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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第51話 落炎と断片


 最高速で身体を拭い、服を纏って外へと出る。濡れた肌と髪なんて気にならなかった。どうせすぐに熱が乾かしてくれる。


「やめろ……!もう、奪うなよ!本当に、この世界はあああああああああああ!」


 彼の目に映ったのは、真っ暗だったはずの街を照らし、人を焼き尽くす光だった。いつか見た光景と重なるそれに、心がいつになく揺れる。


「良い加減にしろよ!理不尽にもほどがあるだろうが!」


 天に向かって喚き、届かない訴えを叫び続ける。ようやく手に入れた安住の地、新たな仲間もこの世界は奪うというのか。かつての仲間、親友、香花、シオンの脚、森の家など大切を幾度となく奪い、幾千もの傷をつけながら、まだ足りないというのか。


「ふざける……な……これ以上奪われてたまるか」


「柊さん!あんなものどうします!?」


 あんな巨体を相手取るには兵器を使うしかない。しかし、それを動かすだけの暇をあの龍は与えてくれるのだろうか。


「戦闘機だとか、対空ミサイルだとかはないんですか!早くしないと、手遅れに!」


「……言いたくないけど、結構な数の対空の装備を溶かしちゃってるんだ。銃と弾を作るのに金属が足りなさすぎてね」


「まさか、こんなのが来るとは思っていなかった。戦闘機はあるにはあるが、今すぐ準備しても間に合うか分からん」


「先に街が落ちそうだ」


 ろくな知識もない仁が対空装備はないかと尋ねるが、現実はまとまな装備もなく、使える物もないという絶望そのものだった。


「くっそ!」


 地を這う魔物によって滅ばないために、一度も見たことがなかった空の脅威への対抗手段を捨てた。確かに見もしない敵への対策ばかり考え、数の多い地から来る敵に滅ぼされたのでは話にならない。ならないが、それでも最悪すぎる。


「……対空できそうな装備全部出せ。それと避難指示だ。門から脱出の準備を進めさせろ」


「ハゲ。街を捨てる方向で動かしていいな?」


「……そうするしかあるまい」


 第二射、第三射が龍の口から放たれ、無差別な破壊が街を襲う。外敵の侵入を阻むこの壁も、唯一の入り口を塞ぐ鉄の門も、空を飛ぶ相手には何も意味を成さない。


「あ、あそこら辺は滑走路じゃ」


「最悪もいいところ。軍の武器庫もだ」


「ふざけないでくださいよ!こっちは数少ない兵器を敵から守るために、一番手の届きにくいところに置いてたってのに!」


 最優先で防衛する為、軍の武器庫を街の中央に密集させていたことが仇となった。敵がこんなあっさり中心に来るなど、いや、そもそも龍が街を襲うなど、誰が予想できようか。


「考えろ……どうすりゃいい?」


「軍に任せるしかないよ。僕らの手は、奴に届かない」


 何か方法はないかと仁も頭を回すが、何も、思いつけなかった。しかし、この世界はそういうところだ。どれだけの最悪を想定しようと、ここはそんなものはまだ底ではないと、更に深い最悪を与え続ける。


「けど!けど!ダメなのか!」


 奪われたくはない。だがそれでも、ここは捨てるしかなかった。あの高さの相手に、仁の剣は届かない。


「ここに火の手が回るまでに逃げなきゃ。生き残る為に、僕はそうすべきだと進言するよ」


 何度も落とされた火の玉が、街に炎をつけていく。今はまだ大丈夫でも、このペースで火が落とされ続けるなら、一時間と経たない内にこの街は燃え落ちるだろう。


「軍もボロボロだ。先手を打たれて相手は空の上。こっちは装備不足に練度不足だろうし」


 その間に、軍があの龍を撃ち落とせるか?戦闘機が飛び立つ為の滑走路も燃え、まともな対空装備も灰と鉄になり、おそらくずっと対空関連の訓練をしていない者達しかいない現状で?


