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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第52話 平等と天秤

 

 血に溺れる少女は仁が来たことにさえ気付かず、まるでそこに愛しい何かがあるように、虚空を見つめ続けていた。


「おい!シオン!しっかりしろ!……こんな傷で戦っていたのか!馬鹿野郎が!」


「……シオン?私、そう、シオン。『魔女』じゃ、ない!あと、馬鹿じゃない……!」


 仁の呼びかけに反応したのか、目の焦点が合い、二人の視線と会話が交差する。


「そうだ!おまえはシオンで馬鹿だよ!今すぐ医務室に運んでやる!」


「う、腕が……やばいよ俺君!この出血量は!」


 自我を取り戻した小柄な彼女を抱き起こし、無茶したことを責め立てる。左腕の手首より先は千切れて無くなっており、夥しい血を垂れ流していた。


「私、守れたの?」


「あの龍はどっか飛んでった!だから今は休んでろ!」


「……そうする。ごめん、ね」


 他の心配なんざより、自分の心配をすべきだろうに。この少女はどこまでも人に甘い。気を失ったシオンを強く抱き締めた仁は己の醜さを再認識し、必ず助けなければと誓う。


「俺の刻印は他者に影響を与えられない。だから、悪い」


 謝罪は届かず、答えは求めていない、それでも仁は謝ってから、助ける為に傷つけようとした。


「これで、なんとかなってくれ!」


 血を外へと送り続ける無意味な血管と肉達に剣を突き刺し、中で氷を創成して強引に止血。血が溢れてこないのを確認してから剣を引き抜き、他の傷口を探す。


「死ぬな!頼むから!大丈夫だよな!」


「妙だよ俺君。これ、腹部に傷を負ったにしては服が綺麗すぎる」


「ちょっと、ごめんな」


 我を失いかけた俺に冷静さを与えたのは、僕が見つけた違和感だった。断ってから服を少しだけめくり、そこを見る。赤い染みの源泉である傷は、鋭利な刃物で強引に引き裂いたようなもの。


「服を通り抜けて傷つけられたみたいだ!それに俺君、火傷が今も広がってる?」


「火傷するような熱いものなんて、シオンに触れてないぞ」


 僕の指摘通り、彼女の首筋の焦げた跡が少しずつ範囲を顔へと上昇していた。氷を布越しに押し付けるも一向に効果はなく、周りを見渡して熱を探すも、あるのは黒い膜の上で勢いが弱まり始めた炎と、街の遠くに落ちた炎くらい。


「黒い膜の上?……そんな馬鹿げた魔法がこんな規模?むしろ、だからこそこんな規模なのか?いやでも、それなら筋が通る」


「俺君、僕分からないんだけど、とりあえずシオンをどこかの医療施設に運ぶべきだ。その時に話してくれよ」


 他の傷口にも剣を突き刺し、氷を発生させて止血を施す。強引ではあるが、なんとか血自体は止まった。


「今度は俺も、背負うようになったんだな」


「今度も助けられたんだけどさ。必ず助けよう」


「ああ」


 自身が血に汚れることなんて欠片も考えず、強化した身体でシオンを背負う。いつもより手首分軽くなった彼女の身体だ。また傷を刻ませ、戦わせたことに仁は罪悪感を感じつつ、軍へと走り出した。













 先ほどと同じく、人混みを避ける為に屋根の上を駆ける。その背中には、簡単な止血だけ済まされたシオンがもたれかかっている。普段の仁なら緊張しただろうが事が事。今は少女の安否で頭が埋め尽くされており、不埒な考えなど入り込む隙もなかった。


