第36話 料理と夜中
豚を捕獲し、幻に惑わされないよう穴の中で直接シオンが〆た後。
「で、シェフは何を作っているのかなぁ」
「シオンさんが本気を出した料理、楽しみです」
「まぁシオンの料理なら基本外れはないから!」
出来てからのお楽しみと彼女が洞窟の中で夕飯を作っている間、仁達は外で待機中である。
「すっごくいい匂いがするけど、さっき可愛らしい音鳴らしてた人、大丈夫かい?」
「〜〜!?だ、大丈夫です!少しくらいなら待てます!」
ソースのような香ばしい香りが漂う中、仁達は暇を持て余していた。その暇を潰すために彼らは雑談に興じている。雑談とは言っても、主に腹を鳴らしたイザベラをからかうといったものだったが。
「……なんならシオンに言って何か軽いものでも」
「だから大丈夫って言ってます!そ、そんなことより、シオンさんが居ないから聞きますけど、シオンさんとはどういう仲なんですか?」
「んなっ!?」
しかし、イザベラもやられっぱなしと言うわけではない。仁にとって非常に痛いところへと反撃をかましてきた。
「恋人にしては初々しすぎますしね。家族にしては距離が微妙すぎますし、友達にしては親密すぎですし、すごく気になります。ええ、すごく」
口をパクパクとさせる俺へ、イザベラは全てを分かりきった笑みを向ける。
「そ、それは……」
仁としては、どう答えるべきなのか分からない。利用しようとしている相手であるはずなのに、それを口にしたくはなかった。そもそも常識的に考えて、利用しようとしている関係なんて答えるべきじゃない。じゃないのだが、それを別とした何かが阻んでいた。
(俺君は不器用だなぁ。ほら、代わって。ここだけ切り抜けさせてあげるから)
(……頼む)
(ほいさ。頼まれた)
きっとイザベラだけではなく、俺も僕もシオンさえも理解していることであるのに、理解したくはなかった。そんな俺の人格に寂しい目を向けた僕が、今回だけだと入れ替わり、
「いや別に何もないけど?むしろイザベラさんがもしセーフならお付き合いどう?」
「はい?」
イザベラが火炎放射で焼け野原にした会話に今度は僕が爆弾を撃ち込み、全てを吹き飛ばした。
「せ、セーフとはどういう意味でしょうか!」
「大丈夫って意味だよ。ちなみに冗談だから気にしないでね」
シオンのが移ったのか、イザベラは微妙に変な使い方のセーフに困惑の表情。彼女に意味と冗談だったことを教えた僕は腹を抱えて笑い転げる。
「〜〜〜〜!?じょ、冗談にもほどがあります!」
「みんなー!できたわよ!」
「ごめんごめん。ほら、もうご飯できたみたいだよ?」
「……僕さんの時は非常に強敵です」
怒りと羞恥で殴りかからん勢いのイザベラをどうどうと諌めつつ、僕はちょうどいいタイミングでのシオンの声に渡りに船とばかりに乗っかり、話を強制的に終了させる。
(ねっ?簡単でしょ?)
(話は逸らせたけど、気まずくなったりとかは……しないよな?あと、シオンの呼び声も、おまえ知ってたのか?)
上手く追及を流れて心理世界でドヤっている僕に、不安げな俺が称賛と疑問をぶつける。会って時間の経っていない人に向けて言うことではないのでは、と。
(んー、これぐらいなら普通にからかいの範囲内だと思うよ。俺君が守りすぎなんだよねえ。ロロも言ってたでしよ?もっと攻めないと。ご飯に関してだけど、料理の音がしばらく止まってたからね。そろそろかなって)
(そ、そういうものなのか。俺はやはり奥手なのか)
しかし、僕の人格は大丈夫大丈夫だと手を振って平然としたままだ。ロロに言われて以来、かなり気にしていたところを再度僕に指摘され、俺の人格はため息を一つ。
(まぁ、攻める僕と守る君でちょうどいいバランスさ。さ、とりあえずご飯食べよう?楽しみだろう?)
