第35話 加入と狩り
日没までもう時間も無く、仁達は少し移動して見つけた洞窟を今日のキャンプ地に決めた。
「シオンさん達は、忌み子だけの街を目指しているのですか……そんな街が?あの戦争以来、もう忌み子は残っていないかと思っていました」
「さっきの『黒髪戦争』とやらかい?」
今は魔法でつけた火を三人で取り囲み、情報交換の最中だ。
「二十年くらい前だから、私が生まれる前の出来事ね。各地の忌み子が団結して、政府を襲おうとしたの」
「カランコエ、グラジオラスを始めとした全騎士団総出の大騒ぎで、結果は忌み子軍が壊滅、いえ、ほぼ絶滅という方が正しいですね。あれ以来、一層忌み子への弾圧は厳しくなりましたし」
「騎士団……か。騎士の割には、随分と酷いことをするもんだな」
脳裏に浮かぶのは、あの日の光景。騎士団とは、仁の仲間を殺した者達が所属する組織のことだろう。どうやらこの世界の騎士道は、たかが髪や目の色が違うだけの忌み子たちを殺すことらしい。
「さすがにそれは被害者からの視点でしかないかと……忌み子側にも多少の非はありますから」
「起こさざるを得ない、つまり、戦わないと生き残れない状況だったんだと思うんだが」
怒りを思い出すも、ここで吐き出すべきではないともう一度押し返し我慢。スープの具を混ぜるなどして、他の事で気を紛らわそうとする。
しかし、この俺の意見は固定された視点から見たもので、反乱を起こされたら鎮圧するのが普通だ。その辺がまだ分かっていないのは、彼の精神が未熟故か、それとも、心の底にある感情が騎士達の印象を歪めているせいか。もちろん、反乱が起きるような原因を作った側も非ではある。
「だからこそ、そんな忌み子たちの街なんて私にとっては理想郷で……あら、この飲み物、美味しいです」
「美味しいでしょ?最近、虚空庫の中の食糧をたくさん取り出……整理して見つかった虹鳥の骨から出汁をとったの。自信作よ」
「シオン、虹鳥ってのは気になるが食事の話は後にだな……もう一杯貰っていい?」
今はもっと大事なことがある。そう言ってシオンの料理トークを止めようとするが、スープの美味しさを前に撃沈。穀物を練って固めて焼いたパンのようなものを浸して食べつつ、おかわりを要求してしまった。
しっかりと味付けされておりながらも、後味はすっきりな汁が訓練に疲れた身体に染み渡り、暖かさが全身に広がる。中に入っている長時間煮込まれたオークの肉も、程よい弾力まで柔らかくなり非常に美味だ。野菜が苦手な仁ではあるが、このスープでなら余裕で食べられた。
相も変わらず、シオンの料理はどれも美味しい。それこそ、毎日の献立が楽しみなほどに。
「いいわよ。でも、僕にもちゃんと食べさせてあげてね?」
「……変なことしたらそのスープ全部、俺が貰うからな」
おかわりの要求はシオンにとっても嬉しいのか、大抵あっさり承諾してもらえる。ただし独り占めはよくないと笑顔のシェフに言われ、渋々五感と支配権を注意とともに、僕の人格へと譲り渡した。
「何?変なこと?シオンにふぅ……こら味覚を取ろうとしない!悪かったごめんってば!」
「えっ?」
「あら、そういうことですか」
しかし、そこは土壇場の絶体絶命の状況でさえ、ふざけることをやめない僕の人格。シャレにならない冗談を口走った彼に、イザベラは何かを悟った微笑ましいものを見る目だ。
(おまえ……!シオンが分からなかったからいいものの!)
(軽いジョークじゃないか、やだなぁ。別に前もふぅふぅしてもらったでしょ?)
