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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
幻想現実世界の勇者
33/266

第30話 終わりと始まり

 

「彼女はどこからともなく、ふらりと現れた。名前も出自も世には伝えられていないが、確かなことが二つ。莫大という言葉でさえ足りない魔力をその身に宿していたこと。そして、黒髪黒眼だったことだ」


 期待に目を輝ける観客に、ロロは臆することも気負うこともなく堂々朗々と語り始めた。


「さて、この時の世界を少しばかりなぞるとしようか。まぁ一言で言うなら、酷い有様だった。戦に明け暮れる国々。無理に戦場へと連れて行かれ、死にゆく兵士。重い徴税に逃げ出す農民に、飢えて苦しんで死ぬ民。終わらないような、戦乱の世だった」


 その時の世界情勢や、当時の強者をさらりと軽く、とても分かりやすく、順を追うように、まるでその世界に入り込ませるように、彼は語った。


「話を戻そうぞ。彼女が最初に力を振るったとされているのは、小国の王宮が一夜にして砂のように崩壊した事件だろう。小国とはいえ、警備が万全なはずの王宮がたった一人の手によって滅びた」


 当時の人々は、今の仁以上に驚いたことであろう。厳重な警備をくぐり抜けた刺客が王を暗殺した、くらいならまだ理解はできる。隣で話を聞く少女の戦闘力なら、可能性はあるからだ。


 だが、王宮そのものが崩壊したとなると話は別だ。それこそ科学の力、ミサイルや核弾頭でも撃ち込まない限り、一夜にして壊れるとは思えない。ましてやそれを成したのが、科学の力を知らぬただ一人の女であるなら。


「……王宮丸ごと砂って、シオンできるか?」


「ううん。絶対に無理」


 いったいどれほどの強さで、どれだけの魔力を持っていたのだろうか。


「この事件が原因で国は王を失い、内乱に発展し、やがて滅亡した。それ故なのか、この事件の詳細な記録は全く残っていない。ただ魔女が関与し、その後、彼女は姿をくらましたとだけ記されている」


 魔女は間接的に、この時点で一つの国を滅ぼしていた。すでにこの時点で規格外だろう。だが、ここで伝説が終わるわけがない。彼女は規格外だけでなく、後の世に語られるほどの力を持っていたのだから。


「きっかけが欲しかった諸国の介入により、内乱は長きに渡った。小国が滅びた後もずっとずっと、大戦となりて犠牲を積み上げて続いた。領土を切り取り合うので揉め、水源地が欲しいからで殺し合い、理由は違えど、殺し合っていたことに違いはなかった」


 富が欲しい。水が欲しい。食料が欲しい。何か欲しいものがあれば、人はその手に掴もうとする。そしてそれが他者の物でも、余程欲しいのであれば、時には奪うこともある。


 人の汚さや醜さを見たことがある仁には、容易に想像できた。欲に駆られた人々が争い、時には人を巻き込み殺しあ合う。汚く醜く、そして実に人間らしい姿が。


「時は流れ、魔女は再び世に姿を現した。信じがたいことに、より強大な力を得てだ。彼女が次に壊したのは、小国の半分ほどの大きさの大森林だった。この時でさえ魔女の力に気づいたのは、ほんの一握りの聡い者か、幸運な者だけだった」


 森を壊す、という言葉に仁はつい先日、自らが思いついた作戦と実行者を思い出した。


「さてさて」


 ここで一つ、区切りを入れてロロが手拍子を鳴らし、仁とシオンを現実へと引き戻す。まるで今は話を聞くのではなく、違うものに集中してほしいかのように。


「先に話した小国の崩壊により始まった大戦は、突如として終わることになる。さぁ、ここからが特別だぞ?聞くだけではなく……見るがよい!」


 注目を再度集めたロロが、本の一小節を指でなぞると光が弾けた。そこに浮かび上がるのは、金属と金属とがぶつかり合い、人と人が血で血を洗う戦争の光景。


「なんだこれ……!?」


「自分の系統外だ。当時の状況を再現している。さすがに個々人の顔までは再現できないのだが、中々に好評だぞ」


「そんな系統外、あったんだ」


 先ほど仁は話に引き込まれ、まるでその世界にいるようだと感じていた。だが、これは訳が違う。ロロを中心に広がるこの光景は、本当にその当時へと誘っていた。


「こんな風に、各国は動員できるだけの人数を投入して戦争を行っていた。特権階級達も平民も誰もかも、負ければ全てを失うと分かっていたからだ。もっとも、勝ったところで失うものが多すぎただろうがね。見えるか?あそこの異様な戦いが」


「見えるけど、あれは……人間か?」


 ロロの指差す方角に、血に塗れた人間が立っていた。顔や髪の部分は黒く塗り潰されており見えないが、その戦いぶりだけはしっかりと見える。


「化け物かよ。あれが魔女?」


「当時の『勇者』さ。一騎当千、勇者が赴いた戦場は勝利が約束されると言われたほどの力を持つ者。実際、勇者はここまで負けなしだったがね」


 勇者と呼ばれた存在が煌めく剣を振るえば、目の前の敵はおろか、数十メートル先の人間までもがバラバラに切断され、余波で大地が抉られ、人間が木の葉のように吹き飛んだ。


「あれが勇者?実在したのか」


「てっきりおとぎ話の中だけとね」


 勇者が空へと手をかざせば、巨大な黒色の球体が周りの兵士たちの身体の一部を、時には全てを飲み込み、切り取りながら飛び回り、骸の山を築いていく。

 