「……シオンをどう説得する?」


(少ない人数を確実に避難させる為の護衛として、柊さんに頼むしかないね。そうやって逃がしてもらう。シオンだってより多くを救う為なら、納得せざるを得ないだろうし)


 勝てない相手とは戦わない。無理に戦ってみんな死ぬよりは、逃げて少しでも生き残った方がいいに決まっている。柊だってシオンだって、あの化け物がどれほどの脅威か理解しているだろう。現に柊は、この街を放棄する方向で話を考え始めている。


「……くそがっ!」


 それがどれだけ悔しくとも、また犠牲が悲しくとも、逃げるのなら、絶望に負けを認めるなら、失うしかないのだ。


「おい、あれ?」


 だが、足掻くのなら。負けを認めず、全てを救うことに拘るのなら。どれだけ絶望的な状況でも、救える可能性があるのなら、全てを救おうとするのが彼女だった。


「なんてデカさだ」


 天へと先を向ける、地を焼く炎によって輝く土槍。規模は普段のものと比べ物にならない。それこそ、家一軒とほぼ同じくらいの大きさのそれは、少女の手によって生み出され、少女の手から放たれる。


「シオン……」


「無茶だって……けど、やるんだろうね」


 ここからは土の槍しか見えない。だが、彼女はきっと、その下で龍と戦おうとしている。魔力的に規模的に、そして彼女の性格的に、そうとしか考えられない。


「よっしゃ!やってまえ!」


「当たれ!」


 巨体故にそこまでの速さはないが、それでも槍は空を一直線に切り裂いてんでいく。土の欠片を撒き散らし、ただひたすらに大きな獲物の腹を穿とうと、小さき者達の歓声を浴びて先を尖らせて飛んでいく。


「やはり来たか!」


 それでも飛龍の位置が高すぎて、槍は遅すぎた。翼をはためかせた龍は悠々と土の槍を回避に成功。


「相も変わらず小賢しい」


 嗤う龍の背後に突如現れたのは、鈍い土色の大剣。確かな技術を振るわれたその剣の軌道は、大きさが数十倍となっても見覚えのあるものだった。


「……と、飛んでるのか?」


「す、すごい」


 それは小さき黒髪の少女が空で作り出した、魔法の大剣。そう言えばと思い出される日常の中、彼女は三分くらいなら風魔法で空を飛べると言っていた。


「同時発動は負担が大きいって」


「彼女がそんなので止まらないの、知ってるでしょ」


 おそらくシオンは、土の槍を射出した裏側で風魔法の陣によって飛び、空の上で大剣を創生したのだろう。


 化け物染みた少女の剣術に、大木も悠々と断ち切れるであろう大きさの大剣。龍の背へと突き出されたそれは、最早回避が間に合わない程肉薄していた。時間制限も一撃で殺ったのならば、関係はない。


「なんで?」

 

 土槍に気を取られていた龍に、シオンの大剣は当たったかのように見えた。いや、間違いなく斬撃の軌道に龍はいたし、口に炎を滾らせるばかりで、奴はそこから動きもしなかった。


 ならばなぜ、剣は当たらなかったのか。


「障壁!?」


「人間以外も使うのか?」


「……俺も人間以外が使うところ、初めて見ました」


 魔法にそこまで詳しくない柊も、それなりに知っている仁でも信じ難い答え。人間以外が、しかも龍が障壁を使うだなんて考えたくもなかった。遥か上空を翼で飛び回り、灼熱の炎を落とし続け、障壁も使える相手がいるなんて、思いたくなかった。


「おまえは飛べんのか!」


「無茶言わないでください!あんなの、莫大な魔力のゴリ押しなんです。俺らどころか、他の異世界人だってできやしない!」


 おまえも加勢しろと背中を押す熊だが、仁には無茶な話だった。そしてそれは、シオンも例外ではない。


「障壁ぶち破るには物理と魔法両方の攻撃の手は必要です!けど、俺じゃあそこまで行けないし、あんな戦いに混ざれない!