「話を戻そう。その忌み子だらけの街は、この地図に書いてある場所にあるらしい」
「まぁ。見たこともない地形なのですが、その地図は正しいのですか?最近、地図が役に立たないという噂を聞きましたので」
木彫りのスプーンを置き、食事を一時中断。代わりに地図を開き、街についての話へと軌道を戻す。すると、炎に照らされた地図を見たイザベラが正確性を指摘してきた。
「……今まで地図に従ってほいほい進んできたけど、渡してきたやつの性格が性格だから、ちょっと俺も疑わしくなってきた」
「いや、彼の身元が嘘でないなら信憑性は高いと思うんだけど。あんな技能持ってたし」
「う、嘘ついたことないって言ってたし、きっと大丈夫よ」
「その人の人柄も存じず失礼かもしれませんが、その言葉自体が嘘だと思います」
正確性を証明する方法が実際に辿り着く以外には無いことに今更気づき、地図とロロを疑い始める忌み子一行。嘘を吐いた事がないと言っていたのが、より疑いに拍車をかけていた。
「と、とりあえずこの地図の場所に行ってみよう。あってるにしろあってないにしろ、行ってみなきゃ分からないと思うから」
「もし違ったら、ロロも一発どつこうか。どうせ治るしね」
ならばその唯一の証明方法で確かめるしか無いと、仁達は不安ながらも地図に従うことを再度決定。
「あの……」
「イザベラさんもおかわり?」
「……大変申し上げにくいのですが、もし、よろしければ私も?」
「おかわりなら全然いいわよ?遠慮しないで!」
「あ、いやそうではなくて、私も連れて行ってもらえるのかということで」
食事タイムを再開しようとお椀とスプーンをもう一度手に取ると、イザベラがおずおずと気弱そうに問いかけてきた。
声が震えていたのは、忌み子だけの街という彼女からしたら理想郷とも言える場所に、自分も連れて行ってもらえるか不安だったのだろう。
(どうするんだ?まぁ)
「何言ってるの?最初から連れて行くつもりよ?」
(考えるまでもないことだろうね)
仁が連れて行くかをあれこれ悩もうとしても、その前にこのお人好しの少女が答えを出してしまう。
(俺らにも悪くない話だしな。別にいいだろ)
仁としてもイザベラの同行はメリットが多く、拒否する理由もない。具体的なメリットといえば、
(もしもの時のスペアって考えかい?僕はあまり好きじゃない言い方だけど、十分すぎるメリットだね)
まず、彼女には魔力がある。仮にシオンと別れるなどのケースに陥った場合、仁に刻印を刻む人間がいなくなってしまう。そうなると仁は魔法が使えなくなり、この世界で魔法が使えない一般人が生き残れる可能性はごく低い。というより、すぐとは言わないが、そのうち必ず死ぬだろう。
(馬鹿、それだけじゃない)
単純な戦力増強としても、彼女は非常にありがたい存在だ。大の男三人に敵わなかったとはいえ、身体強化が使える時点でオークくらいとなら十分に渡り合える。
それに、それにだ。
「あ、ありがとうございます!」
「……ど、どういたしまして」
(素晴らしきかな目の保養)
同行を許されたことに頭を下げるイザベラに、なぜかシオンがずーんと落ち込む。彼女が身体を起こした際に、どことは言えない部位が揺れ、存在を大きく主張していたからだ。
(バカ!見るなっ!)
(俺君だって見たいんでしょ!?)
