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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第43話 屑と綺麗事

 

「仁、軍に入るの?入らないの?」


 切り込まれた質問は心を激しく揺さぶった。だって仁はまだ、答えを決めれていないから。


「シオンはどうするんだ?」


 だから仁は、先にシオンの答えを聞いた。ズルいかもしれないけれど、彼女の答えで背中を押して欲しかった。少なくとも一緒の道を選んだ方が、生存率は上がるだろうから。


「私は入るよ。こんなの、放っておけるわけない」


「……そう、か」


 彼女はただ、質問を文面通りに受け取って、即答した。欠片の迷いもなく一瞬の躊躇いもなく、何事もないように、それが普通であるように、答えた。


(やっぱりこうなるよね)


 柊の見る目と作戦は実に見事だった。お人好しのシオンなら、あんな現状を見せられて断るわけがない。日本人全員、たくさんの人の命がかかっていて、シオンが無茶をしないわけがない。


「……俺も、条件をつけて、入りたいと思う」


 そして仁は、シオンと違う道を選べない。魔法も使えなくなった仁が、この街で一人で生きていくことは不可能だ。遅かれ早かれ飢えに耐える生活を送るか、軍に入ることになるだろう。


(そうしないといけないからね)


 また、もう一つ。魔法が使えないことが露見したなら、誰にでも使えることが知られたなら、軍に何をされるか分かったものではない。


 シオンだけが入隊した場合、彼女はきっと軍に刻印のことを言ってしまうだろう。それを止める役として、仁が必要だ。


(元はと言えば、君が原因なんだよ?)


 日本人が魔法を使うことができないなどと、真っ赤な嘘を吐いた屑が全部悪い。しかし、あれはこれからの計画に必要な嘘だった。


「条件って?」


「刻印のことを、隠しながら、だ」


「何、言ってるの?」


 吐いた嘘を吐き続けることが、俺の出した条件だった。


「俺は軍を信用してない。出会った矢先に撃ってきて、土下座の裏で監視カメラや盗聴器を仕掛けるような連中なんて、どうすれば信用できる?」


 困惑するシオンへ、次々と軍の不審な点を挙げていく。彼らの行動の裏には、仁達がスパイの可能性が残っているという理由があったのだろう。俺が彼らの立場なら、同じことをしただろうから。


