第28話 価値観と最善
人の価値観というのは実に様々だ。
例を挙げるなら、百円のコロッケを高いと思うもの。味がいいから安いと思う者。あるいは妥当だと思う者。
別にその感覚は人それぞれであって、違うことが悪いことではない。もし悪いことであるのなら、その価値観のすれ違いで人を傷つけ始めた時だろうか。
しかし、忘れてはならない。そのいつからが悪いかのラインさえも、己の価値観によるものなのだと。
ある少年は、自分の命を最も大切にしようとしていた。他人よりも、家族よりも、友達よりも、彼は自分を優先していた。いや、そのつもりであった。
自らを助けるために誰かを助け、その際に必要とあらば、己の身を死地に投げるという矛盾を抱えた生き方で、彼はこの世界で息をしている。
その少年は力を得るためなら、傷つくことも厭わなかった。例え醜い姿になり、一時は悲しむとしても、彼は力を得る道を選んだ。
ある少女は、繋がりを最も大切にしようとしていた。自分よりも、金銭なんかよりも、物欲よりも、彼女は繋がりを優先していた。彼女はそう思い、生きていた。
仲間を失いたくないと自らが思うが故にその身を危険に晒し、繋がりの中心にいる自分そのものが消えそうになっても、戦い続けた。彼女もまた、この世界で矛盾を抱えて生きている。
そんな少女にとって、その繋がりというのはとても価値のあるものだった。それこそ片脚を失っても、十分だと感じるほどに。例えこれから先、一生不自由だとしても、彼女はその道を選んだ。
彼らを理解できない。おかしい、狂っていると感じたしても、それは価値観が違うだけなのだ。
「予想はついてたけど、やっぱり悲しいものね」
焼け落ちた家の前で、一人の少女が立ち尽くしていた。いや、訂正しよう。立ち尽くしているのは一人だが、いるのは二人。中身を合わせれば三人だった。
「悪いけど、降ろしてくれないか?俺がいても邪魔だろうし」
「本音を言えばやっぱり恥ずかしいよこれ」
彼女の背中に背負われた少年も、立ち尽くしたかのような心境であった。自分より身体の小さい華奢な女性の背中は、心情的に居心地が悪い。
「そうね。何かあったらすぐに呼んで」
「分かってるよ。ここに座っとくね」
土に腰を下ろし、焼けた跡を眺める。さすがの治癒魔法でも二日間であれだけの傷は完治せず、まだ歩くので精一杯と言った具合だ。
シオンの治療に不満は一切ない。むしろ、仁としてはあれだけの火傷から、たった二日間で歩けるようになった事に驚いている。
「それにしても家、丸焦げだね。僕らもこうなってたかもしれないって思うとゾッとするよ。ちょい焦げで済んで良かった」
もしかしたら、この家と同じように朽ちていたかと思い、僕は身を震わせる。ラガムに恩を売っておいて良かった。
「……燃えたんだな」」
だが、生き延びた代償は大きかった。三人が暮らしていた頃の温かい木の家の面影は欠片もない。灰へと姿を変えてしまった。柱も屋根も扉も机も、生活の跡も何もかもが焼け落ちていた。
「僕達が燃やしたのさ」
仁の作戦とシオンの炎が、この家を燃やしたのだ。
「本当にごめん。シオン」
助かるために仕方がなかったとは言え、仁もシオンも気にしないわけがない。自身の生家が灰になる経験は仁にもある。
あの時の感情を言葉にするならば、無くしたことを実感できないが、ただ悲しさや虚しさがあるといったものだったろうか。正直なところ、あの時は他に失ったものがありすぎて思い出せない。
「八年間住んでたから、少し寂しいかな」
「あ……ごめんね」
たった一ヶ月と少しの仁でさえ、辛いのだ。八年間も住んでいた家が燃えた悲しみの深さはいかほどのものか。シオンだけが知っている。
(やりにくいなぁ。この二人)