俺の人格は見てはいけないと目を逸らそうとし、僕の人格はガン見しようと目を向けようとする。天使と悪魔、理性と欲望、 人と獣、男の見栄と男の性の戦いよろしく、俺と僕は身体の支配権を取り合って戦い始めた。
一方シオンはイザベラなら肉があるはずの、しかし彼女では空気の部位をすかすかと手で往復させ、
「……やっぱり、連れて行かなくていいかしら?」
「そ、そんな……」
大喜びしていたイザベラを、ぬか喜びへと突き落とした。どうやら、ロロに色々言われてから気にしだしているらしい。
「さすがに冗談だわ。ちょっと分けて欲しいけど。男はみんな好きって本に書いてあったし」
「あの、目が本気なんですけど」
人外の強さを誇るシオンの本気の目で見つめられ、怯えたイザベラは胸の前で腕をクロスさせて防御。その様子はまるで猛獣に刈られそうな兎のようであり。
(……悪くない)
(だよね)
こうして旅の仲間が一人、増えることとなった。言うまでもないと思うが、さすがに胸部だけが理由ではないと、ここに記しておく。
翌朝。日が登り、朝食も済ませて地図に沿って進んでいた最中。
「ほら、そっち行ったわよ仁!」
「……よっしゃ任せとけ!ミンチにしたらあああああああああああああああああああ!……あれ?」
目の前のまだら模様の大きな豚を捕獲しようとした手は、何も掴まずに空を切った。数秒後、豚は少し離れたところに余裕しゃくしゃくと姿を再現し、嘲るようにケツを向けてくる。
「だからこの豚、幻影魔法使うって言ってるでしょ!?イザベラさん、お願い!」
「はっ、はい。そーれっ!……あれ?」
「イザベラさーん!?」
その先に控えていたイザベラも仁と同じく、捕獲に失敗。ずてんと地面に転がり、打った箇所を抑えている。
「あいたた……」
「もう全く、私がお手本見せてあげるわ」
そんな二人の無様な様とイザベラの失敗した時の一部を見てため息を吐いたシオンが、豚へと近寄っていき、
「こっち……は偽物よ!」
目の前の豚を放置して反転。いつの間にか背後にあった私豚の脚を、白銀の剣で斬り落とした。
「ふふっ、捕まえたわ!とっっっっても美味しくて、滅多に取れることのない、最高品質最高級最上級の幻の豚、幻豚捕まえたわ!」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」
「すごいですわ!これがあの幻の!」
見せつけるように剣を引き抜き、シオンは高らかに宣言。残る不甲斐ない三人は大はしゃぎ、嬉しさのあまり飛び回っている。
そう、シオンの言う通り、仁達は道中で伝説とも言えるほど珍しく美味な豚に出会い、捕獲作戦を展開中なのだ。
どれくらい美味しいかと言うと、時は少し遡る。
「こんなところに豚?オーク……じゃないな」
地図に従って日本の街を目指す中、仁が森の中を歩く豚と見つけた。歩みは遅く、武器になりそうな部位もなく、この過酷な世界でよく生きているなと思う程、弱そうだった。もしや何かあるのではとシオンに教えたところ、彼女が大興奮し始めたのだ。
「ま、幻の豚……幻豚よ!仁!捕まえに行くわ!」
「た、ただの豚じゃないのか?虚空庫の中にも美味しい食材たくさんあるし、シオンの料理の腕があれば大抵うまいもんできるって」
「ただの豚って……!?私の今までの料理が千倍美味くなるくらい、あの豚は美味しいの!それにあの豚はどうしても食べたい理由があるの!」
「それほんとっ!?」
豚を指差し、仁の服を強化で破らんばかりに引っ張る始末。いつも通り、シオンを褒めて懐柔しようとしても通じない程、何故かあの豚を捕まえたがっていた。
「確か、一切れに金貨何十枚がつくほどの高級食材ですね。そもそも流通しませんから、時価ですけど。私も、その食べられるなら……食べたいです」
「シオンはともかく、お嬢様みたいなイザベラも食欲を露わにするくらい食べたいんだな」
「か、からかわないでください!ちょっと食べたいだけです!ちょっとだけ!」
「ねぇ、仁。最近私に気を使わなくなってきてない?」
僕、シオン、イザベラこ中、最も常識人であろう女性の意見も必死に少しだけと言っているが、やはり「採って食おう」というものだった。
そして何より、
