第45話 嫉妬と歓声
驚くべき乱入者と行動だった。物理が効かない相手だから、軍は仁とシオンをぶつけさせたのに、堅は物理の攻撃手段を用いて見事に撃ち抜いた。
きっと彼は仁の氷刃が弾かれたのを見て、障壁が魔法に変わったことに気づいたのだろう。素晴らしい記憶力と判断力だ。しかしこの後、彼がしようとしたことは、仁にとって賞賛も何もできるものではなかった。
「次は外さない」
「ちょっと待て!勝負はついた!」
もう一度銃を構えた堅に、仁は詰め寄り止めに入る。倒れた異世界人の男は、満身創痍と呼ぶに相応しい。今すぐにでも治癒をしなければ、もしかしたら命に関わるかもしれない。
「ついてない。奴はまだ生きている」
無力化は済んだというのに、堅は更にその先を、男の死を求めていた。
「殺さなくてもいい。もう動けない」
「お、おまえ……?」
少しの躊躇いの後、仁は堅に人外の速さで近寄って、銃を下に向けさせる。先ほどまで殺そうとしていた少年に庇われるという光景を、男は信じられないといった様子で見ていた。
「殺さなくてもいい?こいつが何をしたか、知っているか?どれだけの罪のない人を殺したか、知っているか?どれだけの罪を重ねたか、知っているか?」
彼は剣呑な表情で仁を睨み、男の行いを丁寧に教えてくれる。それは仁が戦っている時に思いもしなかったことで、とても心に刺さったことだった。
「殺された人の恨み、親しかった人達の気持ちはどうする?」
この男は、多くの日本人の命を奪ってきた。仲間を殺された者もいるだろう。恋人を殺された者もいるだろう。家族を殺された者もいるだろう。その者達の気持ちを、仁は考えていなかった。
失った者の気持ちが少しでも報われる方法なんて、死者を生き返らせることか、加害者を裁く事以外、思い浮かばなかった。
「……そ、それは、けど、同じだ。こいつを殺せば、こいつを殺されたことに憎しみを覚えた奴らがまた、ここに!」
「こいつを返しても同じことだ。ここまでボロボロになってもまだ、俺らを殺そうとする異常者だぞ。きっとまた、俺らを殺しにやってくる」
(……シオンが自分の入隊と引き換えに、強引に突破した難題だよ)
反論ができなかったから、話題をすり替えた。しかしそれさえ正論でねじ伏せられれば、条件を盾に取る以外に仁に勝ち目はなかった。
「なぜ、こんな奴を庇う?おまえが手を汚したくないだけなら、俺が殺す。そうでないなら、俺を納得させてくれ」
「……」
復讐者の気持ちを考えていなかった。ただ仁は、人の命を奪うことを躊躇った。シオンの条件を聞いたからか。それとももう、これ以上手を汚したくないからか。
だから、何も言えない。仁の心をそのまま言葉にしても、きっも堅には届かない。だって人は本当に己が欲しい言葉以外、受け入れられないのだから。
「こいつだって、これだけ殺したんだ。殺される覚悟くらいできているだろう。まさか、無敵と思って覚悟すらしていないというなら、もっとむごたらしく殺してやる」
「やっぱり忌み子だ。こうも、醜い」
堅の目は男を見ていて、見ていなかった。殺しても足りないほど憎い理由そのものを、見つめているようだった。彼の顔をここまで怒りに歪める理由は、誰か大切な人を殺されたからか。
(ちょっと代わってね)
「えっ」
憎しみと殺意に滾る堅を見た僕の人格が、身体の主導権を一言ともに奪い取った。
「堅さん、あなたにはもう殺せない。だって彼はもう障壁を張り替えているでしょうから」
口調を俺に寄せて感情ではなく、僕は理論を突き付けた。これは俺にとっての盲点だった。確かに男が障壁を張り替えているのならば、銃では殺せない。でも、その勝ち方は俺にはどこか違うように感じた。
「なら、魔力が切れるまで撃ち込み続けるだけだ。それに、もうないんだろう?もしまだあるなら、俺らに魔法を撃ち込んできているはずだ」
(ちっ、この人鋭いな)
なるほどと思ったのも束の間、僕より堅の方が一枚上手だったようだ。有能な人間を敵に回すと、厄介な典型的な例だろう。