「もう一押しな気はするけど……違うんだね?」


 少女は仕方なく物理判定の小さな剣を使い、ちまちまと斬りつけている。対する龍は、残る片方の爪で宙を舞う少女を追い続けている。一見するとシオンが着実に龍へとダメージを与え、龍は彼女を捉えきれないように見えるこの光景。どちらが有利かと尋ねられれば、魔法を知らぬ者は皆、シオンだと口を揃えるだろう。


「有利らしく見えるし、見せかけてるけど、不利なのは圧倒的にシオンなんだ」


 魔法を知る者なら、その答えは龍の有利へと反転する。


「まず、彼女が空を飛び続けられるのは障壁含めて三分程。あと二分も耐えられれば、シオンはもう飛べないし、回復するまでろくな魔法も使えない」


「……まじすか」


 仁にできるのは逃げる方法を考えつつ、空を眺めて戦いの先を読むだけ。もしできるのなら、シオンを回収してこの街を出るのが、現実の最高の最善。理想の最善はシオンの勝利なのだが、


「障壁が強すぎる」


「……いや、そうでなくともあの龍、強い」


 障壁がなくとも、いい勝負はしたかもしれない。シオンほどの身のこなしはないが、それでも龍の動きは修練を匂わせるものだった。それこそシオンの限界である三分を、その身一つで耐えきれるかもしれない程に。


「シオンでも、不利だ」


 あの龍のサイズに決定的なダメージを与えるには日本の物理判定の兵器か、巨大な魔法が必要だろう。なのに、障壁と高さによってどちらもが防がれたこの状況。


「最悪想定してたんだろ!」


 最悪を超えた最悪を想定したと、ドヤ顔していた自分を殺してやりたかった。しかし、この場面で有効で重要で大事で最優先すべきことは想定ではなく、対処だ。


「柊さん、シオンが戦えなくなるまでの時間で、できる限りの人を逃がせるようにしてください」


「勝ち目も時間も足らないが、逃がせるだけ逃がそう」


「桃田は東側、堅は西側、儂は門の逆側に避難を呼びかけてくる。仁は戦えぬのならすぐさま逃げろ。おまえは大事な虎の子だ」


「「了解」」


 ここだけは、仁の思い通りだった。魔法が使えることを理由に優先的に守られ、最初に逃してもらえる。あの嘘が意味を成した。


(今から、避難誘導ねぇ)


(……こうやって全てを取ろうとするから、全てを取りこぼす。救える分を弁えないから、命を落とす)


 それにこの避難誘導、そもそもの意味がない。僅か二分足らずの時間稼ぎで、この街から人々を避難させる?土台不可能な話だ。シオンの抑えがなくなれば、龍は無差別に炎を街へと撃ち込み続けるだろう。


(無駄死にだ)


 門から離れている地域にわざわざ行って、誘導しても間に合わない。それなら今、一目散に自分だけが門へと走るべきだ。それなのにこの軍人達は、シオンと同じように自分の出来る限りを超えた範囲を、救おうとしている。


「逃げたその先は、どうなるんですか?」


「分からん。足掻くしかない」


 仮にだ。仮に、彼らのとても綺麗で愚かな行いと願いが叶い、今この街で生きている人間全員が脱出できたとしよう。そうしたら、どうなる?


(司令が分かっていないわけがない。多くで逃げれば、食糧がすぐに底をつくことくらい)


(少なければ、魔物との戦闘で人の数がすぐに底をつく。もう詰みだね)


 多くを逃しても、多くを逃せなくても、いや、どれだけの数が逃げようと関係ない。今までこの街の日本人がなんとか生き残っていた理由は、魔物や騎士の発見を防ぐ外壁に囲まれた、この街だからだ。いきなり外へと放り出されて、生きていける可能性があるのは魔法が使える忌み子か、とてつもない幸運を持つ者のみだろう。


 ここがこの街の終わりで、日本人の終わり。


 また、だった。日常はまた、たった一つの異物によって壊される。空を飛ぶ術を失った仁達は、空から降り注ぐ火の玉に当たらないよう祈り、逃げ惑い、街が終わるのを眺めることしかできなかった。










 放たれた二つの炎の片方に追いついたシオンは、浮遊魔法を一瞬解除。空いた属性魔法の枠を水魔法の巨球で埋め、日本人の死という未来を火の玉とともに打ち消した。


「久しいな宿敵よ!我の事は覚えているか?ん?」


「人違いよ!」


 浮遊を解いた瞬間を狙い、迫り来る龍。再び浮遊を発動する前に、シオンは水の槍を創生してもう一つの炎も無効化。街への被害を減らすことを強いられており、とてもじゃないがまともに戦えない。いや、まともに戦えても厳しいところなのだ。


