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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
75/266

間章7 守る者と守られる者

 距離が離れることを嫌い、地面を蹴り出したのはサルビアだった。


「っ!」


 幾千もの戦場と何十万回の鍛錬によって鍛えられた脚さばきは、人間の速さとは段違い。筋肉が、骨が、脳の命じる力の入れ方が、微塵の無駄もなく戦う事に特化しているからだ。


 加速は一瞬を十等分した間に終わり、後は常に最高速。合わせて振り上げられた双剣は、瞬きの間に身体を斬り裂く。シオンとの稽古なんかとは違う。最強の名を冠する者としての、本当の本気。


「本気で私を殺す気だったわね?あなたの癖を信じて、良かったわ」


 しかし例えサルビアの本気といえど、『勇者』も一撃では死ななかった。経験と予想によって置いた剣が物理判定の剣を、首元に張られた障壁が魔法の剣を通さない。


「そうじゃなければ、死んでたかも」


 それでも『勇者』の本音として語るならば、今のは本当に危なかった。サルビアの剣はほとんど残像で、目で追えるものではなかった。ならば何故防げたか?


「癖?」


 彼女が言ったサルビアの癖。本人さえ知らなかったそれが、防げた理由。


「やっぱり、あなたは優しい」


 サルビアは優しい。例え娘を残虐に虐待していようと、戦場で敵や忌み子を何万人と斬り殺していようと、団の者や民に対して彼は優しい。そしてその優しさは時に、敬意を払う敵にも向けられる。


 故に彼は無意識の内に、敵をなるべく楽に死なせようとしてしまう。楽に死ねる為に開発されたギロチンのように、本気で尊敬する相手には真っ直ぐ首を刎ねに来る事が多い。


 もっとも尊敬しない敵に関しては、彼は一切の容赦も無く普通に違う急所や腱を斬り刻む。だからマリーは、自分が彼にとって裏切ってなお尊敬に値する人間だと信じた。


 結果はご覧の通り、初撃を完璧に防いだ形だ。この後本来なら、剣で勝るサルビアがマリーの身体を少しずつ削ぎ落とせばいいのだが。


「ちっ」


 サルビアとしてはマリーが動く前に、この一撃で全てを決めてしまいたかった。『勇者』の戦い方は攻撃に特化しており、一度でも動き出せば面倒な事になるからだ。


 このまま無理に攻撃し続けようかとも考えたが、マリーの始動に撤退を決め、後退。強引な追撃は身を滅ぼす。特にこの女が相手だと。


「今度はこっちの番かしら?」


 急激に昂った魔力が体内から放出され、外で炎の形を成す。ゆらりゆらりと人魂のような赤い火の玉が数個、マリーの周りに浮かび、声と共に一斉にサルビアめがけて動き出した。


「鬼はこの子達。捕まったら、手脚の一本二本はいただくわよ」


 使えぬ障壁に意味はなく、避けるか斬るしか選択肢は無い。サルビアは二択の中から回避を選び、火の玉が当たる直前に地面を蹴り上げ、木の上へと足場を移す。


 そこから始まったのは、三次元的な追いかけっこ。当たれば、炎の中に圧縮された魔力が爆発して手脚をもぎ取り、当たらなければ『勇者』の魔力が尽きるまで追い回され続けるという、対価の釣り合わない理不尽なゲーム。


「鬼ごっこ?木登りの間違いではないか?」


 だが、理不尽は当たらなければ受ける事はない。


 上に飛んで避けて、落下の瞬間を狙った火の玉を、幹に剣を突き刺して落ちない事で逃げ切る。新たな火の玉が追いかけに向かうが、熟練の経験は幾つかの未来を予測。最適である答えとして、サルビアは筋肉に力を込めて振りかぶり、投擲。放たれた剣は炎の玉を突き破って破壊し、違う木へと突き刺さった。