(こうなったら、実力行使に出るしかないけど……この人にそこまでして助ける価値あるかなってのが正直なところだよ)
(シオンは、守りたいって言ってる)
(彼女を理由にして逃げるの、あんまり良くないと思うよ。自分が殺しの手助けをしたって思いたくないだけだろ君は)
一度は構えようとした剣は、しっかり握れなかった。僕の人格が一切の容赦無く俺の心理を分析し、一番言われたくないところを正確無比に抉ったから。
「退いてくれ。人も殺せない奴を、戦場に立たせたくはない」
「……」
止めたいのに、再び男へと向けられた銃を俺は止めれなかった。堅の言う復讐が、筋の通ったものであったから。俺はもう、自分が分からなかった。
「薊。銃を下げろ」
「……!司令。あなたもですか!いや、あなたなら、こいつを生かしておく意味がないことを分かっているはず!なぜ止めるのですか!」
止められない仁に代わって銃を下げさせたのは、禿げた額の男だった。いつの間にやら軍の人間が周囲を囲んでおり、男の逃げ道を塞いでいる。
「意味ならある。シオンが入隊の条件にこいつらの命を出してきた。殺せではなく、生かして帰せとのことだ」
「……こいつは、異常です。帰しても、また来ますよ」
話された意味に納得がいかず、堅は上司相手にも食い下がる。銃を持つ手はわなわなと震え、今にも撃ちたくて殺したくてたまらない感情を、理性で必死に抑え込んでいるようだ。男が忌み子に向ける執着と同じくらいに、堅は異世界人を憎んでいる。
「弁えろ。異世界人を瞬時に無力化した戦力を、お前の復讐でみすみす手放す気か?仮に再び来た時は、殺してもいいという許可もある」
「俺だけの復讐じゃありません。殺された人数を考えれば!」
「言い換えよう。数百人の関係者の復讐で、障壁をぶち抜ける戦力を手放す気か?復讐者が満足を得るか、我らが生きる可能性を得るか。どちらがこちらの利になるか、考えろ」
「………!」
更に強く銃を抑えつけた柊の言葉に、堅は目を伏せて歯を食いしばって、復讐を胸の内へと飲み込んだ。
「死者を忘れろとは言わん。だが、死者は帰ってこない。だから、生者を優先しなければならない」
「……全ては、人類の為にですね」
「そういうことだ。それに憎いのはお前だけではない。私も条件さえなければ」
「……!?」
堅の肩に手を置き、自らも殺意がないわけではないと柊は語り、
「殺していた」
仁の強化した目でやっと捉えられる速さで、男の頭の上へと銃弾を撃ち込んだ。ホルスターから銃を引き抜き、構えて撃つまでの動作には微塵の迷いも、欠片の無駄も無い。
「条件が命だけであるのなら、四肢をもいでいた。条件と運命と少女に感謝しろ。慈悲に次はないと知って帰って、我らに二度と関わるな」
男の髪が数本、地面に舞い落ちる。頭頂部からつーと血が顔を伝って、弾が僅かに掠ったことと、掠っただけで済んだことを教えていた。
「最後の一人は!」
重苦しい雰囲気が支配する場に、少女が風のように現れた。彼女の背後には血塗れな男が五人、木の枝に拘束されて輸送されている。抵抗する気すら失せたのだろう。皆、虚ろな目を向いてされるがままだ。
「お疲れ。初勝利、だね」
「……あ、ああ」
地面に転がる男を見て、血に濡れた仁の剣を見て、誰が勝ったかを知って、シオンは仁を褒めた。でも今は素直に喜べる状況なんかじゃなくて、言葉に迷ってしまう。
なぜ、忌み子の由来を隠していたのか。そしてそれは真実なのか。もし真実なら、どうすれば良いのか。頭の中が分からないこと、信じられないこと、疑問、疑いで、握りしめた紙のようにぐしゃぐしゃだった。
「では、後片付けを頼もうか。奴らを街中に放置していれば、恨みを持った者達が殺しかねない」
「はい。門の外まで運んできます。あとは自分で、帰れると思うから」
だから柊の頼みが、仁にとってはありがたかった。堅の態度を見るに、異世界人はとてつもなく恨まれている。したことを思えば当然で、このまま街の中で放っておいてしまえば、何をされるか分かったものではない。