 障壁魔法を展開して防ぐ人間が時たま見受けられるが、物理と魔法の両方を防ぐことはできない。剣か、黒の玉か。そのどちらかで必ず殺される。


「障壁を意に介さない攻撃ってわけか」


 その強さ、化け物でも生温い。仁がそう思った矢先、空から飛んできた一筋の炎が、不意を打つ形で勇者の腹を突き抜け、化け物以上の存在が傷口を押さえて膝をついた。


「さあ、主役のご登場だ。忌み嫌われてる主役だがね」


 勇者の顔の向く方角に、彼が倒れたことに驚く人々の視線の先に、彼女はいた。


 長く艶やかな黒髪を風に揺らし、黒き衣の上からでも分かる豊満な身体つきの女性が、片手をかざした体勢で空から戦場を見下ろしている。


(ねえねえ。俺君。僕、シオンと魔女の圧倒的格差、じゃなくて圧倒的な違いを見つけたよ)


(奇遇だな。俺もだ)


 その光景を見た瞬間、仁の両人格は真面目な空気の中にも関わらず、ロロがシオンと魔女を区別した部位を特定することに成功した。


 あまり見てはならない気がするが、見ないわけにもいかず。仁は比較対象である少女へギギギと首を動かして、恐る恐る彼女を見ると、


「……ここ、似てない……?」


 見慣れた黒髪の少女が、胸部前方の空気をすかすかと掴んでいた。哀愁と絶望と嫉妬が漂う姿に仁は、微笑ましい感情と涙が出そうな感情が混ざり合うという奇妙な気持ちになる。


「話を聞いているのか?叶わぬ努力をするより、今は自分の話をちゃんと聞……悪かったそう睨むな。もう再開していいか?」


「いい……よ」


「……映像、消すこともできるが?」


「……続けて」


「分かった」


 物語に集中していない仁とシオンに、ロロは本を触って映像を止めて不満そうにしていた。しかし、それ以上に不満というか、切なそうにしている少女を見た彼は、不機嫌をやめて気遣いに転換してみせた。


「こほん。では、再開だ!」


 気遣いを断られたロロがもう一度本をなぞることで、過去の世界は再び動き出す。


「魔女の顔も見えないんだな」


 兵士たちの例に漏れず、魔女の顔も塗り潰されており、それはまさに全身真っ黒に染まった人形が、宙に浮いているようだった。


 彼女の姿に気づいたのは、勇者とその周囲の人間だけ。それ以外の人間は空など見ずに、目の前の敵を殺すのに必死だった。血に満ちた空気の中で勇者が障壁を展開し、そして魔女は指を鳴らした。


「化け物でも足りないって勇者を見て思ったが、魔女はそれ以上」


 彼女はただ、指を鳴らしただけ。それが魔法の発動キーだったのだろう。何らかの魔法が使われたことだけは、分かった。


「どんな魔法を使ったの?」


 たった一つの魔法が戦場という地獄を、本物の地獄へと叩き落としていた。地面が暴れ狂っている。そうと形容するしかない。大地が生き物のように唸り、顎門を開けて人を喰らい、血を隙間からこぼす、その光景は。


 範囲は戦場の一端だけではなく、また長い時間をかけて発動されたわけではなかった。魔女が指を鳴らしてすぐ、勇者やごく少数の人間以外が反応する間もなく、戦場全ての地面が人を喰らう。


「あれは相手を土の檻に閉じ込める魔法から派生した、脚をネズミ捕りにかけるような魔法だ。要は足止め。彼女が使えば、足止めどころじゃないがな」


「……ネズミ捕りじゃないよ」


「あれはもう、ただの処刑道具だ」


「魔力で強引に範囲と殺傷力と発動速度を底上げしたの?」


 防御が間に合ったのは、勇者を始めとした数人だけ。その他全ての喰われた人間の末路は、姿をとどめない肉片と骨と、国中の赤い絵の具をぶちまけたような血の海だった。


 魔法障壁か防御が間にあった者も、軍隊が僅か数秒で血と死体と髪と骨と内臓へ変わった光景に理解が及ばないのか、ただ呆然と立ち尽くしている。その中でただ一人、勇者だけが天に向かって叫びをあげていた。その手に抱かれているのは、死した仲間と思しき肉体。


「これが『魔女』と『勇者』の戦いの始まりだった。これから先、彼女と彼は魔法と刃を交えることになる」


 そこにもう、魔女の姿はなく。勇者は誰かの躯に寄り添い、ただただ叫び続けていた。


「魔女の横槍で戦争は終結した。いや、せざるを得なかった。ほぼ全ての人類が魔女を敵と認識し、脅威に感じたからだ。各国は協定と同盟を結び、強者の原石を磨き、魔女の脅威に備えた」