「ん?つまり、シオンの身体とあの黒い膜はリンクしてるってこと?」


「多分だけど、あれはどう考えても普通の魔法じゃない。傷から考えても一番可能性があるのはそれだ」


 全速力の道中、俺はふわふわと宙に浮く僕へ、シオンの傷の理由の推測を話していた。今も増え続ける火傷の跡は少女の身体を少しずつ蝕んでおり、それが証拠だ。


「服が破けずに皮膚だけが破れていたのは、龍が膜を引っ掻いたから。未だに火傷が広がってるのは、今も膜に火が残っているから、かい?確かに繋がるね」


「俺らは見えないから分からないけど、シオンの魔力はもうあんまり残っていないはず。なのに、あんな大規模で硬い防壁を張る魔法を発動するなんて、何かからくりがあると考えるのが自然だ」


 からくり。例えば、大きすぎる代償がある故に、大規模な魔法でも消費魔力が少なくて済むとか。それにしても、街を丸ごと覆い隠すなんてふざけた規模の魔法、いくら代償があってもぶっ飛んでいるとしか思えない。


「代償が小さいなんて、欠片も思っちゃいないけどな。……急がないと」


「女の子に対して、この傷はあまりね」


 身体に醜い火傷の跡が残るなど、女性にとっては苦痛だろう。仁と同じような傷でも、男女では意味に天と地ほどの差がある。頬の傷さえ気にしていた少女が、目覚めた時にどう思うかなんて考えたくはなかった。


「不幸中の幸いなのは、龍がこの代償に気付かなくて、時間ができた事だ」


 膜と身体がリンクしている証である傷が表れる前に、シオンは膜の下へと落ちていた。故に、龍は膜は破れずとも、攻撃を加え続けれていればシオンを殺せた事に気付かなかった。あのまま龍が怒りのままに膜を攻撃していたらどうなったか。今の彼女の容態なら、あと数回の攻撃で死んでいた事だけは間違いない。


「奴は理不尽な魔法でこの街が守られていると思い込んで、場所と作戦を変えた」


 巨大で、代償もない凄まじい性能の防壁魔法だと勘違いした龍は、街の外へと『魔女』が出てくるように仕向けた。


「それは僕らにとってもメリットだよ」


 再び街を攻められてこの魔法を発動してしまえば、先述の通りシオンの身体が保たない。そして彼女はそれを実行してしまう。だから、これは好都合。


「できた時間で、どうするかを考えないとな」


「見捨てて逃げるか、それとも籠城か」


 あんなシオンでも勝てなかった化け物、空も飛べない仁では勝てないだろう。ならば、全てを捨てて逃げるか。もしくはシオンを差し出さず、相手が隙を見せるまで飢えを耐え忍ぶか。龍の燃費は良くないとロロも言っていた。


「ダメだ。籠城中に龍が黒い膜に攻撃したら、シオンがまた傷を負う。かといって、膜を張らなかったら街が壊れる」


「リンクしてる事は気付かれてない。けど、万が一にでも気付かれれば、シオンか街は終わりだ」


 冷静に魔力的に考えて、四六時中この膜が張り続けられるわけがない。龍が撤退したのは膜とシオンが合わさり、防壁内から魔法と物理で撃たれることを恐れたからだろう。しかしそれは、膜に一撃でも入れればシオンが動けなくなり、瓦解する戦い方だ。


「街を守らなくて済む場所を相手が指定してきた」


「だったら、なんとかなる?シオンは街を庇いながらでも、龍となんとか戦えたよ」


 やはりこの少女の強さは、年に相応しくない。幼少からの過酷では言葉が足りぬ訓練の結果、あの馬鹿デカイ龍と多少劣勢とはいえ、いい勝負ができた。


「魔力の時間制限が辛すぎる。滑走路が無事で戦闘機が飛べるなら、魔法と物理の二択を迫れると思うんだが……」


「戦闘機を飛ばすのに必要な滑走路って、道とかじゃダメなのかな。僕らその辺の知識皆無だからどうにもならないよ」


 だがそれも、シオンが空中で自由に動き回れる時間の間のみ。全力で三分、仮に道を滑走路に見立てて戦闘機を飛ばしたとしよう。物理障壁を張った龍が本気でシオンから逃げ回り、魔力切れを待たれれば、こちらに手は無くなる。逆にその間に彼女が仕留められれば、可能性はあるのだ。


