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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第69話 生きたがりの少年と守りたがりの少女

「ここでいいかしら」


 未だ破られてはいない鉄の門を前を見たシオンは、ホッと一息。状況を既に知らされていたのか、門兵達は一様に身を震わせている。


 無理もない。侵入口をここに絞られれば、増援が来るまで自分達が矢面に立たされるのだ。逃げ出した者が何人かいたが、引き止める事は出来なかった。


「残ってくれて、ありがとう」


 故にシオンは残った勇気ある者達に頭を下げ、敬意を払う。仁に強さを強要していた事を自覚し、治そうとしてようやく、弱者が強者に立ち向かう恐怖を知ったから。例え大切な者が背中にいたとしても、簡単に乗り越えられるものではないと気付いたから。


「仕事ですし。ここを守らないとどちらにしろ死ぬんで。どうせ死ぬなら、役に立つ死がいいんですよ」


「意味がある死の方があの世で慰めにもなりますし、神様が見てたら美女に囲まれた天国に連れてってくれるかもしれないんで」


 英雄にして強者の少女に頭を下げられた彼らは、どこか諦めた笑みで銃を握る。


「……」


 諦めが、彼らに戦わせる事を決意させた。逃げて門をガラ空きにすれば、どうせ死ぬと思ってしまった。死兵は普通の兵士より強く、脅威だ。己が死ぬ事を理解しているが故に、精神的に止まることがほぼない。肉体が終わるまで戦い続ける。


 死ぬ事が決まった戦いに向かう彼らに、シオンは声をかけようとして、戸惑った。


(残酷な希望を持たせようとしてるかしら)


 化け物揃いの本隊がここに攻め込んできた時、彼らが生き残る可能性は縋り付く事さえできないものだろう。ここでの励ましは自己満足で、ただの偽善にしてマイナス要素。捨てた希望をもう一度無理矢理見せられた彼らの銃は、きっと鈍ってしまう。


(けど、死にに突っ込まれるよりは守りやすいから、ごめんなさい)


 だが、そんな事は百も承知。鈍った事で、生にしがみつこうとした事で、生き延びる命もあるかもしれない。


「私も前は、死兵に近かった」


 だからシオンは、口を開いた。同時に魔法の起動を開始するも、前のような確かな手応えはなく、黒い魔力は空を切るばかり。上手く扱えなくなったのはきっと、彼女の心が変わってしまったからだろう。


「みんなも守りたい人がいると思う。大切なものがあると思う」


 前は、この命が尽きても守ろうと思っていた。今も、いざとなれば自分はそうする確信がある。それだけ大切だから。


「けど、今は違う。私はみんなで生き残りたい。そこに私もいたいの」


 命を賭しても構わないと思う故に、救った先を夢見てしまった。約束を果たしたい。野菜炒めと白い米を一緒に食べたい。もっと側にいたい。たくさんの願望が、シオンに生きる欲を与えた。


 生きているだけでぼろ儲けに幸運で、笑えるだけで幸せ。最近笑顔をあまり見せなくなった少年の言葉は、まさにその通りだと思う。生きてさえいればきっと、良い事はある。


「だから、その、あなた達も生きてください」


 だからこそ命を無駄にしないでと、少女は死兵にお願いした。死兵を人に生き返らせようとした。もう、酔馬の時と同じ思いはしたくなかったから、言ってしまった。


「は、はぁ」


「ありがとう、ございます」


 先も述べ通り、彼らの生存は絶望的。刻印を刻まれたからと言って、そう簡単に勝てるわけがないのは誰だって理解している。励ましは空虚に響き、困惑の返事が返ってくるばかりだ。


(繋がらない)


 彼らの心境を表すかのように魔法の起動も相も変わらず空振るばかりで、うんともすんとも言わない。


「不可能を可能にしてこそ、『勇者』」


 だがそれでも、構わない。諦めるしかないような状況に可能という光を照らし、人を不可能の闇から救い出すのが『勇者』だ。これは奇妙な白髪の語り部の言葉だが、目指す指標としてシオンは気に入っている。


「覆してやるわ。みんなで、生きるのよ」


 生存が絶望的など知った事か。絶望的というだけで、0ではないだろう。そもそもこの街自体を救おうとしているのだ。このくらい、救えなくてどうする?


