第37話 尋問と酷似
「尋問?系統外?」
「はい、そうですよぉ?二人とも忌み子にしては不自然な点が多いのでぇ、それをお聞きしようかとぉ、ねぇ?」
今までのお嬢様のような「ですます口調」とは打って変わった、わざと語尾を伸ばすような声が耳に空に響く。聞こえているはずなのに、分からなかった。彼女が何を言っていて、いや目の前の女性がイザベラなのかすら。
「どういうこと?」
「あらぁ?まだ分からないんですかぁ?あなたは騙されてたんですよぉ?理解の遅い忌み子は特に嫌いですっ」
「んっ!?」
強化された手で口を塞がれ、首の浅い傷口の上をもう一度ナイフで丁寧にゆっくりと、なぞられた。傷を新しく塗り替える痛みに、仁は声にできない呻き声を上げる。
「そもそもぉ、おかしいとは思いませんでしたぁ?偶然?あんな辺境の森の中でぇ?」
「ぐっ!?」
「偶然?忌み子が捕まりかけててぇ?」
「〜〜!」
「偶然?そこにあなたたちが通りかかってぇ?助けるぅ?」
「ッ……!?」
「この時点でぇ、もうおかしいでしょう?なんで気づかないんですかぁ?まぁ気づかれてたら困るんですけどねぇ。でもせめてぇ、違和感くらいは覚えられるかと思ってましたぁ」
言葉の切れ目ごとに喉を刻まれ、なぞられる傷口と痛みに視界が明滅した。僕の人格がある程度肩代わりしてのに、それでもまだなお痛い。
(ごめんね。堪えるのに精一杯でちょっとキツイかも。ちょっと痛みも漏れるかも知んないし、お話も難しいかな)
(サンキュー、僕……もう少し頼む)
彼女の言葉も一区切りつき、ようやくナイフは止まった。でも、状況は変わらず悪いままだ。
(なんで、気づかなかった)
迂闊だった。言われて考えれば十分に不自然だ。あれほどの偶然が重なり合うことなど稀ではあるが、無くは無いのだ。その稀の確立を引いただけかと思っていた。ロロの言う通り、偶然を受け入れてしまっていた。
そんなのただの思い違いで、全ては作られた必然で、偶然なんか無かったというのに。
例え黒髪へと姿を変える、いや姿を偽装するような系統外など思い浮かばなくても、違和感を覚えるべきだった。
その結果がこのざまだ。騎士団の女のハニートラップに引っかかり、首を抉られるという実に笑えない状況。
「なぁに終わったような顔してるんですかぁ?まだまだありますよぉ?」
「やめっ……うが!?」
止まっていたのはただの休憩に過ぎない。イザベラが制止など聞くわけもなく、傷を更に刻み、深く掘り進めていく。何度も何度も、刃を刃を突き刺しては引き抜かれるような痛みが繰り返して繰り返して、終わってくれない。
「まずこんな簡単にぃ?女性が身体を開くとでもぉ?どんな脳をしているのやら興味がつきませんわぁ。あとで開いてあげましょうかぁ」
「がばっ……はなっ、せ!」
「あら、綺麗……」
血がもっと出るようにと、首を軽く絞められる。呼吸のできない苦しさにむせかえり、開かれた傷口が脳へ痛みを突き刺す。ごっぽりと音を立てて血が小さな噴水のように噴き出し、イザベラの唇を点で彩った。
「はい、ダメで〜すぅ。尋問を続けますっ。危機的状況を救われて惚れる……ありえますけどぉ、少なくともおまえのボロッボロの顔ではないですねぇ。こうやってお化粧したらどうですぅ?少しはマシに見えますよぉ?」
「やめっ……!」
位置のずらされたナイフに、顔の矢傷と火傷を抉られる。血が頬を赤に染め、それは醜いお顔を隠すお化粧だと彼女はコロコロと笑い、嗤った。
「自意識過剰もいいところですぅ!冗談は鏡に映った醜い顔を見てから言ってくださいよぉ?そこらのゴブリンにも劣るその顔を、ねぇ?」
苦しみと痛みに霞む世界の中、仁は彼女の言葉をその通りだと思った。
焼けただれた皮膚に、大きな矢傷。夜道で出くわしたなら、化け物扱いされて逃げ出されるような面。シオンが普通に接してくれるから、好意を持ってくれていたから、自分自身さえ異常だということを、忘れてしまった、醜い、顔。
