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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
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第42話 店と必要悪

「少し、時間をください」


 この一言が、しばらく黙りこんでから二人が出した答えだった。


「即答できる内容ではないことは百も承知だ。別々で個室を用意しよう。じっくり悩んでくれ。いい返事を期待している」


 予想はできていたのだろう。埃のついた顔を上げた柊は急かすことなく、椅子へと再び座り、冷静に待つ構えだ。


「あ、あの、仁とじっくり話し合いたいから、部屋を一緒にしてもらっても?」


「し、シオン!?」


 少女から飛び出た発言は仁を動揺させ、柊と堅の眉を吊り上げさせ、環菜が噴き出すには十分くらいの爆発力を秘めていた。


「構わない。すぐに手配しよう。とはいえ、今すぐとはいかないからしばらく……そうだな。一時間は待ってもらうことになる。それと限度は守ってくれ」


「ち、違う!いや、違います!」


(ヘタレ)


「え?あっ」


「冗談だ」


 仁は全力で否定し、ようやく気付いたシオンは顔を真っ赤に染め上げる。先ほどの真面目で重苦しい空気など霧散したようで、環菜に至っては笑いをこらえる気はないといったほどツボっていた。


「こういう明るい空気の方が、やはりいい。しかし、一つだけ。ずるいかもしれないが、君達に日本人の全てがかかっていることを、忘れないで欲しい」


 そんな緩んだ空気なんて、柊の一言に前に消え去った。改めて思い知らされた、事の重さ。自分達が及ぼす影響。そして、日本人達の置かれている現状。それら全てをもう一度突きつけられて、誰も笑えるわけがなかった。


「司令。暇があるなら、自分がそこら辺を案内しましょうか?」


「悪いな薊。天音。ついて行ってくれないか?一時間もすれば準備ができる」


「了解しました」


「はっ!ほら、行こっかシオンちゃん」


「は、はい」


「待て。これを」


 空き時間の活用法の提案により、四人はは書類に埋もれた部屋から退出しようする。しかしその時、忘れていたような柊の声がかけられた。


「バッジ?」


(わー、何の花だろ?)


 同時に投げられたのは花びらが車輪のように並んだ花と、七桁の数字が刻まれた鉄製のバッジが二つ。花に詳しくない仁に、種類は分からなかった。


「軍人の証明だ。もし、軍に入らないなら返却して貰うが、悩む間は好きに使ってくれ。お試し期間と受け取ってもらっていい」


「ありがとう、ございます」


「賄賂みたいなものだ。道中気をつけるように」


 彼は悩み事でできたような皺を全て笑いに変えて、手を振って見送っていた。


「意味は『希望』か。やっと見えた、このバッジに込めた意味。何としても掴まなければ」


 ようやく差し込んだ明るい糸を、何としても手繰り寄せねばならなかった。そのためならきっと彼は、鬼にでも修羅にでもなるだろう。













「で、あんたどこ案内するの?観光名所なんてもの、ここら辺にないわよ」


「この街で生きていくのに最低限の知識を教えようと思うんだが、どうだろうか?」


「それで大丈夫です」


(お、ありがたい)


「お、お願いします!」


 行きの道を辿り、今は軍前の門。何も分からない知らない仁とシオンは、この街の住人である二人に従うことのみである。それに元から観光気分で来たわけではなく、むしろ堅が勧めた知識を欲していたので万々歳だ。


「歩きながら話そう。まず通貨はなく、服や食料など生活に必要なものは基本的に全て軍から配給される。君達の扱いは不明ではあるが、今のところ軍と見做されるだろう。貰うときはこの軍の受付でバッジを見せて名前を言えばいい。案内してもらえるはずだ」


「あ、軍に入らないなら、一般用の配給窓口があるから注意ね。あとは何か特別に欲しいものがあったら、軍に申請するべし!認可されるかは別だけど」


「その辺は分かりました。大丈夫です」


 それなりに人の通りがあり、露店も開かれている大きな路地を進みながら説明を受ける。やはり仁の布のせいか、かなりの人目を集めているが、軍の制服を見れば誰も寄ってこなかった。


「通貨もないのに、こうやって料理屋さんだとか服屋さんとかあるの?」


(その辺僕も分かんないんだよね。無料で使える公共施設ってわけじゃ成り立たないだろうし、どういうこと?)


