間章6 追う者と追われる者
大空で龍と死闘を繰り広げ、地に落ちた。衝突寸前、残った魔力を振り絞った浮遊で挽肉になるのを回避する。
「やはり歳かな」
強化の魔法陣の起動の為の魔力も、傷を治す魔力も足りず、今は自然回復を待つのみ。火傷がヒリヒリと燃える辛さを感じながら、村まで歩く。全盛期の自分ならば余裕で走って帰れたろうにと、時の流れに寂しさを感じてしまう。
「どういうことだ?『伝令』を送ってきてもいい距離だが」
ようやく行きに通った道に出て、そろそろ範囲内だと『伝令』を持つ者に連絡をつけようとするが、繋がらない。
『伝令』の系統外とは、親から子へとほぼ受け継がれる上、突然持つ者がよく現れ、保持する者が多い特殊な系統外である。
その性質は、持っている者と一定距離内にいる限り、頭の中で会話が出来るというもの。距離に限りがある携帯電話みたいなものだが、他にも違いはある。
かける事が出来るのは系統外を保持する者のみ、一度繋いだらそのまま長電話できるが、保持者の魔力という通話料金がかかってしまう為、概ね一時間が限度。
また、相手を選ばずに勝手に繋ぐ事は出来ない。互いの血を飲み合うという、少し引くような契約が必要となる。
多々のデメリットや制約があるものの、性能はそれを補って余りある。故に、六人に一人の割合でサルビアは騎士団に編成していたはずなのだが、それら全部からかかってこないと言う事は?
「何かあったのか?それとも、大丈夫だろうと放置されているか」
普通なら何か起きたと事件性を疑うところではあるが、サルビアは悩んでしまう。自らの騎士団の団員は少し、自分を信頼しすぎている節があると。しかし、彼が苦戦するような化け物がそんじょそこらで出くわす訳もなく、概ね正しい認識だ。
「魔法か。それも攻撃の類」
だが、今回ばかりは違ったようだ。耳に轟いた爆発音と、天へと上がる黒煙が教えてくれた。森の中での炎は厳禁と教えたはずで、それらを使うとは余程の事態か、敵が常識知らずか。
「そういう意味では、あやつは私を超えたんだな」
異様な事態に、初老に差し掛かった身体に鞭を打って走り出す。全身の節々で傷が呻くも、速度を緩める事はない。魔法は使わずに魔力は温存して、村への距離をなくしていく。
「全く、世話が焼ける子供達だ」
仮にあの龍が襲撃して来たのならば、少し厄介だ。イザベラなら空中戦でもなんとか数分は持つだろうが、空の上へと逃げられればどうにもならない。他は、魔力的にも技術的にも厳しいだろう。
「まぁ手を出されれば、怒るのが親の役目」
娘を娘と呼べなかった男が、代わりと勝手に思った我が子達。ならば彼らの危機に、勝手な男は勝手に怒る。
そしてその勝手な男は、この世界で一番強い剣士だった。
ようやく辿り着いた村の入り口から、中が見えた。破壊された建物から黒い煙が上がり、動けない負傷者達が運ばれていく。
「悪い。遅くなった」
「サルビア団長!?今までどこに行かれていたのですか!緊急事態です!」
「ついさっき、村の近辺で空を飛ぶ龍と……団長、もしや堕としました?」
姿を見せたサルビアへ、兵士達が次々と駆け寄ってくる。炎と戯れたような団長の格好を見て、彼らはあながち間違ってもいない答えを導き出した。
「調べ物の最中にばったり出会ってな。殺す事は叶わなかった。なんとか退けたが、あの龍に襲われたのか?」
「……龍は素通りしていきました」
アコニツムは、サルビアとの戦いでプライドを傷つけられたように見えた。その腹いせに村を襲ったのかと勘繰るも、若い兵士達は皆一様に首を振る。
「その少し前、『裏切り者』が村の入り口に姿を現しまして」