(それも、そうだな)
いつも通り、俺の人格が必要以上に臆病で、僕の人格が必要以上に明るくて。
「本当に、どんな料理か楽しみだ」
そんな明るい僕にくよくよするなと言われた俺はその通りだと、木の魔法で作られた食卓へと向かった。
「で、シェフ。料理が見当たらないんですが」
「あの、シオンさん、まさか失敗したなんてことはないですよね?」
椅子に腰かけた二人が、食器以外置かれていない食卓を見てまさかの事態を想像。もしや今晩飯抜き、いや、それよりもあれだけ苦労して捕まえたのに徒労だったのか、と。
シオンの日頃のドジや天然ぽさを見れば、うっかり火加減を間違えて全部炭に、ということもありえなくはない。実際、前に仁と話している間に料理を焦がしたこともある。
「ふっふーん!そんなわけないでしょ!はいっ!」
「うおおおお!?宙に放り投げるなって!」
「よかったぁ……さすがのシオンもそこまでボケてなかったかぁ」
「いい匂いです。もう鳴らしませんよ?」
いくら天然ボケに定評のあるシオンといえど、あれほど意気込み、わがままを言ってまで捕まえたかった幻豚の料理で失敗することはなかったらしい。
わざわざ虚空庫に隠しておいた料理の乗った皿を空高く放り投げ、無駄に発揮した戦闘技術で完璧に勢いを殺してキャッチ。演出までやたら凝っていた。
「サンドイッチだな。てっきり、もっとたくさんでかっつりなものかとも思ってたんだが」
「サンドイッチと言うのですか?ハルナムという料理に似ていますが……あちらはもう少し外を焼きますし。こちらは外が焼かれていなくて、ふわふわしてますね」
「え?そうなの?」
一皿の上に二つずつ乗った料理の名前での違いに驚く。サンドイッチは日本語で、ハルナムという聞き慣れない単語は異世界語だろう。
「……なんでシオンはサンドイッチを知っていたんだ?」
そう、異世界人であるシオンが知るはずもないことを、という疑問が生じるのだ。
「えっ、違うのかしら?焼いた硬いパンで挟むのがハルナム、焼かない柔らかいパンで挟むのがサンドイッチって教わったんだけど」
「焼いたので挟んでもサンドイッチだよな?どうなってんだこれ」
名前どころかそれぞれの定義にさえ食い違いがあり、一同は首を傾げる。これはよく考えるべきことだろう。
「ま、名前なんて後にして食べよっか。僕もう腹ペコだよ。ね?イザベラさん?」
だが、名前について考えるのは後だ。今重要なのは料理の名前の違いではない。その料理の味や、いつかぶりついてよいか、ということだ。
「な、なんで私に振るんですか!?」
「でもお腹空いてるんでしょう?」
「し、シオンさんまで!?確かに空いてますけど!」
美味しいポジションを確立したイザベラをみんなでからかい、美味しいことが約束されたような料理を前に笑顔に。
「んじゃ、決まりだな。それじゃ」
「「「「いただきますっ!」」」」
俺の人格の掛け声に合わせ、異世界も日本も共通の感謝の挨拶をみんなで口にした。
「うっ……めええええええええ!」
「なにこれこんなの食べたことないよ!?」
「こ、これは美味しいです!美味しいです!」
我先にと全く同じタイミングで皿に盛られたサンドイッチにかぶりつき、その美味しさにボキャブラリーに乏しい歓声を上げた。
「噛むたびに肉の旨味が溢れてくんぞこれ!止まらん!」
僕の人格と味覚を共有しながら味わう、口の中の暴力に俺は身を震わせる。柔らかくとろけるような肉なのに、噛むたびに激しい旨味に口の中を蹂躙される。下味でつけられた塩がいいアクセントだ。
「ソースとも合うよ!素晴らしいさ!まるでネジのマイナスとプラスみたいだ!なに言ってるかわかんないけど美味しいからいいや!」
