第76話 犠牲と優先順位
刻印を持たぬ一般兵から向けられた、今は火を噴かない銃口は応援であり、処刑道具でもある。騎士達が魔法障壁に切り替えたのなら、一斉に引き金が引かれることだろう。最前線で戦う刻印持ちを巻き込んで、火を噴くのだろう。
だから、銃口は騎士達の障壁を固定する応援であり、最大のチャンスに堅達の命を奪う処刑道具なのだ。
非道だが仕方がない。こうするしかない。
この街はそうして生きてきた。より多くの為に、少ない犠牲を積み上げてきた。積み重なった犠牲はいつしか、膨大となると分かっていながらもずっと。
だって日本人は、弱かったから。
堅は後ろの銃口に怯えながら、目の前の敵と戦い続ける。その時は仕方がないのだと言い聞かせて、果敢に勇敢に。
でも。
「下がってろ!」
騎士に腕を深く斬られて、うずくまった若い軍人を弾き飛ばして入れ替わる。振り下ろされた鉄剣に、防弾シールドをかざしてガード。7kgはある盾だが、強化を得た今なら容易く振り回す事が出来た。
「俺がやる!」
でも、救える命は救いたかった。
「……お前達には、借りがある」
刻印を右手、盾を左手に、堅は目の前の騎士と向かい合う。その目に映るのは助けたいという正義と、殺したいという憎しみの二つの色。
「奇遇だな。私達もついさっき借りができた」
ジルハードとは別行動を取った騎士四人と戦闘になってから、僅か10分程経ってからの事だった。
仁からの言伝を聞いた柊は、街の放棄の為の時間稼ぎの作戦から騎士の殲滅へと路線を変更。こちらの損耗もほとんど考えず、ただ殺す為だけの指揮を執っていたのだが、
「僅かに劣勢。だが、十分に巻き返しはきく」
現在の戦況は非常に微妙であると、柊は盾の裏から見る。犠牲者の数で見るならば、騎士側は仁に脚を穿たれて動けなかった男が一人。日本人側は、刻印が無い者も含めて数十人から百人以上と大敗。
「数は単純に力だ。少なければ少ない程、取れる戦い方は狭まっていく」
騎士達は最初、負傷者を守る為に陣形を組んで戦っていた。だが、日本人の数が多すぎた。
「……だと思っていたが、あいつらは本当に規格外だ。十倍の数でも押し潰せなかった」
一度剣を振るって一人を倒そうとすれば、十の氷刃が押し寄せてくる。こうなれば、騎士は防御に回らざるを得ない。物理障壁を解けば銃口が牙を剥く為、剣と魔法で防ぐしかない。そしてその魔法も、傷ついた騎士一人を中心とした狭い陣形内の仲間を巻き込まないよう、注意して撃たなければならない。殲滅力のある魔法なんて以ての外。
「足手まといをわざと守らせ、無事な奴らを新たな足手まといへと落とす。そのつもりだったが、やられたな」
怪我人のマークを守りながら戦えば、騎士達は負けていた。傷の深さから彼の戦線の復帰もすぐには難しい。その事を誰もが分かっていたから、マークは日本人の隊列に突っ込んで自爆した。刻印持ちを数人、道連れにしてわざと死んだ。
「元より、個人の強さは比べるまでもない」
騎士達の眼の色が変わったのは、それからだった。マークという足枷がなくなった彼らは縦横無尽に戦場を駆け回り、日本人達を翻弄し始める。いくら軍人で身体を鍛えているとはいえど、魔法に関しては初心者だ。すぐに使いこなせる者は少なく、剣と戦場に生きてきた騎士達とまともに戦えば塵だった。
「足手まといがいなくなれば、こうなる事は分かっていた」
戦況は一転し、日本人側が不利に。数十人の刻印持ちvs三人の騎士の数の差は、少しずつ減っていく。戦闘とは関係ない赤い光を、人を斬りながら空に打ち上げる余裕があるくらい差があった。騎士達に増援が来れば、一瞬で戦線は崩壊するだろう。
「赤い光が増援だとするならば……まだ決まったわけではないが、これは」
仁が負けたという情報は既に入ってきている。柊はできる限りを逃す延命に取り掛かる事も、再び視野に入れ始める。
「ここだけなら勝てるかもしれんが、全体で勝たねば意味がない」
しかし、塵は狂気と勇気によって積もり始めていた。
「いえ、自分も!守りたいものがあるんです!」
