第5話 信頼
「俺達の、勝ちだあああああああああああああああ!」
血に染まった両手を挙げ、勝鬨をあげる。校舎から飛び降りて巨人の目を突き破り、頭を燃やし、そして勝った。巨鬼の血に全身を濡らした少年は、勝ったのだ。その声は校舎の中にまで響き渡る。
「うおおおおおおおおお!仁のやつ、ほんとにやりやがった!」「勝ったの!?私たち!」「ああ!」
友人の声を始めとし、歓声が連鎖していく。爆発が起きたような声と、焼け焦げたオーガの死体に、ゴブリンは恐怖した。まさか自分達の大将が、たかが人間にやられるとは微塵も思わなかったことであろう。
「一先ず安心」
既にゴブリンの一部は逃走を始めている。去っていく緑色の後ろ姿を見ながら、仁はホッと一息つくも。
「じゃなかった」
巨大な鬼を、犠牲もなく倒した。その事実に一気に身体の力が抜けた。だが、まだ終わっていないと再び全身に力を込め、残ったオークへと向き直る。残るオークの数はなんと四匹。対するこちらは、生身の身体が一つのみ。
「通して、くれないよな?」
冷や汗を拭き取り、未だ動悸の激しい心臓の辺りを抑えて、新たな作戦を考える。オークやゴブリンに囲まれているというこの状況からの、脱出のための作戦を。
「狂ってるとしか思えないけど、やるしかない」
校舎の中に侵入するには、机と魔物の骸のバリゲードを突破しなければならない。いくらがむしゃらに走っても、そこで行き止まりなら追いつかれる。故に、撤退はあり得ない。
「……読み間違いだったら死ぬぞ……」
選ぶのは、前に出るという選択肢。まずは一歩。近寄ってきた少年を見たオークは、一歩後ろへと下がる。再び足を前へ出すと、オークがまた一歩下がる。その滑稽な光景を見た仁は、口元を笑みで歪めた。
「頼むから、怖がってくれよ」
即興で考えたのは、クジャクのように自分の身体を大きく見せ、熊に出会ったら目を逸らさない作戦。臭い血に染まった手を、脚を、全身を、見せつけるように前へ出し、仁は絶対的不利な状況で笑う。常時であれば、気でも触れたかと思われるだけであろう。
「これ以外、思い浮かばなかったんだ」
実際、自分自身でも気でも触れたかと思うような作戦だ。だが、今の状況なら。もしかしたら、有効かもしれない。
首領であるオーガの頭を発火させ、死に至らしめた。非力である仁がオーガを倒した番狂わせは、まるで魔法を使ったように見えたことだろう。
「頼むから……!お願い……!」
恐怖を内側へと抑えつけて精一杯の笑顔を作り、魔物へと更に近づいていく。
圧倒的弱者であるはずの少年が自ら近づいてくるのは、オークにとって理解しがたい光景だったろう。仁だって理解できていない。だがしかし、それでも、
「……セーフ」
作戦は成功した。
とても怖い何かを見たかのように、カッと目を見開いた一匹のオークが背を向けて走り出した。一匹が逃げれば、後は芋づる式。残る三匹も最初に逃げた個体を追いかけるように、短い足を必死に動かして逃げていく。自身より上位であるオークが逃げ出したのを見て、ゴブリン達も完璧に統制を失い、敗走を開始した。
「一匹残らず帰ってくれ。頼むからこっち来るな」
蜘蛛の子を散らすというのは、こういう光景のことなのだろう。我先にと地響きを鳴らし、魔物達は逃げていく。その内の何匹かと目が逢うたび、仁は口内が砂漠になったかと錯覚した。数匹くらい、去り際に一撃入れようという考えの魔物がいてもおかしくはない。
「……くるなよ……!」
喉の渇きは3分ほど続いた。世界で一番長いと思う180秒。最後のゴブリンの背中が道を曲がり、そして消えた。仁はその背中を見届け、
「上手くいきすぎだろ最高すぎるだろ……もう信じられねえ。なんで生きてるんだ俺」
今度こそはと全身の力を抜いて、服が汚れることも構わず地面へと大の字で寝っ転がって、長い長い安堵の息を吐いた。
自分を強く見せるフリ。一か八かどころではない。どうしようもない状況だったが故に、取るしかなかった賭け。ビビって焦ってちびりそうだったが、結果は出来過ぎとも言える勝利。
「残党はみんなで狩ればいい。勝利に油断して、夜中に襲われて死んだなんて話にならないからな」