俯いた俺の人格と、言葉を探しているシオンの距離感に、僕はやれやれと呆れ返る。村にいた間は生きている喜びと、ラガムやラシャが精一杯茶化してくれたお陰でここまで暗くはなかったのだが。
(二人とも一歩引いた感じの性格だからねえ。よく言えば紳士、思いやりがある。悪く言えばヘタレで臆病。まぁ俺君は俺君で裏切られるのを怖がってるし、シオンは人付き合いの経験ないし)
互いに気を使うが故の弊害だろう。仁はシオンの脚に負い目を、シオンは仁の傷に負い目を感じている。
(ここは一番コミュ力の高い僕が一肌、脱ぎますか)
仁がということは当然、俺だけではなく僕もシオンの脚に負い目を感じている。だがしかし、負い目を感じているからこそ、少女と話して笑いあうべきだと僕は思うのだ。
「ねぇシオン。もしかしたら思い出の品とか残ってるかもしれないから、少し探してみたら?そんなすぐ追手は来ないだろうし、魔物が来てもこの距離なら一瞬でしょ?」
「残ってるかしら?ないとは思うけど、少しだけ見てくるわ」
僕の言葉に促されたシオンは焼け跡へ足を踏み入れ、落ちているものを拾い、まだ使えるかなどを確かめ始めた。
これで一先ず、距離は取れた。ここからは僕と俺の秘密の作戦会議。
「ねえねえ俺君。落ち込むのは分かるけどさ、相手に気を遣わせすぎるのも問題だと思うよ?」
「……なんだよ急に。そんなこと俺だって分かってる」
ふわりと浮かんで痛いところを突いてきた僕を、俺の人格は小さいながらも怒気を孕んだ声で刺す。
「分かっているのと、行動に移さないのは違うんじゃないのかい?」
しかし、そんな虚勢の怒りに僕は怯むことはない。理解しているのと、実際に行動に移すのでは大きな違いがある。
「それも理解はしてる。けど、おまえはどうしたいんだ?」
行動と理解が違うことも理解はしていると、しかしそれでも行動に移せないと、俺は僕へと言葉と質問を返した。
「僕は仲良くしたいだけさ。少なくとも、君が彼女を利用するにしても、そうした方がいいと思っている」
前半部分はおちゃらけたように、後半部分は至って真剣に、僕は彼なりにしたいことを告げる。
「ならそうすれ」
「でも、それは僕のしたいことだ。君のしたいことじゃあない。例え僕と君が同じ仁という器にあっても、僕らの感性も感情や思いは違うんだよ?言うなれば、僕らは同じ人間でありながら、全く別の魂を持つ者なんだ」
「そうすればいい」と俺の人格は言おうとしたが、僕の隙のない正論の前に霧消してしまった。
こういう時の僕の口の上手さは、普段のふざけた口調からは想像できないくらいに鋭く、正しい。旅の最中でも数回、似たような口論があったが、その度にいつも俺は僕に打ち負かされている。
「それに考えてもみてよ。仲良くするにしろ利用するにしろ、君たちがギクシャクしてたらできるわけないじゃないか!さっき言った通り、身体は共有してるんだからさ。やりにくいことこの上ない」
「それは、そうだけど」
シオンが気を使っているのは、俺の人格だけではない。僕の人格にもよそよそしいのだ。
仁が長い距離を歩けずに背負われた時も、彼女は何も言わなかった。前みたいに少し嬉しそうな声も、大丈夫?という気遣う声さえも無かった。
前者はなくとも良いこと、むしろあったらあったで困る。しかし後者がなかったのは、やはりシオンに気を遣わせている証拠だろう。
「気遣う声がないことが余計に気を遣わせている証拠、ってのも変な話だけどね。まぁ、それだけシオンの元の性格が世話焼きさんなんだろうけど」
色々抱え込みがちなシオンのことだ。仁がもし一人だったなら、あの炎の中を無傷で抜けられたとでも考えているのだろうか。一生残る醜い焼け跡が、仁の顔や身体に残らなかったとでも思っているのだろうか。
あの火傷で負った火傷は、治癒魔法では治らないくらい深すぎた。助けられた時、地面についていた右頰は焼かれ、下着に隠された場所以外の前面部は焼け爛れ、皮膚が剥がれていた。