 問題はその先。お金がない、更に生活に必要なものは全て与えられるというのに、なぜ店があるのか。


「基本的には配給で貰った物を物々交換。相手側が了承したら交渉成立。詐欺ったら射殺。揉め事になって他者に迷惑かけたり、暴力を振るっても射殺」


「つまり、物を渡すわけか」


 物が通貨代わりで、出処の大元が軍一つであるならば、一部の商品の意図的な高騰などは制御できるということだろう。持ちかけた交渉に相手側が了承しないのであれば、他の相手や店を探せば良い。


「料理店がある理由は、使う電力や材料をある程度集中させるためだ。軍内ならともかく、一般家庭に電力やガス、薪を回すなんてことは不可能だからな」


「えっと、なら、料理店に行かない一般家庭の人達はどんなものを食べてるんですか?」


「草に近い野菜、芋や干し肉をそのまま、共同焚き火で塩漬け肉を焼くこともあるが、そのくらいが限度だ」


「それ、だけ?」


(僕らの旅の間の食事と大差無いね)


 まともな食材も手に入らず、火も水も調理器具も無いとなれば、作れる料理など片手で数えられる程に限られる。


「だから、料理店はすっごい需要があるの。オススメはさっき通った五つ子亭。あそこ看板娘も可愛いし、味もいいし、値段もいいの三つ星。一般人の配給から考えて、食べれるのは週に一回が限度だろうけど」


 食べることが嫌になるような食生活をしていた仁には、この街の人間の気持ちが痛いほど分かった。栄養を取るための行為であれど、食の飽和していた日本人にとって、ご飯というのは幸せのひと時であった。


(昔の普通を覚えているからこそ、今が辛いんだろうなぁ)


 それが今や、常に飢えと栄養失調との戦いで、不味い料理が週の六日間を占めているとは。


「一日あるだけマシって考えるべきなんだろうね。前までは美味しい料理さえ、私達一般市民は食べられなかったんだから」


「……もっとも、この仕組みもいつまでもつかどうか」


「どういうことですか?」


 近くの料理店の中を羨ましそうに見つめる子供達の姿を見た堅は、酷く暗い顔をする。ぼそりと呟いた言葉は、仁とシオンの不安を刺激するのには十分すぎるほどの意味を持っていた。


「魔物と異世界人が邪魔をして、放牧も農業も岩壁の中でしかできない。土地もそんなに肥えていなくて、育つのは芋か一部の野菜くらいだ。森から食べれる草などを軍が採ってきているが、最近ではそれも満足に行えていない」


「野菜とかは日持ちさせれないし、海の幸に至っては収穫不可能。というより食料自体、今配給している分だけでも限界ギリギリなんだ。あ、見えてきた見えてきた」


 限界ギリギリということは、近い内に限界を超えるということ。そしてそれは、日本人が滅びるということを意味している。


(ううむ、上手いなぁ。てか、日本人全員の命とか言われたら断りにくいし)


(それでも死ぬくらいなら、俺は他を見捨てる)


(君がそうならいいけどさ。もう一人でのスカウト候補だよ)


 きっと、この会話の狙いはそこにある。辛く暗い現実を見せ、タイムリミットを匂わせ、同情を引かせる為の会話なのだろう。お人好し娘はそんな裏の思惑に気づかず術中に嵌り、泣き出しそうになっていた。


「一応言っておくが、五つ子亭をお勧めした理由がもう一つある。あの店は軍の人間でも、それなりに居心地がいいということだ」


「……まるで嫌われてるみたい」


「実際嫌われている。そのことを理解した上で、軍に入るか決めて欲しい」


(やっぱり嫌われてるよね。権力持ってる独裁者なんて。てかそれ、入らせたいなら言わなきゃいいのに。この人もしかしてただの真面目?)