「本当、その顔で俺に惚れるのかって疑われないか心配で心配でぇ……でも予想以上に馬鹿でぇ?なんていうんでしたっけ?私、民族語には疎いんですけどぉ、確かナルシスツ?で安心しましたわぁ」
こんな醜い顔の男に惚れる物好きなど、この世に二人もいるわけがないだろうに。その一人も常識を知らないのと、顔に傷がつく前からの付き合いと、偶然と、弱みに付け込んだだけだというのに。
でも、その一人がいたからこそ、仁の疑いのハードルが低くなってしまった。
「くそが……」
この馬鹿な男は、何を自惚れていたのだろうか。思い上がりも甚だしい。生まれたばかりのひよこが初めて見たものを親と勘違いするような出来事で、自分の評価も勘違いするなんて。
「今夜だってぇ、私が武器を持っている可能性について考えもしなかったみたいですしぃ……知ってます?男女が夜を共にするというのは、最上級の信頼と愛の証なんですよぉ?それをまぁまぁ軽く見て、実に汚らわしいですわぁ」
ハニートラップの時だって、疑いを欠片も持たなかった。どこにも刃物を隠していないからと、油断した。いや、そもそも刃物のこともハニートラップのことも頭になかった。
日本の常識では考えられない、虚空庫という他の誰にも見つからない最高の隠し場所があるというのに。
「勘違いしないでくださいねぇ?本当に感謝してるんですよぉ。こんな馬鹿が相手で、やりやすいったらありはしませんでしたから、ねぇ?もう少し時間をかけるつもりだったんですが、手間が省けましたぁ」
ああ、実に愚かだ。目の前の女の色気に惑わされ、シオンの信頼と好意にこの世界の本当の姿を見失った仁は、実に愚かだ。
(前も、こんなことあっただろうが……)
ある少女との旅路の果て。信頼し、守ろうとした彼女に裏切られ、殺されかけ、殺したこと。
(……人なんて、簡単に信じていいもんじゃねえんだよ!なんで学ばない……このぬるま湯野郎がっ!)
あの時と酷似した状況にまた陥っている自分に、怒りが止まらなかった。人なんて、どうせそうだ。簡単に信じてはならない。裏切られるくらいなら、信じないほうがマシだ。
(この世界は狂ってて、おかしくて、理不尽で、その世界の住人みんなが狂ってて、信じちゃいけないって……教わったろ?)
信じれば、裏切られる。信じなければ、裏切られることもない。そう分かっていたはずなのに、なんで会って一日の人間なんかを信じた。
(……例外なんて、そういるもんじゃないってのに)
でも皆が狂っていて、その狂い方が一人一人違うのなら、例外的な狂い方をした者もいる。もし信じるとしたら、裏切りさえないと思えるほどの例外でないといけない。それこそ、仁の為に命を捨てようとする人物でないと。
イザベラは仁の愚かさを嗤いながら、お礼だとナイフを重なるように、まるで恋人を撫でるかのような愛おしさを込めて、振るう。薄く、繰り返し愛された傷はついに深きに達し、ぱっくりと空気の穴を開いた。
「切り過ぎて喉が開通しちゃいましたぁ?あら、これはこれはぁ……うふふ……ごめんなさい。さっき言ったこと、訂正しますわぁ」
空気さえ漏れ出し、呼吸は危うくなるほどに。余りの苦痛と苦しみと自分への怒りと絶望に歪み、涙を流した表情を見たイザベラは、
「ああ、その顔……たまらなくたまらないですぅ!私、忌み子の涙とかぁ、絶望とかぁ……そういう苦しみに沈んでいくような表情が、だぁぁぁぁいすきなんですよぉ……今の顔はとても、いいですねぇ。自信を持つことを許してあげますわぁ」
出会ってから最大の愉悦。忌み子を屈服させ、その命を掌に握り、弄ぶという快楽に顔を歪ませ、上気した頬を抑えて身を震わせた。唇の血を舐めとった表情は、愛しい男性との愛瀬を楽しむ花のような表情そのもの。
「はぁい、ご褒美も兼ねて治してあげますねぇ。喋れないと尋問できませんからぁ。さて質問です。あの女の忌み子は何者ですかぁ?」