 空いた掌と足を使って木を移動。身体を沈ませ、足場の枝をしならせ、勢いをつけて跳躍し、剣が刺さっていた幹に着木。回収した剣を携え、木を地面と垂直に駆け下りる。


 眼前に迫り来る地面が90°変化し、地上に降りた事でいつもの角度へ。新たな視界の先にいる『勇者』へと、重力の勢いを乗せて斬りかかるも、壁を作った火の玉の爆発に中断。


「猿顔負け。火の玉だけじゃ、さすがに捕まらないわよね」


 縦横無尽。縦も横も重力も関係なく、木々を取っ替え引っ替えして炎の玉を躱し、撃ち墜とし、時には隙を突いて攻めてくるサルビアに、マリーは一筋縄では行かない事を再認識する。


「妻の方が魔法の扱いは上手いな。いつものように、力任せにぶっ放したらどうだ?」


「まぁ。他の女と比べるなんて野暮もいいとこ。それに、こんなところで私がいつもの戦い方したら森が全部燃えちゃうでしょ?なるべく殺したくないの」


 木の上で火の玉を叩き斬って嘲笑うサルビアに、マリーは軽口と信念で返す。


 彼女の力を最も発揮する戦い方は、今ここでは封じられている。その戦い方をすれば今よりはマシな戦況になるとは思うが、木々と近くにある村が邪魔をしてしまっている。


「だろうな」


 サルビアは木に剣を突き入れて斬り倒し、マリーを下敷きにしようと試みる。木が倒れる速度など『勇者』に当たるわけもなく、躱されるのが当然。だがそれでも、木の対処に目を奪われた。


 その隙を突いて死角の背後から現れたサルビアに、マリーはギリギリで剣を合わせる。コンマ2秒遅ければ、首が飛んでいた。


「私もおまえのそういうところを、信じたのだよ」


「それはどうも」


 両手剣と双剣の鍔迫り合い越しにある顔に、兜の中で懐かしさに笑い、かつて肩を並べた戦友と斬り合う事に嗤い合う。


「さすがに、この身体でおまえ相手は辛い」


 マリーの戦い方は、周囲の被害を考えない。半分しか残っていない森も焼くことになってしまう。森の中なら、魔力の少ない今でも戦えると分かっていたから、サルビアはマリーへと挑んだ。


「何の系統外もはいのに、ただ剣だけで最強に駆け上がった男。あなたといいジルちゃんといい、そういうのは嫌いじゃないけど、本当に戦いたくはない」


「私もだ。おまえみたいなふざけた系統外の奴とは戦いたくはない……それにしても、ジルハードか。あいつは強くなる。次の私の位置を継ぐのは、よく突っかかってきたあいつだろうよ」


 くぐもった嘆きの吐息と愚痴、そして想像した次世代達の過去と未来に、サルビアも思わず笑ってしまう。そういえば目の前の女もよく、ジルハードに決闘を挑まれていた。


「なら、次の『勇者』はティアモちゃん?私は中を見られるのが怖くて避けてたけど、いい子だったわ」


「違いない。ダメ親父と違って真面目で、おまえと同じ正義バカで『勇者』にぴったりだ。だから安心して、死んでいい」


 鍔迫り合いと感傷は、後ろに一歩下がる事で解かれる。もう一度、前へと踏み込んだサルビアは物理の一太刀を振るう。マリーの障壁が魔法判定なのは、密かに発動させていた土魔法の棘が足に当たらなかった事から、確認済み。


「あら。貴方達だけ強くなったら釣り合いが取れないから。日本人側に加勢しないとねぇ?」


 マリーはバックステップの後に炎の壁を展開し、一太刀目を躱すと同時に追撃に備える(・・・)。自分の知るサルビアならば、この後は、


「いらっしゃい」


 視界を遮る炎の壁を、躱された一太刀で斬り開く。この男は剣だ。剣にこだわる男だ。そう分かっているならば、『勇者』はそれに合わせた行動を置くだけ。


「美女の熱い歓迎とは恐れ入った。身だしなみを整えてから、出直すとしよう」


 待ち構えていたのはマリーではなく、爆発寸前の火の玉の集合体だった。赤々と燃え上がる様はまるで太陽のよう。この大きさだと、斬っても爆発に巻き込まれるだろう。仕方なく木の上から回り込み、火の玉との追いかけっこを再開。


