第3話 開戦
カッカッと小刻みなチョークの音が教室に響く。簡単な校舎の構造を黒板に書きながら、仁が手と口で作戦を説明している音だ。
「この学校の校舎の構造は、四階建て二棟」
片方は一年、二年、三年の教室がある北棟。もう片方は、職員室など特別な部屋がある南棟である。
「この二つの棟は一階、二階、三階の渡り廊下でそれぞれ繋がっている。みんな知ってると思うけど、確認で」
オーガに近く、敵の数が多くなると予想されるのは、北棟の東側だ。なお、教室は東側からA〜と続く。一年生の教室は二階、二年生の教室は三階、三年生の教室は四階である。
簡単な例を言うなら、東の二階の教室は一年生のA組だ。
他にも体育館などがあるが、今は必要ない。ここまでのことは皆知っている。これはただの確認だ。
「階段は一階ごとに二つ×二棟。ここを抑える。奴らを決して登らせない」
陣取るのは階段。例外はあるが、一般的にこちらが高い位置にいる方が戦いやすい。魔物を近づかせず、中距離で上から対応する。接近戦で勝ち目はない。
「階段でやつらと殴りあうのか?確かに、あの群れの中に突っ込むよりはマシな数だろうけどさ」
手を挙げた生徒が、おずおずと否定的な意見を述べる。その意見は他の生徒がまさに思ったことであり、不安なことでもあった。
「自分達であの化け物達を殺せるのか?殺すより、殺される方が早いんじゃないのか?」
それは、仁がオークと戦う前に感じていた不安でもあった。そしてその否定的で不安な意見の内容こそ、仁の待ち望んだものでもあった。
「いや、殴り合うなんてことはしない。いやまあ、最終的にはそうなるかもしれないけど。まずは机と椅子。あとは人が運べる重い物を、各階段付近に集めてほしい」
「なんだよ?席替えでもやろうってのか?」
からかうような質問に、仁は笑顔で返す。質問者はこの重い空気を、少しでも軽くしようとしたのだろう。だがその狙いは、違う形で果たされた。
「いや、投げるんだ。階段を登ってくるやつらの頭に。まぁ、前もって机と椅子でバリケードは作るけど……」
仁が真剣な笑みで吐いた言葉は、全員の心に希望を灯すものだった。
意味を理解する人間が増えるにつれて、輝く瞳の数も増えていく。先ほどの宣言で灯った揺らめく火とは違う、確かな火だ。
「いくら化け物とはいえ、階段の上から椅子や机を投げつけられたら、どうなる?」
これも確認だ。答えが分かりきっている質問に、生徒たちの間で希望が伝染していく。
その化け物が鋼の皮膚でも持たない限りは、極めて有効だ。首の骨が折れる、頭がかち割れるなど、致命傷を負うことだろう。
今回の化け物のほとんどがオークとゴブリン。鋼の皮膚を持つ化け物ではない。この作戦なら、人間でも戦える。
「すぐに班を分けてほしい。体力に自信のある者、ない者を均等に、十人一組で班を四つ作ってくれ。余った六人は、定期的に各階段へ連絡に行ってもらう連絡役だ。もしも欠員が出た場合、この六人から派遣する」
高速で多大な指示に従い、班分けが始まった。歯向かう者などおらず、誰もが黒板に書かれた汚い文字の通り動く。誰も、これに代わる作戦をこの瞬間に思いつかず、仁の作戦に縋るしかないからだ。
「それより、時間は大丈夫なんですね?美和子先生」
生徒が班分けをしている間、仁は教室に今しがた辿り着いた人物へと話しかける。額に張り付くほどの汗は、急いで走ってきたからか。それとも、先程まで彼女が置かれていた状況故か。
「ええ、大丈夫よ。まだ非常扉は破られてないわ。けど、向こうにはゴブリンがうようよいるみたい。殴る音が絶え間なく聴こえてきて、本当に怖かった」