「ははっ!空を飛び回る魔力がある雌の人間など、『魔女』しかおらぬわ!凄まじく衰えているようだが、貴様の系統外なら納得できる!」


「あなたは『魔女』の系統外まで知っているかもしれないけど、私はあなたを知らない!」


 眼前ギリギリ。ほぼ同身長の赤黒い爪を少女は銀剣で受け流しつつ、赤き龍への対策を必死に考え続ける。戦闘と魔法の制御と浮遊と思考と会話と、五つの並列作業に脳がおかしくなりそうだった。


「そらそうだろう!私はあの時はまだ赤子だったからなぁ!」


「あの時?飛龍が絶滅した、魔女の襲撃のこと?」


 惚けた様子にキレた龍の、鞭のようにしなる尾の軌道を読んで回避。いつもの地上でなら朝飯前にできる芸当も、慣れない浮遊戦闘が負担に一役買っていた。


「あの日だ!全てを奪われた、あの日!私は父と母の骸に覆われ、隠され、生き延びた!這い出てきた時には誰も生きてはいなかった!」


「だから私じゃないって言ってるでしょ!」


 人なら溶けかねない業火も、頬の地を蒸発させる熱風も、魔法障壁なら封殺できる。だが龍の荒れ狂う怒りは、消せやしない。


「くっ……」


 炎で龍の視界から己が消えたタイミング、虚空庫から陣を書いた紙を取り出し、追い風を発動させて痛みを対価に空中で更に加速。一陣の風となったシオンの斬撃だが、龍の鱗を数枚切り取るだけで終わってしまった。


「魔法がもっと思うように使えれば!」


 常に浮遊の魔法が枠を潰しており、発動できるのは陣による同時発動のみ。それも痛みで集中が乱れる副作用のある賭けだ。この痛みに最近(・・)で慣れておいてよかったと、少女は軋む頭で思う。


「障壁も、邪魔……!」


 物理の剣の刀身では、硬い表面の鱗でどうしても止まってしまう。シオンの持つ一番刀身の長い剣でも、結果はほとんど変わらない。物理の攻撃を通すには鱗を剥がし、同じ箇所の皮膚を斬り裂き、更に中を抉り続けるしかあるまい。


 本来なら、空中ではなく地上で障壁を使わないこのサイズの魔物に出会ったのなら、シオンは土剣の刀身を瞬間的に10m近くに増大させて戦っていたことだろう。


 それができない今、あの縦横無尽に空を飛び回る巨体を、この小さな銀剣で倒す事は非常に難しい。頭に差し込んで、脳を内側から弾き飛ばすのが清々といったところか。


「仁の世界の兵器が動くのを、待つしかない?」


 魔法障壁が貼られているなら、仁の世界の武器は有効ということ。銃がここに届く気もしないが、前に威力の説明を受けたミサイルや砲弾なるものなら。


「あの魔力無き忌み子達の援軍を待っているのだろう?しかし、それまで持つかな?」


「……!?魔力眼まで持ってるの!」


 科学の力に頼ろうとしたシオンと限界を、龍は経験とその眼によって見抜いていた。よって龍がこれから取る戦い方は、彼女の魔力切れまで耐える短期の持久戦。


「その間に、仁達が助けに来てくれるわ」


「あの魔力を持たずに飛び、爆発する鉄の塊は確かに危ない。私も初めて食らった時は重傷を負い、度肝を抜かされた。物理障壁で全て防ぎ、すぐさま滅ぼしたが」


 思わぬ収穫。仁達の世界の兵器は通用するという情報を、片手の無い龍は自ら口にした。物理障壁を張っていない今なら、一発当たればこの龍が沈む可能性はある。


(残り二分だけど、最悪)


 悲しいかな。収穫はできても、活かすことはできそうになかった。下の街、それも軍の施設があった辺りが燃え盛っていて、到底こちらに援軍を回せそうな状況では無い。


 それにシオンが知らなかったとはいえ戦闘可能時間残り二分では、どれだけ早くしても戦闘機が飛ぶのが精々。応援なんて、とてもじゃないが間に合わない。いや、そもそも滑走路が役割を果たせない時点で、飛ぶ物も飛べないだろう。