「仕留めきれんな」


「お互い様と言いたいけど、私が不利ね」


 戦況は拮抗しているように見えるが、この状況で不利なのはマリーだ。サルビアは陣で節約した強化以外の魔法を一切使わず、魔力を回復させている。


「はぁ。本当に化け物。強化しか使ってないのに、『勇者』と渡り合うとかおかしくない?」


「本気じゃない『勇者』とだがな」


 挑まずに火の玉だけでの追撃を続ければ、サルビアの剣がマリーに届くだろう。もう何度か捉えかけられているというのに、これに回復した魔法まで加わったら防げる気はしない。


 かといって背を向けて逃げても、その隙にサルビアに自由を与えてしまう。そうなれば最初の一撃と同じで、急所を斬り裂く神速の太刀が飛んでくる。


「このままじゃ、ダメか」


 技術的な面で見れば、軍配が上がるのはサルビアだ。そしてその技術の差は、環境が特殊であればある程、より顕著なものとなる。


 故に地上戦より、空中を交えた三次元の戦闘の方がマリーには不利。火の玉だけではサルビアを仕留めるに足りず、彼女も木の上へと戦場を移さねばならなかった。


「女から行かせるなんて、とんだヘタレか策士のどちらかしら!」


 サルビアのいる木の周囲にいくつもの玉を張り巡らし、退路を奪う。多少の危険を覚悟で姿の見えない騎士へと近づくマリーだが、彼女の目と鼻の先に剣が現れた。即座に対応して剣で自身を庇うも、予想外すぎた故に体勢を崩してしまう。


「木を貫いて!?」


 驚いたのは、剣が太い幹を貫通して飛んできたから。木に空いた穴を見つめ、先ほどサルビアが剣を投げて火の玉を潰したのは、この時の為の布石だったと知る。いくら彼でも、投げただけで木を貫通させるのは無理だと思い込まされた。


 彼にはきっと、魔力を使わずに火の玉全てを凌ぐ自信があった。そうなればマリーは、一瞬だけ宙を渡って、木の上に来る。サルビアはその一瞬、彼女が戦場を移す時に生じる無防備な時間を、巣を巡らした蜘蛛のように待っていたのだ。


 マリーはその先の戦闘を不利にさせる事をサルビアの狙いだと考え、読み違えた。相手の先の行動分かかれば、後はそこに適切な行動を置くだけでいいと言うのに。


「もう一振り!?」


 崩れたバランスを魔力をバカ食いする浮遊で取り戻し、先と同じ木から向かいくる剣を万全の態勢で打ち払う。不思議と軽い……そう感じたのは、マリーの気のせいだろうか。


「そこかしら?」


 貫通した木を爆破して姿を炙り出そうと、浮遊を一度切って火の玉の制御を手に戻し、


「いいや。下だよ」


「!?」


 足の下から聞こえた声に、全身の毛が粟立った。二振り目を投げてから、速すぎる。


「なんで?」


 思考の中を疑問が反響し、空になっているサルビアの魔力に答えを見出した。一本目の剣は確かに彼が投げたもの。しかし、二本目は違う。


「二本目の剣は、魔法で」


 一撃目でマリーは態勢を崩し、視界と火の玉の制御を手放さざるを得なかった。例え火の玉の制御を失い、サルビアが自由になったとしても、そうせざるを得なかった。


 後は彼の技術の独壇場だ。音を立てぬよう、姿を見せぬように木に身体を隠しながら降り立つ。二本目の剣を風魔法で投擲し、マリーの視界を固定。入らないように地面を駆け抜け、下で剣を構えた。それが、今。


