ってよ!僕はなんで行っちゃダメなのさ!」
そんな非常に珍しい表情を見せた二人へと、仁は抗議の声を上げる。マリーやシオンの実力を疑うわけではないが、仮に騎士団の再来であるのならば、戦力は少しでも多い方がいいはずだ。
「ダメ。昨日も制止振り切って飛び出して、悪化させて帰ってきたでしょ?筋肉がミンチ寸前で、動けるだけでも不思議なんだよ?」
「と、いう事だ。お前を使うのは最終手段だ」
仁を行かせない理由は、怪我が一番重いから。実際、一日の治癒で動ける程の傷だったシオンや、再生を繰り返すマリーとは比較にならない程、少年の筋肉の崩壊は重い。起きてから常に治癒魔法をかけてはいるが、治る気配がないくらいに。
「し、しかし痛いくらいなら俺は動けます!俺が行かなくて負けて、この街が滅んだなら話になら」
「痛いってのは警告って知らないの?今の状態で同じくらいの無茶したら、腕もげるよ?それだったら今は休んで、腕がもげない時に無茶した方がいいって分からない?」
「……っ!けど、その次が来るかは……!」
もっともだ。分かっている。『痛覚分配』で痛みを軽減して動けても、負担は軽減出来ない事も。これ以上の無茶は、もう取り返しがつかないかもしれない事も。それでも、この今を切り抜けなければ意味も先もない。分かってくれない医者と柊に、仁は無理矢理拳を握る。
「仁。大丈夫。無理しないで。安心していいよ。次は必ず来る」
その震える拳を傷だらけの少女が優しく握って、柔らかくゆっくりと労わるように解く。
「だって私、勝って帰ってくるから!」
そして、満面の笑みと醜い火傷が同居した顔の後者を木のマスクで隠しながら、仁へと約束した。
「けど、約束なんて……!」
「仁君。私がシオンちゃんを守ってあげるわ。それでどう?『勇者』が守ってあげるって言うんだから、こんなに心強い事はないわよ?」
約束も誓いも、破れば無意味。そう言ってまた付いて行こうとした仁を、マリーが名前の元に引き止める。
「貴様の役割は、まだある。少なくとも、シオンやマリー殿の次くらいには、戦力になるのだ。潰れてもらっては困る」
「ひ、柊さん……」
「あの嘘があるから当然の事だが、それでも言うべきだろう。よく街を守ってくれた。シオン、仁、三人に礼を言う」
果ては柊に『限壊』の力を認められ、礼を言われて止められてしまった。
「……分かりました」
「シオン、マリーさんも、他の皆も死なないでね」
そうなればもう、仁が折れるしかなかった。それにこれ以上の引き留めは、戦況に影響を及ぼしかねない。
「お大事にね!仁!」
「若いけど、焦らない事も重要だわ。しっかり休みなさい」
仁は己の動かない力無き拳を見つめ、まだ動く首で去り行く背中に頭を下げる。
「そうだわ。最後に一つだけ、いいかしら?」
「なんです?できれば、手短にか後に」
「すぐ終わるから、今で」
質問を忘れていたと、部屋を出る直前に金色の髪が振り返る。もう時間がなく、できれば後にして欲しかったが、マリーはどうしても譲れないようだ。
「貴方は嘘を吐いた事、後悔してる?」
それは、真っ直ぐに探るような問い。今までの美人で優しそうな雰囲気はどこに行ったのか、燃えるような殺気が仁へと降りかけられる。
「ええ。後悔してます。あの時の自分を、殺したいくらいには」
「一生を捧げると、決めるくらいには」
しかし仁はその殺気を感じる暇もなく、打算も言葉の真意も何も考えずに即答した。
「……そう。ありがとう」
その答えに満足したのか、マリーはふっと殺気を解き表情を緩めて、部屋から出て行った。
「はい。患者と医者だけになったところで、医者からこれからの治癒方針を言い渡すわね。まずベッドに戻って横になって大人しくしてろ」
「……はい」
一度無視して飛び出したせいか、女医の声は凄まじくドスが効いていた。大人しく従ってもう一度ベッドで横になり、次の指示を待つ。
「一つ目、絶対安静。騎士に襲われでもしない限り、治るまで動くな。もうこれに尽きる以上」
「それだけ、ですか?」
その条件はなんとたった一つのみ。これは一体どういう事かと、女医の顔から心を覗こうとするが、
「たくさん条件出しても破るでしょ。最低限これだけ守って、後は治癒魔法なり何なりで勝手に治ってくれればいいよもう。下手に手術するより、そっちのが早そうだし。この街ほとんど薬ないし」
「……分かりました」
明らかに呆れて、匙を投げていた。確かに貴重な薬や資源、医者の時間を仁に使うより、治癒魔法で治した方が時間や消費的にも効率はいい。
「被害を、教えてもらっても?」
横になって治癒魔法をかけつつ、仁はシオンには聞けなかった事を女医に尋ねた。ずっと気になっていて、知るのが怖くて、でも知らなきゃと思っていた事を。
「いいわよー。死者は大体300人くらい?負傷者は多すぎて今んところ数えきれてないとしか言えないけど。君の知り合いだと蓮が死んだのと、桃田が重傷くらいじゃない?」
「……!?結構、軽く言うんですね貴方は……!」
