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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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幻想現実世界のハロウィン


 時間軸とか特に気にせず、こんな日もあったんじゃないかという妄想です。


 仁とシオンは『勇者』としての誓いを打ち立て、刻印の発表を待っていた。基本、その間は部屋での待機を命じられていたのだが、今日だけは外で息抜きしてこいと柊からお許しをいただき、出歩いていたのだが。


「ん?なんか心なしか街が賑やかかい?」


「ボロ切れを纏うどころか、被ってる子供が何人かいるな。なんかの遊びか?」


 いつもより露店が多かったり、変な格好をした子供達がはしゃいだり。理由は分からないが、死んだ街並みに命が宿っていた。


「シオン、加わりたいなら行ってきていいぞ。3時間は外出を許されてる」


「べ、別に一緒にあ、遊びたいわけじゃ!」


 ボロ切れを被って脅かし合う子供達を見ていたシオンはそわそわ。今まで、ああいう遊びをした事がない彼女にとっては、一度経験してみたいものなのだろう。精一杯否定しているが、顔は真っ赤である。


「いやいや。めっちゃガン見してたじゃん。ほら、あそこの男の子達も誘いに来てくれたんじゃない?」


「う、嘘!?」


 遊ぶ自分達を見続ける中学生くらいのシオンに気付いたのか、はたまた街を救った英雄としてのシオンに気づいたのかは分からないが、遊んでいた四人の男の子達がこちらへ駆け寄ってくる。真っ直ぐすぎる道筋は、間違いなくシオンと仁の所を目的地としていた。


「覆面仮面!トリックオアトリート!」


 目的地には違いなかったが、目的は全く違ったようである。


「……き、君達で標的は僕で目的はお菓子かい!?」


「……そうか。今日はハロウィンか」


 両手を差し出し、布の奥で瞳をキラキラ期待に輝かせる子供達に僕はツッコミ、俺は日本に来襲した風習を思い出す。


「二度と、こんな行事と縁がないと思ってたからなぁ」


「……やっぱり、覆面仮面達もお菓子ないんだ」


 世界が変わってから日付感覚は崩壊している。生きるのに必死で、そんなイベントがある事さえ忘れていた。もちろん、お菓子を用意しているわけがない。


「はろうぃん?とりっくおあとりーと?お菓子?」


「シオンの世界に、ハロウィンはないのか」


 持ってないと両手をハンズアップし、シオンに目線で尋ねるが、違う世界の少女も首を傾げるばかりだ。魔物の名前は伝わっていても、ハロウィンは伝わっていないようだ。当然、彼女も何の準備もしていないだろう。


「けど覆面仮面のお兄ちゃん、前より包帯多いからミイラ男の仮想してるんじゃないの?」


「だから声かけたのに」


 しかし、子供達はなかなか引き下がらない。本当は隠してるんじゃないのと、仁の後ろに回ったりとお菓子を探し始める。


「そう言えば、年がら年中ハロウィンしているみたいな格好だな」


「だから狙われたのね僕ら」


「お姉ちゃんも、可愛い仮面つけてる!」


 言われて思い出したが、仁は今、傷跡と氷の脚を隠す為の布で全身を覆っており、まるでミイラ男そのものだった。シオンもシオンで、仮装のような仮面をつけている。


「お、お姉ちゃん!?可愛い仮面!?」


(一々喜ぶシオン可愛いね)


(そうだな)


 言われ慣れていない単語一つ一つにオーバーに喜ぶ少女を、俺と僕は暖かい目で見守る。ちょっと気持ち悪いが、惚れた副作用である。


「ね、ねえ仁!私もトリックオアトリートしてハロウィンやりたいわ!意味教えて!」


「あいあいさっと。まぁハロウィンっていうのはね……仮装をしてトリックオアトリート!って言ってお菓子をねだる祭り、でいいのかな?」


「ちょっと違うと思うが、俺もそれしか知らない」


 子供達と同じ目のシオンをどうどうと抑えつつ、大まかな意味を説明する。本来の祭りの意味としては大いに間違っているとは思うが、俺も僕もこれくらいの知識しかない。


「お、お菓子をあげれなかったらどうするの?」


「悪戯される。トリックてのは悪戯って意味だから」


「うーん……それは困るわ。悪戯って痛い事が大半だし、火で炙られたりいきなり風の刃で切られたりは嫌かな」


 ハロウィンとしては正しいトリックの意味合いを教える僕に、数秒悩んだシオンが物騒すぎる具体例を口にする。それはきっと、彼女が過去に受けた悪戯という名目の拷問だろう。