僕は訳の分からないことを口走り、口の端についたソースまでも惜しいと舐めとる。玉ねぎかなにかを擦りおろし、幾つかの調味料などと混ぜ合わされた独特な風味のソースが肉の味を引き出した上に、その香りがまた食欲を刺激してくるのだ。
「このパンと野菜も合います!んぐんぐんぐ」
アツアツの肉と少し冷えたソースの絡みあった暴力は、文字通り暴れが強すぎる。しかしそれを柔らかく包み込み緩和し、隠し、現れた時に一層強く感じさせるパンと野菜がまた絶妙。
と、イザベラは心の中で感想を述べつつ、ひたすらにサンドイッチを貪り続ける。食いしん坊扱いされたくないことも忘れるほどに。
色々と説明し、感想を述べたがまとめるとこうなる。
「ただただ、うまい!」
結果はここに行き着くのだ。そして胃袋を掴むという言葉があるように、人間は美味いものに逆らえない。
「同感です!同感です!美味しいです!」
「シ、オーン!おかわりある?あると言っておくれ頼むよ!」
最初の二つなど、もうすでに光の速さで胃袋の中の仁とイザベラがおかわりを要求。本来ならもっと味わって食べたかったが、どうしても口が止まらなかった。
「はいはい。たくさんあるから、そんなにがっつかないの」
昼飯のスープと同様に、シオンがおかわりを拒む訳がなく、そして成長期の仁と食いしん坊なイザベラにご飯を振舞うのにおかわりを用意していない訳もない。
「「やったぁ!」」
「嬉しいです!」
今度は山盛りにサンドイッチを積んだ大皿を虚空庫から取り出した少女に、ガッツポーズと歓声が浴びせられる。右手に一つ、左手に一つ、口に一つと、シオンの忠告も無視してがっつく。
「んふっ。シオンは食べないのか?」
ひたすらに食べる姿を本当に幸せそうに微笑んで眺めるシオンに、仁はサンドイッチを差し出す。僕がそのサンドイッチを食おうと抵抗してくるが、男の意地でねじ伏せる。
「ごくっ……遠慮することなんて、ないんですよ!しなくてもいいですからね!」
「そうね。なら私も頂こうかな。ありがとう」
「イザベラさん、この子鈍感だからちゃんと言わないと通じないよ?」
「ん?何が?」
「い、いえ別に」
遠慮しないでと言いつつ、仁の差し出したサンドイッチに狩人の目を向けたイザベラだったが、鈍感天然娘のシオンが器用に彼女の意思を拾えるはずもない。
「ん〜〜!我ながらに美味しい!」
「これが美味しいじゃないんなら、美味しいってなんだってんだって話だよな」
「でふよね!」
仁からパクリと受け取って口いっぱいに頬張り、シオンは頬を緩ませる。同意を示すイザベラの頰はもうリスのようにパンパンだ。
「……やっぱり、食べないと大きくなれないのかしら?」
「ほ?」
「いや、何にもないの。イザベラさんなんて幻豚みたいに太ればいいなんて思ってないから」
「えっ!?そ、そんなに太ってないです!大丈夫です!後で働きますから!」
明らかに誰よりもハイペースで多くの量を食べるイザベラとその身体つきを見て、少女が嫉妬と羨望の感情を込めた言葉で斬りつけた。しかし、どう考えてもその刃は持ち手であるシオンを傷つけており、彼女の負けだ。
「……はむ」
俺の人格としては非常に居心地の悪い話題で、食べるのに夢中だと聞こえないフリをしていたのだが、
(ここはシオンのサイズも嫌いじゃないとか好きくらい言いなよ。このドヘタレ)
「ぶふぉっ!?げほっ、ごほっ!」
僕の心中の一言でサンドイッチを喉に詰まらし、目の玉が飛び出しそうな苦しさに胸元を抑える。
「もう、仁ったら急ぎすぎ」
「ん〜〜〜〜〜〜!」
「イザベラさん!?」