「おい、あの豚こっちに気づいてないか?」
「まぁあれだけ騒げば見つかるよね。ほら、もう逃げ……ないね」
仁達の姿を確認して背を向けても、豚は逃げることはなく、むしろ尻尾でお尻を叩いてこちらへと後ろ歩きで近づいてきた。
「……あの豚さん、なんか腹立つんだけど」
「奇遇だな。俺もだ。シオン、あの豚について知ってるみたいだけど、毒とかあるのか?ないなら狩ってミンチにする」
豚の煽りとしか思えない行動に、仁の額に青筋が浮かぶ。よく言えば用心深い、悪く言えば器の小ささを発揮し、彼は相手が弱いなら狩ることを決意した。
「私も戦ったことはないけど、危険なのは突進くらいらしいかな。あとは幻影魔法っていう特殊な魔法を使うけど、直接的な危害はないわ。それとミンチって何?」
「ただ幻影魔法で惑わされて崖から落ちたり、ということはあるらしいので気を付けてください」
情報を聞くに、強くはないが厄介な相手のようだ。どうしようかという躊躇いも、豚が挑発するように尻を振り出したのを見るまで。
「ミンチってのはボッコボコにするってことだよ」
「ならいつも、仁は私にミンチにされかけてるのね」
「そ、それは……大丈夫なのです?」
「……」
シオンの無自覚な言葉に傷ついた仁は、無言で地図を取り出して辺りの地形を確認。幸い、崖などの危険そうな場所はなく、煽ったツケを払わせるついでに八つ当たりをすることにした。
だったはずなのだが。
「本当に長かった……」
逃げ回って惑わす豚をかれこれ一時間も捕まえられず、木にぶつけられ、草むらに突っ込まされと翻弄され続けてしまった。それもようやく終わった、と思ったその瞬間、
「えっ……ちょっとなんでよぉぉぉ……」
「うそん」
「そ、その子も幻だったのです?」
シオンの悲痛な声とともに、地面に転がっていた豚の姿が揺らいで消えた。それこそ最初からいなかったかのように、綺麗さっぱりと。
「ぶほっ」
一同が膝をついたその時、シオンの後ろ、つまりイザベラをからかい、シオンが偽物だと勘違いした本物の豚が、仁達の様子を鼻で笑っていた。
「ぶちっ……ふぅ……落ち着こう」
仁のこめかみの血管が嫌な音を立てるも、オーガとの戦いを思い出し、熱くなっては意味がないと一度頭を冷やす。
ここまでにかかった時間は一時間以上。労力も魔力もそれなりに使い、シオンさえ心理戦で負けたという現状。
「なぁ、シオン。美味いってのと腹立つのはわかるがもう諦めないか?これ以上やっても時間の無駄というか、あいつおそらく知恵があるからスルー、つまり無視が一番だ」
「私も少々、疲れました……市場に出回っている肉は幻豚が寝ている間にひっそりと近づいて仕留めたものばかりと聞いてますし、起きている間は無理かと」
以上のことを踏まえて、仁とイザベラは追いかけても捕まえることはできないと、撤退の判断をシオンに提案した。
しかしそれでも、
「嫌よ……腹が立つとか、お腹が空いたとか、美味しいだとかじやなくて、どうしても捕まえたいの」
シオンは、退くことを良しとしなかった。そうと決めたら頑固ではあるが、基本的に迷惑だけはかけないように振る舞う彼女が、だ。
「どんな理由なんだ?」
「……まだちょっと、話しにくいかな。いずれそのうち話せたらいいんだけど。でも、お願い」
そんな彼女の珍しい態度に何が譲れないのかと尋ねるが、帰ってきたのは秘密と懇願という答え。人の心は、目や態度にも色濃く表れると仁は思う。そして今のシオンの瞳に映る色と、頭を下げたその態度から伝わるのは、譲れぬ強い意志だった。
「はぁ……もう少し付き合うか」
「俺君イッケメーン!あの豚に一矢報いたいし、食べてやりたいしね」
仁はその意志に、手間以外の断る理由がないからと延長戦を受け入れた。徒労になりそうでやめたい気持ちはあったが、珍しいシオンのわがままだ。今まで受けた恩から考えて、聞かねばならないだろう。
「いいの?仁の身体セーフ?」
「セーフというか大丈夫だって。その代わり、とびっきり美味いもん食わせてください」
「不味かったら許さないよ!」
「う、うん!」
「セーフってなんなのでしょう?とりあえず、皆様がそうおっしゃるなら、私も賛成です」
「大丈夫って意味だよ」