堅が庇った軍人は、命の恩人の言うことを無視して戦場に残った。
「待て!その傷じゃ!」
深く斬られた腕は血を流すだけで、持ち主の言うことを聞きやしない。片腕が動かない素人なんて、命を一瞬で奪われる肉の壁にしかなれないだろう。はっきり言って、戦いにおいては守る手間のかかる足手まとい。
「ご武運を」
だが、誰もが彼を守らなければ。足手まといではなくなる。
「待っ!」
若い男の無事な腕での敬礼を、堅は目の前の敵から目を離して、見ていた。何かを決心し、震えないように固く結んだ唇が、震えていた敬礼が、目に焼きついて離れなかった。
「堅っ!前を見ろ!」
「……っ!」
戦場を一番よく見ている柊の怒号に、堅も歯を食い縛る。敵を前に視線を外すなど言語道断としての「前」でもあり、犠牲で出来た道の後ろを見るなの「前」でもある、二重の声かけだ。
戻した視線の先で騎士も、余所見をしていた。いや、負傷して退くと思った若い軍人が突っ込んできたことに、視線を外さざるを得なかった。
騎士は咄嗟に創った小さな火の玉を飛ばし、若い兵士の動きを止めようとする。
「あああああああああああああ!!」
だが、止まらない。使い物にならなくなった腕を盾代わりに火の玉にぶつけてリサイクルし、彼は突き進む。じゅわぁと不味そうに燃え始めた肉の香りが、堅の鼻に鋭く刺さった。
こうするしかない。
無謀な特攻に後ろから追随して、堅は思う。自分達は弱く、非力だ。だから犠牲を払って、強者を倒すしかない。
若い軍人が振った氷の刀は、騎士の剣技によってあっさりと砕かれた。トドメの一撃として宙に浮かんだ炎の槍の穂先は、今にも彼を貫きそうだ。
こうするしかない。
頭の中で声がする。けど、脳みそは目の前の光景に全てを奪われていた。今、斬り込めば間違いなく、若い軍人に釘付けの騎士を殺せる。憎たらしい、家族を殺した奴らの仇が殺れる。脅威である三人の内を一人を、削ぐことができる。
「っ……!」
強化で、踏み込んだ。たった一人の、かけがえのない命を犠牲にした絶好のチャンスを、逃してはいけない。
こうするしかない。こうするしかない。こうするしか
「……うるっせえよっ!また、何かを犠牲になんて、してたまるかあああああああああああ!」
頭の声を振り払い、溢れ出たのは本心。コックピットの中で感じた、いつかの後悔。その想いは加速した身体を強引に捻らせ、敵の殺害ではなく味方を守る進行方向へと変更させる。
「堅っ!」
驚いたような司令の声が、鼓膜から通り抜けて行った。彼が本当に街の事を考えているのは、堅も知っているし分かっている。それでも俺はもう見捨てたくないと、堅は炎の槍の前に盾をかざした。
「ぐううううう!」
衝撃で槍は弾け、盾は大きく凹んで歪む。端から防ぎれなかった炎が服を焦がして肌を焼く。だがそれでも、本体は防いだ。
「な、なんで?」
腕が燃えている軍人の、戸惑うような声。何故、自分が命を賭して作ったチャンスを無駄にしたのかという思いが込められたその問いに、堅は大きく熱い息を吸い込み、
「俺も、取れるものは」
使い物にならなくなった盾を騎士に投げ捨てて、叫ぶ。
「全部取る主義なんだよ!」
堅は絶好のチャンスを、救うだけで無駄にしようとは思っていなかった。仲間の命も仇も、どちらも取ろうとついさっき決めた。
「…」
決意を知らしめる為、一人の男の声が戦場に轟く。それを聞いた柊の顔に雷鳴のごとく走った歪みは、誰にも見られる事なくすぐに消えた。
「馬鹿者!無理だっ!」
代わりに浮かんだのは、堅の無謀を止めようする焦り。そう、堅が一つの命を救った寄り道の間に、騎士はある程度態勢を立て直していたのだ。
助けなかったら、騎士はもう死んでいただろう。だけど堅は助けてしまったから、確実に殺せる状況から、少し有利なだけの状況へと変わってしまった。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
裂帛。防ぐ手段の盾を失った堅は、それでもまだ進む。ここで撤退したら、自分が助けた事が間違いになってしまうから。若い軍人の決死の覚悟を、踏み躙ってしまうから。