シオンが仁の背中をどんどんと叩き、叩かれた馬鹿が心の中で焦ったわけではないと言い訳したその時、急いでいた食いしん坊も喉に詰まらせて呻き出した。あれだけのペースで食べていたら当然ではある。
「しょうがない二人だなぁ……もう」
シオンは二人を並べて右手で仁の背中を、左手でイザベラの背中を叩いて呼吸を開通させる。やれやれといった言葉とは裏腹に、その様子はとてもとても嬉しそうで、楽しそうであり。
「助かったよシオン。なんかすっごい笑顔だけど、どうした?」
「し、シオンさん?やたら叩く力が強かったんですけど、まさかまだ根に持ってるわけじゃないですよね?」
「別に?なんでもないわ」
少しだけペースの落ちた絶品な夕食は、日が暮れてからも、それはもう楽しく続いた。
シオンと仁の宴も終わり、後片付けも終わらせ、焚き火を囲む余韻に浸る。
「ふぅ、食べた食べた。懐かしい味だったなぁ」
「ん?シオンは前にこれ食べたことあるのか?」
「うん、一度だけね」
「……シオンが作ったのか?それとも他の誰か?」
シオンの昔食べたことがあるという言葉に、仁は後回しにしていた重要事項を思い出した。確かに今思い返せば、シオンは幻豚を使った料理を1000倍美味しいと、あたかも食べた事があるように言っていた。
(料理で忘れそうになったけど、これは聞かないとね)
なぜ重要か。それはもし、このサンドイッチをシオンに食べさせてその名前を教えた者がいるのなら、異世界転移が過去に存在したのなら、
(シオンの母は多分、日本人だ)
冷静に考えて、その可能性は非常に高い。まず、忌み子であるシオンに美味しい食べ物を食べさせる時点で、その何者かも忌み子と同じ特徴を備えた者のはずだ。この世界の一般人なら、忌み子にろくな食べ物も与えないだろうから。
(そして、シオンは魔力がない人間を初めて見たって言ってた)
(でも、普通は日本人には魔力はないはず。だからもし後天的に魔力を得る方法があるのなら、その人に聞けば)
更に付け加えるなら、その者は日本人にして魔法が使えた。または、後々使えるようになったという可能性がある。その人から方法を教われば、仁も魔法が自由に使えるようになるかもしれない。
「ん?お母さんが一度だけ、ね。もう作ってもらう機会はないから、食べれないって思ってた」
「……母親。そうか。なんか悪いこと聞いたな。一応聞くけど、シオンは後天的に魔力を得る方法とか知らないんだよな?」
しかし、それは母親に会えたらの話なのだが。
「……?前も言った通り、魔力が無くても魔法が使えるのなんて刻印くらいしか。後から得る方法なんて、とてもじゃないけど知らないわ」
シオンの母が日本人ならば、彼女の日本人のような容姿も納得がいく。どこか寂しそうに語る姿と、彼女が森の中で一人で暮らしていたことを考えるに、
(殺されたか、あるいは病気かはわからないけど)
(どちらにしろ、死んだんだろうな。この話題はやめようぜ。この世にいないなら聞けるものも聞けやしない)
常に命を狙われ続け、病にかかっても誰も治してはくれない環境。忌み子が生きていくには、この世界は厳しすぎる。
それともう一つ、思い出したことが。
(もしかして、シオンが幻豚を捕まえたかった理由って、もう一度お袋の味が食べたかったってこと?)
(だろうね。だから拘ったんじゃない?)
今日のシオンが幻豚の捕獲に関してだけ、ワガママで譲らなかったこと。こちらもこの理由なら納得できる。もし仁が彼女の立場なら、同じことをしただろうから。
(まぁ魔力は、擬似的にだけど魔法は一先ず使えるから。別に焦ることじゃない)
(俺君こういうところは結構ポイント高いと思うんだ)
(……何言ってやがる。どりやぁ!)
(照れたからって殴らないでよ!?)
