第77話 壁と再戦
「一度戻ったのに、また超えちゃったね。でもね?戻っても、一度超えた事実は残ってるんだよ?人殺しの仁君」
殺人には、壁がある。その大きさも形も乗り越える難易度も方法も人によって違う、壁が精神の中に存在する。
「まぁ今度は前と違って、綺麗で偽善的な理由だけど」
怒りや憎しみ、快楽に職務なんて人もいるだろう。仁が前回選んだのは自己の生存の為。今回選んだのは脅威を排除する為。
「どちらにしろ、また超えた事に変わりはないね」
教室で椅子に座って嬉しそうに笑う、首がねじ曲がった少女の言う通りだ。どんな理由でも、また殺人を犯した事に変わりはない。
「やっぱり君は……人殺しだよ」
仁にしか見えない彼女は笑い続ける。幻覚であっても仁にとっては確かに存在する、昔聴いたあの声で。
「おかえり」
「おい!仁!大丈夫か?」
かけられた声に、飛んでいた意識が戻ってきた。後ろを振り向けば、心配そうな堅の顔と無表情の柊の頭が。
「……ただいま」
「えっ?」
「ああ。大丈夫です」
脳がまだ幻覚に引きずられていたらしい。思わず香花への返事を口にしてしまった。しかし訂正した返事にも、堅は表情を変えない。
「怪我は特にないです。代償で腕や脚、頭にかなりキテますが、それも数分あれば十分に治ります」
「街はさっきと変わらないよ。僕ら負けちゃったけど、シオンが挟み討ちされる前にジルハードを倒せば、当初の予定通りさ」
「そうか」
空元気ではないと、身体の状態と街の戦況を述べても堅には無意味だった。やはり彼が心配しているのは、仁が先ほど殺人を犯したことについてなのだろう。
「……そうするしかないのなら、そうするべきなのさ」
潰れたスイカになった頭。弾け飛んだ身体。中心に大きく穴の空いた胴体。己の身体に付着した返り血に目を移しながら、仁はそう呟く。
「けど、前は殺したくないって」
「覚悟は出来てましたから」
前は前、今は今だ。前は脅せば怯えるただの村人だったが、今回は戦闘力が桁違いの騎士達。削れる戦力は、削れる内に削っておかねばならない。
「心も大丈夫です。これからもやれます」
一度殺人の壁の中に戻ってしまえば、後は楽だった。身体に斬り込みを入れて中から氷を溢れさせた時も、三重発動で巨大化させた氷刃で相手の目測を誤らせて貫いた時も、頭を踏み潰す時より忌避感はなかった。ただ、殺す度に頭の中の声が増えていただけだった。
「でもお前、顔が真っ青で!」
ずっと三重を二つ同時に使い続けたせいか、代償の頭痛が酷い。今も尚、治癒を三重で使っているのもあるだろうか。それとは別に、無意識の罪悪感もあるかもしれない。
「大丈夫です。奴は僕達がいなきゃ、倒せない」
それでも、戦わねばならない。堅と柊、そしてこの場で息をしている者達に、仁は目を向ける。
「もう一人、厄介な奴が残っています。赤い光を見た奴はきっと、ここに向かっているはずです」
「だから疲れていて、傷ついているみんなには悪いけど、協力してほしいんだ」
そうして、頭を下げる。仁は弱い。騎士三人を不意打ちと初見の『限壊』を使って倒せたのも、運が良かった。相手が別々ではなく連携を取ってきて粘られ、ジルハードと合流される事も十分にありえた。
「きっと死者は出る。あいつはとんでもなく強くて、奴より桜義 仁は弱い。現に俺は負けた」
「けど、あいつを抑えなきゃダメなんだ。シオンを門の防衛に集中させないと、この街が終わる」
士気に関わると柊が隠していたのか、仁の敗北を今知った兵士に動揺が走る。龍を堕とし、シオンとデモンストレーション代わりの大立ち回りを演じ、街の希望として認められ始めた少年が既に敗けた。それが意味するのは、希望の失墜。
