第60話 出発点と誓い
「……じ、仁?私からくっついておいてなんだけど、離れていいかしら?」
「あ、ごめんごめん」
「そんな気を遣わなくてもいい」
あれから互いに静かに泣き、ようやく落ち着いたのは時計の長針が三十周した頃だった。
「え、あ、ありがとう」
自棄を起こし、告白されて励まされ、その想いを踏み躙って閉ざした心を、強引にこじ開けられてようやく前を向けたのが現状。そんな場面ではないのに、シオンは仁を見て顔を真っ赤にし、口をパクパクとさせている。
あの場の勢いに乗せられて言ってしまった彼女の想い。元よりバレバレだったにしろ、面と向かって言った今、シオンは返事待ちという事になるのだろう。ぼっち培養の彼女にとって、この感情は未経験にして余り心臓によろしくないものであった。
「その言葉、俺が言いたいんだが」
「ごめんなさいも数百回分継ぎ足しておくね」
しかし一方の朴念仁は、いつもより何倍も清々しい顔である。自らを隠さず、他人を必要以上に警戒しなくなった表れだろうが、少しも動揺しないのはやはり、今までの仁からすれば考えられない程おかしかった。
「じ、じゃあ、は、離れるね!」
「ん。ありがとうな」
これはいわゆる脈なし、異性として見られていないのではと、シオンは再び涙目になりながら密着状態から撤退。自ら選んだ道とは言え、大好きな温もりから離れるのは名残惜しく、またどこかホッとするものであり。
「あのさ、シオン。あるんだよな?」
「う、うん。今までにない程、特別な葬儀だったって」
「じゃ、そこに行こうか。先に柊さんに僕ら起きたって報告してからだけどね」
告白の返事も、その話題に触れられることも無く少年の口から告げられたのは、とある場所に行こうという誘いだった。仁は火傷を隠す為に顔下半分に布を巻き、シオンは
「便利だな。魔法」
「今度僕もここに刻んでもらおうか。氷のやつ」
ハーフよりも範囲の狭い木のマスクを取り出して、火傷の上に被せていた。魔法を発動させ、端を延長。装飾を施して頭の後ろに巻き付ければ、固定は完了だ。
「頬でいいなら刻むけど……どう?に、似合ってるかしら?」
自信が無いのか、それとも嬉しい返答を期待しているのか、シオンは上目遣いで尋ねる。お調子者の僕はともかく、ヘタレにして朴念仁の俺には期待するだけ無駄であったはずなのだが、
「ん。似合ってる」
「GJ。てか、俺君照れないねどうしたのさ」
「いや、別にこれくらい」
俺と僕はそれこそ、教科書通りにして本心の言葉で答えた。いつもの奥手っぷりは一体どこに行ったのか。
それにしても、やはり彼女は手先が器用なのだろう。非常に細かい木の色の一輪の花が、醜い火傷を隠している。仁にはその花の種類は分からないけれど、とても綺麗だと思った。
第一の目的地である、司令室。誰かに言伝を頼んでもよかったのかもしれないが、それはきっと逃げだと仁は思った。
これからの彼らの反応は、柊と彼以外で大きく分かれることだろう。 仁を本当の英雄と信じてる彼らからは、街を救った事に対する賞賛と酔馬の事を気に病むなという気遣い。
そして仁を偽りの英雄と知る柊からは、きっと。
「御機嫌よう、龍殺しの英雄。目覚めたのは良いことだ。次も戦えるな?」
始まりは仁の身体を気遣った一言から。しかし、それは優しさから出た言葉ではない。兵器としての体調を心配する彼の計算と、純粋な皮肉から出たものだ。
「はい。もう、大丈夫です」
「次も、僕ら頑張るよ」
彼に尋ねられた意味の通り、仁は兵器としては大丈夫だと頷いた。氷の脚の感覚自体は前とほぼ変わっておらず、戦闘にさほと影響は出ないことだろう。
「ちょ、ちょっと待ってほしいです。仁はその、刻印をこれ以上日常的に使用するべきでは!」