会えない者は仕方がないと諦め、シオンに気を使う俺に僕はいつもと同じからかいを飛ばし、またまた心理世界でどつき合いに。しかし、そんな照れ隠しなじゃれあいも、
「でも、今日食べた方のが美味しかったかな。みんなでワイワイできて。やっぱり、寂しかったから」
シオンのぽつりと呟いた本心からの一言の前には、すぐ終戦してしまった。
(諦めなかった甲斐があったね。俺君)
(……そうだな)
これだけ美味しいものをたくさん食べられ、シオンとイザベラとはしゃげて、こんな言葉を言われたのなら、
(罠に何回も引っかかったりしたのも、報われるってもんだな)
なお、会話にほとんど入ってこなかったイザベラはというと。
「んぐんぐ……なんか間に入っちゃいけなさそうなので、一人で食べときます。美味しいです」
彼女の宴はまだ続いており、はむはむと口を動かしていた。気遣いなのか、それとも食欲なのか。それはまぁ、どちらもであろう。
「眠れん」
宴の余韻も終わり、興奮冷めやらぬまま一人で寝床に入った。いつもはシオンが隣だったりであるが、イザベラもいるとのことで分けられてしまった。
「いやぁ、寂しいねぇ」
「一人のが気楽でいい」
「このドヘタレチキン野郎。一生そうやって生きるつもり?あーやだやだ僕まで巻き込まれちゃう」
隣で寝ていても手を出す勇気の欠片もないドヘタレチキン野郎には、寝る部屋を分けられての不都合などあるわけもなかった。
「シオンの母さん、どうやってこっちに来て、どう生きたんだろうな」
「む、話を逸らした……わけじゃないか。君としては聞きたくないんだろうけど、シオンに聞くしか確かめる方法はないよ」
「いや、思っただけだから。別に聞くつもりは、ない」
これ以上ヘタレの話題に付き合っても傷を負うだけだと話題を転換。とは言え、この話も彼の本心からの思いだ。
「どんな気持ちだとか」
彼女の境遇を想像し、自分と対比していく。元いた日本の大事なもの、家族、友人、いたかもしれない恋人との繋がりを、全て断ち切られた時の気持ち。それは、仁が全て失った時と同じなのだろうか。
「辛かったの、とかさ」
そして、日本人の価値観を持って生きるのには辛すぎるこの世界で、愛する人を見つけて子供を育て、元の世界に帰れず死んだ時に、何を思ったのか。
暗い夜空もない洞窟の天井を見上げ、思考に耽る俺に僕はため息をつき、
「僕らには、体感する以外に事実を確かめることなんてできない。想像が精々さ。それに、君が考えても何も変わらないよ」
「……だよな」
「君は本当に損する性格だなぁ。赤の他人に近い人の、考えてどうしようもないことを考える」
「いいだろ別に。俺が考えたいから考えてんだから」
遠回しに無駄と切った僕に、俺はムッとした顔に。確かに考えて利益になることではない。しかしそれでも、考えることを止められなかったのだ。
「ごめんごめん。この話題も喧嘩になりそうだからやめておこうか。まぁシオンと結婚すれば赤の他人ってわけじゃ……何照れてんのさバカじゃないの」
「照れてない。照れてないから。ぶん殴るぞ」
「なんだかなぁ、本当にバカだなぁ」
冗談が通じなくどこか赤い俺に、僕はもう付き合いきれないと頭を振って諦める。
「よし、違う話をしよう。これ以上気持ち悪い顔を見たくはない」
「おまえ同じ顔だよな?」
「同じ顔でもにやけ面と普通の顔、どっちがかっこいいか分かるでしょ?」
やはり、口で僕に勝つことはできない。顔と話の敗北を理解した俺は天井を見て無視を決め込み、眠りに落ちるのを待つ。この手の話題で下手な反撃は燃料を注ぐだけだ。
しかし、僕の人格としても無視されるのはつまらない。
「いやーそんなことよりイザベラさん、本当に美人だなぁ」
「お、おまっ……シオンがいながらか!?」
「ほら釣れた。本当に単純というかなんというか。予想通りすぎるからもうちょいボケてよ」
決め込んだとはなんだったのか、というほどあっさりと反応を返してしまった。餌を垂らした瞬間に食いつかれ、面白みがないと僕は不満顏だ。
「なぁ、どうボケれば面白い?」
「頭はボケてるね。もうそれで面白いけど、普通人に聞く?」