 と、思っていたのだが、堅の開示したマイナス要素に仁は困惑する。先ほどの会話も同情を引かせる為のものではなく、ただ単に現実を教えてくれただけならば、少しフィルタをかけて物を見聞きしていたのかもしれない。


「軍に入るか入らないかより、今は目の前の五つ子亭に入って胃袋にご飯を入れるか入れないかでしょ?ほら、入った!入った!」


 環菜に誘われ、木製のドアを開け放つ。中からふわっと肉の焼けるいい匂いと、猥雑とした酒場のような雰囲気が漂ってきて、食欲を刺激する。


「あ!環菜さん!堅さん!いらっしゃいませ!お〜!新人さんです?ささっ、席空いてますんでどうぞどうぞ!」


 初めて味わう独特の空気に気圧された仁とシオンの前に、料理両手に現れて席へと案内してくれたのは快活なポニーテールの女性。その様子は通りで受けた恐れるものではなく、全力で歓迎しているといったものだった。


「お邪魔するね。菜花(なのは)ちゃん。この二人初めてだから、説明してあげてくれない?」


「はい、了解です!ではでは!当店のご利用は初めてとのことですので、注文方法をお教えします!」


「は、はい」


 オススメするだけあって、堅や環菜とも仲がいいのだろう。店員と客というよりは友達感覚でのやり取りを経て、菜花は仁達へこの店のシステムを説明し始める。


「メニューはお客様に指定された料理をお作りしますので、基本的にありません!時たま無理なのあるのはご勘弁を。でも、みんなで力を合わせれば大体できますので!」


「めにゅー?」


「お品書きねシオン。やっぱり五つ子亭言うだけあって、五つ子なんです?」


「あ、歳は一緒じゃないんですけど、五人姉妹でやってますので!ま、細かいことは気にしないでください!気にしたら負けです!好きに生きたらいいんです!あ、その布なんです?」


「わ、悪い、この布はその、細かいものだから、気にしないでください」


「分っかりました!ファッションということにしておきます!」


「ふぁっしょん?嘘?」


「嘘はフィクション。ファションはおしゃれね」


 どうやらこの菜花という人は相当にアバウトでロックで単純な性格をしているらしい。テンションについていけないシオンと仁は、ただ呆然と眺めるのみだった。


(ううむ。なんだろうか。すごい扱いやすいぞこの子)


 布の下は食欲を削ぐ顔面なので、彼女の単純な部分に助けられた。今の日本の現状を知ってこの明るさなら、菜花はとてもポジティブなのだろう。


「ではでは続きを!こちらは料理を出す代わりに、食材や物品を要求します。できたらあなたが食べたい料理の材料全て+αが揃っていれば良いのですが、おそらくほぼ無理でしょう!」


 例えるなら餃子や肉まん、海鮮系の食べ物のことだろう。餃子の皮や粉の配給まではやっているとは思えないし、軍人と民間人以外では各々の平等を期す為に、個人で品を変えるということもありえないはずだ。


「料理店は軍から特例として、多様な食材をある程度卸してもらっています。それらを使って料理をいたしますので、やはり個人よりは充実した料理となります!足りない食材の分は、他の物品もしくは軍の配給ポイントをお譲りいただく交渉次第でオーケーとなるのです!分かりました?」


「大丈夫です。ありがとうございました」


「さ、サー!」


 代わりに売り物として食べ物を出す店だけ、特殊な食材を配給しているのだろう。個人では作れなくとも、店に行けば餃子などの料理が食べれるように。


 単純で分かりやすい説明に礼を述べ、さて何を食べようかと手持ちの食材は何かと仁が考え始めて、あることに思い至る。


「お、軍らしい挨拶ですな!で、どんな食材をお持ちしているのです?」


「えっとっ!?あ……ごめん」


「いや、こちらこそ……」


(シオンストップ!俺君ナイス大胆!)