もし日本人に襲われて障壁を展開し続けて、魔力が切れれば、彼らの力は日本人とほぼ変わらない。そうなる前に、彼らをここから出す必要があった。
「もしものことを考えて二人で行ってくれたまえ。気をつけてな。酔馬、案内してやれ」
「うげっ!?なんで僕が……気まずいんですけど。バレましたし」
「命令だ。行け。事情を知る軍人以外は道から退けた」
「またいい手際に僕は損な役回り……あ、どうも」
「お前は盗聴と盗撮の!」
「そこだけだと色々と誤解を招くのでやめてください!?」
包囲している軍人の中から貸し出されたのは、部屋の盗聴器と監視カメラを仕掛けた幸薄そうな男だった。
「……その節はお世話になりました。仕方ないんで引き受けますよ。では、こちらへ」
「ごめんなさい。ちょっとだけ待ってね」
手招きする酔馬に、両手を合わせて謝罪したシオンが男の元へと駆け寄り、
「……ど、うして?」
「その傷だと、死んじゃうかもしれないから、応急処置だけ」
治癒魔法をかけ始めた。憎き敵を癒すその姿に、軍人の間にどよめきが走る。堅は俯き、酔馬は頭を抱え、柊は両目をつぶっているのを見るに、やはり受け入れられない光景なのだろう。それでもシオンは、そんなこと関係ないと治癒し続けた。
「……いい。するな」
「そう。分かったわ」
(分かったわというより、終わったわだね。はぁ)
僅かに上がった腕で突き放され、シオンは身を引いた。しかし、何度も治癒魔法を受けた仁だからわかる。もう応急処置は終わったから、彼女はあっさりと引いたのだと。
木の枝をしゅりと男に巻きつけ、背中の人を木でまとめた束へと加える。まるで、人を枝で捕まえた木を背負っているようだ。
「案内、お願いします」
「はぁ……こういうの、やめてもらいたいんですけどね。また司令が禿げてしまう。あ、手遅れか」
これから司令は、なぜシオンが敵を治したのかを説明することになるのだろう。敵にしか使えないはずの魔法を使える、敵を退け、敵を庇い、敵を癒した少女と少年。これら全てに納得出来るだけの理由をつけて話すのは、確かに禿げそうだ。
「次にハゲと言ったらぶっ殺すと言わなかったか?酔馬。せめて少し頭がクールな司令と言え」
「分かりましたから銃向けないでください。僕、今日だけで何回武器向けられてるんですかねぇ」
先ほどと同じ速さで銃を構えた柊に、酔馬は降参と両腕を上げる。シオンに剣を向けられた時はともかく、今回は彼のせいだろう。
「じゃ、行きますよ」
仁達以外、誰もいない門への道を酔馬に先導されて歩く。
「……なぁ、シオン」
「何?」
「なんで、忌み子の本当の由来、隠してた?」
「あっ……聞い、たの?」
聞かれた隣の少女はまるで失念していたばかりに、小さく声を上げた。異世界人と仁が接すれば、何故殺すのかを尋ねるのはあり得ることなのに。
(その辺を隠したのに考えてなかったて、本当に天然だよねこの子)
この少女は本当に、詰めが甘い。
「本当、なんだな」
「ごめんなさい……悪い気持ちで、隠したわけじゃないんだけど」
「悪い気持ちじゃない?また、俺の為か?」
嘘が露見して言い訳をしたシオンに、仁は自分の中の怒りが高まるのを感じた。悪いと思ったなら、素直に認めるのが道理だろうと思ったから。
一体どの口が言うのかという怒りだが、先ほどの喧嘩でシオンに負の感情を持った俺には、それを考える余裕はなかった。
「訳が分からない。俺らが殺される本当の理由を隠して、俺に何の利益があった?」
「……私は、嫌だったから。自分が生きてちゃいけないなんて言われて、辛かったから」
「それだけ?」
「……うん」
心底驚いたような顔をするシオンの気遣いは、俺には何の意味もないように感じる気遣いだった。
(俺君、それはさすがにおかしいよ。人の気遣いを)
(その気遣いの為の嘘をついた動機が、分からないって言ってんだろ!)