「けど俺は、何度負けても死ぬまで諦めたりしない。挑める限り挑み続ける」
「守れる限りを、守る為に。それが託された僕らの生き方だ」
何人かの顔が、仁の言葉の裏を感じ取った。『敗北』し、『託された』。堕ちた希望の命までもが消えないように、誰かが身を挺して守り切った。負けて堕ちた希望がまた、皆の光となると信じたから。堕ちてもまだ希望だと、思ったから。
「だから貴方達も、どうか諦めないでください。まだ、限界じゃない。俺らはきっとまだ、滅びない」
「戦いを放棄しない限り、逆転の目は残されているもんなのさ。そして今回、その目は非常に大きい」
希望は再び希望であろうと、足掻く。一度負けた相手だろうが、一人一人が化け物揃いの騎士団相手だろうがお構いなく。最後の最後まで這いつくばって、泥を啜って血を流して身を汚して、誰かを救う事を諦めない。
「「俺と僕だけじゃ、ダメなんです。どうか、お願いします」」
再度、声を重ねて頭を下げる。内容は、一度負けた自分にこの街の全てを賭けてくれというハイリスクすぎるもの。誰もが自らで決める事が出来ず、この場で最も長けた者へと目線で判断を託していく。
「……愚か者が。それ以外に全てを取る道がないのなら、やるしかないだろう。確率は本当にマシなんだろうな?」
「ええ。多分、奇跡を願うよりはずっと」
全員から注目を浴びた柊は、仁の賭けに乗った。今逃げて少人数で僅かに生きるよりも、滅ぶか、全てを守るかの二択の傲慢な賭けに。
「総員、銃を持て。逆転の目を撃ち抜くぞ」
「やぁ。遅かったね」
「……ああ、遅かったな」
歓迎する仁の一言に、屋根の上から飛び降りてきた彼は周囲の状況を把握して、同意で呟いた。
「『伝令』が繋がらない時点である程度、想像はしていた」
さっきまで騎士と軍人が戦っていた場所には三つの死体と、自爆して体が無くなったマークの残した小手が綺麗に並べられていた。
「慈悲をかけたのが、間違いだった。己を優先しなければ、あの場ですぐにお前を殺しておけばよかった」
死体の前で双剣を構えて立つ少年へと向けられた眼は、今まで受けたどの殺気よりも鋭く激しく、燃え盛る炎のような憎しみを宿していた。
「先に手を出してきたのはそっちだろ……なんてことは言わないさ。君らにも、それ相応の理由がある」
「ただ言うとすれば、お互い様だ。俺らにも相応の理由があって、折り合う事も許す事も決してできないだけだ」
互いに互いの大事な物を奪い去り、再び向き合ったのだ。きっと仁も、ジルハードへと同じ眼を向けている。
「ああ、そうだ……その通りだ……なぁ!」
言葉の途中でジルハードも双剣を引き抜き、軍人の死体が並べられた道を駆け抜ける。鋭い踏み込み、無駄の無い走法、強化も合わさり、それらの速度は通常の強化の仁よりも俄然速い。
「やっぱり止めるんだよなぁ……けど、いいのか?」
対する仁は、反応が遅れていた。ジルハードが二歩目を蹴り、距離がもうほとんど無くなってようやく少年の身体は動き出して、間に合った。
「何がだ?」
愚直なまでに真っ直ぐな降り下ろしを、『限壊』に物を言わせた斬り上げでジルハードごと弾き飛ばす。下手に避けていたら、もう一刀が最高の技術で追撃してきただろうから。
「二本しかない貴重な腕、こんなに早く使ってしまって……いいのか?」
獣のように身を屈めて着地したジルハードは、溜めていた力を爆発的に解き放って再度接近し、異様なまでに低い姿勢のまま右手で横薙ぎ一閃。仁が咄嗟に肩から展開した三重の氷の盾をガリガリと削り取って叩き斬り、その更に奥へと左手の突きを繋ぐ。