「きた」


 黒い魔力を僅かに手繰り寄せる事に成功。前とは違う今の覚悟が、その分だけ認められたのだろう。シオンには分かる。


「私は、この命を無闇矢鱈に散らそうとはしない」


 生きたがりの少年が、守りたがりの少女に変えられたように。守りたがりの少女もまた、生きたがりの少年に変えられた。


「生き残って、また救うもの」


 死んでも守る覚悟は、生き残ってより多くを救う覚悟へ。命と幸せを得る代償として、命が続く限り永遠と誰かを守る誓いを立てる。


 人生を捧げる覚悟はもう一度鍵を握り締めて、閉ざされた扉を開け放つ。溢れ出る黒い魔力が流れを成して街の壁を、シオンの身体を血液のように巡っていく。


「また、見えた」


 脳に魔力が届いた瞬間、異物を無理矢理押し込まれる感覚と共に、記憶の残滓が入り込んできた。






 手で抑えられた瞼の奥の景色はまた暗い部屋。明るく怪しげに光るのは、緑色の液体が入った何本もの透明な円柱。そして、彼女一人ではなかった。


「ここを壊してしまうのは良くないのね?」


 アコニツムから街を守った時に聞いた声だ。少し高い視界の高さも、前と同じだ。


「ああ。目覚めても自我の無い失敗作ばかりだが、性能だけならある程度は成功してる奴が大半だ。下手な破壊は化け物を解き放ちかねねえ。お前の旦那や俺、『魔女』と『魔神』達がうようよ増える可能性なんて、ぞっとしねえだろ?」


 前と違うのは、目の前に誰かがいたこと。本当に人間なのか疑うような美しい青年は、問いかけに『伝令』で答えて首を振る。数メートルと離れていないのにわざわざ口で話さない、いや話せない理由は、彼女と彼を隔てるものがあるからだ。


「旦那は幾ら増えても嬉しいし、うるさい以外には無害だと思うけど……他は最悪ね。あなたや『魔神』に私みたいのなんて絶対に相手にしたく無いわ」


「つっても俺らみたいな失敗作ばかりで、『魔神』みたいな完成はいないだろうよ。そもそも不死なんて狙って創れるもんじゃねえんだ」


 彼がいるのは、液体に満たされた円柱の中である。液体と硝子が声を届かせない為に、彼は己が持つ系統外で会話を成立させているのだ。液体から出れば身体が崩れてしまう性質が、彼が失敗作たる所以。


「創っていたあなたが言うのかしら?」


「……悪いな」


「存分に責めてあげたいけど、私も同じかそれ以上の業を背負ってる。それにあなたはたくさん失って、けじめをつけた。そうしないといけない理由もあった。だからあなたを責めるのは、あなた自身だけよ」


「優しいこって」


 彼は人の禁忌を存分に蹂躙し尽くす、ある計画の一員だった。いや、無理矢理一員にさせられたという言い方が正しいだろう。故に彼は後悔し、己の身を勝手に計画に投じて力を得て、計画を破壊した。


「ったく。ここ出身はみーんな悪に手を染めやがった。『吸血鬼』を終わらせてくれて感謝してる。あいつもそれを望んでた」


「優しかった彼があんなに狂うなんて、思ってもなかった。最後は少しだけ、昔に戻ってたみたいだけど」


 計画の産物で顔馴染みで、そして最後は『魔女』の手によって死んでいった、最後の一言が感謝の言葉だった男を思い出す。彼が失敗作だったのは、能力を発動するごとに精神が歪むという副作用があったからだ。ここにいる者は皆、どこかが欠落している。


「話を戻すわね。ここを壊せないとなると、守る為の魔法が必要だわ。私もいつもここにいるわけじゃないから、あなた達でも使えるような。創れる?大賢者さん」


 兎にも角にも、ここにいる者達を野に解き放つ訳には行かず、彼女はそれを防ぐ為の魔法を膨大な知識を持つ男に要求する。とはいえそんな都合のいい魔法、創れるなら彼は作っている事だろう。


「だから、魔法の開発も狙ってできるもんじゃねえって。計画で失敗作にすらなれない確率知ってんだろ?……と言いたい所だが、心当たりは無くもない。創るんじゃなくて、元ある魔法を流用するんだ」


「半ばダメ元だったけど、本当?そんな使い勝手のいい魔法、あるのかしら?」


 しかし、帰ってきたのはもう既に持っているという、予想外の答えだった。最悪、極力外出を控えて固定砲台になるつもりだった彼女としては嬉しく、にわかには信じられない答えだ。