「なんで、あなたは無関係な街の人達も殺すの?魔女に似ている私だけ殺せばいいじゃない!」


「成る程。時間稼ぎか……ふふっ。余興だ。乗ってやろう」


 そのことを知らないシオンが選んでしまったのは、時間稼ぎの選択肢。龍は動かせないことを知って知らずか、自ら策にはまってきた。


「一先ず魔女よ。時間稼ぎでない場面で貴様の口からそのような言葉が出たのなら、お前は本当に偽物かと疑ったぞ」


「違うって何回言えば分かるの!」


 向き合い、眼を合わせ、空で話し合う。浮いているだけなので魔力の消費はそれなりに抑えられており、これなら後五分は保てるはずだ。最も、その間に戦闘機は飛ばないので、ほぼ無意味な五分ではあるが。


「『勇者』の力を削ぐ為、自らの力の為に、何の罪もない我らを殺したのは貴様らだろう?我が親も、己の為に殺したのだろう?」


「境遇は気の毒に思うけど、あなたの眼って、本当に節穴なのね。私と魔女の魔力の差は圧倒的よ」


「ふふ……ははっ!言っただろう!奴の系統外ならありえる事だと!誤魔化しても無駄。貴様から溢れる怨嗟に塗れた、どす黒い魔力がその証拠だ!」


「話が、通じてない」


 狂気の龍は目に血管を浮き上がらせ、涎と炎を口の端から垂れ流し、シオンを『魔女』だと言い張る。どれだけ違いを否定しても、分かりもしない魔女の系統外を理由に、勝手に否定し続けられる。


「親の骸の隙間から覗いたおまえの顔を忘れるわけがないだろう!我はアコニツム!誇り高き飛龍の最後の末裔にして復讐者!」


「一応名乗るわ。シオンよ」


 やはり、この龍はおかしい。盲目的なまでにシオンを魔女と思い込み、想像できない程の感情をぶつけてくる。それほどでに憎いのだろうか。似ている者全てを魔女とし、殺さない事には生きれないのだろうか。


 そしてやはり、シオンはそこまで彼女に似ているのだろうか。


「……似てるっていう私はまだ、分かる。私を本当に魔女だと思ってて、殺したら他の人間に乗り移るかもしれないからって意味で、殺すの?」


 復活を防ぐ為という理由なら、シオンを魔女と勘違いしている龍の日本人虐殺の筋は通る。


「……?お主、復活するのか?ふふっ、復活したら復活したで、また殺せるということか?」


「復活しても、いいって言うの?」


「その分何度も貴様の柔肉を噛み締められ、血を浴びられるというのなら、それはこの上なく素晴らしいことを何度も味わえるのではないか!」


 純粋そうに首を傾げた龍の言葉は、理解のできないものだった。もしシオンが本当の魔女で、ロロの物語で見た力を持っているのなら、何度も復活しても構わないなど正気とは思えない。いや、そもそも魔女に自ら挑む時点で狂気だ。


「あなた、おかしいわ」


「最も狂っていたおまえに、その言葉を吐かれるとは思わなかった。ああ、そう言えばなぜ貴様らを滅ぼすのか、言ってはいなかったな」


 強すぎる憎しみで正常な判断ができていない。語り合っての和解も、誤解を解くのも無理だと、諦めたシオンが龍の眼を最後にもう一度見つめ、巨体の魔力が異様なまでに高まっている事に気づいた。


「私の種を滅ぼしたのだ。貴様ら忌み子も滅ぼされねば、釣り合いが取れぬとは思わぬか?」


「待っ!」


「愚かなご協力感謝する。この魔法は撃つのに時間と集中が必要でな」


 時間稼ぎをしていたのは、龍の方だった。赤き龍の背に現れた、数十メートルを超える紅い炎。熱と範囲に数十秒後の未来をシオンが予知しようとも、もう遅い。


「滅べ」


 空から落ちるは巨大な炎。滝の上から堰を切って流れ落ちるような、いっそ幻想的な炎流。あれだけの魔力を詰め込んであるのなら、地上に触れた途端爆散、地表で炎がプロミネンスのように暴れ狂い、街に甚大な被害をもたらすことだろう。


