第65話 正攻法と裏技
「失礼します」
扉を開けた途端、鼻に染み込んでくる紙の匂いが図書室を想像させる。後ろの少女の足が線を超えたのを確認してから部屋の入り口を閉めて、彼と向き合う。
「ご苦労。もう少しで終わる。待っていろ」
「今までお疲れ様っと。私はもう大丈夫かな」
部屋と街の主に相応しい態度の男は机の上で何やら文字を書き込んでおり、短い髪の白衣の女は手元の書類に目を通している。どちらも、ついさっきまでシオンと仁が行っていた作業に関わるものだろう。
朝早くの集会から時計は一周し、もう太陽も寝てしまった後、司令室に真実を知る者達が集まっていた。
待つ間、その場を動かずに目だけ動かし、部屋の書類の山の表面の何枚かを適当に流し読みし始める。『食料計画』『工場再建計画』『配給店リスト』『罪人の扱い』などなど、様々な内容を読み歩いて五分程経った頃、羽ペンが机に置かれた音がことりと響き、
「待たせた。今日の発表、見事に役目は果たしたな。前の貴様達とは思えない、実にいい演技だったよ」
「ポーカーフェイス出来るようになるなんて、成長したよほんと」
「「ありがとうございます」」
柊と梨崎から成長と、今日の演技の出来を褒める労いの言葉がかけられる。彼らの褒め言葉通り、あの剣舞も抜群であったし、嘘を吐いた時に表情が揺らぐ事もなかった。
シオンが柊に斬りかかったところから始まった演舞の意味は、魔法と敵の強大さを知らしめ、魔法を使わなければ戦えないと誘導する為。事実、あれを見た人間のほとんどは超人的な仁とシオンの動きに正面戦闘での敗北を悟り、憧れた。
「些か熱が入り過ぎていたが、惹き込むという意味では悪くない」
憧れる方向に心を突き動かしたのは予想外だったと、柊は顔を崩さぬまま声で笑う。
「ま、いいアドリブだったんじゃない?」
計画の出発点の柊暗殺未遂、最終着地点である仁の敗北は決まっていたが、その他の流れは全てアドリブである。
だから仁は、あの場でシオンとのいつもの稽古を本気で演じた。刻印と同時発動、己の領分を活かしてフルに戦い、死ぬ気で勝ちを取りに行った。勝ちを取りに行っても、負ける自信があったから出来た、目的に反した行いである。
演舞と演技に関しては、一切問題はなかった。しかし、柊達が頭をは悩ませたのはその次。
「問題は志願者が多すぎた事だな。嬉しいには嬉しいが、あれだけの人数には一度に刻めんだろう」
「日に五十人が限界だねあれ。シオンを一日一つの事に拘束するわけにはいかないし」
「私も、そうしてもらえるとありがたいです」
軍に所属する者ほぼ全員が刻印を志願したのはいいが、刻める人間はシオンだけ。元より釣り合いなんて取れるわけもないバランスだったが、それでも多すぎる。
演舞の後、試しに刻めるだけ刻んだ結果、全体の一割に満たない百人余りで日が沈んだ。
「多少慣れで効率化できそうだけど、やっぱりかかっちゃうか」
時間がかかった理由は多々ある。まず、一人あたりに刻む刻印の種類と数が強化が1、治癒が1、属性の剣が1と盾が1の計4であった事。
「ご、ごめんなさい……恥ずかしくて」
「私情は挟まないでもらいたいが、熊などを考慮するに仕方ない面もあるな」
顔を下に伏せたシオンの謝罪の理由は、完璧に心情によるもの。無駄を嫌う合理的な柊だが、むさ苦しい男達の筋肉に長時間囲まれ続けるという地獄には、さすがに思う所があったのだろう。刻む際に恥ずかしがった事に関しては、これから直して欲しいとだけしか言わなかった。
ちなみに、もう二人。私情を挟んだ人間もこの部屋にいる。
(俺君、同意するけどそれ私情ね)
(……分かってはいる。付き合う気も無いのに嫉妬とか、どうしようも無いな)
傍で儀式のフリをしながら、軍人の背中や腕に刻印を刻むシオンをずっと見ていた仁の心中には、抱いてはならない醜い嫉妬が芽生えたりしていた。別に恋愛の意味も無い触れ合いなのに、想像以上に独占欲が強かったようである。
本当に決意が揺らぎかけていて、単純すぎて重症すぎて自嘲するしかない。