姿を表した脅威は龍だけではないと、憔悴し切った顔で述べた。想定外にも程があると、サルビアは頭を抱えたい衝動に駆られる。
イヌマキ、アコニツムの連戦で魔力も体力も大きく消耗し、ティアモとジルハードがいない時に奴と出くわすなど。
「状況は?」
「私達も斬ららましたので、念の為ここに置いて行かれました。今現在、イザベラ様が団を率いて捜索されています。『伝令』持ちは皆意識がなく、いつもより連携が取れていません」
無傷の兵士達が、悔しげな顔で状況を告げる。酷いものだが、対応はおそらく最善。『伝令』が繋がらなかったのは、内部をよく知る裏切り者が保持者を優先的に狙い、動きを鈍らせた為。
「死者、負傷者は出たか?」
「重傷、致命傷と思わしき者が数人です。ですが、死者はいません。ギリギリのところで塞がれました」
精鋭揃いの騎士とは言え、今回ばかりは相手が悪い。最低でもイザベラクラスは無いと話にならず、連携もいつもほどではない。どれだけが犠牲になったかと尋ねるが、戦場ではあり得ない答えであることは予想できていた。そして、実にその通り。
「なら、殺す気はないという事か。とことん甘い奴だ。全力で探せ。だが無理はするな。私が処理する」
彼女の甘ったるく、決して揺るがぬ決意に彼は思わず笑みをこぼし、どこか悲しげに処刑人を名乗り出る。
「そのお身体では危険です!私達で斬ります。幸い、向こうはこちらを斬っても殺さないようですから……!」
だが、止められる。ことサルビアの強さに絶対的な信頼を寄せるカランコエ騎士団の面々であるが、並ぶ化け物が相手ならば話は別だ。
「やつが我が娘と例の『傷跡』と手を組んだら、厄介この上ないと思うが?それに悪いが、お前らじゃ奴の相手は務まらん」
部下の気遣いを、戦況や彼女が及ぼす影響を冷静に判断してはねのける。ありがたい事だったが、サルビアで苦戦するような相手に、部下が勝てるわけもない。それが後々の敗北に繋がるのであれば、受け入れる事は出来ない。
「……分かってはいますが、しかし!団長だって魔力がありません!」
「虚空庫に幾つか魔法陣がある。それに、奴と私は相性がいい。至って無傷なお前らよりは勝てる。援軍はいらん。奴相手だと単騎の方が間違いなく戦いやすいからな」
しかし、今のサルビアの魔力量はほぼ限界値だ。戦闘中の自然回復を考えても通常発動は一回二回が限度で、隙の大きい魔法陣に頼るしかない。それでも、剣の腕が鈍らないのなら、そこらの騎士が行くよりは、サルビアが行った方がいい。
「……けど!」
そんな事、食い下がった騎士達にだって分かっていた。しかしそれでも、止めたかった。
「団長はその、優しいお方です。今も無理をなされる。だからこそ!戦友を、斬れますか?」
最早不敬に値する止め方でも。裏切り者は、サルビアの古い戦友だ。敬愛する団長が戦友を斬って悲しむ所など、見たくなかったから。いや、仮に情で隙を見せてしまい、そこを突かれた先を考えれば。
「私達は弱いから生かされました。けれど団長は、殺される可能性が非常に高い」
裏切り者が騎士達を殺さないのは、後の障害にもならないからだ。一度斬ればもう、彼らの命は掌の上。そうでなくとも、ただ単に強さに圧倒的な差がある。
だから、国の最高戦力であるサルビアの命を取れる機会をみすみす逃すとは、騎士達には思えなかった。そんな機会を得る事自体が不可能に近いが、何せ相手は不可能を可能にする者だ。
自分達は裏切り者の戦友ではない。仮に彼女と敵対すれば、後悔と罪悪感に塗れながらも、斬れるだろうし、斬られるだろう。