 場面と時代は移り変わる。戦乱の世から、ある種の奇妙な平和へと。


「共通の敵を得たことで、人類間での戦争は激減した。戦争に湯水のように使われていた資金は少しずつ、発展へと向けられていった。皮肉だろう?最悪の敵が現れたから、人類は前に進んだのだ」


 戦争で壊された建物が復興し、少しずつ発展していく。人の営みを示す明かりは、街は、シオンと仁を中心に確実に増えていった。


「魔女もその間、何もしなかったというわけではない。魔神と手を組んで更に力を得た彼女は、自身に対抗しうる可能性のある者を潰し始めた」


 その明かりの一つに住まう家族の家が、いきなり爆発した。例え特異な能力を持っていようと、戦場では敵なしと言われようと、世界に名を轟かす剣豪だろうと、不意を打たれれば脆かった。


「『剣聖』『吸血鬼』『帝』『鉄壁』『カラクリ使い』……魔女は特に、未知の系統外を持つ者をこの世から消していった。時に人気のない森で、時に町の路地裏で。家の中でさえ安全とは言えなかった。この頃だ。『忌み子』と黒髪黒眼が恐れられるようになったのは」


 とても珍しく目立つ、黒髪黒眼。自身の家や、いや、もしかしたら街ごと吹き飛ばされるような危険性があるなら、驚異の目印になるのは分からなくもない。


「魔女は強者を屠るだけでは物足りず、世界が危機に陥った時、勇者を助けるとされる『飛龍』へとその魔力を向けた」


「飛龍……」


 映し出されたのは霧深い渓谷を飛び回る、真紅から蒼黒、様々な色合いの鱗を持つ龍たちの姿。


 その姿は焼け落ちる故郷を呼び起こす程、仁の街を襲った龍と酷似している。拳を握り締め、顔をわずかに強張らせた仁に、物語に夢中なシオンとロロは気づかなかった。


「飛龍は巨大な体躯と知恵を持ち、人語を介し、個体差はあれど魔法をも扱える強大な種族だった。何より人と変わらない、いや、それ以上の優しさや愛を持っていた。故に強大な力がありながらも、かつて種を救った勇者の頼み以外、悪戯に力を振るうことはなかった」


 愛すべき伴侶とともに巣を作り、人と同じように愛情を注いで子を育み、そして滅びゆくその姿。仁が見た、炎で街を焼き滅ぼして満足そうに鳴く姿は欠片もない。ただ、温かさと絶望だけが伝わってくる姿であった。


(さすがに同情するよ。彼らもまた、僕らと同じなんだからさ)


 いくら故郷を焼き滅ぼした仇の一族と言えど、同情の念を禁じえなかった。


「当然、飛龍にも魔女の起こした出来事は知れ渡っていた。個体数が数百にも満たない種族であるから、噂が伝わるのも空を飛ぶような速度だからな」


 飛龍たちも魔女の襲撃に備えをしていないわけではない。各々で対策を練り、連携を考えていた。


「彼らは翼を持っていた。故に世界中に散らばれば、いくら魔女とはいえど滅ぼすことはできなかったはずだった。そんな強大な種族をどう滅ぼしたか?簡単だ。逃げられる前に渓谷に頑丈すぎる土の壁を張って、退路を絶った」


 しかし、誰が予想しただろうか。魔力に任せて渓谷そのものに強固な壁を張るとは。渓谷内への襲撃ではなく、渓谷そのものへの襲撃。


「障壁でもない限り、ただの土の壁なんていつかはぶち破れるんじゃないのか?」


「十重二十重に張り巡らされ、自動修復する魔法の壁だ。確かに多くの龍が力を合わせれば壊せたかもしれない。が、魔女がそれを許さなかった。そもそも龍の身体は燃費が悪い。二日も何も食べなければ、ほとんど動けなくなる」


 決して出られず、餌が減ることはあれど増えることがない渓谷の中で、飛龍たちは次第に衰弱していった。


「太陽のような炎の玉」


 熱に強い龍でさえ耐えれられない程の高温の玉が、彼らの鱗を蒸発させ、その身を焼いた。


「喉を覆う水の泡」


 喉を必死で搔き毟り、酸素を求めて喘ぐ飛龍。喉の中を水の膜が塞いでいて、呼吸ができていないのだろう。数分間、飛龍は暴れ回って、止まった。そしてもう二度と、息を吸うことはなかった。


「無数に伸びる土の槍」


 地面から伸びる先の尖った土の槍が、飛龍を永遠と追いかけまわしていた。巨体故に小回りが利きにくい彼らを、槍は少しずつ少しずつ気付かれないよう、地獄へと誘導していく。追いかけっこの最後は、魔法の壁に阻まれて逃げ場を失くした龍が、空からおびただしい血を地に零していた。


「吹き荒れる暴風」


 荒れ狂う風が、飛び立とうとした飛龍を襲い地に貼り付けた。何度も何度も、立ち向かおうとするも、強くなる風の前には無力だった。数十秒と経たないうちに、早すぎる風に皮膜が破れ、全身の皮膚という皮膚が裂けた。