あとは、校内に残っているゴブリン数匹を狩るのみ。見落としがないように、近接戦闘にならないように注意すれば大丈夫なはずだ。
「さて、みんなに知らせないと。今は勝ったんだ。誰も死ななかったんだ。最高最善最良の結果だ」
後者を見上げながら、仁は呟く。しかし、その顔と声は勝者のものではなかった。不安に怯える幼子の顔と。震える弱き声であった。
「……これからどうすればいいのか、さっぱりだ」
暗い表情の心中に渦巻くは、不安の数々。これから先、自分達がどうなるか。学校に籠城し続けたとしても、先ほどの数を超える大群が押し寄せてくれば死者も出る。単純に食料の問題だってある。学校内にある食料など、ほんの僅かであろう。
「こんな漫画だゲームだみたいな世界だ。ゴブリンとかなんかより、よっぽど強い魔物もいるだろうしな」
不安の種はまだまだある。先のことを考えるだけで、断崖絶壁に立たされている気分になってしまう。
「今回は本当に、運が良かった」
オーガがその最たる例だ。あんなものがまた攻めてきて、都合よく同じ戦法がここまでハマるとは思えない。十回に一回どころの偶然ではない。百回に一回を引いたと言っても過言ではないくらい、きっと仁は運が良かった。
「運でどうしようもない相手だって、いるかもしれない」
ドラゴンなんかが攻めてくれば、それこそ一貫の終わりだろう。上から炎を吐かれたなら、学校での籠城策など無意味だ。
「でも、今日くらいは」
しかし、今だけはそんな暗いことを忘れて、目を背けて。明日からしっかりと考えるから、今だけは、
「みんなで生き残れたこと、喜ばないとな」
現実逃避にも近い想いを口に出し、今日初めての本心からの笑顔を浮かべた。窓から顔を出している生徒に、手を振る。何が面白いのだろうか。悪戯をするような笑みを浮かべ
そして、生徒が教室ごと爆ぜた。
いつか述べたとおり、運命は人を待たない。自分勝手に、唐突に、突然に、不平等に、そして平等に訪れる。世界が移り変わったように、ゴブリンが机に押し潰されたように、当人の意志とは関係なく、訪れた。それと同じなだけだ。今回もただ、運命とやらがやってきただけなのだ。
「は?」
校舎だった小さなコンクリートの雨が降る中で、誰かの悲鳴が聞こえる中で、どこからか金属と金属のこすれ合う音が聞こえる中で、仁は止まった。
「なにが……起きた?」
ついで、二度目の爆音。見えた。遠くから飛んできた炎の玉が校舎へと向かっていき、爆発した。
「なんで?魔物は去ったんじゃないのか!?」
叫びが聞こえる。さっき励まされた雄叫びでも、鬨の声でもない。悲鳴だ。血と苦痛に塗れた、張り裂けるような声だ。
「なんでなんでなんでなんで……!?」
そしてその文字を、意味を、願いを、仁の耳は聞いてしまった。
「仁、指示を!」
「火の玉が飛んできたんだ!助けてくれ!」
彼らは、助けを求めていた。誰になんて、言うまでもない。桜義 仁にだ。一度救ってみせた、ただの少年にだ。
「……っ!」
ここでは丸見えだと、仁は急いで校庭にある茂みの陰へ飛び込み、考える。
「落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け」
頭を抱え、震える視界で呪文を繰り返す。訳が分からなかった。一体どうすればいいのか、全く分からなかった。まるで、習っていない公式の問題を解けた言われたような、無理難題を前にした時のような感覚だった。解けないままに、ただ時間だけが過ぎていく、あの無力感だった。
「どこから飛んできたのかの把握しつつ、怪我人を急いで助けろ!」
それでも、諦められない。諦めきれない。周囲をぐるりと見渡し、状況を把握しようする。また一つ、同じ方向から飛んできた火の玉が校舎を破壊した。赤い肉塊と血のようなモノが飛び散り、地面に染みが生まれる。
「……っっっ!?なんで……!考えろ!考えろ!」
早すぎる展開に彼の思考は、止まらずにさらに加速する。まるで追いつかんとばかりに。