「初回だし、彼らに魔法の基礎のキを叩き込むのもあったしねえ。僕もう口がヘトヘトだよ」
考える程に泥沼は深くなる。そう言い聞かせ、思考を切り替えて話を戻し、他に手間取った理由の改善を図る。
「年甲斐もなく喜んでたからね。ま、注意も講義も初回だけだし」
最も時間を取られた手間は、刻む前だ。魔法が使えるとはしゃいでいる全員と熊に対する、厳重な注意と魔法の講義。そして刻んだ後に行った、動作確認と暴発を防ぐ講習だろう。どれも初回のみの為、今後時間の面で気にする事はないが、
「……その注意と講義の内容を破るバカがいないか。今でもすでに頭が痛い」
不安という意味では、一番頭を抱える部分ではある。既に柊は机の上へと視線を落とし、額を掻きむしっている。
「魔法を手に入れたから、試しに使おうってのは分かるんだけどね。なんせ、男心どころか女心もくすぐられる」
手の甲に刻まれた刻印を撫でる梨崎の言には、仁も全面的に同意だ。使えると知った時、初めて発動した時の興奮は今も胸に焼き付いている。あれは、そう抑えられるものではない。
「注意もしたけど、見てないところだとねえ」
故に、過度の使用を止める為に注意をきっちり行った。許可の出された訓練と戦闘、及び自らの身に危険が及んだとき以外の使用禁止。特例を除き、次に刻む順番が来るまで魔力の補充をしない等であった。
「多少なら、目を瞑る」
しかし、魔法を手に入れても許可が無いと一切使えないのはさすがに酷というもの。部屋の中で小さな氷を出して喜ぶ位は、柊も諦める。長時間持つのが厳しい重さの荷物を運ぶ時に、軽く使うくらいなら見逃そう。
「だが、裁かなければならないのは悪用した時だ」
幾ら軍人と言えど、所詮は人間。力を持てば己の利益の為だけに振るう事も十分、いや、必ず起こ
る。そう考えた上で、対策の意味合いを込めた予防の注意と、死刑が基本の罰則の制定。
「だから魔力の補充を一定期間ごとにする。これは実にいいところじゃない?」
補充を魔力が無くなってすぐにではなく、日数制にしたのはシオンの負担を考えたからだけでは無い。主な目的は、ルールを破って無駄遣いをするバカを減らすことにある。裏で悪事に魔力を使って空にしてしまえば、魔法は使えないのに前線に立たされて魔物の餌になるか、軍の調査が入るのみ。
いい予防だと梨崎に出した案を褒められたが、俺とシオンはどこか浮かない顔だ。
「一応、一日数時間くらいの狩りなら数日耐えられる分の魔力は刻んだけど、真面目に使った人で引っかからないかは心配だわ」
その理由は、注意を守って必要な分だけを使った人間も、魔力の補充を行えないというケースが起こり得るから。
万が一狩りが長引いたり、強敵を倒すのに魔力を使い過ぎたりした場合でも、原則補充は認められない。例外としては騎士や龍の襲来など、大規模な戦闘が起こった後は、少ない者から補充する決まりにはしたが。
「それに関してだが、普段の戦闘でも魔力は出来る限り使わせんように立ち回らせる」
「今まで無しでやれてたし。まぁ魔力を浮かすか、弾薬と銃を浮かすかなんだけどさ。戦い方を工夫すればなんとかなるでしょ」
仁やシオンのように魔力をガンガン使っていくのではなく、要所要所で強化し、ここぞという時に魔法を使うようにするのがどうやら軍の方針のようだ。『勇者』と一般人を差別化もできて一石二鳥である。
「それにしても、最低なやつらに基準合わせて、良い奴らが割食わないといけないのはどこも変わらないか」
全員が軍に忠実で信頼ができるのなら、こんな事をする必要はなかった。刻めるだけ刻んで戦力を増やし、戦いに備える事だって出来ただろう。真面目に使い切ってしまった兵士が、補充されないなんてことも起こらないだろう。
「悪に手を染める者もいる。それが人間というものなのだ。リスクを避ける以上、仕方がない」
そう嘆く梨崎に柊は頷きつつも、現状打つ手はこれ以外にはないと断言する。
「考えられる最悪は、刻印を持った者達にクーデターを起こされる事だ。死傷者の数や戦闘の規模は今の比にならん」