「分かるよ。分かるんだ。だからこの組織はきっと、手段を選ばない」


 だがしかし、信じて欲しかったなら、諸手を挙げて迎え入れるべきだった。先にどんなことでも平気でやってみせるという汚い面を、仁に見せてはならなかった。


「……それが刻印と何の関係があるの?別に魔法のことを広めても、私達に害は!」


「関係ある。シオンがいない間に、堅に嘘を吐いた。きっともう司令にその連絡が行ってる。だからあの人達は、俺ら二人を雇いたいって言ったんだ」


 日本人には絶対に魔法が使えず、仁が特別であると吐いた破茶滅茶な嘘。何も知らない彼らは信じるしかなかった、クズの考えが張り巡らされた最低な嘘。


「なんでそんなこと?」


「自分を、シオンを、守る為だ」


「仁も、私も?」


 俺の人格はそう言って、拳を握りしめる。いつも自分の為に戦ってきた仁がシオンを納得させるための、言い訳。しかしそれでも、仁は嘘を吐かなければならなかった。


「軍に味方しているシオンの世界の人で、刻印を刻める奴は、他にいるか?」


「……私だけだとは思う。でも意味が分からないよ」


 首を振り、後ずさったシオンの目はゆらゆらと震えていた。俺のことを理解できないのだろう。その瞳はまるで責め立ているようで、俺は思わず目を逸らす。


 だが、俺だってシオンのことを理解できない。彼女は鈍すぎる。余りにも鈍すぎて、自分の存在がどれだけ重要なのかを全く分かっていない。


「説明するから、分かってくれ。頼む」


「……」


 だから俺は、そこから教えようとした。そしてシオンも頷いて、受け入れる姿勢を取った。きっと、互いに分からないままでは話は進まないだろうから。


「軍が欲しているのは、魔法なんだ。魔法が使える人間を何より欲してる。それは俺やシオンである必要は無いんだ」


「私達じゃなくて、力が欲しいってことなのは、分かってる。なら尚更広めれば……!」


 仁達の心情を少しでも同情へと誘おうとしたのも、全て魔法が使えるから。障壁を打ち破る手段が欲しいから。


「分かってない!奴らが力欲しさに、何をしようとするかを!シオンは全く分かってない!」


「俺君、落ち着」


「落ち着いてる!出てくるな!話さなきゃ、ダメだろ!」


「ごめんね。僕。ここら辺はちゃんと話さないといけないと思うから。で、何をするっていうの?」


「互いに爆弾抱え込むよりは、吐き出した方がすっきりするって?でも、それで関係が壊れたら」


「黙ってろ!殺されるよりはマシだ!」


 ならばこそ、障壁を破れる手段を広げてあげようと言ったシオンに、止めに入った僕に、俺は声を荒げた。


「何をするかだって?」


 ここまで言ってもまだ分からないシオンに、いや、軍や日本の現状を知って監視カメラを仕掛けられて尚、彼らを信じようとする彼女に、俺は苛立っていた。


「何でもするんだよ!刻印を刻めるのがシオンのみなら、奴らはどんな手段も使う!意味の無い、代替できる俺を人質にして、シオンを味方にしようとするだろう!」


 そして、シオンを守る為という根拠の薄い言い訳を使い、己の身を心配する自分自身の醜さと比べてしまって、俺の心は黒く沸き立った。


「嘘を吐いてしまったから、俺はもう戻れない」


 先も述べた通り、嘘吐きを軍はタダでは済まさないだろう。魔法の使えない仁などいくらでも替えがいる。使い潰されてもおかしく無い。


「それはさすがに俺君の想像に過ぎる。もう少し信じてあげないと」


「だから信じれないって言ってるだろ!?俺らは何度裏切られた?香花の時も!イザベラの時も!」


「香花……?」


「……」


 目を伏せたまま俺が叫んだ被害妄想に近い想像は、香花やイザベラに裏切られたことが尾を引いているのだろう。だがそれでも、被害妄想と言い切るには軍の負の部分を見過ぎてしまった。


「……僕の言う通り言ってみないと、信じてみないと分からないじゃない!今なら嘘を吐いてごめんなさいって謝れば、絶対許してもらえる!」


「それで全部説明して、シオンは俺を人質に取ったあいつらの為に一生人を殺し続けるのか!?」


 シオンは仁に惚れている。この姿を見て続くかどうかは分からないが、少なくとも現時点ではそうだ。お人好しな彼女が、人質になった仁を見捨てるわけが無い。


「いいか?俺ら二人が重要で特別でなきゃならない!どっちも人質に出来ないような、代替できない存在でなきゃならない!」


 代替できる存在と知ったとして、軍が仁を人質に取る可能性は分からない。でも、十分にありえてしまう。先の柊の言葉からも読み取れるように、軍は何があってもシオン達を手中に収めたいのだ。そして彼らは、その希望を逃すことを恐れている。街を襲撃しにくる異世界人を、障壁を打ち抜ける手段が欲しい。


「俺が人質にされたら、シオンは死ぬまで戦わされる!相手はお前の父親を含んだ騎士団全部、いいや、世界そのものが敵だ!」


 刻印を軍全員に刻めば、多少はマシになるだろう。だが、そもそもだ。考えて欲しい。この小さな街を潰そうとするのは、どれだけの数だ?シオンの世界の人数が、この街以下ということはありえない。圧倒的な物量差+障壁や魔法といった圧倒的な質の差のある、世界そのものが敵なのだ。