「仕、留、める!」
右手に氷刃を伸ばし、剣をようやく構えた騎士へと斬りかかる。しかし、悲しいかな。剣術においてズブの素人の堅の斬撃は、有利な状況でも鉄剣で受け止められてしまう程度のもの。
「分かってんだよ!」
だが、自分が素人である事くらい堅も分かっていた。殺すつもりで放った一撃だったが、受け止められるかもしれない事なんて、分かっていた。
だから堅は、次を用意していた。
「なっ!」
氷刃をすぐさま見捨て、更に前進して懐に入り込んできた堅に騎士の顔が驚愕に歪む。そして驚きとは、戦闘において致命的な隙を作り出すものだ。
「ぬっ……おおおおおおおおおおおおおおおおお!」
甲冑に包まれた騎士の腕を掴み、引き寄せる。背中が鎧で押し潰されそうになるのを堪えて、強化で更に力を引き出し、堅は騎士を投げ飛ばした。
確かに堅は剣術の心得が全くない。だが体術ならずっと、軍人になってから磨いていた。その技の冴えと、今までの犠牲が積み重ねた騎士の疲労。そして予想外の攻撃方法による驚きが合わさり、それはとても綺麗な一本背負が決まった。
「がはっ」
背中から地面に叩きつけられた騎士は口から空気を噴き出し、がくんと全身を脱力させる。地面に亀裂が走る程の勢いだ。しばらく動けるものではない。
「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
騎士に勝利した堅に、銃口を待機していた軍人達から爆発したような歓声が上がる。その大きさは一瞬、堅がついに発砲されたかと勘違いしてしまうほどだった。
「いっつ……」
賞賛に浸る間もなく、痛みが勝者を襲った。背中に鎧が食い込んだ時に皮膚を突き破ったのだろう。背骨の辺りが焼けるように痛い。手首も少し捻っている。
「ちょっと、力出し過ぎた……」
負傷はそれだけに留まらない。初心者故か、それとも感情の昂り故か。強化の加減を間違えたらしく、全身にビリビリと電流が流れているようだった。
「待ってろ……今すぐ、炎を消してやる」
「……し、死に損なっちゃいました。ありがとう、ございます……」
「ああ。いくらでも死に損なえ。どんどん生きて儲けろ」
だが、立ち止まるわけにはいかなかった。目の前で腕が焦げている仲間に水をかけようと、堅は腰のポーチから水筒を取り出し、
「あっ!う、後ろ!」
「っ!?」
若い軍人の切羽詰まった声と目線に釣られて振り向いて、その理由を知った。
「なんで!」
轟々と燃え盛る炎の槍が、宙に浮いている。否、既に発射されていた。振り返った瞬間、堅が捉えた一コマで、浮いていたように見えただけ。
「こいつ、まだ意識が」
四肢が千切れていようと、意識と魔力があれば魔法は発動できる。魔法に詳しくないが故、その事に対する堅の認識は非常に甘かった。気絶したと思って、トドメを刺すのを後回しにしていたのが、悪かった。
「……すいません!」
ぐいっと、ろくに動かせない身体が引き寄せられ、地面に倒れ込んだ。堅が理解できたのは、先ほど死に損なった軍人が堅の腕を引き、身代わりとして炎の槍の前に身を晒した事だけ。
「やめっ」
叫ぶ声は、間に合わない。
「堅さん、さすがだよ」
「貴方の勇気も、すごい。見習いたい」
けれど、仁は間に合った。
時は少し遡り、シオンに見送られた直後。
「僕、ジルハードはどこにいると思う?」
「僕にも分からないや。ただ、さっきの場所ではないね」
目標である男の居場所の問いかけに、同じ口で答えが返される。
蓮達が足止めの為に残ったが、時間的と戦力的に考え、ジルハードはもう彼らを殺し切って移動していると見ていいだろう。むしろ仁が逃げれるだけの時間を確保出来ただけでも、十分に奇跡とも言えるくらいなのだ。
「けど、分からないなら釣ればいいんじゃないかな」
ならばと考えたのは、ジルハードの所に自分達が向かうのではなく、自分達のいる所にジルハードを釣る作戦。彼は仁の事を殺したがっていた。居場所が分かれば、餌を見つけた鳥のように飛んでくる事だろう。
「そうだな。何も中にいる敵はジルハードだけじゃない」
