第75話 戦いと抗い
「怪我人の手当てと警戒を続けて。この人は私が斬る」
先の斬り合いでティアモの大体の実力を測ったシオンは、軍人に下がるように命じる。
「……死んじゃダメだよ?シオンちゃん。私が仁に殺されちゃうし、みんな悲しむから」
いつもの彼女とはかけ離れた剣のように鋭い声に環菜は渋々頷き、励ましを残して、怪我人の救護へと壁の上を走って行った。
「心配してくれて、嬉しいな。で、なんで撤退したの?」
「撤退の命令を出したからだが?」
シオンは慣れない気遣いに表情を綻ばせ、自分に剣と殺気を向ける綺麗な顔へ問いかける。帰ってきた答えは、全く答える気がないものだった。
考えられる範囲としては、一旦退いて立て直してから再突入か、この入り口は攻めるのに犠牲が大きすぎると別の入り口を探したか。もしくは、応援を待つつもりか。
どれにしろ、シオンが目の前の強者に足止めされている間に、他の騎士達が入り口を破る事は無くなった。日本人側にとってはありがたい選択肢に変わりはない。
「分かったわ。けど、戦う前に一つだけ教えてくれない?」
「答えられる範囲なら」
「私の父さんは、母さんは来てるの?それともこれは、グラジオラス騎士団単体の作戦?」
答えてもらえない質問を何度もかけるよりは、可能性のある質問に切り替えて情報を探ろうとする。敵数が約五十人と少なかったことから、別の誰か、それも父と母が率いる別働隊がいるのでは?と予測したのだ。
(来てたら、負ける)
二人がいるかいないかだけで、何もかもが変わってしまう。仮に来ているのならば、街を救おうとする仁には悪いが、全てを捨てて逃げるしかない。
仁が壁内を相手取り、シオンが敵の団長を含めた騎士団全員を相手取る。既にどちらも手一杯ではあるが、軍を合わせれば何とか手中には収められていた。しかしそこに父か母が放り込まれれば、手の内から溢れる事は間違いない。
ただ戦況以外にも、単に両親がこの場にいるのか気になったのも、少しだけあるのだけれど。
「例え拷問されようと家族は家族、か」
「勘違いしないで。私は両親が嫌い」
懐かしいどこかを見るような目つきに変わったティアモの知った口振りを、シオンは即座に訂正を断言する。
「みんな、父さんや母さんみたいな仕打ちをしてくるから、それが普通だって勘違いしてて分からなかっただけ。今ははっきり言えるわ」
あの頃は、忌み子の自分に向けられるのは悪感情ばかりだと思っていた。だから、彼らの拷問は至って正常で、忌み子の自分が悪いと純粋な子供は考えた。
「ここのみんなは優しかった。両親が私に酷い事をしてたって教えてくれた」
「それは世界が違うから、忌み子が当たり前だからだろう。彼ら本人の気質に関係する事ではない。君の両親だって私達には」
「そんなの、分かってる。私の両親が普通の人には優しい事も。世界が変われば、仁達だって私を嫌うかもしれない事も」
世界が違えば文化も変わる。だから仁達がシオンを嫌わなかったのは、分かっている。仮に彼らが忌み子でなくて、シオンの世界で生きていたら、自分に優しくしないであろうことも分かっている。自分に酷い事をする人間が、酷い人間でない事もシオンは分かっている。中にはラガムのように、見直して態度を改めてくれる人間がいるのも分かっている。
「それでも、日本人は私に優しくしてくれた。私と一緒に、ご飯を食べてくれる人がいた。私の話を笑ってくれる人がいた。私を心配してくれる人がいた。私にありがとうを言ってくれる人が、たくさんいた」
思い出す。普通の人間が日常で受け取れる、普段は気づかない、意識もしない幸福をシオンにくれた人達の事を。その幸福を持たず、飢えていた時期を。