「正解」


 讃える意味の言葉で嘲り、剣が振るわれる。最強の腕を持つ男の剣は、最高級の鎧なんてないように、マリーの身体を真っ二つに薙いだ。


「森のような障害物が多い場所では、相手の視界からできる限り消えるように戦うべきだ。常に身を晒して戦うべきでも、相手がずっと同じところにいるとも思い込むべきではない」


 ギリギリの戦いだった。『勇者』は基本に従わなくても勝てる程強大な力を持つが故に、サルビアの方が基本に忠実だった。一から積み上げ『勇者』と並んだ強さの方が、勝った。


「がはっ……くっ……」


「だが、あそこで僅かに斬撃をずらすとは、さすがは『勇者』か」


 ぽとりと別れた二つが地に落ち、臓物と血で赤い河を作り始める。その片方がまだ剣を手放さず、生きている事にサルビアは驚くが。


「ずらしたのは、あなたよ。サルビア」


「……何?」


「ほんの僅かに、躊躇った、わね」


 一撃で仕留めるつもりだった。でも、『勇者』が避けていないのに仕留められなかった。その事実が確かならば、迷ったのはサルビアの剣だ。


「知らん」


 ぶっきらぼうに、認めないように吐き棄てる。意味のない否定に血に沈んでいく『勇者』は笑い、


「だから、あなたの負けよ」


「……!」


 彼女の全身から、濃密な魔力が溢れ出した。半身ではなく、全身。あの時のロロの脚のように部位欠損のルールを打ち破って、下半身が再生していく。


「死んでたら、発動できなかった」


「私にも、隠していたな?」


 絶対であるはずのルールをねじ曲げるなんて、系統というルールの縛りの外にある、特異な魔法しかあり得ない。だがこんな異常な再生能力、サルビアが知るマリーの系統外にはなかったはずだ。


「ははははははははははは!まさか一日でこんな、殺しても死なないような奴と何度も当たるとはな!不運か。いや、罰か試練か」


 こくりと頷いた兜の動きに、自らの業が招いた罰かと自嘲する。ロロに引き続きマリーまでもが、人間と魔法のルールをぶち破り、サルビアを追い詰めようとするなど。しかもそれが同じ日など、何の因果か。


「百人殺せば一度、どんな傷も治せてオマケで魔力も戻るっていう『残命』と呼ばれた系統外。本来の使い方をしたのは初めて、そして見た事がある人間で生きているのは、サルビア。あなただけよ」


 虚空庫から出した服を纏う、兜の下の可憐な声は、自らの力を一切誇っていなかった。むしろ、忌むべきものを使ってしまった後悔に満ち溢れていた。


「待て。その系統外の名前と特徴は確か、『吸血鬼』の?」


 そこに含まれた情報を、サルビアは己の記憶と照らし合わせる。該当したのは遥か古、『魔女』によって滅ぼされし、殺しても殺しても蘇り、他者の血を好んで啜ったとされる狂人にして殺戮兵器の名前。


「マリー。おまえは何者だ?親には捨てられたと言っていたが……」


「さぁね。ただ、たまたま近くの村人に拾われるまで、この世界の記憶で覚えているのは、私を囲む大きすぎる岸壁。熱すぎる源泉。光石が取れる山。そして、真っ暗な地面から這い出た事と、光る容器に入った液体と人の形をした何かだけ」


 己の出身と幼い頃の記憶を尋ねる質問に、分からないと首を振る。未だ頭に刻まれる映像はどれも意味不明なものばかりで、自分のこちらの世界の両親の顔さえ浮かんでこない。日本の両親の顔は覚えているから、寂しくはないのだけれど。