左頬の矢傷、右頰の火傷。夜に出会え失神されるような顔になってしまった。身体の前面部の黒い火傷の跡も、服である程度隠すことはできる。でも、消えたわけじゃない。
こんな傷、あるかないかで言えば、普通はない方がいいと思うだろう。そのことでシオンは責任を感じているのだ。
だがそれは、傲慢であると僕は思う。
身体強化を使わずに、人間一人を担いで炎の中を進むのは並大抵のことではない。確かに彼女を担がなければ、仁の前面部は焦げなかったかもしれない。
「しかしそれはあくまで、かもしれないの未来なんだよ」
逆に一人の仮定でも、シオンを担いだ時と同じように前面部が焼けるかもしれない。むしろラガムたちに助けられた後、今と同じ展開を辿るとしたら、
「傷が治っていない状態で村から一人追い出されて、この先どうやって生きていくのさ。全く、シオンはその辺わ分かってないんだよなぁ」
仁は間違いなく死んでいる。虚空庫がなければ食料の貯蓄ができない。シオンがいなければ、刻印魔法も使えない。オーガクラス、いや、今の仁の身体で考えればオーク、ゴブリンと遭遇するだけで危うい。
前のサバイバル生活のような準備さえない中で、どう生きろと言うのだ。
「僕の言う通り、そこら辺はシオンは分かってないよな。俺が助けたのはシオンだけじゃなくて、自分自身もだってこと」
自分を助ける為に、シオンを助けた。シオンが仁を傷つけたわけではない。仁が自らの意思で打算で行動した結果、傷を負ったのだ。だから彼女は火傷のことでそんな気にしなくていい、そう俺の人格は考えている。
「そうさ。僕らは打算だった。それにしても、君の言葉はすごい綺麗なブーメランだねぇ。惚れ惚れするよ」
「どういう意味だ?はっきりと言えよ」
煽るように、いや実際に煽って馬鹿にしている僕の口調に、俺の人格は苛立った。
「君も分かってない、ということさ。考えてみるといい。シオンがあの場で、脚を切断しなかったらどうなっていたか」
「それは……俺が死んでた?」
みっともなく生き残りたいと叫びながら、土の檻ごと粉々にされていたことだろう。強化もない仁が、あの場で生き延びる手段は何もなかった。諦めたわけでなく、ただ事実としてなかったのだ。
「そしたら、シオンはどうなったと思う?」
オーガを引きつけ、時間を稼ぐはずの仁が死んでいたらどうなったか。
「治癒が間に合わなかったら、持久戦になって死んでた。でも、俺が死んでもシオンは脚を切り落とせば!」
「自分だけが助かる為に斬り落とすより、他人と一緒に助かろうと斬り落とすのが彼女でしょ。それに斬り落とした時点で本末転倒じゃん。君が責任を感じてるのはそこなんだから」
俺の拙い反論など、僕の言葉の前には無力だった。俺の人格が目を逸らそうと必死で、筋の通っていない反論をしているからだろうか。それとも単に僕の口が上手いのだろうか。
「百歩譲って、僕らが死んだ後にシオンが脚を斬り落としたとしよう。さて、魔力も血も体力もなくなった彼女は、ラガムたちが救出にこれる場所まで、一人で行けるでしょーか?」
「……難しかっただろうな」
ラガムの系統外で見つけることはできても、回収できたかについては怪しい。仁は炎の中を相当な距離進んだ覚えがある。その分全てを土をめくる魔法で補うとすれば、ラガム達の魔力で果たして足りるだろうか。
「シオンが気を失った時間から考えるに、助かるのはほぼ無理。万が一助かったとしても僕らか、それ以上の火傷だったろうね」
「でも、足を斬り落とすよりは」
今は全身に痛みを与えてくる火傷だが、将来的に見てそこまでの害があるとは思えない。少なくとも、脚を失うなんかよりはマシだった。