理由も明かせないわがままを受け入れた仁に、シオンは少し弱気に確認すふ。そして少年は確認に、冗談交じりでやろうと告げた。
「でもこのままじゃ埒があかない。だから、作戦とかで攻めていこう」
「……うん!」
とは言ったものの、幻を使う敵なんぞ初めてなもので、ろくな作戦など仁にはたてられない。
「落とし穴を作ってみたわ!」
各自個人で考えて、それぞれを実行しようということになった。作戦のクオリティはとてもチープなものになったが致し方無い。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるだ。
「いや、シオン。もう少し分かりにくいように作ろうぜ?穴掘って葉っぱかけただけとか……」
「そ、そんなことないわよ!もう少し分かりにくく作ったわ!」
彼女の作った下手すぎる鉄砲、もといチープすぎる落とし穴には、さすがに引っかからないだろうとダメ出しした仁であったが、
「ぶもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
「「「「あ」」」」
何もいなかったはずの空間が破け、いきなり姿を現した豚が穴の中へと落ちていったのを見て一同唖然。
「あいつ、バカなのか?」
「拍子抜けだよ。なんなのさ、本当になんなのさ。あれだけ苦労したのに、シオンのあんな安っぽ……チープな落とし穴にかかるなんてなんなのさ」
「ねえ?今、わざと私の分からない言葉に言い直したわよね?チープって安っぽいって意味なのね?」
「違うよ素晴らしいって意味だよ」
「あの豚さん、やっぱり豚さんでしたね…」
今までの苦労はなんだったのかというため息を吐きながら、シオンから逃げるついでにとどめを刺すために穴へと向かう仁。
「……ん?あ、仁ちょっと待っ」
「とはいえこれで苦労も報われ……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
豚がいるはずの落とし穴の一歩手前、何かに気づいたシオンの警告が届く前に、仁の身体が地面の中へと落ちていった。
「なんか、先程までは男前でしたのに、残念なお方ですね」
「ご、ごめんなさい。そっちが私の作った落とし穴。ほら、これに掴まって」
さっきまで少しカッコつけていただけに、遠のいていく声の残響が余計に虚しく響く。イザベラとシオンもがっかりと言った様子だ。
「ぶっ、ぶっ殺してやる!」
シオンの作った木の蔓で引っ張り上げられた仁が見たのは、おまえはアホだから見ているのだと言わんばかりに、目の前でふりふり振られ揺れる豚のケツ。
「おうおう?どうされたい?ローストか?ミディアムか?レアか?ミンチにしてハンバーグかっ……ぎゃあああああああああああああああああああ!?」
「ああ、ごめんなさい!私が仕掛けた罠が……!」
豚に良いようにされたという怒りに身を任せ、作戦も何もかも忘れて突っ込んだその先、仁の脚が何かに引っ掛かった。途端にびよよーんと脳みそがシェイクされ、上下左右が消滅する感覚と共に宙へと釣り上げられた。
「……なんだこれ!?」
どうやら足元の糸を切ると発動し、地面に仕込まれた縄が木にかかったアホを吊るす仕組みらしい。手の込んだ仕組みは仁では到底できないもので、この罠は魔法あってのものだろう。
「短足だから乗り越えられないと思って、足元に糸張ってたんです。豚さんの幻影で見えないようにされてたみたいで……」
短足でもないのに罠にかかったアホに、イザベラは頭を下げる。「別にいいよ」と震えた声で言おうとしたが、逆さになった視界でわざわざご丁寧に近くに寄ってきた豚が笑っているのを見て、
「ドチクショウがああああああああああああああああああ!」
「僕もう限界だよ!これじゃ僕が吊るしベーコンだよ!もうあいつめった刺しにしよう!串カツだよ!」
言葉の優先順位がすっかり入れ替わった。しょうがないなぁと、シオンに縄を切ってもらう。そうして地上に降り立った仁は、数歩先で鼻を膨らませる豚へ限界ギリギリの殺意の視線を送る。
「落ち着いて!ねぇ、気持ちは分かるけど闇雲に突っ込んでもまたいいように弄ばれるだけだわ!」
「わ、私が仕掛けた罠もまだ残っていますし……ね?」
