第27話 傷跡と旅立
「……シオン……がっは!?」
横たわった地面から飛び起きようとして、激痛。転げ回って名前を呼んで、喉の痛みに咽せ返る。
「……ここは?」
「なにこれ、喉痛いし身体もすんごくヒリヒリする。特に前。お願いだから僕に痛覚これ以上投げないいだだだだだだだだ!」
木の天井ではなく、視界いっぱいに清々しいまでの青空が広がっていた。背中と前に柔らかい布の感触を感じるが、ここはベッドではない。
「天国、じゃないな」
「すごいデジャヴ感だよ……痛い」
死んだと思って気を失い、次に意識が戻れば寝ていた。まるで、シオンに拾われた時のようだ。
「五体満足……だな」
全身の感覚を確認。腕、ある。脚、ある。目も二つあれば、身体のどこにも穴は空いていない。ただ満足とは言えない部分があるとすれば、
「痛い」
身体の前面と顔に存在する、ズキズキ、ヒリヒリと鼓動のように訴え続ける痛み。喉も腫れているのか、少し喋りにくい。
「炎の中で、くらってなったのだけは覚えてる」
「噛み切った口の中も、腫れてた指の傷も塞がってるね。助かったのは違いないかな?」
しかし、あの状況から一体どうやって助かったというのだろうか。シオンとともに炎の森で気を失い、死を待つばかりだった状況から、どう助かったのか。
「おう、忌み子。生きてたか」
「……ラガムさん?」
「あんま動くなよ。丸焦げ寸前だったんだ。まぁ全部は無理でも、治癒魔法をかけ続ければある程度は治るらしいから、安心しとけ」
上から覗き込む黒い影が、青空と眩しい太陽を遮る。たった一日だが殴られたり、おんぶしたり、斬り刻まれたりとなかなかに濃い関係の狩人の顔が、そこにはあった。
「げんなりした顔をしてどうした?痛いのか?」
「そりゃ目覚めて最初に見た顔が、むさ苦しい無精髭のおじさん顔じゃげんなりするさ」
デジャヴだと言ったが、前の方が正直良かった。シオンが目の前にいたのだから。そう思ってようやく、仁は彼女のことを思い出した。
「シオン!」
自分は生きている。しかし、シオンは?
「おい、ラシャ。シオンを呼んできてくれ。眠り王子が目覚めたとな」
「……!?」
「分かりやすいなこいつ」
安否を確かめようとする前に、ラガムが彼女の名前を口にした。呼んでくるということは、生きている。
「安心した顔しやがって。やつも生きてる。おまえよりピンピンしてるくらいだ」
「そうか……助かったのか」
あの炎の森の中から、二人まとめて助かった。そのことに、自然と口元が緩んでしまう。
「眠り王子が目覚めた、ねえ。ラガムが口付けしたら起きたの?とんだお伽話ね」
「おい、こら、ラシャ!ちょっと待て!」
「人工呼吸とかしてないだろうな……?」
冗談に危険な乗っかり方をしたラシャが、パタパタと走っていく。その後ろ姿を追えばシオンがいるのかと思い、首を持ち上げるが、
「なに人の嫁じろじろ見てやがる。ほら、お前は空でも見とけ」
「うっ……理不尽だぞ」
「怪我人なのに……」
ラガムが仁の頭を空へと強制的に方向転換。とりあえず、シオンが無事ということはわかった。ならばなぜ、
「なんで助かったって目してやがるな。今度はなんで分かったって顔だなおい。本当に分かりやすいやつだぞお前」
「俺って、そんなに分かりやすいのか?」
松葉杖を置いて腰掛けた狩人は、馬鹿にするような笑みを浮かべる。腹が立つことこの上ないが実際、仁の思ったことは全て見透かされており、反論できなかった。
「確かに俺君はとても分かりやすいしね。うんうん。今あとで捻るって考えたでしょ?もーちょっとポーカーフェイス磨こうよ」
「ぽーかふぇいす?なんだそりゃ」
「内心隠す的なあれです」
もう一人の人格にさえ、内心を見透かされる始末。そこまで自分の顔は分かりやすいのだろうか。
「なんでお前が生きてるっかってのは、まぁ、偶然お前らが燃えなかったってことだ」
「はぁ?」
あまりにも適当な説明に、素っ頓狂な声が出た。その言葉だけでは、なぜ助かったのかがこれっぽっちも伝わってこない。当のラガムもそれを分かっているようで、明後日の方向を向いて頭を掻いている。分かりやすい仁も仁だが、ラガムもかなり分かりやすい。
「そんな気にすることじゃねえだろ。助かったことを喜」