刻印の普及、及びそれによる戦闘の変化は、それこそ歴史における銃の登場に並ぶものとなるだろう。なにせ銃弾を避け、塀を軽々飛び越え、大地を割るような剛力、何も無いところから氷の盾や剣を出せる等、人外の力が人のものとなるのだから。
「暗殺には、今まで以上に気を使わないとね」
ドアは紙切れのように脆くなる。凶器なんて現場で作れる。音の大きい銃なんて必要ない。圧倒的な身体能力を活かし、素手で暗殺できる。解除して氷を溶かせば証拠隠滅も容易だ。捕まらない可能性が大きくなれば、犯罪のハードルは下がってしまう。
医療に関してはトップでも、前線には出ない梨崎が刻印を刻んだのも自衛の為だ。
「この力の管理は貴様らの嘘と同レベルに扱わねばならん。シオン。大規模な襲撃でどうしても戦力が欲しい時、または私が死んだ時以外には、何があっても許可無しに刻印を刻むな」
「はい」
故に柊は唯一の刻印製作者の目を直視し、独占を誓わせた。シオンが刻みさえしなければ、日本人には魔法を使う事は出来ない。つまり柊が彼女をコントロールできれば、反乱の芽は限りなく低くできる。
「仁。お前はシオンを見張り、死んでも守れ。仮にお前が人質になった時でも刻ませるな」
「分かっています。命に代えても」
「元よりそのつもりさ」
そして仁にはシオンを縛る鎖となり、枷とならない事を誓わせる。
シオンのコントロールを奪われる可能性が最も高いのは、弱い仁が人質に取られた場合だ。優しさ故に、彼女は全てを救おうとしてしまう。人質の彼の命を繋ぐ為に、許可無き者に刻印を刻み、後で自分が責任を取り、刻んだ者達の命を刈り取ろうとするだろう。
しかしそれは、少年が解放されなければ取りようのない責任なのだ。故に仁は、人質となった時に自らを解放しなければならない。脱走か、自害のどちらかで。
「私は命に代えられても、嬉しくは……」
「シオンと俺と僕の命、どっちが重いかは明白だ。平等なんかじゃない」
シオンからすれば、仁には絶対に死んで欲しくはないのだろう。しかし、現実を見てその状況になれば、足手纏いになるくらいならば、仁は死ぬべきなのだ。ベットできる金が無ければ、ルーレットは回らないのだから。
「君さえ生きていれば、まだ番狂わせは起こり得る。シオンが最後の賭け金なんだよ」
そのベットの為の賭け金は仁じゃない。シオンだ。彼女を守る事が街の未来を守る事ならば、『勇者』の誓いを立てた彼は殉じなければならない。
いざとなったら自らの命を捨てる。今まで強くなりたかった理由を、仲間を殺してまで手繰り寄せてきた命を捨てると言った仁を、梨崎と柊は無表情に、シオンは複雑な表情で見つめていた。
「分かったわ。けど、仁は死なない」
当たり前で仕方がない。正義の為の犠牲を説く仁に、彼女は服の端を悔しげに握り締め、唇の端を何かを決めたように噛み締めて、
「だって私が、人質になんてさせないもの。仁の自殺する覚悟なんて無駄にしてやるわ」
自害をするような状況なんて作らせないと、シオンは誓った。確かにそうだ。想定された最悪の時の動きなんて、最悪に陥らなければ別に取らなくていい。
「ははっ!いや、そうだな!実にそうだ」
「ふふっ……!いやぁ、面白いね。この『勇者』。本当に理想と希望に生きてる」
何がおかしかったのか。シオンの真顔での宣言に、大人組は腹を抱えて笑いだした。それはもう、ともすれば馬鹿にされているのでないかと思ってしまう程、大きな笑い声だった。
(……もう。本当にこの娘は)
そして仁も、笑ってしまいそうになった。あれだけ怖い死を受け入れる覚悟をしたっていうのに。そんなものをぶち壊すといった、自分を守ると大見得切った欲深くて優しい少女に、相変わらず敵わないなと思ってしまった。
「な、何?私ってそ、そんなにおかしかった?」
「構わん。そうならん事に越した事はない」
「そそ。そうだね。最悪なんてわざわざ通る必要なんてないね」
「うんうん。いいんだよシオン。そのままで」
「安心していい。おかしい事じゃなくて、いい事を言った」