「けど、何者かは分かるわ。『勇者』よ」


 ただ、この世界での産まれも両親も分からなくても、己が何者かだけは分かると、マリーは即答した。


「拾われて、大切に育てられて、その人達を守りたいと剣を取った時から、私は『勇者』になった。そして今も、守りたいものの為に、剣を振るう」


 何者として産まれたのではなく、生きていく中で何者になったと。そしてその為に、今の私は生きていると。故に彼女はもう一度剣を強く握り、目の前の敵へ己の信念を向ける。


「サルビア。もうあなたは休みなさい。腕はいただくけど、命はとらないから」


 魔力も傷も全快したマリーは、サルビアに降伏を促した。もはや身体強化の陣を発動する魔力もないその身で、何が出来るのかと。


「……」


 彼は自らの身体を見下ろし、状態を確認。火傷多数、魔力は空。土の剣も刃こぼれが酷く、まともに振るえるものではない。


「悪いな」


 ああ、それでも、身体は動く。


「戦いを降りるつもりも、休むつもりもない」


 地に脚は踏み込める。


「正気?」


「正気だ。おまえも、そうするだろう?」


 剣を振るい、打ち合わせることはできる。


「そう、ね。無駄だと分かっていても、抗うのが私達よね」


 まだ、戦える。ならば戦うのみ。時に、勝てる勝てないは、戦う戦わないを決める要素ではない。


「貴方を見誤ってた」


 今までに比べれば格段に遅い踏み込み。弱々しい膂力。ただの生身で切り掛かって来たサルビアの剣を受けながら、マリーは謝罪する。


「諦めないのが『勇者』よね」


 不屈たる者の名を冠していながら、人の不屈さを信じなかった事に。


「私は、守らねばならない。あの騎士団とこの世界を」


 だがしかし、例え諦めなくても、結果は残酷に出るものだ。


「……」


 先ほどまではサルビアに傾いていた剣の天秤は、マリーに傾きかけている。技術は変わらずとも、剣の速度に何倍もの差があれば、勝てるわけがない。


 誰もがそう思い、マリーもそう思っていた。


「えっ?」


 サルビアがかけたフェイントにひっかかり、己の腕が紙飛行機のように宙を舞って、地面に叩きつけられるまでは。


「剣速に何倍もの開きがあるのなら、その何倍もの差を埋めればいい」


 勝てるわけがない。そう思った状況を、実際に不利でどうしようもない九割九分九厘勝てないような状況を、彼は培った技術だけで乗り越えてみせた。


「あと何回かね?」


「っ!?あなたは、どれだけ」


 距離を取って腕を再生させるマリーに、サルビアは剣の血を振り払って不敵に笑う。それは絶対有利な状況にある『勇者』を戦慄させ、手を抜く事をやめさせる、笑みだった。


「残り二百と少し。悪く、思わないで」


 物理障壁を張り、炎の玉を展開。魔法の剣を作る事も、障壁を張る事も、強化で俊敏に動くとも出来ない人間一人には過剰とも言える戦力。


「ははっ!思わんよ」


 それら全てを投入したマリーに、サルビアは純粋なる剣術だけで応えた。













「はぁ……くくっ!また負けるとは。もう、衰えたかな」


 木に背を預けて肩で息を吐きながら、衰えを嘆いて天を仰ぐ。愛剣は遠くの地面に突き刺さり、土の剣は砕けて無くなり、全身には新しい火傷と傷を負っていて、負けだった。


「嘘吐かないでよ」


 しかし、少し離れた位置に立つ勝者であるはずのマリーの顔は浮かない。これから戦友に一生残る障害を負わせるのが嫌だというのもあるが、


「強化無しで三回も残機を削られるなんて、悪夢だわ」


 首にこべりついた血を拭いながら、先の戦いを振り返る。


 最初の一回。回復した僅かな魔力でいきなり加速した剣についていけず、二回。今のように倒れたサルビアの腕を斬り落とそうと近づいた所を、折れた土の剣で首元を抉られて三回。


 信じられない、化け物でさえ足りない本当の怪物だった。『魔神』と『魔女』に純粋な剣術だけで手が届くと称えられるのが納得してしまう程、決して届かぬ剣の高みにいる事を痛感する程、サルビアは強かった。