「いやちょっと待ってくれシオン。そんな悪戯じゃない」


「え?じゃあどういう悪戯なの?」


「……なんと言うかその、くすぐりだとか?まぁ渡してもらえなかったら、多少の事はいいんじゃないか?多少ってのは痛くない範囲でだけど」


 内心でシオンの両親への憎しみを募らせつつ、仁は彼女の認識を修正する。そんな物騒な悪戯をする祭りなど、ここまで大衆に受け入れられるわけがない。


「えー……お菓子が欲しい」


「何か食べたいよ」


「くすぐってもお腹膨れないもん」


「と、まぁこのようにみんなお菓子目当てだから、実際に悪戯する人ってのはそうそういないんだけどね」


 ぶーぶーと抗議する子供達を例に、珍しく僕が真っ当な常識をご教授。女性へのくすぐりならまぁ男は喜ぶかもしれないが、それはセクハラ。男性同士でくすぐり合っても、ほとんど誰も喜ばない。


 現実、言われた側のハロウィンの選択肢は、お菓子をあげるかごめんなさいの一言の二択が多い。


「何か食べたいの?なら私が料理を作ってあげるわ!」


「「「えっ!本当!?」」」


 しかひシオンが選んだのは、渡せるお菓子が無いなら代わりに美味しい料理を作ってあげようという、新しい選択肢だった。


「ついてきて!」


「……ちょうどお昼まだだったし、いいか」


「だね」


 気合いを入れて腕まくりし、るんるんとスキップして先頭を進むシオンに、男達はついていくのだった。











「へいらっしゃい!シオンの嬢ちゃんじゃねえか!」


「おじさん。お久しぶり!」


「焼き鳥屋だ!」


 人通りの多い道を歩いて辿り着いたのは、シオンの馴染みらしい串焼き屋だった。鉢巻を巻いた男気溢れる煤けたオヤジと、串焼きの匂いが非常によく似合っている。


「隣のはなんだ?彼氏か?」


「「か、か、か、彼氏!?」」


 のれんをくぐった仁を指差して大声で尋ねたオヤジに、僕とシオンが飛び上がる。それを見て彼氏彼氏ヒューヒューと囃し立る子供達を僕が蹴散らし、シオンが顔を真っ赤にしてどうするべきか悩むという、最早見慣れた照れの光景。


「そんなんじゃないですよ。まぁ、保護者みたいなものです」


「誤魔化さなくていいのによぉ!ま、いいや。で、何の用だい?また買ってくか?」


 いい加減、このからかいの方に慣れて欲しいと俺は思いつつ、噓偽りなき真実を述べる。しかし、オヤジは全く信じなかった。


(……こういう時は不便だな)


 二重人格を知らない人なら、今の仁はものすごく恥ずかしがって子供達に当たった後に、冷静を取り繕ったようにしか見えないはずだ。


「えーと、後で串焼きも買うんだけど、ちょっとこの辺の空いてる場所を貸してくれないかしら?」


 シオンは串焼き屋の裏、建物の跡が残る空き地を貸してくれと申し出た。そこは、世界が変わるまでにオジサンの店があった場所。


 そんな場所を借りるというのは少し気が引けるが、子供達を連れて入れて、目立たにくい場所がここしかなかったのだ。


「ん?いいぜ!別に使ってねえんだ!あんたら客の為に使われるなら本望だろうよ!」


 しかし、心配は杞憂だったよう。頭を下げた仁とシオンにニカッと笑い、オヤジは快く大切な空き地を貸し出してくれたのだ。


「あ、ありがとうございます!仁!用意するわよ!手伝って!」


「分かった」


「あいあいさ!」


 少女は早速とばかりに回り込み、少年は追随。露店の裏に隠されたスペースに、子供達は秘密基地みたいと騒いでいる。オヤジもどこか嬉しそうに店からこちらを覗いていたのだが、