全員から生暖かい視線を受けたシオンは、分からないとたじろぐばかり。そんな少女に、また視線は温度を増して向けられる。
最悪を避けるなんて当たり前だ。しかし最悪を常に想定し、それを上回る最悪に襲われ続け、戦い続けた者達からすれば、彼女の当たり前の宣言は青天の霹靂、槍の雨、それこそ世界が変わったあの日にように、常識をガツンと殴り壊されたようなものだったのだ。
「では、また明日も頼むから」
「嘘を吐き続ける事、刻印を勝手に刻まない事、この二つはくれぐれも頼んだ」
部屋に招いた目的である今日の成果の報告と、今後の動向についての注意は終わり、仁とシオンは柊から退室を促された。
「もちろんです」
「了解」
「サー!」
最後の確認に三者三様の答え方で了承を告げ、仁達は部屋を出る。その去り際を、入ってきた空気に揺られた馬酔木の花が見送っていた。
そして、大人しかいなくなった室内。
「あんな簡単な事を今まで忘れてたなんて、ねえ?」
「ああ。常に最悪を踏み続けているつもりで進んでいた」
気付かされた事と、少女の純真さに未だに衝動が収まらないと、馬酔木の花を見る彼らは笑い合う。
「仁はこっち側、シオンは頭お花畑……うんうん理想と希望の旗印としてシオン。そして現実を埋めるのが仁か。いいコンビだね」
「……今までの旗印は、現実的な手段しか取れなかったからな」
理想では補えない空白を埋める為に、血に汚れた作戦をずっと実行してきた二人にとって、あの場であんな事を恥ずかしげもなく言える少女は非常に眩しく見えた。
故に、少女は人類の希望に相応しい。彼女は理想を語り、希望に生き、現実をねじ伏せる為に為に戦う。
「こっちの頭は眩しいだけだしね」
「しばくぞ」
現実を語り、絶望に向き合い、叶わないと理想を諦めて戦う柊達では、人類の希望にはなれなかった。生き残る道を作る事はできても、明るく前を向かせるような光で照らせなかった。
「けど、理想だけじゃ救えない部分もある。それが現実だ」
「そうそう。理想って光をハゲ頭で反射してあげないと」
「先に貴様の冥土への道筋を、俺の頭で照らしてやろうか?そういう時は太陽と月に例えればいいだろこの馬鹿者が」
「似たようなもんじゃん。太陽と月、光とハゲ頭。関係性は同じ」
だがそれでも、明るいだけの光では届かない場所もあるだろう。そこを照らす事は、ハゲ頭にだってできるはずだ。なにせ光を反射するのだから。光があれば、輝けるのだから。
「だから私達は私達で、嘘を吐き続けないとね」
「嘘を止めようとした少年を責めた私達の方が、ある意味非道な嘘に塗れているのは、実に面白い皮肉とは思わないか?」
引き出しの鍵を開けて、彼が取り出したのは極秘と書かれた書類の束。人類を繋ぐ為に、柊と梨崎他数名が吐いた嘘と行った外道の計画書だ。
それは、熊も堅も環菜も楓も紅も知らない、決して教えることのできない、この街の秘密。心の壊れた梨崎だから耐えられる、光では照らせぬ闇さえ喰らい尽くす、禁忌の闇。
「上手く隠せたんだね?」
「隠せていなかったら反乱が起きているはずだからな。安心しろ。工場の跡地の整地は関係者のみにやらせた」
「中心部を掘らせろなんて要求、本当にびびったよ。下手したら一発だし。柊さんのポーカーフェイスと咄嗟の言い訳には本当に脱帽。あ、脱ヅラ?」
「そろそろ本当に撃つぞ?」
それは、街を救う為なら何でもすると誓った者達の、殉じ方と救い方だった。明るく冗談で隠しても、笑う事なんて出来ない方法だけれど。
一方、こちらも二つの身体しかない違う室内。
「……ね、ねぇ、やっぱり私のさっきの発言、おかしかったかしら?」
自室へと帰ってくるなり、シオンはやっぱり馬鹿にされたのではないかと気にし始める。対人経験が少ないせいか、彼女は会話における失敗を極端に嫌がるのだ。
「だから大丈夫だって。あれは気持ちのいい笑いって感じだったし」
「おかしくはなかった」
別に変でもなかったと、仁二人はもう一度フォローし直す。本当に変な事を言ったなんて思っていないし、実際にあの場でもいい発言だったと言っている。