「勝てると思うのか?いくらシオンだって、そんな数を街一つ抱えながら勝てるのか?」


「そ、それは……」


 勝てるわけがない。でも、仁を人質に取られたシオンが逃げるわけがない。世界そのものから街を守ろうと、彼女は戦い続けるだろう。仁が存在しなくても同じかもしれないが、人質ではない自由な仁がいれば、その無茶を止められるかもしれない。


「でも、だからこそみんなに広めて、少しでも勝率を」


 シオンの意見はある意味正しい。少しでも勝てる可能性を上げようと、多くの人間が助けられる可能性を上げようと言っているのだ。実に、人道的に正しい意見だ。


「0.00001を0.0001くらいにか?焼け石に水って言葉がしっくりくるな」


 しかし、それは余りにも無謀すぎる。綺麗事だ。実にいい事だ。素晴らしい事だ。でも、勝てる可能性が低すぎる。


「だったら、仁はどうするの?どうせ広めても広めなくても、いつか騎士はくるわ!」


 だが、勝てる可能性は仁の作戦の方が下だ。五十歩百歩でも、下だ。たった二人で世界から街を守れるとでも思っているのか。そう、シオンは問うた。


「どうするの?どうするのだって?」


 正論だ。実に正論だが、分かっていない。そもそも的外れな正論だ。議論はそこにない。


「逃げればいいんだよ。騎士団が来たら、逃げればいい。魔法が使えるのが俺らだけなら、最後の希望だってことできっと逃してもらえる。そうでなくても、俺と僕とシオンだけなら!」


 仁は、戦いを放棄する道を選んでいるのだから。臆病者と笑うがいい。卑怯者と蔑むがいい。


「勝てない戦いから逃げて、何が悪い?俺らの手は小さいんだ。握れる命は、この街全部じゃないんだよ」


 俺達も、勝てない戦をする愚か者どもと嗤うから。救えない範囲まで救おうとして、自分も死ぬなんて滑稽だと思うから。


 さて、話を戻そう。人質が果たして逃げれるだろうか。いいや、無理だ。仁が人質でも、そうでなくてもいい。街の為に戦おうとするシオンを説得できる可能性が高いのは誰か。それは惚れられている仁だ。


「お願いだシオン。俺らが生き残るには、これが一番なんだ」


 この嘘を吐いた道は、自分達だけが生き残ることに関してだけ言えば、最善なのだ。


「本気で、言ってるの?」


 彼女は、共感してくれなかった。分かってくれなかった。自分達だけが生き残る未来を語る仁を、シオンは信じられないような、何故か傷ついたような目で見ていた


「……ああ。俺は、本気だ」


 そんな視線で見られる自分がたまらなく気持ち悪くて、嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で、そして何より、死ぬことが怖かった。裏切られることが怖かった。


「助けたく、ないの?」


「助けられる範囲は助けたい。だから軍に入って、勝てる相手なら戦う。けど、負けるのが分かっている相手なら、逃げる」


 あの現状を見て何も感じなかったのかという問いに、仁は感じたと答え、それでも我が身が可愛いと答えた。


「信じようとしないと、信じてもらえないよ……?」


「それは軍に言ってくれ。俺だって信じれるなら信じたかった」


 縋るような小さな少女からの問いに、仁は揚げ足を取った様な物言いで、我ながらに嫌なやつだと思う子供染みた反論で返した。相手が悪いことをしたから、自分がしてもいい道理なんてどこにもないのに。


「……相手が信じてくれないなら、こちらから歩み寄るしかないんだよ?」


「無防備に歩み寄ったら、死ぬだけだ。人間なんて、いざって時には自分のことしか考えれない生き物なんだ」


 今までのシオンの生き方を思わせるような問いを、綺麗事だと吐き捨てた。仁が見てきた人間は、どいつもこいつも自分の利益を、望む物を最優先にして生きていた。だから仁も、そうしようとしただけ。