罠にかかっていない二人が冷静な仁を宥めるが、彼の怒りは収まることはなく。
「よし、シオン。ここ燃やそう。この森ファイヤーして炙ってやろう」
「そうさ、ちょっくらして戻ったらいい感じの豚の丸焼きが完成しててみんなでパーティーだ」
前と同じように、森ごと燃やして豚を仕留めようとシオンへと頼んだ。その目は冗談を言っておらず、本気の輝きである。
「ごめん仁。みんなでわいわい食べ物食べたり飲んだりのパーティーしたいけど、こんなところで炎出したら、前みたいに森が焼け落ちちゃう……」
「ま、前も?ちょっと聞き捨てならないことが聞こえた気がしたのですが!?ここら一帯を燃やせば逃げられないかもしれませんが、火力が強すぎて丸焼きどころか丸焦げです。もしかしたら、消し炭さえ残らないかもですよ」
さすがにそんな無茶や自爆、自棄に近い作戦が二度も許されることはなく。だがしかし、仁はその発想自体は間違っていないと、
「ここら一帯か。なんだ最初からそうすればよかったんだ」
「あー、確かにそうだね。それならもう、見えてても見えなくても本物でも偽物でも関係ないねぇ」
新たな作戦を思いついたと、これで憎き豚を狩れると、二人して今までで史上最高に悪い笑みを浮かべた。
「仁?今の仁の作戦、きっと無茶なのばっかりだと思うから一旦落ち着いて」
「豚一頭のために森ごと燃やすなんて、正気の沙汰とは思えないですよ」
シオンとしては無茶な作戦の片棒を担がされた経験から。イザベラは常識人の視点から作戦に不安を覚えたらしい。
「いや、大丈夫だ。森を燃やすなんてことはしないって」
「ちょっと耕すだけだって」
「何する気?」
「それはな……」
「さぁ、行くぞ豚野郎!食ってやる!」
短い作戦会議を終え、これならいいと二人に承諾を得た仁は油断の欠片もなく、呑気に草を食んでいる豚へと今までの怒りを込めて斬りかかる。
「さっきまでの借り、狩りで返させてもらうからね!」
「……ないわー」
「な、なんで!?」
僕のつまらないギャグに幾分、いや、大分やる気が削がれたが、それでも豚くらいなら十分に仕留められる一撃。まぁ当たればの話である。
「どうせ幻ってのは分かってるんだよ!」
「そして幻を出した後にバカにしてくることもね!」
攻撃が当たることなくすかっと空振り、目の前の木の陰から顔と尻を交互に出して豚が煽ってくるのも、仁の想定内。
「そしておまえ、近くにしか幻出せないだろ?」
「僕らは囮だよ」
おまえは今作戦の掌の中だと、仁はあっかんべーと舌を出して煽り返した。
今までの戦いを振り返って分かった。それはこの豚、いつも自身の近くにしか幻を発生させていなかった。つまりそれは、幻を生み出す範囲に限りがあるかもしれないということ。
豚の煽り行動と幻の範囲。以上のことを踏まえて考えれば、仁がドジったフリをした直後に豚に必ず隙ができる。
「今から姿くらまそうってか?させるかボケえええええええええええ!」
「残念無念!もう遅いよ!アホな豚さん、自分のケツでも見るがよいさ!」
仁が豚の位置を固定した時点で、作戦の仕込みは終わった。今までの鬱憤を晴らすかのように、普段の仁とは違う口調で罵声を浴びせ、
「シオン、イザベラさん!」
「反撃の追い込み漁、始めてお願いします!」
「お願いされたわ。そーれっ!」
「分かりました。ではっ!」
呼びかけに応じ、仁の左右15mほど先に現れた二人が、両手を地面につけて魔法で土の棘の創造を開始。範囲は、ここら一帯を一片の隙もなく埋め尽くすようにだ。
「さっすがぁ!」
「幻でいくら姿隠しても、手当たり次第の攻撃が本物に当たったら意味ねえよな!」
平坦な地面は瞬く間に消え、仁の片足ほどもある棘が足元を埋め尽くしていく。
そう、これこそが仁の最初の狙い。見えていようが見えていまいが関係のない、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるの、逃げる場所のない攻撃。
「ほぉら、たまらなくなって姿現しやがったぞ!」
土の棘に追い立てられ、いきなり何もない空間を裂いて慌てた豚が現れた。必死になって短い足を動かし、安全地帯を探して逃げ回っている。