もっとも、これから先血の通っていない部位が全身に広がればどうなるかは分からない。それこそ頭から爪先まで氷に変わっても生きれるのかもしれないし、一定のラインを超えたら仁は死ぬかもしれない。
その事を考えたシオンは、非常時のみに刻印を使うべきだと進言した。
「それの広まるペースはどれくらいだ?今回一気に来たようだが、蓄積されているのかね?」
目先の訓練と、先の非常時の時の仁の有用性を秤にかけ、後者に傾いたのであろう。柊は無茶を強いることはなく、どれくらい身体は耐えられるかと尋ねてきた。憎んではいても、冷静な判断を失わないのは彼らしい。
「多重発動をしなければ、影響はほぼ無いと思います」
「四つ同時に使って一気に来たよ。そんな無茶をしなければ大丈夫じゃないかな」
「なら色々と安心した。これで刻印を広める事ができる」
彼を見習って仁も客観的に脚と過去を見て、おそらく大丈夫だろうと判断。薬と同じだ。用途と容量を守りさえすれば、副作用は僅かで済む。
それに刻印魔法を広めるとはいえ、近接戦闘において仁は軍内でもシオンに次ぐ技術を誇る。銃を乱射されでもしない限り、数人がかりでも制圧できる。例え脚が氷に変わっても、仁に休む暇は無いのだ。
「言い方は悪いが、君に騙された意味が僅かに見つかった。いいモルモットになってくれたようだね」
「もる、もっと?」
「めっちゃ可愛い毛玉の事だよシオン」
刻印を軍内の人間に処方するつもりだった柊にとって、この情報は非常に嬉しいものだった。副作用が大きければ大きい程、志願者は減るだろうから。図らずしも仁は、特効薬の効果を検証していたらしい。
「それって」
「気にしない気にしない」
「事実だからな。別に俺も気にしていない」
シオンの世界でも似たような事は行われていたのだろう。意味が分かると同時に、柊を咎めるような目つきで睨む少女。仁は隠したのは己だと手を振り、その視線をシャットアウトする。シオンも仁と自分が悪い事を理解している為、強くは出れなかった。
「嘘吐きだとバレないよう、君には今後も強めの副作用を受けてもらうことになるが、よろしいかね?拒否権はないが」
「覚悟の上です」
「そ、そんな……!みんなと同じじゃダメなんですか!?」
寿命を縮ませるかもしれない副作用を受け入れた仁と、それを提案している柊に、シオンは机から身を乗り出して訂正を求めた。
だがその訂正は、柊にも当事者である仁にも許されない。
「何度も言わせるな。英雄が一般兵と同じ力で誰がついていく。他より強く魔法を使う事を心掛けろ」
「シオン。これも俺が嘘を吐いたせいだから、仕方ない」
「大丈夫大丈夫!二つくらいなら普段でも影響無いみたいだし」
「けど、頭痛だって!」
「黙って常に二つ使ってたのは誰だい?」
「……」
仁が偽物だと気付かれない為に、特別な存在であり続ける為に、英雄だと信じ続けられる為には、全く同一の刻印で他との差別化を図らねばなるまい。例えそれが、体を蝕む代償を伴っても。
「疑われない様にしなきゃいけない」
「僕らの蒔いたタネだ。収穫するのも僕らでなきゃ」
身体の表面にしか魔法を発動できない制限など、疑われる共通要素は多々ある。だがそれも、仁が二つの刻印を難なく使いこなせる様に見せ、二倍の魔法を常に操れれば、騙し続ける事は出来るかもしれない。
魔力眼を持たぬ日本人に疑われても、仁が偽物だと証明する方法は自白以外にあり得ないのだ。なんとも悪どい方法である。
「……」
理由が分かってもシオンは唇を食いしばり、抵抗の意思を見せる。なぜなら、
「刻めるのは私だけなんです。私に彼の、みんなの寿命を削れと?」