「あのー、呼びました?」
「「……い、イザベラさん!?」」
俺の真面目すぎるが故の天然ボケと、僕の捻くれた皮肉の応酬に入り込んだ、予想外すぎる柔らかい女性の声。驚いた二人は暖かい布団を放り投げん勢いで飛び上がった。
「はい、イザベラです」
「いや、その、どうしてここに?シオンが壁作ってたはずだけど」
わざわざ土魔法で壁を作られ、仁の寝床は半ば隔離されていたはず。そこに入ってきたイザベラに、少年は困惑を隠せない。
「私も一応、それなりに魔法が使えますので。壁に穴を開けたり閉めたりくらいなら、わけないです。どうしてと言われたら……昨日のお礼を渡しに来た、というところですね」
イザベラは壁に手を付き、いつの間にか開いていた穴を塞いでみせる。人が一人が通れるほどの穴が瞬時に無くなり、元の壁に戻る様は圧巻だった。
「あ、ありがたいんだけど、今日は夜も遅いし、また明日でも別にいいです。別にこれからも一緒なんだし」
「まぁいつでもいいけど、いただけるものならいただいておこうかな。あ、そうそう。このドヘタレが獣になって襲うのはあり得ないから。そこだけは安心してね」
「あら、紳士ですね」
襲う度胸はない、しかしまた今度とハンズアップしてヘタレ具合と紳士具合を示す少年にイザベラはくすくすと笑い、
「でもそれじゃあ、困りました。私のお礼はそれなんですから」
「「へ?」」
決して華奢ではない仁の体を、地面へと押し倒した。
「い、イザベラさん?これってどういうことですか?」
「女性に言わせるなんて、ひどいです」
彼女は、恥じらうかのように顔の下を手で覆い俯く。しかしそれさえも、今この状況では火の勢いを増す燃料でしかない。
仁は年頃の男子であり、決して鈍感ではない。時折とんでもないボケをかますが、それを込みにしてもかなり敏感である。少なくとも、シオンに向けられる気持ちを、自身への好意だと思うくらいには。
「いや、なんでこんなことを?」
しかし、そんな仁でもイザベラの言ってることは理解はできど、受け入れることができなかった。女性の顔が目と鼻の先にあるというのに、生きている中で一番女性を近くに感じているというのに、一周回って冷静になってしまったほどに。
「だから先ほど言った通り、お礼です。暴漢に襲われそうになった私には、あの時手を差し伸べてくれたあなたが『勇者』に見えたんですよ?」
「……助けたのはシオンで、俺は特に何もしていない」
自分は勇者などではないと否定し、イザベラに帰るよう言外に促した。仁は本当に手を差し伸べただけ。暴漢どもを片付けたのはシオンであり、勇者は彼女の役割だ。
「例え仁さんがそう思っても、私にはそう見えたんです。死を間近にして、死よりも酷いことをされそうになった私には、あの手が救いでした」
「……っ!?」
しかしそれでも、私にとっての勇者は貴方だったと言うイザベラが、仁の胸に手を当てる。そんな中、脳裏に浮かんだのは自分へと好意を向ける少女の顔で。
「……けど」
「あなたとシオンさんのことは短い間ですが、存じております。しかし私も惚れたが故、一夜でいいので、お礼という名の免罪符でお願いしてはだめですか?」
「……」
そのことさえ見透かされ、告白までされた仁は何も言えなくなった。まさか、自分が告白されるなんて思ってもみなかったから。そして、自分が今まで目を背けていたことに、真正面から向き合わされそうになったから。
「やはり、初めてなのですね。おそらくシオンさんもですから、ある程度不都合が生じるでしょう。私が手解きいたした方が都合も良いかと」
「……」
物言わず震える仁に、初めて故の緊張かと勘違いしたのかイザベラが妖艶に笑い、顔をさらに近づけて、
「どうぞ、私を練習台にしてください」
かかる吐息に、舌で濡れた彼女の唇に、はらりと仁の首筋を撫でる髪に、仁の胸板を触る手つきに、欲望を刺激するような言葉に、
(おいどうすればいいんだ僕っ!頼む俺と交代して切り抜け)
(あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ!?あわっほほ!?と、吐息!?)
