第44話 制圧と理由
『睡城 蓮』
熊。
「道を開けろ。軍の柊だ」
戦地へ向かえば向かうほど避難する人の数は増えていく。しかし彼らは緊急事態であるにも関わらず、柊の姿を見、声を聞いた途端にさっと道を開けた。
「協力、感謝する」
それは彼と軍がどれだけ知られ、どれだけ恐れられているかを示す行動だった、
「敵の数は6。正門付近で散らばって暴れている。何故か奴らは、決まって一時間分ほどですぐに撤退する。これは奴らが一日に使える魔法の量に限りがあるという推定だが、どうかね?」
「正解、です。障壁は魔力の消費が激しいから」
(うーむ。さすがトップ)
開かれし恐怖される者の為の道に柊は何の感情も見せず、情報を開示しつつ走る。その予想は的確なもので、思わず感心させられる。
「魔力の量は個人差がありますけど、それだけ障壁と魔法を使えて、撤退中の魔力も合わせるなら、一般人より少し上くらい?」
襲撃者の魔力の保有量からおおよその強さを割り出し、何とか戦えそうだと想定する。だが、これだけの情報では判断の基準には足りない。
「全身を覆う金属の鎧をつけていましたか?装備は豪華でしたか?」
「いや、違う。初回の襲撃で革鎧を着ていた以外、全て防具無し。武器も……そうだな。詳しくは分からないが、相手が捨てた武器を見るに上等とは思えなかった」
足りない部分を埋める為に聞いた質問から、相手の大方の想像がついた。防具は良くて革鎧、剣はそこまでの質ではない。一般人並みの魔力。そして中途半端な人数。
「ここの近くにもしかしたら村があって、障壁を使える人間だけで襲撃しているのかも」
「なら、勝てる」
ただの村人だ。そもそもシオンから聞いた程の強さを持つ騎士団が来ているならば、彼らは一度の襲撃でこの街を殲滅する事だろう。
仁も見たあのサルビアならば、一人でもそれをやり切るかもしれない。しかしただの村人六人なら、シオンだけでの制圧は余裕。仁も一対一なら、十分に勝機はあるはずだ。
(無いならシオンに押し付けて逃げればいい。承諾されてることだ)
(さすがにどうかと思うよ)
仁の内心は汚く、男としてのプライドは無いのかと問われるであろう。だが、それを見抜くものも責めるものも自分以外にいなかった。
「頼りにしている。さて、もうすぐ見えてくるはずだ。ああそうだ。私にできる限り話を合わせてくれ」
「……状況によりますけど、基本的には」
どこか含んだ物言いの柊に違和感を覚えつつも、特に断る理由もない。逃げる隙間を作りながら了承する。何より、もう話している時間はなかった。
「っ……」
すぐ目の前で轟々と火の柱が天へと伸び、黒髪の人間を焼き尽くすのが見えたからだ。また、人が目の前で死んだ。
「じゃ、行ってくるね」
シオンはそう言ってまた、己の剣を頰に突き立てる。ツッーと切られた豆腐のように皮膚に刃が沈み、静かに血が伝う。
「ルーティンか」
彼女の奇行とも言える儀式を見た柊は、ただその一言だけを呟いた。本当に得体が知れないと、仁は石のような彼の顔を見て、そう思った。
「御武運を」
「俺も、だ」
司令はシオンの背を見送り、仁はまた違う方向で上がった火柱へと向き合った。
炎の中に立つ金髪の男へ、シオンは身体強化を解放した。瓦礫まみれの地面に亀裂を、近くの者の耳に風の音を残し、頰から垂れた赤を宙に引いて戦場を駆ける。
「誰?」
日本人と同じ特徴を持ちながら、日本人には使えない異能を持つ彼女に、逃げ惑う人は皆目を奪われた。
「な、魔法!?」
驚いたのは味方だけではない。自分達にしか使えないはずの魔法を使うシオンに、異世界人は目を見開く。