「……不確定要素が多過ぎる。いつも通り運任せにしても、どれも当たってやっと五分、外れて滅亡とかいうふざけた賭けだ」


 仁は空の戦いに参戦できない。シオンも大して時間は持たず、戦闘機は飛ぶかも分からない。賭け事じみたことをしても、勝ってようやく同じ土俵の上。やはり、この街を見捨てるのが得策か。


「……シオンと俺らだけなら、逃げられる」


「俺君。この子が自分が助かる為に他者を見捨てる子じゃないって、知ってるでしょ?」


 相も変わらず分からず屋のお人好しの少女だ。二人だけで生きる為に逃げようなんて言っても、聞かないのははっきりと分かっていた。


 いっそ絶対に勝てず、逃げるしかないとシオンにさえ思わせるレベルの絶望だったら良かった。下手に小さくて僅かな希望が見える相手だから、彼女は諦めてくれないだろう。例え手足が千切れても、大切なものを守れる可能性が残っているのなら、この少女は戦ってしまうのだろう。


「まぁその話は後で、今はシオンの命が最優先だ。すまない。通してくれ。例の魔法が使える少女だ」


 軍の巨大な門の前で立ち止まり、軍のバッジを見せて中へと入る許可を求めた。こんな時まで軍の警備は徹底されている辺り、柊はさすがだろう。この騒ぎに乗じて武器を奪われたり、軍の施設を襲撃されて占拠されでもしたら、この街は終わっただろうから。


「あ、ああ……」


 妙に歯切れの悪い返事の兵士は、躊躇ったように道を開けた。他の怪我人を押しのけて、シオンを優先的な治癒させようとすることを悟ったのだろうか。


「……悪い。命の優先順位ってのは、本音では、あってしまうから」


 命の重みが一緒、一寸の虫にも五分の魂など建前だ。ここでシオンが死ぬ、もしくは再起不能となればどれだけの戦力の低下となるか。魔法の使えない命が何人束になろうと、刻印を刻めるシオン一人の命の方が重い。


 それに誰だって、我が身が一番可愛いものだ。


「それが現実だ。なのにシオンは、その辺が分かっていない」


 だというのにこの娘は、仁が軽いと斬り捨てた命を救う為に、よくよく重い命を賭けてしまう。


「……嫌いだ。俺だって、そんな風に」


 憧れるから、無謀だと自分が諦めた生き方だから、仁は嫉妬して、嫌いだった。俺だって力があればなんて思う自分に、僕は少し驚いていたのだけれど。


「梨崎さん!すまないが、その、先に診てくれないか!さっき龍と戦ってシオンが負傷した!重傷だ頼む!」


 見慣れた軍の施設内を走り回って、軍医の梨崎のいるであろう部屋へと駆け込んだ。命を選ぶような言葉に、部屋の中全員の視線が向けられる。が、背負われた少女のことを知っている者は諦めたように俯き、知らぬ者は負傷の理由に目を剥いた。


「ん?その娘か。あー確かに、価値は他の人の比じゃないね。私が診るよ」


「頼みました」


 シオンがいなければ、更に被害が拡大していたことを知っていて順番を譲ってくれたのだろう。苦しむ声、絶叫、助けを乞う呼吸、様々な痛みを表す音に溢れた部屋で、明確な反対を示す者は少なかった。


「ちょっと!私の妻の方が先に運ばれてきたんですよ!」


 けれど、少ないだけであって、一人もいないわけではない。異様に凹んだ脚の女性の夫が、梨崎の手を掴んでいた。瓦礫か何かに潰されたのか、シオンの腕に負けず劣らずの血を傷口から溢れさせている。このままでは、彼女の命も危ないだろう。


「あんたの嫁でこの街救える?さっきもこの街守ったのはこの子。それに手退けて。治療の妨げになる」


「この子が例の……?そ、そんな理由で納得できるわけ!」


「やめろ!」


 淡々と表情を崩さずに命の取捨選択をした梨崎へと殴りかかった男の腕を掴み、仁は地面へと叩きつける。かはっと肺から空気が逆流した音が聞こえると同時、男へ伸し掛かった仁は、強化を使って全身を抑え付けた。