(かっこよかったが)
(僕が女の子だったら胸キュンしてた)
ただ相当にイケメンな発言であったとは、内心ずっと思っているのだが。どれくらいかと言えば、男である仁が思わずくらっと来る程の。
とは言え、仁もシオンの事を命に代えても守ると言っていたり、中々に似たようなレベルのセリフは吐いていたのだが、自覚はないようである。ちなみに悲しいかな。場面的に、シオンは仁の発言にくらっとはしていなかった。
「で、シオン。僕らの稽古の採点をお願いしたいんだけど、いいかな?」
「あ、そうね。まず言えるのは、見違えるくらいに強くなったわ」
フラッシュバックしたあの時の心の揺らぎを振り払うよう、話題と脳みそを違う方向へと誘導。しかし、
「あ、ありがとう」
素直に褒められてしまった結果、いつにない恥ずかしさに襲われてしまった。土壇場と誘惑に弱い僕どころか、俺までもがである。
(調子狂うな)
(……うっう……心って勝手に反応しやがるもんなんだね…)
明らかにおかしい。相手のプラスな言葉に大喜びし、少し褒められれば俯くくらい恥ずかしくなるなんて、初恋の思春期みたいではないか。
「どうしたの?」
「何もない。続けてくれ。どういう風に見違えたとか、どこが悪かったとか」
側から見れば気持ち悪い、ゴリラの正式名称はゴリラゴリラゴリラ等様々な呪文を脳内に巡らせて脳内のパニックを沈静化。元に戻ったクリアな頭でシオンの目ではなくでこの辺りを見て、話を再開する。
「攻防の切り替えが上手くなったわ。前は防御に思考が寄りすぎてたけど、今はとてもいい感じ」
「無駄がないって言ってやつね」
動きが変わった理由はきっと、仁の中の優先度も変わったからだろう。生き残る為ではなく、何かを守る為に。命より大事な何かができたから、無駄な防御が減った。
「魔法の動かし方も素晴らしいと思うわ。精度だけで言えば、平の騎士には勝てるかも知れない」
「そんなに、いいのか?」
「うん。想像した動きをほとんど再現できてる。やっぱり仁は想像力逞しいのよ!」
「シオン、ちょっと意味違うく聞こえるからやめて」
魔法の精度に関しては10点中9点、花丸をもらった事に驚き、シオンの褒め方を訂正し、そしてまたその天然な姿にさえ心が揺らいだ。もう本当に重症である。
揺らげば揺らぐ程、傷は広がるのだけれど。
「特に魔法の同時発動の想像があそこまで固まってる人間はそういないわ。母さんと叔父さんに匹敵するかも」
「……僕、もしかして才能が!」
ちらっと聞いた話からの推測ではあるが、世界に名を轟かせるような名魔法使いと、一部の技術は同レベルと言われて舞い上がる。とはいえシオンの世界では同時発動なんてしない方が普通なので、必然的にぎこちなくなるもの。魔法が使えない故にそういう思い込みもなかったから、開花しただけである。
「けど、剣術と戦闘の運びがまだぎこちないわね。精度は良くても選択が悪い時が多々あるから、持ち味を活かしきれてないかな」
「才能が妬ましい……」
それにその他の点をボロクソに言われ、浮上した僕は再び撃沈してしまう。やはり、純粋な技量は年月が物を言うのだろう。たった半年やそこらで、人生のほとんどをかけた少女に敵うはずはないのだ。一週間、想いを込めて死ぬ気で剣を振っても、たかが知れているというもの。
「そんなに落ち込まないで。成長の速度はすごいとの。ここ一週間の伸びで言えば十分に才能はあると言っていいくらい。時間が足りないだけで、ずっと剣を振り続ければ私くらいにはなれるかも知れない」
「ほ、本当!?」
落として上げてを繰り返され、僕の心情は忙しい限りだ。だが、今回の褒められ方に浮かれてしまうのは仕方ない。
仁が憧れた剣士は、ゴブリンを斬り伏せた時のシオンなのだから。ただ真っ直ぐに、無駄もなく紡がれたあの白銀の線と可憐に舞う少女の背中を、仁はずっと追ってきたのだから。
初めて見た剣技は違う騎士のものだったが、友を殺した剣に憧れるなんて、出来るわけがない。憧れた背中にいつか追いつけると、本人から言われたのだ。嬉しくならない訳がない。