 綺麗事は、正しいから綺麗なのに。仁が道徳的に間違っていることは分かっていた。


「……仁のこと、すごいと思ってた。そんな人だとは、思わなかった」


「っ!?」


 だからこそ、シオンの口から出た失望の言葉は、ナイフや剣なんかとは比べ物にならない程、俺の心を鋭く抉りとった。それは同時に、俺に醜く黒い怒りを抱かせる。


「そんなの、シオンが勝手に俺に見た幻想だろ……?」


 そう言って直視したシオンの顔は、今にも泣き出しそうな表情だった。きっと彼女の中の仁は、もっとかっこいいのだろう。誰かを助ける為に命を張るような、そんなヒーローに見えているのだろう。


「現実は違う……俺は弱いんだ。弱いから、弱いから!弱いからっ!守れるものが少ないから、信じれるものだけ守りたいんだよ!」


 だが、それは押し付けなのだ。俺はどこまでいっても俺でしかなく、俺は弱くて自己中心的だ。


 シオンを助けた時だって、全部自分を守る為だった。この世界で仁が生き残る為に助けた。村人だって、囮と駒が増えればいいと思って助けただけだった。


 仁は今まで、自分の為にだけ戦ってきたのに、シオンが勝手に勘違いした。そのことで勝手に失望し、シオンは仁を傷つける言葉を吐いた。


「シオンも言ったろ?全部自分の為にやってることだって」


「だから、他の人を騙したりしていいなんて、私は言ってない!」


 かつての彼女の言葉を用いて、追い詰めようする。だが、汚く醜いその言葉をシオンはあっさり、綺麗に眩く論破してしまう。


「……騙さないと、生きられないんだよ!俺は!弱いから!」


「弱さを理由に逃げないで!弱いことに胡座をかいて、それでずっと悪いことをし続けるの!?」


 論破されたことが悔しい俺の口から出たのは、子供のような言い訳。それに対するシオンの返しは非常に正しく、傲慢だった。


 弱いからと逃げるのは悪いことだ。だが、俺は本当に弱くて、そうするしかないと思っていた。


 できないからと逃げる俺と、できないならできるようになれ、できるように努力しろと上から見るシオン。どちらも頭に血が上っていて、今度はどちらも正解にはなれない。


「おう、そうか!強いシオンが言うと説得力があるなぁ!」


「……そんな言い方!」


「君たち幾ら何でも熱くなりすぎだよ!互いに何を言ってるのか、何を守りたいのかをもう一度見直して!」


 弱者の傲慢と強者の傲慢の衝突についに耐えきれなくなった僕が姿を現し、二人の間に割って入った。


「うる……くっ……」


「……」


 互いを傷つけ合うのが目的の喧嘩ならば、この一言で収まりはしなかっただろう。だがこれは、ただの喧嘩ではない。何かを守りたいと願った二人の行き違いが産んだ喧嘩。


 だから、根本的なところを見つめ直せと言われれば、ある程度は落ち着くことができた。もちろん全てが収まったわけではない。


「……俺が守りたいのはら信じてる人達だけだ。今の俺は、弱いから。守れる範囲を守ることに、全力を尽くしたいよ」


「……私を信じてるって、こと?」


「… それっ……!?」


 少しだけ冷静になった俺が吐露した、守りたいものとその範囲の理由。それを聞いたシオンは、酷く複雑な表情のまま、頰の傷を掻いて、


「うぐっ……はっ……おええええええええ!」


 目の前でいきなり吐いた仁を見て、固まった。


「ちょっと……!?仁!?大丈夫?ねぇ!」


「ごほっ……がほっ……はぁ……はぁ……うっ」


 腹からこみ上げる激流に耐え切れず、床の上にびちゃりびちゃりと吐瀉物を撒き散らす。喉に何かが引っかかったのか、呼吸が苦しくなって世界が明滅して、シオンの声だけが頭でわんわんと反響していた。