 隠れ続ければ餌がなく、見つかれば魔女に必ず殺される。道はどこにもなかった。


「でも、さすがにこれだけの魔法を使うなら、魔女の魔力だって枯れたんじゃ?」


 しかし、これら全ての魔法を発動させるならば、天文学的な魔力が必要になるはずだ。


「普通ならそんな魔力あるわけがない。だが、魔女にはあった。あってしまった。が、さすがの魔女も、この時は魔力が枯渇しそうになったらしいがね」


 龍が力を合わせて外に出ようとすれば、どこから察知したのか魔女が苛烈な攻撃を放ってくる。それでも、例え魔女に同胞が殺されようとも、龍たちは壁に挑んだ。


 そして、無意味で無駄に終わったその行為が、龍たちの滅亡を加速させた。


「燃費が悪い身体なのに、何日も無理をしたら飢えるに決まっている。飢えと怒りと苛立ちに支配された龍はついに、ある行動に出始めた。それは」


「……共食いか?」


「これまた驚かされた。一発で当てられたのは初めてだぞ?」


「いや、そうか」


 食べるものが無くなったら、生物がどういう行動に出るか。仁は一度、その身をもって経験している。


「ここからの映像は、飛ばすとしよう。魔女の恐ろしさは十分に分かっただろう?それに、あまりいい映像ではないからな。愛に溢れていた親子の龍が、これ以上言うのはやめておこう」


 ロロは一旦本を閉じ、映像を消去。途端に戻る宵闇の世界に、彼の声だけが響く。映像は無くとも彼の声は、当時の状況を想像させる魔力を持っていた。


 愛も生存本能には勝てなかった。その結果が、親子での殺し合い。結局、生物は自己の生存を優先するものなのだろう。


「人間の救援が到着した時、それはもう酷い有り様だった。同族に食い破られた個体。魔女によって穴だらけにされた個体。餓死して腐った死体。このことを知った人類は、ついに覚悟を決めた」


 もう一度ロロは本を開き、映像を展開。剣も鎧も風貌も人種もばらばらな多数の兵士達が、同じ方向へと歩いていく、歴史の彼方に埋もれた光景。


「数年前までは敵同士だった国々が、本格的に手を組んだ。障壁魔法の使える精鋭、総勢十万を投入し、幾人もの強者に率いらせて討伐軍を編成した」


 さすがの人類も、龍族の滅亡を見て明日は我が身と悟ったのだろう。遺恨はあった。しかし、魔女を倒すまではと目を瞑り、愛する者を守る為に、また栄光を手に入れる為に彼らは立ち上がった。


「障壁魔法が使える人間だけを集めた理由は、もう分かるだろう?各国の首脳部は、魔女の魔法を魔法障壁で全て防ぎきる作戦に出た。障壁が使えない兵士は盾にもならないと、分かっいての選択だ」


 雑兵など、魔女の前には塵以下。魔女に対して障壁魔法は非常に有効であると首脳部は予想し、討伐隊は意気揚々と戦場へと向かった。運が良ければ一人の犠牲者すら出ないと。


 火の玉も熱線も氷塊も氷山も竜巻もカマイタチも土槍も土石流も、魔法であるならば魔法障壁は必ず防ぐ。それは絶対のルールだ。いくら魔女の魔法が強大でも、無効なら無意味。


「討伐軍は、魔女へと平原を一直線に突き進んでいく。その中には人類最後の切り札である勇者の姿も。そしてついに、人類の敵との戦いが始まった」


 蠢めくような数の兵士達が、魔女へと進軍していく。対峙する彼女の振られた第一手は、かつてと同じ。蠢いた地面が十万の軍勢を隙間なく、狂いなく、慈悲もなく、襲った。


「結果から言おう。第一手での死者、0名」


 かつてであれば壊滅した魔女の一撃を、魔法障壁は全て防いで見せた。人を喰らう土の牙も、障壁を超えることは決してできなかったのだ。


「魔法障壁を使える者だけを集めたこの作戦。魔女の魔法を封殺できたと、兵士は喜びに身を震わせた。魔女など魔法が使えなければ、ただの非力な女性だと」


 鎧を鳴らし、討伐軍は剣を振り上げて魔女へと迫る。その表情は非常に明るいものであり、希望に満ちていた。


「魔法しか使えない魔女は、魔法を撃つことしかできない。そして、第二手」


 魔女が両手を人類へと向ける。世界の理を捻じ曲げる力で大地が大きく揺れ、兵士達は大きくバランスを崩す。それだけで済めばよかったのだが、


「走った亀裂に飲み込まれたならば、魔法障壁も効果はない。兵士はただ地の底へと落ちていくだけだ。しかし飲み込まれたのは亀裂付近の兵士だけで、犠牲はごく僅かだった」


 だが、まだここで終わりではない。魔女が使った魔法の真の姿は、意味は、こんなものではなかった。


「魔女の魔法の意味に気付いた者は多数いた。が、適切な対処を取れたのは、片手で足りる数しかいなかった」


 いくつもの大地が切り取られ、土を地へと落としながら空へと浮かび上がっていく。亀裂に割られ、いくつもの巨大な破片へとその姿を変えて、何段もの高さに分けられて空に留まる。


「意図に気づいた者によって砕かれた岩塊、数個」


 空に浮かぶ巨大すぎる破片を、何人かの人間が魔法や系統外で砕こうと試みる。が、破片の数はあまりにも膨大すぎた。そもそも高度が高すぎて攻撃がほとんど届かず、当たったとしても威力が大きく削がれて意味はなかった。