「出血がひどいね。急いで傷口塞がないと手遅れになるかな。火傷に関しちゃ傷残るの諦めて後回し。輸血の準備して。この子何型か分かる?」


「……ごめん、分からないです」


「珍しい型じゃないこと祈ってO型を輸血するしかないね。仁君はO型?ん、なら都合いいや。血、採るね」


「何勝手に進めてるんですか!こっちが先じゃないんですか!!」


「……分かって、ください」


「わ、分かってください……?弱いから、軍じゃないから死んでくださいって?ふざけるな!命をなんだと思ってるんだ!」


 シオンの様子を診始めた梨崎と抑えつける仁へ、男は殺意の目を向ける。いくら暴れようと、強化された身体の前には無意味で無力だというのに、危うく抜けられそうになっていた。それは男の力が強いせいか、仁の力が緩まってしまったせいか。


「大切だと思ってるから、こうして次に多くの命が救える可能性の高い選択をしてるんだよ」


「っ……嘘……だ!本当に一番多くの命が救える道は、違う……!」


 涙を流し、地に伏せる男が絞り出した声。シオンを優先して助ける理由が他の命の為であるというのなら、それを上回る自分の妻を先に助ける為の理由を、彼は言うと宣言したのだ。


「他にあるなら、言ってごらん。納得したら順番通りの治療に戻るよ」


「分からないなら言ってやりますよ!黙って下向いて、軍に負けて見て見ぬ振りしてる人達にも!この子が魔法の使える例の『魔女』だっていうなら!あの化け物にこの子の遺体を渡せばいい!そうしたら俺らは見逃してもらえるんじゃないんですか!」


「……!?お、お前!」


(……最悪だ。この流れは、まずい)


 皮膚の傷を縫合していた梨崎だけではなく、他の者に呼び掛けられた助かる方法。多くの為に小を切り捨てるというのなら、あの龍の言葉を信じるのなら、シオンだけを見捨てるというのは、実に正しい選択肢だった。


「あ、そう言えばそうだね。この子が『魔女』って龍が言ってた。悪かった。あんたの奥さんの治療に戻るよ」


「ち、違う!人違いだ!」


(こ、この医者!)


「え……本当?あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」


 答えに納得した梨崎はあっさりと、まるでゴミを屑篭に放るような気軽さで、シオンの治療を途中で放棄する。元通りの順番の患者の傷を、再度診始めた。


「ん、とりあえず止血して輸血してなんとか保せるしかないね。脚の先が潰れてるから、まともに歩けないし」


「おい!待ってくれ!」


 梨崎へと呼びかけても、彼女は一切答えることはなく治療を続けるだけ。


「壊死し始めたら切断するしかな」


「頼む!聞いてくれよ!要求されたのは『魔女』の身柄でシオ」


 仁は男の上から退き、梨崎の肩に触れようとする。だが、彼女へ懇願が届く前に自分の肩が引っ張られ、


「声が聞こえたんだ!龍と戦ってた子が『魔女』なら、それはこの子だ!」


「勘違いするな!シオンは『魔女』じゃない!」


「あの龍が『魔女』だと認識してる!それでこの話は終わるんです!それに、さっき言いましたよね?分かってくださいって」


「……そ、それは!」


(……)


 振り向いた先で男から浴びさせられたのは、先の自分が吐いた命を諦めてくれと頼んだ言葉だった。仕方がないことだから、他の人間を救う為だからと、シオンを優先させた理屈だった。


「なら、あなたも分かってくれるんでしょう?より多くを救う為に、何かを切り捨てる。あなたはさっきもそうしようとしたんだろ?私の大切な人、捨てようとしたんだろ!」


「そうでもしないとこの街は!」


「こいつが死ねば!こいつをあの化け物に渡せば!私達は助かるんです!聞こえなかったんですか!」


(……みんな、僕らが間違ってるって思ってるよ)