(つ、使えない……だと……)
仁は今更ながらに現状がどれだけ危うく官能的か、このまま流されれば、いや本能に従えばどうなるか、そしてそれが誰だけ甘美なものかということを、理解し、許容オーバーし、パニックに陥った。それは普段、やたらヘタレな俺を責める僕も例外ではない。
(一体どうすれば……)
僕が全く使えない中、俺は一人でこの状況の最善手を探し始める。据え膳食わぬは男の恥という諺がある。しかし仁個人として、そのような状況になるとは思ってもみなかったし、ましてやその状況になったとしても、恥より未来を取るつもりだった。
(やっぱり、俺はヘタレだからヘタレらしく、怖気ついて断るべきだろうな。俺にそういう資格はないんだから)
例え相手からとはいえ、行為は行為だ。流されたその先で、もしものことがあった時の責任など仁には取れやしない。そして何より、シオンのこともある。
断ろうと心に決め、仁が口を開こうとした時、
「怖らがないでください。必ずや、天国に導いてあげましょう」
耳元で、ねっとりと絡みつくような声で囁かれ、胸板に押し付けられた物心ついて初めの感触に、俺の決意は呆気なく敗北しかけた。
そもそも俺だって年頃の男の子だ。こういうシチュエーションや行為への憧れは人並みにあるし、その上相手は超絶美人ときている。くらっと来ない方が、男としてどうかしているような状況なのだ。
「……」
悩み、考え抜く。本当に本能と理性の戦い。悪魔の囁きが耳を木霊し、脳内の選択肢の針を動かそうとする。
「……ッ!?」
人生最大級の葛藤を続ける仁の首筋に冷たい感触が当たり、思わぬ不意打ちに身体がビクッと震えて、
「イザベラさん。何してるんだ?あれ……その髪」
その感触の正体の心当たりに、髪の色が波のように明るく染まっていくいく様子に、仁は自分の上に伸し掛るイザベラへと問う。
「そんなの決まってるじゃないですかぁ。あぁ……そうそう、申し遅れましたわぁ」
押し当てた刃で首の皮を舐めた彼女は、先と変わらぬ魅了するような蠱惑的な笑みで、どろりと絡みつくような声音とねっとりとした口調で、
「私、カランコエ騎士団副団長、イザベラ・リリィと申します。以後お見知り置きを。ちなみにこれは、私自慢の系統外でぇ。ではでは、紹介はこれくらいにしましょうか」
「がっ!?」
滑らかな金髪を垂らし、理解の追いつかない仁の首をさらりと切りつけて、
「騎士団副団長としてぇ、尋問を開始しますぅ!存分に苦しんで、吐き出してください」
尋問という名の拷問を、傷の上に重ねた傷で開始した。
「溺れるくらいの鮮血を、私を絶頂させるような苦痛を」
彼女は血を見て、血を舐めて、怪しく笑う。
「くださいな」
『黒髪戦争』
二十数年前、黒髪黒眼の男が主導して引き起こされた、忌み子とはみ出し者達による戦争。多くの村や幾つかの都市が巻き込まれ、十万を超える死者が出た、近年で最も大きな戦争である。
この戦争の目的は、虐げられてきた復讐と世界の変革とされている。今まで自分達がされてきたことをそのまま返し、今後も同じような扱いを続けるなら再び同じことが起こるぞと、知らしめようとしたらしい。
故に、和解や話し合いの為に送った使者はすぐに殺され、女子供を含む民間人さえも何の躊躇いなく虐殺された。犯し、奪い、虐殺し、蹂躙する。占領された街はまるで、忌み子と一般人が入れ替わったような有様だった。
魔力が多く、系統外を保有していることの多い忌み子。強大すぎる力を持つ故に遠ざけられたはみ出し者。また、デメリットが大きすぎる系統外を持つ厄介者。そして、単に社会に馴染めなかった者や不満を持つ者などが、この内乱に参加していた。数は三万人ほどであったが、個々の力が凄まじく、騎士団は苦戦を強いられた。
中でも首謀者やその側近の力は飛び抜けており、並の騎士をいくら送り込もうが、勝つことは不可能とされていた。彼らと戦い、そして勝利を収めたのが『勇者』マリー、剣聖サルビア、同じく剣聖ザクロ、魔導師プリムラ、陣魔師ルピナス、宮廷筆頭魔術師プラタナスら計六人の英雄であった。彼らがいなければ、本当に世界はひっくり返っていたのかもしれない。
首謀者とその側近が倒れたことにより、戦争は幕を閉じる。以降、忌み子に対する弾圧はより強まり、産まれ次第即刻殺害するようになった。皮肉にも、戦争の目的とは真逆の結果となってしまった形である。