シオンは、仁の命を自らの手で減らす事を嫌がったのだ。いや、仁だけでは無い。彼女は誰の寿命だって、削りたくはなかった。やらなければならない事が分かってはいても、優しい彼女には辛い事だろう。
「君の優しさを否定するつもりはないが、それだけが優しさとは思わない方がいい」
少女の気持ちも理解できなくはないのか、柊の眉毛が一瞬だけ上下に揺れた。瞬きしていたら見落としてしまうような、ほんの短い間の、彼の人間である弱さだ。
「此奴が偽物だということが露見した場合、反乱でこの街が滅ぶ可能性は大いにある」
すぐに元に戻った彼が述べる、そこら中に転がっている火種。信じきっていた綺麗な柱の外が取り繕ったメッキだと、中を嘘という虫が食い荒らしていると民衆が知った時、どうなるかなんて分かりきっている。
そもそも広める事自体が、オールオアナッシングなのだ。大規模な戦力の補充であると同時に、反乱の火の周り触れるか触れないかの位置に、偽物かもしれない情報のガソリンをばらまくようなものなのだから。
「これ以上の延命は従来の方法だと限界がある。今までは食糧をどうにか確保していたが……アコニツムに燃やされた施設に、食糧に関わるものが幾つかあった。早急に収穫量を増やさなければ、餓死者は恐ろしい数に上るだろう」
それでも賭けに出ざるを得ない理由に、柊の顔は深い皺を更に刻む。アコニツムの襲撃はこういった面でも尾を引いていた。
行えば障壁の対抗手段が増えて死傷者も減り、食糧も潤う。行わなければその真逆。対抗手段は僅か二人。死傷者は今まで通りで、食糧は減り続ける一方。そして現状、行わなければもう食糧が間に合わない。
「それだけで済めばまだマシだ。食糧を軍に優先して回し過ぎれば、反乱が起こるかもしれん」
飢えた人間達が延命しようと、種として見た時の短絡的行動を起こしてしまえば、その先には何もない。
足元に散らばる無数の滅びの種という地雷を何とか躱して歩く方法が、仁の嘘を露見しないように刻印を広めるというものなのだ。シオンが人の寿命を削りたくないと刻印を刻まない方が、滅びを早める事になる。
「副作用も説明し、まずは軍内で志願者を募る。余程の事、つまり数人しか志願しなかった場合でもない限り、強制はしない。故に君が彼らを気遣う必要は皆無だ。存分に刻んでくれ」
副作用を理解して、それでも街を救いたい志願者のみの命を削る、残酷な優しさを、柊は仁とシオンに説いた。彼はきっと、そうやってずっと街を支えてきたのだろう。
「……はい」
「悪いなシオン。損な役、させちまう」
「僕らもその罪、背負うからね!一人じゃないさ!」
「……ありがと」
仁は刻む側でもあり、また刻まれる側の人間でもある。おそらくだが、シオンだけが刻めない事を不審に思う者達の対策として、仁も刻印を刻む作業の際に何らかの魔法を使ったフリをする事になるだろう。
故に自分も加担者だと、仁はシオンの罪の意識を減らそうとした。彼女が言って聞くような正確ではないのは分かっているが、願わくば彼女の弱い部分が責任転嫁してくれますようにと。
「まとまったな。魔法を補助する為の刻印の魔力を使わない型式の開発に成功したと、一週間後に発表する。それまで君達は二人仲良く研究の振りをしててくれ。くれぐれもばれないよう」
「……はい。分かりました」
話も終わりだと、背を向けた柊が口にした期間は、重たく仁の心にのしかかった。
一週間。今までに過ぎた三週間と合わせて約一ヶ月。長すぎる期間、仁とシオンは刻印の事を隠してしまった。その間に出た死者の数が、仁が殺した命の数だ。
「では、失礼しました」
「待て」
その事を心に刻むつけつつ、仁とシオンは部屋から出ようとドアに手をかけて、背後からの声に足を止めて振り返った。