「この人が助けに行くって言って聞かなかったのよ。借りを返さないと気が済まないっ!とかなんとか言っちゃって」
「ら、ラシャ!おまえ裏切るのか!?」
「裏切ってません。なんであなたはこう、頑張ったことを隠したがるのかしら」
「俺らがしたことを考えたらな、はい、助けました、礼言って!って誇れるわけがねーだろ!」
「なるほど」
しかし、そんな旦那の照れ隠しを帰ってきた妻があっさりと無に帰す。今までのことから、素直になれなかったらしい。
誰が助けたかはもう理解できた。だが、「どうやって」の部分が未だに分からない。あの状況から片脚がない男一人で、仁とシオンを助け出せるものなのか。
「どうやっ、て……げほっ!」
仁が思いつかなかった、あの場で助かる作戦は一体なんなのかと聞こうとして、
「仁ッ!」
「あらあら」
飛び込んできた少女に抱きつかれ、衝撃と痛みに意識を再度飛ばしそうになった。尋常じゃない力で締め上げられ、触れた皮膚全てがズキズキと悲鳴をあげている。
「おい、離れてやれ。また起きるの待つのはめんどくさい」
「ご、ごめんなさい」
普段の仁ならば、寝起きに少女に抱きつかれるといったシチュエーションに大喜びしたことだろう。だが今は、それさえ楽しめないほどに痛みで胸がいっぱいであった。
(……やっぱないよな)
(仕方ないよ。発展途上なんだもの)
(……そこじゃなくてだな。おまえ、分かってやってるだろ)
予想はついていても、少女の脚が何らかの魔法で治っている事を期待しなかったわけではない。最後に見た時と変わらない、木の義足。少女が不甲斐ない仁を助けるために、犠牲にしたものだ。
「…………」
「…………」
バツが悪そうに離れたシオンは言葉を紡げず、僕を含めた三人の間に重たい空気が漂う。仁の視線は彼女の脚に固定され、シオンの視線は彼の顔から全身へと移ろって。
「どうやって、だったか?もう俺らが命の恩人だってばれちまったし、隠す必要もねえか」
そんな重たい空気など知らないとばかりに、自慢気な顔のラガムが注目を集める。敵がどこにいるのかは分かるのに、空気をどう読めばいいのかは全く分からないようだ。
「……」
方法を聞きたい仁が続きを、と首をこくりと動かす。シオンもまだ聞いていなかったのか、ラガムの話を待ちわびているといった様子だ。
「難しい話じゃねぇよ。シオンがやったことを、俺らで再現しただけだ」
「それだけ?」
「それだけだよ!」
これまた勿体振り、分からないようにぼやけた説明だ。仁にとってはそうだったのだが、シオンはすぐさま理解を示した。一体何を再現すれば、仁達を助けられるのか。
「……分からない」
「よくあんだけの説明でシオン分かるもんだよ。エスパー?」
「えすぱー?」
「超能力ってこと。あ、この世界にはたくさんあったね」
「系統外保持者かしら?」
首を傾げるシオンにエスパーの意味を伝えると、ちょっと違う意味合いになってしまった。それもそうだろう。なにせ、全員が魔法を使えるのだ。仁達から見て超能力でも、彼女達にとってはそれが普通。
「ほらあなた。とっとと話してあげなさいよ。彼が困ってるわよ」
「……土をめくって道を作るのを真似させてもらったんだよ」
「土の道のやつね。なるほどなるほど」
話が大きく横道に逸れたのが気に食わなかったのか、ラガムは少しだけ拗ねている。ラシャに言われて、彼はようやく説明を再開。
「魔力は足りたの?あと、どうして私たちがあそこに倒れてるって分かったの?」
確かに土の道を新たに作り、仁とシオンを連れ出すことは可能であろう。しかし、再現するには多大な魔力と、正確な位置情報が必要なはずだ。故に仁は、再現した魔法の候補から土の道を外していたのだが、
「魔力量的に一人では無理だが、全員の魔力を合わせればなんとかなった。ちょっと節約もしたしな」
「節約?」
魔力の節約とは、一体どういうことだろうか。シオンに目線を送るが、彼女も今回は首を横に振っている。
「一気に全員で力合わせて10m先まで土をめくるのと、1mごとに交代交代で土をめくる魔法を発動させるの、どっちの方が魔力を消費すると思う?」
「あっ……そういうことね」
「……?」
「OKOK!うん。理解した」