「そして魔女が浮かべて落とした岩塊。数千個。無駄骨にして焼け石に水にして徒労で、実に無意味な行いだった」


 魔女が魔法を解除すれば、岩塊は雨のように天から堕ち始める。魔法による加速など必要ない。人を押し潰すには、物理法則による重力加速だけで十分だ。


 岩塊そのものは魔法で作られたものではなく、切り取られただけの物理判定。大多数の兵がそれを理解し、物理障壁へと切り替えた。


「結果、壊滅。生き残ったのは賢明な実力者と、本当に運が良かった者のみ。死んだのは無力者と愚かな実力者達」


 魔女が再びかざした手に、魔力が集まり始める。輝き、照らし、燃やし、熱い灼熱の炎が収束していく。


「物理へと切り替えた兵は、己の失敗に気づくがもう遅い。魔法障壁を解除させる。それこそが魔女の狙いだったのだと」


 魔女が平原を焼き尽くして進む業火を放ったのと、隕石と錯覚するような岩塊が降り注いだのは同時だった。


「岩塊に備えて物理障壁を張った者は実力者問わず、一人残らず魔女の業火に焼き尽くされた。魔女の狙いに気づき、魔法障壁のままだった人間のほとんどは、岩塊に押し潰された。気づいていたとしても、防げない一撃、いや、二撃というべきかな?」


 物理と魔法の二択だと思っていた兵士達は、その命を授業料に魔女の恐ろしさを学ぶこととなる。二択ではない。その両方を備えた更に理不尽な三番目の選択肢を、考えておくべきだった。そしてその対処のある者だけしか、連れて来てはいけなかった。


「助かったのは魔法障壁を展開していて、なおかつ降り注ぐ岩塊全てを防げる強さを持つ者だけ」


 岩に人が蟻のように押し潰され、人が炎に料理のように焼かれる中、勇者の剣撃が岩塊を塵に変え、誰かの系統外が岩塊を跳ね返し、また違う女の系統外は岩塊を砂へと分解していた。


「最も、それは十万の兵の中の一握りもいいところだったがね」


 大半の兵士は身を焦がす炎の痛みに転げ周り、第一段階の岩塊と地面で身を圧し潰され、泣け叫び、死んでいった。中には水魔法で火を消そうと躍起になっている者もいたが、


「そんなの、魔女が許すわけがないというのに」


 水魔法を己の身体へとかけていた男は、水の温度が徐々に下がっていくのを感じ取った。ガタガタと生きていた兵の身体が震え、熱かったはずの空気が凍てつき、白くなっていく。


 寒いと言う間も痛みも訴える暇もなく、すぐに感覚が消えた。痛みが迸ったところから、感覚が消えていくのだ。手足の末端から少しずつ、少しずつ.ぴきり、ぴきりと刺さるような痛みを一瞬だけ残して消えるそれは、やがて全身へと広がっていく。


 そしていつの間にか、自分という存在さえ消えた。


「次に魔女が使ったのは、物を凍らせる魔法だ。運良く生きていた者達は、先ほどの業火の熱さえ恋しいとさえ思ったそうだ」


「魔法障壁に変えていなかったのか?」


 熱魔法による熱気も氷魔法による冷気も、魔法であるなら魔法障壁によって遮断されるはずだ。そのことを疑問に思った仁が指摘すると、ロロはこれまたいいことを聞いてくれたと頷き、空を指差す。


「彼らも変えれるなら、変えていただろう。ほら、今だ」


 ロロの言葉に仁とシオンが上を向いた瞬間、第一段より遥か上空に設置された第二段の岩塊が、兵士達の身を襲った。


「二つの魔法は同時に使えないんじゃなかったのか?」


「もしかして魔法陣?」


「いや、違う。魔女は兵士の動きを読んで、何段にも高度を分けて岩塊を設置していた。一つの魔法で、何回かに分けて効果を発揮するように。兵士達はずっと、魔女の掌の上だったということだな」


 魔法の発動は違う系統以外、基本的には同時に発動させることができない。これも魔法のルールだ。魔女も当然、そのルールの例外ではない。


 つまり魔女は、土魔法で大地を裂き解除。次に風魔法で切り取った岩塊の高度を何段にも分けて空へと浮かべ、一斉に風魔法を解除した。浮遊していた岩塊も魔法の力が無ければ、大地へ堕ちていくだけである。


 そして、岩塊が段が堕ちるタイミングに合わせて魔法を発動すれば、物理障壁と魔法障壁のどちらもすり抜けられる攻撃となる。


「シオンが言ってた、魔法で作った剣と普通の剣で同時に攻撃する戦法と同じか?」


「規模や細かいところが違うが、原理は似ているな。この戦法自体を魔女が取る可能性は、当然予測されてはいた。これほどまでのものとは誰も思っていなかったのだろうがね」


 魔法や物理の剣で片方ならば、防げなくもない。しかし、魔法か物理の災害クラスの攻撃を障壁に頼らず、片方と言えど防ぎきる人間はごく僅かしかいないだろう。それを人類は強いられた。