「酔馬が死んだ意味、理解しているな?」
背を向けている彼の声は感情を含み、隠しきれなかったように震えていた。それは怒りか、悲しみかまでは分からないほど、僅かなもの。
「もちろんです」
「最後まで戦うよ」
「守れる範囲は、守りますから」
最後にようやく触れられた、本当の英雄の遺志の話題。彼の立てた親指と行動の意味を、首に刃を突き立てる程分かっている仁とシオンはすぐに頷いた。
「そうか」
帰ってきたのは、何の感情の味も色も抱いていない無色透明の水のような返事。彼は仁達の答えに満足したのかさえ、分からない。
静寂の中、ドアを閉める音が響く。
「変わったな。いや、お前に変えられた、という方が正しいか」
三人がいなくなった部屋でたった一人、柊は部屋に飾られた花を見て、呟いた。それは、一昨日までこの部屋にはなかったもの。
「犠牲と献身か。もし俺らがあの三人のおかげで生き延びられたら、世界を救ったのはお前になるかもしれんな、酔馬」
可愛らしい鈴蘭のような、毒を持つ綺麗な花だった。
あちこちから向けられる様々な視線に晒されながら、廊下を歩く。聞こえてくる声は賞賛、羨望、嫉妬、中には嫌悪から火傷の事を話し合う者まで。あまり居心地の良い空間ではなく、自然と二人の足は速くなる。
仁もシオンも、人との接し方に慣れていない。こういう時にどう対処すれば良いのか分からず、とりあえずは聞こえないフリをするしかなかった。
「あ。シオンちゃんに仁じゃん。おお!そのマスク?似合ってるよ!」
「あ、ありがとうございます」
「環菜さん」
とはいえ、知り合いにわざわざ呼び止められたなら、反応しないわけにはいかなかった。
「龍殺しお疲れさん。大変だったねえ〜」
「いえ」
大変さが欠片も伝わってこない軽さ口にする女性に、三人は俯いてしまう。彼女もそれなりに酔馬と親交があったはずだ。故に環菜がどういう反応をするのかが、怖かった。
「あれ?やっぱり気にしてる?気にしていない方がおかしいとは思うけど、気に病まない方がいいよ」
「気に、病む?」
「そ。世の中どうにもできないこととか、予想外の事なんてたくさんあるの。それぜーんぶどうにかしようと考えて生きてたら、頭おかしくなっちゃうって」
結果は、正論による慰め。彼女の言う事は実に正しく、そうであるが故に甘い逃げ場となるものだ。正論を責める奴なんて少数、仮にいても正論を打ち破るのは難しい。だから安心する。正論だから仕方ないよねと、逃げてしまう。
「けど、そういうの嫌って顔だね。酔馬って本当に好かれやすいんだなぁ」
「……」
彼女の言う通り、仁とシオンは甘えて逃げてはダメだと、そう思っていた。この重みを捨てては、もう『勇者』にはなれないと分かっていたから。
「ま、頭の片隅で理解しといて。全部抱え込んだら壊れちゃう。もう面倒な奴が一人いるのに、二人、いや三人も増えたら私じゃ救えないかな」
いつも通りに笑っているはずなのに、仁の目には環菜の笑顔が雨の降る前の雲のように見えた。
自らの手の届かず、救えなかったものを抱え込み続けて壊れる事と、壊れない為に失った事を仕方がないと諦める事。前者が仁とシオンで、後者が梨崎と環菜。
どちらももう、おかしくなっているのではないかと、ふと思った。失った事を仕方がないと、辛くないと思い込もうとするのは、それが本当に辛いと心の奥底で理解しているからではないだろうか。
「環菜さんは、大丈夫なんですか?」
酔馬の死に責任を感じているシオンがおずおずと問うたのは、環菜の心の状態について。
「私?……ん。そりゃあ辛かったよ。なんだかんだ酔馬とは仲良かったし。けど私はもう、慣れちゃったんだ」