「はい!仁はこれを一口大に切って!」


「んなっ!?」


 シオンが虚空庫から出し食材と調理器具に、オヤジは目ん玉を引ん剝いて後ろへとひっくり返った。


「「「……しゅ、しゅげええええええええええ!?魔法だあああああああああ!!」」」


 ポカーンと口を開けた子供達は再起動を果たした後、歓声に両手を振り回した。そう言えば、仁は子供達に超人的な身体能力を見せはしたが、魔法自体は見せていなかった。


「いや待て嬢ちゃん……それどっから?いや、すげえな!?」


「え、えーとその、ありがとう?」


 語彙力を失ったオヤジに褒められ、子供達に称えられたシオンは困ったように礼を述べ、トリートの調理を開始する。


「「「すげえええええええええ!!炎の魔法だあああああああああ!!!」」」


 魔法で薪に火を起こし、虚空庫から取り出した金属製の鍋を上に。


「「「すごおおおおおおおおおおお!!水が出たあああああああああ!!!」」」


 空中で水を創成し、一滴もこぼさない様に制御しつつ白い粉と混ぜ合わせる。色を変わったの見届けたシオンは、それら全てを鍋の中へと投入。


「「「うわっ、剣で野菜切ってる」」」


「うるさいガキンチョ!これが1番切りやすいんだから仕方ないだろ!氷当てるぞ!」


 物語に出てくる剣のすごい日常的な使い方を見せられ、子供達は残念そうに引いていた。シオンとの反応の差に口の主導権を奪った僕が怒鳴って脅すも、子供達は何がおかしいのか笑うだけ。


「けど、はええなおい」


 湯が沸くまでの時間制限に間に合うよう、包丁のシオンと剣の仁は恐ろしい速さで具材を切り分けていく。その包丁捌き剣捌きは、強化によってより精密に、より早くなっていく。


「間に合いやがった…5分と経ってねえぞ」


 ぶくぶくと泡が空気に触れる頃には、ガラ芋、幻豚の塩漬け肉等の食材が、調理に適したサイズにカットされていた。


「後はこれを入れて待つだけっと」


 それらをぽぽいと湯へと入れ、いい匂いを香らせながら煮込んでいく。手抜きをした、というよりは限られた外出の時間に間に合わせられるよう、早くて簡単な料理にしたと言う方が正しい。


 それに手抜きをしたかは問題ではない。美味しいかどうかが、問題なのだ。


「なんかいい匂いが……オヤジなんか始めたのってシオンちゃん!?」


 具材達を鍋に入れてから7分が経過し、折り返しとなった頃。オヤジの店ののれんをくぐった女の声が、空き地へと鳴り響いた。


「あれ?環菜さん?」


 明るい声の主は仁達もよく知り、シオンにこの店を教えた環菜だ。空き地でシオン達が料理を作っていることに気づいた彼女は、


「やっほー。ハロウィンにまで気落ちしてる馬鹿に差し入れようかと思って来たんだけど、これは良いものにありつけるかな?」


「別にいいわよ。多分余るから!」


「ありがと!お邪魔しますっと」


 よだれを拭うフリと、餌をねだる子犬の瞳でシェフ三人にたかりを訴えてきた。断る理由もないと承諾され、環菜はガッツポーズで空き地へ侵入。子供達と並んで料理を待つ体勢に。


「料理を待つ時って、ワクワクしない?」


「うん!する!」


(なんか、似てない?)


 気のせいだろうか。失礼だろうか。楽しみそうに料理を待つ環菜と子供達は、とても似ていたと感じてしまったのは。










「出来た!」


「「「ういっし!」」」


「待ちくたびれた〜〜!」


(精神年齢一緒なんじゃ!)


 数分後、スープの味見をしたシオンの掛け声を、子供達と環菜が万歳と諸手を挙げて歓迎。喜ぶタイミングの完璧なシンクロ具合に、内心で僕が噴き出している。


「ちょっと待ってね。今よそうから」


 虚空庫から取り出した皿に、浮遊の魔法で均等に分け入れていく。盛大な魔力と魔法の無駄遣いだが、宙に輝く黄金色のスープと、鼻を優しく甘く刺す香りが、見る者嗅ぐ者にとってそれは非常にたまらない演出へと変えてしまう。