「系統外のスペックでなんとか勝てた感じかしら。私の技術なんかじゃないわ」


 『残命』がなければ、強化無しのサルビアに負けていた。もしサルビアが『残命』を知っていれば、戦いを避けたかもしれない。


 だが、ずるに近い『残命』があり、それを知らなかったサルビアが負けたのが現実。


「動かないで。変に動くと、当たるから」


「おかしいな。動かしているのだが」


 炎魔法を束ねた剣で遠距離から、最早震えるだけのサルビアの腕を削ぎにかかる。宣言通り信念通り、殺しはしない。しかし、剣士としての命はここで断つつもりだった。


「ねぇ。貴方は……なんでもない」


「そうか」


 最後まで抗う姿勢を崩さない騎士の戦う理由を聞きたくなったが、それを今から折る自分が尋ねるのもと思い直し、マリーは口をつぐむ。そして、彼女は炎の剣を振り被り、


「サルビア様に触れるな。尻軽」


 背後からの斬撃に、また腕を斬り落とされた。


「なっ……」


「サルビア様ぁ。待ってても来ないのでぇ、お迎えに上がりましたわぁ」


 振り返った先、剣先の血を愛おしそうに指で撫でていたのは、団長の帰りを待っていたはずの副団長。


「一同で」


 そして、動けないサルビアを担ぎ上げて肉壁を築いていたのは、団長の強さを信じていたはずの団員達。


「あらぁ〜治るんですかぁ?それぇ気持ち悪ぅ。トカゲ女って呼んであげますよぉ?」


「イザベラ……!」


「さぁて。殺したいのは山々ですがぁ、撤退しますぅ。時間を稼ぎなさい。殺しても構いませんわぁ」


「殺すなんて無茶言わないでくださいよ。死んでも団長は守りますけど」


 新しく腕が生える様に、辛辣な言葉を浴びせる。彼女が命じた一言で、騎士団は一つの生き物のようにそれぞれの役割で動き始める。


 『勇者』を包囲し、連携をとって斬りかかる大勢、サルビアを担いで逃げる為の護衛と、イザベラ率いる少数。


「よくも団長を……ごはっ!?」


 一人目。マリーは剣で受け止め、火の玉を腹に当てて吹っ飛ばしてダウンさせる。恨み節を吐いておきながら完全なる出落ち。しかし、息つく暇を与えぬよう、二人目が魔法を放ってくる。


「殺さなれないなら、楽チンですね」


「さすがに面倒だわ」


 障壁で弾く。前と後ろからの三、四人目の挟撃。前方には剣、後方には火の玉の爆発で防ぐが、横からの飛び入りに髪を数本持って行かれる。


 サルビアやイザベラ、マリーに比べれば、遥かに見劣りする強さだ。例え数が集まろうとも、マリーは勝てる自信があった。だがこの数を全員倒して、逃亡するサルビアの四肢を奪うことは容易ではない。


「私一人とサルビアなら、 釣り合うどころかお釣りがたくさんね」


 剣に囲まれながら、魔法を発動。消費魔力も大きく、範囲も狭くて団員全員には当たらないような、魔法。


 だからマリーは、一回『残命』を使用して魔力を回復させて、足りない魔力を補う。過剰に注ぎ込まれた魔力が極めて非効率な魔法の増強を行い、範囲を強引に拡大。


「死なないように、頑張って」


 限界まで溜め、風船が割れるように解放。吹き荒れた暴風が木々をなぎ倒して根を露出させ、葉を全て散らす。風速50m近い風には、幾ら鍛えた騎士といえど勝てず、包囲網は吹き飛ばされて崩壊する。