「偵察、ありがとうございます。本当に助かりました」
「いいのよ。大人で、教師なんだから」
先生達に頼んでいたのは、一階の非常扉付近の偵察。最も魔物に近い、危険な行動である。しかし彼女達は、快く引き受けてくれた。
「それに、残った私達は臆病者だわ。理由はあるけど、化け物に立ち向かえはしなかった」
美和子先生の話によると、数人が魔物を止める為に突撃を敢行。彼らが注意を惹きつけている間に、残った者達が玄関の鍵と非常扉を閉めたらしい。
「そんなこと言ったら、俺だって臆病者ですよ。今こうして危険なことしてる美和子先生達の方が、俺よりずっと勇気があります」
おかげで今の仁達がいる。こうして作戦を立てれる時間がある。彼らの勇気がなければ、今の仁達はいなかったかもしれない。
「美和子先生。せっかくここまで報告に来てもらったのに、すぐで申し訳ないんですが」
「いいのいいの。じゃんじゃん使って」
「ありがとうございます。三年A組に来てほしいと、他の先生達に連絡をお願いしてもいいですか?」
そのことを噛み締めた仁は、美和子先生に四階の教室に集合してほしいという、新たな伝令を頼む。
「分かったわ。そっちも、がんばってね」
「……勝ちます。必ず」
後ろ姿を見送り、再び生徒たちへと向き直る。数分の間に見事に綺麗な十人の組が四つ。六人の連絡が決められていた。その姿に頼もしいものを感じながら、次の指示を。
「定期連絡がない、また、突破された場合はその階を破棄し、上の階で同じ作戦を繰り返す。緊急事態および欠員が出た場合、誰かを寄越すかなどで連絡してくれ。ここまではいい?」
多種多様な声の「はい」が重なった。その様子を確認し、次の段階へと話を進める。
「五人二組に分ける。四人はローテーションしながら、机と椅子を投げつける。残り一人は投げるものを調達し、近くに置く係りだ。二人同時に投げることが一番好ましい。結構詰め込んだけど大丈夫か?」
「……ギリギリ」
「もし分からないところがあったら、魔物が来る前に誰かに聞いてくれ。それじゃ続きを」
「まだあるのか!?」
「す、すまん……頑張って覚えてくれ」
悠斗の絶望に満ちた声が、詰め込みすぎたかと仁を後悔させる。だが、ゆっくり説明している時間はもうないのだ。
「えーと次は……三分間で他のグループと役割を交代し、身体を休めるんだ。なお、身体を休めているグループが、連絡を行うこととする。絶対守るべきルールは二つだけ。奴らを登らせない。必ず生き残る……以上です」
こちらが場を用意した局所的戦闘。更に準備を重ね、予備の戦場まで想定。敵の数という最大の武器を封殺しつつ、こちらに有利に働く地形の活かし方。物理の法則を利用し、日常に溢れた物を凶器へと変え、連携を加えた防御戦。これが仁の考えた策。真正面から戦わず、真上から戦う戦法。
「幼稚な作戦でも、こうして小難しい言葉を並べてみると、かっこよく見えるから不思議だ」
「いや、そうでなくてもいい作戦だと思うぜ。締めの言葉、頼むよ」
具体的な策の説明を終え、仁は教室内を見渡す。そこに、先ほどまで俯いていた生徒はもういない。今ここにいるのは、四十七人の戦士たちだ。
「……勝つぞ!」
最後に何を言えばよいか迷った仁は、ただ一言だけ述べた。少し、かっこをつけすぎただろうか。言った後で恥ずかしさがこみ上げてきた。きっと、顔が赤い。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
その恥ずかしい締め言葉に応えたのは、男子の野太い声と、女子の儚くも一本の筋が通った声の重なった鬨の声であった。
