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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第7話 仲間




 気づけば朝日が昇り、外は明るくなっていた。慣れ親しんだベッドの感触ではない、硬い床の感触に疑問を覚え、思い出す。


「あ……う……俺?」


 なぜ、学校の廊下で寝ていたか。昨日何があったのか。誰が死んだのか。無残に散った仲間の姿。自身と共に寝転ぶ、数多の死体。


「ははっ……」


 また泣きそうになったけれど、もう涙は出なかった。また叫びそうになったけど、もうまともな声は出なかった。


「……みんな、死んでる」


 流れ出た血の匂いが鼻を刺し、太陽が仲間の骸を照らしている。


「俺だけ、生き残ったのか」


 かろうじて出せた声は掠れていて、自分でも何を言ったのか、聞き取れないくらいだった。


 少年は、ゆっくりと歩き出した。目的も行く先も曖昧なまま。ただ、心の奥底にある悲しみに、思い出さないように鍵をかけて。





 あれから数日が経った。何日経ったなんて覚えていないし、記憶しようとも思わなかった。


 仁はまだ、生きていた。


 食料と水は、近くの無人のコンビニから勝手に持ち出した。オークやゴブリンに粗方食い尽くされていたが、缶詰めなど開けるのが難しい食べ物は残っていた。


「これ、犯罪だよな」


 盗みを働いている意識はあった。しかし、生きる為にはそうするしかなかったし、彼を裁ける法も機能していなかった。


「まるで、街そのものが死んだみたいだ」


 うろ覚えではあるが、仁が起きた時にはもう、電気は通っていなかった。人もおらず、食料もない街は、とても静かだった。


 オークやゴブリンなどの魔物を見かけることは多々あったが、物陰や空き家に隠れて逃げ過ごした。その最中、少しでも情報集めようと観察を続けていて、あることに気がついた。


「あいつら夜行性じゃないのか」


 夜、オークがいびきを立てて寝静まっている姿を、偶然見つけたのだ。さすがに近づくほどの勇気はなく、そっと通り過ぎたものの、いい収穫だった。


 奴らは夜間にあまり活動しない。それからの食料調達は、夜の間に行われた。





「死にたくないな」


 夜中の公園のベンチで盗んだ缶詰を食べ終えた仁は、誰もいない闇を見つめ、身体を死の恐怖に震わせていた。


 仁の心に死にたいという思いや、殺してくれだのという思いは一切なかった。仲間を殺された人間がそのようなセリフを口にしているのを、テレビの中で何度か見たことがある。けれども彼はまだ惨めに、無様に生にしがみつこうとしていた。


 仁にはそれしかなかった。


「怖いなぁ」


 なぜ、死をこれほどまでに死を怖がるのか。きっかけは特になかったと思う。昔、本当にただふと、たまたま死んだ後には何があるのかと考えた。


「そんなこと死んでみないと分からないし、死にたくもない」


 だから、死を自分という存在が無い時と仮定し、自分が産まれる前のことを考えた。そうして彼なりの答えに辿り着いた。


 何も無いのでは、と。


 産まれる前の記憶などありはしない。自我というものがないからだ。死とはもしかしたら、自我が消滅することではないかと。自我が消滅したらどうなるのかと……考えて、考えて怖くなった。


 その日から、仁は死と暗闇を特別怖がるようになった。


 しかし、時が経つにつれてその考えは薄れていく。高校に入ってからは死の想像に囚われることも少なくなった。それより、楽しかったのだ。皆との生活が。皆が、仁を救ったのだ。


 その皆を間接的に殺しておいて、いけしゃあしゃあと生き続け、なおも生き続けようとする自分が、どうしようもなく嫌いだった。


 あれ以来、幻覚や幻聴の類を見ることはなくなった。僕と名乗るもう一人の仁などまるで幻のように消え、死の恐怖だけがこびりついて、離れてくれなかった。





 何度も死体を見た。首を折られた死体。槍で貫かれた死体。焼かれた死体。身体中を刻まれたような死体。たくさんの種類の、たくさんの数の死体を見た。


 最初のうちは仲間の死体を思い出し、胃の中が空っぽになるまで吐き出していた。だが、時が経つにつれ、次第に慣れていった。いや、心が麻痺していったというべきか。ああはなりたくないと、心の奥底で祈るだけだった。