シオンはかつて、同じことを言われて傷ついた。だから仁が傷つかないように、隠した。これが彼女の言い分。確かに森の家でずっと三人で暮らすならば、隠し通せたかも知れない嘘だろう。
だが嘘は、隠し通さないと意味がない。ばれた時、吐かれた側に強い不信感と失望を抱かせるのだから。吐かなかった時より、悪い結果をもたらすのだから。
「また嘘かよ」
「本当にごめんなさい……悪い気は無かっ」
唾を吐き捨てるように仁の口から出た言葉に、シオンは弁明しようとした。それは今まで孤独だった少女の、嫌われたくないという思いが顔を出した言い訳か。
「それも聞いた。もういい」
「あっ……」
それは全くの逆効果で、仁は強引に話を打ち切った。
彼女の気遣いも仁を守ることはなく、二人の関係を悪化させただけだった。並んで歩く二人は一切の会話もなく、シオンがちらちらと様子を伺うことさえ、鬱陶しいと思っていた。
「……うわぁ、気まずぅ」
先頭を歩く酔馬の呟きは、これ以上無いほど的確に状況を表している。
(俺君、今君すっごいカッコ悪いよ)
(嘘を吐いたのはシオンだろ)
現実世界の沈黙する中、僕が精神世界で俺へと語りかける。
(でも、知っても知らなくても、そこに違いはなかっただろ?)
知ってても知らなくても、何も変わらないに近い忌み子の理由。
世界を滅ぼしかけるような力を持った奴が、忌み子だけに乗り移るという、半年前なら中二病かと疑われるような真実。いや、今現在の魔法に触れた日本人でさえ、言って信じるのは稀だろう。
シオンから話を聞き、ロロから歴史を聞き、騎士達が日本人を惨殺する光景を見た仁だから、信じられた。
しかし知って信じたところで、仁に何かできるというのか。世界を滅ぼすような奴らと戦えばいいのか。それとも忌み子を殺そうとする奴らと戦争して、『魔神』と『魔女』の復活まで生き永らえばいいのか。
(僕らには何もできない。無力感に打ちのめされて、絶望に道を塞がれて、苛立つのも分かる。けど彼女に八つ当たりするのはおかしいよ。それに分かってたろ?もう日本人は詰んでるって)
(ああ、分かってる。もうここは破綻寸前だってことくらい)
どう足掻いても日本人は滅ぶ。いや、この真実を知らなくとも過酷な世界で日本人が生きれるのには、タイムリミットが存在すると分かっていたはずだ。
(だから君は様子を見て、甘い汁を吸って、見捨てて逃げようとした)
(自分が生きようとして、助けられる範囲だけ助けようとして、何が悪いよ)
(確かに僕らが生き残ることに関してだけ言えば、最善だった。だから僕も何も言わないさ)
画期的な食料、及び武器となる資源の確保の手段、そして魔法を使える手段がない限り、ここはいずれ滅ぶ。
(魔神と魔女は日本人が滅んだ後、シオンに寄生した君が生き残る道を奪う絶望だよ。彼女は真実を隠して、この絶望に君が堕ちる時間を減らしてくれたんだよ?)