「物理障壁なのは分かっているの」
右の手で作られた土の剣が光で鈍く輝き、やがて剣さえもが光の線となる。男は振るわれた刃に己の剣を合わせ、防ごうとする。
「だったら足元にも後ろにも、注意しなきゃ」
「あぐっ……ああああああああああ!?」
故に、男は後方の注意を怠った。その怠慢の代償は、土の槍によって貫かれた右脚によって支払われる。
魔法は、物理判定の攻撃よりも遥かに自由度が高く、どの方向からも押し寄せる。それら全てを捌きる手段を用意できる、もしくは特別な場合でない限り、実力者相手に物理障壁を貼るのは愚策だ。
物理攻撃しか出来ない日本人をカモにしていた相手に、それを言うのは酷というものだろう。だが、酷にして慈悲も情け容赦もないのが戦場である。
「防御が緩んだ」
果たして脚に槍を刺され、まともに踏ん張れる人間がどれだけいることか。それは分からないが、少なくとも目の前の男はそうではなかった。
「弱い」
「がっ!?」
痛みによって動作の遅れた男の手元の骨を、剣の腹で叩き割って武器と左腕を奪う。
「脆い」
「ぎゃ、ぎゃあああああああああああ!?」
空いている小さな左手で土の槍を握り、右肩の肩口へと突き入れる。先端で肉に穴を開け、侵入した槍そのもので穴を埋めた。
「ねぇ、想像して」
「な、何を?」
「私が今、あなたの肩に刺さっている槍を弾け飛ばしたら、どうなるか」
「ひっ」
少女は、己の頰の血を見せつけるように呟く。身体の中を石が暴れ回る痛みを想像しろと、無残な穴だらけに飛び散った末路を掻き立てろと。そして、
「死んだ先には、何があるのかを」
「うっ……うわああああああああああああああ!?やめて!」
終わりの向こうに、何があるのかを。それを聞いた男はようやく現実を見て、ここが戦場だと思い出したのだろう。
「やめてくれ!お願いだ!悪かった!頼む!助けて、くれ!家族がいるんだ!頼む……頼む……!」
涙を流し、鼻水を垂らし、叫び、漏らし、醜く、家族さえ出してまで、命乞いをし始めた。死を前にして当然の反応を見たシオンは、満足そうに頷いて、
「分かったわ。じゃ、これからここに手を出さないでね」
「えっ」
命乞いをした本人が驚くほどにあっさりと、軽々と、彼の願いを聞き入れた。まるで他者を虐げることを快楽とするような態度から、普段の彼女への変わり身の早さは、どこか狂気すら感じるほど。
「でも二つ、忘れないで」
「あっつ!?」
「一つ。あなたは、誰かの大切な命を命乞いをさせる間もなく奪ったことを、決して忘れない。忘れてはならない」
肩の槍をねじりながら引き抜き、男の身体と心に一つ目の傷跡を刻みつける。しかし彼女の表情はとても暗く、まるでその言葉は自分に言い聞かせているようだった。
「二つ。約束を破り、あなたたちが再度ここに攻め込んだ場合、もしくはここに危害を加えた場合、あなたの村を私が滅ぼす。命乞いをしようと家族を盾にしようと、私は必ず実行する。この姿、まるでおとぎ話の誰かさんみたいでしょ?」
「は、はい!わかりました!」
脚を貫く槍を解除してただの土へと還しながら、二つ目の傷跡を刻む。ぶんぶんと首を振った男にうんうんと頷き、出血している箇所を凍らせて強制的に止血。
「ああそれと、余計なことはしない方がいいわ。気づかないと思ったのかしら?」
「な、何を言っているので……やめ、ちょっと……ひ、ひぃいいいいいいいあああああああ!?」
シオンに気づかれないよう、男は密かに魔法を発動させようとしていた。そんな小細工、サルビアの訓練に耐えた化け物に通じるわけがない。
「次は爪じゃなくて指をいただくから」