「使い勝手なんて聞かれたら最悪だって答えるぜ?俺ら以外なら、の話だ」


「どういう……?これは確かには酷いわね。私達以外、ろくに使えないじゃない」


 液体から出られない手の代わりに、『魔女』の元へと一枚の紙を運ぶのは彼の得意とする木の魔法だ。ぱさりと掌に載せられた文字を読み、最悪の言葉の意味を悟る。


「生体接続型障壁。なんと人の身体を魔法と物理、どちらも防げる障壁に変える魔法だ」


「それだけ聞くと夢のようね」


「まぁ、欠点は常人の魔力量だと通常の大きさよりずっと小さい障壁しか出せねえ事。そして受けた傷がそのまま術者に反映されて、耐えきれなかったら解除されるって事かな。あ、解除された時ってのは死んだ時ってのも忘れるな」


「全部聞いたら本当に使えないわ」


 自分が使った黒い膜だ。どことなく消えそうに漂う自我の中、シオンは膜の性質と欠陥性を思い出す。しかし似通ってはいるものの、かなり違う箇所がある。


 シオンの魔力は多いにしろ、街一つを覆うような大きさではなかった。それに受けた傷がそのまま反映されるなら、身体はずたずたに引き裂かれて黒焦げになっているはずなのに。


「ついさっき創った壁に刻印をおまえが刻む事で、大きさはなんとかなる。傷も俺達の再生能力を考えれば十分実用可能だろう……注意しなきゃなんねえのは、展開された障壁全部を一瞬でぶっ壊すような一撃が来たら、俺達でも死んじまうって事だ」


 彼の述べた話を聞き、大きさについて理解した。『魔女』が莫大な魔力を持って刻んだ刻印だから、シオンが発動しても同じ大きさだったのだろう。しかし、何故自分が生きているのかだけは、分からず仕舞いのままだった。


「いつもの如く魔力のゴリ押し、綱渡りね。分かったわ。やりましょう」


 即死の危険性を含んだ事なんて知らないような速さで、彼女は頷いた。


「いいんだな?結構どころか死ぬ程痛えし、場合によっちゃ死ぬぞ?てか、俺もそのりすく?を背負うんだけど」


「あら、かの大悪魔様も怖いの?」


 迷いも躊躇いも知らない即答に、男はげんなりと肩を竦めて呆れ返る。


「怖かねえよ。怖いのはてめえの旦那が暴走した時……まぁ、元はと言えば俺らが撒いちまった種だ。それくらい受け入れる。で、いいんだな?」


 最後の確認。全身を火で炙られる痛みも、生きたまま切れないノコギリで解体される痛みも、身体が内側から弾け飛ぶような痛みも味わうのに、良いのかという問い。常人ならば狂ってもおかしくはない、死ぬ程の痛みだろう。