自分達は国の柱でもなんでもなく、優秀な雑兵。仮に死んでも代わりはいる。しかしサルビアの代わりは、まだいない。団長の心情と万が一を考え、情と理の心配で騎士達は責めた。
「心配はいらない」
実にいい責め方にサルビアはまた、我が子の成長を見るように笑みを溢す。
「奴は例え私であろうと、殺さぬよ。何が何でも戦闘不能までにしか追い込まない。あいつはそういう女だ」
その心配に意味は無いと、身体に馴染みきった鎧をつけ始めた。
「確証は!」
「戦友だからだ」
そこまで甘いわけがないと反論した部下を、ずっと長く戦ってきたから分かると、戦友だから信じていると一言で黙らせる。
「戦友を、斬れるんですか?」
そんなに分かっている相手を斬れるのかと、再度問う。ここで僅かでも躊躇いがあれば、部下達は止めるつもりだった。
「斬れるとも」
だがサルビアは、妻の形見だという美しい首飾りを鎧の下の首に掛け、一瞬の迷いもなく口を開く。
「忌み子の実の娘を拷問したような親だぞ?忌み子に与した、いや、忌み子だった戦友を斬る事に、何を躊躇う」
サルビアがかつて行った、普段の彼を知る者達からは想像もつかない所業。故に戦場に行けると、戦友を殺せると言った。
「……分かりました。どうか、お気をつけて」
逞しい身体から焼けるように迸る憎悪と憎しみに、騎士達は道を開けるしかなかった。
「あらあらぁ……全く、奴の系統外は本当に厄介この上ないのですよぉ!」
燃え盛る炎の壁に目を眩まされたイザベラが、苛立つように水魔法を発動する。周りの騎士達も合わせるように、水で炎を抑えていく。
「そらぁ、いるわけないですよねぇ……!」
晴れた視界に、戦っていた裏切り者の姿はない。ちろちろと弱った炎が死にかけているだけだ。苛立った彼女は、炭となった木を無惨に斬りつける。
「落ち着けイザベラ。奴の強さは分かるが、視野を狭めるな」
「!?サルビア団長ぉ?いつにも増して綺麗なお姿でぇ」
しかし、肩に手を置いた彼の顔を見た瞬間、イザベラは顔を花のように綻ばせた。すぐさま状況を思い出して厳しい表情を作り上げるも、やはり嬉しさを隠し切れてはいない。
「そう皮肉るな。私も反省している。少し龍と戯れてしまってな」
「あちら側はあなたが退けたのですねぇ。あとぉ、皮肉じゃありませんわぁ。傷だらけの殿方ってかっこよくてぇ、惚れ惚れするじゃないですかぁ……忌み子以外」
龍が通り過ぎたのは彼はが負かしたからとは把握し、イザベラは歴戦の英雄の風貌が心から好きだと彼の発言を訂正する。団長を傷つけた忌み子を、しっかり除外するのは忘れない。
「真に強き英雄は傷がないと思うが?」
「あらぁ、これは一本取られましたぁ?ですがぁ、私の好きな殿方の風貌は変わりませんのでぇ」
サルビアの皮肉の返しにそれもそうだとイザベラは頷き、勝手に出歩いた事に腹を立てている事を示す。
「全くぅ……もしや裏切り者に負けたかと心配したんですからぁ。いつも言っているじゃないですかぁ。『伝令』を誰か側に置いておいてくださいってぇ」
常々連絡係を側に付けろと忠告していたのだ。それを彼が聞き入れていれば、この心配はなかった。
「悪い」
自分が悪いと分かっており、なおかつ美女が頬を膨らませるこの状況、サルビアは謝る以外の方法を知らない。
「しかし、私があの裏切り者に負けると思ったのか?」
「ついこないだぁ、油断なさって腹に小さな穴が空きませんでしたぁ?」
自分の強さを疑うのかという意趣返しも、つーんと顔を背けた彼女に反撃されてしまう。あの時を引き合いに出されてしまえば、サルビアの負けだ。
「もう油断はせん」
「それにぃ、いつだってみんな心配してるんですからねぇ?忘れないでくださいよぉ?」