 仁の心は限界まで擦り切れ、麻痺し、傷つき、膿んでいたけれど、まだなんとか壊れていなかった。


 細い、一本の線が仁の心を守っていた。それだけが、彼の心を守る全てであった。それがなんなのかは、仁にすら分からなかった。






「……!」


 死体を見飽き、自分以外の生きている人間を忘れかけた頃。息を潜めて、空き家へと入ろうとした仁の耳に、物音が飛び込んだ。


「どっちだ?」


 音を立てないようにドアを閉め、耳を澄ます。オークの豚の鳴き声か、ゴブリンの耳障りな甲高い声か。はたまたそれ以外の人外か。


 ようやく聞き取れた音はゴブリンの声。そして、もう一つ。


「い、いやぁ!た、助けてっ……!」


「人間だ」


 正体と同時に状況を耳で把握。驚くべきことに、人間の声がする。どうやら魔物に襲われているようだ。


「奥の部屋?」


 声の発信源は奥の部屋。今すぐに背を向ければ、襲われている女を囮にして逃げれるはずだ。背負わなくてもよいリスクは極力避けるべきだと、仁の冷静な部分が叫ぶ。


「ごめんな」


 ドアから離れ、走り出そうとしたその時、死んだ友人の顔が心に浮かんだ。頭を振り払っても消えず、むしろ存在感を増していく。彼らが口々に叫ぶのだ。


「助けてくれ」


 懇願するように叫ぶのだ。あの時の責任を取れと言わんばかりに。


「っ……」


 思考に迷いが生まれた。最初は小さな罪悪感。それは次第に膨らみ、やがて思考を埋め尽くしていく。


 今なら、哀れな女性を囮に逃げれる。


「けど、今ならまだ助けられるかもしれない」


 彼の中の天使と悪魔が争う。他社の生を優先して救う人間か、自らの生を優先して捨てる獣か。


 友人やその彼女、仲間や先生の声が仁の頭に木霊していく。思考が「助ける」へと少しずつ変わっていく。だが、まだ足りない。仁が覚悟するのには、あと一つ足りない。


「鍵かけたのに!なんで諦めないの!」


 聞こえてくる声が、女性の生存を教えてくれる。だが、それも時間の問題だ。音からして、ゴブリンは武器を持っている。木の扉に鍵をかけた程度では、五分と経たず突破されるだろう。


「どうすりゃいい……」


 数は何匹だろうか。武器はなんだろうか。オークが紛れていないだろうか。そして、どう戦えば勝てるだろうか。


 仁は想定できる範囲で、戦闘を想像し続ける。それはとても幼稚なもので、特殊能力の未来予知でもなければ、戦況を操作する能力、相手の何手先までをも読む能力などではない。ただの大まかな推測に過ぎない。


 だが、この稚拙な予想と卑屈なまでの臆病さ、恐ろしいまでの冷静な判断の速さが、仁を今まで生かし続けた。感情に邪魔され、判断の速さが鈍ることはあれど、他の二つは一切鈍ることはなかった。


 思考に没頭する仁を置き去りにして、時は進み続ける。扉を何かで殴る音が、木が張り裂けていく音が聞こえてくる。助けを求める声が聞こえてくる。


「……っ!?やめろ……よ」


 不意に浮かんだのは、同じように助けを求めて手を伸ばした少女と、それに寄り添うように息絶えていた少年の姿。最期に手は繋げずとも、最後には手を繋げた二人の光景。自分が救えなかった、未来があったはずのもう未来がない仲間たち。


 その仲間達の死に顔が、仁の背中を、あと一歩を押した。


「ああ!ちくしょう!」


 左手にいつかのコンパスを握りしめ、気が付けば駆け出していた。扉を開け放ち、空き家へと侵入する。玄関に飾られていた花瓶を右手に、洗面所へと続く扉の前に居座るゴブリンへと突撃。