 シオンの天然さを忘れていた。虚空庫に突っ込もうとした手を握って強引にやめさせた俺に、僕は拍手喝采を浴びせる。


「シオン。さすがにここでは、な?」


 彼女が全ての食材を保存しているのは虚空庫の中。それを取り出そうとこんなところで魔法を発動させれば、騒ぎになるのは必然。何より虚空庫の存在が軍に知られたら、どうなるか分からない。


(ま、日本の常識と彼女の常識が違うから、仕方ないんだけどさ)


 きっと、その動作は彼女の日常に染み付いたものなのだろう。仕方がないといえば仕方がないが、仁の胃が削れるのでやめて欲しい。


「あれ?どうしました?鞄忘れました?」


「ああ、そんなところだ。代わりに俺と環菜が食材を出すから、四人前頼む」


「んー、料理はお勧めで。あ、二人とも苦手な食べ物ある?」


 頭に「?」を浮かべた菜花だが、これまた細かいことは気にしない性格が幸いし、簡単に話題誘導に成功。堅に鋭い目つきで睨まれたシオンが落ち込んでいるが、これくらいの罰は受けて欲しい。


「無さそうだからいいかな。で、これが代金の証明書。じゃ、お願いね」


「はい!あ、そうそう注意を忘れてました!環菜さんと堅さんのご友人ですからあり得ないとは思いますが、騒ぎを起こしたり食い逃げされた方は問答無用で出禁ですので!」


 環菜から野菜と肉、そして何かの紙切れを受け取った菜花は、髪を振り回して一礼。注意を残して、去っていった。


「軍に入って権力持ったって勘違いしたバカが色々周りに迷惑かけてね。すぐ魔物の餌になったけど」


「ま、うちのお店のお得意様であるお兄様からも、出禁は好きなだけして構わんとの許可出てますし!怖いもの無しです!」


「お兄様?一番上ですか?」


 特権と武力を持った人間の中で、それを振りかざす輩が出てくるのは人間の性なのだろう。しかし、会話の中で気になったのは馬鹿どもの分かりきった末路ではなく、許可を出せるほどの権力を持ったお兄様という誰かだった。


「いえいえ未来の、です!あ、誰かってそれは……あいだだだだだだだだだだ!?(くれない)姉さん!?」


「いつまで注文に時間かかっているの?忙しいのに……!あら、ごめんなさいね!では、ごゆっくり〜!」


 誰かを明かす前に、背後に立つ単髪の女性にポニーテールを引っ張られ、菜花は強制的に仕事に戻されていく。紅と呼ばれた姉の、怒りつつもお客様の前では営業スマイルを忘れないその精神、さすがは接客業で生きる人である。


「さっきの紅って子、一番上の姉でね。あとね、柊司令ってこの店の顔馴染みなんだよ?よく飲んでるし」


「……そういう、プライベートなことはあまり言わない方がいい。俺は好かん」


「あんたって本当に真面目よね。いいじゃないの。あの二人のことくらい、みんな知ってるんだから」


「ぷらいべーと?恋愛?」


「また微妙に間違ってるけど、今回ばかりは正解そうだ」


 もはや答えに近いヒントを散りばめた環菜に、堅は渋い表情で腕を組む。


 それにしても、お兄様の正体が柊司令だとは驚かされた。魔物でさえ逃げそうな程の風貌だと言うのに、日本を背負っているような人物なのに、とても身近で等身大な生き方もしていることも。


「あの人も、人間だよな」


(そりゃそうだよね。日本背負ってるんだから、たまには飲まないとやってらんないだろうね)