「うん。行こうか。もう一つの戦場へ」
ついさっき赤い光が上がった場所へと、仁は脚を向けた。
こうして、ジルハードとは別に動いていた騎士達の元へと来た結果、今に至る。
「助けられて良かった」
赤い光の上がった方角へと、脚を治しつつひたすらに屋根の上を走った結果、二人には間に合った。
「けど、遅くなって、ごめんなさい」
「食い止めてくれてて、ありがとうございます」
それでも今この場に転がる骸達には、間に合わなかった。謝罪と感謝を手向けとして送り、仁は深々と頭を下げる。
「あ、いや」
「待ってておくれ」
声をかけようとした堅に首を振って話している暇はないと語り、両手に氷の刃を錬成。
「今から、終わらせる」
そして、仁はねっとりとしたものがこびり付いた氷の靴を外し、騎士の頭があった場所から駆け出した。
「………仁?」
今しがた自分達を助けた少年の方法を疑うように、堅は目をパチクリとさせる。
仁が堅と軍人を助けた方法は至極簡単。屋根の上から飛び降りての移動中、空中から伸ばした氷尾で炎の槍を打ち消し、着地の際に氷の靴を履いた脚で騎士の頭を踏み潰した。追撃も防御もさせる間もなく、躊躇いもなく。
意識と魔力さえあれば魔法を撃てる騎士への対処は、それが正しいのだろう。だがそれでも、人を殺した直後に何の反応も示さない彼は、堅の知る仁からは酷くかけ離れていた。
「……なにが、あった?」
魔法を撃ち込まれそうになった軍人を庇い、騎士と斬り合いを始めた少年の姿を、動けない堅はただ、見守る事しかできなかった。
「貴様!」
あわや軍人の胸を剣が貫くその瞬間。乱入してきた仁に向けられたのは、騎士の激しい恨みの目だった。
「分かるよ。仲間を殺されるのは、辛いよね」
トドメを刺す事を妨害された恨みではなく、仲間を殺された殺意の籠った視線に僕はうんうんと頷き、心の底から同意してみせる。
「戦場では仕方がない事は分かっている!だが、その態度は!」
「煽っているつもりはない。俺は本気で……」
けれど、そんな仁の態度はまるで煽っているようにしか見えなかった。激昂した騎士の剣を氷の三重発動で受け止めつつ、俺は彼の怒りを否定する。
「お前らに仲間を殺された時、辛かったよ」
「!?」
新しい『限壊』を発動させた仁は、騎士の裏へと回りこむ。いきなりの速度差に、騎士は置いてけぼり。対処なんて、できやしなかった。
当たり前だ。シオンに並ぶ程の剣術を持つジルハードでやっと受け止められるレベルの速さを、彼ほど強くない騎士達に止められる道理が無い。
「だから俺は、これ以上あの辛さを味わいたくない」
脳内から僕の声が消えた。代わりにわんわん泣き喚くのは、代償による頭痛の声。だが、戦闘を止めるほどではない。むしろ、戦いへと仁を向かわせるような音だ。
「その為には、お前らを無力化しなければならない」
「がっ!」
大きく振りかぶった大上段の一撃に、騎士は前へと飛んで回避しようとするが間に合わず。限界を超えた力は彼の鎧をバターのように切り裂き、肩から腹の辺りまで剣を深く減り込ませ、勝負を決めた。
「さっきは、脚を奪えばいいかなって思ってた。けど、それじゃ足りないんだよ」
びくんびくんと震えて崩れながら、振り向いた騎士の目には、まだ光があった。その光は仁だけでも道連れにと魔力を集めて束ね、土の槍を生み出した。
「今みたいに生きてさえいれば、脅威になってしまう。魔法が使えない、日本人よりずっと脅威だ」
だが、彼の土槍が仁に届く事はない。いつかのオーガのように氷刃を爆発的に増殖させて、騎士の体内を食い荒らしたから。
「だから、ごめんなさい」
増殖させた牙の部分を切り離し、元の大きさとなった剣をずるりと引き抜く。今度こそ騎士が絶命した事を確認してから、謝った。
生きていれば、騎士達はまた仁の大切な誰かを殺す。実際、仁が命を奪うのに躊躇い、脚に氷の尾を突き刺しただけのマークは、何人もの軍人を道連れにした。あの時トドメを刺していれば、彼らが死ぬ事はなかったかもしれない。
今は知らなくとも、彼らは仁が殺したのだ。
(助けて……!)