続く騎士団を代表したイザベラの言葉に、どうやらただの負けではなく完全敗北だったと両手を挙げる。
「ある程度ですが足止めはしておきましたぁ。後はあなたに任せますぅ」
足手纏いは要らないだろう。団長の胸の内を読み、イザベラは深くお辞儀をして一歩下がる。相変わらず彼女は鋭く、分かっている。
一人で向かうのは止めはしない。止めても聞く人ではないと団員達は知っているから。サルビアが最強であると信じているから。
「必ず帰ってきてくださいねぇ?」
一人で向かう事を心配する。サルビアが優しいと団員達は信じているから。彼も完全ではないと知っているから。
「全く、敵わんな」
「口は平騎士以下ですわぁ」
剣の腕なら誰にも負けるつもりはないが、口にはどうも自信がなく、負けてばかりだ。今回も負けたが、不思議と悪い気はしない。
「万に一つもないとは思うが、負傷者達の傷が開き始めたら治癒を頼む」
「当たり前ですわぁ。裏切らない限り、見捨てないのがうちですぅ。こちらは任せてください。ご武運をぉ」
後ろに置いて来たものを任せ、サルビアは単身で焦げ跡を通り超える。虚空庫から強化の魔法陣を取り出して発動してから、裏切り者の元へと走った。
「お久しぶり、と言うべき?」
「ああ。ここ数年、おまえは世界を飛び回っていたからな」
そして数分と経たずに、向き合う。鬱蒼と茂る森の中、銀色に輝く甲冑を纏った細い裏切り者と、逞しい体格に鈍く光る鎧を着込んだ団長が、真正面から兜の中の視線を交わらせた。
「やっぱり、貴方だけは撒けないのね。その動物染みた勘と五感の合わせて六感、どうにかならないかしら?」
銀色の兜を外して空気に晒されたのは、神が創った彫像とも見間違う程美しく、また悪魔めいた妖艶さを合わせた顔立ち。血に塗れた戦場でも、彼女の美しさは損なわれる事はない。
「大分衰えたよ。おかげで娘の反抗期を抑える事さえままならん」
サルビアもやれやれと肩を竦めてから己の兜を外し、互いに懐かしい顔を見せ合う。とはいえ、以前会った時よりもこちらの顔はかなり老けた。
「あら、生きてたの。天下のサルビア・カランコエに傷をつけるじゃじゃ馬娘、会ってみたいものだわ」
「悪いが会わせぬよ。手を組まれれば面倒だからな」
虚空庫から取り出した魔法陣を握り潰し、左手の中で発動。土の剣を作り出して鋒を真っ直ぐ、細い女性の首へと向ける。
「その身体と魔力で私に勝てるの?」
「勝てるかどうかが、挑むかどうかを決めるのではない。お前なら知っているだろう?マリー」
マリーと呼ばれた女性も、虚空庫から透き通るように白い両手剣を取り出し、構える。瞬間、サルビアの本能という本能が、目の前の女への警鐘を打ち鳴らす。
普段なら鳴らないが、今回は消耗しきった身体での戦い。煽られた通り、勝算は低いと本能は理解しているのだ。
「顔はダンディ……渋くなったけど、中身は本当に変わらない。大事な者の為なら、自らが壊れるのも構わずになんだって斬っちゃう、斬れ味が鋭すぎる剣そのもの」
それでも剣を向けるサルビアに、マリーは呆れたように息を吐く。犠牲を減らす為に、敵を殺しに駆けた若き日、一緒に戦っていた頃と何も変わらないと。
「おまえこそ、年々美人にはなるが……心根は一度変わって以来、決して変わらんな。あの戦争が、おまえという刃のない名剣を造ってしまった」
部下を一人も殺さなかったマリーに、サルビアは呆れたように皺を寄せて笑う。味方どころか敵の犠牲を減らす為に、人を殺さない誓いを立てたあの戦争以来、変わっていないと。
戦場にて敵対する者を殺さずに捨て置く。それは偽善。敵を見逃せば、その敵は違う味方を殺すという結果を引き起こしかねない。優しさの皮を被った利己的な行い。