「じゃあ俺君は、僕らが死んでシオンが大火傷を負う姿が見たかったのかい?それとも二人とも死んだ世界かい?はたまた彼女を見捨てて、僕らが野垂死ぬ未来かな?」
「そ、そんな未来!」
見たくはないと、俺の身体は拳を握りしめる。僕の身体は相変わらずふわふわと浮いてはいるが、その表情も同じく拒絶のものだ。
どの仮定を選んでもどちらか片方、または両方が死んでいる。例え片方の道を選んだとして、仁以上の火傷を負いつつの生だ。
つまり、
「今の僕らが、きっと最善だったんだろう。シオンは脚を失って、僕らは傷を負った。でも、二人とも生きている」
両方死ぬよりは、傷を負ってでも両方が生き続ける方が、遥かにいいと僕はそう言った。
「……最善なんて、言うな。最善ってのは俺もシオンも、それこそ村の人達もみんな無傷で助かることだ」
でも、俺は静かに否定の感情を引き出すように、灰と焼けた土をを引っ掻いて地面に線をつくる。俺の中での最善は、今じゃなかった。みんな無傷で平和な普通な日常が、俺にとっては最善なのだ。
「あの場の僕らにそんな力があったかい?シオンでさえ、村人全員を助けることができなかったのに?」
自身の弱さを、あの場での無力さを、全てを守れることなんて無理だったと、俺の人格へと突きつける。だがしかし、例え無力だと、何も守れなかったと、そう言われても、
「それでも最善ってのは、少なくとも俺の望んだ最善ってのは誰もが死なず、無傷の未来だ」
俺は自分が力不足と思い知りながらも、完璧な最善を望んだ。
「自身の力の及ばないところにある君の望んだ最善と、僕の現実を見た最善。これもまた、価値観の違いだね」
「例え最善でなくても、俺があの時にミスらなければ、シオンは片脚を無くさなかったはずだ」
土の檻の予兆に気づくのは僕の言う通り、仁には無理だったかもしれない。しかし、魔力の残量をシオンに聞くなどして、確かめることはできたはずなのだ。
「魔力の残量に気をつけて、もうちょい上手く立ち回れれば」
「でも、僕らはそれができなかった。だからこの現実を終わったことだと、受け入れるしかないんだよ」
現実を見て諦めたような僕のセリフに、俺の視界が怒りと涙で熱くなった。
「受け入れる……!?そんなこと」
「君の性格上難しいのは重々承知だ。なんせ僕は君の半身だからね。そしてそんな半身からの言葉と忠告と質問がある」
三つの指を立てた己と同じ姿が、真剣な表情のまま俺の人格の言葉を遮った。
「一つ。過去は変わらないんだ。どれだけ最善な今を望んでも、過去は変えれない。だったら今を受け入れて、未来を変えるしかない」
「そんなの分かってる」
「分かってても納得できない、だろ?」
指を一つ折りながら、僕は俺の人格へと当たり前の言葉を贈った。
分かりきったことではある。だが、分かってはいても、あの時ああすればよかったと望んでしまうのが人の性だ。僕の言葉は、そんな当たり前のことをもう一度自覚させるものであった。
「二つ。もし君が今の力で及ばない最善を望んでいるのなら、シオンとギクシャクしてる場合ではないよ。少しでも強くなりたいなら、彼女と訓練しないとだからね」
「俺だって、好きでギクシャクしてるわけじゃない」
「それも知ってる知ってる」
二本目の指を折りながら、僕の人格は未来へ向けた忠告をする。
自身の力が及ばぬものを未来に臨むなら、それに見合った力を得なくてはならない。今の仁は弱い。ここで立ち止まっている暇はないと教える忠告だった。
「三つ。君は一生残るような火傷を負ったね。けど、この傷は負う価値があったと思うかい?君はそれに釣り合ったものを得たかい?」
「……」
最後の指を折り、僕は傷の価値を問うた。その質問に、俺の人格は一瞬答えを考える。
「負わない方がいいに決まってる。でも、命が助かったことと、シオンっていうこの世で生き残るために最高の力を助けられたこと、魔物へのトラウマを克服できたことを考えれば、釣り合うどころかお釣りがくる」