「さっきから言ってるじゃない。これ以上、私のライバルを増やすわけにはいかないの。身体の痛みなんてもう慣れたしね」


 だがそれも、狂人にとっては何の妨げにもならない。彼女はもう、胸に穴が空こうが平然と笑っていられるだろう。身体の痛みなんて一時的なものだ。過ぎ去れば消える。


「世界を相手取るのは、この私だけでいい」


 何より、世界の敵という称号をここに未だ眠る失敗作達に、いや、他の誰にも奪われる訳にはいかなかった。


「オーケー。んじゃ、名前はどうするよ?後世に残るぜ?『魔女』の絶対防壁としてな。重要だから、ちゃんと考えろよ?後で悶え苦しむのはお前になっちまう」


 『魔女』の笑みの意味を分かる男は、軽く茶化してこの魔法の名付け親になる事を提案する。一応、名前はあるにはあるが、彼女が使えばそれはもう別物になるだろうから。


「ん。そうね。世界を敵にした私達にかけて……」










「『黒膜』展開」


 現実の夢から覚めると同時、シオンは『魔女』がつけた魔法の名前を、男から安直だと笑われた名前を口にした。


「うわ」


 街の中心部から、黒い六本の線が壁の端へと繋がれる。隙間を埋めるように黒い膜は広がり、ここに身を犠牲にして他者を守る不完全な防壁が完成。


 流れ込んだ記憶の中に、気になる情報は幾つもあった。だが、それを話して考えるのはここを乗り切ってからだ。


「守ってみせる」


 『勇者』を志す忌み子の少女は、世界の敵である『魔女』の残した魔法を用いて人を守る。


「かかってきなさい。私だって、痛みには慣れてるのよ」


 治癒を促進する為、虚空庫から何枚もの魔方陣を取り出して地に並べ、来る痛みに構えた。












 時を同じくして、壁の端の戦場にて。


「なんだこりゃ?」


 鋒を向け合い、いざ剣を振るおうとしたところ。空にかかった黒い膜に、ジルハードは困惑の声を上げる。街一つを覆い尽くす規模の魔法など、そう簡単に使えるものではない。


「障壁に近い強度を誇る防壁だ。お前らの援軍は入ってこない」


 天を仰ぐ顔に浮かぶ表情から、彼の心は手に取るように分かった。これだけ莫大な魔力はどこにあるのか、にわかには信じ難いのだろう。


「試しに魔法でも撃ち込んでごらん。傷一つつかないから」


 やはり、彼らはこの魔法の性質を知らない。故に仁はシオンに悪いと思いつつも、強度が磐石であり、何の制限もない魔法だとジルハード達に勘違いさせるよう、真実を織り交ぜた嘘で誘導する。


「いや、いい。別に援軍なんていらねえや。俺がお前を叩き斬って、この魔法を使った『魔女』だかサルビア様の娘だかを斬ればいいんだろう?」


 しかしジルハードは障壁の強度を確かめる必要も、援軍も要らんと大胆不敵に言い放つ。それは己の強さの信頼からくる、確かな言葉。


(シオン並じゃないとは思うけど、こいつかなり化け物だよ)


(強度二つ重ねでも破られかけるとは思わなかった)


 それは仁も分かっている。氷の翼で四人の剣を止めた時、この男のつけた傷が一番深かった。それこそ、あと数センチで防壁を破られていた程に。


 そして他にも今分かったことがある。それは、


「その言い草はやっぱり、いるんだね?」


「あ……やっちまった。かっこつけたらすぐこれだ」


 この男、かなり馬鹿だ。伏せていたであろう兵の存在を仁がチラつかせただけで、油断したのか匂わせてしまった。灰色の髪にあちゃーと手を当てて嘆く様子は、戦場の緊張なんて欠片もない。


(シオンの事、バレてる。しかも『魔女』かどうか見分けついてないけど、膜の発動候補にされちゃってるよ)


(落ち着け。常人の上司がいるなら、候補の段階で無茶はしないはずだ)


 とは言え、仁の方もシオンの存在が露見していた事にかなり動揺していた。これでは『魔女』が発動したと思い込ませる効果が半減である。今すぐ突入はされないと思うが、膜を張るだけで反撃が無い事から、いずれ発動者はシオンだとばれてしまうだろう。


 悠長に話している暇は無い。早急に壁内の騎士を仕留めて彼女の援軍に向かわなければ。何より今この瞬間にも、視界の端で軍人の命が騎士達の手によって消えた。


「お、やる気だな。ああそうだ。こっからは俺も、手加減する気はあんまりねえからな」


「……手加減?」


 柔軟運動をし始めた騎士の口から出てきたのは、シオンが戦場ではあり得ないと言っていた言葉。つけられた傷の深さからハッタリを疑うが、仮に彼の言葉が本当ならば。


「おう。俺は虐殺や蹂躙では本気を出さねえ。出来る限り、楽に逝けるよう剣を振るう。そんな気遣いも忘れる本気を出すのは、仲間が傷つけられた、または傷つけられそうになった時だけだ。つまり」