「あなた達の忠誠、見事だった」


 賞賛の声を残し、少しずつ小さくなっていくサルビアの背中を追随。一人を担いだ速さと、追う者の速さ。その差は歴然で、すぐに距離は減っていく。


「これより先は」


「行かせぬ!」


「ごめんなさい」


 立ち塞がった護衛の騎士達に、剣を振り被ると同時にマリーは謝罪。爆発で三人を吹き飛ばし、二人の騎士から脚を奪って突破。


「くっそ!」


「やめろ!」


 剣は貫通した(・・・・)はずなのに、半分程で繋がっている己の手脚に敗北と情けを悟り、騎士は悔しさと痛みに呻く。守ろうとした物を守れない事が、騎士にとっては一番辛い事だと分かっているからこそ、マリーは謝ってから斬ったたのだ。


「やめてくれええええええええええ!」


 今も、辛い。上下にゆさゆさと揺れるサルビアの腕に狙いを定め、斬りかかっている今も、耳に飛び込んでくる悲痛な叫びも、辛い。勝てないと分かっていながら、尊敬する者を助ける為に戦いを挑んできた騎士達の気持ちが、マリーには痛い程分かるから。


 だがそれでも、斬らねばならない。全快したサルビアにだけは、勝てる気がしなかったから。ここまで弱った彼なんて、もう二度とないだろうから。


「ああああああああああああああああああ!」


「……!」


 守りたい物や人達のために、目の前の騎士達の想いを踏み躙る刃を振り下ろした。


「残念でしたぁ!外れですぅ!」


 しかし、決意によって振るわれた刃は空を切る。背負われていたはずのサルビアは消えていた。代わりに姿を見せたのは、空振った『勇者』を大笑いする、豊満な体つきの美女。


「あのお方の姿はぁ、自分の姿よりもずっと見てきましたからぁ!」


「しまった!」


 己の姿形を自由に変える、イザベラの系統外を忘れていた。騎士達の悲痛な叫びに、判断が鈍っていた。


「今頃サルビア様達は別方向ですぅ!アバルの隠密系と私の系統外の組み合わせぇ。そしてカランコエ騎士団の名演技は如何でしたぁ?お代はどうぞぉ、あなたの命でいいですよぉ?」


「……やられたわ」


 肉壁でマリーの視界を遮っている間に、一時的に姿と音を隠すアバルの系統外で本物を隠し、イザベラと入れ替わった。


「イザベラ副団長……俺ら、本当に団長が斬られるって思って……」


「脚斬られた、いや、半分マリーさんが塞いでくれてるけども」


 とはいえ、それは他の団員達にも知らされていなかった。悲痛な叫びも、血が流れる脚を抑える二人も、爆発で手脚のどれかが吹っ飛んだ三人の身を呈した怪我も、本物。


「あなた達の働きはぁ、分かってます!私も手脚の四本、この命さえ捧ぐ覚悟はできてますからねぇ?」


 だがそれでも、それに足る物を守ったとイザベラは労う。意味があると訴えながら、そして己もそうなると、剣を虚空庫から引き抜いて構える。


「尻軽トカゲ女。私達を斬り刻むがいいですよぉ」


 風に吹き飛ばされた先の団員達もまた、包囲網を築いてマリーの逃げ場を奪い去る。手脚の全てを捧げる程の決死の覚悟、そうまでして守る価値がある物。


「私達の団長にはぁ、指一本触れさせない。そしてあの人は必ず、お前と『魔神』と『魔女』を殺し、世界を救う」


 人類の希望は『勇者』ではなく、サルビアと信じる者達は、剣を握った。


「だから、死んでも通しません。死ななくても通しません」













 イザベラ達が足止めをしている間、サルビアは逃げるアバルに背負われていた。


「なぜ、来た?」


 子供達に傷をつけない為に、そして未来の戦で少しでも死者を減らす為にここに単騎で来たというのに、なぜ来たのかと、いつになく厳しい目線で咎める。


「いやぁその、待ってても団長帰って来ないんで。あの魔力量的に長期戦闘は無理でしょう?だったら、俺らが助けるしかないです」


 来た理由を、アバルは子が親を助けに来ただけと語る。


「それでも、来るな。私一人にお前ら数十人が」


 だがサルビアには、それが許せなかった。親が子を守るものだと信じているから。守れなかった子達に、どんな後遺症が残るかが、分かっているから。


 『勇者』は命は奪わない。傷もきっと、マリーの意思によって傷を操作する系統外で、死なない程度には塞いてくれる。だがそれでも、忌み子側に寝返った彼女としては、騎士団の戦力を削ぐ絶好の機会だ。片手や片脚に傷を刻み、戦場に立てない身体にするだろう。