「魔法の規模や威力、なにより魔女の魔力を予測できていなかったから、この大敗を招いたのだろう。仕方が無いと言えば仕方がない。そもそも魔力の性質からして、持つこと自体不可能な魔力量だったからな」


「……?持つこと自体が無理?個人個人が持つ魔力量に差があれど、その限界があるのか?」


 今まであった人間の魔力量を振り返れば、シオンやラガムの所持魔力量には大きく差があったように見える。仁に至っては0と比べるまでもない。


 人間という種そのものが所持する魔力量に限界があるとすれば、そしてその限界を魔女が超えていたのなら、


「魔女は人間じゃなかったのか?」


「いや、少なくとも魔女は歴とした人間だった。強さという意味では化け物だったとしてもな。ただあの魔力量だと、肉体という器が耐え切れないなのは事実だ」


 魔女は人間でありながら、人間を超越した魔力を持っていた、ということなのだろうか。


「でもそれって矛盾してないか?もし、耐え切れなくなった器ってのは、どうなるはずだったんだ?」


「……爆発して弾け飛ぶらしいわ。内側から身体が崩れていって、最後は大爆発を引き起こすって」


「……シオンは大丈夫なのか?」


 矛盾が無いのならどうなったかという疑問に、シオンが少し怯えた顔で答える。仁から見ても、少女の魔力量は人より圧倒的に思える。きっと、いつ自身にその現象が起こるのかを考えてしまい、怖いのだろう。


「この程度の魔力量なら問題は無いぞ。これから爆発的に魔力が増加でもしない限りはな」


「シオンでこの程度って……」


 小規模とは言え地形を変形させるような魔力を持つシオンさえ、魔女とは比べ物にならないらしい。その事実に仁は絶句し、いつか持った殺意さえも竦んで消えた。そんな相手に喧嘩売る気は仁にない。


 隣を見ればどこかホッとした様子のシオンが、胸を撫で下ろしている。


「やはり違うな。さ、話を戻すとしようか」


 胸を撫でるシオンを見たロロは、何かを確信したように小さく呟いて話を再開する。不思議と、仁にはその呟きが耳に残った。


「第三段目は土の杭。第四段目は竜巻だった。最後の竜巻が一番、殺傷力があっただろう。竜巻が直前の土魔法でできた岩を巻き上げたせいで、物理と魔法両方の岩塊も飛び回ったのだからな」


 どの攻撃も防ぎきるのは困難を通り越して、不可能な威力。そしてそれが四回も繰り返されるなど。仁なんぞ十万回どころか、百万回死んでもお釣りがたくさん貰えるはずだ。


「しかし、不可能を可能に変えてこそ『勇者』だ」


 魔女の魔法が終わった時、大地に立っていたのは勇者を含む僅か数人。世界中から強者を掻き集め、精鋭で軍を作り、化け物たちに率いらせても、これだけしか生き残らなかった。いや、これだけ残ったと讃えるべきだ。


「彼女もそう思い、敬意を持って殺した」


 残った者も大抵が手負いで、虫の息だった。魔女はまるで、生き残っていたことを褒め称えるかのように一人ずつ、一人でずつ、丁寧に、丁重に、トドメを刺して、葬っていった。


 たった一人、完全無傷な勇者を残して。


「生きていた軍は息せぬ屍の山となり、濃い血に染まっていない大地はなく、蒸れた鉄の匂いが鼻を刺す。白と薄紅の混ざった骨が飛び散り、死肉を踏まないで済む場所を探すのさえが困難。それが『魔女』と『勇者』の、決戦の舞台だった」


 肉と骨、血と内臓、死の溢れる終末の光景。この世の地獄を限界まで再現したような舞台の上で、二人は向き合った。


 魔女が腕を振り、勇者が剣を振って、大地が彼らを中心に砕けて壊れていき、衝撃波が死体も血も地獄も何もかもを吹き飛ばして、


「あれ?」


 映像はそこで終わっていた。どういうことかとロロを見てみると、彼は申し訳なさそうに、


「非常にすまないのだが、二人の戦いがあまりにも激しく、規模が大きすぎてな。再現しても君たちの視界に収まりきらなかった。映せるのは戦いが終わった後の風景だけだ。これでもほんの一部で、果てを見れば限りがないのでね」


 映せないことを謝罪し、全てが終わった後の映像だけ見せた。それは、二人の戦いが写せないに足ると分かるものだった。


「さっきの地獄とは違う意味で地獄だ」


「よくこの世界が壊れなかったわね」


 空は真っ赤に染まってキラキラと美しき白い灰が舞い、足をつける大地がもう存在せず、荒れ狂う水が流れて渦巻く世界の中で、星の中心まで届くかのような穴や切り口がいくつも視認できた。中には溶岩を恐ろしい勢いで噴き出し続ける穴もあり、真っ赤なドロドロが水とぶつかり、冷やし熱し合っている。


 世界か星の始まり、もしくは終わりのような光景だった。そもそも彼らの世界が星の形であったかは分からないが。


「世界中の人々の思いを力に変えた勇者は魔神を封印、そして魔女は命からがら逃げ出し、今もどこかで生きている、というのがこの戦いの結末だ。お楽しみいただけならこれ幸いだが、少し難しかったかな」