(人殺し!)
(みんなを、救ってくれ)
仁の耳にはずっと、声がしている。わんわん泣き喚く頭痛の声だ。それは、少年が殺したみんなの声。
「分かってる」
その声をこれ以上増やさない為に、仁は剣を振るい、人を殺す。そこに躊躇が無いように、必死に自分の心も殺す。もしも躊躇ってしまえば、大切な誰かが代わりに死んでしまうから。
「俺はお前達が憎い。この街の人達を助けたい。お前達も、同じだろう?俺が憎くて、仲間を助けたかった」
何事にも優先順位がある。当然、それは命の価値にもだ。だから仁は選んだ。そして、これからも選び続けていく。皆、同じ。仁もジルハードもシオンもティアモもメリアも柊も堅も蓮も皆、選んで生きてきて、これからも選び続ける。
「相手の大切が憎くて、相手の憎いものが守りたいなら、戦うしかない」
だから人は、愚かにも争い続ける。大切な、譲れぬ何かを守る為。
「次はお前だ」
街の人間より大切でない、残る最後の騎士へと仁は鋒を向けた。
『一応極秘・とある女医の報告書』
柊司令へ。依頼されていた桜義 仁の入院中の観察と、シオンちゃんから聞いた話をまとめといたよ。
桜義 仁という人間の精神はもう、常人とはかけ離れてしまっている。善悪の区別も常識的だ。人との会話も普通にできるし、感受性も平均の域にある。街の人間も「顔は怖いし、シオンのおまけだとは思うが、優しい人だ」と言っていたね。この通り、多くの点は常人と変わらない。
でもね、私から見れば彼は異常の塊そのものだ。シオンや周囲を心配させまいと、常人を演じようとしているだけ。よほど近い人間か、じっくり観察しないか気付けないだろうね。
まず第一に、街に来る以前より、多重人格を患っている。完璧な共存であり、仲も良いため患うという表現は適切ではないかも知れないが、彼の精神が耐えられずに盾を作り出した事実に変わりはない。軍の人間の多くが受け入れているが、本来なら異常だよ?うちのみんなもちょっとおかしくなってる。
ま、これに関しては基本的に放置でいいと思うけれど、今後第三、第四の人格が産まれないかだけは注意すべきだね。新しい仁が協力的じゃない可能性は十分にある。例えばそうだな。消えたように見えた、彼の己一人が生きたいという欲望そのもの人格とか。
第二と第三の異常はまぁまとめて、幻覚と幻聴だね。本人は隠してるつもりだし、シオンちゃんくらいしか気付いてない。私自身半信半疑で、シオンちゃんから相談を受けてようやく確信に変わったくらいだ。
話したがらない過去を詮索するつもりはないけど、これまたシオンちゃんの話からの推測。幻覚と幻聴の種類は酔馬や見殺しにした街の人々、そして学校のみんなや先生に両親によって構成されているみたいだ。ただ、私もシオンちゃんも、仁が見聞きしている幻を同じように体験できはしない。仁がよくうなされている理由が彼らだからという、実にあやふやな根拠によるものだ。
だがね。この推測は当たっていると個人的に進言しておくよ。おそらくだが、彼は元から責任感の強い性格だ。強いが故に、抱えきれないほど多くのものを背負ってしまう。でもね。人には限度ってものがあるだろう?抱えきれないほどを無理して抱え込んでいたら、いつか弾け飛んでしまうものなのさ。そして、なまじ責任感強いだけに、そのことで自分を責め立てる。仁の場合、それで多重人格を産み出してしまうくらいにね。
何が言いたいかって、髪に呟いているころだろう。ああ、髪は紙の誤字だけどわざとだ。
ま、彼の責任感が幻覚と幻聴を創っているってことだ。要は自分で自分を苦しめてる。自分の罪を忘れないように、罪人だと常々思うように、罰として。