 特別な人間の生活までもが特別でないことなんて、普通のことなのに。


「あの、堅さんも環菜さんも、店員さんとすごく仲良いみたいですけど」


「ん?ああ。私達、戦友みたいなもんなんだ。軍ができる前にちょっと一緒に戦ったみたいな。ここも昔、基地だったしね」


「だから、あいつら五姉妹は軍人を嫌わない。軍がやりたくてやったわけじゃないって知ってるからな……あ」


「お?」


 そう言って堅と環菜は懐かしそうに店内を見渡して、何かに気づいたような声を上げる。釣られてみた彼らの視線の先には、熊がいた。


「お?おお?おー!堅の小僧に環菜の嬢ちゃんじゃねえか!奇遇じゃな!」


「蓮さん……おつかれさまです。非番ですか?」


「そうそう、今日はオフだ!いつもの娘らに会いに行かねばならんからな!ん?そこのマスクしてるやつと傷の子は誰だ?」


 蓮と呼ばれた熊、もとい無精髭が生え揃った巨漢が扉からのしのしと、こちらのテーブルへ接近してきた。


「新人を案内しているところです。布を巻いているのが仁、女性がシオンです」


「なるほど!新しい虎の子か!睡城(すいしろ) (れん)だ!これからよろしく頼むぞ!」


「虎の子?ど、どうも!?」


 がっしりと手を掴まれ、ぶんぶんと上下に揺さぶられる。握手というよりは、相手の腕を振り回すといった方が正しいような挨拶の仕方だが、悪い気はさせない。そんな印象を与える男だった。


「またそのうち、基地ですれ違うこともあるだろう!儂は用事があるんでな!お、ちょうどいい。茉莉(まつり)!いつものを頼んだぞ!」


「す、すごい人ですね」


(熊嵐)


 いきなり来て用件だけ済ませて、まるで嵐のようにテーブルから去っていった。今度は違う店員に料理のお持ち帰りを注文しているようだ。なぜ分かるかといえば、蓮が店内に響き渡るような声で話しているからである。


「お待たせしました!当店自慢にしてシェフのオススメ、オークの肉を使った野菜炒めとお冷です!どうぞ召し上がれ!」


 今日で何度目になるか分からない呆然に襲われていたが、入れ替わりにやってきた料理の匂いと色に仁とシオンは意識を取り戻す。


「あれ、オークの肉ってすごく硬くて食べにくいんじゃ」


「はいはい!その通りなんですけど、むしろそれを活かすんです!細かく小さく切ることで、独特の弾力が味わえるのがウチの売りです!」


「ほええ……なるほど」


(あのクソ不味い肉をねえ。塩味には飽きたよ)


 素材が分かったた僕はげんなりとしているが、料理の見た目も菜花の説明も、非常に食欲をそそった。


「いただきます」


 物は試し、食わず嫌いと一口、布を上げて箸で運び込んで、咀嚼して。


「う、美味い!?」


「でしょ?でしょ!看板メニューだからね!」


 オークの肉の味の記憶が、瞬く間に、鮮明に、全て塗り替えられた。


(まるでプチプチのように何度も潰したくなる、このたまらない硬さ!そして噛むたびに味わう達成感と溢れ出す塩味が野菜と絡まって美味いよ!)


 シオンの料理が整えられた味ならば、こちらはB級グルメらしい美味さといったところだろうか。しかし、そのどちらも勝るとも劣らず、方向は違えど美味しいことに変わりはない。


「うん……!美味しい!」


「ふふーん!あ、でも作ったのは厨房にいた紅姉さんなんだけど、また美味しいって言われたって伝えとくね!やばい。紅姉さん睨んでる。では、ごゆるりと!」


 布を何度もあげてがっつく仁とシオンの笑顔の感想に、焦りつつもニコニコと菜花は仕事へ戻っていった。


「お米が、欲しくなるな」


 彼女が去った後に仁が呟いたのは、とある願望。確かにこの料理、異様なまでに箸が進む。しかしそれゆえに、もしこの場に米があり、一緒にかっ喰らえたならどれだけ美味しいかと想像してしまえば、どこか物足りなく感じてしまう。


「さすがに今は無理だ。土地が足りなさすぎる」


「でもすっごい同意。もう少し開拓できたらいいんだけど、どうにもなんないのよね。魔物は無限に沸くわ。こっちの資源は有限だわで」


「だから、あのハゲがたまに酒の席で溢すんだ!いつかこの野菜炒めと一緒にご飯を食べてやるってな!」


「れ、蓮さん!?」


(熊!)