「な、慣れた?」
しかし彼女は人の死に慣れていると、悲しい経験を何度もしてきたから、その一回に過ぎないと。実に軽い口調で新参者の仁達に、昔の街を匂わせた。
「そ。この街はそういう街。この世界はそういう世界。私の知り合いとか同期とか友人とか。仲のいい奴、一割くらいしか残ってないよ。下手すればもっとかも」
常に付きまとう頭痛のような、どうにもならない感情に慣れる。それは仁とシオンにとっては信じられない事で、この街ではありふれた事だった。
最近この街に来た仁は環菜の周りの関係を、柊達と五つ子亭等の馴染みの店くらいしか知らない。しかし、最初からそうであったはずなんてなかったと、元の形からいくつも欠けて今となったと、ようやく気付いた。
「私は慣れれた人種。だけど、本当に辛いのは慣れる事なんてできない、シオンちゃんと仁みたいな人種だと、私は思ってるよ。勝手に不幸認定して悪いけどさ。やっぱり、見ててそう思う」
「……」
否定も肯定もできなかった。忘れた方が楽だとは思うし、忘れてはいけないとも思う。これはきっと、正解なんてない問いだ。
「その反応、本当に似てるところあるよ。あいつも抱え込むタイプだから」
「誰と、ですか?」
「……今回、君達と同じように自分を責めちゃう立場にいた人。あいつ、今見てらんないくらいに酷いんだ。それこそ、君達よりも」
先程言っていた、すでに面倒だと評された人物。責める立場にいるという事は、仁達と共に戦った、
「堅さん」
もう一人のパイロット。堅物、真面目、責任感の強い彼は死に慣れる事なんてなく、きっと自分を責め続けるだろう。
「なんで酔馬は飛び出せて、俺は見ていたのかって。ずっと責めてた。あいつもトドメに一役買ってたってのに、それで気が休まる事もないみたい」
「無理もない、のに」
「けど、分かってても責めちゃうでしょ?」
得たのは勝利。しかし、完全なる勝利では無く、犠牲の上に成り立つ勝利だ。犠牲の出ない勝ちなんて戦争ではあり得ないと、勝利に貢献した堅は割り切る事が出来なかった。
実際、彼の戦果は凄まじい。仁が何をしようとしたかを予測、アコニツムが障壁を変えようとした、もしくは変えていた事を想定し、最高のタイミングでスパローを刺したのだから。あれが無ければ、龍は堕ちなかったかもしれない。
「死にに行くなんて、どれだけ難しい事かあいつ見ようとしないんだよ。しかも無駄死にかもしれないなんて、動こうとしない方に脳が傾いてもおかしくない」
本来ならそれは普通だ。なんとか防げている様子だった二人を助けようと、酔馬は自らの身を投げた。だが、もし彼ら二人が防ぎ続けられたなら、それは無駄死にとなる。彼の判断は結果から見れば正しかったが、そうでなければ非常に悩ましい。
堅は何もおかしくはない。酔馬がおかしくて、英雄で、『勇者』だっただけなのだ。
「救ったのに、堅は救われない。酔馬だったらどう言葉かけるかって悩んだけど、あいつこういう時は空気読めなかったんだよな……」
「……」
互いにいい友人だったからこそ、守られて死んだ後に残された者達は傷つき、己を傷つけるのだ。
「あの酔馬鹿が死ななきゃ、こんな……あ、ごめんごめん。責めてるわけじゃないからさ!そんな顔しないでって!私も空気読めなかったかなアハハハハ!」
うっかり漏れた、本音。それは意図せずして作戦を立案した仁と、防げなかったシオンを責め立てる。持たせるつもりのなかった意味に気付いた環菜が謝るも、吐いた言葉は戻らない。
「大丈夫大丈夫。そんな僕らも気にしてないって」
「環菜さんがそういう事出来ない人って、私分かっててます!」