火の玉の原因を考える。仁が想定した不安の一つ。ドラゴンが来たのかと考え、すぐにその考えを放棄する。あれほど巨大な火の玉を口から吐くドラゴンが、ここから目視できない、または存在を確認できないわけがない。
「この、聞こえる金属音はなんなんだ?まるで互いにこすれ合うような……こすれ合う?」
そして金属音を聞いた時、脳内で閃くようにある推測が生まれた。その推測は、仁が最初に切って捨てたもの。
人間がまともに生きていける訳がないこの世界で必ず生き残ると決めた時、彼は様々なケースを想定していた。
ゴブリンと遭遇したケース。オークと遭遇したケース。オーガと遭遇したケース。未知と遭遇したケース……最悪のケースは、ドラゴンと生身で遭遇したケース。これに関しては、全力で神に祈って逃げろとしか考えようがなかった。
「……んなの、想像できるかよ」
だがここでの最悪は、仁の想定した範囲内での最悪である。ならばこの他、つまり、彼の想定を上回る最悪だとしよう。
「こんな世界で」
仁が魔物の姿を見て、戦い、感じたこと。それは生身の人間、武器も持たぬ自分達が、生き残るには厳しすぎるということだ。特に、何の訓練も受けていない一般人など、死んで当然だろう。
「まさか」
仁はこの時点で無意識下の内に、とある可能性を排除していたのだ。こんな世界で、人類が生き残っているはずがないと。そして、彼は思い込んでいたのだ。人類=自分達の世界の人類だと。
「いるなんてさぁ!」
校舎の陰から現れたのは、鈍い銀色の板金鎧をガチャガチャと鳴らす兵士。その数およそ五十以上。鎧の胸の部分に輝く、蒼い花のような装飾がやけに目に付いて、記憶にこびりついて離れなかった。
「異世界人……おまえらか……!」
ようやく分かった新たな敵の正体に、仁は歯を軋ませる。こんな中世みたいな軍隊が日本にいるわけがない。つまり、こいつらはモンスターと同じ。向こうからきた者達。
オークは、確かに仁のことを怖がっていた。それは間違いない。だが、逃げ出した直接の原因はこいつらだったのだ。
「なんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだよ!この自惚れ野郎が!」
少し考えれば、分かることだった。いくら仁が脅威に見えても、たった一人の無力な人間だ。全ての魔物が仁に手も出さずに逃げるなど、ありえない。
「くそっ……!くそっ!馬鹿野郎が……!」
床に拳を叩きつけて悔しがる仁の耳へと、また誰かの声が入り込む。塞げば楽だったのに、聞かなければよかったのに、仁はそれを聞いてしまった。知ってしまった。
「仁、助けて!」
みんなが、仁に助けを求めていた。仁がみんなを救ったから、みんなが仁を信じたから、仁だけに助けを求めていた。
「待ってくれ。今考えてるから……!」
生徒も鎧も運命も時間も待ってくれない。ほら、また声がする。
「仁!なんとかしてくれ!」
「状況の把握も何もできてねぇから……!」
だめだ。誰も状況が分かっていない。いや、全員分かってるだろう。今が、絶望的な状況だってことくらい。
また届いた。
「仁!奇跡をもう一度!」
「無茶言うなよっ!」
更新され続ける聴覚に、狂いそうになる。このまま蹲り、逃げてしまいたい。現実からも、この世界からも。全てが夢で、醒めたらいつも通りであってほしいと願う。
しかし、再び放たれた炎の玉と悲鳴が、仁に現実から逃げることを許さない。義務感から顔を上げ、もう一度観察を再開。
指揮官らしき蒼髪の人物が号令をかけると、六人ほどの兵士達が何かを唱え始める。数秒ほどの後、空に生み出された灼熱の球体が校舎を揺らし、大いなる破壊を振りまいた。
「魔法だ」
いつか憧れた、一度は見てみたいと願っていたこの世界にはなかったモノ。物理法則の外にあるモノ。ありえないモノ。そして今しがた、生徒たちの命を奪ったモノ。
初めて見る魔法に今の状況を忘れ、驚く。威力は南棟の校舎の教室が一つ、塵とかすほど。
「ダメだ……」
端麗な顔立ちの指揮官が、突撃と叫ぶのが聞こえた。板金鎧の兵士が次々と北棟へ侵入していく。
「やめっ……!」