 熊嵐再来。突然現れた風呂敷を持った蓮に度肝を抜かれ、一同は口の中のものを吐き出した。


「い、いきなり来ないでください……」


「ん?すまんな。まぁ、気にするな!」


「あなたは気にして下さい」


 いきなり目の前に熊が現れれば、余りのインパクトに驚くのは当然の事である。


「あの、その、蓮さんってお父さんなんですか?娘さんがいるって」


「ん?あ?」


 俺、僕、環菜、堅がせっかくの料理が減ったと堅を睨みつける中、シオンがおずおずと手を挙げた。言葉が通じなかったのか、熊は数秒固まって、


「がっはっはっはっはっ!そうか!そう捉えられたか!違う違う!儂は独身、会いに行くのは色街の娘たちだ!」


「いろ……!?」


「まち……!?」


(いい街だね!僕行きたい!)


 溜めた声を爆発させる。店内のコップを震わせる大音量で笑い、これから行くのはそういうところだと告げた。そういうことに全く耐性のない仁とシオンは、理解すると同時に顔を真っ赤に染め上げる。


「……女遊びも程々にしておいたほうがいいと思いますが」


「なぁに!いいじゃないか!公務に差し支えなければな!」


「堅。この人には何言っても無駄だと思うよ。あんたがそういうの嫌いでも」


「じゃ、今度こそ行ってくるでな!あんまり堅すぎても生きにくいぞ!」


 蝶番が音を立てるほど壊れんばかりに扉を開けて外に出ていった嵐に、堅は複雑な視線で追いかけていた。


「……なんでそんなのあるのって顔、二人ともしてるけど、これも仕方のないことでね。配給がどうしても足りないって感じたら、そういう選択肢があって、この世界にはそういう需要もあるってだけ」


「俺もその、余り、好きじゃありません」


(俺君もお堅いよね本当)


 もしも女性が飢えたなら、軍に入るか身体を売るか、それとも死ぬかの選択を迫られるということなのだろう。それなら、一番死ぬ危険性の少ない道を選ぶことも、あり得ることだ。


「私も好きじゃない。だから軍に入った。あそこはある意味、この街の負の部分でもあるって思うくらい」


「……軍は取り締まらないんですか?」


 命懸けの状況だからこそ、出来てしまった異常な供給と需要。法がない今だからこそ、まかり通ってしまった闇と禁忌。法を犯した者を裁く軍人すら利用しているとなると、もしやこれはと疑ってしまう。


「軍絡みだって?確かに噛んでる部分はあるかもしれないね。あの司令、取れる利益は全部取るから」


「そう、ですか」


 関与を否定しない言葉に、仁の中でまた軍の評価が下がりそうになった。経験のない彼には、そういうことが神聖までとは言わずとも、愛する事だと思っていたから。青臭いような、純情のような、そんな価値観を抱いていたから、あまり良い良い印象はなかった。


「でもね。色街はある意味、救済でもあるから」


「どういうこと、ですか?」


「確かに、尊厳は売ってしまうかもしれない。でも、死んでしまうよりはマシって思う人はいるから、色街はできた。じゃ、色街を無くしたらどうなると思う?」


「えっと、あっ……」


 言われてようやく気付いた、色街の利点。死ぬよりはマシな選択肢に縋り付いた人間がいて、その選択肢を無くしてしまえば、残るのは死ぬ可能性の高い軍の道だけだ。


「今までそうして生きてきた人たちが、軍に入るしか無くなる。軍としてはいいかもしれないけど、やはり相当な確率で死ぬだろう。司令はその辺を考えて、敢えて選択肢を残すように作ったんだとは、俺も分かっている」