あそこで死ぬよりは、トラウマを治すためなら、シオンを失うよりは価値があったと、俺は本心のままに答えた。
その俺の心の吐露に、僕は笑顔に変わり、
「ひゅー、俺君って案外情熱的?シオンの命のためならこんな火傷大したことないって?今からそれ言ったら解決するんじゃないこの変な関係」
口笛吹いて、手を叩き、俺を全力でからかった。
「話聞いてたのか?シオンに死なれちゃ、俺らは物理的に生きていけないんだ。痛覚全部ぶん投げて、地面転げ回って、水ぶくれ潰しまくってやろうか」
真面目な話の流れに突如ぶっ込まれたふざけたからかいで、俺の感情が沸点に到達。僕の人格が珍しく良いことを言っていると感銘さえ受けかけていたのに、全て台無しであった。
「精神的にもじゃない?それに、そんなことしたら君も痛いじゃん?脅しも意図がばれてたら……あれ?ちょっと?君、体勢変えて……ちょっ!?」
「死なば諸共」
元から冗談の通じない俺の人格である。真っ赤な顔を冷めた色に変え、地面に皮膚を擦り付ける用意。共倒れも辞さない覚悟であった。
「やめるんだ!バカなことはやめるんだ!謝るから!そんなことしてもシオンは喜ばないし、ここから動けない間に調査隊がきたらどうするのさ!」
「……むぅ」
死なば諸共、共倒れも上等ではあったが、できることなら本当に死にたくはないのが本音だった。それに、怪我を悪化させた理由がこんなしょうもない理由であったなら、シオンにどんな顔をされることか。
そしてなにより、こんな理由で調査隊に遭遇して死ぬなど馬鹿げている。今回ばかりは仕方がないと渋々怒りを収めて、元の姿勢に戻る。
どうにか見逃してもらえそうだと、僕はホッと安堵の息を吐き、
「ふぅ。まぁそういうことさ。君もシオンも似たもの同士ってこと」
相も変わらぬ、腹立たしいが憎めない笑いを浮かべ続ける。
「シオンも俺と同じように、脚の傷くらい大したことないって思ってるてか?さすがにそれは、おまえの妄想の都合が良すぎないか?」
「そうかい?じゃあ、君がシオンと同じ状況でどう思う?脚を捨てるくらいなら命を捨てるかい?」
「それなら脚を捨てるが、そういう問題じゃない。助かったからこそ、捨てたものの重みが分かるんだよ」
俺としては、脚を失う方が死ぬよりはマシだ。しかし、生きているからこそ、脚がないことで苦労することもあるだろう。ましてやシオンは女性だ。外見的に気にすることもあるかもしれない。
「君の今回の言葉はやけに重みがあるねぇ。さすがの僕も何も気にしてないだろう、と自分に都合のいい楽観的解釈を言うつもりはないさ。ただ、君は彼女と同じ状況になった時、誰かを責めるかい?」
「それは」
僕の言葉は非常に悩まされる質問で、俺は明確な答えを出せなかった。
「俺には分からない」
「本当にそうかい?」
実際にその状況にならないと、どうなるか分からないというあやふやな答えしか出せなかった。
「まぁ、いいさ。シオンもちょうど終わったみたいだし、今日はここまで。でも、僕の言ったことは忘れないでくれ。あとは君が思うように行動すればいい」
「おい、だからどういう」
俺の引き止めを振りほどき、意味深な台詞を残した僕は、出てきた時と同じように仁の中へと消えた。
「仁?どうしたの?」
「いや、僕の野郎がまたからかってきたんだ」
僕と入れ替わるようにやってきたシオンの心配に、俺は真実で事実を覆い隠す。嘘は決して言っていない。
「……そう」
追及は来なかったが、何かを隠したのは察せられたらしい。どこか悲しそうなシオンの態度がそれを示している。本来なら、いつも通りなら、追及がきてもおかしくはない。
「もう、いいのか?」