 シオンの命を助ける為に使った理由が、彼女を見殺しにする理由となってしまった。


「梨崎さん!」


 人の命を救う技術と知識を持つのは医者で、今もなお手を動かし続ける彼女だ。見殺し続けた仁ではシオンを救えず、故に頼み込んだ。


「いや〜悪いね。言うでしょ?命の重さは平等って。なら私が取るのは、天秤に助けられる命の数乗せて、傾いた方になるからさ。その為の犠牲は止むなしとも思ってるし、諦めて。あと治療の邪魔」


 そして、誰を助けるかを決めるのも医者で、彼女の価値観だった。


「お願いだ!シオンが死んだら、魔法が使える人間がいなく、一人減るんだぞ!その意味が」


「だからなんだって言うんですか!え?さっきは諦めてくれだのなんだの言っといて、いざ自分の大事な人が見捨てられそうになったら理由をつけてやめてくださいって?ふざけるのも大概にしろ!」


「ふ、ふざけてなんかないさ!彼女の戦略的な価値を知らないのかい?」


「知っていますよ!彼女を犠牲にすれば、みんなが救われる価値があるって!」


 邪魔と言われても、袖にされても、先ほど自分が押し付けた仕方がないを返されても、最低だと分かっていても、仁は諦めずにシオンの重要性を訴え続ける。障壁を破れる手段が減る、いや、刻印の刻める彼女がいなくなれば完全に無くなるというデメリットを、全員に示そうとし続ける。


「いいや違う!障壁を抜ける奴がいなくなれば、僕らは一方的に蹂躙されるだけだ!」


「で、それは龍と関係あるんですか?その障壁とやらを使う奴らは、龍より先に滅ぼしに来るんですか?」


「関係ある!それに、前もこの街は襲撃されてただろ!?あいつらには魔法がないと攻撃が通らないんだよ!」


「じゃあ!あなたがあの化け物を殺してきてください!あいつを何とかしないことには、この女の子を助けても死ぬだけでしょう!」


 どう足掻いても、仁が不利。先を見据えた選択を取ろうにも、先が来る前に滅亡したら何の意味もない。この場において優先されるのは龍の要求に答えること、つまりシオンの生贄だ。


「あなたが救いたいのはその女の子ですよね?今ならさっきの私の気持ち、分かりますよね?大切な人を諦めろって言われた、私の気持ちが!」


「……それは、悪かった」


「そうするしかないって、思ってしまってて!」


「なら私も言います。この子を生贄にするしかないって」


 どうせ生贄にされる人間を助けてどうする。それなら、他の人間に助ける事に力を尽くした方がいい。何も、間違ってなどいない。この場にいる仁以外の人間は全員、そう思っていると目で語っていた。


「「……お願い、します。何でも、しますから。俺じゃ、僕じゃ、救えないから」」


 地に頭を擦りつけた仁を、この場の誰もが敵意の視線で見ていた。無理もない。生贄に要求された少女の治療を望む男。しかも最初に「より多くの為に」を理由に、他の人の大切な命を捨てさせようした男だ。味方なんて、いるわけもなかった。


「諦めてください。みんなの為です」


 返された言葉も、シオンの命を救わないという宣告。みんなの為。ああ、実に素晴らしい言葉だ。だがそのみんなに、シオンはいない。


 そんな周囲に、どうにもならない現実に、


「……シオンがいなきゃ、おまえら全員死んでたんだぞ……!龍を止めてたのも!あの黒い膜張ってこの街丸ごと守ったのも!全部シオンだ!」


(ちょっと俺君!それは言っちゃダメだ!)