シオンの人生は18年とまだ短く、仁と一緒になった時間はもっと短い。だが、剣を振る時に頭に浮かぶのは、その「もっと短い」幸せな情景ばかり。
「……」
人の普通を味わえなかった忌み子の少女の本当に楽しそうな思い出し笑いに、ティアモはぎゅっと口を噤む。己が斬った者達の罪悪感に、耐えているのだろうか。
「間違えた私を守ってくれた人がいた。こんな私を好きだって、言ってくれた人がいた。この世界は、私に普通に生きていいって言ってくれたの」
言葉は続く。世界はシオンを嫌い、最も身近で味方のはずの父と母も、彼女たちを殺そうとした。だが、この世界は赤の他人でさえ普通に接してくれる。中には命を捨てて守ってもらった事も、好きだと言われた事もある。
悲しいばかりの前の世界では、色々な種類の感情は分からなかった。嬉しさも悲しさも、シオンにとっては新鮮なものだった。
「例え世界が違えば彼らが私を嫌おうとも、そんな違う世界の彼らを私は知らないの。私が知るのは、こんな私にも優しくしてくれた彼らだけ。ここは絶対に何があっても変わらないし、譲らない」
仁の告白の時にも使った、自分が認識できる範囲こそ真実だと言う理論をシオンはまた振るう。他者に否定されようと、この理論だけは決して揺るがぬものだった。
「だから私は、この世界を守るわ。剣を振るい、この身が血に汚れても、この身が傷つこうとも、私は私の世界を守る。もちろん、あなたを斬り殺してでも、守り切ってみせる」
故に少女は、己が育った世界を捨てた。自分を受け入れてくれた違う世界を、己が世界と見定めた。その世界を守りたいと自分が願った。剣を振るう理由など、人を殺して十字架を背負う理由など、それで十分だった。
「……貴殿の質問には答えよう。ただその前に、こちらからも聞かせて欲しい」
「答えられる範囲ならいいわよ」
「戦う理由は分かった。だが、何故抗う?」
ずっと黙って聞いていたティアモが口を開き、訪ねてきたのは戦いの理由ではなく、抗う理由。
「抗う?」
「貴殿の戦いの勝利の先にあるのは、『魔女』と『魔神』の復活による滅びだ。私達に滅ぼされるか、黒き者共に滅ぼされるか、どちらも変わらないと思うのだ」
例えシオンが街を守り切ろうとも、いずれ来る『魔女』と『魔神』の復活や蹂躙を防げるとは思えない。日本人がいる限り、彼らは復活する。何度でも何度でも。それこそ日本人が滅ぶまで永遠に。
なのに何故、抗い続けるのか。得た勝利の先に世界の滅びしかなくとも何故諦めないのかを、ティアモは問うた。
「私達に黙って滅びろって言うの?精一杯生きてる人達がこんなにいるのに?」
それはまるで、どうせ滅びるなら抗うのをやめ、忌み子達だけで死んでくれと聞こえた。
「ま、待て!言い方が悪かった!貴殿らは滅びを回避する方法を、『魔神』と『魔女』の復活を防ぐか、討ち滅ぼす算段があるのかと聞きたかったのだ!」
傲慢さに憤ったシオンを手をかざして止め、ティアモは誤解を解く。彼女が本当に聞きたかったのは、忌み子が勝った先で生き延びる術があるのかという事だった。
「どういうこと?あったとしたら、どうするの?」
違和感があった。今まで忌み子を虐殺してきた人間が、忌み子の心配をしているように見えたから。
「仮にその方法があり、忌み子の殲滅より確実性があると判断できるなら、停戦を」
しているように、ではない。この目の前の騎士は、本当に忌み子とは戦いたくないのだ。彼女の心と停戦の申し出にシオンは驚いた。
「悪いけど、期待には応えられない。戦うしかないわ」
でも、心から残念に思いつつも、今は手立てがない事を明かした。
「先も見えず希望も無いのに、抗うのだな」
「あら?希望はあるわ。まだ負けてないし、『魔女』と『魔神』は復活していないし、私達は滅んでもいない。今はなくとも、その時までには見つかるかもしれない。だから抗ってるの」