(ちっ)
だがその三つの手段の全てを得ても、魔神と魔女やらが復活すればどうしようもない。日本人を見捨てた仁にも、寄りかかる相手であるシオンも、取り憑かれればその先に待つのは死。
僅かな希望さえ打ち砕いた最大の絶望が、『器』という名の自分達だった。そして彼女の吐いた嘘は僕に言う通り、仁の絶望の時間を遅めていた。
(それだけでも、彼女の嘘に意味があったろ?)
(うるっさいな!黙ってろ!)
彼女の嘘に意味があったなんて認めたくなくて、俺は怒鳴りつけて、逃げた。意味があってしまえば、彼女を責める理由が無くなってしまうから。
(いい加減にしてよね。彼女の在り方が気高くて、綺麗に見えるからって、嫉妬のままに彼女を貶めようとするの。もう一度だけ言うけど、君カッコ悪い)
もう一人の人格には、俺の心の奥底を見抜かれていた。苛立ちの中に、汚い自分とは違うシオンに嫉妬して、彼女の欠点を探して、自分と同じだと思おうとした。
過酷な世界で、必死に何かを守ろうとする人々の中、俺だけが汚いと思いたくなかった。だから男を殺すことを躊躇った。
(好き勝手言われた結果、悪いことしか言われてないのは君の行いが悪いからだ。頭をキンキンに冷えたかき氷にでも突っ込めばいい。自分の言ったことがどれだけ彼女を傷つけたか、少しは分かるだろうよ)
(……頼むから、黙っててくれ)
いつも通り、俺は僕に負けた。僕の言う事は全て核心を突いてきて、俺は聞こえないフリをするしかなかった。
本当は全部、分かっていた。横のシオンがまつ毛に涙をためていることも、僕が正しいということも、自分の行いが醜く、カッコ悪いということも、面布の下の表情が腐っていることも。
全部、分かっていた。
それから門に着くまで仁は、酔馬ともシオンとも、僕とも話さなかった。
門を開け、しばらく歩いたところで拘束から村人たちを解放する。よろよろと立ち上がりはしたものの、仁達へ向かってくる気力もないようで、彼らは素直に背中を向けた。
「ほら、出て行ってくださいね。命あることに感謝して、他の村人にも、うちに手を出さないことを伝えるんですよ!」
「……」
「何せ超強い用心棒がいますからね!分かったら行った行った!」
酔馬にしっしっと追い払うように促され、彼らは黙って村へと歩いていく。仁と戦った男だけ傷が深かったようで、仲間に肩を借りていた。
「あーあ。本当に嫌な奴らです。殺しまくった相手に助けられたのに、ありがとうの一言も態度が変わることもない」
「……」
去り際に向けられた彼らの目には感謝の色など欠片もなく、ただ憎しみの色があるだけだった。
「それにしてもお二人は本当に強いですねぇ!いやぁ、ありがたいです!」
「……ありがとう」
「俺は、そんなに強くない」
(初めて強いって言われたような気がする!)
