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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第68話 あの日と今

「なんか、俺らどんどん酷くなってないか?」


「僕達がさっきした約束、控えめに言って最低だよね」


 擬似的な婚約。仁が自分を許す事が出来れば付き合う。文章にすればなんとおかしくて、なんと自分勝手な話だろう。まるでキープだと、隣のベッドで寝息を立てる少女の顔を見ながら思う。


「涙の跡とかちゃんと拭いてから寝ないと、肌とかに悪いのかな?」


「そんなの知らない」


 振られて泣いて、約束でまた泣いた少女の顔に流れた涙の跡をそっと布で拭き取る。起こさぬように優しく、彼女から悲しみを拭い去れるように願いながら。


「俺らなんかで、喜んでくれるんだな」


 こんな男のキープの、果たされない約束で大喜びするなんてどうかしている。


「優しい子だからね。この傷が無ければきっと引く手数多に選り取り見取り、モテモテだったろうさ」


 本当にそうだと、彼女の頬に醜く残る火傷を撫でる。軍内でシオンに言い寄る人間がいないのは、化け物である事とこの傷があるからだろう。あとは仁という存在も少しだけでも、抑止力だろうか。


「見る目がないやつらだよ。全く。ま、僕らも同じ傷あるからかもしれないけど」


 この火傷の意味を知る仁からすれば、シオンの美しさを損なうどころか、輝かせるものでしかない。人を守る為に戦う少女の心を表した傷だ。気持ち悪いなんて感情、抱けるわけがない。


「危ない危ない」


 くすぐったかったのか、「ん」と身じろぎしたシオンから慌てて手を離す。今日はたくさん刻印を刻み、疲れたはず。明日以降もそんな生活が続くのだ。今はしっかり休むべきである。


「……本当、モテモテだったろうな。ここにも惚れてる馬鹿がいるんだから」


 絶対に付き合う事はない。希望なんてないと思い知らせて、他の男と早く幸せになって欲しい。そう決めていたはずなのに、そう思っていたはずなのに、


「負けた。てか、一生敵わない気がする」


「尻に敷かれそうだね」


 シオンと恋人になれたらと、思ってしまった。他の男なんかに取られたくないと、思ってしまった。幸せを、望んでしまった。


 もちろん、それが全てではない。あれ以上シオンを悲しませたくなかったし、夢を見させてあげたかったというのもある。仁だって出来ることなら、シオンには幸せになって欲しい。


 己の欲望と目の前の少女に負けて、あんな約束をしてしまった。


「俺達はどうやったら、許されるんだろうか」


「僕達は何したら、自分を許せるんだろう」


 酔馬の遺志を叶える事は、可能性としては0ではない。しかし、仁が殺した香花達の遺志は、遺志である時点で叶えられるものではない。


「あの日、魔物が僕らを襲わなかったら」


「忌み子なんて概念がなかったら」


 明確な答えは、仁が完全に望む世界を手にする事。あの日から誰一人と欠けることなく、手を取って笑い合う普通の生活。その世界を手にすることが出来ればきっと、仁はシオンとの約束を果たせる。クラスのみんなに、からかってもらえる。