 俺は、理性が消え去ったのを感じた。


 シオンがいなければ、龍はこの街を焼き尽くすまで暴れ続けただろう。シオンがいなければ、あの黒い膜も張られることなく、炎が街を蹂躙していたであろう。シオンがこの街に見切りをつけて逃げていれば、彼女は怪我を負わなかっただろう。


 だが、これは言ってはならない。助けたから助けろと、恩を返せと要求するのは傲慢な行いだ。しかもそれが命に関わることなら、なおさら。


「……分かってる!けど、けど!おまえらを救う為に我が身知らずと飛び出したこの子を!助けられたおまえらは見殺しにするのかよ!」


 けれど、それでも、俺は言ってしまった。抑えられなかった。一番命を賭けたのは、彼女だから。


「おかしいのは分かってる!でも、これじゃ、シオンが報われなさすぎる!何の為に……」


 仁は彼女の生い立ちを知っていたから。誰彼構わず信じて、見ず知らずの|屑(仁)も脚を切り落としてでも助けて、迫害してきた村人達も命を張って助けて、そしてまた、まだ顔も知らぬ誰かの為に、今も死にかけている少女を知っているから。


「ずっと、シオンは誰かを助けたいって、助けて生きてきた!」


 彼女はずっと、ずっと、誰かと仲良くなりたくて、助けていた。その行為を自分の為だと自嘲して、たくさん期待に裏切られ続けて、それでも誰かを救い続けてきた。対価を欲しがっているのに、中々言い出せず、仲良くなれたのは極少数。


(俺君。情に訴えるのは意味ないよ)


 バツが悪そうに下を向いた何人かは、さすがに助けられて思うところはあったのだろう。だが、それだけ。誰もシオンを助けようとは、言わなかった。空気がそれを許さなかったし、やはり誰もが自らの大切なものを優先しようとしていた。


(だってこの人達の一番深い情は、シオンに向けられるものじゃないんだから)


 シオンは彼らにとって恩人ではあれど、家族、恋人、親友ではない。他人なのだ。助けてもらったことに感謝はする。恩も感じる。だがそれは、自分の大切な物と引き換えるに値するものではない。


「助けた人達が死ぬことの方が、彼女にとって報われないとは思いませんか?命を張って助けようとしたなら、死んででも多くを助けるのが彼女も本望なんじゃありませんか?」


「っ……!本望だと?」


(……へぇ)


 今までは、仁に非があったのは自身も認めるところだ。分かっているからこそ、頭を下げて懇願した。無理は承知、正論は向こうなのも承知。だが、


「助けられて当たり前みたいに言いやがって」


「シオンは助ける為に死にに行ったんじゃない。君達を助ける為に戦いに行ったんだ。死ぬ覚悟はあったかもしれないけど、十死零生の特攻をしたわけじゃない。それを君はまぁ、よくも」


 死ぬことを望んでいるとでも決めつけるような男の物言いだけは、許せなかった。確かに、折角助けた人間が死ねば、助けたという行為に意味は無くなる。それでも、この言い方は仁の触れてはならないラインを超えた。


「怪我人増やすな。あと、それを抜いたらおしまいってことだけ、私から」


 それこそ、思わず剣の柄に手をかけてしまうほどに。しっかりと直前で止めはした。それでも、無意識の一瞬。再生した理性が働くまでに、仁は男の無礼を武力で詫びさせて、シオンを先に治療させようとしていた。


「助けられて当たり前なんですよ。あなた達軍は日頃から良い生活をしてる。なぜか?こういう時の為に命を捨てるためでしょう!」


「軍は特権の代わりに非常時に戦うことを強いてる。でも、それと見殺しにすることは一緒じゃない!」


「一緒なんですよ。死んで多くを守るなら、死ぬべきで、見殺しにするべきです。軍ならなおさらのことでは?何の為に私達が飢えていると?時には餓死する人だっているんです」


 助ける、助けられる。その為に死ぬのは当たり前を仁は間違いだと思い、男は正しいと言った。


「ちゃ、ちゃんと配給はされてる!」


「足りてないから私達はいつも痩せている!栄養失調で死ぬ人間もいる!そうやって軍がいざという時に死ねるよう、私達は日常で死んでるんです!」


 守ってもらう為に我慢して、時には死ぬ一般人は、軍に守る為に死ねと言い張った。先ほどまではバツが悪そうに俯いていた人間も、いつの間にか上を向いて同意を示していた。


 布の下の唇と、妻の血に濡れた唇の論争はいつまで経っても平行線で、仁の負けだった。軍の特権を使わずに生きていけるシオンが死んで当たり前と言われて殺意が芽生えたが、軍の仕組み自体はそのようにできてしまっている。仁は納得しなくとも、梨崎や他が納得しなければ意味はない。