一般人を死に追いやるだけの抗いと知って落胆したティアモに、シオンは現状とこれから先の可能性を提示する。
「その方法が見つからなければ、全てが滅ぶ。だから私達は忌み子を殺そうとし、忌み子達は全てが滅ぶ日まで抗い続ける。私達は互いに傲慢で、愚かだな」
深く息を吐いたティアモが述べたのは、互いの理由の嘲りだった。
忌み子を滅ぼし、自分達だけが生き永らえようとするティアモ達。他の一般人をも滅びに巻き込む可能性を孕みつつも、生き永らえようと抗うシオン達。
先ほどシオンは「黙って死ね」と言われたと勘違いして怒った。しかし忌み子達もまた、ティアモ達に死の危険性を押し付けていたのだ。
どちらも何も変わらない。ただ己の大切な人達の為に、大切じゃない人達の屍を踏み台にしようとしている、傲慢で愚かな殺人者だ。
「君の父上と……母上は今は謹慎の身だ。大きな失敗をしてね。この戦場にはいないと、我が名に誓おう」
やはり情報を渡す事には躊躇いがあったのか、ティアモは途中で言葉に詰まってしまう。それでも最後まで言い切り、この場に彼らがいない事を貴族の中でも最も重い方法で誓ってくれた。
「ありがとう。あなたは優しいのね。これで、存分に戦えるわ」
先のやり取りを得て分かった事だが、ティアモは優しい。忌み子との戦いを避けられるのなら避けようと考えたり、己がしている事の愚かさと傲慢さを分かりつつも、大切な人の為に剣を振るい続けていたり。敵に情報を渡すなんてお人好しにも程がある。
「なぁに、冥土の土産だ。それに私は存外、貴殿の事が嫌いではない。仲間を殺された怒りはあれど、貴殿の目は良い」
どうやら目の前の騎士も、シオンの話に思うところがあったらしい。語り合った剣を振るう理由が似ているが故に、共感した。
「奇遇ね。私も。だから、残念」
これより先、きっと言葉は意味を成さない。二人は決して、折り合う事が出来ないからだ。
シオンが大切な人を守る為にティアモは邪魔で、ティアモが大切な人を守る為にはシオンが邪魔だった。どちらも譲らないのであれば斬り合い、弱き者が死に絶え、強き者が勝ち取るのみ。
「あなたはやっぱり優しくて、出来るなら斬りたくないから」
「さっきも言ったろう。私は優しくなどない」
殺意が解き放たれる数秒前に、シオンはくすりと笑う。今まで大勢の忌み子を虐殺し、これから殺し合いを始める相手に優しいと言った少女に、ティアモは首を振って否定する。
「ううん。優しいわ。だって冥土の土産じゃないんですもの」
死ぬのはあなただと、シオンはすらりと銀の剣を右手に、土の剣を左手に創り、構えた。
「ははっ!なら私も否定しよう。私は優しくない。なぜなら、本当に冥土の土産だからだ」
優しいと言い切った理由に笑ったティアモは、もう一度優しくないと断言して返す。その手に握られるのは美しい白の剣と、風を集めし無形の剣。
「グラジオラス騎士団団長、ティアモ・グラジオラス」
「忌み子、シオン・カランコエ」
これから殺す相手か、殺される相手の名を知れば、準備は終わりだ。緊張が高まり、反比例するように身体の芯は冷めていく。すっと、冷たい床に顔を押し付けるような感覚が、全身に広がっていく。
だが、心の芯だけは決して冷えはせず、燃え続けていた。
「しっ……!」
最初に動いたのはシオンだった。攻撃方法は何の捻りも無いが故に、彼女が持つ技の中で最も早い刺突。
「はやっ」
踏み込んだ瞬間、目先に迫る速度の魔法剣は非常に重く、この距離で急いで振るった剣で受けられるものではない。
ティアモに残された選択肢は死ぬか、避けるかの二つ。後者を選ぶのは当たり前でも、実行に移せるかは難しいところだ。そこらの騎士なら間違いなく、金属が喉を貫通して息絶える。