「今すぐ人を連れてくるから!」


「はっ、はっ、うぐっ」


 それから数分後、シオンが連れてきた堅と環菜に担がれ、仁は医務室へと運ばれた。










 傷だらけの身体の診察が終わった。魔法の制御をしやすくなるものだと、刻印に関しては嘘を吐いておいた。そう仁が嘘を吐いた時、シオンは俯いたままで、何も喋らなかった。


「どう、ですか?」


 ベットで横になっている少年の隣で、シオンが軍医に容態を尋ねる。あんなことがあっても、醜い姿を曝け出した後でも、彼女はまだ仁のことを心配しているようだ。


 そのことが、仁にはとても辛かった。


「ん?いや、吐いただけだし、命に別条はないよ。安心していい」


「よかった……風邪とかですか?」


 机の上でペン回しをする医者に、シオンはほっと胸を撫で下ろす。なぜ彼女はこんな自分をまだ心配できるのかが、仁にはいきなり吐き気が込み上げたこと以上に、訳が分からなかった。


「いや、気になることがないわけじゃないんだけど。全身の傷もふさがってるにしろ、一生治らないくらいに酷いもんだからねぇ……まぁ一番酷いのは身体の中身かな」


「どういう、ことですか?」


 聞き逃せない女医の言葉に、大丈夫といった空気から一転、シオンの言葉の温度が数度下がった。


「信じられないけど、腹に穴開けられたことあるでしょ?この傷のあたり」


「あります。剣で、少し」


(少しどころか割とがっつりだけど)


 サルビアを退ける時に刺した傷をツンツンと鉛筆で突かれ、くすぐったい感触と僅かな痛みが鉛筆の触られた箇所に走り、身をよじらせる。


「ここ、大体胃の辺りなのよ。もしかしたらその時の傷が原因で、胃の機能が死んでるのかもしれない」


「……えっ」


「かもしれないってのは、それだけのキズを負ったなら、もっとやばいことになっててもおかしくないからなんだけど、何でか他は正常なんだよね。これが魔法ってやつなの?」


 告げられた原因に、仁もシオンも固まる。そんな後遺症なんて、予想できるわけがなかった。


「そんな!ちゃんと中まで治癒したはず……」


「間に合わなかった、ってことだと思うよ。現実そうだし。いや、魔法なんて分からないから、はっきり言えないんだけど」


 確かに治したと主張するシオンに、女医は死んでるものは死んでると答える。突きつけられた現実に、傷をつけた少女の顔はどんどん暗くなっていき、伏せてしまう。


 おそらく、死んだ後の胃の傷を治癒魔法で塞いだということなのだろう。部位欠損と同じ扱いだ。傷口は癒せても、生やすことはできない。


「どんな、影響があるんですか……?」


「いや、それも分からないってのが本音。食べ過ぎて胃の中のものを消化しきれなかったから逆流したんだとは思うんだけど、どうだろう?全摘した時と同じ感じでいいのかな?でも、蓄えることは機能する?」


 影響さえ分からないと、首を横に振られてしまう。医者である彼女も、そんな症状は聞いたことがないのだろう。


「全摘した場合だと食事を制限して、ものすごく物をよく噛んで食べれば大丈夫といえば大丈夫なのよ。他にもあるけども。ただ残ってるってのは、分からないなぁ」


 正直、仁は胃の機能など食べた物を消化するくらいしか分からず、彼女の説明を聞くことしかできない。


「とりあえず、胃が死んでからも今まで生きてこれたなら、うん。急に死にはしないんじゃないかな。食事の量を少なめにして、よく噛んで、そんな生活にしてみて。何かあったらここに来て、くらいしか言えないね」


「……はい」


「今、すっごい他人事だな、この医者って思わなかった?」


「うっ!……えーと、その、すいません」


 女医はさらっと軽い感じで多分大丈夫だということと、これからの方針を語る。その態度に医者としてどうなのだろうかという思いを仁は抱いてしまい、そして見抜かれた。


「一人一人に寄り添うのが理想の形、なんだろけどね。この世界で一人一人に寄り添ってたら、医者なんてやってられないの。だから私は一歩どころか何歩も引いたところで見ちゃってるわけ。いや、申し訳ないとは思ってるんだけど」