うんうんと頷く少女と僕と、頭から煙を出す俺一人。もたらす結果は同じになるはずなのに、なぜそれが節約になるのかが俺に分からなかった。
「距離比例の法則を上手く使ったのね。前教えたでしょ?遠いところに魔法を発動させる方が、近いところで発動させるより魔力を使うって。だから、段階的に少ない魔力で発動させたってこと」
確かに、怪我中にそんな授業を受けた覚えがある。ラガム達は1m土をめくってはその分進み、再びそこで1mめくっては進みを繰り返したのだろう。
「法則なんて呼び方、初めて聞いたぞ?おまえ、誰から教わったんだ?」
「……両親から、かな」
ラガムの驚いた顔を見るに、それは想像以上の答えであったのだろう。褒められたのが嬉しいのか、シオンは照れながら頬の傷を掻いている。
「学者か何かだったのか?まぁいい。忌み子、理解はできたか?」
「一応」
少し違うとは思うが魔力の消費量が縦、距離が横の二次関数のグラフのようになっているのだろう。大まかなイメージを思い描き、ようやく納得がいった。
「私もそうしたらよかったな。魔力も温存できてもっと楽に戦えたのに。でも、場所はどうやって?」
「まぁ頭の出来が違うってことだろ。場所に関しては俺の系統外で一発だ。楽だった楽だった」
「あなた必死になって、「どこだ!借りを返させろ!」って。系統外のこと忘れてた癖に。アランに言われなきゃ気づけたかどうか」
ラガムの高笑いが、妻のツッコミを受けて乾いた笑いへ。仁とシオンが彼を見る目も、少し冷めたものに変わっていく。
仁をいきなり殴りつけて人質にしたり、シオン相手に交渉したり、魔物の軍勢相手に指揮を取ったり、脚をぶった切られても大切な人を救おうとしたりと、村人サイドから見れば相当かっこいいキャラのはずだが、
「この人、ただのおじさんだね」
「おじさん?」
「おっ……おじ?」
日常に戻れば少しうざいが、気のいいおじさんだ。若い二人におじさん扱いされ、ラガムは思いっきり凹む。
「いい歳してるのに、この人まだガキなのよねぇ」
「あとで覚えてろ。俺はまだ二十六だ」
「もう忘れたわ。あなたが命賭けて家族を守ろうとしたことくらいしか覚えてない」
「……」
シオンとの交渉の時や、仁に対しての強気な態度はどこに消えたのか、お嫁さん相手に完璧に手玉に取られている。しかしぐぬぬと唸り、必死に反論を考えているラガムとラシャはどことなく幸せそうで、悲しそうだ。
自分の家族が助かったことは嬉しいのだろう。だが、それを素直に喜べないほど、人が死にすぎた。
何かを失う痛みは昔の仁も味わっている。その痛みはとても悲しく、痛く、辛いもので、忘れ去るのは難しいものだ。
実際、シオンの脚のことについて、仁も色々と考えさせられている。
しかしたとえ痛みが分かろうとも、ここは仁が声をかける場面ではない。そもそも声を出すのも一苦労と言った有様なのだから。そう思い、仁は再び目を閉じた。のだが、
「だから、あなたたちにたくさん酷いことをして、ごめんなさい」
顔を伏せながら突然謝罪を告げたラシャに、仁は再び目を開けた。自分達と接する態度が、最初に比べれば大きく軟化したことは分かっている。戦いの最中では礼を言われたことも、からかわれたこともある。
だがしかし、今、視界の端で土下座をしている女性の姿は、予想できなかった。
「……」
横になっている仁に見えるのは髪の毛くらいだが、間違いなく土下座の姿勢だ。どう返答すればいいか分からず、咄嗟にシオンを見るが、
「えーと、その……頭を上げてください!そ、そんな」
こちらも見事に驚いており、使い物にならなかった。このまま会話が進まないのも困りものである。話の進行役にとラガムを探すも、彼もいない。
「俺からも謝らせてくれ。村を守るためとはいえ、お前らには酷いことをした。いや、それ以前からもだ。本当にすまなかった」
代わりに見えたのは、ラシャの隣のもう一つの下げられた頭。片脚のない状態で不安定ではあるが、頭を地に擦り付けて、声からも伝わる心の底からの謝罪。
「わ、私は気にしてないからね!ね!」
「おまえらは大概、分かりやすいやつだと俺は思うがな」
戸惑ったシオンの口から出た言葉の真偽は、ラガムに隠しきれていなかった。気にしていたことを見透かされた少女はぱくぱくと口を動かし、どうすればいいのかを考えている。