「こらぁいい匂いだな。も、もう食べていいのか?」


 皿に並々と輝くスープの香りに鼻をひくつかせたオヤジの一言は、待っていた者達の気持ちを実に表していた。


 待ちきれない。早く食べたいという、料理人にとってはとても嬉しい言葉にシオンは優しく微笑み、


「いただきます、って言ってからね」


 目の前の食べ物へと腹が叫ぶ空腹の鎖を解く、言葉の鍵を手渡した。


「「「「「いただきます!」」」」」


 飢えた獣達は一斉に料理へと解き放たれる、手渡されたスプーンを金魚すくいのように素早くすくい、待ちわびた液体を舌へと運ぶ。


 触れて最初に感じるのは、味ではなくて香り。舌から鼻を通り、脳まで突き抜ける芳醇な虹色鳥の骨の出汁の香りがまず、食べた事を教え、味覚を補助する。


「お、美味しい!」


「これすっごい美味しい!」


「……うめぇ」


 ヒーローのように遅れてやってきた味が、心に美味いという認識の拳を叩き込む。適度な塩味が口の中を優しく撫で、喉を一瞬で通り過ぎた事を悲しいと思わせて、貪欲なる食欲が次を求めさせる。


 スープを味わえば次は具だ。液体だったら儚い味の時間も、固体ならば至福は伸びる。食べる前にその事を本能が悟り、舌は期待に踊った。


「このジャガイモやべえ!あんだけの時間でよく染み込んだな!」


 ガリっと噛んだ瞬間、染み込んでいた液とジャガイモの味が爆発。絶妙なコンソメのようなしょっぱさが、ジャガイモのまろやかな食感と味を包み込み、混ざり合うハーモニーだ。手抜き、もとい短時間クッキングとは思えない味の融合の秘訣は、


「崩れないように場所を見極めて、小さく穴を開けるの。そうすると美味しくなるわ!」


「シオンちゃん、そんなこと出来るの?」


 確かに、穴を開けて味を染み込ませる方法は無くはない。しかし、芋にまでするなど、聞いたことがなかった。仁も試しにやってみたところ見事にガラ芋が崩壊し、これは無理だと大人しく匙を投げた記憶がある。虐待染みた母親の料理指導と、拷問染みた父親の剣の訓練が産んだシオンだけの技術だろうか。


 そしてメインに近い食材は?


「な、なんだこりゃああああああ!?焼きてえぞ!」


 オヤジが思わず自らで調理したいと思う程、いい肉だった。それは料理屋たるオヤジにとって屈辱にして、更なる料理の深淵へと繋がる手がかりでもある。


「……はぁ。いつまでもこの肉、口の中で噛んでいたいわ」


 噛んでも噛んでも、味がする。静かに静かに口の中に広がり、徐々に味覚を屈服させていく、塩味とコンソメ味と肉の味。単体でさえ凶器となるそれらの味は、合わさることで暴力性を増していた。


 他の食材だって負けてはいない。スープや具材でそれぞれの長所は伸ばされ、短所は駆逐されて、抗えぬ味となる。


「こんな美味いの、初めてだ」


 それは、子供達から配給を取り上げるようなお袋の味をぶち壊し、彼らの中に新たな一番の旗を打ち立てた。


「なんだか、安心する」


「久しぶりだもんね」


 喧嘩中、ずっと食べていなかったシオンの手料理で、世界が変わってから最も安らかだったあの森の家の生活を思い出していた。


「ふふっ。お粗末様。これでオアトリート?は大丈夫ね!」


 そして作った本人は食べる者達を見て、自らも口にして、最高の笑顔と間違った英語を見せる。


「トリートだよ。シオン」


 訂正した僕の言葉に、他のみんなの笑顔が盛り付けられた。正しいハロウィンの過ごし方とは違うが、これもまた良いものだろう。


 何せ、みんなで笑えたのだから。









「いやぁ、美味しかったぁ。この後串焼きあるとか天国だよ」


「本当に同意」


「ありがとっ!」


 オヤジからなぜかお礼だと串焼きを沢山渡されてしまった。その後、四人は腹を満たした子供達を家の近くまで送り届け、軍内まで帰ってきて今。


「んじゃ、私はこの辺で。バカタブツに土産もできたし、美味しいもの食べれたし」


 環菜は戦利品だと串焼きを掲げ、シオンの虚空庫にあるタッパーのポトフらしき料理を思う。当初の予定以上の戦果だと、本当に嬉しそうだ。


「やっぱり土産にするのやめて、私が食べようかな」


「か、環菜さん?」


「冗談冗談!」


 嬉しさの余り、気の迷いを起こしそうだった。シオンに止められてあははと笑うも、目がマジであったのを仁は見逃さなかった。


「それにしても、シオンちゃんと仁君はこれから三人でハロウィンをお楽しみだもんねえ……あー、羨ましい」


「「!?」」


 引き止められた勝手な仕返しか、環菜が飛ばしきた少し大人なジョークに、僕とシオンが再び硬直する。言葉通りに受け取って、「はいそうですね」と返せば済むのに、なぜいじりがいのある反応をしてしまうのか。