「必ず、止める」


「通さぬ。止めさせぬ。仲間が滅ぶ姿を見て、嘆き苦しめ。我と同じ絶望を、味わえ」


 残りの魔力をフルに使ってでも止めようと、流れの側へと空を走る。しかし、回り込んだ龍がそれを許さない。


「邪魔あああああああああああああああ!」


 龍を斬り捨て、無理矢理押し通るには爪楊枝のような銀剣では足りない。ならば、龍に勝る戦闘技術を、巨体を掻い潜ることだけに注ぐしかない。


「空でも我の身のこなし以上か!驚いた!」


 眼前の尾を銀剣で斬り開き、道を作る。龍が回り込んでくることを予想して、シオンは更に下へと落下。股の下を通り抜けて、邪魔者のいない、街を上から見た光景へ駆け、


「壊させて、たまるかああああああああああああああああ!」


 虚空庫から水の陣を、そしてその身に残る魔力を僅かに残し、解き放って水を創生。落ちる炎へと水を誘導し、空中でぶつけ合わせた。


「くっ」


 それでも、足りない。数分間に及ぶ浮遊で三割を切っていた魔力で、龍の全力の炎の全ては止められなかった。夜の空に溢れかえった水蒸気に囲まれる中、小さくなって落ちていく炎に、シオンは全てを救えなかったことに涙を流して、


「えっ?」


「先ほどのは、貴様の魔力を削る為の囮だ。我にとって炎など吐息と同じよ」


 浮遊できず、落ちていくだけのシオンの横を通り過ぎた炎の球に、彼女は呆然と声を上げた。


「全てが壊される光景を、眺めるだけだなぁ?『魔女』」


「っ!?」


 もう、止められない。何度も何度も吐かれた赤い炎の球が、消しきれずに爆発しそうな真紅の炎が、街へと落ちていく。ようやく手に入れた居場所が、壊される。


「だめ……お願い!」


 急いで屋根の下へと避難した人も、最後まで避難誘導していた軍人も、門に殺到していたところを炎の球で狙われた人間も、門に向かおうとしていた仁も、等しく天を見上げ、炎が落ちる瞬間を拒み続けていた。


 思い浮かんだのは、仁と出会うまで優しさを知らなかったシオンに優しくしてくれた人達。そしてシオンが、欺いた人達。


 最後に、喧嘩している仁だった。


「やめてえええええええええええええええええええええええええええ!」


 炎よ止まれ。時よ止まれ。この身滅ぼうとも、守らさせてくれ。どうしようもない瞬間を、決して間に合わないと思う瞬間を味わう時、人の世界の時間は限界まで引き延ばされる。じっくりと、じっくりと、喚き散らす思考の中に絶望を逐一細かく刻み込むように、ゆっくりと、確実に遅く、時は過ぎていく。


「……誰?」


 例え『魔女』に乗り移られ、この身が最悪なる災厄となっても構わない。そう思った時シオンは、何かが、繋がったのを感じた。


「何、これ?」


 守る。護る。歌うような、誰かに届くことを望む声が、時が止まっているはずの虚空庫の中から鳴り響いていた。


「誰の、声?」


 助ける。救ける。願うような、誰かに誓った声が、自らの上には龍しかいないはずの天から鳴り響いていた。


「……『血』と『鍵』と『願い』」


 もうほとんど残っていないはずの己の内側の魔力が、荒れ狂っていた。増えることはない。ただ存在をここに主張するように、まるで誰かに見せつけるように、沸き立っていた。


『問おう。汝、その身が焼けようと切り裂かれようと、守る事を望むか?』


 聞いた事のある、男の声がシオンの脳内に直接響いた。誰かは疑問でもあるし、重要な事だろう。しかしそれ以上に、シオンは言葉の意味に拘った。


「当たり前。助けられるなら、大事なものを守れるなら」


 助けられるのならば、自らの居場所を守れるのならば、もう一度脚を斬ってもいい。あの炎の海に一人で飛び込んでもいい。なんなら父との訓練の日々を永遠と繰り返してもいい。シオンはそう思い、守る事を望んだ。