 だから軍は、選べる余地を残した。ギリギリまで耐えて生きる道か、尊厳を売って生きる道か、もしくは命を張って生きようとする道かを。


「あと色街を整備してから、性犯罪を始めとした犯罪が減少したんだ。余り言いたくないけど、世の男性の不満をぶつける場所ができたって面もあるんだとは思う」


 射殺される可能性のある性犯罪を犯すくらいなら、少しの対価を払って合法的な関係を選ぶのだろう。人として見れば、決して良いとは言えない。しかし、違う現実的な利益という側面から見たならば、色街の存在は良い方向に働いていた。


「必要悪っていうのかな。こういうの。あまり綺麗な正義にばかり囚われないほうがいいよ。悪いことじゃないかもしれないけど、利益だとか、それに救われてる人を見落としているかもしれないから」


 自分の価値観では間違っていると感じた物の、横から見た価値の衝撃に、仁はまた何も言えなくなってしまった。


「……二人とも、そう落ち込むな。俺もあまり良いものではないと思うし、必要でないなら絶対に撤去するべきとも思っている」


「ありがとう、ございます」


 かけられたフォローに、仁は感謝を述べる。先ほどはあんなに美味しそうに見えた料理だったのに、何故か今はあまり食指が動かない。


「せっかくの料理で悪い話しちゃったね。ま、気を取り直して食べよ食べよ!」


 そうやって環菜に励まされて箸を口に運んでも、仁はほとんど野菜炒めの味が分からなかった。












「わっ!すごい部屋!こんなにふかふかなんだ」


「うお。僕ヘトヘト……俺君は色々な意味で元気ないけどさ」


 五つ子亭から基地へと帰り、案内された仁とシオンの二人部屋。おそらく、今用意できる最高級の部屋だろう。ふかふかのベッドに柔らかいソファが疲れた身を誘惑してきている。


「あ、うん」


 普段の俺ならば、迷わずにダイブしていたに違いない。しかし今は事情が違う。


 今の日本の辛い現状を見て聞いて、痩せこけた人を見て、軍の独裁を見て、色街を聞いて、今の日本でも明るく頑張ろうとする人々を見た。その全てが仁の心を掻き乱し、迷わせている。


「……で、監視の人。ごめんなさい。できたら出て行ってもらえる?聞いてもらえないなら、軍に入る人数が減るかもしれないから」


「後、盗聴器と監視カメラも外してほしい。一つでも残っていたら、俺らは協力できない」


 シオンは壁に向かって剣を突きつけ、仁は部屋の中を見渡して、どことも知れぬ監視へと語りかける。


「……失礼しました。決して敵対の意味ではないことと、僕の意思ではないことだけ、分かってください。ああ!?今すぐ外しますから、剣向けないで下さい!」


「柊司令の命令か?」


(気の毒に)


 壁の向こうから聞こえた声は、段々と近づいてくる。開いたドアから入ってきたのは、二十代程に見える気弱そうな男性。


「はい。もし、バレるようなら丁重に謝って外せとも言われております……なんで僕が、という思いがかなりあるのが正直なところです」


(損な役回り、だね)