「ハッハー!!バーカバーカ!おまえに安全地帯なんてねえんだよ!」
「そうだそうだ!ここで串刺しになるといい!後で焼いて焼き豚に……あれ?僕らも逃げ場なくない?」
そんな豚を見て仁は気分爽快とバカ笑いするが、自らも囮となっていたが故に、攻撃範囲に巻き込まれていた。
「うおおおおおおおおおお!?やっちまった〜!」
俺の人格が大袈裟に頭を抱えて事態を嘆き、
「なーんてね!嘘でした!」
僕の人格へと入れ替わり、ニヤリと笑う。すでに怒りで色々とネジが吹っ飛んでしまった故の行動だ。俺の人格は後々このことを思い返して、「なんて痛いことをしたんだ」と悶え苦しむことになる。ちなみに僕はこの手のことを本当にかっこいいと思っているので、後遺症はない。
しかしそれは先の話であり、今は目の前の豚の捕獲に集中だ。
「今までのツケ返させてもらうかんな!」
「お二人さん!今度は逃げ道の開通をお願いします!」
仁が手を振り上げて合図を送ると、シオンとイザベラが土の棘の創造方向に偏りをもたせ、逃げ道を開いてくれた。だが、そこを逃げ道とみなしたのは仁だけではなく。
「そら、ついて来い!」
「フォローミー!フォローミー!」
その道をありがたく走り抜けながら、後ろを追走する豚へカモンと手招き。煽られた豚はさらにスピードアップし、仁を跳ね飛ばさんが勢いだ。
「てかどちらにしろ、走らないと串刺しだもんね!」
豚の背後からはまだ、棘が創成され続けている。仁達が通った逃げ道は数秒後にはもう針の山だ。足を止めれば仁は豚に跳ね飛ばされ、豚は串刺しへと料理される。幻なんぞ出しても無駄だ。
止まることは許されない。この土の棘地獄から逃れるには、走り続けるしかないのだ。ないのだが、二人と一頭のレースは長くは続かない。なぜなら、
「俺君、ここがポイントだ!」
「だから言ったろ?おまえの安全地帯はないってな!」
作戦はもう終わりで、仁の勝ちなのだから。目印のある木の前で足を大きく踏み出し、
「ここだっ!」
「うぐっっ……ぷはぁ」
地面すれすれに仕掛けられた糸に、思いっきり引っかかった。途端にぐるんと身体が持ち上がり、宙吊りの態勢に。先と違うのはその高さが土の棘も当たらないような高さであること。
そしてもう一つ違うのは、
「ぶもおおおおおおおおおおおお!?」
糸の仕掛けられたその数歩先に、落とし穴が仕掛けられていたこと。
仁を跳ね飛ばす勢いで土の棘から逃げていた幻豚が急に止まれるわけもなく、盛大な音を立てて地下へと落ちていく。
「上手くいったようね!うんうん、傷もほとんどないみたいだし、上々よ!」
シオンは土の棘の創成をやめ、仁を褒めながら足の縄を斬り払う。その顔は非常に綻んでいて、わざわざ回りくどい手を使った甲斐があったものだ。
仁が木の上に逃げた後、単純に土の棘で刺し殺しても良かったのだが、傷が大き過ぎれば料理に支障が出るとシオンに言われ、作戦を見直した。殺すのではなく、無傷で捕らえて美味しくいただくことが目的なのだ。
「私の罠は逃げるためにと用途を変えて、シオンさんの罠は巧妙に隠して。素晴らしい作戦でしたね。ちょっとかっこよかったですよ?」
「そ、そんなこと……」
「いやー!それほどでも?」
美人なお姉さんに褒められ、照れ顔とドヤ顔と表情の激しく入れ替わる。実際、このシオンの落とし穴とイザベラの罠を合体させることを思いついたのは仁だ。
「両方とも仁が引っかかったものだもんね!身体で覚えたのね!」
「おい、シオン。なんか言いたいことあるならもっと直接だな?」
やたら棘のあるシオンの言葉に、俺の人格はむっと顔をしかめる。対するシオンも喜びの顔はどこへやら。少しツンとした表情で。
「俺君俺君、多分直接言ったら君がど偉い恥ずかしい思いするけど大丈夫かい?」
「まぁ、ごめんなさい……うふふ」
「それってどう……あっ!?」
僕の忠告とイザベラの含んだ微笑みに、ある可能性に思い至った俺の人格は顔を真っ赤に染め上げる。自意識過剰、ナルシストの思考に近しいが、もしその予想が当たっていたのなら、恥ずかしいとかいうレベルでは済まない。いや、外れていても恥ずかしいとかいうレベルでは済まないのだが。
「ツーン」