 だがその夢の為の過去を変える途中式、人を生き返らせる方法は存在しない。答えは分かっても、途中式がないのならはねられる。


「……今は、救える範囲全部救おう。やれる限りのいい事をしよう」


「『勇者』であろう。その為なら、考えられる全ての手を使おう」


 叶わないからと言って、自棄になるつもりはない。叶う範囲の遺志は、必ず叶える。そしてその奇跡の果ての、己を許す事のできる奇跡に賭けるのだ。


「さ、僕らも寝るとしようか」


 守る事を誓い直し、奇跡を願い、仁は久方振りの良い眠りに落ちていく。今日はいい事がたくさんあったからだろう。本当に、幸せな眠りだ。


「シオンさん!仁さん!起きてください!敵襲です!」


 そして、運命はそんな仁を嘲笑うかのように、身に余った幸せを不幸で帳尻合わせをするように、いつも通り訪れた。


「敵襲?どういう事だ?魔物か?」


 暖かな布団を放り投げ、ドアを開け放った軍人へ問い掛けた。シオンも飛び起き、すでに虚空庫から鎧を引っ張り出して着込み始めている。


 しかし仁は内心、焦る軍人の表情と状況から想像が付いていた。ただの魔物なら軍で処理できる。それなのにわざわざ仁達を起こしに来るという事は、


「青い花の文様をが入った鎧の、異世界人だそうです」


「っ!」


「早すぎるよ……!」


 ああ、最悪。この一言に尽きる。青い花の紋様なんて、忘れられる訳がない。世界が終わり、始まったあの日に仲間達を虐殺した者達がまた、仁の仲間を殺しに来ようとは。


「昨日よりはずっといいが、明日以降来て欲しかった!」


 しかもこのタイミングは、悪い。刻印を刻めたのは百人程度。0よりはマシな数字ではあるが、それでも少なすぎる。彼らの練度も全く足りず、仁の裏技もまだ試せていない。あと数日は欲しかった。


「最悪のタイミングで、最悪の奴らだよ」


 ついさっきまでの暗い葛藤や、不幸な幸福感は消え去った。代わりに湧き出たのは、どうしようもない理不尽に対する白光する怒りと、仲間の仇へのどす黒い憎しみだった。


(けど、落ち着け!今来る可能性も対抗策も、考えてはおいただろう!)


 それらを一旦押さえ込み、戦力と予め用意しておいた策からどれが使えるかを考える。無駄な怒りは計算を狂わせ、憎しみは視野を狭めるのが常だ。


「グラジオラス……全隊が来ているなら!」


 全隊の規模を詳しくは知らない。しかし、内乱を抑えるような数の騎士達が襲撃をかけてきているなら、全てを投げ捨てて逃げるしかない。


「そ、それが視認できるのは五人ほどのみでして」


「……五人?」


 しかし、死にそうなほど汗を垂らす軍人から齎されたのは、予想外に幸運な情報だった。逸れたのか、それとも偵察なのかは分からないが、相手の数は五人。騎士一人一人の強さにもよるが、シオンだけでも制圧できるかもしれない数だ。


「どういう事だ?」


「魔女の地って分かってて、警戒したのかしら?近くに数十人単位から数百人単位の部隊がいるのは間違いないと思うけど……」


「刻印が刻んである誰かを見つけたんじゃないかな。魔力を持った誰かがこの街にいるって証明だし」


「正体を見極める為だけじゃなくて、陽動や囮の可能性もあるな」


 想像できるのは、彼らが様子見の偵察隊で本隊が控えている、もしくは陽動、囮の三つ。さすがに街単位の忌み子相手に、訓練された騎士達が五人だけで突っ込んでくるとは思えない。


 話しながら予備の剣を受け取り、腰に三振り帯剣。急所だけを鎧で隠した少女と、鎧さえつけない軽装の少年の準備は完了。


「侵入経路は?正面?」


「い、いえ。まだ入り口は見つかっていないようで、南の壁を乗り越えての侵入です。現在、蓮さんと柊さんが戦闘の指揮を執っています」


「あの辺りか。入り口とはそう離れていないな」


「見つかるのも時間の問題だね。ありがとう。僕達は強化で向かう。君は刻印が無いなら避難誘導をお願いするよ。シオンは」


「ま、待ってください!もう一つ!その、お耳に入れたい事が!」


「手短にお願いします」


 大まかな場所は分かった。連絡してくれた軍人に礼を述べ、仁とシオンは身体強化を発動。彼を置き去りに走り出そうとするも、かけられた声に振り返る。


「え、えーと、余りの戦力差に逃げ出す軍人が多数で、その、増援は来ないと思った方が」


 気まずそうに告げられたのは、特権だけを貪っての敵前逃亡多数の報告及び、孤軍となる可能性の忠告だった。仁達を止めたかったのか、それとも行くなら気を付けてと注意したかったのかは、彼の泣き出しそうな顔からは分からない。