僕は嘘を吐き、シオンは思ってても言うような事は環菜には出来ないと隠した物言いで励まし、
「救われた意味は、果たします」
俺は救われた事の意味を理解し、その通りに動くと。酔馬の死を無駄にしないと、告げた。
「……変わったねえ。それに距離が少し近くなってて……あー、そういう事。うんうん。なるほどなるほど。ふふ!大人になったって事ね」
今までの仁とは違う何かをその瞳の奥に見て、環菜は意地悪そうに三人をからかった。大人の余裕溢れる、少し危ういゾーンなからかいである。
「!?ちょ、ちょっと何言ってるのさ!」
「か、環菜さん!?じょ、冗談が過ぎ……!その、えーと、近い事はなったけど……!」
恋愛経験値絶無のシオン、生まれてまだ半年の純情な僕の、慌てふためいて両手を体の前で振りまくるというシンクロした反応は、何かありましたとゲロしているものだった。
「否定の仕方が下手くそね!シオンちゃん、また今夜五つ子亭で成果を聞かせてもらうわ!あ、それとも今夜もかもしれないから、誘うと悪いわね。また今度昼間に」
「わあああああああああああああああ!?行きます!五つ子亭行きますから、何もありません!」
「シオン!ごめん行ってきて!誤解晴らして!このままじゃ勘違いがどえらい広がってえらい事に……!ああ!見られてる!?」
完璧なる誘導尋問。衆人環境の中、こう言われてはシオンは行くとしか言えない。ちなみに、周りの軍の人間達は「幼女趣味?」「あんな小さい子に」「ロリコン『勇者』」などなど、色々と酷い囁きをわざと届けていた。
「ぼ、僕はロリコンじゃない!」
「わ、私も幼女なんかじゃないわよ!」
油を注がれ、どんどん加熱して燃え上がっていく事態。収める方法はないかと僕とシオンは必死に頭を回すも、龍殺し以上に答えは出ず。
「残念ですけど環菜さん。何もなかったですよ」
実際は告白されたのだが、環菜達が想像するような事は一切なかった。別に慌てふためく事でもないと、俺の返答は異様なまでに冷静を保っている。
「……あれ?本当に?これ俺の方だよね?余裕ありすぎて、二人なんかとは比べ物にならないくらい怪しいんだけど」
「本当にありませんよ。シオンは嘘吐けないですから、存分に聞いてください」
大人な余裕を漂わせた俺の人格に、何も無かったと分かっていながらからかった環菜の頬がぴくぴくと引き攣る。嘘が本当になりかけるような反応は予想外だったのだろう。
「ちょっ!?じ、仁!?」
「俺君!?正気かい!?明日には有る事無い事で僕ら晒し者だよ!」
「何も無かったんだから、そんな噂気にする事ないだろ?」
「そ、それはそうだけど」
今夜生贄となったシオンから伝わるのは、精々告白くらいだろう。環菜には後で色々と言われるのは間違いないが、他にあらぬ誤解を受けるよりはまだマシだ。
「では、俺らは行くところがありますので、この辺で」
「……うう!ちきしょう……」
「……なんとか、今のうちに計画練らないと」
環菜に会釈し、この場を去ろうとする。僕は羞恥で顔を染め、シオンは今夜の対策で頭が一杯である。
そこに、思わず環菜が言ってしまった、仁達を責めた跡なんてどこにもなかった。実に見事な、会話と思考の誘導だった。
「じゃ!また今度にまた今夜!」
ウィンクをした彼女は、もしかしたらとても気遣いができるのかもしれない。
「あとさ。守ってくれて、ありがとうね」
結局、環菜は仁達の事を一切罵倒しなかった。代わりの感謝は刻印の嘘を知らぬ者達の、当然の反応。けれど、彼女の慰めはばれた時の怒りなんかより、ずっと俺の心を抉っていた。
そしてようやく、目的地に辿り着いた。彼が死んでから日が経ったからか、それともここに来るのが少し大変だからか、辺りに人影がない。強化を使える仁達も歩きで来るのに時間がかかり、もう正午は回った頃で、すでに夕方へと時間も陽も傾き始めていた。