「我が地に入るな。絶望に溺れし者よ。命惜しき者よ。これより先、入ることに意味ありしは、決して絶望せぬ『勇者』の心と名を持つ、『記録者』の課し試練を乗り越えし者のみ。それ以外の者、我が供物以外に等しく価値なし。この地から消えるか、この世から消えるか、選べ」


 現在の世界は止まったまま、答えに応じて記録をなぞるように、映像が脳内に映し出されていく。


 黒き『魔女』が遥か遠くの騎士達を遠視して、この地のどこかにある暗い部屋の中で呟いた言葉を、シオンはその口でなぞる。いや、この時シオンは『魔女』だった。『魔女』の地に踏み入った愚か者に、最後の警告をする『魔女』だった。


「門以外から入る事、または攻撃を、私は盾を用いて許さない。門から入りし者、私は矛を用いて許さない」


 シオンの眼の色が、黒と虹で移り変わり続ける。しかし少女の眼に映る光景は変わらず、遠い昔の視界のままだ。警告を聞かずに家へと向けられた魔法を、その身に繋がれし盾で無力化し、門へと進軍した騎士達をその指一つで消し飛ばす。


「我が身で、防げ」


 身体の中を巡る『血』と魔力がこの地に眠っていた扉に手をかけ、『鍵』によって錠は開き、『願い』によってシオンとの感覚が繋がれた。










「うわああああああああああああああああああ!?」


 炎が街へと落ちる、その一瞬。誰もが眼を閉じ、顔を伏せ、諦め、来て欲しくない終わりの瞬間が来るのに備えていた。


「……あれ?」


 しかし、いつまで経っても焔も終わりも来やしない。知らぬ間に死んでいて、ここがあの世にしても、余りにも人生が続きすぎてはいないか。そう思い、顔を上げた彼らが見たのは、


「なんだ、これ……」


 街の上空をドーム状に覆う黒く透けた膜と、その上を跳ね回る炎の踊り、そして膜の中の街へと落ちていく少女の姿だった。


「『魔女』……貴様ぁあああああああああああ!何をした!」


 何をされたか分からないのは、街の人々だけではなかった。アコニツムも、仁も、それこそシオンさえも、なぜ炎を防げたのか分からない。


「なぜだ!何故に魔力もなく、こんな馬鹿げた魔法を使う!?これが、『魔女』か!」


 苛立ったアコニツムが何度炎を吐こうとも、幾度爪で切り裂こうとしても、その全てが黒い膜に防がれたという結果だけは、変わらなかった。


「俺ら、助かったのか?」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 上空で燃え盛る火炎、膜の上で暴れ回る巨大な龍に人々は腰を抜かす。しかし最初の数発の炎の球以外、街の人間は誰も傷ついてはいなかった。絶対絶望の状況から救われた現実に、生きている者は誰もが腕を振り上げ、生きている事に歓声をあげて喜んだ。


「忌々しい!こんな魔法があったのか……!くそっ!……忌み子達よ。このままでは我は『魔女』を殺せぬし、貴様らは我を退けること叶わぬ。故に、よく聞け」


 例え龍が自らの頭上の膜で咆哮染みた呼びかけをしようとも、その歓声は止まることを知らなかったかのように思われた。


「五日後だ。五日後の日の出、東にある『大河川』に『魔女』単身で来い。さもなくば、永遠と門を監視するとしよう」


「えっ」


「前と同じ構造なら、出入り口は一つのはずだ。そこを永遠と、我が炎で塞いでやろう」


 龍の要求と、応えなかった場合の罰の意味の理解が染み込むに連れて、歓声は消えていく。門を塞ぐということは、食料がほとんど手に入らなくなるということ。その道は滅びへの道で、誰もが直視したくない濃厚な己の死への近道だ。


 ただでさえ配給が減っている中で、これ以上食料が供給できないんてことになれば、一ヶ月の餓死者はどれほどのものとなるか。そして、その高確率には自分が入ると、街の人間はそう思った。だって、いつも軍の人間が美味しいところだけを持っていくから。