「時間……」
しかし、俺の思考は舞い上がるだけではなく、現実的な問題を直視していた。
「俺らが強くなるには、正攻法じゃ遠いんだな?」
「えっ?あ……うん。けど、剣術は正攻法以外に上手くなる方法はないわ」
今度は真っ直ぐと、照れずに恥ずかしがらずに目を見た質問に、彼女は言いにくそうに答えを返す。
今の仁は弱すぎる。強くなるには時間がかかりすぎて、シオンほどの剣技を得られる頃には、もう日本人は滅びている。
「今の俺なら、イザベラに勝てるか?」
「……悪いけど、無理だって断言してもいいわ。並の騎士相手だったら一対一で、仁の想定通りに戦いが進めば、三割くらいなら」
シオンの言う通り、剣技は一朝一夕で身につくものではない。しかし、時間は待ってくれないのだ。今にも騎士達が襲撃を仕掛けてきても、何もおかしくはない。
イザベラ等の強者を抑えられず、それどころか平の騎士一人倒せればいいくらいだと評価された現状、仁はその時に戦力にならない。役立たずで足引っ張りの『勇者』となってしまう。
「シオン。俺は力が欲しいんだ。最低でも、イザベラとかを足止めできるくらいの」
そんな役立たずで足引っ張りの『勇者』が望むのは、化け物達と渡り合える化け物の力。小手先の工夫と、短い努力では決してたどり着けない境地。
「騎士達の相手は、軍でもなんとかなるかも知れない。けど、化け物の相手は彼らじゃ荷が重いと思うんだ」
柊はその辺を数と銃でなんとかしようと作戦を練っているようだが、それではダメだ。本当にやばい奴らは、それでは止まらない。
「俺はその時に役に立ちたい」
「僕らが化け物の足止めさえできれば、勝機は一気に上がる」
「「だから、新しい刻印の使い方を考えたんだ」」
今は弱く、時間もない『勇者』が提案したのは、他者の努力と時間を嘲笑って蹂躙するようなズルだった。
「そんなの、私は嫌!」
内容を聞いたシオンは予想通り嫌がった。その姿に、もし刻ませた時の彼女の気持ちに心が張り裂けそうになるが、ここは仁も譲れない。
「……それは分かる。けど、分かってくれ。俺としても余り気は進まないし」
「シオンも嫌だとは思うけど、頼むよ」
少ない努力でより多くの力を得て、目の前の少女のような、地道な努力を積み重ねた他者を乗り越えるなんて酷いと仁は思う。
「「守る為に、どうしても力が欲しい」」
それでも、卑怯だと言われても、力が欲しかった。故に頭を下げてシオンに頼む。目の前の彼女しか、魔法を刻めないから。
もう、力が足りなくて守れないのは嫌だったから。
『仁の身体に刻まれた刻印についてパート2』
仁の身体に刻まれた氷の刻印全てが、同じ種類の魔法ではない。「剣」「盾」「彫刻」の三種類であり、それぞれ発動に適した位置に刻まれている。例として、氷の剣を創ってすぐ握る為、掌に刻まれている刻印は「剣」。同様に創ってすぐにかざせるよう、手の甲には「盾」の刻印が刻まれている。
「剣」と「盾」については、何のひねりもなくそのままである。よってここでは、この二つだけでは足りないと感じた仁が目を付けた第三の刻印、「彫刻」について説明する。
この魔法は本来、文字通り氷の彫刻を創る為の魔法である。仁が良いと思ったのは、その自由性。「剣」や「盾」のように種類は固定されていない。その時その状況に適した形で、想像した通りに創れるのだ。シオンとの模擬戦で見せた氷の尾がこれに該当する。
だがその自由性の代償として、「剣」「盾」などに比べて強度が少し失われている。「彫刻」で創った氷の剣と、「剣」で創った氷の剣では明確な差が存在する。故に、仁は剣も盾も創れる「彫刻」だけではなく、他の刻印も使い分けている。
一般的に、このような魔法の発動がしたい場合に使われる「創造」とは似て非なる魔法であり、「彫刻」の方が強度が高いものの魔力消費が多い。最初は「創造」を使っていた仁が、少しでも強度を上げたいとシオンに尋ねた結果勧められたのが「彫刻」である。
ちなみに炎、水、土の刻印については全て「創造」である。