「そんなに羨ましいなら環菜さんも、魔女のコスプレでもして堅さんを励ましたらどうです?」


「んなっ!?」


 とはいえ俺も、そんなつまらない反応で済ます気はさらさら無かった。


「俺くーん。それセクハラって」


「先にしたのは環菜さんでしょ。女から男へのセクハラも成立しますよ」


 ドスを効かせた環菜の声も、俺はどこ吹く風。先に仕掛けてきたのはそっち、何もセクハラは男からするだけのものではないと論破してみせた。


「全くぅ……大人になっちゃってもう」


 しかし、言い負かされた環菜は悔しがる訳でもなく、少し悲しそうに目を伏せる。その理由はきっと、仁が大人にならざるを得ない物を背負った事を、悟ったからだろう。


 彼女は仁の嘘を知らなくて、優しいから。そんな風に思ってくれる。


「んじゃ、私そろそろ行くね!あ、シオンちゃん!堅の分のポトフ忘れてる!」


「ぽとふ?あ、料理ね!わかったわ。今虚空庫から出すから待ってて!」


 そんな表情を見せたのは一瞬、すぐに明るい彼女へと戻り、忘れかけたタッパーをシオンへと要求する。


「……嫌になるなぁ」


「だね」


 それを見届けた仁は、部屋の中に入って環菜を騙していた罪の罰として、己の手首を軽く剣で裂いた。当然、痛みを味わう為だけで、すぐに治癒で傷を塞ぎ、シオンに気づかれないように包帯で血の跡を拭う。


 それから少しだけ間をおいてから、かたり、とドアが音を立てて開いてシオンが入ってきた。バレる要素はゼロで、実際バレる事はなかった。


「シオン。どうする?できたら刻印の新しい使い方を考えたいんだが」


 ただ、予想外だった、完全に想定していなかったと、忘れていた。


 今日が何の日かという事を。


「仁、トリック、オア、トリート」


「へ?」


 振り向いた先にある、何かを隠した微笑みとその問いに固まってしまう。


「いや、俺はさっきお菓子持ってないって」


 俺も僕も、思考停止のままに、ただ質問の答えのままに、お菓子を持っていないと答えてしまう。意味もこの日のルールも、その先を何も、考えず。


「なら、うん。イタズラ、ね?」


「いや、ちょっ」


 止まった脳、指令のない身体。そこに不意を打たれて強い力で引き寄せられ、求める体温に近づくならば、反射も役目を放棄して。


 頬に暖かく、柔らかい感触が、刹那に刻まれた。


「……お、おやすみ!」


 そこが、頑張って背伸びをしていたシオンの微笑みの限界だったのだろう。顔を手で隠して走ってベットに飛び込んで、布団をかぶってバタバタと動く少女。仁はそれらの事をただ起きた事としか認識できず、頬に触れた感触の正体も、理解する事しかできなかった。


「……い、今?」


「き、きす」


 仁は忘れていたのだ。環菜が負けず嫌いな事を。今日が何の日で、どういう日で、どんなルールがあるかを。トリックオアトリートで、お菓子がなければ何をされるかを。


 きっと、頬に触れたのは。








 今日はハロウィン。人間をやめた司令の元にパンプキンパイが作り主と一緒に届けられ、嵐のような熊が色街の店からサプライズを受けて、バカタブツの元にお土産を届けに行った魔女がいて、熱いカップルがデートを楽しんで、命を選ぶ医者が墓参りしたり、大忙しだった運送業の四人が馴染みの店の看板姉妹一人を除いてパーティを開いたり、不器用な二人と一人の距離が一気に近づいたりする、素敵な日。


 今日はハロウィン。死んだ街も、ゾンビのように生き返る日。



 いかがでしたか?四兄弟の話やこの話のように、この街には戦いや悲しい出来事以外にもたくさんの日常がある。そういったお話でした。例え滅びかけた世界でも、お祭りくらいはしてもいいですよね。


 こういう日常があるからこそ、彼らは日常を守る為に戦えるのです。

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