「ここに、酔馬さんがいるのかい?」
「死体の破片を回収できたらしいの。もうほとんど原形は無かったんたけど、梨崎さんがこれは人の肉だって」
「そうか」
立派で大きくて、陽の光を映す大きな、街を一望できる場所に建てられた墓石。仁が行こうとシオンに提案した、酔馬の眠る墓だった。
「あなたのお陰で、助かりました」
まずは、助けてもらった事への感謝を。
「作戦の詰めがいつも甘くてごめんなさい。そして、ありがとうございます」
そしていつも考えの甘い、なんとか出来そうに見えてしまうタチの悪い欠陥作戦を思い付いた事への謝罪。
「お話があって、ここに来ました」
ここに来た理由は、謝罪と感謝と、決意を告げる為。シオンに心の扉をぶん殴られて、仁は素直になれた。だが、本当に誓うべき場所は、託されるべき場所は、彼の前だと思った。
「実は俺、みなさんと同じで魔法が使えないんです。自分の為に、みなさん騙してて。それがなかったら、酔馬さんが死ぬ事も、なかったかもしれないんです」
墓石の前に膝を着き、頭を土へとぶつける。誰にも言うな、悟られるなと柊から念を押されていた、仁の嘘と秘密。しかし、それは言い触らす事のできる生者のみの話だ。
死者には言う口も聞く耳もない。ロロの話が本当なら、魂というのが存在するらしいが、どちらにしろ、言える口だけはないだろう。
死んだ彼に伝わったのかは分からない。魂だけの幽霊みたいな存在となっているなら、仁とシオンと柊の会話をどこからか聞いて、きっと自分が命を賭けて助けた相手が、偽りの英雄だったと知ってしまったことだろう。騙されていた事も、何もかも。
「言うべきだったって今になって分かって、遅すぎて。これを知って酔馬さんがどこまでの怒りを抱くのか、どう償えばいいのか、僕らには分からないです」
それを知った酔馬は、何を思うだろうか。偽物の為に、自らを騙していた者の為に死んでしまった虚無感か。それとも激しい怨念のような怒りか。いい感情を抱かないことしか、自分が救ったものの片割れが無意味だったのではと思う事しか、仁には分からない。
「けど、そんな僕は、酔馬さんから託された物を、守りたいって思いました」
償いになるとは思ってはいない。しかし、命を捨ててまで託されたこの街を、仁は心から守りたいと、守るべきだとそう思った。
「だから俺、あなたが希望だと繋いでくれたこの命を、この街の為に使います」
顔を上げて、墓に刻まれたここに眠る本当の『勇者』の名前を前に仁は、新たな命の使い方を誓う。失いかけて、拾ってもらった命。ならば拾い主の最後の願いに沿おうと、そして自らも救いたいと願ったからこそ、この使い方にしようと思ったのだ。
「力なんて無くて、知恵も足りない。けど、頑張って嘘吐き続けて、人類の希望であり続けます」
「出来る事をコツコツやって足掻き続けて、一人でも多くの命を助けて、一秒でも長く延命させます」
例え救った時は偽物でも、貴方の行いは無駄にはならない。そうさせない、だから安心してくださいと、仁は唇を動かす。
「すでにかなり辛かったですけど、耐えてみせますから」
まだ数時間しか経っていないのに、道中に浴びた賞賛とかけられた慰めは、仁の心に幾つもの傷を刻んでいた。それでも、決して折れる事はない。彼の死がそう決意させた。
「見ててよ。酔馬さん。貴方の救った偽者が英雄になるところを。そして、その英雄を救った貴方が、大英雄として歴史に名前を刻まれるところを」
酔馬の名前が刻まれた歴史の教科書を作る。つまり、この街を守り切って、次に繋いでみせる。彼の託した物が、仁にそう思わせた。