「コンパスと花瓶が武器なヒーローって、本当にかっこわるいな」


 冷めた部分の自分がひっそり呟く。けれど、その冷めた自分さえもが熱くなる。いつか味わったあの感覚が、身体に戻っていた。


 仁はヒーローみたいにかっこよくはない。だから、勝つ為の手段は選ばない。使える武器はなんでも使う。


 緑の魔物を視認したと同時に、足音に気付いたゴブリンが振り返る。


「遅えよ!」


 振り上げた花瓶を、一番手前にいるゴブリンの脳天へ叩きつける。砕け散った破片が輝きながら、雪のようにきらきらと舞い落ちた。


 足に刺さらないように大きな破片だけを避け、二匹目に接近していく。小鬼はまだ状況が飲み込めていないのか、武器を構えてすらいない。


「あああああああああああああああああああ!」


 絶叫ともに、コンパスをぬぷりと魔物の首筋へと埋め込む。床へと伏せたゴブリンを放置し、最後の一匹へ。


「ぐっ……誰だよ新手……違う!?」


 そのまま最後の一匹を仕留めようとした仁の身体が、何かに引き止められる。振り返って、自分の左足を掴む小さな手に気がついた。


「こいつ、まだ生きて!」


 首筋に穴の開いたゴブリンが、仁の左足を掴んでいたのだ。まるで、仲間を殺させないと言っているように。


 ゴブリンは魔物だ。害があって、物語で出てくる敵で、醜い小鬼だ。しかし、彼らにだって仲間という概念や、怒りや悲しみという感情はあるのだ。そのことに、仁は気づかなかった。ゴブリンは仲間を助けようと命をなげうった。