 本を仕舞い、頭を下げたロロは物語の終わりを告げた。


「いや、引き込まれたっちゃ引き込まれた」


「敵側の話だったんで、楽しめるってわけじゃなかったけどね」


「私もよ。ありがとう」


 少し消化不良と頭を掻くロロだが、仁とシオンは彼の語りの上手さや演出に掛け値なしの賞賛を贈る。


 確かに、心躍るような英雄譚というわけではなかった。しかし非常に興味深い話であり、仁的には価値のある物語だった。そしていくつか気になることもある、話だった。


「僕らがなぜ忌み子と呼ばれるかも理解できたしね」

 

「まぁな」


 感想を言いに顔を出した僕に、俺はどこか上の空で返す。そしてそれが、とある男の琴線に触れた。


「ん?僕?」


「あ……なんというか、もう一つの人格。あんまり信じてもらえないかもだけど、多重人格者なんだ」


「どーも、一つの身体に二人の人格の片割れの僕です。よろしく!いやー、本当に魔女さんと魔神さんがこの時代で戦ってなくてよかったと思ったよ!」


 いきなり口調が変化した仁に、ロロが大いに反応する。そういえば初顔合わせかと、僕は遅くなった自己紹介をいつもの軽い調子でまくし立てる。


「いや、信じるがね。よろしくだ僕とやら。多重人格とは非常に面白そうだな。どういうことか、どう生まれたのか、どんな性格なのか……最後はもうわ分かった気がするが。詳しく頼むぞ」


「いつか気が向いたらな」


「よかろう。その時は頼むぞ」


 俺の人格としてはできる限り話したくない、思い出したくない出来事であるため、ここは曖昧な返事で濁しておく。ロロもそれを分かっているのか、はたまた後で本当に教えてもらえると思ったのか、ここでは追求してこなかった。


「して、このまま終わりでは怖い魔女が夢に出てくるかもしれないからな。もう一つだけ、話を披露してやろう!」


(話がしたいだけじゃないかねこの人。僕も他の話聞いてみたいから、いいんだけどさ)


「断る理由もないし、頼む」


「私も、こんな演出があるならもっと聞きたい」


 話し足りないようなロロに、三人は貰えるものはタダでもらっておこうの精神で期待に目を輝かせる。利害は一致したならば、後は実行されるのみ。


「さて、どの話が良いかな?『砂の翼』か?『化け物の王』か?それとも『権利戦争』かね?どれも見どころ満点迫力満点、面白さも保証しよう!」


 複数の本を宙に浮かべて、今の内にと残ったカレーをかっこんだロロが問う。さりげなく虚空庫に放り込んでおいたのか、カレーからはまだ湯気がほんわかと出ており、彼は幸せと言った表情だ。


「今度は仁がリクエス……ツ?していいよ」


「綺麗な発音だけど、ツじゃなくてトだ」


「悩むなぁ!どれにしようかなぁ!」


 覚えたばかりの言葉を使いたがりの少女の間違いを訂正しつつ、仁の二つの人格は大まかなあらすじで大いに悩む。


「あ、そうだな。言い忘れていたが『色王伝』。濡れ場が暗転する全年齢版があったな」


 そんな仁に下された天啓は、脊髄を稲妻と氷と炎が同時に駆け抜けたようなものだった。


「ぜひそれでお願いするよ!ね?シオンも俺の人格もそれでいいよね!」


 天啓には従うほかがないと、僕の人格は一片の迷いなく『色王伝』をリクエスト。なにせ天啓なのだから仕方がない。


「えっ……その、えーと私は」


「シオンも読んだことないんでしょ?ならいいじゃない?読んだことないんだからさ!」


「よ、読んだことないから……い、いわよ……」


 さすがに恥ずかしいのか、シオンは顔を真っ赤にしてか細い声で承諾する。と言うより、僕の言葉によって承諾せざるを得ない状況に追い込まれていた。


「お、俺は僕がどうしてもって言うなら、それで構わない。まだ悩むと思うから」


「へえそうかい。なら君の選んだ物語で僕はいいよ?『色王伝』聞きたくないんでしょ?ならいいよ?君が選んでも、僕は一向に構わない。ほら、いいんだよ?どうぞどうぞ」


 さすがに異性の前では、ソフトなエロが入った物語を聞きたいとは言いづらい俺の人格の照れ隠し。それを見抜いた上で直接言わせようと煽る僕の人格。鬼畜の極み、畜生の鏡である。


「……ぐっ、おまえぇぇぇ……」


「何をかな僕分かんなーい。すいませーん!この人他のがいいそうでーす!」


 完璧に完全に全てを察した上での僕の確信犯であり、手を抜くつもりはないらしい。先のシオンの「読んだことない」と同じように、プライドが邪魔をしていたのだが、


「ぬ、分かった」


「いや、その。ちょっと、待ってください……」


 一方こちらも天然というか、馬鹿正直な自称嘘をついたことがない男。僕のふざけた言葉を額面通りに受け取り、知らぬうちに俺へと追い討ちをかけた。


「お、俺も『色王伝』で、お願いします」


「はい、注文入りましたー!ロロさん、お願いしますよ!」


 結局、プライドでは欲望には勝てなかった。ぷるぷると顔を真っ赤に羞恥で震わせて、シオンをチラ見する俺の人格。そしてそんな仁をチラ見する、顔を真っ赤に羞恥で染めたプライドが勝ったシオン。