(……俺君。下手な反論は相手に正しさを与えるだけだ。シオンを救う為に、ここはしっかりと通せるだけの論を練りながら順番を待とう)


(それまでにシオンが死んだら!)


(そうならない未来が欲しいなら、今この瞬間に頭回して考えるしかないだろ!最悪が死とするならば、その一歩手前が順番待ちとなるように!うじうじ悩むのも死ぬ気で考えるのも、過ぎる時間は同じなんだから!)


 ここのルールに則り、説得できるだけの論理を必死になって仁は探す。しかし、今溢れていく時間の砂とシオンの命が重なって見えて、片付けの出来ていない部屋のように、考えが上手くまとまらない。


(情で訴えても勝てない。ここにいる全員を、いや、治療のできる人間を納得させるだけの希望を見せないと)


「あ、そうそう。喚くの諦めて順番待ちしてるの分かるけど、その子の順番は抜かすからね」

 

「は?」


 梨崎のルールを無視した一言が、散らかった思考の部屋を丸ごと取り壊した。


「治癒の魔法とか使えるんじゃないの?あ、でもそれはこの子以外に使って欲しいかな」


「……なんでだ!危ない奴から、同じくらいの危険度なら先に来た奴からってのがルールじゃないのか!」


 順番を守ろうとしなかった行いを責められ、仁はその非を認めて、少しずつ死に近づいていくシオンの残った腕を握りしめて、頭を限界まで考えに回して、待とうとした。


「いくらなんでも、それは不平等ってもんじゃないのかい?」


 しかし、それさえ許されないとはどういうことかと梨崎の首を掴もうとして、ギリギリでやめた。今もなお、誰かを救おうと動かされている手を止めることを躊躇ったから。


「だってその子、私の中ではもう死んでる」


「……もう、手遅れだっていうのか?」


「嘘、だよね?」


 首を横に振った医者の判断に、仁は膝がなくなったかと錯覚した。まだ彼女の胸は上下に動いている。まだ彼女は苦しそうに息をしている。まだ彼女の心臓は血液を流している。まだ彼女の脳は考えている。まだ、シオンは生きている。


「いや、そうじゃなくてさ。息はしてるけど、その子の未来は死ぬしかないじゃん?だったらなんで助けるのって話。助けたのに死なれるなら、他の人に時間割くよ」


 まだ彼女の胸は上下に動いていよう。まだ彼女は苦しそうに息をしていよう。まだ彼女の心臓は血液を流していよう。まだ彼女の脳は考えていよう。まだ、シオンは生きてはいる。だが、梨崎から見たシオンは、もう死んでいるのだ。


「それはまだ分からない!!」


「逃げたなら、この子は生きれるかもね。けど他の命はみーんな、死ぬ。だから、私はより多くを救う医者として、この子を見殺すよ」


「そんなの、医者かよ……!」


「医者だって、救える命と救えない命くらい分けるもんだから」


 生贄として死が約束されている少女を延命するのは無駄、という理由は理解できる。仮に生贄を嫌がって逃げ出してしまえば、日本人が滅ぶ。だからこの場で治療せず殺して逃げ道を塞ぐ。この理由だって、理解はできる。


「本当に、報われない」


 その生贄が、助けた人間に見殺しにされるのがシオンであることだけは、理解できなかった。


「俺が見捨てられるなら、分かる」


 仁はクズだ。そのことを俺は理解しているし、故に人から見放され、裏切られる可能性を常に考えている。先ほどだって彼女を助けたいから、自分が生き残りたいから刻印を刻める少女を生かそうと、他者の命を見捨てようとした。


