第82話 甘えと矜持
黄金の炎が晴れた中、彼は痛みに顔をしかめながら、転がる首を見下ろしていた。決着は、ついた。
「ジルハード……両手が」
「ちょっと待ってくれ」
悲痛な表情で駆け寄ってきたティアモを土の腕で制し、証明を終わらせる言葉を紡ぐ。
「あんたなら、『勇者』ならこうするだろうと思った」
確信があった。最大範囲を溜めたマリーが、殺せるにも関わらず命を奪わず、手脚のどこかを焼き切ってくる確信が。
「だが、甘い。甘すぎる。そんな戦い方じゃ勝てねえよ」
それは彼の騎士としての終わりを意味し、彼女が考える相手の命を奪わず勝てる方法でもあった。
「例え手脚が無くなろうと、剣は折れねえ。この命ある限り、俺の剣は絶対に折れねえんだ」
だから、罠を張った。自らの手脚の二本や四本を犠牲にして、マリーの思い描く勝ちの光景を見せ、その絵を魔法の腕で破り捨てた。
「俺はこの先の俺の道を殺してでも、何かを守る」
誰も思わなかった。いくら魔法で義手を作れるにしろ、剣士として頂点を目指す男が、まさか剣士としての命である腕を捨てるなど。
魔法で義手を作るにしろ、動かすにはシオンのように常に枠を潰す必要がある。実際、四肢を半分奪われたシオンの戦闘力は、全盛期に比べて大きく低下した。
それにシオンが奪われた手の部分は狭い。だから刀身を直接生やして放置する事で、枠を一つ残せた。しかし、ジルハードが奪われたのは肩からごっそり二本だ。刀身を生やす事で枠の節約など出来ず、戦闘力の低下はシオンの比ではない。
「あんたは俺を殺さなかったから、負けた。命ある限り人は抗い続ける。だから、殺すしかねえんだ」
だが、それでもジルハードは選んだ。剣を振るいながら魔法が発動できなくなっても、この戦いの勝利を土の手で握り締める事を。己が偽の腕で、ティアモの道の正しさを証明する事を。
「ティアモ。戦える奴を掻き集めろ。今ここで叩かないと手遅れに……おっと……」
「ジルハード!」
言葉の途中で崩れ落ちた騎士を、駆け寄ったティアモが体を支える。仁との戦いで負い、道中で治せるだけ治した傷がぱっくりと開き、布より血の面積が大きくなっている。
「……馬鹿者……!こ、こんな傷……もう、治らないんだぞ……」
「まーたお前は、そうやって自分を責めようとするんだからなぁ……心が読めるお前なら分かってんだろ?あの化け物にはこうでもしねえと勝てなかったって」
自らを庇い、助ける為に彼が失った物に、ティアモは大粒の涙を目から溢れさせる。そんな彼女に、ジルハードは元から必要な事だったとあっけらかんと笑う。
「今は切ってる……お前にこの力は使いたくない」
「……そうかい。ま、魔法で義手を作れる以上、そこまでの不自由はないさ。強いて言うなら、お前を抱きとめるのが難しくなったのが辛いくらいかな」
「馬鹿者!私も、辛い」
「おわっ!?」
ジルハードは魔力の節約の為に土の腕を崩し、先の無い肩を竦めていつも通りにからかう。だが、彼女からの反応は今までに類を見ない素直な抱擁だった。
「……調子狂うねぇ……」
その温もりと肌に触れた熱い液体は、髪を伸ばせば他の男にとっても傾城の美姫になるんじゃないか。そう思わせて、ジルハードの心を乱した。
「やっと、役目を果たせたような気がするよ。腕二本でよく釣り合ったもんだ」
「……お前もやっぱり、姉上の事で自分を責めているではないか」
僅かに声のトーンが下がったのは、場違いな嫉妬か純粋な怒りか。それはどちらにしろ、守った甲斐があると彼に思わせる。
「さて、シオン・カランコエも『傷跡』もいない今が好機だ。悪いとは思うが、あいつらにはもうひと頑張りしてもら」
あの時果たせなかった役目を今度は果たせたと、ジルハードは今一度守れた温もりを感じて、
「予告するわ。この言葉が終わる頃に」
「ッ!?ティアモッ!」
「私は貴方達を貫くと」
背後から聞こえた声にジルハードは何も考えずにティアモを突き飛ばそうとして、腕が無いことに気がついた。
「しまっ」
身体をひねってティアモを押し退けて、彼女だけは守ろうとして、ジルハードの身体は吹っ飛んだ。転がった先、彼は痛みを感じるより早く助けようとした女性の心配をするが、
「ジルハードを、傷つけるな」
彼女は無傷だった。ジルハードの身体を右手で投げ飛ばし、一切布を纏わぬマリーの剣を手甲で弾いたのは、ティアモだった。