「あれだけのことをした俺らのために、命張ってくれて感謝してる。その気になれば、俺らなんて殺して二人で逃げれただろうに」
「本当にありがとうございました」
思考が停止しかけているシオンに追い打ちをかけるように、ラガムとラシャは感謝を告げた。
「あ、う……その」
感謝に慣れていない彼女は、顔を真っ赤にして俯くばかり。終いには、どう返せばいいのか考えるのをやめたようだ。仁としても、大の大人が自分に頭を下げると言った状況に動揺している。
「こんなに傷ついてまで守ってもらったんだ。何か返せるものがあるならいいんだが」
「一生消えない傷を残してしまったのに、ごめんね。お金を渡そうにも、あなたたちじゃ使う機会がないだろうし」」
「……?」
「い、いいんですよ!お金なんて!」
「僕らが街に入っても、すぐに捕まるか追い出されるかでお金を使う暇なんてないだろうし。まぁ命賭けたんだし、貰えるなら貰いたいけどさ」
現物的なお礼をどうすればいいかと聞かれ、やめてくださいと断るシオンに、何か欲しいなーと考える僕。だが俺の人格は断るでもなく、何を貰うか考えるでもなく、ラシャの言葉に引っかかりを覚えていた。
「一生消えない傷って、なんだ?」
シオンの脚なら、分かる。でも、ラシャの口ぶりはまるで仁にまで消えない傷があるような。
「そうか。僕が痛覚の比率を操作してたから分からなかったんだね……ちょいと戻すよ。覚悟してね」
「おまっ……何を……ぐっ、うううががああああああああっ!?」
僕の言葉が消えるとともに、身体の前面が炎に舐められたように熱くなった。暖かいなど生易しいものではない。炎にもう一度放り込まれたかと錯覚するほど熱く火照り、ヒリヒリを通り越して激痛を感じる。右頬も、胸も、腕も、脚も、腹もじゅうじゅうと熱い。
「仁!?大丈夫?」
「おい、大丈夫か?忌み子」
「ちょっと薬持ってくるわ!」
急変した仁にシオンとラガムが駆け寄り、ラシャは薬を取りに走っていった。だがそれよりも、今はとにかくとにかくとにかく痛い。
「どうなって……やがる……」
熱さと痛みから逃れようと身を捩ると、動いたことでまた新たに痛みが発生するエンドレス。動こうとする身体を精神で抑えつけ、根性で同じ姿勢を保ち続け、落ち着くのを待つ。
「君にも三割くらい痛みを負担してもらってたけど、十割だとこれくらいさ。ほら、もう自分が今、どんな状況か理解したろ?」
「はっ……はっ……はっ……」
本当なら、喉が枯れるまで叫びたかった。本当なら、転げ回って痛みを全身で表現したかった。けれどそれは、仁にはどうにもならない痛みだった。
「薬よ。痛いと思うけど少し我慢してね。ほら、あなたが塗ってあげなさい」
「な、なんで私が?」
「そっちのが治るのが早いものよ。ほら、早く」
「が、頑張ります!」
ラシャから薬を手渡されたシオンが、ガチガチに緊張して仁へと近づいてくる。これからくる痛みと彼女の危うい手つき、ラシャとラガムの微笑みに恐怖を覚えるが、今の自分に逃れる術はない。
「ッ……!?」
顔の皮膚にひんやりとした感触と、暴れまわる痛みが同時に発生する。
「次は胸とかもね」
かけられた布をひっぺ返され、胸板を露出させられる。恥ずかしさなどどこにもなく、ただただ痛かった。
「えっ?」
あまりの痛みに傷口を確認しようと首を動かし、そうして仁は目覚めて以来初めて、自らの身体を見た。
「……」
黒と赤と肌色に焼けただれ、日焼けの比ではない程、べろりんと皮が剥がれた皮膚がそこにはあった。それも一部分だけではない。今仁から見えていて、痛む箇所、つまりほぼ全ての胸部が焼けていた。
いや、布に隠れて見えなくとも、痛みを訴えている箇所全てが焼けているのだとしたら。仁の身体は、前面部全てが焼けただれているのだろうか。
「おまえを火の中から連れ出した時、今なんかよりずっと酷かったぜ。焼けた地面に皮膚がくっついてて、剥がさなきゃいけなかった」
「剥がしたら剥がしたで出血もすごくてね。運ぶのだけで一苦労だったわ。安全な場所で急いで治癒魔法をかけたんだけど」
それはそうだろう。身体の前面が大火傷して地面にがっちり引っ付いたのを、力任せに引き剥がしたら血も出るだろうに。