さぁ、長くなったがついに結論だ。危惧していた、彼が再度裏切る可能性は無いに等しいと言っていい。幻覚や幻聴を見るほど責任を感じているんだ。裏切るなんて、とてもじゃないが無理だろう。むしろ彼は今、人を守りたくて守りたくて守りたくて仕方がないんじゃないかな。そしてその為に傷付く事を望んでいる節すらある。良かったね。いくら無茶を強いても、それが守る為になるなら彼は喜んで無茶をするだろうさ。
しかし先述の通り、現在の人格二つのみに限るがね。監視と観察は、今後も私が主治医としてひっそり行っておくよ。
とはいえこの責任感と幻覚幻聴は、彼にとって諸刃の剣だ。扱いは難しいが、場合によっては非常に頼もしいものになる。
敵に向く刃としては、彼が強さを求める所以が自責と後悔にあるからだね。彼は街の人間を見殺しにした罪を背負っている。助けられなかった後悔がある。故に、彼は贖罪の為に街の人間を無条件で救おうとし、今度こそ助けようと思っている。その為に彼は、狂ってでも自分を追い込んで強くなろうとするだろうさ。
いやぁ、今後の成長に実に期待できる。いつだって身を削って戦う、傷だらけのヒーローや『勇者』は美談になりやすい。人を集めて動かすシンボルにはピッタリだ。
じゃ、良い話はこの辺で。次は私達の方を向いている悪い刃の話をしよう。抱え込み過ぎた精神の末路と、その結果だ。
はっきり言って、彼はもういつ限界を迎えてもおかしくはない。既に壊れていると言っていい精神状態なのに、これ以上の犠牲による責任感は彼の精神そのものの崩壊に繋がりかねないだろうさ。ま、どれだけ気を使っても犠牲は避けられないだろうから、これに関しては対処療法でなんとかするしかない。
その療法は彼の心を支えることだ。この辺は堅や環菜に桃田に楓、蓮に五つ子亭のみんなに、彼と普通に多く接してほしいと伝えとくかな。
この対処しかないけれど、正直言うとこれも諸刃の剣なんだよなぁ。彼を慕う人との接触は癒しになる。でも、人を守れなかった、見殺しにしてた彼からすれば、それを知らない分からない人との会話は膿んだ傷口に塩を塗るような行いでもある。あまり褒め称えたり賞賛したりはしないようにとも、それとなく伝えとくべきかな。
で、彼が望む痛みの鞭の部分は、あんたが請け負ってくれ。情に流されて甘やかすんじゃないよ?甘やかしていいのは、彼が甘えたいと望んだ時だけだ。対処を間違えた先に何があるかは、分かるだろう?罪悪感による、自滅特攻だ。
それが私達の問題を一気に解決してくれる自爆特攻なら、いいけどね。そんな都合のいいもんがあるわけない。精々街の寿命を数日延ばす程度の特攻で、大事なシンボルにして戦力になりそうな若い少年の人生を無駄にさせないよう、しっかり演じきりな。
「ま、こんなもんでいいかな。文体が酷過ぎるだの髪の下りは不要だろうだの言われるだろうけど、うん。直すのめんどいし、時間かかるし」
再生紙に記された出来立てホヤホヤの報告書に目を通し、『始末済』と書かれた箱に放り込む。彼女は医者ではあるが、何も腹を切ったり診察するだけが仕事じゃない。街を治す為には、これも必要な治療行為なのだ。まぁめんどいと彼女は思うが、仕方ない。
「ったく。監視兼飴の癖に死にやがって。馬鹿のせいで余計な仕事が増えた」
疲れたと机に突っ伏し、飾られた毒花を突つきながら愚痴る。応える声なんてない。死人に口なしとはよく言ったものだ。
「司令も私に任すかねぇ。確かに立場的には適任だけどさぁ……それにこういう精神の観察だとか、あんたも必要でしょうか本当は」
木にため息を押し付け、桜義 仁と同等に異常と思う上司に愚痴を重ねる。
「なんだろうねぇ。この街と住んでる人間守るには、一体どれだけの骸と異常者を積み上げればいいんだろうねぇ」
 