「あら嫌だ……吹っ切れたのかしら?」
「当たり前だ。やはり、貴様の道では救えん」
未だ涙の枯れぬ目を深い怒りと決意に歪ませた騎士の太刀筋に、『勇者』は僅かに身じろぐ。先ほどまであった迷いが無くなり、ティアモの剣は鋭さを増していた。さながら別人のようだと、思う程に。
「して、貴様はなぜ生きている?即死の場合は系統外を発動できないと、サルビア様から聞いていたが」
立ち昇る殺気はそのままに、ティアモはマリーへと問う。彼女の系統外への対処は、発動させる間もなく殺す事のはずだ。
「私もさっき身を以て知ったんだけど、首だけでも人間は生きられるらしいわ。少しの間だけどね」
「木っ端微塵にするか、脳を破壊するしか無いのか」
さすがに首だけになった経験は、ティアモにもジルハードにもない。打ち捨てられた首より下を眺め、虚空庫から取り出した布を纏った新しい首より下を見て、詰めが甘かったと歯を鳴らす。
「良い事を聞いたなぁ!」
『勇者』の頭上と足元に、一筋の太刀と人の影が映る。会話の間に後ろへと回り込んだジルハードが、脳を破壊しようと剣を振り被っていた。両手で二つの魔法の枠を潰しても、剣技だけなら先と変わりはない。
「もう不覚は取らないから、良い事でも何でもないわよ?」
「御構い無しかっ!」
当たる寸前、マリーは首を曲げて半身を刃に献上。瞬間的に生じた痛みは、全身の皮膚という皮膚が膿んだと錯覚する程だったがひたすらに耐えて、真っ二つになった身体をすぐさま再生。虚空庫から取り出した剣で、反撃を叩き込もうとする。
「いいや。不覚だな『勇者』」
そこに待ったをかけ、頭をえぐり取ったのはティアモの一閃。マリーに対して系統外を発動し、行動を読んで斬撃を置いていたのだ。
「浅……」
頭蓋骨ががりがりと削れたが、頭をひねった事で脳にまでは達していない。マリーは光がチカチカと舞う視界を振り解き、再生を繰り返して無傷へと戻すも、
「なら俺も削ってやるよ」
「……!」
今度はジルハードが凪いだ剣に、頭を掠め取られそうになった。攻撃の為に出していた炎の刃を咄嗟に防御に回していなければ、本当に死んでいたかもしれない。
「私とジルハードを同時に相手取ったのが不覚だ」
「あの黄金の炎の溜めが終わってねえのに、調子に乗ってんじゃねえぞ。予告なんざしなかったら、今頃俺らまとめて殺せたかもしんねえのによ」
怒りに震えた声に、ティアモの先読みとジルハードの卓越した剣技に、マリーの背筋を何度も冷たいものが駆け抜ける。
「不意打ちは、嫌いなの」
ジルハードにわざと切り取られて再生する事で隙を作り出して突こうとするも、その思考を読んでいたティアモの剣が邪魔をする。
「それで死んだら元も子もねえ」
「騎士道としては分かるが、参考にはできんな」
そのティアモの剣を炎の刃で受ければ、今度はジルハードの刃が頭を狙って飛んでくる。無理に攻勢に出れば、どちらかの一撃で命を刈り取られてしまうが故に、『確撃』を有効に使う事も出来ない。
「矜持を捨てるの?」
予想をかき乱す奇策に走るのも、急な障壁変更で隙を作ることも不可能。相手に動きを予測されないという最大の利点が、ティアモがいる限り封じられるからだ。
「捨ててはいない」
「俺達の矜持は、どんな事をしても守る事だ」
彼らの剣舞は恐ろしいまでに互いを助け合い、果てしなく高め合っていた。ティアモはジルハードの心を読んでいないし、ジルハードはティアモの心を読む事ができない。それでも、幼い頃から合わせてきた二人の剣の呼吸は完璧に一致していた。
「うっ……」
しかし元より、ジルハードの身体は限界に近い。開いた傷に身体が揺らぎ、大きな隙を見せてしまう事も多々ある。だが、その隙は突く事は叶わない。言葉もなくティアモがカバーに入り、マリーの剣も魔法も抑え込むからだ。
「悪りぃ」
この一対一が少しでも続くなら、マリーが勝つ。しかし、ジルハードは口から血を吐き出しつつも、すぐに無理をして戦線に復帰する。そうなれば、マリーの不利へと戦況は傾いていく。
「負けられないわ……!」
だが『勇者』を名乗る以上、マリーもただ不利に陥ってそのまま負ける訳ではない。炎の刃と火球を操作し、双剣と合わせて二人の騎士の攻撃をギリギリのところでいなし続ける。
「だったら殺せよっ!甘えだけで殺す覚悟もねえ、守れもしねえぬるま湯女がっ!」