自分以外誰も喋らない空間に、居心地の悪さを感じたのだろう。急に仁とシオンを褒め出した酔馬だが、二人の反応は全くもってつれないものだ。僕だけが騒いでいるが、彼には見えもしないし聞こえもしないのでノーカンである。
「あー、えっと、その。戻りましょうか」
「はい」
「司令が禿げるのも分かるなぁ」
二人の態度を見て、人をまとめる者の気苦労を悟ったのだろう。遠い目で自身の髪を撫で、聞こえないからと憐憫の感情を撫でれぬ者へと送り、
「そうか。死ね」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃい!?司令!?なんでここに!?」
撫でれぬ者に銃を突きつけられ、万歳した。ちなみに、仁とシオンは後ろに柊がいることに気づいていたが、2人ともそんなことを言える空気ではなかった。僕は面白そうだと放置していただけだが。
「説明が済んだから付いてきただけだ。それと遺言は?ここなら魔物に食われたと言い訳できる」
「いや、司令。クールっすね」
「死ね」
「そう言えって言ったのは司令……ちょっと引き金に指かけないでくだ、うわあああああああ!?今かちゃんって言った!弾出てない?出てない?」
(なんだか面白い人だなぁ。かわいそうだけど)
司令の声に飛び上がり、銃の音で馬のように跳ね回る。空気の温度が違いすぎる漫才に、俺とシオンは無反応だ。いつもなら、笑っただろうに。
「何があったかは知らんが、そろそろ戻るぞ。外に長居するのは良くない。魔物を呼び寄せる」
「柊さん」
門の中へ戻ろうと歩き出した柊を、俺が呼び止める。心はまだ荒みきっていたが、それでも思考能力の全てを失ったわけではなかった。
「なんだ?」
「俺らの目が無くなったら、彼らをズドンとかはやめてくださいね」
「疑い過ぎだ。破られる可能性のある約束はしない主義だと言ったろう。結んだ約束を破るつもりはない。そもそも破る約束を結ぶつもりはない」
監視カメラと盗聴器の件以来、いまいち信頼できない男へと入れた探り。それに返ってきたのは、ため息と否定だった。
しかし、彼の言葉の真意は別にある。した約束は守るが、約束していないことなら何もかもする、という宣言なのだろう。
「盗聴器とか監視カメラはもうやらないでください」
「分かった。約束しよう。しかし、君達もスパイでないことを、これからの働きで証明して欲しい。約束してくれるね?」
ならば先回りして約束をし、封じておくのが得策だろう。仁の出したプライバシーの保護という名の、嘘を隠すための嘘を理由にした約束を柊は受け入れ、そして彼も約束を出してきた。
「はい」
「よろしい。まぁ君達は、今回の戦闘で中々に証明してくれたとは思うがね」
頷いた仁を労う柊。そして岩壁に囲まれた鉄の門が重い音を立てながら開き、
「他のみんなも、そう思っている」
「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」
「このようにね」
歓声が、爆発した。
「……これは?」
「一体、どういうことなの?」
門の周囲に集まる人だかり。軍服を着た男、扇情的な格好の娼婦と思しき女性、ぼろ切れをまとっただけのおじさんに、給仕の少女、わんぱくそうな子供達、腰の曲がったおばあさんと、多種多様な人々が視界を埋め尽くすほど集まり、声高らかに叫んでいた。
その大きさは仁の面布がゆらゆらと揺れ、百戦錬磨のシオンが気圧される程。
「奴らを退治したと言っただけですよ。あなたたちのおかげで、彼らは助かったんです。されて当然の感謝ですよ。だから、僕からもありがとうを送ります。後、監視カメラとか仕掛けて、ごめんなさい」
「うっ……」
ぺこりと頭を下げて、非礼を詫び、ありがとうと言った酔馬が、理解の追い付いたシオンへのトドメだったのだろう。さっきまで涙目だったのもあるかもしれないが。
「うう……う、嬉しい」
仁に責められて流しそうになった涙とは違う、暖かい涙を、目から溢れさせていた。
「私、こんなにたくさんの人から感謝されるの、初めて」
ラガム達にも、仁からも、シオンは礼を言われたことはある。それでも、こんな大人数からの感謝は経験したことがなかったのだ。
「……」
対する俺は、複雑だった。とりあえず何の反応もしないのはおかしいだろうと、手を振り、歓声には応えた。しかし、騙して見捨てようとしている人々からの感謝など、気まずいもの以外の何物でもない。
(わー!すごいなぁ!見捨てるなら、尚更目を逸らしちゃダメだよ)
嬉しそうな声から一転、僕は真剣な声で心に釘を刺してきた。捨てようとしているものの重みを知れと言うことだろう。そしてその上で、選択しろと。
「……分かってる」
それでも、自分の命よりは重くないと固く思って、仁は彼らを見渡した。皆、一様に嬉しそうな顔で、笑って、歓迎して、手を振って、喜んでいた。
暗く絶望に満ちた世界。忌み子の宿命で、滅びることが決まってる事を知らぬ彼らは、明るい顔をしていた。
(シオンの嘘の意味も、これでよく理解できるだろ?)