しかしシオンの肌をちらりと見るに、小さい火傷はあれど大火傷はない。
「あなたが焼けた地面との間に挟まってたから、彼女に火傷はほとんどなかったの。けど、脚はもう治せない」
部位欠損は治らない。それがこの世界のルールだ。そして、大きすぎる怪我も完全には治せない。
だいたいのことは、理解した。今の仁の姿がどんなものなのかも。シオンの脚がもう治らないことも。
「治癒魔法を継続的にかけ続ければ、少しずつ痕は消せるわ。でも、全部は消えない」
「……そう、か」
ゴブリンに襲われて傷を負った時、仁は色の違う皮膚が気持ち悪いと思ったが、
(全身でそうなって、一生残るのか)
(まぁ、部位欠損よりはマシ、さ)
僕の言うとおりだ。最初のうちは生活にも支障が出るかもしれないが、塞がれば見た目以外に影響はないだろう。シオンの部位欠損の方が、よっぽど辛いはずだ。それが事実だし、そう思わないとやってられなかった。
「とにかく、今は休みなさい」
「もしもの時は、忌み子に担いで逃げてもらえ」
「……ん」
薬が効いてきたのか、それとも僕がさらに痛みの比率を操作したのかは分からないが、少しずつ痛みは引いてきていた。
到底動ける状態ではなかったので、このままお言葉に甘えてと、仁はもう一度眠りにつこうとした。
「おまえも寝た方がいい。と言うより、早く寝て魔力の回復を早めとけ。限界に近いんだろ?」
「……ありがとう。そう、させてもらうわ」
ラガムの言葉に甘え、シオンは木の義足に魔力を込めてふらふらと揺れるように立ち上がった。魔力を使い切った彼女には、歩くことさえ重労働なほどだろう。
「いくら仁を治したいからって、おまえがぶっ倒れるまで治癒すんのは本末転倒だ」
「それにあなたが無理してるって言ったらこの子、また責任感じるわよ?」
大人二人が言うことはやはり正論だった。自分が倒れればあの少年がどんな心境に陥るかくらい、シオンにも理解できた。しかしそれよりも、彼の身体の傷を取り除いてあげたかったのだ。
「どうする?ここで寝る?」
「いえ、その、大丈夫です」
ラシャの「ここ」が指すのは当然、仁の隣だった。配慮なのかからかいなのか、そのどちらかは分からないが、悪意でないことだけは確かだ。
そのことが嬉しいとシオンは思う。しかしその一方で、今の仁の身体を見て、素直に嬉しくなれない自分がいるのだ。
「そう。本当に無理だけはしないでね。身体も、心も」
「うん、わかってます。ありがとう」
「礼なんていらないの。あなたには何をされても文句を言えないくらいひどいことをして、良いことをされたから」
深く頭を下げたシオンに、ラシャは手を振って答える。その声音に滲むのは、申し訳なさと後悔。
「お前には謝っても謝りきれん。この村の連中全員がそうじゃないが、少なくとも俺とラシャはだ。何か要求があるなら出来る範囲で答える。この首を差し出せって言うのも、いい」
彼の夫も、同じ感情を込めた目でシオンを見つめていた。今まで散々虐げてきた少女と、人質にした少年に助けられた。見捨てても良かったのに、むしろそうするのが普通であるはずなのに、彼らは村を救った。その事実にラガムとラシャは、感謝と悔恨の意しかないのだろう。
「別にあなたの首なんて私も困るし、家族も困るでしょ。ねぇ、なんでも聞いてくれるのよね?」
「出来る範囲なら。家族とか、村人の首は勘弁して欲しいが」
今までにはない欲望の光が灯った目を見て、ラガムが予防線を張っておく。出来る範囲と言っておいて卑怯かもしれないが、ここだけは守りたいラインだったのだろう。それこそ卑怯と罵られても、命に代えても、絶対に。
「だからそんなのどっちも困るだけだって……えーと、その、あのね!」
「あのね?」
緊張しているのか、シオンは中々言い出せない。十秒もあっちこっちへ目を向けて頬を赤くして、仁を見てと忙しなく悩み、深呼吸でようやく決意。
「できたら、でいいんだけど……私と仁をこの村に住ませて、くれないかしら?」
「……そんなことか?」
「そんなことって何よ!」
褒められた時よりも顔を真っ赤にして、ついに言い切った。ラガムにとってはそんなことでも、忌み子として生きてきたシオンにとっては、とても頼みにくいことだった。