「……し、知らない。魔力を持っていて……剣技がすごくて……」
「ふむぅ……」
今度こそ止まったイザベラの手に適当な情報を並べながら、この場をどうするかという思考を開始する。
(動くのは無理だ)
(……っ、だよね。迂闊に動いたら首チョンパだよ)
不意をつき、イザベラの身体を強化で跳ね除けることも考えた。だが、その程度のことを騎士である彼女が予想していないわけがない。何より失敗成功に関わらず、首元のナイフが危険すぎる。
「後は」
(となると、シオンを呼ぶか待つのが得策……)
「今、シオンさえくれば〜なんて思ったでしょ?余所事を考えた罰ではい、どうぞっ」
「がはっ!?」
「あなたの顔、ボロボロなのに分かりやすくて面白いですねぇ?表現力は素晴らしいですよぉ?では次の質問。あなたはなんでぇ、刻印を知っているんですかぁ?」
傷口を再び開け、中の筋肉を薄く切り取ってから治癒で傷を閉じる。刃に器用に乗せた筋肉の繊維を、仁の顔にバターのように塗りつけ、イザベラは笑い続ける。
「……刻印が、どうした?シオンさえ、来ればお……まえなんて」
「開き直っても無駄ですっと。確かにあの小娘は強いですけどぉ、あれぐらいそこら辺にごろごろいますしぃ、私でも倒せるくらいですよぉ?」
「はっ?」
ばれたものは仕方がないとシオンを脅しに使ったのだが、返ってきた予想外の言葉の内容に凍りついた。そう、イザベラはシオンより強く、それぐらい普通だという内容に。
シオン級がごろごろいるなど、タチの悪い冗談か何かだろう。そして何より、目の前のイザベラが、あのシオン以上の強さなど到底信じられない。それほどまでにあの少女は、仁の中で強い存在だった。
「冗談、やめろって……試して、やろうか?」
「精一杯の強がりと時間稼ぎ、ありがとうですぅ。いいですよぉ?呼んでみてください。叫んだりした暁には、約束通り天国へとご案内しますからねぇ?試してみますぅ?助けを呼べるかどうか、をねぇ?」
虚勢も時間稼ぎも見破られ、意味すらないと切り捨てられた。まさにその通りだ。仁が助けを聞きつけたシオンが駆けつけるのと、首元のナイフが喉を掻っ切るの、どちらが早いかなど明白である。
しかし、仁の首が切られる方が早いのは、
「いいわ。試してみましょうか」
「っ!なんで!?」
「「シオン!」」
仁がシオンを呼んだ場合で、呼ばれずに来た時は含まれない。暗闇から聞こえてきた少女の声にイザベラは苛立ち、仁は対照的に安堵の表情を浮かべる。
「二人ともいないから、探しに来たら……」
土の壁を魔法でこじ開けたシオンが、イザベラ目掛けて放ったのは高速の刺突。完璧に不意をついた形となった鋭い一撃であり、今から虚空庫から武器を出して受け止める暇も、障壁を展開する暇もないほど、イザベラへと迫っていた。
武器も障壁も間に合わない、だから女騎士は、
「しょうがないですわぁ。盾になってください」
「ちょっと待っ……げはっ!」
組み敷いていた仁を盾にするという選択肢を選んだ。
最小限の動作で立ち上がり、少年の首元を強化で掴んだまま体を反転。掴まれた拍子に傷口が押し潰され、痛みで閃光の飛んだ仁の視界真ん前に、銀剣が迫る構図に。
「仁!?」
「あらぁ、斬らないのですぅ?」
仁を盾にされ、慌ててシオンは慌てて剣を引く。皮一枚以外貫く事はなく、そのまま地面に倒れこむはずだったのだが、
「ならぁ!私が代わりに斬ってあげましょう」
「……っ!?」
「うっ……があああああああああああああああああああああ!?」
「あら。浅かったですわぁ」
予告の言葉にシオンが腕を掴んで引っ張るも間に合わず、ナイフが仁の背中の皮膚と筋肉を大きく張り裂いた。
「使えない盾はぽいっと。なんであそこで乱入できたんですかぁ?ああ、男女の営みを覗こうとぉ?お子ちゃまだから興味があるのは結構ですが、あまりいい趣味ではないですねぇ」