「人殺しは止めたの。綺麗事って馬鹿にされたけど、私こそ分からないわ。なんで、みんな綺麗って思ってる事をやらないのかってね」
「おまえのような力を持つ者にしかできん行いだからだろう。私なんかには到底真似できん」
だがこの女は、その偽善を本当の善に変える力を持っていた。故に彼女だけは、罪を背負わないような綺麗な生き方が出来た。
罪を背負わない生き方を弱いと思うか、良いと思うかは人それぞれ。しかしサルビアはとても、羨ましいとは思うのだ。
「……こんな一方的な虐殺は間違ってると、私は思う。せめて、あの娘に託された意思を果たすべきだわ」
綺麗事に人生を捧げた女性は、綺麗事を信じ続けている。
「魔力はどうする?足りるのか?」
しかしそれは、問題が山積みの机上の空論。
「そ、それは……多少は私でなんとかなるけど、足りない分は騎士や国民達から……」
「それでも足りんだろう。綺麗事をしないのではない、出来ないのだ」
綺麗事と蔑まれる時というのは、大抵が現実的ではない場合である。マリーの提案が道徳的な正しさを持っていたとしても、現実的でないのなら受け入れられるわけがない。
「残された道は、忌み子と殺し合う以外に無いのだよ」
「それも机上の空論って気付いてないの?一人残らず日本人……忌み子を殺すなんて、できるの?」
「世界がまるまるぶっ壊れるような魔力を集めるよりは、ずっと現実的だ。おそらくだが、我が娘とほんの数人以外の忌み子は魔力を持たない、違う世界のやつだろう。今は多くても勝手に滅ぶ。そうでなかった奴らを、私達が叩けばいい」
一見机上の空論だが、よくよく見れば手の届く位置にある理論だとサルビアは否定した。彼の言う通り、この世界で日本人は生き残れない。魔物達に殺されるか、餓死するか。それとも障壁を持つ騎士達によって殺されるしか、彼らに道はない。
「生き残る数人を見つけて、騎士団で叩く。生活の痕跡、噂を辿れば、必ず見つけ出せる。いや、必ず見つけ出す」
元よりサルビアの世界にいた忌み子達も、大半が見つかった瞬間に処刑、産まれた瞬間に命を奪われる。仮にそこを生き延びても、シオンのように拷問に等しい所業を受けて息絶えるのが普通だ。
人の住めないような所に隠れている可能性だが、前述の通りそこは人が住めない。
そうでなくとも、赤ん坊や年端も行かぬ年齢で外に放り出されて、誰の助けも得られず、見つかったら殺される中生きていけるのは何人か。騎士達の目が届きにくい、スラムにいる可能性もない。殺せば多額の賞金が出る弱い獲物を、何もかもに飢えた貧民が放っておくわけがない。
利用価値なんて殺して金にする以外になく、辺境の村に隠れる事だって出来ないのだろう。
その全てをくぐり抜けた唯一の異常が、シオンなのだ。
「そうね。言われてみれば、あなた達のは十分に可能だわ」
生き残っているのは数人と言ったが、おそらくシオンだけ。日本人の弱さを知るマリーは、この残酷な方法が現実的だと、思わず納得してしまった。
「……けど、ごめんなさい。私は忌み子側につく事にする」
だが、現実的とはいえども、例え世界を救う為でも、弱き者を一方的に残酷に虐殺する事を許せなかった。それを止めて他の方法を探すべきだと、信じていた。
「それに、私もこっちの世界の住人だから」
そして、自分がかつて過ごした地に住まう人々を手にかける事なんて、出来やしなかった。殺されるのを、認められなかった。
「誰かを守る為。綺麗事の為。不可能を可能にしてみせる。それが『勇者』というものよ。私は必ず、なんとかする方法を見つけてみせるわ」
故に今代の『勇者』は兜を深く被り、剣を今一度握り直して、かつての戦友へと向ける。