知ってしまった仁からすれば、何とも気楽な光景だった。知らない方が幸せなこともあれば、知らない事は罪ということもある。そのこととシオンの嘘の意味を思い知らされるような、実に刺さる光景だった。
「……?」
その中で仁は、一つの違和感に気づく。隣の柊が部下からメガホンを渡され、肩にかけたのだ。これから民衆の誘導をするならば、何ら不思議でもない彼の行動。
だがその顔は、そんな明るいものではなかった。真剣に何かを考えているような。
仁が怪訝な顔で見つめる中、柊はにやりと笑ってメガホンにスイッチを入れ、
「紹介しよう!彼らこそが、我らには使えぬ魔法を使える、希望!軍の新人にして、我らより前に異世界に渡りし者と、その末裔!」
「……あ、あいつ!?話を合わせろってのは、このことか!」
「桜義 仁とシオンだ!彼らの勝利に、歓声を!」
この場にいる全ての者に聞こえるよう、仁とシオンが軍に入隊したと、宣言した。
別に元から入るつもりではあった。とはいえ、彼らからしてみれば仁とシオンの不仲は、軍に入るかで争った後のように見えたのだろう。実際、それに近いことが発端の喧嘩だった。それがなくとも、少なくとも仁が迷っているようには見えただろろ。
「こんだけ多くの人を証人にしたつもりか?」
(俺君。多分それだけじゃなくて、軍以外の組織に俺らのものだ。手を出すなとか、民衆の支持率アップとかの狙いもあると思う)
だから柊は逃げ道を潰し、牽制した。できる限りの多くの者に、仁とシオンは軍の者だと知らしめた。今まで倒せなかった敵を倒せる方法を、まるで軍が見つけたように宣伝した。
仁とシオンの存在は二人自身が思う以上に激動の渦の中にある。今、ようやく気づかされた。
「やっぱり、こいつら」
面布に隠れた険しい表情に、誰も気付けなかった。
『酔馬 樹』
軍所属。どことなく気弱そうでいちいちリアクションが大きくて、天性のいじられの才能を持つ男。よく人を笑顔にしている。
元自衛隊で、柊と蓮と同期。世界が崩壊して軍に変わってからは、幹部として街を守り続けている。
一見無能そうに見えるが、実は有能の塊。ヘリに戦闘機に自家用ジェットに船を動かせるし、料理に裁縫に生花に手芸に三味線に琴、ドラマにギター、機械いじりに溶接、経営学に爆弾製作、暗号解読に諜報活動etc……特技をあげればキリがない。趣味は資格取得。英語、フランス語、ドイツ語と、四カ国語話せるマルチリンガルでもある。
まぁほとんどの特技を覚えようとした動機が、「モテたい」である。いや、もちろんその他の動機の特技もあるが、大半がそうである。
空いた時間に色々な講座を開いている。例えば平日の昼などには主婦の方へと向けた手芸や琴の教室を。休日には希望者にヘリや戦闘機の動かし方の講習など。「知識は多くの者が持っていた方が力になる」というのが彼の論。
これだけハイスペックでありながら、いまだに独身である。学生時代に一度だけ女子とお付き合いしたことはあるものの、それ以降浮いた話は一切なし。モテたいオーラを抑えさえすれば……というのが周囲の意見。