が、さすがに先ほどの会話はシオンに聴かれて良い内容ではない。俺はだんまりを貫くことを決め、話のを切り替える。切り替えた話も、俺がしたい話であったのも確かなのだが。
「燃えちゃったのは仕方ないから。大事な本は回収出来たし、それだけでも喜ぶべきよ」
灰になったものに悲しみを感じても、元に戻すことはできないと、シオンはどうにか割り切ったようだ。それがいいことなのか、悪いことなのかは、俺には分からない。
「……ん?」
というより、シオンの会話の中に気になることが一つ。
「ちょっと待って。本?家が燃えたのに?」
そう、木造の家が全焼して全て灰になったというのに、紙の本が残っているのはおかしい。
「正直、陶器の食器が見つかるくらいだと思ってたよ」
雲隠れしたはずの僕の人格も、このことに疑問を覚えたのかうっかり出てきてしまっている。
「嘘じゃないわよ。ほら『砂の翼』とか『化け物の王』だとか『魔女の記録』、『慈愛の悪魔の黙示録』……他にもたくさん残ってるわね。一部は燃えちゃったみたいだけど」
「タイトル、題名はまだ全部読めないけど、本当に焼けてない」
証拠とばかりに虚空庫から取り出される無傷の本と、その読めない文字の羅列に仁は目を白黒させる。
「焼けてはないでしょ?」
当たり前ではあるが、仁にはシオンの世界の文字が読めなかった。少しずつ習い、今では簡単な文法くらいならなんとか読めるようになってきている。しかし文字は違っても、彼女の世界でも本はしっかりと燃えたはずだ。
「本当に訳が分からない……一体どうなってる?」
「魔法なんてある世界だからねぇ。障壁に虚空庫に魔物だよ?もう何が起きても驚かない」
本が燃えなかった。確かに日本であれば、手品の種類でありそうなことだ。タネがないならまるで魔法だろう。
だがこの世界には、タネのない魔法とやらが存在してしまう。核兵器さえ耐えれるようなふざけた魔法や、時の止まった容量無限の保存庫、正直言って大した驚きはなかった。
「保護の魔法や、耐火の系統外がかけられてたのかも。これ私の本じゃないから分からないけど」
「ねぇ、今新事実発覚したんだけど。シオンさん?それって窃盗?」
「そ、そうなるんだけど……ここに置いておいても持ち主取りに来ないと思うから、いいかなって……少なくとも八年間もほ、 放置されてたから……」
日本で言えば犯罪である。というより、日本でないこの世界でも犯罪にあたる行為だ。しかし、シオンの言の通り、八年間も持ち主が現れなかった本ならば、今更取りに来る可能性も低いだろう。
犯罪ではあるが、咎められるかと言えば微妙なラインだ。そもそも犯罪が発覚する以前に、シオンの存在が発覚した時点ですぐさま処刑が確定する。余罪の一つや二つ、今更だろう。
「八年間ってあれ?この家にシオンが来たのって?」
「八年前よ。この家と一緒に拾ったから、ついでに言えば同じ日ね」
「はい?家を?」
「拾った?」
はて、家とはそこら辺にぽんぽん落ちているものであったか。耳の穴をほじって何か詰まっていないか確認するが、至って正常であった。
「うん。というより、目を覚ましたらここにいたって感じかな?どれだけ探しても見つからないから、村の人からは幻の家って呼ばれてたらしいわ」
「もう僕、訳が分からないよ。本が燃えた燃えないなんて些細なことなんだねこの世界」
本当にいろいろとぶっ飛んでいる。日本で当てはめるなら、とても綺麗で味のある空き家に勝手に住んだ、ということになるのだろう。
空き家に勝手に住んだ、という話はまだ聞いたことがある。しかし、辿り着けない家とはどういったことなのか。もしやそれも、この家が使える魔法の一種なのか。
気になる点は色々とあるが、何より仁が思ったのは、
「俺、見知らぬ人の家燃やしてたのか……なんか更に罪悪感が」
「シオンの家だからよかったってわけじゃないんだけどね」