「だから、言ってるだろ」
氷の盾が二つに割れ、少年が剥き出しになる。その姿に、ジルハードは剣を持つ手が緩むのも感じた。
「何がだ?」
少年はまるで『限壊』の代償による崩壊なんてなかったように、双剣を構えていたのだから。
「……冗談!」
殺す為の一撃に急ブレーキをかけたジルハードは、鋒に火の玉を創成して牽制する。僅かなタメの後に起こる爆発をこの距離で仁がモロに受ければ、重傷は免れない。対して、魔法障壁を張っているジルハードは無傷で追撃に移ることも、有利な状況で仕切り直す事も出来る。障壁のアドバンテージは、余りにも大きかった。
「きた」
ああだが、仁はこの瞬間を待っていた。新しい『限壊』と古い『限壊』のギャップを勘の鋭いジルハードがいち早く察し、咄嗟の回避に火の玉を出す事を。
想定した状況に、掌の上で騎士が踊っている事に、鼓動が跳ね上がる。頭の中の声が大きくなる。大地に沈んだ脚がそこから消えて、また新しい大地を角度をつけて蹴り飛ばす。
「俺は冗談が苦手なんだ」
仁の声はジルハードの耳に斜め前、ついで横を通って、背後へと移ろったように聞こえただろう。
「後ろ!」
煌々と輝く火球を避けるように、一歩目で斜め前。仁が今までとは違う戦法をとった事にジルハードが気づいた瞬間の二歩目で真横。反応して振り向こうとした時の三歩目は、身体を捻って騎士の背中を正視する体勢で剣を構えて、火の玉が爆発。
「庇ってくれてありがとう」
だが、爆発は仁に届かない。ジルハードの魔法障壁が爆風を防ぎ、真後ろの仁を守ってくれたから。
「お礼だ」
上に構えた鉄剣を、振り下ろす。『限壊』の筋力なら、身体を鎧ごと真っ二つに叩っ斬れる。氷の刻印で尾を展開しておくのも忘れない。
「いらねえよ」
しかしそれは、あくまでジルハードに直撃した時のみだ。振り下ろす最中の仁の剣が、肩の鞘にしまうような動作で後ろに回した剣に阻まれる。頭から潰そうとした氷の尾は、魔法障壁に止められた。
普通なら、何とか間に合わせただけの剣で『限壊』の力を受け止める事なんて出来やしない。そもそも間に合う事がどうかさえ怪しい。しかし、騎士は間に合わせてみせた。
「化け物……」
仁の視界は、ジルハードがが三歩目より早くに鉄剣を後ろに回そうとしているのを捉えていた。そこから少年の振りかぶった剣を見て、軌道を計算してズレを修正して、ただの技術で受け流したのだ。
「今度はこっちのば……!?」
振り向きざま剣を振るおうとしたジルハードの目に、氷の中から顔を出した黒い銃口が飛び込み、
「化け物なのは知っているが」
耳に、仁の声とかちゃりと鳴った金属音、そして乾いた銃声が後に続いた。
魔法障壁と分かっていながら仁が氷の尾を出したのは、障壁を魔法で固定させる為だけではない。軍人からもらった二つの道具の内の一つ、銃をその中に仕込み、隠し、障壁の信頼の隙をついて至近距離で発砲する為。
ジルハードを盾にして爆発を防ぎ、背後を突くだけでは足りないと思った。だからその先を、仁は作っていたのだ。
「けど、ここまで化け物とは思わなかった」
その結果は見事に失敗。額と銃口が触れ合う距離。剣で防ぐのも障壁の切り替えも、首だけ動かしても、頭に穴が空くのは避けられないはずだった。
「俺の頭は硬えんだよ」
銃口を頭突きで上に向けるなんて、仁の想定の遥か外だった。しかし万が一。隠し銃口が防がれた後の戦いを、想定していないわけではない。
「なら普通に斬り合うまでだ!」
渾身の一撃を受け流され、無理矢理防がされ、互いに体勢は崩れている。しかし先に立て直したのは、『限壊』によって早く動ける仁の方だった。