そして、ずっとずっと、望んでいたことだった。
怒鳴ったシオンはあっとした様子で下を向き、ちらちらとラガムとラシャと仁を交代で見ている。まるで返事に怯えているが、期待に負けた子供のようだ。
「いいんじゃないかしら?私達的にも、村の警備が固められて一石二鳥だしね」
「ほ、ほんとっ!?」
戸惑いながらのラシャの許可に、シオンは目を輝かせた。仁とシオンがこの村に住まうことのデメリットは、忌み子だということに尽きる。それ以外の面から見れば、ほとんどがメリットであるのだ。
今回の襲撃で村の人口は激減した。二人であれ、人手が増えるのはありがたいことであるし、なによりシオンが村の防衛に回れることが最大の利点だ。
シオンがいなければ、この村は間違いなく滅んでいたことだろう。仁がいなくても滅んでいたかもしれないが、やはり彼女の方が心強い。
他の村人は忌み子だということで嫌悪を示すかもしれないが、助けられた恩でそこまで表面化しないだろう。むしろシオンの人柄を考えれば、村に馴染むことは不可能ではない。
これがラシャの考えた、利点で見たシオンを受け入れても良い理由だ。
そして、もう一つ。
「出来る限り、あなたの頼みは聞きたいしね」
家族を、村を助けてもらった恩義に報いるという情もあった。
「仁にはまだ話してないけど、話せば喜ぶと思うの!仁だってやっぱり、私だけじゃつまらないかもしれないし、他の人がいた方が、ね?」
「そんなことはないとは思うけど」
少女は義足でありながらもぴょんぴょんと飛び跳ね、身体全体で幸せだと表現する。その顔は沈んだり、浮いたりとこれまた忙しい。
「それに私、女の子の友達というのが欲しかったのよ!」
「……」
明るい声で重い事を言われ、ラシャには言葉が見つからなかった。隣の夫はシオンの頼みを聞いた時から何かを考えているのか、不思議と言葉がない。
「すまない。おまえたちがこの村に住むのは、無理だ」
「えっ…?」
ようやっと開いたラガムの口から出たのは、ラシャの許可とは正反対の拒絶の言葉。喜んでいたシオンの動きが静かになり、どうしてと眼が訴えている。
「ちょっと、あなた?どういうつもり?村に住むくらい、叶えてあげれないの?」
しかし、ラシャは当然反対する。十分出来る範囲ではないかと夫に詰め寄り、問い詰める。
「俺が反対な理由はこれから先、おそらく騎士団が調査に来るからだ。これだけの火事を起こして、国が何も調べないわけがない。そんな時に忌み子が村にいてみろ。せっかく守ったこの村がどうなるか分からねえぞ」
「……それは」
仁とシオンを住まわすのは出来る限りの範囲外だと、ラガムは主張する。
広大な森の半分が焼け落ちたのだ。国からしても間違いなく異変であり、なんらかの調査が行われるのはほぼ確定だろう。そして調査に来た人間が、村人に紛れて暮らす仁とシオンを見て、何を思い、何と言うだろうか。
良くて仁とシオンを処刑。悪ければ村全部が晒し首だ。
「国や騎士団に刃向かうわけには行かねえ。だから、本当にすまない」
こう言われては、シオンもラシャも黙り込むしかない。シオンは自分のわがままで村の人と仁を巻き込みたくない思いから。ラシャは仁とシオンと、村を天秤にかけた結果から。
「はっきり言えば、二人にはすぐに出て行ってもらいたいくらいなんだ。俺ら的にも、おまえら的にも」
「もうちょい優しく言ってあげたら?」
「言い方が悪かった。俺が言いたいのは、このままだとどちらも不幸になるってことだ」
調査に来るのはいつなのか、わかってなどいない。一ヶ月後か、一週間後か、はたまた明日か?いや、そもそもラガムの考えすぎで、来ないかもしれない。
「だが、少しでも来る可能性があるのなら、来ないと言い切れないなら、すまない。願いを聞くと言っておきながら、本当に悪い」
「ううん。身の丈をわきまえずに無理を言ったこっちが悪いの。気にしないで」
ラガムは心から申し訳なさそうに、大事なものの為にに頭を下げていた。これはもう、シオンが諦めるしかないのだろう。向こうの話には情の筋が通っていなくても、ちゃんとした理由があるのだから。駄々をこねたって、誰も幸せになりはしない。