 守る為に騎士になった者が、守る力を失う。その無力さは絶望の一言に尽きる。子がそんな思いをすることが、サルビアは許せなかったのに。


「あいつらは、それでも守りたかったんです」


「……」


 守る力を失おうと守りたかったとアバルに言われて、サルビアは何も言えなかった。戦況的に見た選択としては、最善だったから。


「申し訳ないって思うなら、奴らの代わりに救ってやってください」


 彼ら数十人よりサルビアの方が、次に『勇者』と会った時に戦えるから。『魔女』と『魔神』を殺すのも、数ではなく圧倒的な個の強さだから。だがそれが一体、何の理由になる。


「すまない」


 子に助けられた親は、子の背中で涙を流した。守ろうとしたのに守れなかった己の無力さに、守れなかった者達の未来に。


 最強であるはずの男サルビア・カランコエはこの日、運が悪かったとしか言い様がない。一対一なら負けない相手、イヌマキ、アコニツム、マリーと連戦し、理不尽な力に蹂躙され、部下の手脚を失った。


 むしろ消耗しきってなお、あれだけ戦えたことが異常である。


 しかし、ここでどれだけ彼の慰めを言おうとも、カランコエ騎士団の半数が戦線離脱する事になった事実は、変わらない。


『マリー・ベルモット』


 当代『勇者』にして今世紀最強の片翼。そして裏切り者。風になびく金色の髪、他者を見下ろす長身、彫刻のような美しさ、理想に燃ゆる瞳が特徴の女性。


 0歳の時、とある村にて拾われる。この時点で彼女はすでに10歳前後の体格であったと伝わっており、言葉も流暢に話していた上に、思考能力も大人顔負けだったらしい。しかしその一方で文字は読めず、常識はなく、おかしな言葉を時折使って誰も見たことがないような文字を書くという、不思議なちぐはぐさだった。彼女は周囲に対し、成長が異様に早くなる『早熟』という系統外を有しているからだと説明している。


 村での訓練の日々ですぐに頭角を表し、周辺ではすぐに敵無しに。強さを磨く為に様々な場所に立ち寄り、騎士学園に入学。圧倒的な成績で卒業後、僅か10歳で騎士となる。それから数年後、黒髪戦争に参加し、彼女は『勇者』となった。


 どうして彼女は『勇者』と呼ばれるか。それは最も多くの忌み子の首を挙げ、最も多くを救ったとされるのがマリーだったからである。味方には一切の被害を出さず、単身で街を堕とした話は今もなお語り継がれている。


 しかし、彼女はこの戦争にて心に深い傷を負い、以降は騎士を辞め、人を殺す事をやめ、諸国を放浪し始める。一線から退こうとも、行く先々で人々を救い続けたことから、『勇者』の名は剥奪されなかった。


 そして世界融合の後、彼女は世界を裏切った。あろうかとか、忌み子側に着こうと考えたのだ。『勇者』の裏切りは世界を揺るがし、多くの者に衝撃を与えた。「裏切り者は殺せ」と叫ぶ者達と、「きっとスパイ」だとマリーの事を信じている者の間では今もなお、争いが絶えないという。


 サルビアとその妻プリムラ、彼女の妹のルピナスとその夫プラタナス、先代グラジオラスの剣聖ザクロとは戦友であり、それ以前からも付き合いがあり、仲も良かったらしい。


 最も多くの忌み子を殺し、最も多くの者を救いし者。『勇者』にして裏切り者。今世紀二強が一人、刃なき名剣。それがマリー・ベルモットである。


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