『限壊』の速度で斬りかかろうとして、ジルハードの笑みと、虚空庫へ消えた剣の代わりに握られた魔法陣に気づく。例え体勢が崩れていようとも、魔法は問題なく使う事が出来る。
(今度は、背中にもちゃんと発生させてる)
彼自身の枠で一つ、魔法陣でプラス一つの爆発火球の前後設置。先の戦法は、既に対策されていた。後ろに回っても、背中に隠された火の玉の爆発で仁が弾け飛ぶだけ。
(お土産渡して、回避)
当然、仁も一度見せた戦い方が化け物相手に二度も通用するなんて思っちゃいない。軍人からもらった二つの内のもう一つ。対策の対策だって、懐の中に隠してあった。
氷の盾を三重で展開しつつ、地面に亀裂が走る程の強さのバックステップで、仁の想定の爆発の範囲から逃れる。枠の関係で切り離した氷の尾の先を騎士の前に残して、逃げる。
「油断したなジルハード」
氷の盾の向こうの騎士に語りかけ、そして爆発。火の玉だけの爆発なんかよりずっと大きなそれは、仁が氷の尾に仕込んだ爆弾による物理判定のもの。魔法障壁を張り、爆発の中に悠々と佇んでいたジルハードを吹き飛ばす、意識の外からの攻撃。
「……だが俺は予想する。お前は、これでも生きてるだろうってな」
普通なら死んでいても、仁は決して手を緩めない。何故なら奴は、普通から遠くかけ離れた存在なのだから。置いていった氷の尾を怪しんで、回避行動をとっていてもおかしくはない。
「司令、皆さん。頼みます!」
ぎちぎちと各所が軋む身体から大声を捻り出し、建物の中や影に隠れている軍人達を呼び集める。彼らは気づかれないように戦闘が始まる前に一旦離れ、頃合いを見てここに戻っていた。
「ああ。総員、撃て」
爆風の砂煙に隠れ、生死さえ分からない騎士へと数多の銃弾が注がれる。視界の悪い砂煙の中に仁が突っ込むより、砂煙の範囲全てを覆い尽くす弾幕を張る方が効果的だ。
「仁!お前、身体から血が!」
「だから、俺は少しだけ、休みます」
そして何より、インターバルが欲しかった。頭痛も声も鳴り止まず、身体は無茶と痛みにぐらつき、僕は痛みを引き受けるのに必死で声も出せない状況。堅の言う通り、斬られたわけでもないのに服のそこかしこに血が染みを広げている。
「1:2の割合でも、間に合わない……」
壁にもたれかかって肩で息をし、全身に三重の治癒をかけながら初めて使った感想を述べる。新しい『限壊』。それは、強化と治癒を1:2の割合で常にかけ続けるというもの。
初めて強化を使った時に注意されたように、元より一つでも限界を超えた強化は可能ではあった。当然、二つ重ねるよりは速度も力も下がるが、それでもジルハードの倍近くの速度は出せるし、負担も減って枠も空く。
空いた枠に治癒を入れて二つにする事で、ずっと『限壊』を発動できないかと仁は考えたのだ。見ての通り、全然治癒が間に合わなかったのだが。
「けど、結構長くは戦える」
前は四肢ごとに一回ずつしか発動できなかったのに対し、今度は数分は耐える事が出来た。
「一度退避して治癒を重ねれば、すぐに戦線に復帰できなくも無い」
こうして軍にジルハードの相手を代わってもらった十数秒でも、十分に動かせるレベルまで回復している。事前に仁が動けなくなった時に備えて、彼らに交代を頼んでいたのが功を成した。
「問題は頭痛と、代償だろうな」
常に三重の同系統を使っているのだ。支払う代償もそれなりに覚悟せねばならないだろう。だが、こんなこと些細なものだ。
「戦えなくならない範囲なら、いくらでも支払ってやる……休憩も終わりか」