「治癒魔法次第だけど、仁を運んでいいくらいになるまであと一日くらい。だから、明日にはここを発つわ。多分私の家に寄るから、ここら辺を離れるのは数日後になると思う」
出て行くのなら、少しでも早い方がいいだろう。ぐずぐずしている間に調査が来たら、諦めた意味も、この村を助けた意味もなくなるかもしれないのだから。
「そうしてもらえると助かる。もし、おまえらが発つ前に調査が来た時は、俺が全力で引き止めると誓おう。これは破らない」
「あなた一人じゃなくて私もにしなさいよ。この馬鹿夫。毎回置いてかれたんじゃ、たまったもんじゃないわ」
せめてものお詫びと、ラガムとラシャはとある誓いを一方的に建てる。しかしそれは即ち、国への反逆ということであり、
「そ、そんなことしたら二人とも!子供もいるんでしょ!?それにあの人たちに勝てるわけがないわ!」
「おまえって案外脳筋か?よく分からねえが、最近ここら辺の地形が大きく変わったんだ。分からなくなったフリをして、とんちんかんな方向に忌み子の家があるって嘘つけばいい」
「ここまで恩知らずなことをして、子供に顔向けできるわけないじゃない。でも、もしもの時は恩より子供優先するから。ごめんなさい」
ここ数ヶ月の間に起きた異変。地図の通りに進んでもその場所にたどり着けないことがある、見知らぬ建物や動物を見たなどの報告。ラガム達はその異変に乗じて、仁とシオンがいる方角を誤魔化すと。その隙に逃げろと。
「やつらもただの間違いなら、俺らを咎められねえさ」
「でもそれは、私たちが家に向かっている時にしか使えないわ!他の場面、例えば今すぐ来たらどうするの!?」
いい作戦だろう?と胸を張るラガムに、シオンはその計画の穴を指摘した。胸を張る仕草が、どうしても安心させるための虚勢にしか見えなかったから。
「どうするかって言われても、何とでもする。俺が口八丁手八丁足まで使って奴らを引き止めている間に、おまえがそこに寝っ転がってるやつを抱えて逃げりゃいい」
「でも」
「だから言ったろ。これは破らないと。まぁその、万が一俺が殺されでもしたら、そこはすまん」
「あなた、もうちょっと自分の発言に責任持ちなさいよ」
破らないと言っておきながら、どうしようもないことは無理だと予防線を張っておく彼に向けられる妻の視線は冷たい。でも、その奥には違う色があった。
「さすがにその時は、あなたたちの命を優先して欲しいわ」
シオンは手と首を横に振り、命まではかけないで欲しいと釘を刺しておく。自分の為に人が死ぬなど、少女にとってはとても嫌なことなのだ。それが、自分を人間として扱ってくれる数少ない人種なら尚更。
「あー、そうだ。更に謝ることが、もう一つある。もし調査みたいなのが来たとしたら、おまえらを悪者のように扱うことになるかもしれない」
「協力したのは忌み子に脅されたからです。私達から協力したんじゃないって言い訳ね」
都合のいい嘘をつくと予め宣言したラガムに、ラシャは棘の含んだ、しかし真実だけの言葉を向ける。
「なんでシオンよりおまえが怒るんだよ。気に食わねえのは分かるけどさ」
「気に食わないわよ。こんなの」
今まで冷遇してきた相手に命を張って助けてもらったのに、保身の為に村から追い出し、悪く歪めて言い伝える。ラシャにとってもラガムにとっても、もちろんシオンにとっても、気持ちのいい選択ではない。
しかし、この選択が全員の命を守る為に最善であることだけは、疑いようがなかった。
「気にしないで。今更感満載だから、別にセーフよ」
「せーふ?」
「大丈夫、って意味。それに、あなたたちの気持ちも分かるから」
汚いことをして誇りを失っても守りたいものがあるラガムの気持ちと、助けてもらった人に恩を返したいというラシャの気持ち。そのどちらも、シオンには理解もできたし、彼女の心底にあるものでもあった。だから、シオンは謝罪を笑って受け入れられた。
「これで話は終わりかな?もう、寝させてもらうわ。明日の準備に備えて魔力貯めなきゃいけないから」
「おう、ここにいるくらいはゆっくり眠れ。安眠くらい保証してやる」
だからと言って、シオンの心が何も感じないわけではない。頑張って助けたのに悪者扱いされること、この村に住ませてもらえなかったこと、彼女が憧れた人付き合いができないことは、堪えた。