「大丈夫……血は出てるけど傷は臓器には達してない。これなら」
「あらぁ、図星で聞こえないふりですかぁ?」
血が吹き出た盾を捨てたイザベラは虚空庫から剣を引き抜き、戦闘態勢に。先の身のこなし、剣の構え、どれを取っても傭兵崩れなどに遅れをとるようなものではない。
「そんなことはどうでもいいの。仁、あんまり見聞きしないで貰えるとありがたいのだけど、ごめんね」
「……がはっ……何を……」
シオンは壁へと丁寧に放り投げた仁に、変わったお願いをする。しかし少年はその言葉の真意がわからず、痛みも相まって混乱するばかりだ。
「なら、いいわ。でもできたら……私のこと嫌わないでね?」
「何を言って」
「本当なのですよぉ……顔に剣を押し当てて何を口走ってるんですかぁ?自害なら大歓迎ですけどぉ」
剣を顔、いや、頬の傷跡に剣を向けたシオンに、仁だけではなくイザベラまでもが、警戒を解かないまま戸惑いの表情を浮かべていた。静寂が落ち、そして、
「んっ……」
「……どう、して?」
「戦う前から怪我を?しかも自分でぇ?馬鹿の極みですわぁ」
少女は自らの頬を銀剣で貫き、口内に鋒を侵入させた。どこか息を荒げた、歪んだその表情はまるで、
(何かに怯えてる?)
とてもとても怖いものを見たかのような、思い出したかのような、まるでオーガにトラウマを植え付けられた仁のような。
(なんか、シオンじゃないみたい)
僕がそう思った頃には、彼女は剣を引き抜いていた。その顔に血の色はあれど怯えの色はない。しかし纏う雰囲気だけは、海のように重たく恐怖のように暗いものへと変わっていた。
「ふぅ……行くわ」
「いらっしゃいませぇ〜おバカさんっ」
頬から血を垂れ流した彼女は、再びイザベラへと斬りかかる。が、騎士も今度は万全の態勢であり、
「やるのね。仲良くなれそうだっただけに悲しいわ。本当に、悲しいわ」
「あなたこそぉ、想像以上ですわぁ。私は嬉しいんですよぉ?忌み子を同じ日に二人も殺せるなんてぇ……さいっこうですぅ!今まで吐き気のするような演技をぉ、我慢した甲斐がありましたぁ」
鋭い上段からの振り下ろしを、イザベラはナイフと長剣を顔の前で交差させて受け止めてみせた。仁ならあの一撃で武器ごと斬られているのに、これが技術による角度の違いか。
シオンはイザベラが受け止めた事に、イザベラはシオンの技の鋭さに驚き、剣を挟んで互いを賞賛しあう。豹変したイザベラはともかく、シオンの口調もどことなく刺々しい聞き慣れないものへと変わっていた。
「そう?でも、私も仁も殺せないから、今日はあなたにとっても最低の日ね。あと間違えないで。俺と僕と私の三人だわ」
「これはとんだ失礼をぉ。三人とも絶対に天国へ送りますわぁ」
そんなのは小休止だと、再開される暗闇の中の剣舞。壁にもたれかかった仁には、剣が飛ばす火花と反射した軌跡を目で追うのが精一杯だ。
しかし、暗視の魔法を持つ彼女達の目には、真昼のように見えているのだろう。
「大道芸かしら?お代はいくら?」
「お代はあなたのお命で結構ですよぉ?」
散らした火花が照らす、シオンとイザベラの剣技。少女が相手の手首を斬り落とそうとすれば、女騎士はその剣技を分かっているかのように長剣を回転させ、柄で弾いてみせた。
「そーれぇ!」
そこでイザベラは終わらず、下を向いた刃でそのまま脚を切り取らんと突き立てる。
「ごめんなさい。その芸にそこまでの価値は、ないわっ!」
「っ!?口も足癖も悪いですねぇ。両親に習いませんでしたぁ?」
「習ったわよ。全部」
対するシオンもイザベラの次の動きを分かっていたかのように、土魔法で強化した脚で剣を蹴り上げて、凌ぐ。
「……遠いな」
僅か一秒と少しの間に交わされた、濃密な殺し合い。仁だったら二手目で敗北しているその戦い。そもそも暗視が使えない時点で、戦いの舞台にすら上がれない。彼女たちの戦いを暗い視界で見て、血とともに言葉を吐いた。