地についていた男の右手の親指以外の爪を、シオンは斜め上からの一振りだけで全て刈り取った。手の甲の上に剣の腹を走らせ、爪と僅かな皮だけに刃を当てた離れ業。僅かに角度がずれれば、指そのものをが落ちてもおかしくはない。
「私はこれくらいのことを、いつでもどこでもやれる自信がある。この剣技に勝る自信があり、そして私から村を守る自信があるなら、また挑んできて」
「……あ、ああ……!?」
爪の箇所だけが断面となった指を見、痛みを感じ、恐怖を植え付けられ、男は放心してしまった。
これだけの剣技ならば、自分など一瞬で解体されると。その身から溢れんばかりの魔力を持つならば、村一つの殲滅くらい、できると。
圧倒的なまでの力の差が分かってしまえば、もう彼に抵抗する気は無かった。
「……随分とかかっちゃった」
シオンが一人目の心をへし折るのにかかったのは、三分だった。
「でも、二人目以降はまとめてできそうだわ」
仲間の悲鳴に集まったのだろうか。怯えるように、四人の男がシオンを取り囲む。
「こんなの、昔の訓練に比べたら、五十人どころか百人は足りないわ」
周囲を囲まれるという不利な状況に、己の暗く冷たく陰惨な過去を思い出したシオンは、力なく笑った。
自らの父なら、千の雑兵さえ片手で鼻歌を混じりに料理をしながらでも相手取るだろうと。
「……」
弾丸のように突っ込んだシオンとは違い、仁は物陰から家を燃やすのにご執心な異世界人の動きを観察し、隙を窺っていた。
「あれくらいの、動きなら」
間近で見た茶髪の男の剣技と魔法は、日頃受けてきた訓練と比べものにならない程、貧弱だった。それこそ、自分でも勝てると思えるくらいに。
「ただ剣を振り回しているだけ。魔法も投げているだけ」
本当にろくな戦闘訓練も受けていない、障壁が使えるだけの村人だということだろう。物理障壁があるからと無敵と油断し、防具さえつけていない愚か者で驕り者。
「障壁への過信が、敗北の理由だ」
「シオンが暴れてることに気づく前に、手柄をいただこうか」
「準備は、いいな」
深く息を吐き、全身の力と調子と心を確かめる。
いつかの魔物に刻まれた恐怖の様に、足はすくんではいないか。香花を殺した時のように、手に力は入っているか。人を傷つける準備はできたか。
「行くぞ、僕」
「あいあいさ!慎重に行こうね!」
物陰から飛び出し、強化を発動せずに走る。目が合った茶髪の男は、仁を新たな標的と笑った。
油断している。魔力眼を使えば、仁に魔力が刻まれていることが分かるというのに、舐めてかかっている男はきっと、発動していない。仮に発動しているなら、顔に何らかの反応が出るはずだ。
何と愚かなことだろう。仁は魔法が使えない、ただの日本人のフリをしているだけというのに。
「来たよ!俺君!」
双方の距離を半分まで詰めた所で、男は炎魔法を飛ばしてきた。空気を焼いて一直線に進む、赤々と燃える炎の球。
「……遅いな」
速度も無く、軌道も読みやすく、かといって弾け飛んで分裂するなどの工夫もない、ただの炎魔法。
「訓練に比べれば、全然」
そんなものの対処、シオンから何百回と練習させられた。それ以上の速さを持ち、軌道も不規則で、工夫を仕組まれた魔法を仁は、それこそ千に近づくほど撃ち込まれた。
喧嘩してしまった師匠の顔を思い出し、振り切るように今一度全身に力を込める。発動された身体強化が日本人の常識という枠を破壊し、更なる力を引き出す。
「があっ!」
雄叫び一声。全力の一歩で右前へと跳躍し、炎の球を難なく回避。魔法など使えないと思っていた男が、その光景を見て驚かないわけがない。