「しかし甘いな。まるで砂糖菓子だ」
いきなり近づいた目と鼻の先の刃に臆する事も驚く事もなく、ティアモは余裕を持ってシオンの刺突を後ろに回避。
「お残しはダメだと思うの」
だが、そのバックステップはさっきも見た。故に、シオンは先の手を打っていた。
空中で土の剣が僅かに震えた次の瞬間、ハリネズミのように刀身から長い棘が生まれ、ティアモを追跡する。着地前と意表を突いたこの引っ掛けは、魔法障壁でも張っていない限り対処は不可能だろう。シオンは手の中に肉の感触が伝わる未来を待つ。
「これで全部かな?」
「嘘……」
信じられなかった。意表を突いたと思った。なのに騎士は何の驚きも見せず、最初から分かっていたかのように、棘を全て切り落としたのだ。こんな芸当、サルビアでもないと出来やしない。
予想外の強さに動揺したシオンは、咄嗟に後退を選択する。
「おかわりはないのか。残念だ」
だが、その先には剣が置いてあった。否、下がろうとした場所に、追随してきたティアモが先回りするように風の剣を振りかざしたのだ。
シオンは木の義足の陣を切り、わざと着地に失敗して倒れる事で、身体を崩して刃の風から逃れる。表皮が薄く生ハムみたいにカットされるも、間一髪で躱す事は出来た。
だが、ここで終わりではないはず。傷をつけられた事から物理障壁を張っている事がばれ、身体のすぐ近くに魔法の剣が置いてあるこの状況を、強者が見逃すわけがない。
風魔法を弾けさせるか、刃を延長させるか。どちらかが来る。
「見えてるわよ!」
刹那の圧縮。吹き荒れる風刃が周囲に放出されたのを、予測していたシオンは寝転がったまま、土のドームを予め創成する事で全て受け止める。土の表面に傷がついたが、侵入は叶わない。
(今度はこっちの番)
暗闇の中、無傷な少女は土の槍を足元に創成し、いつでも打ち出せるように用意しておく。未だティアモの障壁の種類は分からないが、銀剣、土剣、土槍の三つで一気に崩そうと考えたのだ。
「予想されている事も、知っている」
しかしシオンがドームを解除するより早く、縦に光の亀裂が走った。
「はああああああああああああ!」
声と同時に姿を表して風魔法を向ける騎士へと、シオンは反射に近い速度で土槍を射出。同時、起きる為の勢い付けを兼ねて、両手の剣を縦に振るう。
「土槍の事も、その攻撃も」
だが、どれも届かなかった。銀剣はまるで軌道を読んでいたかのように的確に叩き落とされ、土槍も土剣も障壁で弾かれた。
「その脚から生やした木の槍もな」
「なんで!?」
魔法の枠の関係で遅れた物理判定の仕込み木の槍も、読まれていた。風の剣で、防がれた。
「私しか知らないはずなのに!」
仁でさえ知らないはずだった。魔法で創った義足の中に隠された、木を削って作った物理判定の槍だった。接ぎ木のように魔法の木で後押し、物理の部分が相手に刺さる、障壁を突き破る非常用の隠し玉だった。
「くっ……!」
どうしてかより、今はどうするかだ。シオンは頭を働かせて、
「今よ!撃って!」
軍人達に指示を出した。汚いかもしれないが、自分で敵わない以上、他の力を借りるしかない。綺麗な負けより汚い勝ちを取らねば、この街が滅ぶ。
少女の声を皮切りに、銃声達が一斉に轟く。その数マイナス暴発=の銃弾が、雨あられとティアモに襲い掛かる。
「だから、なんで……?」
しかし、その銃弾全てはティアモの身体ギリギリで全て止まり、地面にコロロンと虚しく無意味に転がり続ける。
「なんで、そんなに的確に対処が打てるの?」
銃声と無駄になった軽い音が溢れる世界で、立ち上がって斬りかかったシオンは騎士へと問う。