「無力だなぁ……うっ……ぐっ」
痛みで脳が邪魔をされ、ろくに出来事を考えられない。身じろぐ度に、傷に押し付けられた土が痛みを増幅させ、声にならない悲鳴が上がる。それでも、暗くて見えづらくても、戦いから目だけは逸らさなかった。シオンのお願いであっても、この戦いは到底目を逸らせるものではなかった。
「お連れさん、辛そうですよぉ?ほらほら、早く助けないと天国へ逝っちゃいますよぉ?」
「あなたこそいっぱい斬られて辛そうで、先に天国へ旅立ちそうだけど大丈夫?」
「……余計なお世話ですわぁ」
揺さぶりをかけたつもりが逆に煽られたイザベラの声のトーンが下がり、眉がぴくりと動く。一方、シオンは魔物と戦う時と同じ顔で剣を振るい、土魔法で槍を生み出し、攻勢の手を緩めない。
「しっ……!」
「しぶといですぅ!」
急所を狙う軌道と防ぐ軌道が重なり合い、刃は刃を削る。一撃擦れば命をが消える、一手でも一歩でも間違えれば死に至る、高速の剣と剣のぶつかり合い。
「あれも、習った通りだな」
そして足元や壁で交わされる、互いの土の造形魔法の槍と槍の砕き合い。魔法障壁に当たれば弾かれる、一見無意味に見える裏の戦いは、非常に重要だった。
「手も足も槍も全部、あんなに動かしてるのか」
物理一択のみで攻撃する最中に相手に物理障壁を貼られると、こちらの攻撃が弾かれて大きな隙ができる。相手の障壁の種類の固定のために、この裏の戦いは必須なのだ。
恐ろしい技術と経験と知識を持った二人の化け物は止まることはなく、互いに真剣な顔で、今までの弛まぬ努力と剣気を吐き出し続けている。
更に、仁が技術以外に驚いたもう一つ。
「シオンが、本気で急所を狙ってる?」
あの心優しいはずの少女が、確実に相手を殺す気で剣を振るっているように見えたこと。見間違いか、それとも本気か。剣の腕がひよっこの仁の勘違いかは分からない。
「俺君、それだけ手を抜けない。げほっ……相手なんだろうさ。あー、痛い」
「でも、シオンのが優勢じゃないか?」
僕の言う通り、彼女達の剣技はどちらも卓越しているものだ。しかし、そこには歴然とした差が存在している。シオンもイザベラも致命傷は負っていないが、全身についた小さな傷跡の数の差が、剣技の差も物語っていた。
「……気のせいですかねぇ。見覚えのある剣技なのですけどぉ」
「奇遇ね。私もっ、だわ!」
そして剣が物語り、素人の仁が気づかなかったもう一つのことに、二人は気づいていた。
シオンが首を狙えば、イザベラも首を狙って動き、その次に脚を狙えば、相手も同じように動き。障壁魔法は基本的に魔法障壁で、土の造形魔法を好んで使う戦い方も、また同じ。
細かい動きに差はあれど、狙う箇所や大まかな戦法はほぼ同一。故に、互いに相手の動きが手に取るように読めてしまい、技の差が如実に表れることとなった。
「修練が足らなかったわね。私の勝ちよ」
「虚勢で勝てるなんてぇ、言わなければよかったですわぁ。火が出るほど恥ずかしいですぅ。……それにしてもぉ、その剣技の冴え。あなた……」
数十秒に及ぶ戦いの決着。長剣とナイフが弾き飛ばされ、銀剣と魔法で創成した土の剣が首に押し当てられた。妙な動きをすれば、その動作が意味を成す前に、シオンがイザベラの首をはねるだろう。
しかし、絶体絶命であるというのに彼女は恐れの欠片も見せず、余裕ぶった態度を一切崩さない。
「やっぱりあなた、私のことを知っているのね」
「心当たりが一つだけ。まさか、まだ生きていたとは驚愕の極みですぅ」
その態度の中に含まれる、ある情報に少女は最後の手を止めた。
「シオンのことを、知っている?」
情報が聞こえたのは仁も例外ではなく、彼女達の話に耳を疑うばかりだ。なぜシオンのことを知っていて、イザベラは仁に何者と問うたのか。そもそもなぜ、彼女はシオンのことを知っているのか。