叫びそうになった口を、自らで抑える。兵士はまだ、茂みに隠れた仁に気づいていない。最悪の最悪の中での幸運だ。この幸運を、絶対に捨ててはならない。
「剣を持った男がこっちに!仁!頼む。助けてくれ!」
「助けろたって、どうやって……」
必死にその幸運を抱え、隠れる。聞き慣れた親友の声に顔を上げ、涙目になりながら思う。無理だと。
「ねぇ仁!早くきて!また私達を助けてよ!」
誰もが仁を救世主だと、助けを求める。神様仏様よりも先に、仁へと助けを求め続ける。
「俺が希望を示したから?俺がみんなを引っ張たから?俺が、助けたから?」
仁は救世主なんかではないのに。ただ、人より冷静で運が良いだけの高校生なのに。
「なんも思い付かねえし、そもそもここで声なんか出したら……!」
新しい作戦など、浮かぶ訳もない。先の戦闘で使用した机と椅子の投下は有効かもしれないが、それを繰り返すよう指示を飛ばすことも、ここからだと出来やしない。せめて、携帯が機能していれば。使い物にならなくなったポケットの中のそれを、仁は壊れんばかりに握り締める。
「……分かってる。分かってるよ。でも」
だが、それは八つ当たりにして責任転嫁だ。だって、別に携帯などなくとも、出来るのだから。騎士に見つかって、殺されるだろうが、声を届けることは出来るのだから。
「俺が、死ぬ……」
なんでしないかなんて、そりゃもう笑えるくらい単純明快だ。みんなが仁に助けを求める理由で、仁がそれを無視する理由。
「ごめん……みんな、ごめん……」
謝罪すら小さくて、みんなに聞こえない。騎士に聞こえないような声量なのだから、それは当たり前か。
「頼む……神様……お願いだ……!」
そして、仁はまた小さく祈る。願わくば、机と椅子の投下作戦が通じますようにと。どうか、仲間が生き残りますようと。
「みんな、生き残ってくれ」
しかしその願いは虚しく、現実を前に斬り捨てられる。
「一体どうなってる!」
北棟東階段は混乱の極みにあった。突如飛んできた火の玉が、南棟の四階を破壊。救助に向かった生徒と先生も、続く第二射、第三射で連絡が取れなくなった。
「魔法だ!人間が、魔法で俺達に攻撃を!」
「なんだって!?」
錯綜する情報を掻き集めて分かったこと。それは魔法が使える人間達が、仲間を殺したということだった。
「なんで人間が俺たちを殺しにくる!?仲間じゃねえのかよ!?」
仲間が殺された、それもモンスターではなく人間に殺されたという衝撃により、生徒の一部はパニックに陥った。勝手に逃げ出す者、叫ぶ者、泣き喚く者。
「落ち着け!落ち着くんだ!」
「仁の指示は!」
「下にいて、まだここに来れてないんじゃないか!」
冷静な方だった良作が、全力で声を張り上げる。しかしその声も、悲鳴と命乞いと怒声によってかき消されてしまう。苛立ちが焦りを増幅させていく。そして、また焦りが苛立ちを産むループに陥って、
「いいから落ち着けって言ってんだろ!」
そんなループを、良作がぶちまけた怒りが断ち切った。机を担ぎ上げ、教室の扉に叩きつけたのだ。
「ぎゃあぎゃあ喚いたところで、勝てるわけがない!仁から教わっただろ!」
扉が倒れ、割れたガラスがきらきらと舞う中で、良作は荒い息を吐く。数秒前の騒ぎが嘘だったかのように静まり返った世界に、たった一人の怒声が響いている。
「仁は下にいて、きっと身動きが取れねえ!でも、指示がなけりゃ俺らは動けねえのか!?」
状況を推測し、仁の助けも指示もないと仮定する。そしてその上で、最悪な未来を拒絶する。彼の助けがなくとも、やるしかないのだ。戦わねば、死ぬのだ。
「作戦に変更はなしだ!登ってくるやつは排除!敵は所詮人間、机をぶつければ怪我もするし、死にもする。だから……オークとかよりは絶対マシだ!」
だから、みんなと自分に言い聞かせるように、彼は喉を震わせるのだ。相手はさっきよりマシ。きっとうまくいく。誰もがそう思い込んでいた。そう思うしかなかった。そう思わないと、膝が挫けそうだった。
しかし、疑念が。
「俺らが……人を殺すのか?」
自分達が人殺しをするのか、またはできるのかということ。先の魔物は人型に近くても、人間ではなかった。だから、「命を大事にしよう」と教えて育てられた生徒でも、殺すことができた。