「別に、気にしてないですから。死なないなら、大丈夫です」


「最初はそうしてたんだけど、ちょっとね。もう少し早めにここに来るべきだったよ、うん。ま、来ないのが一番なんだけどさ」


 けらけらと遠い目で笑う彼女に、仁はまた心を掻き乱された。


(この人も、少しおかしいね)


 この世界で、命は羽毛より軽すぎる。まともな治療設備や薬なんてあるのか怪しい病院、今までは簡単に治すことのできた病気さえ、不治の病となりかねない現状。魔物や異世界人との抗争で運ばれてくる怪我人。


(医者なのに精神科に行ったほうがいいような状態になるなんて、ひどい皮肉だよ)


 その中で、この人の心は擦り切れてしまったのだろう。助けたいのに、前までは助けられたのに、助けらない、助けられなかった人達。初めのうちは他人事ではなく、自分のことのように寄り添って、励まして、一緒になって、そして壊れてしまったのだろう。


「うーむ。気にしてるなぁ。ま、治せることなら全力で治すから。どうする?しばらく横になっとく?一応動いても問題ないけど」


「動けるなら、もう出ます。ありがとうございました」


「ほいほい。お大事に」


 だから、彼女は他人事と割り切った。そうすることで、医者を続けているのだろう。人を助けたいが為に、人に寄り添うことをやめた医者。名前も知らない医者なのに、仁はそのことには気づいてしまった。


 こんな日常の中の歯車さえ、狂って壊れていた。それなのに仁は、騙して、嘘をついて、見捨てようとしている。


「……ごめん、なさい」


「ん?なんで?」


 立ち上がって謝った彼に、彼女は首を傾げた。理由なんて伝わらないと分かっていても、謝ってしまった。仁だって、見捨てたくて見捨てようとしているわけではないのだから。


「仁とシオンはここか?……いたな」


(うわっびっくりしたぁ!?)


 出て行こうとした仁とシオンの前で、ものすごい勢いで扉が開かれる。その先、二人の目と鼻の先に現れたのは柊司令の姿だった。


「あら司令。ここに毛生え薬はないわよ?」


「梨崎。次にハゲって言ったら殺すって言ったよな?」


「職権乱用、それにハゲなんて一言も言ってないわ。焦ってるんでしょ?早く用件済ませなさい」


 蓮と同じように司令の頭をバカにした女医の名前は、どうやら梨崎というらしい。彼女は射殺すような眼光をあー怖い怖いとひらりとかわし、本題へと急かす。


「……奴らが来た。もうすでに犠牲者が出ている。返事を今聞きたい。いや、別に入隊に関しては後回しでも構わん。助けては、くれないか?」


「「「……!?」」」


 禿げた頭をまた下げた本題の内容は、仁とシオンをびくりと動揺させるには十分すぎるものだった。ちらりと互いに目を合わせて、逸らし合う。中途半端に終わった話が、亀裂を生んでいた。