「な、なんだこいつ!?魔力がある!?」
人は理解できない事態に遭遇するだけで、動きが鈍る。目の前の異世界人のように。これは仁の持論だが、相手の不意をついた時が最も勝機が高い。その一瞬を引き出せたなら、そこて決めるべきだ。
「発動!」
右掌の氷の刻印を発動させ、いつもと同じと刀身、しかし物理ではない剣を創成。止まった男との残った距離を全て詰め、ぐいっと脚も腕も力を、みちりみちりと縮んだ筋肉へと力を溜め、
こいつは障害だ。邪魔者だ。生きる為に生き残る為に死なない為に、傷つけろ。
「はああああああああああああああああああ!」
その全てを解き放ち、男の脚へと刺突。突き出された剣先は障壁を無視し、皮膚を破き、肉を進み、骨さえ砕き、貫いた。
「ぐっ……あああああああああああああ!?」
「……やった?」
己のしたことと確認と歓喜の言葉を出し、結果を眺める。男の脚に刺さった氷の剣を伝わって、ぽたりぽたりと地に血が落ちていく。
香花以来、初めて明確な意思を持って、人をその手で傷つけた。罪悪感がないわけではない。目の前で苦しみに喘ぐ男の顔に、何も感じないわけがない。
「……俺が」
そして彼女の顔を、思い出さないわけがない。
「俺君!」
「!?」
不意を打った一撃が、最も勝機があると仁は言った。そしてそれは、彼自身にも当てはまる。
「しまっ……」
脚を奪えばもう動けないだろうという決めつけた思考が、蘇った思い出の動揺が、仁に隙を作った。あの狂気の日以来、初めて人を傷つけたのだから、仕方がないことではある。そして、その隙を突かれることもまた、仕方がないことだ。
「死ねえええええええええ!忌み子ぉぉぉぉぉおおおおおお!」
「ぐっ!」
理由の分からぬ怨恨の叫びと共に振り下ろされた剣を、左手の刻印で作った盾で受け止める。片腕の盾と両腕の剣、上からの大上段に下からの置いただけ、その差は歴然であり、今にも盾が割れて押し切られそうだった。
「焼け死ね!」
駄目押しと男が肩口あたりで発動させた、炎の球。距離のあった先程とは違い、今では大いなる脅威となる魔法。
「どこだろうと、死んでたまるかよ……!」
だが、そんなもの仁には分かっていた。むしろこの状態になるまで、男がろくな魔法の使い方をしていないことに感謝をするくらい、この状況を喜んでいた。
「やっぱりこの人、素人だね」
確かに今、仁は押し込まれている。しかし、こんな素人が偶然作った優勢など簡単にひっくり返る。仁はそれを身を以て、何千回と教え込まれた。たった一突き、たった一切り、たった一撃、たった一動作、たった一つのミスで、何度も戦況を塗り替えられた。
この場合も、当てはまる。例えば、仁が盾の向きを地面に垂直に動かしたなら?
「うおっ!」
押し切ろうと下向きの力を加えられていた剣は、支えを失い落ち、地を切り刻んだ。主である男の体勢は大きく崩れ、魔法の軌道も下へと大きくずれる。
「くっそが!」
暴発した炎魔法を盾で防ぎ、状況は仁に傾いた。相手の身体は大きく傾き隙だらけ、苦し紛れに突き出された剣の軌道も、落ち着いていれば理解できるもの。
「強いな」
つい、彼女と比べてしまう。遅く、単調で、弱く、技などない剣。この男の剣ではシオンを超えられない。仁が今見ている景色は眼前の男ではなく、シオンとの訓練の光景。
「全部受け止める癖に、何言ってやがる!」
上からの大振り。鈍く光る銀色ではない、ただの鉄の色の剣を仁は身体を横に滑らせて回避。
「ごめんね。強いのは君じゃなくて、僕の師匠さ」
「っ〜〜!?」