「なら尚更、僕達が行かないとね」


 人が少ないのなら、戦力が足りないのなら、覚悟の決まった仁達が穴を埋めるしかないだろう。


「敵前逃亡する奴の気持ちも分かるよ。勝てない相手に、無茶に無謀で立ち向かうのは蛮勇にして馬鹿だ」


 あの日、仁はグラジオラス騎士団から逃げた。立ち向かっても99.99%勝てない相手に、逃げた。それは死ぬ程悔やんだ選択だが、間違いとはどうしても言い切れなかった。戦っていたとしても、死体が一つ増えるだけだったろうから。


「けど、蛮勇も勇気だし、人って何かを守ろうとする時、みーんな馬鹿になるものよ。私達みたいに」


 それでも守りたかったのなら、結果的に無駄死にと言われようとも、立ち向かうべきだったのかもしれない。愚かでも、本当に守りたかったのなら、0,01%の奇跡に賭けるべきだったのかもしれない。


 あの日には、その奇跡に己の命を賭ける覚悟は無かった。だが、今は違う。仁だってやっと、馬鹿になる覚悟が出来た。隣の少女は元から馬鹿だ。


「すいません……どうか、ご武運を」


「君もね!」


「あなたも死なないでね」


 一直線に戦場へと走り去る仁とシオンの背中に、力も勇気も無き賢い軍人は敬礼と祈りを捧げた。











 敬礼を背中で受け止め、振り返らずに少しでも早く戦場へと向かう。当然足だけでなく、頭もフルスロットルでガン回している。


 侵入者は五人で、偵察か囮か陽動の役割。伏兵や別働隊がいる可能性は高い。本隊は間違いなく近くに隠れている。侵入者だけなら、シオンだけでも何とかならなくもないだろうが、本隊を相手取るのは不可能。今の仁なら、一人を相打ちにできれば大金星の平均戦力。


 今の状況を並べた上で、用意しておいた幾つかの策から最も適したものを選出。


「……シオン」


「分かってる。当初の予定通り『膜』を使う。攻撃されたら私はほとんど動けなくなるから、陽動を考えて入り口を守るわ」


 出した答えは双方とも同じ。膜を用いてこれ以上の騎士の侵入を防ぎ、中の五人を仁と軍が片付けるというもの。現状では、これしか取る手がないのだ。


「シオン。膜の代償で死ぬくらいなら打ち切ってくれ。どうせ死んでも消える」


「あと、張った状態で無理に戦わない事。結果的にシオンの勝率が下がるから。それならいっそ解除して、撃退に集中しておくれよ」


 これ以上の侵入を許すわけにはいかない以上、膜を張るしかない。しかしデメリットを考えれば、発動した状態でシオンは戦うべきではないだろう。希望が絶対にない無茶はしないでと、仁は釘を刺しておく。


「騎士団を撃退ってのも無茶だがな」


 そして今回の五人は数を考えるに、陽動の可能性が非常に高い。仁とシオンを投入してしまえば、入り口から堂々と入場されてしまう。


「本隊を実際に相手にして、無理だと思ったら引いてね?僕らと合流して作戦を立て直すから」


 故に、膜が張れない入り口から正しく騎士が入ってきた時点で膜を打ち切り、即座に迎撃できる位置にシオンを設置するべきなのだ。打ち切った時点でどれだけ代償を支払っているかは賭けではあるが、そうするべきなのだ。