「選べ。『魔女』と運命を共にするか。『魔女』を生贄とするか」


 主導権はどっちが握っているかを、一般人までもが理解したのを見届けてから、龍は不満げに鼻を鳴らして去っていった。


 理解が追いついた者は誰も、歓声を上げなかった。













 ざわめく人々を軍の人間が避難誘導させる中、仁はバッジを炎で煌めかせ、屋根の上を強化を使って走り抜ける。群衆の溢れる道より、こっちの方が断然早い。


「俺君。とりあえずシオンと話をしよう。あの魔法はなんだとか、その辺り」


 今回の襲撃。多くの謎を残したまま、相手に引かれてしまった。飛龍がシオンの魔力を見て、頑なに『魔女』だと言い張った理由。そしてあの夜空を隠した、黒い膜の魔法。あんな魔法、仁はシオンから聞いたことはなかったし、何より浮遊で魔力が減っている状態で、あれほど大規模な魔法を発動できるとは思えなかった。


「確かこっちの方角に降りたはず……いや、あれは落ちたに近いのか?」


「浮遊魔法が切れたんだと思うよ」


 炎で明るかった夜の世界で、彼女はただ引力に引かれるがまま、地上へと落ちていったように見えた。おそらく、着地の寸前に風魔法などで衝撃を大幅に軽減したとは思う。そうでもないと、あの高さは骨折どころでは済まない。


「あ、いた……俺君。気まずいのはすっごく分かるけど、我慢だよ」


「分かってる」


 未だに微妙な距離感ではあるが、それを理由に重要な話し合いを怠る程、仁は馬鹿ではなかった。強化された視界で屋根の上に横たわるシオンを発見し、そこへと向かうが、


「……おい、あれ……」


「俺君、全速力だ!足ぶっ壊れても耐えてやるから!早く!」


 シオンは、正気ではなかった。いや、正気でいられる状態ではなかった。遠くから見ても、それは把握できるほどおかしい彼女の姿の元に、俺は屋根も脚も壊れる限界で急ぐ。


「シオン……どう、して?」


 横たわる少女の皮膚は所々が焼け爛れていた。腕と脚には切り裂かれたような傷があった。腹部のシャツには、赤い染みがじわじわと広がり始めていた。口からは泡めいた血が溢れ出ていた。左腕の手首から先が、無かった。


「再生しない、なんで、いや私再生するはず?あれ?おかしい絶対もう治ってるはずのに治らない治らない治らない?」


 何度も痙攣する彼女の口からは、訳の分からない言葉が呪詛のように吐き出されていた。


「シオン?クロユリ?『魔女』シオン?『魔女』忌み子?クロユリ?」


 何度も繰り返される、呼び名。虚ろな目のまま、永遠と口は名を紡ぎ、痛みにその身は跳ね回っていて。


「あれ?私、誰だっけ?」


 溢れる血溜まりの中、誰だか分からない彼女は、そう呟いた。

『業務用配給』


 軍と契約を結び、正式に認められた料理店や工場が受けられる特殊な配給。多種多様な食料や物資、必要な材料などを優先的に回してもらえる。その対価として、料理店は軍人には料理の値段を下げる、工場は出来た品物を軍に納品する義務が発生する。


 契約を結ばれる基準は、一定の品質に達しているかどうか、安全であるかどうか、黒い噂がないかどうかなどで厳しく審査される。規模もある程度は審査の対象ではあるものの、品質によっては個人と契約を結ぶことも多々ある。


 個人経営の店で一人ではとてもじゃないが仕入れができない場合、または店員が少なくて取りに行けない場合、もしくは道中の盗難が不安な場合、さらに対価を支払うことで、軍のスタッフに店まで運んでもらうよう頼むことができる。最近ではおかしな強面四人組が化け物染みた体力で運送業を始め、彼らがその運搬業務を請け負うことが増えてきたらしい。


 またこの契約の中には、軍人による定期的な店付近の巡回、万が一店が強盗などに襲われた場合の徹底的な調査が含まれている。理由としては、この項目がなかった初期の頃、嫌われ者の軍と契約を結んだ店を襲撃する事件が相次いだからである。この項目が追加されたことにより、襲撃者は激減した。


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