 気付いた時にはもう、剣が目の前だった。さっきまで柔軟運動をしていたはずなのに、まるで瞬間移動でもしたかのような足捌きだ。


「ぐっ……!」


「戦争する時だけで、それは今だ」


 何も考えず、ただ速さだけを三重で求めて氷の盾を背中と肩二つから創成。砕かれたその先、僅かに作った時間にかざした剣でなんとか受け止める。


 合った瞳の奥に宿るのは、燃え盛るような怒り。侵略しているのは自分達だと分かっているから、口にはほとんど出さなかった、仲間を傷つけられた怒り。


「へえ。これを止めるか。さすがは『傷跡』。サルビア様に一矢報いただけはある」


 ぎちぎちと、重い剣に身体が押し込まれていく。剣での打ち合いは完璧に不利。先の評価を改めねばなるまい。この男、剣の強さはシオン並だ。


「……日頃から、こんなのばかりと戦ってるもんでね!」


 だからこそ、仁はこれから先の彼の行動に防御を置く事ができた。


 足元から襲いかかってきた炎の縄を、太ももの刻印から氷刃を生やして相殺。噛み合った体勢の時、彼女は仁が障壁を使えないのをいい事に、魔法を使って崩そうとしてくる。


「俺と同じ?ひゅう!さすがはサルビア様とプリムラ様の娘だ。ぜひ、一度手合わせ願いたいもんだなぁ!」


 もちろん。魔法だけが崩しではない。物理と魔法の二刀も、同時に振るわれるのが戦場の常。


 右から剣が来れば、氷を二つ用いて盾を創成して潰す。炎の槍を至近距離で撃たれれば、氷の尾を腹から生やして撃ち落とす。こちらが反撃に氷の剣を膝から伸ばしても、彼は余裕綽々に剣で反撃の反撃を兼ねて斬り落としてくる。


(こいつ。やばすぎる)


(分かってはいたけどガチでシオンレベル……!場合によっては、上回るよ!)


 数回打ち合っただけで、圧倒的戦力差が分かってしまう。仁とシオンを比べた時と同じく、月と東京タワーくらいの差があるだろう。


「おい、痛くねえのか?」


「俺は、痛くない」


(うっ……くっ!僕は痛いけどね!)


 その差をなんとか強引に埋めているのは、ジルハードがあまり経験した事の無い故に苦戦する三重発動と、期間の割には膨大とも言える仁の戦況における引き出しの数だ。


 三重発動なんて、常人には頭痛がひどくて出来るものじゃない。仁だって痛覚を分け、身体が少しずつ凍てついていく恐怖に耐えながら発動しているのだ。僕に任せっぱなしで悪いとは思うが、俺の方が身体を動かすのが上手い以上、仕方のない事と言える。


(この時は)


 今この瞬間、炎の槍が狙いを定め、二刀が仁の胸を中心として×に下から斬り上げられそうな状況。下手に中心に剣をおけば、技術によって砕かれる。かと言って強引に責めるのも論外。槍と二刀のどれかに当たって、死ぬのがオチだ。


 この状況を、シオンとの稽古で何度も味わっていた。それに適した解を引き出すまで、彼女は仁を傷つけることをやめなかった。


(後ろに飛んで、着地の反動を活かした突進)


 故に仁は己の記憶の底にある、戦況に適した解を即座に引き出す事ができる。


 己が描く理想の通り、身体を動かす。この技術は身体の先まで神経がちゃんと通っていると、シオンからもよく褒められるもの。


(炎の槍は氷の尾で叩き潰す)


 地面を右足で後ろに蹴り、後退。空で振るわれた×字の残像を見届けて、遠距離の対処に撃たれた炎の槍を上から氷の尾で叩き潰して、回避行動は成功。次は、攻撃の想像を形に変える作業へ移行。


「しぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 着地の瞬間、強化された左足に力を込めて力のベクトルを変更して地を割り、前へ。剣を振り切った姿勢のジルハードが両手の柄をくるりと回し、鋒を向けて迎え撃つのもまた、想定内。


 余った二つの氷の刻印を発動させ、向けられた鋒を弾き飛ばそうとする。結果、ジルハードの剣技の前に尾が負け。これは想定外。


(飛び道具出して撤退)


 このまま飛び込めば、身体に大穴が空くのは間違いない。だから急ブレーキ。掌から氷の長刀を伸ばして牽制しつつ、一旦距離を取る。


「……はぁ……強過ぎる」


「なんだよ。これで終わりか?」


 予想以上に、強い。まさか、ここまで強い騎士が偵察隊にいるなんて、想像していなかった。肩で息をし、死と隣合わせ。敗北は守りたいモノの死を意味する劣勢に、玉のような汗が生成され続けている。顔に張り付いたハーフマスクが鬱陶しく感じるほどにだ。


「期待外れだな。勝手に期待したこっちが悪いってのは分かってんだが……森を燃やして、あいつと同じように刻印を身に刻んで、サルビア様の虚をついた。楽しみで仕方がなかったてのに」


 対するジルハードは息を切らした様子も汗も疲れも恐怖も、何もない。ただ灰色の瞳の奥の獣が、寂しそうに眠っていくだけだ。


「三重発動はすげえよ。俺もプリムラ様とプラタナス様以外には初めて見たくれえだ。だが、まぁそれだけだったな」


 残念そうに、彼はこの戦いを終わらせようと剣を構える。先の高揚に満ち溢れた剣とは違う、冷たい殺意だけが乗った剣だ。


(……俺君。対シオンと想定した方がいい。僕ら、もう限界だ)