シオンは相も変わらずツーンと言ったまま、というより口でツーンと言っているような状況である。以前に僕の人格がツンデレだの余計なことを教えていた記憶があるが、これやいかに。
「とっ、とにかくだ!さて……まぁおまえ、散々俺らで遊んでくれたよなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
これ以上この話題は危険であると、穴の中の豚を覗き込む。
「ケツ見せられたり、木にぶつけられたり、穴に落とされたり、宙ぶらりんになったり、危うい話題に突っ込んで恥じかかされたり」
「俺君俺君、大抵同意だけど最後のだけは完璧になすりつけの八つ当たりだよね?」
「豚さんも否定してますよ?」
豚との遭遇からあった痛いやらムカつくやら恥ずかしいやらの記憶を思い出し、指折り数えて、ついでプラス1となすりつけようとする。豚も最後だけは違うと、首を横にふるふると振りまくっている。
「安心しておくれよ。僕はなすりつけたりしないから」
そんな豚に僕はうんうんと頷き、
「でも、君、散々僕らを煽っておいて、負けたんだよ?ねえねえ?どんな気持ち?あんだけ煽ってた相手に負けて食べられるの、どんな気持ちいいいいいい?僕は気持ちいい!」
畜生のような言葉を笑顔のまま吐いた。いくらされたことがされたこととは言え、後はもう〆られるだけの哀れな幻豚に対して言うには少し酷なもので。
「……ちょっと幻滅したんですが」
「仁、さすがにそれはかわいそう……」
女性陣からドン引きされていた。何気に幻滅したという言葉が心に響く。
「ダメでカッコ悪いよ?俺君?」
「て、てめぇ、なすりつけないって言った自分の言葉にもうちょい責任を持てよ!だから俺じゃない!シオンもイザベラさんもそんな目で俺を見ないでくれ!悪いのは僕だから!」
その時僕が取った手段は、掌を返して俺の人格のせいにするというものだった。なすりつけられた俺の人格は冤罪を主張。それでも止まらぬジト目に僕を見ろと要求するが、
「いや、僕を見るにしろ、俺を見るにしろ、仁を見るんだけど」
シオンに正論で返されてしまった。確かにどちらも仁であり、一つの身体である以上どうしようもない。
僕が生んだ誤解により傷ついた俺の人格は、復讐とばかりに精神世界でどつき合いを開始。
ぐぅ
そんな二人の争いを止めたのは、我慢できないとばかりに可愛らしくなったお腹の音だった。
「ひゃ、ひゃぁ!?ごめんなさい。お腹が空いてきてて……うあう……」
「ねぇねぇ俺君。君も鳴らして恥ずかしさを半減させてあげなよ」
「無茶を言うな」
「うう……恥ずかしい……そんなことしないでいいので、忘れてください〜〜!」
鳴らし主は火を見るよりも明らかで、恥ずかしさのあまりに湯気を出していた。
「気にすることないわ。生理現象だもの。さて、美味しくいただきましょうか。私も馬鹿にされたお礼したいしね!」
「「さんせーい!」」
「……もう自棄です。たくさん食べますわ」
「ぶもおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
シェフの一声で心を一つにした忌み子一向。食欲と復讐心によって輝くその瞳に見つめられた豚は、断末魔の叫びをあげた。
『幻豚』
縦1m、横2mほどの、まだらな模様が特徴の豚。世界でも数少ない幻影魔法の使い手にして、最高級の食材。肉一切れに金貨数十枚の値段がつくこともある。
その理由は個体数の少なさではなく、幻豚が使用する幻影魔法にある。どうやっても、捕まらないのだ。市場に出回っている肉は全て、寝ている間に奇襲をかけて奪ったもののみである。
右に姿が見えたはずなのに、次の瞬間には左に姿がある。捕まえたと思ったのに、実は丸太を掲げてたなんてなんてザラ。ひどい時には気づかないうちに崖から足を滑らせ、死ぬことだってある。そしてその姿を見て、この豚は笑うのだ。
弱点は幻影は遠くに出すことができず、必ず近くに本体がいること。突進と幻影以外に特に秀でたものがないくらいである。魔力に物を言わせて広範囲を攻撃すれば、肉を傷つけてしまうが倒すこと自体は可能だろう。
シオンがなぜか、どうしても食べたいようだが……