ならばと男が繰り出したのは、面積が大きく避けにくい仁の腹腹への刺突。だが、遅い。向かってくる剣を、仁が防御と準備を兼ねて弾き上げれば、男は武器を手落とした。
彼の全ての思考が、仁には読めていた。相手が素人で単純だったこともあるだろう。だが、それと同じくらい仁が成長したことも、結果の理由であるはずだ。
「これで、終わりだ」
「くっ」
天へと向いた剣をゆっくり振り下ろして、喉元へ突きつければ、仁の勝ちだった。
「忌み子……なんかに!今に見てろ。お前らなんて、すぐに騎士様が殺しにくる。呪われた血族なんて、一人残らず皆殺しだ」
「なんでだ?」
苦しげに男が吐いた言葉。それは深い恨みを内包し、決して歩み寄らない距離を感じさせるもので、それがなぜなのか、仁には分からなかった。
「おまえらはなんで、俺らを憎む?俺らが何をした?」
ずっと疑問だった。シオンからの説明を聞き、嫌われることも分かる。『黒髪戦争』が再び起きることを恐れるのも分かる。
「『魔女』と『魔神』と姿形が似てるだけで、なんで俺らを殺す?」
だが、殺す理由に足り得るかと言われれば分からない。ましてや黒髪戦争の再発が怖いならば、忌み子を認めればいいだけの話である。彼らは迫害を無くそうと戦ったらしいのだから。
「赤ん坊も、老人も、女子供みんな殺す」
なのに、老若男女問わず皆殺しにするのか。日本人が彼らに何をしたというのか。未来ありし罪なき者から、未来を奪う権利が異世界人のどこにあるというのか。
未来を奪ったのは、仁も同じだけども。
「なんで、なんで!なんでなんでなんでなんで……!殺したっ!答えろ!」
(俺君落ち着いて!殺さないってシオンが言ってたでしょ!?)
布の下を怒りに染め、声を荒げて問いかける。気づかぬ内に震えた剣を前に突き出していたのか、男の首筋には血が一筋の川を作っていた。
「知らないのか?おまえら、なんで恨まれるのか、殺されるのか、知らないのか?」
「知らないって、言ってるだろ!」
「こいつは傑作だ!まさか殺される理由も知らずに、殺されてるなんてなぁ!」
(俺君!ダメだって!)
知らないといった仁を、知らずに死んだ日本人を、げらげらと上を向いて手を叩いて男は嘲り、笑う。剣を突きつけられているというのに、何がそんなにおかしいのか。
「こ、こいつ!」
短絡的な思考に身を任せ、男を引き裂きたい衝動が駆け巡っていた。笑う口に剣を突っ込み、掻き回してやりたかった。
「いいぜ。教えてやる」
ふるふると震える剣も俺の葛藤も、男にとっては笑いの種でしかないようだった。彼は上機嫌に、殺す理由について口を開く。
「おまえらは『魔神』と『魔女』の器なんだよ。伝説は知ってんだろ?転生を繰り返す不老不死の奴らが、現世に復活するための入れ物。それがおまえらだ」
そしてそれは、仁にとって予想もつかないような、真実であり、
「は?」
「おまえらが生きている限り、『魔神』と『魔女』は何度でも蘇る。おまえらが一人でも残っていれば、この世界はまた、暗黒に包まれちまう」
人を殺すという禁忌にさえ正しさを与える、理由だった。確かにロロから『魔神』が不死だということと、その方法は聞いていた。しかし彼もシオンも、忌み子のみに転生するなんて、一言も言っていなかった。
「そんなの、シオンから聞いてな」
「ならなんで、俺らはおまえらを殺してる?幼子にまで手をかけたいと普通思うか?俺らを疑うより、言わなかった奴らを疑えよ」
そう否定しようとして、男の声に思いとどまった。シオンが仁に隠し事をしたことは、実際に何度かあったから。刻印の時も、義足の時も、サルビアの時も。その全てが仁の為を思って隠していたことで、もし今回もそうなら?