土槍を受け止めた時、ティアモは魔法障壁だった。しかし、銃を撃たれた時には既に、物理障壁に変わっていた。ギリギリ一秒くらいの間はあったが、そんな都合よく予測して変えられるものだろうか。
「分からない……!」
銃弾の雨の中、斬り結んで思う。シオンの方が剣の腕自体は上だ。そこまでの差はないが、こうまで一方的になるなんてあり得ない。
「先読みがすごすぎる!」
今もだ。引っ掛けをあっさりと見切って逆に利用し、シオンを追い詰めてくる。自分が攻撃の動作に移った瞬間にはもう、ティアモは対処の一手を打って状況を有利に傾けていく。
シオンが防戦に回った時は僅かな穴を突くように、非常に受けにくい斬撃を連発し、避けた先には既に罠が仕掛けられている。
それは仁の作戦にハマった時のような、ずっと掌の上で踊っているような、そんな感覚。
「……貴殿も凄まじいな。これ程までに私の攻撃を躱すのは、そういない」
掌の上で踊っていながら一撃たりとも食らわない少女に、ティアモは賞賛を鋒と共に贈る。その通りで、シオンも化け物である。先読みされているような攻防全てに、後出しで対応しているのだから。
「嘘言わないでよ……あなたのがどうかしてる!」
しかしそれでも、ティアモの戦い方には違和感があった。全てが偶然と割り切る事には都合が良すぎて、必然だとするならば、考えられない程の読みの的中率だった。まるで未来でも見てきたのか、全てを知っているような。
「……!?」
その比喩に辿り着いた時、シオンの中で数多の疑問と違和感がパズルのピースのように組み合わさり、一つの絵となった。
「まさか、そんな……だとしたら!?」
それは、最悪を超えた最悪への、地獄絵図へのカウントダウンの絵。
「どうした?」
その絵を見た衝撃は口をパクパクとさせるだけでは済まず、戦場で剣を取り落としそうになった。力の抜けた手から滑り落ちる寸前、咄嗟に本能が掴んでくれなければ剣を落とし、ティアモの斬撃をモロに食らっていただろう。
「これは驚いたな。気づいたのか」
しかし、そこから攻勢に出る余裕なんて、シオンにはなかった。自分の想定は騎士の口振りから確定となったから。それが及ぼす影響を想像すれば、どうすればいいのか、分からなくなってしまったから。
「だが、もう遅い」
「あっ」
カラランと、今度こそシオンは剣を落とした。ティアモの一撃に思わず手落とした訳でも、驚きで落とした訳でもない。
「あっぐっ!ううううぅ!」
理由は突然、全身に痛みが走ったから。一つなどではない。いくつも重なりあっていて、正確な数は分からない。でも、間違いなく数十の、剣を持つ事さえままならない激痛だった。
「さて、撤退した理由を教えようか」
うずくまって悶える自分にゆっくりと近づいてきたティアモの申し訳なさそうな顔を、涙に濡れた視界で捉えた。
「『黒膜』への攻撃を命じていた。これだけの範囲を覆う大魔法だ。何らかの代償があって当然だな」
ようやく最初の質問に真面目に答えたティアモだが、シオンは既に答えを知っていた。無数の痛みは、撤退した騎士達の『黒膜』への攻撃によるもの。
そしてなぜ、ティアモが『黒膜』の代償を知っているのか。
「あなた……ここ、ろ、が、読めるのね」
「正解だ」
答えは、ティアモが心を読めるから。そうだとすれば、全ての疑問が氷解する。
兵士がいきなり撤退したのは、『黒膜』の代償を知って楽に破れると分かったから。
剣では負けているのにシオンを押していたのは、心を読んで次の動きを知っていたから。
辻褄が最悪な形で合ってしまった。『黒膜』の代償を知られない事が、勝利への第一条件だったのに。
「……ごめん。言いつけ、守れなくて……」
解除すれば、騎士達がなだれ込んでくる。解除しなければ、代償で死ぬだけ。それでも、もうこの傷だと動けないと判断したシオンは解除をせず、少しでも長く騎士達の足を止めようとした。