作戦が決まり、鬨の声をあげてから約三十分が経った。まだ、扉は破られていない。
「やれることはやったけどさ」
生徒は階段の踊り場に机と椅子を積み上げ、高くて脆い壁を築き、待ち構えていた。
「本当に現実味ねえし、うるせえしでなんなんだよまったく」
班長の高井 良作が、笑い皺が刻まれた顔で、緊張をほぐす為の冗談を口走る。先ほどの席替えの例えで、場を和まそうとした人物だ。
「分かんないよ。魔物に聞かなきゃね。あーあ、私、今頃授業してたはずなんだよね」
彼の冗談に答えたのは同じ班の副班長、紫丁 香花だ。黒髪のストレートを邪魔にならないように後ろでくくりながら、器用に口を動かしている。
「日常って脆いんだね……それにしてもさっきの仁、ちょっとかっこよかったかな」
「おまえ、今がどんな時か分かってんのか?」
前半の深い言葉から一転した後半の乙女の言葉に、理解できないといった顔を浮かべる良作。
「分かってるけど、非常時でも恋愛くらいいいじゃん?」
「女子って強えんだな……頼もしいくらいに恐ろしいぜ」
「恐ろしいなんて失礼ね。スマッシュ打ち込んであげようか?」
「どうせネットだろ?」
同じ部活で縁のある二人の漫才を見る他の生徒達の方が、この非常時に理解できないと思っていることを、良作と香花は気づかなかった。
「置き勉抜いてもそれなりに重いもんだな。腕がもつといいんだが」
「乙女にこんな重いの、きついと思うんだけどなぁ……」
「下手な男子より筋力あるやつが何を言う」
いがみ合う二人は共にテニス部所属。体力があるだろうということで、机と椅子を投げる係りに任命されていた。
「バカの相手もこの辺にして。見知らぬ顔もたくさんだなぁ。俺の名前は良作、みんな、よろしく!」
北棟東側。一階と二階を繋ぐ階段前に待機している一班十人へと、皺に沿った笑顔で良作は声をかける。帰ってきた答えは運動部の野太い体育会系の挨拶や、女子のか細いボソボソとした遠慮がちの声と様々。
「緊張するけどがんばろうな!」
「あんたのがよっぽど気楽じゃない」
挨拶を終えた良作は、武器へと目を向ける。側に運び込まれた大量の机と椅子。そして、ジャージのポケットにあるコンパス。これが良作達に残された武器だ。
「いざとなったら、これ刺して逃げろ。か」
発想が恐ろしい。ポケットの中のシャーペンを握りしめながら、良作は思う。身近にある武器になりそうなものは全て使え。それが仁の言葉だった。
「俺ら、本当に平和な世界で生きてたんだな」
この作戦で使う机や椅子だってそうだ。授業を受ける為、座る為にある物を武器として使う。日常にあるものが生き物を殺す。今までの日々が、なぜか恐ろしく感じた。
剣道部員は竹刀や木刀を、野球部は金属バット、調理部に至っては包丁を身につけている。
それもこれも、全部仁の考えだ。彼とは同じクラスだったが、人となりまでは知らなかった。いつも友人の馬鹿話を聞いて笑っていたり、相槌を打っていたりする印象があるだけだ。
「生き残るためならなんでもしろ……か」
あんなに情熱的だとは思わなかった、というのが正直な感想だった。
「仁から連絡が来た!」
「ん?」
思案にふけるのも、ここまでだった。連絡の男子が持ってきた伝令が、良作達を現実へと叩き起こさせる。
「北棟の東側の扉が突破された。各自備えよ。無事を祈る」
「りょーかい。そちらこそなって伝えてくれ」
いよいよだ。いよいよ、その時が来てしまったのだ。聞き終えた良作は胸の前で拳を作り、仁への返信を頼む。
「来てるな」