砂煙を弾丸の一本線が晴らしていく中、僅かに見えた煌めく鎧に仁は痛む腰を上げて、駆け出す。やはり、奴はまだ生きている。
「総員、撃ち方やめ!」
仁を巻き込まないよう、銃弾の雨が一斉に止んだ。無口の銃口の応援を受けながら、少年は騎士の行動を予測していく。
あの弾幕を生き抜いたのならば、張られているのは物理障壁。そしてまだ煙は晴れ切っておらず、視界が悪い。ならば、
「まとめて煙ごと叩っ斬る」
居合に構えたのは刻印一つの普通の氷刃。抜き去り、刃が外気に触れると同時。刻印の数を三つに増やすことで、剣を巨大なものへと変える。10m近い刀身は溢れた煙を風圧で払い、道の端から端までを斬り通るのには十分な大きさだった。
「そこ……」
振り切る直前、ガツンと刀身に何かがぶつかった感触が。騎士が剣で大氷刃を防いだ場所が、そこという事だろう。晴れてきた煙の中、見えた鎧に確信を持ち、そこへ向かう。
「じゃない」
「じゃねえよ」
煙が晴れ切った視界に映る、鎧を着た土人形に己の間違いを悟った仁があげた声と、右隣の建物の壁を斬り倒し、上半身の鎧をつけずにインナー姿で飛び出してきたジルハードの声が重なった。
「ぐっ……!」
「てめえ、本当に油断ならねえよ。だからこそ、油断せずに済んだんだけどな」
斬りかかってきたジルハードの姿は、それはそれは酷いものだった。顔を始めとして全身に火傷を負い、爆発の際に破片でも刺さったのか、右の肩は血がべっとりだ。すぐに姿を現さなかったのは、治癒魔法をかけていたからだろう。
「それにそこの雑魚ども。さっきは痛え鉛玉一発くれやがってありがとよ。おかげで耳飾りには大きすぎる穴が空いちまった」
障壁の展開前に銃弾が貫通したらしく、耳たぶにはぽっかりと穴も空いている。しかし、銃弾による負傷はどうやらそれだけのようだ。
「だがな、もう食らわねえ。宣言してやる。俺は物理障壁を張ってるってな」
彼の宣言が本当なら、爆発魔法もないが銃による支援も望めない。だが、それでいい。どちらか分からない障壁より、物理だと分かっている方がやりやすい。仁は鉄剣を地面に投げ捨て、氷の双剣を錬成して構える。
「だから、存分に斬り合おうか。桜義 仁」
剣が、振るわれる。首に刃が減り込む寸前に二刀で受け止め、『限壊』で一気に押し返す。
「一体全体、どういう仕組みか分からねえ。分からねえが、何度もそれを使えるのは危険だ。やばい芽ってのは、後顧の憂を断つために積まなきゃなんねぇ」
瞬きより早く距離を詰めて振り下ろされた仁の剣は、まるで予報されていたかのように受け流された。ならばと伸ばした三本の氷刃も、炎の壁を前に燃え落ちる。
「それに、てめえは個人的に今すぐ殺してやりたい」
右手の剣の攻撃の予備動作のフェイントに引っかかり、仁は大きな隙を晒してしまう。ジルハードはそこを逃さないと、深い憎しみと共に本命の左手を振るう。
「奇遇だな。俺も、お前をこの場で殺さねえと、って思ってるよ」
(ぼ、僕も……お前が許せない……!)
しかし、フェイントに引っかかって隙を突かれても、『限壊』なら間に合う。釣られて大きく崩れた身体を無理矢理立て直し、ジルハードの左手の剣を弾き返して反撃を叩き込む。
それからのボロボロの二人の斬り合いは、全くの互角。
「こいつ……!引っかけても隙がねえ!」
ジルハードが仕掛けたフェイントに、初心者の仁は非常によく引っかかる。そしてその隙を的確に突いた上でようやく、五分に打ち合える。それ程までに、仁の身体能力はおかしかった。
「……スペック、では圧倒……してんのに!」
(押し切れないってどういう事さ!)