 どっちもどっちである。


「あい分かった。それにしても、器用というか面妖だな……表情と声色と動作と性格がコロコロ変わって、情緒不安定のヤバイ奴にしか見えぬぞ。あと男なら欲望に素直になる時と、抑える時をちゃんと分けなくては、大変なことになる。あと責任はちゃんと取らないと、『魔女』が飛んでくるぞ」


「やめてくれっ!好きでやってるんじゃないし、最後のは本当にやめてくれ!早く『色王伝』語ってください!こんな思いしてんだから!」


 おちゃらけたり、照れ隠しで嘘ついたり、煽ったり、恥ずかしくて真っ赤になったり、満面の笑みで手でメガホン作って叫んだり、怒鳴ったりと色々忙しい仁の顔に身体に声帯に性格に、ロロは一歩引いた様子。

 

「……本当によいのだな?なんかもう、色々と自分困惑しているのだが」


「お願いだから早くしてくれ!」


「よかろう」


 ここにきて焦らしプレイなど求めていない。夜の空に仁の悲痛な叫びが響き渡った。


「今宵の二本目の話は、当時人類最強、そして歴史上最多の性欲と妻を持ち、破壊の神と戦い抜いた男の話である!さぁ、真実にして伝説の歴史を語ろうか!『色王伝』、ここに開幕!」


 ロロが本のページをめくり、二つ目の物語が始まった。三人はわくわくドキドキとした様子で聞いて、見る。まだ日は沈んだばかりだ。楽しい時間はもう少し続く。


(この時間終わったら、確かめないとな)


 開幕から王様の娘に手を出し、国中から追われだした主人公の話の裏で、俺は密かに心の中である決意を固めた。


『魔女』


 黒髪黒眼、莫大な魔力を保有し、世界を敵に回した女性。『魔神』と並び、忌み子の由来となった存在。


 夜より黒い髪、何も写していないような黒い瞳、他者を見下ろす長身、人を惑わすような豊満な身体つきであったとされているが、真実は不明。『魔女』は男だった、顔はなかった、身長や体型を自由に変えられるなど、様々な説がある。


 外見も恐怖の象徴であったが、本当に恐ろしかったのは保有する魔力の多さである。彼女はただ、魔力を持っていただけだ。歴史を紐解けば、彼女より魔法の扱いが上手い者など掃いて捨てるほどいるだろう。しかし、それでも彼女は最強だった。魔法を扱う技術、経験、知識のそれら全てを、跡形もなく蹂躙するだけの魔力を持っていただけだ。


 常人が指の先に小さな火を、分かりやすく言うならライターを点ける感覚で、『魔女』は森を一つ灰にする。どこだろうが、安全地帯はない。彼女が本気で魔法を使ったのなら、それこそ世界が滅ぶのではと噂されていたくらいなのだから。


 彼女はその魔力を、人々へと向けた。いくつもの国や都市、数え切れない村と人々を破壊して殺し尽くした。この時、魔族や森人種、龍人種などの人類以外の知的生命体のほとんどの種類が絶滅に追い込まれ、姿を隠してしまった。以来、彼らは人間を最悪の種族とし、関わりを完全に断った。


 そして、勇者との戦いで力を削がれた彼女は逃げ出し、『魔女の庭』と呼ばれる陸の孤島にて、力を蓄えている。


 その『魔女の庭』は、なんと実在する。見た者も、辿り着いた者もいないとされているが、確かに存在する。世界の中心まで続くような暗い裂け目の先に、あるのだ。確信できるだけの理由は、暗い裂け目付近に足を踏み入れた瞬間、飛んでくる攻撃である。例え魔法障壁で身を守ったとしても、足元の地面全てが崩壊して地の底へと落ちていく。浮遊の魔法で飛んだとしても、辿り着くより前にまず魔力が切れる。故に、何者も辿り着くことはできないとされている。この地域はどこの国にも属さず、また近づく際には特殊な許可が必要な禁足地となっている。


 恐らくだが、その暗い裂け目は『魔女』によって創られたものだろう。近づくものを排除しようとする攻撃によって大地が削られ、いつしか果ても底も見えない裂け目に変わったのだ。このように、魔女によって創られたとされる地形は他に、世界一の大河である『大河川』、頂上にクレーターがある『天削山』などがある。未だ知られていないだけで、他にもあるかもしれない。


 彼女のことを記した『魔女の記録』は、ほぼ全ての人間が幼少期に読み聞かされ、恐ろしさを教わる。「悪い子の元には『魔女』が魔法を撃ち込むぞ」や「道端で偶然『魔女』と出くわしたような顔・気持ち」など、彼女の名前が使われていることわざは数多く存在する。


 彼女はいつか、復活するかもしれない。その不安や恐れ故に、人類は日々剣を振り、魔法を練り上げてきた。『魔女』の力を削いだ英雄に倣い、その時代で最も相応しい者に与えられる『勇者』の称号や、障壁の使える者達で作られた各国の騎士団などは、その時に備えた存在でもある。


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