奇妙な鳴き声とともに、おびただしい数の足音が恐ろしい速さで近づいてくる。敵の足音と自分の鼓動がリンクしたように、良作は錯覚した。心臓はそれほどまでに、早鐘を打っていた。
「俺の役目、果たしますか」
がらりがらがらと、バリケードが音を立てて崩れ落ちる。ただで崩れたわけではなく、踊り場から一階までの魔物をまとめて轢いて落ちて、ある程度の被害を与えてだ。
「……大丈夫、やれるやれる」
しかしそれでも、穴は開いた。階段に転がった机と椅子を少しずつ退ければ、そこはもう踊り場だ。更にそこから少し進めば、良作の視界で、
そして、その時は訪れる。
「来たぞっ!投げろおおおおおおおおおおおおお!」
不運なゴブリンが顔を出した瞬間、香花と良作は大声と机と椅子を魔物目掛けて投げつける。ぐしゃり、と嫌な音とともに机がゴブリンを頭から叩き潰し、一輪の朱い花が咲いた。
「次!」
投げ終えた香花と良作のテニス部コンビは、後ろの生徒にバトンタッチ。机を取って列の最後尾へと戻る。
ぐしゃり。
階下でまた朱い花が咲いた。投げ終わった二人が後ろへと周り、良作と入れ替わる。机を階段下へとぶん投げ、顔を出したゴブリン三匹の頭をカチ割り、脳を破壊する。
「ぐっう……うぉおおおお!」
初めて見る内臓と脳漿が飛び散ったグロテスクな光景に、良作はこみ上げる吐き気を大声で抑え込む。
ぐしゃり。
「ああくっそ!これは死なない限り楽になれない作業ってことか!」
「死ぬよりは百倍……マシでしょうが!」
視界の端では連絡要員の生徒が、必死に報告している姿が見えた。他の扉も破られたのだろうか。ちらりと頭に考えが過るが、痺れる腕が思考をかき消す。机を投げるのは思ったより重労働だった。
生徒達はゴブリンを押し潰す作業を繰り返す。何度も何度も。三分間のタイムリミットが来るまで。
戦争はまだ始まったばかりだ。
「北棟の東側が……他の人にも、持ち場を離れないことだけを徹底させてほしい。一つが破られたなら、そのうち全部破られるだろうから」
北棟四階、三年A組の教室。連絡と名付けられた部隊に指示を出しながら、仁、いや、仁達は準備を進める。
「本気なの?あなただけでなんて、いくら何でも危険すぎない?」
美和子先生が心配そうな、いや、実際心配なのだろう。不安気な声をかけてくる。
「大丈夫です。俺がやります」
その声に、仁は無理に笑って返した。例え危険だろうと、これは自分の仕事だからと。そう決めたからと。
「やつらの弱点は分かってます。準備も順調ですし、俺より他の生徒のが心配です」
自身の策で戦場へと送り込んだ生徒達。彼らの安否を思うと、心が張り裂けそうに痛む。命の責任なんて、仁には到底取れやしない。
でも、生き残る為にはこうするしかないのだ。
だから、笑って見せるのだ。みんなが不安にならぬよう。笑ってみせて、ここにいる彼らに見せるのだ。
奇跡とやらを見せてやるのだ。そうでもしなければ、誰も死なずに勝つなんて本当の奇跡は、到底実現できない。
「誰かがやらなきゃいけないんですよ。あそこにいる、でっかい鬼退治」
巨人を矮小なるその身で殺すと宣言した少年の瞳は、生への渇望の炎で燃え盛っていた。
『高井 良作』
仁のクラスメイトで15歳。テニス部所属。運動神経抜群で面倒見がいいタイプ。ガタイが良くて少し老けており、よく大人と間違えられる。そのせいで上級生の混じるグループなのに、勝手にリーダー格にさせられた。
『紫丁 香花』
同じく仁のクラスメイトでテニス部所属の15歳。お嬢様のような見た目であるが、中身はお転婆で活発。男子顔負けの身体能力を誇る。