「場合によっては私、ずっと暇じゃない。仁達の方が心配だわ。勝てるの?」


 入り口を騎士達が見つけられないのなら、シオンは仁と軍を信じて、そのまま膜を限界まで張り続けるだけだ。仁達が勝てるかもまた、賭けである。


「氷が24、火、水、土、浮遊2。強化と治癒が2。ちょっと足りないけれど、裏技は何とか出来るよ」


「軍にも刻印持ちが百人くらいはいるしな。銃を組み合わせれば何とかなる。というか、何とかする」


 だが、仁の賭けはそう悪くない。いくつかの刻印の魔力が不安だし、刻印が足りなくて完全な裏技は使えない。しかし普段使いに問題はなく、裏技も不完全なら使えるのだ。


「団長のグラジオラスは父さんの戦友で強いけど、偵察には居ないと思う。仁が裏技を使うなら、乗り切れなくはないと思うわ」


 銃で物理障壁を固定すれば、化け物クラスがいない限りは大丈夫だろう。それ程までに、仁の裏技は制御出来れば戦力となる。


「問題は入り口から侵入された場合と、膜が切れるのを待たれた場合かしら。私だけで防げるとは思えないし、ずっと起きてる事も出来ないもの」


 だが五人を倒したところで、根本的な問題は解決しない。本隊をどうにかしないと、この街の未来は無いのだ。


 シオン単身で騎士団全員を斬り伏せるのは、さすがに無理がある。狭い入り口の中に陣取れば、一度に相手する数を減らせるがそれでも辛い。魔物千匹なんかより、遥かに厳しいものとなるだろう。


 入り口を見つけられなくても、膜が切れるのを待たれても厳しい。膜を張れるのはシオン一人に対し、相手は団体。幾ら化け物とは言え、彼女だって人間で睡眠を取る必要がある。しかし、相手は交代制にする事で、何週間でも待ち続ける事ができるからだ。


 今を乗り切る事には賛成であるが、乗り切った先に何も無いのではと、少女は不安なのだ。


「……考えはある。入り口を通るならそこに罠を張る。待たれるなら、こっちにも準備の時間が取れる」


「壁に見張りを置いて、入って来そうになのが見えたらシオンを起こす、でもいいしね」


「罠?」


 しかし仁は、その不安への対抗策も考えていた。シオンとは違い、仁は己が生き残る為に騎士達への足止めや戦う術を考えていたのだ。あの卑屈で矮小で醜い時間が今、生きてくれた。


「話してる時間は無いから、現地で聞いてくれ。用意の手筈は柊さんに伝えておく」


 日本を知らないシオンに説明していたら、時間がかかり過ぎてしまう。戦闘が起きている場所にいるであろう柊に急いで伝えなければならず、一からの説明は出来なかった。


「ただ、準備の時間くらいはできる筈だ」


「黒い馬鹿げた強度の膜なんか見えたら、ここに『魔女』か『魔神』がいると勘違いするだろうしね」


「そうね!彼らは知らないものね!」


 彼らはシオンがここにいる事も、黒い膜を張れる事も知らない。強大な黒色の魔法なんて、『魔女』と『魔神』を想像させるには十分すぎる。そしてその二つの名は動揺を生み、突撃を躊躇わせるのに十分すぎるものだろう。


 恐怖と全滅の可能性によって生まれる、迷いの時間。罠を仕掛けて、敵をこちらのフィールドに持ち込ませれるかどうかは、その時間が勝負だ。


「それに運が良ければ騎士団、撤退するかもしれないよ?」


「なにせここには忌み子がたくさんいる。器乗り換え放題残機無限の化け物に、戦いを挑む奴はそういない」


 おそらく、これが最良の結果だろう。騎士団が忌み子を殺して回っているのは、『魔女』と『魔神』を確実に滅ぼす為。いずれ挑むにしろ、これだけスペアがいる環境では引くはずだ。


「けどこれは希望的観測だから、絶望的な方も見とかないと」


 だが、ここに『魔女』と『魔神』がいないと騎士団気付けば、話は別だ。これだけの忌み子の巣窟、彼らが滅ぼさない訳がない。希望に期待して待っていては滅ぶ。最悪を想定し、念入りな準備をしてようやく、舞台に上がれるかどうかなのがこの世界なのだ。


「だから、一旦お別れだ」


「うん」


 最悪に備える為、ここからは別行動だ。仁は戦場、シオンは入り口へと向かう。


「死なないで、勝って、みんなを守るぞ」


「約束を果たしたいなら、僕らみーんな生き残らなきゃ」


「分かってるわ。死んだら許さないから。頑張って」


 互いに無事を祈り合い、一人と二人は別々の道を走る。振り返りたくなるのを、ぐっと我慢して。次に会う時に、その想いは取っておくと決めて。











 溢れ、蒸せ返るような血の匂いが、布越しの鼻を刺してくる。派手な魔法は見えないが、氷が砕ける音などからしてそう遠くはない。


「……あそこか」


 三階建の家の壁を強化と氷の爪で登り、屋根から戦場を見下ろす。強化された視界に映ったのは、何十人かの軍人による統率の取れた攻撃と、それら全てを捌いて骸を量産する五人の鎧。光る頭と巨漢の姿も見受けられる。