人が人を殺す理由を仁は保身以外に考えられず、今回もそれにに当てはまってしまうなら。
世界が融合して忌み子が増えたことで、『魔女』と『魔神』の復活の危険性が高まった。だからロロは『勇者』を探していたのではないかと、推測してしまったなら。
器の話は、真実味を帯びてくる。
「全員で滅びるか、忌み子だけを滅ぼすかなんだよ」
男の言を信じるなら、忌み子が滅びない限り、全てが魔神と魔女によって滅びる。その全てに忌み子も含まれているのならば、
「俺らって、どう足掻いても?」
日本人に待つのは、滅びの道だけ。その事実に、運命に、金棒か何かで殴られたかと錯覚した。殺す理由があるのかと尋ねたら、理解できるだけの理由で返されてしまった。仁は、自分達の未来を知ってしまった。
「……分かったなら大人しく、死ねやっ!」
「!?」
男はまだ、諦めていなかった。シオンと村人ほどの実力の差は仁と男の間には無く、故に男は希望を持った。
炎の剣をその手に握りしめ、器用に片脚で飛び掛かる。不意は突かれたものの、反応できない速度ではない。仁はすぐさま両手で握った氷の剣で軌道を塞ぐ。
「……いい加減に、諦めろっ!」
「こっちには家族がいる!おまえらが生きてる限り、安心して眠れねえんだよ!」
バターのように氷の剣を溶かされる度に作り直し、炎の剣を冷まして小さくさせながらの鍔迫り合いは、力と技術と熱の関係で拮抗した。
「俺らだって!必死に生きようとしてて!」
「全員で滅ぶよりはてめらぇだけで滅べや!どうせ死ぬんだからよぉ!」
家族を守る為に人を殺す村人と、自分を守る為に人を傷つける仁。まただ。また、どちらも間違えていて、ある一面では正しくて、絶対の正解にはなれていない。
「なんて力だよ」
脚を怪我をして踏ん張れない身体にしては、男の膂力は異様だった。こんな強い力、シオンとの訓練でさえ経験したことがなかった。今だって無理をさせている傷口から血がごぽりと溢れて、中の肉がぴちりと音を立てて千切れているのに、
「魔法を使えるやつを、一人でも減らせるのなら」
男は、止まらなかった。
「お、おまえ……?」
血管が浮かび上がり、張り裂けんばかりに筋肉が膨れ上がった男の腕に、赤い線が走っていた。仁の見間違いなんかでは無い。赤い線。そう、男の腕に表れた亀裂は、身体強化が限界を超えたことの証拠だ。
力と熱で負けた剣が、押し込まれ始めた。勢いを増した炎は氷の剣を一気に溶かし、強くなった力は仁の体勢を崩させる。
「僕、耐えるぞ……!」
「分かったよ。発動!」
このままで負けるのならば、男が無理をしたのならば、仁も無理で対抗しよう。
既に溶ける氷の剣の更新に刻印を一つ、使っている状態だ。しかしこれでは勝てない。だから仁は、もう一つの刻印を発動させた。
「駆けろおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
脚に刻まれた氷の刻印から刃を真っ直ぐ伸ばして、男の腕へと駆けさせる。魔力のある人間ならば、通常発動+魔法陣or刻印で成せる同系統の同時発動を、仁は刻印+刻印で代用した。
「ぐぅっっ……頭に、くる!」
一度訓練で試し、シオンと同じように成功することは分かっていた。そして同じように、脳に多大な負担をかけることも。
「任せたよ!」
唯一違うのは、痛みのほとんどを僕にぶん投げることで俺は戦闘に集中できること。これだけは、他の誰にも真似できない。
「任された!」
そして、届く。刻まれた痛みと発動した痛みと引き換えに造られた、氷刃がこの戦いを終わらせようと男の皮膚に触れ、
「くはっ。念の為に変えといて、良かったぜ!」
「魔法、障壁……?」
触れなかった。届かなかった。数ミリの薄さの絶対の防壁が、皮膚と氷刃の間を阻んでいた。
「おまえは物理の剣をまだ腰に差したままだからな!まさか同時発動とは思わなかったが!」
「……!?」
仁のミス。障壁の確認を怠り、一方の判定の攻撃だけで攻めすぎた。彼女から教わったのに、シオンやイザベラ、サルビアといった上位者の戦いで見たのに、いざ実戦となって、しくじった。
痛みに顔をしかめて笑う男と、驚愕と後悔に布の下を歪めた仁の距離が溶けた氷の分だけ近づき、その分だけ仁の敗北が近づいていた。
このままでは、負ける?死ぬ?