誰もが躊躇い、俯き、悩む中、良作は決断した。
「ならおまえら、黙って殺されるってのか?仁も言ってたろ!そんなのごめんだって!」
「けど……!」
人間の侵入者と戦い、殺し合い、生き残ろうとする選択肢を。
「俺は見知らぬ奴らより、さっき一緒に戦ったおまえらの命のが大事に思ってる。それに、俺は死にたくなんかねえんだ」
「だから殺すってのか?人をだぞ!さっきとは訳が違う!」
議論はもう一度白熱し、炎上する。人を殺したくないという道徳的な意見と、人を殺してでも生き延びたいという、生物としては当たり前な意見。
どちらも一部は間違っていて、どちらも一部は正しい。だが、そのことを分かっていても、良作は譲らなかった。
「ああ、殺すさ!これからもな!おまえら守って、この世界で生きるためなら、俺は喜んで血で手を汚すさ!」
「…………けど」
「殺したくねえ奴は上の階へ逃げてろ。これは、俺が選んだ戦いだ」
唾を飛ばし、腕を振るい、良作は自分の内心全てを吐露した。人を殺さない正しさも知っているからこそ、戦いたい奴だけ戦えと彼は言った。
「そうさせてもらう……俺は人殺しになりたくねえ。きっと、話せば分かるはずなのに」
二人の生徒だけが、その言葉に従った。しかし、二人だけしか動かなかったということは、それ以外の生徒は理解しているのだ。
話し合っても分かり合えないと。不意打ちで人を殺すような奴らと話し合って、何が分かるのかと。そう思っていたのだ。
彼らは死なない為に、仁の言葉で立ち上がった。例え相手が変わろうと、死にたくないのは同じだった。
「……おまえら、本当にいいんだな?」
「うん、さっきの聞いて、立ち上がらないわけないじゃん。私だって死にたくないし」
問いかけに、残ったメンバーを代表し、良作へと笑いかけた女子が答える。蒼白い顔面に、もう笑みはなかった。
「嫌なら……」
「嫌だけど、殺される方がもっと嫌。だから、戦うの」
しかしそれでも、人を殺そうとする覚悟だけはあった。
この短時間での変貌は、仁の作戦によって生物を殺すリミッターを緩められていたせいか、それとも血の臭いにあてられたか。もしくは生き残る為、誰かを守る為という、聞こえのいい免罪符を手にしたからか。
「……よし、オークと戦う時に使った机がまだ残っている!これで戦って……絶対に生き残るぞ!俺達全員でだ!」
「「「おお!」」」
戦うと決意した者達は、戦場の真っ只中で声を張り上げた。役割分担を一瞬で済ませ、敵を待つ。机と椅子に手をかけ、姿を見せた瞬間に押し潰してやれるよう。
全員が来て欲しくはない時間を待ち、階段を登ってくる音が耳に入った。
来る。
生徒がそう感じた次の瞬間、鈍い銀色の甲冑が姿を現した。視覚から入った情報が脳へと神経を通じて送られ、脳から指令が神経を通じて腕へと送られ、
「これでも、喰らえええええええええええ!!」
渾身の力で投げられた机が宙を舞い、甲冑へと襲いかかる。オークと同じように頭部を押し潰し、脳漿を撒き散らし、血の花を咲かせなかった。
「はあっ!?」
代わりに生まれたのは、銀の軌跡。頭部をぺしゃんこにするはずだった机は真っ二つになり、音を立てて床へと転がった。その光景を見た生徒達は、あり得ないとばかりに口を開く。
「これ、夢だよな」
普通の人間が、数m上から投げられた机を剣で両断するなんて、あり得ない。物理法則を無視している。しかし、事実は物理法則を無視したのだ。
動きを止めた生徒めがけ、恐ろしい速さで階段を駆け上がる騎士。板金鎧を着ていて出せる速さではない。その事実に、また生徒の動きが止まる。
「やっぱ魔法が使えねえのか。余裕だな」
残念そうに騎士は兜の中で笑うと、駆け上がる勢いのままに、机を投げた生徒を凄まじい速さで横薙ぎに切り裂いた。
「え、お……れ……」
腹を半分切り裂かれた生徒は、血と臓物を撒き散らしながら崩れ落ちる。こぼれ出た生々しい色の腸を見た女子が悲鳴を上げ、同じように腹を切り裂かれ、絶命の悲鳴を上げた。
生徒達は、殺す覚悟をしていた。実際に殺せるかどうかは疑問であったが、殺す覚悟はしていたのだ。