 銃を撃ってはいるが、被弾した様子が無いのを見るに、やはり物理障壁を張っているのだろう。強化を用いた近接戦闘に慣れていない日本人では、その道で生きてきた騎士に敵わない。


「俺も、日本人だ」


 これ以上観察しても、味方の死以外に得るものは無い。そう判断して屋根を飛び降り、二階建ての家の上へ。


「武の道に入って僅か半年ぽっち」


「けど、その期間の濃さは負けず劣らずだとは思う」


 シオンから教わった、木の上などの不安定な足場を走る技術を応用し、屋根と屋根を伝って平坦な道のように走り抜ける。たった半年の濃密な経験がくれた技術だ。


「お前らに障壁があるように、俺には僕がいる」


「君達に系統外があるように、僕には俺がいる」


 技術では敵わないから、工夫をする。努力の量では敵わないから、ズルをする。その事は少しだけ、悪いとは思う。だが、負けて何かを失う事だけは、論外なのだ。卑怯と罵られようと、守られねばならないのだ。


 後100mもない。戦いに、死の可能性に動悸が生き急ぐ。数個の屋根を駆ければそこはもう、戦場。


「……あの日の仇、討つぞ」


 あの日と同じく、守るものがある。あの日と違って、魔法の力を手に入れた。


「僕を産み出してくれたお礼、たっぷりさせてもらうよ」


 どんな外道に身を落とそうとも、この身が朽ちようとも彼らに勝ちたくて、誰かを守りたかった。


「行くよ」


 命のやり取りは、もう目の前に。騎士の剣が、銃を斬られた無防備な軍人へと振り上げられている。一つの命が、いとも簡単にこの世から消えようとしている。見える背中からでも、彼の怯えが伝わってくる。


「ああ……」


 故に思い、実行。司令の元へ行くことを辞め、屋根から最後の一蹴りで宙へと飛び出す。未だ存在を知られていないという、かつては隠れて生き延びる為に使ったメリットを、見知らぬ彼の命の為に使う。


「助ける」


 浮遊で角度を調整し、全力で推進。腰から引き抜いた空中での一閃は、騎士が振り上げた頂点の剣を遥か後方へと弾き飛ばした。


「!?」


「えっ?」


 命を奪おうとした者も、今にも奪われそうだった者も、驚いたのは皆同じ。違ったのは乱入者が次の動きで標的にしたか、しなかったか。


「遅い!」


 仁の想定では、ここでもう反撃の一手を打たれていた。いつも自分が戦った彼女なら、きっとそうしただろうから。それを目の前の騎士が出来ていないという事は、彼は彼女より弱いという事。


「脚がああああああああああああああああ!」


 着地するより早く、背中の氷の刻印を二重発動して先の尖った尾を二本形成。今まで彼らが相手にしていたであろう日本人よりずっと速い刺突は、騎士の両足を呆気なく貫通する。


「今すぐ離脱して司令に連絡を!膜で道を入り口に絞る。障壁を考えて地雷などの罠を張ってほしいと!」


 貫いたと同時、背後に転がる軍人へと伝言を頼む。端的な策の提示であるが、あの司令ならきっと理解して、仁の思い通りに動いてくれるだろう。


「は、はい!あ、ありがとうございます!」


「助けた命、無駄にしないでね」


 強化された背中の触覚に風圧を感じ取る速さで軍人は頭を下げ、脱兎の勢いで後ろへと下がっていく。彼が無事に小さな戦場から離脱したのを目の端で見届ければ、狂った予定の修正は終わりだ。


「桜義 仁!来てくれたのか!」


「来たぞ!龍殺しの英雄だ!」


 戦場に生まれた僅かな空白を埋めたのは、彼らにとって英雄である仁の増援を喜ぶ軍人の歓声と、


「俺君!」


 シオンとの訓練では感じる事のない、凄まじいまでの四方向からの殺気と気配。今瞬きをすれば、身体が五つに別れる確信があった。


 仁が剣を弾き飛ばした瞬間、騎士達は驚くよりも先に、イレギュラーを脅威と認識した。一人が斬られて警戒は怒りへと変わり、ほとんど間を与えずに殺害へと動き出したのだろう。躊躇いも迷いも驚きもない、素晴らしい切り替えだった。