ジルハードが怒鳴りながら踏み込んだ瞬間、『確撃』の炎の壁を貼る事で牽制。このように決定打ではなく、相手の行動を制限する為に系統外を用いる事で、何とか戦線を遅滞させていた。最大範囲が溜まるまで耐えれれば、マリーの勝ちだから。
「貴方の道は、甘い茨の道だ。求められる力は余りにも膨大だが、進むのは楽だろう。誰もが、誘惑される」
大地に亀裂を走らせ、ジルハードは急停止。だが、ただ止まるのではない。彼の手から放たれ、炎の壁を突き抜けてきた二本の剣の片方に、マリーの頬が後ろから切り裂かれる。
「くっ」
そんな暇はないと、口が閉じなくなった痛みに耐える。鼻から脳まで突き抜けようとするティアモの右手の剣を、マリーは天高く弾き上げる。
「けどなぁ!真に勇気のあるティアモって奴は!お前が投げ捨てた罪を背負って戦ってきたんだよ!」
左脚に激痛。ティアモが同時に突き出していた左の剣に、足を貫かれた事を痛みで知った。咄嗟に出した炎で腕を焼き切ろうとしたが、柄から手を離されて逃げられる。
「真に勇気のあるジルハードという男は、自己満足の為に手を抜いたりはしない。目的の為に全力で剣を振るう」
「なっ!?」
ジルハードとティアモは今、得物がないはずだ。防ぐ事も傷つける事も出来ない今が、好機。マリーはティアモに集中的に攻撃を重ねる事で、戦況の逆転を試みようとして、気づいた。
「その為に、投げたの!?」
「何かを守れぬ勇気と誇りに、意味はない」
ジルハードが投げた彼の剣は今、ティアモの手の中に握られている事を。
「何も守れねえ奴は、『勇者』じゃねえよ」
「ぐっ……あっ……」
火傷も構わず、蜘蛛のような低い姿勢で炎の壁を潜り抜けて来たジルハードが、マリーの左脚に刺さった剣を逆手で引き抜いた事を。
「手を抜いた事、後悔して逝け」
ティアモが振るった双剣は、マリーの炎の刃と右手の剣を抑えつけ、
「何も救えないお前の代わりに、俺らが救ってやる」
片脚を軸に回転する事で、裏から頭に向けられたジルハードの剣はマリーの左手の剣を砕き、金属の腹で頭を強打して意識を完全に奪い去った。
「なぁ、ティアモ……俺、お前の見てねえところで自己満足の為に失敗してるんだが。それも、仲間の命を何個も無駄にしちまうような最低な奴を」
「そ、そんな事言ったら、私だって誘惑に負けそうになってお前の腕を」
崩れ落ちたマリーの思考が完璧に無である事をティアモは系統外で確認しつつ、戦いの熱にあてられて発した互いの言葉を否定し合う。
「……今からはもう、しくじらねえ。この両腕がその誓いと報いだ」
「ああ、そうだな……私も、これから背負う罪と悔やみ続ける一生を、報いとしよう。トドメは私に刺させてくれ」
「いいぜ。必要な事なんだろ」
そして、横たわるマリーの身体にティアモは決別だと剣を突きつける。気を失っている以上、『残命』の発動は不可能なはずだ。
「さらばだ。『勇者』」
手の震えは、なかった。殺人という名の間違いを犯し続ける道こそが、己が真に進むに相応しい道だと決めたから。
しかし、そうと決めたはずなのに、ティアモの剣は振り上げられたまま、行き場を失った。
「おい……ティアモ!」
迷っているわけではない。ただ、ティアモの胸に鉛玉が埋め込まれて、振り下ろせなかっただけだ。赤々と鎧の隙間から溢れでた液体に、急いで駆け寄ったジルハードは土の片腕で抱きかかえる。
「せめて……!」
それと同時に残った陣の一枠を使い、マリーめがけて速度重視の炎の槍を撃つ。気絶して動かない人間など、こんな単純な魔法だけで楽々殺す事が出来た。
「貴様ァ!」
「誰だかは知らないが、味方のようだからな……!」
しかし意識があって魔法が使えるのなら、日本人でも受け止める事は出来る。右手に銃を、左手に氷の刻印で強化した大盾を握って割り込んだ堅が、現実でそれを証明した。
「貴様ではないぞ?侵略者お二人。正しくは貴様らだ」
「……魔法もろくに使えないような雑魚が、寄ってたかっていい気になりやがって……」
マリーを庇うように展開された軍人の肉壁と前に進み出た柊の姿に、ジルハードは毒吐く。実際、彼が剣を振るえば数十秒と保たない脆い壁だ。
「いい気になるとも。気絶した人間は魔法を使えないのだろう?我々を全員斬るのが早いか、その女に新しい穴が空くのが早いか。試してみるといい。撃て」