「だがまぁ……びびったぜ。忌み子がこんなにいやがるとは」
しかし、殺される覚悟はしていなかった。
銀の光が瞬く度に、一人の生徒がこの世から消えていく。そんな現実を受け入れられないと、良作はふらふらと後ずさる。
手が自分に伸びてくるのが見えた。自分に笑いかけた女の子の手だ。いたずらっぽく微笑んだ彼女だ。名前も知らないけど、惹かれた少女だった。
「あっ……」
良作は、その手を掴もうとした。縋ろうとしたのか、救おうとしたのか。それは、彼自身にも分からなことだった。
「いやっ……」
指先と指先が触れ合うその刹那、彼女の腕は肩からぽとり、と地面に落ちる。生々しく、綺麗に骨さえ断ち切られた肩の断面図が目に映って、良作は少女の顔を見た。
「助け……て……」
少女は言葉の途中で口から血を零し、崩れ去る。刺された胸からは、血が止めどなく溢れ出ていた。彼女の最後の表情は、救いを求める表情だった。
「すまねぇな。忌み子は……殺さないといけないんだよ」
死んだ少女の顔を兜の中の灰色の眼で眺め、薄く笑う男。間違いなく、この世界の人間ではない。いや、少なくとも日本人ではない。
人を殺して笑えるなんて、狂ってる。
「なんなんだよ……ちくしょう……!俺らが何したって言うんだよ!」
良作は泣き喚き、認められないとばかりに、生徒が死んだ現実を、少女が死んだ現実を否定しようとした。
なんで家族が死ななきゃならない。なんで俺らが死ななきゃならない。なんで彼女が死ななきゃならない。自分の家族も、俺も、彼女も、何にも悪いことしていないのに。
「死ねよおおおおおおおおおおおおおおおお!」
精一杯の反抗だった。近くの椅子を手に、また一人の生徒を斬った騎士へと背後殴りかかる。
許せなかった。
みんなを殺したこいつが、あのいたずらっぽく笑った少女を殺したこいつが、ただ許せなかった。殺してやりたかった。
けれど、良作はあまりにも非力で、否定したかった現実は無情で、あまりにも強大だった。
「なんで俺の胸から……?」
椅子が振り下ろされるより前に、自分の胸から剣先が突き出ていた。痛みより先に疑問に思う。後ろを向いていた騎士は、その場から動いていない。
答えは、後ろから聞こえてきた声が教えてくれた。
「副団長らしくない。背後取られるなんて」
「いや、優しいロベリアなら助けてくれるかと思ってな。それに、もし当たっても意味ねえし」
後ろを振り返る。そこにいたのは、さっきの騎士とは別の巨漢の騎士。相手は一人じゃなかった。窓からそれを確認したはずなのに、怒りで全て忘れていた。
「死にたく……死にたくないよぉ……」
そんなことを後悔する暇も、良作にはなかった。遅れてやってきた思考を掻き乱す激痛と、流れ出す血が死の近づきを教えている。脳が、死への恐怖で支配されていく。
「にしても、忌み子がこんなにたくさんいるなんて、驚きだろ?」
「しかも非戦闘員ばかりときましたからね。新人には辛いかと思います」
「通過儀礼にはちょうどいいだろうよ」
忌み子……?
遠のく視界と思考の中、騎士の言った言葉が耳に残った。その意味を考える間もなく、彼の意識は闇へと消える。
人を殺す覚悟を持って挑んだ、大量の魔物達さえ退けた作戦は、異界の騎士達を前に三十秒ともたなかった。
『オーガ』
小さいものでも5m、生まれたばかりでも1m超えの凄まじい巨躯を誇る、額に大きな一本の角をもつ鬼。生まれた場所や親によって、体色が違う。一番多い色は赤。
切断された四肢すら、数日あれば完全に元どおりになる再生力。金属製の門を軽く叩き潰すほどの剛力。そして単純な巨体故の強さを持つ。魔物達の中でもかなりの上位に属し、下位の魔物達を従えている姿が非常によく見られる。ごくごく稀に、変異種が存在する。
魔物と呼ばれる者達の中では珍しく、一度に産まれる数は基本的には一匹。育つ速度も遅く、成体になるまでに数年はかかる。数より質で、過酷な世界を生き抜いてきた。
彼らもまた、いきなり現れた存在。これほどの巨躯が近づいてくるのを、見逃すわけがないだろう。だというのに、人類は不意を打たれた。