「お前らと、同じだから」


 この部屋にいるシオンを見捨てようとした人間と、仁は同じ人間だった。力も無く、命を張るのは己と僅かな大切のモノの範囲のみ。誰かに守られてばかりで、誰かを騙してばかり。己の作戦の失敗によって死なせた人間は何人か。刻印の嘘を吐かなければ救えた人間は何人か。シオンの治療の為に、救いの順番を飛ばそうとしたのは何人か。


「なんで、シオンなんだよ。シオンは、違うだろうが……!」


 力があり、命を張るのは敵ではない誰でもの無茶な範囲。誰かを守ってばかりで、誰かを信じてばかり。彼女の腕によって救えた人間は何人か。彼女が軍に加入して死なずに済んだ人間は何人か。彼女が今日、助けた命は何人か。


「こんな、自分のことばかりの奴ら救った意味、あったのかよ」


 いっそシオンが諦め、街が滅びかけていたなら。彼女は怪我を負わず、守るべき重荷もほぼ解け、救えなかった後悔に沈みながら、仁との旅を再開しただろうか。それでもいい。例え後悔に埋もれようと、生きている。


 なぜ、正しいはずの選択が死へと繋がっている?


「おまえらは、シオンを見捨てたことを絶対に後悔する」


 答えは人間が醜く、自分のことしか考えられないから。


「必ずだ。あの龍にシオンを生贄に捧げて乗り切ったとしても、必ずおまえらは死ぬ。ここがどういう世界か、舐めるなよ」


「死なないかもしれないだろ!?どちらにしろあの龍を乗り切らない……ひっ!」


 近い滅びの未来の想像を、剥いだ布の下の火傷と共に彼らに突き付ける。この程度の火傷、この世界においては驚く程軽傷だというのに、何を驚くのか。


「障壁が破れなくて死ぬ。この街にシオンに迫るほど強い奴はどのぐらいいるんだい?0なら、また龍みたいに強い奴が来たら終わりだ」


「その通り。私達には彼女の力が必要だ」


「……司令?」


 白熱するだけで落ち着くところを失った議論に水を差したのは、禿げた額に汗を垂らした男だった。



『梨崎 命』


 軍に拾われた医師。衛生上の理由だのなんだのによる短い髪を忙しく揺らして、気だるそうな白衣で病室に住んでいる。


 元は凄腕の外科医で、患者に優しく親身に寄り添う姿はまるで白衣の天使とうたわれるほど。救える限りを救う。その方針は世界が変わっても変わらず、変わったのは彼女だった。


 狂った世界だった。壊れた世界だった。見たこともない化け物が人を襲い、全てを失った人が人から奪おうと人を襲う。熱消毒さえまともにできなくて、今までならあり得なかった病気が蔓延した。治せたはずの病が、不治の病に戻った。


 薬が足りない。人出が足りない。技術が足りない。輸血の血が足りない。麻酔が足りない。機械が足りない。ベッドも足りない。何もかもが足りない中で、彼女は救おうと戦い続けた。


 戦い続けて、救おうとし続けて、彼女は救った数以上に死を看取った。助けられなかった。無理だった。どう足掻いても無理だった。分かっていた。誰かが悪いわけじゃなかった。誰も悪くなかった。世界が悪かった。


 それでも助けたくて、無理をして、彼女はこの世界に適応した。助ける為に、寄り添う必要はないのでは?ただ救えばいいのでは?救えなかったら、次に取り掛からなければならないのでは?悲しむ暇はないのでは?後悔で手が鈍るくらいなら、心なんていらないのでは?彼女はそう考えて、そうなった。


 ただ人を救う為の存在は、こうして生まれた。白衣の天使?まさに言い得て妙だと彼女は笑う。もう私は人じゃないから。私は、何千人もの人間を天へと導いたのだから。


 軍に従うのはそれが合理的だから。彼女は全てにおいて、人を救う為の最大効率を願う。


 そのメスは誰かの為に。


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