「そうか。譲れない、か」
彼女の絶対に譲らないと言ったその態度に、サルビアも兜を降ろして顔を隠す。くぐもった声だけが、どこか悲しげに森に吸い込まれて、消えた。
「大切な者を守る為、この身を血で汚して黒き老若男女を斬り捨てる。そしていずれは『魔神』と『魔女』の首を落として世界を救う……それが騎士というものだ。私は必ず、世界を救ってみせる」
物理と魔法。双剣の鋒を戦友へと向けたサルビアの大声は、森に吸い込まれることなく太く響き渡った。
剣を向け合い、殺意と闘気をぶつけ合い、呼吸と鼓動を水底へと沈めていく。体と心は鉄のように冷ややかに、戦の炎の中へと焚べられる瞬間を待ち続け、
「「いざ」」
何の合図もなく二人の声が重なり、距離が刹那で消し飛んだ。
『称号について』
シオン達の世界では、国や特殊な機構から、称号や二つ名が与えられることがある。そのどれもが、与えられるには厳しい条件をクリアしなければならず、また、大半が例外がない限り、一時代に一人までとされている。
以下、与えられたことのある称号や二つ名一覧。
「勇者」
『魔神』から世界を救った者の称号になぞり、世界の危機に最も多くを救う者。もしくは最も多くを救うだろうと見込まれる者に、代々受け継がれる名前。前任者から託される場合と、国と国で協議し合って渡す場合が存在する。かつてはもう一つ別の方法があったとされているが、既に失われている。
現保持者 マリー・ベルモット
「剣聖」
初代カランコエの為に作られた称号であり、世界で最も剣が強いとされる者に渡される名前。基本的に一人のはずなのだが、該当者が複数いることが非常に多く、歴史に何人も登場する。
現保持者 サルビア・カランコエ及びザクロ・グラジオラス
「宮廷筆頭魔導師」
国に仕える魔法使いの中で、最も強き者に与えられる称号。こちらも原則一人であり、例外が認められることはほぼない。現保持者と実力が拮抗する人物がおり、一年や数ヶ月程度でコロコロ入れ代わったという話が有名。
現保持者 プラタナス・コルチカム
「陣姫」
魔法陣の研究を百年間進ませたとされ、同時に世界最高峰の魔法陣の戦闘利用の技術を持つとされた彼女に国から与えられた、彼女の為だけの二つ名。
所持者 ルピナス・コルチカム
「記録者」
真実の歴史を記し続ける者にのみ与えられた名前。現在の保持者どころか、それ以前全ての保持者の存在が謎に包まれている。彼もしくは彼女達が記した本は不可思議な再生能力を持ち、風化しない。
現保持者 不明
「魔人」
『魔神』になぞり、世界に大いなる災厄をもたらす黒髪黒眼の忌み子に与えられる名前。前回は黒髪戦争の主導者に、そして今回はシオンへと付けることが検討されている。
「傷跡」
森を燃やすように指示し、刻印をその身に刻んだとされる狂気の忌み子に付けられた二つ名。最初は傷跡以外の全貌が不明であり、もしや黒髪戦争の首謀者並の力量かと恐れられていた。しかし、サルビアとの交戦とイザベラによる情報収集により、戦闘能力は並かそれ以下と断定される。が、依然として魔力のない忌み子でも魔法が使える例であり、彼が忌み子の街などに接触すればその影響は計り知れない。それに単純な強さ以外の部分、特に森を丸ごと燃やすという発想力が危険視され、二つ名は現在も継続中。
所持者 桜義 仁
「聖女」
世界を救う為にその身を捧げた女性に贈られた称号。全世界からの感謝と敬意が込められている、とされている。
所持者 メリア・グラジオラス
ここで紹介されたのは一例に過ぎず、その他多くの称号や二つ名がこの世には存在する。
 