 このままでは勝てない。三重発動による倍に近い手数で押しても、絶対的な技術によって覆される。経験した事のある戦況が続いたが故に対処できたが、そうでない場面を引いてしまえばそこで終わりだろう。


 何より、三重の代償の頭痛もかなりのもの。服の下の刻印を刻んだ皮膚も、少しずつ氷に侵食され始めているはずだ。


(……分かった。使おう)


 故に仁はとある決断を下し、剣を構えた。


(右足から、ね)


「なっ」


 瞬間。一陣の風が、ジルハードのすぐ側を通り過ぎた。騎士は経験と反射だけで剣を軌道に起き、なんとか防いだ。本当に、なんとか。


「なんつう速さだよおい」


 仁が踏み込んだと同時、彼がいた場所に深い亀裂が走った。剣を振り切った姿勢で、ジルハードの後ろに移動していた。振るわれた氷の剣の重さは先の比ではなく、騎士の技術を力によってねじ伏せていた。


「強化の二重発動とか、頭おかしいだろうが」


 よろめいた仁の血の流れる脚に、そのタネをすぐに見抜いたジルハードは再び歓喜する。瞳の奥に潜む獣が雄叫びを上げ、全身の産毛が逆立っている。


 今のは、危なかった。


「いいぞぉ!来いっ!」


「ああ、行くぞ」


「名づけて『限壊』。俺君、頑張ろう」


「ははっ。ダセエけど、合ってる」


 身体の限界を壊した、強化の二重発動。これが仁の考えた裏技の一端。


 筋肉が張り裂けた痛みと同時発動の代償の頭痛に溺れながら、少年は守る為に剣を振るう。例えこの身が壊れようとも、それ以外に強くなる方法を彼は知らなかった。


 守りたがりの少女に影響された、己の身を考えない戦い方だった。


『黒膜』


 『魔女』によって命名され、彼女に使用された生体接続型障壁。街を覆う壁の中に刻印が刻まれており、その代償として周囲の石は黒い結晶へと変質している。


 魔法と物理を無効化するという、凄まじい理論上の強度を持つ。理論上というのは、受けたダメージがそのまま発動者の肉体に反映されるというデメリットが存在するからである。つまり、防げてない。正しく言うなら、この魔法は系統外の障壁とは全く別、ダメージを発動者の身体へと転移させる魔法なのだ。


 発動者が死んだ場合、当然魔法も解除される。状況によってはそのまま攻撃が継続される。無駄死にだろうし、正直普通に障壁を張る方が、いやいっそ何もしない方がまだマシである。


 更に欠点という名の事実を付け加えるなら、これだけのデメリットを背負った上で、魔力の効率が異様に悪い。そもそもかなり酔狂な人間でも、この魔法の研究をしようとする者はいなかったのだ。初期に作られた形のまま、一切の改良なんてされていない。魔力を大量消費する事で有名な障壁なんかよりもずっと大喰らいなのである。もう普通に障壁を使った方がずっとマシだ。


 歴史上、使い道が分からない魔法五本の指に入るとされており、その無能さ故に知っている者は多い。


 だが、だがしかし、まともな展開に大量の魔力が必要ということは、裏を返せば魔力さえあるなら街一つを覆う事も可能だということ。ダメージが発動者の身体を襲っても、恐るべき不死性もしくは再生能力で耐えられるのならば、障壁並の強度で守りきることが可能ということ。


 そんな魔力、馬鹿げているでも足りないし、存在するわけがない。再生能力だって治癒魔法の域を完全に超えている。故に誰もがあり得ないと思っていたが、あり得てしまった。


 それら全ての条件を満たし、この魔法を『黒膜』として用いたのが、かの『魔女』である。彼女が壁内に仕掛けたこの魔法は、幾度となく外敵の侵入を防いでいる。


 この魔法には、未だに不明なことがいくつか存在する。そもそも『魔女』は何から何を守る為に、自らの身を盾にするような魔法を刻んだのか。そして、シオンはなぜ代償が少なかったのか。性能通りならば、発動者に龍の爪と炎の傷が等身大で襲うはず。しかし、シオンの身体についた傷はいささかミニチュアに過ぎる。


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