「私は、戦います」


「シオン!」


 それでも、シオンは戦いに行くと言った。その目に宿る意思は真っ直ぐ司令の目を見て、もう一度仁を射抜く。


「やっぱり仁は間違ってるって思うから、私は私のしたいようにします。だから軍に入るに当たって、条件を出させてください」


 今まで仁の味方だった彼女からの、明確な否定。目が眩み、腹の辺りを殴られたような否定だった。


「叶えられるなら、叶えよう。だが今は急いで欲し」


「今回攻めてきた人達を全て、私がこの手で無力化して追い返します。だから、その人たちの命も手も足も奪わないでください」


 急ぐ司令に被せるように出した彼女の条件は、優しくて理想に過ぎる、一度断られたものだった。


「先ほども言ったように、それは叶えられん」


「なら、軍に入りません。急いでるなら、困るなら、この条件を飲んでください」


 しかし、シオンは更に手を考えた。決して優しくない、自らの身を使った優しさの為の脅し。シオンが軍に入らなければ、彼女が戦わなければ、日本の滅びは早まることだろう。


「……ほう。なら聞くが、追い返した奴らがまた攻めてきたら、君はどうする?その際に犠牲者が出たら、どうする?」


 柊も食い下がる。もしものことを想像させ、シオンの優しさにつけ込んだ返しでだ。それは、非常に痛いところをついているものだった。


「殺します。一切の躊躇いも慈悲もなく、必ず。そしてそれ以前に彼らが二度と来ないよう、今日心を徹底的にへし折ります」


 だがそれでも、シオンの答えは変わらなかった。


「……本当に、扱いにくいな。その条件を飲もう。場所は入り口前だ。私が案内する」


「っ!ありがとう、ございます!」


 こうなれば、軍は条件を飲むしかない。いや、元からシオンの勝ちなのだ。軍がシオンを欲しいなら、最初から条件を飲むしかなかった。彼女を従わせる為には、仁を人質にする他ないだろう。


「だが、忘れるな。もし次があり、死者が出たならば、それは君が殺した人間だと」


 例えそれが、他者の命を危険に晒す可能性を孕んでいても、より多くの命の為に飲まざるを得なかった。


「それは、分かっています。でも、みんなが助かる可能性があるなら、私はそれを選びたいです」


 柊の最後の警告に、シオンはこくりと頷いた。全ての責任と重みを彼女が背負い、最も多くを救う厳しい最善にして理想の道を選ぶと。


「理想だな。まぁ良い。で、仁はどうする?」


「俺は……」


 悩んでいる暇はない。しかしそれでも、さっきの言い争いが傷を残していた。


「……戦います。入隊も前向きな方向で。確定じゃないですけど。あと自分も条件を出します。勝てないと判断したら、申し訳ないですが戦いを放棄します」


「もう良い。それも飲む。決断に感謝する。後は頼んだ。無力な我らを助けてくれ」


 何か言いたそうだったが、これ以上の議論は犠牲者の増加に繋がると考えたのだろう。シオンに続いてつけた俺の臆病な条件に、柊は仕方なく頷いた。


 きっと今のこの時間だけで、何人かが死んだだろう。それでも仁は、自分を優先した。


「これで、いい」


 相手が仁では敵わないあの騎士達なら、条件を使って逃げればいい。ただの村人で仁でも勝てそうなら、戦って価値を示せばいい。


 仁はどこまでいっても、自己保身ばかりで、醜くてて、愚かで、どうしようもなくて。


「ついてきてくれ」


 布を付け、剣に触り、確認。装備の準備はできた。隣のシオンも腰の銀剣の柄に手を置き、よしと首を縦に振り。


 身体強化も無く遅い柊の背中を、すれ違った二人は一緒に追いかけた。


『軍』


 欲望と権力によってつくられし、人類を守る為の矛と槍。この街の方針、生きていくのに必要な食料などの配給、犯罪者の逮捕や裁判、処刑に捜査、建設や瓦礫の撤去、魔物の駆逐、有事の際の戦闘や避難誘導などを司る。ありとあらゆる権力を掌握しており、色街やその他多くの店に軍の息がかかっているのではと言われている。


 毎日のように人が死に、行方不明になり、脱走し、入隊する為、詳しい所属人数は不明。数千人とだけしか分からない。


 配給が一般よりも数段豪華になり、まともな服を着て美味しいものを食べられる。医療も優先的に受けることができる。武器や住む場所ももらえるなど、軍に入ると様々な特典が与えられる。しかし、その対価は命の危機と非常に重い。飢えて今すぐ死ぬよりはと、そういう気持ちで入隊する者がほとんどである。


 一般人との格差で人を集めているが、それが原因で不満が続出し、街の人からは嫌われている。反軍組織の活動も、日に日に増加の一途を辿っている。守られている間は、守られていることに気付きにくい良い例だ。


 軍であることの証明として、ガーベラの形の小さな金属のバッジが支給される。配給を受け取る際や、軍の施設に入る際に必要。



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