弾丸が放たれるより前に、ジルハードは駆け出した。筋肉が崩壊するか瀬戸際の強化は、ギリギリで建物の陰への非難を間に合わせる。
「早くしないと、その女は出血多量で死ぬがな」
銃弾の雨の中、障壁の使えないティアモを守りながら戦う事はほぽ不可能に近い。肉壁に大魔法を撃ち込んで魔力を消耗してしまえば、ティアモの治癒に回せる分が減ってしまう。それに悩めば悩むだけ、血が流れ続けるティアモは死に近づいていく。いや、それ以前に彼自分の意識まで朦朧としてきていた。
「あのハゲダルマ。ティアモの命と引き換えに撤退しろってか……」
先の銃撃は威嚇だろうと彼は推測する。ティアモという枷が無くなれば、ジルハードはこの街の人間を殺すか、己が死ぬまで戦い続けるからだ。そこに一度は撤退した騎士達が、団長の死という怒りで加わればどうなるか。
「俺とティアモとあいつらみんなの命を捨てれば、この街は終わる」
長期戦になり、障壁を使う魔力が無くなった騎士達に多大な犠牲は出るだろう。おそらく、消耗仕切った自分も10分と持つまい。しかし、それと引き換えにこの街は回復不可能なまでのダメージを受け、滅びに向かうはずだ。
「……俺、は……」
全世界の悲願である、忌み子の殲滅に大きく近づくだろう。だが、この手の中の温もりは、捨てられなかった。
「俺が守りたいのは、メリアが守ろうとした世界で、俺の世界だ。ティアモやあいつらがいない世界は……」
揺れる。ティアモが望む世界は、真の平和の世界だ。それが叶うまであと一歩である。個人の事情を優先するか、世界を優先するか。正しいのがどちらかは明白だが、選ぶ事はとてもじゃないが簡単ではない。
「何を言っている?」
しかし、迷う必要なんてどこにもなかった。何せ飛んできた大木並の土の杭が、ジルハードの隠れていた住宅を圧し潰したのだから。
「最初から二人とも殺すつもりだが」
「許さない」
「……シオン・カランコエ……!」
影と魔力の反応に咄嗟に家から抜け出したジルハードが見たのは、環菜に背負われたボロボロの少女。彼女が震える手を天に翳せば地面の土が宙へと浮かび、もう一度杭が創成されていく。
「ああ、それは僕と」
「俺も同じ気持ちだよ」
シオンだけではない。動く度に身体から血を流す程傷ついた少年が、おぞましいまでに真っ直ぐな視線と殺意でジルハードを見ている。
「……くそ……が!」
ジルハードに残されたのは、仁に追いつかれる前に、ティアモを必死に庇いながら背を向ける道だけだった。
『残命』
ざんめい。『勇者』マリー・ベルモットが所有する系統外。100人殺す度に命のストックが増加するという、おぞましい能力。どんな怪我や致命傷、それこそ身体が真っ二つになっていようが首だけになっていようが、生きて意識があるならば、ストックを一つ切ることで全快できる。
肉体的な疲労や魔力も全快する為、糸目をつけなければ超長時間の戦闘が可能。とはいっても、精神的な疲労は回復しない為、所持者の心が折れればそれまでである。
対処法としては、気絶や昏睡させた状態で命を奪う。もしくは発動の暇すら与えずに即死させるの二つが効果的である。ストックの量にもよるが、なくなるまで殺し切るというのも悪くはない。現所持者マリーのストックは200を超えている為、今回に関してはあまり現実的ではないが。
しかしこの能力、凡人や常人が持っていてもあまり意味のない能力である。まず、100人も殺そうと思えるだろうか。思えたとして、100人も殺せるだろうか。答えはどちらもノー。まず命を大量に奪えるだけの精神力と、100人殺すまでに殺されない強さが必要である。そんな人物、全人類の1%にも満たないのではないだろうか。
だが、仮にその1%未満の人物がこの能力を所持すれば、そしてその者が強ければ強いほど、この能力は真価を発揮する。殺し続ければ続けるほど、殺されにくくなる系統外となる。
マリーが不殺の誓いを立てる前、『残傷』と『確撃』を駆使して殺し回った数万人と数百のストックがその証明。殺せる人類がいる限り、命のストックは増やすことができてしまう。
しかし、彼女が人を殺さなくなってから一つも増えておらず、減少の一途を辿っている。
かつて『吸血鬼』と呼ばれた存在が、同じ系統外を保有していた。圧倒的な強者であった彼は血に狂い、ストックを求めるように人を殺し続けたという。