「最初に気づくべきでしたわぁ。女の忌み子でこんなに強いのなんてぇ、そうそういるもんではなかったですよぉ。名前まで知らなかったのが痛恨でしたぁ。てっきりぃ、『黒髪戦争』の隠し子かと」
「私も気づくべきだったわ。そう簡単に忌み子と巡り会えるものじゃないって。でも、ここまでよ」
痛みと苦しみと疑問が頭の中をぐるぐると回る仁を置いてけぼりにする二人の会話は、今度こそ終わろうとしていた。
「し、シオン?人を殺せる、のか?」
そのことに気づいたのは、剣を今一度首に押し当てたシオンが最後の角度調整を終えた時。それは今までの彼女を見てきた仁にとって信じられない光景で、そして真実だった。
「仁は、知らなかったね。私もう、何人か殺めてるの。もうこの手は、赤いから」
「……!?嘘」
「ごめんね。嫌われると思って、言えなかった。今からのことは、本当に見ないで欲しい。じゃあ、今度こそ終わりよ」
どうしても聞きたくて絞り出した声の問いの答えは、今までのシオンの像とはかけ離れたもの。寂しげな笑いだけが、いつもの彼女だった。
イザベラに訪れるであろう最後の瞬間、仁はシオンが剣を振り下ろすのをただただ見ていることしかできず、
「ええ、終わりですわぁ……ねぇ?」
「誰!?」
「ほらぁ?恥ずかしくて火が出そう、って私、忠告したでしょう?」
そしてイザベラへのトドメは、背後から撃ち込まれた炎魔法によって防がれた。
「嘘っ!?音も気配も何もなかったのに!」
「あらあらあらら?私に手一杯でしたぁ?」
「違う。隠密系の系統外?」
「お、おまえは!」
いつもならば絶対に気付けたはずの距離に、シオンはある答えにたどり着く。その系統外の使い手は、仁も見覚えのある男だった。
「いやぁ、すまない。昨日見逃してもらって悪いのですが、これも任務でして。恨むのなら好きに恨んでください」
「傭兵崩れでも騎士崩れでもなく、本物の騎士だったのね。あの場でもう少し傷をつけていればよかった……!」
振り向いたシオンの目に映るのは、昨日お頭と呼ばれ、イザベラを襲ったフリをしていた大男。鎧を着込み、剣を握ったその出で立ちはまさに騎士。
「そういうことです。リリィ副団長、この洞窟の包囲完了いたしました」
「アバル、ご苦労様ぁ。昨日の演技以外は百点満点ですよぉ。今時の悪党はもう少し品がないですからぁねぇ」
よく考えれば分かる。簡単なことだ。イザベラが偶然を作ったなら、その偶然の要素の一つである傭兵崩れも作られたものであったことなんて。
「申し訳ありません。盗賊の役などしたことがなかったので」
「そんな気にしないでぇ。冗談よ?さぁて、逃げ道はないそうなのでぇ……とっとと投降してくれることをお勧めするわぁ。投降してもしなくても、殺しますけどねぇ」
シオンが振り向いた隙をついたイザベラは、自身へと押し当てられた二つの剣を魔法で弾き、拘束から抜け出した。逃げた先で煌びやかな金の髪を振りかざし、無意味な降伏をお勧めする。
「しない」
「するわけないわ」
だが、答えは当然ノーだ。仁もシオンも万人も、諦めて死ぬよりは、僅かでも助かる可能性のある悪足掻きを選ぶ。
「しかし、いくらあなたが強いとはいえ?騎士の包囲をぉ、そこの足手まといを引き連れて突破するのは不可能ではぁ?あっ、足手まといを捨てて突破ならぁ、可能性はありますねぇ」
「そうね。突破は厳しいかもね。でも、仁を捨てる気もさらさらないわ」
「でもそれじゃあ、僕も俺も君も死ぬよ?」
「……」
例え悪足掻きを選んでも、その可能性は絶望的だった。ほぼ動けない傷を負った足手まといを担いで、人外の騎士の群れを突破する?それこそ奇跡だ。
それでも自分を見捨てない少女に、無力さに、俺は奥歯を噛み締め鳴らした。包囲網を切り抜ける方法を必死に探そうとするが、仁には一点突破くらいの策しか思いつかない。元から無理難題、なのだろう。
「だから私、突破をしないでみんなが助かる道を選ぶわ」