倍近い速さで剣を振るい、氷の刻印を三つ重ねた攻撃をして尚、ジルハードに致命傷を与える事ができない。古い『限壊』とは一線を画す強さであるはずなのに、ジルハードは対応してくるのだ。
例えるなら、古い『限壊』は160kmのストレートを投げているだけ。熟達したバッターなら、打ち返す事は十分に可能だろう。
しかし、新しい『限壊』は訳が違う。球速は150kmと遅めだが、バットがボールを打ち返した瞬間に、新しいストレートをピッチャーが投げているようなものだ。普通に考えて打ち返せる訳がない。
それを打ち返し続け、フェイントを混ぜ、岩どころか鉄を真っ二つに斬る重みと速さの剣を完璧に受け流して無効化し続ける。ジルハードの剣術は最早正気を疑うレベルだ。
幾年もの研鑽と強い意志による圧倒的な技術と、身体が壊れる代償と強い意志による圧倒的なスペックは拮抗していた。
「サルビア様並に厳しいっての!」
剣で傷がつくのは、ほとんどジルハードの身体のみ。さすがの彼でも、仁の身体に剣を届かせる事はそう多くはない。
「この速さ相手に!事実上の障壁無しは辛えよっ!」
せめて障壁を自由にできたのならば、素人の仁の動きを読みきって切り替えのタイミングを合わせて、活路を見出せたかもしれない。
だが、依然として向けられる銃口が、切り替えを許さない。仁を巻き込むから撃たないという甘い想定は、蓮達に足止めされた時に捨てた。
「がはっ!げぼっ!」
しかし、傷の数は仁の方が圧倒的に多い。剣を振るう度に身体が少しずつ壊れて、服に血が滲み、口からは血が溢れ出る。それを二重の治癒で治しているとは言っても、間に合う事はない。亀裂は蓄積されていくのだ。
かと言って長引けば長引くほど、仁だけが不利になるというわけではない。ずっと自分より速い剣を見事に捌いていたジルハードの動きが、綻び始めたのだ。傷が増え、騎士の身体に朱がどんどん増えていく。
振るう。振るう。振るう。銃口に囲まれた舞台の上で、偽『勇者』と騎士は剣を振るい続け、傷を負い続ける。
彼らの理由の、どちらかが間違っているわけではない。ただ、勝った方が正しくなるだけだ。
だから、軍人達は祈りを込めて銃を握り続ける。だから、騎士達は忌み子を殺し続ける。だから、仁とジルハードは戦い続ける。
『限壊・新型』
初代『限壊』の継戦能力の低さに見切りをつけ、仁が四兄弟のアドバイスによって思い付いた新型の『限壊』。
身体強化の刻印を一つに絞り、肉体の限界ではなく魔法の限界にて発動させる。代わりに治癒の刻印を二つに増やし、壊しながら治し続ける。初代より膂力や速さは大幅に落ちるが、その分負担は軽くなり、長時間の戦闘が可能になった。
膂力と速さも落ちたとはいえ、それでも充分に肉体の限界を超えている。なにせ、通常の強化の倍から数倍。故に初心者の仁が使用した場合でも、並の騎士なら受けれて数撃、達人クラスのジルハードですら互角に打ち合えるにまでなる。なってしまう。
負担も軽くはなったものの、未だ重過ぎるくらいに重い。治る速度よりも壊れる速度の方が早く、戦えば戦うほど皮膚に肉割れのような亀裂が走り、筋肉は張り裂け、骨は砕けていく。長時間の使用は重大な後遺症を残し、最悪の場合は死に至ってもおかしくはない。
代償はそれだけにとどまらない。強化で一つ、治癒で二つで計三つの身体魔法を刻印で発動しているのだ。刻印の代償の黒点は三重の速さで広がっていくだろうし、何より崩壊と無茶な速さの再生の繰り返しに、身体が追いつかない。使い続ければいずれ必ず、ガタがくる。常人より先に手脚は衰えるだろうし、寿命だって縮むだろう。
更に、いくら治しながら戦うとはいっても、治るまでの痛みはあるのだ。治せずにあふれた傷の痛みは続くのだ。刻印の多重発動の痛みもあるのだ。常人なら、二度目はない。できやしない。そもそも枠が足らなくて発動できない。多重人格による痛覚分配と擬似的な魔法枠の増加があって初めて、実用可能になる無茶苦茶すぎる使い方なのだ。
己の未来を削り、誰かの未来を守ろうとする。「全部を守りたい」。志だけは馬鹿みたいに高い、剣の初心者が剣の達人達と殺しあう為に必死になって考えた、桜義 仁だけの戦い方だった。