数と蓮の死に胸が裂かれ、それを明日の献立くらい気楽に告げた女医に、心がささくれ立った。守らなかった無力感からくる八つ当たりだとは分かっていたが、余りにも軽い言い方に止まらなかった。
「下手すりゃ全滅するかもって事態だったからね。軽く言っちゃうもんさ……てか、こんな感じのやりとり前もしたのに、懲りないねえ」
女医は八つ当たりに微塵も怒る事なく、呆れのため息と共に受け流す。それは人によっては更なる煽りに聞こえるかも知れないものだったが、仁も激昂する事はなかった。
「前……?そんな事、ありましたっけ?」
「貴方と僕達は、昨日が初対面だったような」
それ以上に、初対面だと思っていた女性に前と言われた事に、戸惑っていた。仁の記憶が確かなら、目の前の女医と会ったのは昨日が初めてのはずで、口論になどなった覚えもなかった。
「は?いや、龍が襲ってきた時……なるほど。そういう事か……」
女医は仁の様子をからかっているのかと二秒だけ疑うも、すぐに合点がいったと手を叩き、
「桜義 仁。君、記憶を失ってるね?」
仁の記憶が確かではなくなっていると、診断した。
『騎士の襲撃についての報告書』
騎士の名称や情報の提供は、桜義 仁及びシオン・カランコエ、マリー・ベルモットより。
グラジオラス騎士団の一部による、街への急襲。巨大戦力を警戒した彼らの偵察隊派遣の形により、対処の為の時間と状況を作る事ができた事。異世界で『勇者』と称されるマリー・ベルモットの助力を得られた事。他、一部の軍人と桜義 仁、シオン・カランコエの尽力にて、騎士団本来の想定戦力による被害に比べ、遥かに少ない死傷者数で収める事が出来た。
しかしながら、この襲撃は幸運がいくつも重なったから、乗り越えられたと認識すべきである。最悪の場合、今回の襲撃で街が滅ぼされることもあり得た。本来であれば、かなりの高確率で致命傷を負わされていたはずなのだ。
もし、偵察隊など派遣せずに全勢力で襲撃されていたならば、とてもじゃないが街はもたなかっただろう。もしもマリー・ベルモットが助けてくれなければ、そもそもこちら側についてくれなければ、全て終わっていただろう。本当に、幸運だったのだ。
そして、それらの幸運に守られて最終的な死者は400人近く、負傷者に関しては現在800人以上とされている。そしてこの死傷者数の8割以上は、偵察隊として街に乗り込んで来た5人及び、門を攻めて来たティアモ・グラジオラスという女性騎士の計6人によって生み出されたものだ。残りの2割はシオンと騎士団の本隊による門付近での衝突、マリーによって四肢を奪われて地に落ちた騎士の、最後の抵抗によるものである。
勝利に浮かれる者、街を守れた安堵に浸る者、大切な人を亡くして悲しみに暮れる者。全員に告げたい。たった6人の手によって、千人近くが死傷したのだ。強者であった桜義 仁もシオン・カランコエも後に挽回したものの一度は敗北し、大きな傷を負ったのだ。これが何を示すのか。分からないものはいないだろう。騎士の一人一人の強さは、かつて襲撃を受けた村人の比ではない。
いくら刻印が普及していないからといっても、この数字は余りにも差を示し過ぎている。刻印を軍人全員に刻んだとしても、この先我々が生き残れる確率は極めて低いと言わざるを得ないだろう。
騎士の数は総勢、百万近いのだから。全てを動かせるわけではないとしても、それでもその数は、その強さは、必ずある再度の襲撃は、余りにも絶望に過ぎる。いくら『勇者』マリー・ベルモットがこちらの戦力に加わってくれたとはいえ、早急になんらかの策を探さねばならない。真っ暗にしか思えないが、それでも諦めずに探さねばならないだろう。縋り付くように、探さなければならないだろう。希望を失った時こそ、絶対なる敗北の瞬間なのだから。
しかし、希望を探してばかりもいられないのが現実である。敵は余りにも強大だという事実以外にも、この襲撃が突きつけてくれたものがある。それは軍人の敵前逃亡と人数、そしてその恥ずべき行いによる民衆の支持の急落である。
余りにも、強過ぎた。しかし、余りにも逃げ過ぎた。日々の配給を何の為に貰っているかを忘れ、一般人を守る事を放棄し、時には彼らを盾として、殆どの軍人が逃げた。多過ぎるが故に組織の崩壊を恐れて処分を与えることも出来ず、民衆の不満は跳ね上がるばかり。抗議の声と反軍の色は止まらない。その上、民衆に非常に大人気だった睡城 蓮の死亡も、今後の街を大きく変えてしまうだろう。
こちらにも何らかの手を打たねば、騎士の再度の襲撃を待たずして街は内側から滅びるのは明白である。
絶望しか、ない。それが今この街の現状だと、再度思わざるを得ない。
最後に、街を救う為に命を投げ打った軍人や一般人に、感謝を述べる。貴殿らの活躍と尽力により、この街は生き延びた。例えこの先に光は見えなくとも、見つけようと努力する時間ができた。その事に、最大の感謝を。そして貴殿ら英雄に冥福を。