 男はペコペコと頭を下げ、監視カメラと盗聴器を外しだす。ベッドの下に、窓枠、タンスの隙間などなど、どうやら相当な数を仕込んでいたようである。


「暇潰しを兼ねて。参考までにお聞きしたいんですが、なんで分かったんです?」


「あなたの気配が壁の向こうからして、近すぎたから?」


「カメラと盗聴器は、部屋に案内されるまでにかなりの時間がかかったことと」


 外しながらの質問に、少し自慢気なシオンと不満そうな仁の声が重なった。


「見て、聞いて感じた柊司令の性格なら、スパイの可能性がまだ残されている俺らをまだ疑っていると思ったから、です」


 時間はまだ、最高の部屋を整えるためという言い訳ができるとしよう。しかし、取れる利益を全部取る性格で、なおかつ軍をまとめ上げ、街一つを支配するような頭脳と精神の持ち主なら、必ず仕掛けるはずだ。シオンの鋭敏な五感と、仁の疑い深い性格が功を成した。


「うーん。これは司令も苦戦しそうですね。切れ者は味方なら頼れますが、敵に回った時は厄介ですし」


「見抜けるかもテストしていたのですか?」


「さぁ、僕は知りません。あの人はずっと先と広くを見ている人ですから。はい終わりました」


 ふぅ、と一息つき、額を拭う仕草をした男。おそらく見抜かれる可能性も想定していたのだろう。取り出した布製の袋の中に、手早くカメラと盗聴器を放り込んでいく。


「そうですか。分かりました。頼むから外し忘れ(・・・・)だけはないようにしてください」


「……やっぱり扱いにくいですね。もうちょっとかかるんで、ごめんなさい」


 今度ばかりは確信のなかったカマかけと知らず、男は見事に引っかかってくれた。しかし、今度彼が外した監視カメラと盗聴器の位置は、実に恐ろしいところだった。


「警戒も最高の待遇ってわけか」


 なんとダブルサイズのベッドの支柱の天辺。木にしか見えないそれを男はポンッと取り外して、袋の中へ。


「……今度こそ無いんですよね?」


「流石にこれ以上仕込んでると、もう依頼をお断りされかねないってことで無いですよ。いや、これ絶対約束しますから!」


 想定外すぎる隠し場所に仁は顔をひくつかせるが、男はいやいやと手を振ってそれを否定。


「僕としては、貴方達を信じたいですから。ま、今回ばかりは僕らの負けです。では、監視の交代の者にも引き継ぎしとくんで、これで」


 パンパンに膨れ上がった袋を重そうに抱えた男はそう言い残して、扉から出て行った。


「さて、じゃあ仁。お話、しましょうか」


「……ん」


 いつになく真剣な声のシオンに、仁は布を外して、ゆっくりと頷いた。


『柊 末』


 軍の総司令にして、この街の支配者。法も秩序も無くなった世界で、法と秩序を創り直した怪物。もし生まれるのがもう少し早かったなら、数万人を殺す虐殺者か、数万人を救う英雄のどちらかになっただろう。


 独身。禿げた額に残る大きな傷跡の恐ろしさが、まず目を引く。鋭い目つきに眉間のシワ、不機嫌そうな表情が合わさって、初対面の相手に怖さを感じさせる。


 元自衛隊所属。混乱初期、門から入ろうとする魔物を迎撃する部隊を、親しかった者や正義の心を持っていると判断したメンバーを集めて設立する。日々魔物に銃を向けていたが、終わらぬ日本人同士の争いにこのままでは内側から滅びることを予測。


 宣戦布告と同時に勢力争いに参加し、電撃戦と情報操作、飴と鞭、裏切りや暗殺によって瞬く間に軍を作り上げる。以降、彼は総司令という最も権力のある椅子に身体を預けている。そして数々の名案を生み出し、指揮をし、策を張り巡らせ、力を見せつけて、この街を今日この日まで存続させてきた。


 普段は冷静沈着冷酷無比そのものだが、好物を食べている時、友人と話す時は感情を見せてしまうこともしばしば。


 配給を操っている、色街の裏の首領、肉をたくさん隠している、贅沢な暮らしを送っているなどなど、黒い噂は絶えない。


 好きな食べ物は白米と野菜炒め。昔はタバコを吸っていたが、あの日を機にやめた模様。


 例えやり方は汚く、間違っていたとしても、それでも守りたかった一人の男のお話だ。

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