「「桜義 仁が、あなたみたいな本当の意味の『勇者』になるところを」」
そして、貴方のような勇気ある者になりたいと。彼の勇気が、仁にそう覚悟させた。
「気は済んだ?酔馬さんには、届いたかな」
「届いたと、信じたいね」
「あとシオン、気が済む訳なんてないさ」
手を合わせている仁へとかけられた、少女の願うような声に仁は共感し、否定する。
今ここに誓ったが、ここから始まるわけではない。
世界が変わったあの日から、何かを失った時に物語は始まっていた。ここから始めたのでは、今までに仁が積み重ねた骸を忘れる事になってしまう。
「一生、俺は彼らの死と向き合い続けて、『未来』に進む」
「もう、立ち止まらないよ。けど『過去』も見続ける」
だが、それは許されない。死と嘘と罪に溢れた仁の過去を、なかった事にしてはならない。
「……頭は一つの方向しか見れないよ?」
前が未来。後ろは過去だというシオンの例え。罪に囚われすぎて、仁が壊れる事を危惧したのか。確かに一つの頭では、前か後ろしか見る事ができない。
「何言ってるんだいシオン?」
「俺らは二人だ」
だが、二重人格である仁ならば、俺と僕ならば、過去とも未来とも向き合う事ができる。
「ついてきてくれると嬉しい」
「僕らだけじゃ絶対無理だ」
隣の少女へと、傷だらけの手を差し伸べる、嘘と罪に塗れた無力な少年。
「当たり前じゃない。二人が『未来』と『過去』ばっかり見るなら、私は『今』を支えるわ。それどころか私強いから、一人で『勇者』になれちゃうかも」
「一人より二人、二人より三人のがいいよ」
「『勇者』なんて何人いても損はないだろうしな」
少女はその手を冷たい土の手でしっかりと握り締めて支える事を、自らも『勇者』となる事を誓う。
「必ず、救うぞ」
彼は過去を決して忘れない。未来を決して諦めない。過去も未来も今も、まとめて全部背負って戦い、託された物を、この街を守る『勇者』となる。それが少年の立てた誓い。
故に先程の言葉を、こう言い換えよう。始まっていなかったのではなく、彼は立ち止まっていたと。
ここに誓われ、彼はここから歩き出すと。
『魔法の指向性の限度について』
燃え移りやすい炎や溶けにくい氷など、魔法にはある程度指向性を持たせることが出来る。ここまでは復習だが、本日はその先の話をする。
例え同じ魔力、同じ適性、同じ魔法だとしても、異なる二人が発動すれば効果も異なる。氷の剣の魔法だとしても、形が揃わないのは当たり前。強度も長さも鋭さも違ってくる。しかしながら、ただ一つ必ず欠けない共通点が存在している。
それは指向性の限界値だ。氷の剣を硬くしようとしたのならば、その分だけ規模を小さくするか、または創造に時間をかけなければならない。逆に完成までの速さを取れば、脆かったり小さくなったりしてしまう。このように、どこかに特化すれば必ず別のどこかが脆くなる。
簡単に例えるなら、ゲームのスキルポイント制が近いだろう。10のポイントがあるとして、それをどのように振り分けるか。完成までの速さに6振り分けたのなら、残りは4。さらに硬さに3振るならば、残りは1しかない。
個人ごとに魔法の差が出るのは、このポイントを振り分けているからである。これが魔法における個性であり、また戦闘における局面ごとのポイントの割り振りが技術である。
初期ポイントは、魔法の種類と魔力の量によって決まる。その為、更に魔力を注ぎ込む、またはもうワンランク上の同型の魔法に切り替えることで、ポイントを増やすことはできる。
初期ポイントの上限は適性ごとに決まっているが、多重発動することによって擬似的に増やすことはできる。