「はぁ?そんなのどうやってここから出……まさか、いつの間に?」
難しい奇跡を簡単なものに変える、発想の転換でも無い限り。
「あなたが仁をいたぶり始めたのを、最初から見ていた私がなぜ突入しなかったか、分かる?答えは」
頬に赤インクをぶちまけられたかのようなシオンが不敵に笑い、仁の側へ。そして、
「逃げ道を確保してたのよ」
「っ!?やつらを捕まえろ!」
イザベラの怒声が響くより早く、シオンは後ろの土の壁に開けた大穴に仁をひっつかんで飛び込み、その先に続く空洞を最大速で逃走を開始した。
「さっすがシオン……」
洞窟の出口は片側にしかない。その出口だけを包囲しているのなら、新しい出口を作ればいい。無茶苦茶であり、どれだけの距離を掘るかも分からない逃走方法。しかしそれも、シオンの魔力量ならきっと不可能ではない。
「油断した、のですよぉ!」
イザベラ達が追従しようにも、シオンが通った端から空洞は魔法によって埋められていき、一歩ごとにいちいち魔法で穴を開けていかなくてはならない。
「あんのっ化け物ぉ!」
その作業にかかる魔力量は莫大とまではいかずとも、十分に多い。イザベラ達にシオンと同速度での追跡は不可能であった。
「まさか行き止まりの洞窟の反対側まで穴を開けるなんてぇ……本当に馬鹿げてますわ!必ず捕まえて、団長の前にもう一度引きずり出してやる……!」
捕まえると口にしたものの、イザベラは頭では分かっていた。自分達では足手まといを抱えたシオンに、追いつくことはできないと。
「リリィ副団長。我らが忌み子を引きずり出す必要はないかと」
「アバル?あなたが冗談とは珍しいですねぇ……ああ、なるほど。そういうことですかぁ」
それでも洞窟を掘り続けるイザベラに、盗賊役の大男、アバルが声をかけ止めた。最初は訝しげに振り向いた彼女であったが、彼の瞳を見て言いたいことを察したのか途端に笑顔に。
「全く、あのお方には敵いませんわぁ……さて、忌み子を追尾しましょう。おそらく大丈夫でしょうけどぉ」
先の怒りは何処へやら、イザベラは恍惚とした笑みを浮かべ部下を連れて、正しい洞窟の出口へとスキップで向かっていった。
「仁、背中大丈夫?」
「なん、とか意識はある」
人工の空洞を一気に駆け抜ける最中、シオンが傷に施した応急処置の様子を不安げに聞いてくる。以前の仁は女性に背負われるのを恥ずかしがっていたが、掴む箇所や心構えなど色々ともう慣れてしまった。
それに事態が事態である。そんな浮ついた理由での緊張はなく、ただ命の危険という緊張だけが仁の心を占めていた。
「ごめんね。治癒魔法は強化を使っている間使えないし。もしイザベラに追いつかれたら厄介だから」
「血は止まっているから。大丈夫、だ。変な感じだけど」
シオンが行った応急処置。それは、傷口に魔法で氷を作り強引に塞ぐというもの。
「少し冷たいけど、それより痛くて、熱くて……んっ。ジンジンしてる……」
皮膚に張り付いた氷が痛いほど冷たいことより、斬られた痛みが熱を持って暴れていることの方が問題だ。
「もう少しの、辛抱だから……!」
削岩と逃走を止めたシオンは、ただひたすらに先の一点を貫くタイプの魔法へと切り替えて、いくつもの小さい穴を開けていく。この間に仁の治癒を並行しておくことも忘れない。
「なにを……?」
「開けた穴から空気が流れ込んでくるでしょ?それを風魔法で読み取って最短の出口を探しているの」
「ははっ。理解できないや」
仁から見ればぶっ飛んではいる、しかしシオンならばできなくもない方法。彼女がこの世界で生き残れた理由がよく分かる、馬鹿げた魔法の使い方だ。
「うん、近いわ。どうやらここ、昔の人が作ったお墓の一部みたいだから、そんなに壁は厚くない。大丈夫。仁は助かる」
「助からない、と俺が困る」
「その昔の人に感謝だよ。ありがたいねぇ」