「その死を、選ぶか」
きっとまた、ティアモはシオンの心を読んだのだろう。優しい声で少女の選んだ死を尊重し、彼女は剣を下ろす。
「……本来なら、この手で貴殿を倒したかった。恨むなら存分に恨んでくれて構わない。その咎を背負う覚悟は、とうの昔に済んでいる」
ティアモは待ち、選んだ。シオンが『黒膜』の代償に押し潰されて死ぬ事を。それまで騎士達が突入できず、自分もシオンが死ぬまで誰も斬らない。長い目で見れば、数分の誤差しかないこの選択を。
「シオンちゃん!?」
「来ちゃ、ダメ。逃げて……!」
「……どうせ変わらないが、少しでも長く生きたいのなら逃げろ。彼女もそう言っている」
壁の上からかけられた環菜の悲痛な叫びに、シオンは声を絞り出す。届かないその声を、わざわざティアモが代弁してくれた。
「ごめん……!ごめん、なさい。ごめんなさい!ごめん……ごめんなさい……」
色とりどりの魔法が『黒膜』に撃ち込まれ、痛みがスパークする意識で、シオンはずっと後悔して、謝り続けていた。
「守れ、なくて……!」
痛みで潰れるより先に、みんなの死という未来で心が潰れそうだった。
その様子をずっと、駆け寄ろうとする軍人達を魔法で殺さないように妨害するティアモが、見届けていた。
後書き解説コーナーですが、『聖女の手記part3』が非常に明るく、本文に適さないと判断した為、この場には別のを載せ、延期させていただきます。掲載場所がどこになるかは、不明です。決まりましたら連絡し、ここを書き換えます。
『読心』
騎士ティアモ・グラジオラスが所有する系統外。能力はそのまま、心を読む能力。嘘も企みも内心も無言も記憶も深層心理も、なにもかもを読み取れてしまう。
交渉、調査、取り調べ、監視、駆け引き、戦闘とありとあらゆることに応用できる、強力な系統外。嘘も誤魔化しも彼女には通じない。戦闘においては、相手全ての動きが筒抜けで、読んだ思考に対応する手を予め打つという、「未来を見ているかのよう」だと称される戦い方で敵を追い詰める。
基本的に最大範囲は10〜15mほど。しかし、その日の体調や使用時の気分によってかなり変動する。本当に調子の良い時は、30m以上先の人間の心まで読み取れる。しかし、これでもまだ小さくなった方である。
余りにも強すぎる力故に、その代償も余りにも大きかった。幼少期には一切の制御が出来ず、常に周囲100mの声が頭の中に直接流れ込んできた。いくら耳を塞いでも消えない、他人の心の声をモロに書き続けたのだ。人の悪意、人間の醜さにずっと触れ続けていたのだ。
これらは少しずつ制御でき始めた7歳まで続き、結果として彼女は心に深い傷を負った。
男のような見た目であるのも、実はその影響がある。かつて女としての自分に向けられた感情に恐怖を感じ、それに本人がほとんど覚えていないまま無意識に形となった。しかし残念ながら、体型に関してだけは本人由来の才能であり、系統外のせいではない。
また、代償はそれだけではない。心を読める人間に対して普通に接することが出来る人間は、非常に少なかった。大抵の人間は心が読まれると知った瞬間に警戒心を抱くか、気味が悪いと距離を取る。その心は読んでしまわなくても、十分に態度だけで読み取れるものばかり。家族以外からは孤立し、彼女もまた、周囲を遠ざけた。
この問題は大人になって多少は改善されたものの、今もまだ付き纏ってはいる。彼女の友人は極めて少なく、気心知れたと言えるのは昔からの知り合い、騎士団、家族くらいなものだ。
現在ではほぼ完璧に制御しきっており、嘘を吐いているか否か、今何を考えているか、深層心理、記憶の底までと、色々な段階を状況に応じて使い分けている。