 だがこの程度、シオンでもきっとやってみせる。その確信があったからこそ、仁は次の手を打っていた。


「三つ」


 氷の刻印を重ね、仁を包み込むような巨大な翼を形成。大きさに一、強度に二つを注ぎ込むイメージは現実となる。僅かに走った電流のような痛みと共に、騎士達の剣を見事に受け止めてみせた。三重発動は今度こそ、騎士達に驚きを感じさせるに十分な現象たりえた。


「おいおいおいまじか!三つ発動だとかカランコエ夫人じゃねえか。こいつは俺がやる。マークを連れて下がれ。決して死なすんじゃねえぞ」


 翼の向こうから、聞き覚えのある声がした。忘れられるわけもない、あの日に聞いた声。その声に騎士達は頷き、負傷した男を連れて一人撤退、二人は日本人との戦闘へと戻っていった。


「ジルハード」


「あ?なんで俺の名前知ってやがんだ?」


 そして仁は仇を目の前に、視界が白に染まりかけていた。暗い怒りが、身体を埋め尽くそうとしていた。


「あの日、俺の仲間を、皆殺しにしただろう……!」


 自分でも驚く程、ドスの効いた低い声。怨みと殺意が内包された荒々しい声が出た。しかし騎士は、


「悪い。忌み子は皆殺しにしすぎてな。それと、俺はなかなか名前を覚えられねえんだ。特に弱い奴だと」


 平然と仁の仲間のような雑魚は覚えていないと、肩を竦めた。


「なら、覚えろ!」


 その動作は、仁の怒りと殺意と欲望を押し止めていた、理性という最後の鎖を弾き飛ばす。


「俺達の名前は桜義 仁だ」


「仇を討って、今度は守らせてもらうよ」


 あの日を繰り返さないよう、仁は騎士へと剣を向けた。


「へぇ……おまえが『傷跡』ねえ」


 向けられた剣にジルハードは、心から楽しそうに笑っていた。

『異世界の名前の付け方について』


 異世界における子供の名前の付け方は、日本と異なっている。『記録者』以前、いつかも分からない時代に「遥か遠き地」より伝わる、「名前の一覧」の中から両親が話し合って選ぶのだ。


 その一覧にある名前のほとんどは日常生活では使われない名前の為だけの単語であり、それぞれ意味が込められている。


 その数は余りにも膨大であり、全てを把握しているのはこの世でも『記録者』だけではないかと言われている。その理由としては、彼が名前をまとめた一覧の本を書いていたからである。原書は最も国力が大きく歴史も古いローラス王国の王宮に保管され、王族の名前を決める時にだけ用いられる。総合数万ページ、もしかすると数十万ページ以上、計数百巻を超える大作であり、複製品が市場に出回ることはまずない。


 ここで登場するのが、「一覧師」と呼ばれる職業である。一覧の中身をできる限り覚えた彼らは旅に出、自分の知らない名前を見つければ由来を尋ねて記録し、同業者と集会して共有する。そうして世界中を旅しながら自分の一覧を増やしていき、産まれてくる子供の名前の相談を受け持つのだ。大きな街には数人が常に待機、小さな村でも縄張りを決めて定期的に巡回しており、間に合わないということは少ない。


 しかし、最近では地方による訛りや聞き間違い、適当につけられた名前と気付かずに一覧に加えてしまうなどで、原書にはない名前が増えている。伝統の破壊や誤解、正しい名前を付けられないなどで批判も多いが、その一方で多様性があっていい、新しい!という賛成の意見も存在する。


 貴族や豪商は当たり前として、一般市民や村人でも十分に払える良心的な相談料である。だが、貧民街の住民など、中には払えない者も当然存在する。そういう者達は保留の名前を付けて後で金を払って正式な名前を付けるか、もしくは自分達で名前を創る。


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