この家の持ち主への罪悪感であった。もし家主が帰ってきた場合、数日前までは誰かに使用されているだけであった。怒ることはあれど、人によっては許してくれるかもしれない。
が、燃やされたとなれば話は別だ。久方ぶりに家主が家に帰ってきたらホームレス、というわけの分からない文章の状態になる。さすがに何も言わないのは悪いと思い、見知らぬ誰かに届かぬ謝罪を送っておく。
そんな仁の隣で、この家を借りていた少女も頭を下げて、
「私が建てた家じゃなかったけど、ずっと助けられました。燃やしちゃってごめんね。おつかれさまでした。そして……ありがとう」
自分を守ってくれた、一人で住むには広かった家に謝り、感謝を伝えていた。
「……」
家に謝って、感謝をする。まるで、家に感情か何かがあるみたいに。
人によっては馬鹿にするかもしれない光景で話だ。しかし、仁にはなぜかその姿が眩しく見えた。自分がこの世界で生きていく間に失くしてしまったものを、まだ少女が持っていたのが理由かもしれない。
(失くしたのなら、取り戻せば?)
頭の中に響く、なんてこともないような僕の声。
(そんな簡単にできるわけないだろ)
(いや、この場合は簡単さ。君はこの問いの答えをすでに持っているだろう?)
図星だった。俺にはこの問いの答え、自分が失くしたものの正体を分かっていた。そして、それの取り戻し方も。
「短い間だったけど、俺を住ませてくれてありがとうございました。作戦で燃やして、すいませんでした」
馬鹿みたいに頭を下げて、馬鹿みたいに感謝と謝罪を伝えた。たったこれだけの答えが、仁の出したものだった。
パキリ。
気のせいだろうか。焼け落ちた木が一つ、やたら大きく音を響かせたのが聴こえてきた。
「神様もたまにはいいタイミングで、いいことするねぇ」
とてもよい偶然にしか思えないタイミング。しかし、仁とシオンにはどうしても、その音が意図的なもので返事をしたように思えてならなかった。
「さ、行きましょうか」
「……ん」
しゃがんだ体制のシオンの背に、仁はおそるおそるしがみつく。義足の少女に背負われる男、最早見栄もへったくれもないが、早く移動するにはこの方法が一番なのだ。
こうして、二人は大切な我が家を後にする。
一時的に身を隠せるような、安息の地を目指して。
『森の家』
村からかなり離れた、森の中の少し開けた場所にポツンと佇む、ほどほどの大きさの木造住宅。八年前、目を覚ましたらこの家にいたというシオンが住み、仁が転がり込んでいたが、本来の家主は不明。
さすがに最初の一年間は、シオンも他人の家のように振舞ってはいた。しかし、いつまで経っても家主が帰ってこない為、少しずつ我が家のように思い始め、今に至る。
部屋割りはリビング、キッチン、寝室、書斎、個室、トイレにお風呂に洗面所が一階。二階には秘密基地のような部屋と物置。地下には倉庫がある。
内装は一部を除いて質素そのもの。煌びやかな家具はなく、落ち着いた雰囲気で統一されている。除外された一部は、本の数である。書斎から地下室までありとあらゆる本で溢れかえっており、シオンは一人の時間をこれらを読むことで潰していた。しかし、八年経った今でも全てを読むことはできていない。
異国の言葉や、見たこともないような形の文字と思われる線で書かれたもの。淡々と歴史を記したもの。お伽話に英雄譚。果ては魔法に関する論文から日記までと、本の種類は本当に豊富で飽きることはない。禁術故に世の中には知られていないはずの刻印も、バッチリ記されていた。
理由は不明だが、この家自体に魔法を発動させる力があるらしい。仁が魔物にいたぶられた以降、シオンが防犯として木魔法を発動させていた。
シオンが来るまでの間、村人達から迷った時にしか辿り着けない幻の家と呼ばれていたが、これも魔法によるものか。