 ゴブリンの力は決して弱くはない。その上、最後の力を振り絞っているのだ。そう簡単に解けるわけもない。そして手間取る仁を、時間は待ってくれやしない。


「ギィギギャアアアアアア!」


 振りほどくより早く、怒りの叫びが仁の身体を震わせる。言語であるかは分からない。だが、込められた感情が怒りであることだけは、なぜか分かった。


 一秒も経てば、仁はゴブリンの攻撃をくらうことだろう。あとは振り下ろすだけだから。


 あの先端の尖った棍棒を頭に振り下ろされたら、仁はどうなる。最悪、死ぬ。


「あああああああああああああ!」


 横から聞き覚えのある声が、立ち尽くす仁の耳へ割り込んだ。


「今っ!」


 声と共に空気中を横切った光の反射がゴブリンの頭へと叩き込まれ、小さな身体が地へと沈むこむ。


 仁はこの機を逃さなかった。足を掴むゴブリンの腹を右足で踏み潰し、トドメを刺す。中の何かが弾ける、嫌な感触と気持ち悪い音が部屋に廊下に響く。


「離して……くれよ」


 しかし小鬼は死んでもなお、仁の左足に痣ができるほど強く握り続けていた。


 危なかった。砕け散った手鏡と腹を潰した死体を見て、仁はそう思う。誰かが手鏡でゴブリンを殴りつけてくれなかったら、死んでいたかもしれない。


「助けてくれて、ありがとう」


 助けに来た立場が助けられてしまった。自分を助けてくれた女性へと、仁は深く頭を下げる。


「何言ってんのよ。私の方が助かったわ、仁」


 お礼を言いあって、ふと違和感に気づく。


「……なんで、俺の名前を知っている?」


 自分の名前を知っている。つまり、日本人。異世界人ではない。しかし、警戒を怠るわけにはいかないだろう。


 そう思い、険しいままの顔を上げた仁は「あっ」と声をあげた。失礼だが、余りの驚きに指をさしてしまった。


「忘れたの?私の名前はクラスメイトの香花です!ほら、分かる?」


「幽霊……じゃないよな?」


「この通り、脚もちゃんと生えてる」


 パンパンと太ももを叩き、けらけらと笑う慣れた顔。あの騎士達の襲撃で、自分以外に生き残りがいるなど、まさに青天の霹靂だった。


「怪我は?」


「特になし!……他のみんなは?」


 躊躇いがちな香花の質問が、仁の耳から心を抉る。溢れ出る死の光景を無理矢理、抑え付けて、


「……俺だけだと思ってた。他のみんなは……死んでた」


 改めて口にして、現実を再認識させられた仁の目が熱くなった。生き残りがいたことに喜んだのか、仲間が死んだことを思い出して悲しんだのか。


「そっか……あの時怖いと思って、必死で逃げたの多分、私だけだったし。他のみんなは、間に合わなかった……のね」


 薄々予想はしていたのだろう。香花は声を震わせ、目を伏せてはいても、それでも仁よりは平静を保っている。


「学校から離れて、この家に引きこもってたんだけど……もう安全な所はないのかな」


「ここにはもう、ないと思う」


 この世界にずっと安全と言えるところは、どれだけあるだろうか。少なくとも、魔物が跋扈するこの街にないことだけは確かだ。


「だよね……ま。暗い事はよして明るいことに。今日は仁がいなかったらどうなってたことか。本当に感謝してる!この通り!」


「……でも、俺」


 涙を流す仁を励ますかのように話題を変え、香花は感謝し続けた。頭を下げ、手を合わせ、口を動かし、あの手この手で感謝を伝えてきた。


「気にしないでって言うのは無理だと思うけど、気負わないでいいよ?あの時は、仕方なかったんだよ」


「し、仕方なくなんか……ない。帰ってこな」


 自分にそんな資格はない。仁がそう反論しても、香花は彼を慰めた。


「仁は頑張ったよ。仁が頑張ってくれなきゃ、あいつらが来る前にみんな死んでた。だから、助けてくれてありがとう」


「……っ……ほんとうに……?」


 香花の慰めと感謝の五文字に、抑え込んでいた感情が決壊した。


「うん、本当」


 こんな自分でも、仕方がなく人を見捨てた自分でも、誰かを救えたのかと。


 あの時逃げた罪、仲間を見殺しにした罪は、今も重く仁の心を縛り付けている。逃げたのに、のうのうと生きている。仁の心はずっと暗い海の底だった。


 でも今は、ただただ人の命を救えたことが、途方もなく嬉しかった。


 仁は香花と向き合う。互いに見つめ合い、口を開く。しかし、まだ声は出ない。言葉になる前の呼吸だけだ。


 この世界は、一人で生きていくには厳しすぎる。さっきのように一人では対処できない事態が、これから先も必ず起こるだろう。


「一緒に来ないか?」


「えっ」


 だが、二人なら?二人なら、そのような事態も回避できるかもしれない。


 しかし、香花がいきなりの提案に戸惑うのは当たり前だ。いくらなんでも急すぎる。しかも異性からの提案、というのも拍車をかけていることだろう。


「いや、その!二人なら少しは安全だろうしさ!」


 下心などはない。すればするほど怪しくなるアピールを必死で行う仁に、香花の顔はどんどん険しくなかっていく。しかし、疑うような表情はすぐに消えた。少女はくすりと笑うと、


「もちろん。こっちからお願いしたかったよー!これからもよろしくね!」


 全くそんなこと思ってなかっただろうに、そんな風に笑う彼女を守れて本当に良かったと、仁は心の底から思った。






 台所から缶詰めを取り出し、二人で食べなから今後のことについて話し合う。


「鞄とかいるかな?食料とか水入れるやつ」


「それは今度、スポーツ用品店にでかい鞄を取りに行くつもり。香花はなにか、武器とかに使えそうなものない?」


「コンパスとかでいいならあるとは思うけど……あっ、包丁とかいいかも?」


 生きている二人で、これからの未来について話し合う。内容はとても物騒だったりするけれど、それはとても素敵なことだった。


 話し合いを終えた二人は家の外へ出て、スポーツ用品店へと向かう。足並み揃えて、助け合って。


 彼女を、仲間を守る。これこそが、贖罪なんだと信じて。死んでいった仲間のためにもと、そう信じて。


 数奇な運命だった。仁がここで彼女を見捨てていたら、仁は生き残れなかったのだから。彼女を助けたから、仁はこの世界でまともに生きることができなくなったのだから。


『大蜘蛛』


 『人喰い蜘蛛』や『大八脚(おおやつあし)』『ビグスパイ』など、地域によって名前が異なる。魔物と区分されているが、ゴブリン達とは異なり、蜘蛛の一種である。過酷な生存競争に生き抜く為に、体格を大きく進化させた。


 体長は1m前後。しかし、稀に2mを超える大物、ごく稀にそれ以上の個体も存在する。記録によるもっとも大きな個体は、全長15mという怪物だった。


 主な住処は森や洞窟の中。主食は小動物からゴブリンやコボルト。時にはオークさえ食すこともある。極めて強い麻痺毒を牙に隠し持っており、死角から音もなく忍び寄って突き刺し、獲物の動きを止めた後に捕食する。テーブルマナーは極めて残酷な為、ここでは割愛。


 一般的な蜘蛛とは違い、その巨体故か、糸で巣を作ることはない。木々を移動する際や、戦闘において相手を拘束する際に使う。


 基本的に群れることはないが、魔物の大群に漁夫の利を狙って同行する個体も存在する。


 見る人が見れば、一瞬で気を失うだろう。


 

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