ダメだダメだダメだめ駄目……それだけ、ダメだ。
「なら、これでどうだああああああああああああああ!」
咄嗟の機転。魔法障壁が覆うのは男の皮膚のみ。だったら、炎の剣そのものを狙えばいい。障壁に弾かれた氷刃を方向転換、蛇のようにくねらせ掻い潜らせ、目指す箇所は炎の剣の柄。
「い、忌み子おおおおおおおおお!」
氷の刃の先端がぱくりと開き、蛇の顎となる。イメージによって作られた口が炎の柄を噛み掴み、一気に下へと引いた。
「ぜああああああああああああああああ!」
僅かに力の弱まったその一瞬、仁は全力で相手を押し放し、距離をとった。
「……俺の、勝ちだ」
「はっ……はぁ……まだだ!まだ、殺してやる……」
そうは言うものの、男の傷は最早戦える領域ではなかった。片脚に深い刺し傷、限界を超えた身体強化の代償として、ぶらんと垂れた両腕。
仁がトドメを刺さずに距離を取ったのは、もう勝ちだから。
「どれだけ諦めなくても、無理なことはある。シオンがお前らを助けると言った。だから、生きること以外を諦めろ」
「くそ……が……」
戦いの意思消えぬ瞳に、残酷に敗北を突きつけた。仁の、初めての、誰の助けも借りずに得た、まともな勝利だった。
「あっ……れ?」
そして、男の腕から血が噴き出していた。代償ではなく、綺麗に空いた黒く小さい穴からだ。剣で切った傷でも、魔法で空いた傷でもないそれは、間違いなく銃の傷で。
「外したか」
男と仁の視線の向こうで、堅が煙の立つ銃を握り、立っていた。
『睡城 蓮』
柔らかい髭にもっさもさの髪に包まれた、まさに熊のごとき巨漢。というより最早熊。遺伝子的に人より熊に近いと噂されている。実は元自衛官で、柊と酔馬と同期。よく酔馬をいじり倒し、柊をからかっている姿が目撃されている。
軍所属でありながら、気前と面倒見の良さやどこか憎めない愛嬌、裏表のない性格に困っている人を見捨てておけない優しさから、一般人からの人気が非常に高い。彼がいなければ、すでに内乱によって街は滅んでいただろうとも言われている。
身体能力は見た目通りの剛力。ゴリラと腕相撲をして勝った、親戚の熊と相撲を取って電車道を作った、くじらを一本釣りしたなど、伝説に事欠かない。しかし見た目に反して、知能は高い。特に型破りにして柔軟さを持ち合わせた指揮能力に関しては、天才と称された柊とも互角に張り合えるほどである。
彼の何よりの強みは、常識を知らないというところだろう。他の人が無理だと思ってすぐに諦めることを、彼はやろうとする。できないかと考える。事実、彼が考えた法案や施設の案は柊や一般人の盲点を突いており、なおかつ莫大な効果を上げている。そしてその度に、柊が「なぜこんなことで人々は喜び、従うのか」と頭を抱えている。
車の運転が大の苦手。教習所で廃車を量産し、追い出されたとの噂がある。当の本人も「脚で走った方が早いし、いざとなったら多分なんとか乗れるじゃろ」と免許を取る気は無い様子。あの性格で免許も無しに、どうやって自衛隊に入ったのかは永遠の謎。
色街通いがとても有名であり、殆どの店に行ったことがあるらしい。稼げなかった女性達に、料理の差し入れを炊き出し級で振舞っている姿がよく確認されている。対価を払おうとしない迷惑な客をどつき回したり、暴力を振るった客を止めたりとしている内に、いつしか色街の顔役になってしまう。守られた何人かの娼婦が、本気になりかけていたりもする。彼がいるから色街はある程度の秩序を保っていると言われている。
なんでもかんでも「虎の子」と呼ぶ癖がある。本人も名付けすぎて、どれがどれやら分からないらしい。その内動物園ができそうである。