読み取った距離と傷口の具合から、シオンは仁へとエールを送った。山脈を突き抜けるような距離であったなら、危なかったかもしれない。
少年の傷は範囲が広く、一部に至ってはかなり深く切り刻まれていた。最大の不安は出血量であるが、今のところ簡易的な止血で凌げてはいる。少なくともゴブリンに襲われた時よりは、まだマシだろう。動くのは無理だが、すぐに死ぬというほどではない。
「それ以上に危ないのは、彼らに追いつかれること、だから治癒はもう少し待ってね。飛ばすから」
「ほいさっさ」
前方への道を確保し、今までの強化のギアをもう一段階上げて出口へ向かう。その速さに仁は、彼女の背中に必死にしがみつくことしかできなかった。
「仁、しっかり掴まってて!」
「これ、以上?」
そしてついに、小さな穴から漏れ出る僅かな光が見え、
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
彼女は銀剣で土を切り裂き、月明かりの元へと躍り出る。
「やった!」
仁とシオンは洞窟からの脱出に、イザベラを振り切ることに成功したのだ。
「もしやと思ったが、久しい顔だ。生きていたとはな……シオン?鍛錬は積んでいるか?」
「ッッッッッ!!」
それはあくまで洞窟とイザベラからの脱出で、包囲からの脱出ではなかったのだが。
顔に深い皺の刻まれた壮年の騎士が、月光に銀の髪をなびかせて、洞窟を出たばかりのシオンへと斬りかかった。
まるで知り合いのように、親しい者のように、気軽に挨拶を交わして。
『イザベラ・リリィ』
旅の最中に助けた忌み子イザベラの正体。それは『認識を変更する』系統外の持ち主にして、カランコエ騎士団副団長、イザベラ・リリィである。
年齢は三十歳。普段の姿は金髪碧眼、豊かな母性溢れる身体つきの美人。しかし、これも本当の姿かどうかは分からない。
理由は、彼女の持つ系統外が常時発動してしまう為。つまり、『系統外を無効化する』もしくは『真実を見る』などの系統外がない限り、彼女の素顔を見ることは叶わないのだ。それはイザベラ自身も例外ではなく、かつての自分の映像を保存した魔法を見て、多分今はこんな感じだろうと毎朝作り直している。
変更できる対象はあくまで自分のみであり、変えられる範囲はあくまで人。魔法陣を持っていないのに、さも魔法陣を持っている自分に変更することは可能。しかし、石や別の動物になることは不可能。また、見た目以外にも触覚や匂いまでも変更することが可能。触っていないのに相手に触ったと誤認させることができる。
しかしこの系統外、 それらのデメリットを補って余りある。なにせ姿形を自由に変えることができるし、しっかりと観察すれば別の誰かになりすますことも可能。潜入や諜報、撹乱や色仕掛けには最適な能力である。
戦闘への応用としては、魔法陣を握っているのに持っていない風に見せかける。斬られていないのに斬られたと思わせるなど、使い方次第によっては凶悪。だが、使用する際にかなりの集中と正確性が必要であり、格上との戦いでは使っている暇がほぼない。
余りにも汚れ仕事に適した系統外故に「顔無し」と嘲られることがあるが、本人は特に気にしていない。また、真の姿が分からない彼女だが、団員も特に気にしていない様子。
団内でのポジションは頼れるお母さん。団員達の炊事や洗濯を進んでやりたがり、悩み相談を受けることも多い。思いやりがあって慈悲深く、今まで共に戦った団員の方は全員覚えている。
しかしその一方、『黒髪戦争』にて家族を陵辱された上に皆殺しにされており、忌み子に対して異常なまでの憎しみをみせる。忌み子を痛めつけて苦しむ姿を見て殺すのが最高の快楽と断言しているほど。
また、黒髪戦争の際、殺されそうになった所を団長に救われて以来、彼に激しい恋慕と崇拝に近い感情を抱いている。
強さはシオンほどではないが、剣術と戦闘術は団長仕込みであり、並の騎士よりは遥かに強い。