笑顔の裏に落胆と涙を隠した少女は、理由をつけて足早にここを去ろうとしたのだが。
「ああ、それとだ」
「なにかしら?」
何かを思い出したようなラガムに引き止められ、背を向けたまま返事を返す。本音を言えば早く一人にして欲しい気分であったが、止まらないわけにはいかなかった。
「調査の奴らが帰ったら、おまえら二人、ここに帰ってきて、住んでもいい。村の奴らで反対するやつ、そんなにいねえだろうからな」
ラガムの言葉にシオンは、止まって聞いて本当に良かったと思った。
「もしいたら蹴り飛ばしてでも説得するわ。夫が」
「おまえ!」
「安心しなさい。私もよ」
また謝られることだと、嘘だと、悪いことだと思っていたシオンには、寝耳に水であった定住の許可。
「本当に?今度は、嘘じゃない?」
泣きそうな顔を見せたくなくて背を向けていたのに、思わず振り返ってしまうほど、驚いて、疑って、
「嘘じゃねえよ。村の防衛として見てもおまえら二人はありがてえしな。泣くのか笑ってんのかはっきり……ああ!もういい!早く寝ろ!」
思いっきり泣いて、嬉しくて笑ってしまった。照れたラガムの声と、からかうラシャの声、明るい声で二人の間に飛び込んできた子供の声を背中で聞いて、シオンは寝床へと歩いて行く。
脚を失ったとしても、今までの散々な扱いを受けてきても、
「仁を守れて、約束も貰えたなら、十分かな」
今日は、いい夢を見れそうだと。ここに住んで、夢のご近所付き合いができる未来を想像して、彼女は微笑んだ。
(寝たふりって、いつ起きればいいかが分からないよね)
痒みのような痛みにすぐには寝れず、これからどうしようかと目を瞑って考えていたら、寝ていると勘違いされた。話の内容が内容だけに、起きるタイミングを完璧に逃してしまったのだ。
「つーわけだ。調査が終わったら、おまえらここに住んでもいいぞ。二人か三人か分からんが」
「……」
どうやらラガムとラシャには疑われていたようで、声からからかいの感情が伝わってくる。こういう時はスルー安定。寝ているフリがばれた時の照れ臭さや、弱みを見せたくはなかった。
「その頃には子供ができて四人になってたりしてねー」
「……っ!?」
「やっぱり起きてやがったか。てか、なに想像しやがったムッツリ野郎が」
「身体が熱くて、寝れないんだ」
しかし残念ながら、ラシャの少し恥ずかしい冗談に反射的に反応してしまった。仁はこの手の話題に関しては、大人に比べて遥かに弱い。もう隠す必要もないと目を開けて、首だけを動かしラガム達と視線を合わせる。
「まぁ、こんな礼しかできなくて悪かった」
「立場とかそういうのは分かってる。ここに残ってると俺達も危ない。だったら、ここを出ていくだけだ」
調査に来るというのは役人か、それとも騎士か。どちらにしろ、厄介事になるのは間違いない。それにもし後者なら、仁は彼らを倒せる気がしなかった。
「で、どうだ?おまえにも酷いことした俺らが言える事じゃねえが、あいつはおまえと一緒にこの村に住みたいらしいぜ?」
「いつかあんたはぶん殴る。棍棒で殴られた分、やり返す。シオンは許しても、俺を人質にした他の村人も全員一回ずつぶん殴る」
「覚えててね!僕からもお返しだから二発さ!ちなみにこの俺君、きっと女の子でも殴るよ!」
拳を握り締め、傷が潰れた痛みに顔をしかめる。冗談めいているが、仁は本気だ。いつかこの軽い狩人や村人には会って、直接お返ししなければ気が済まなかった。
「くっ……ははははははは!そうかそうか!それがおまえの答えか!いいぜ。この村に住む時、ぶん殴ればいい!」
仁の言葉の裏にある意味に気づき、ラガムは手を叩いて笑い声を響かせる。素直じゃない少年なりの、精一杯の答えにおかしさがこみ上げたのだ。
「急にこの子、口調が変わったけどどういう……?まぁ、その時はおとなしく殴られるわ。ラガムがうちの家族分」
「子供の分はまだしも、おまえのもか?」
俺と僕の人格を知らないラシャは、豹変した仁に困り顔だ。しかしらさすがは子の為なら魔物と戦う強き母。分からない事は分からないと受け流し、更に自分への罰さえ夫へと受け流す。
「冗談よ。殴られて許されるなら安いものだわ。子供の分は代わりに私たちでいいかしら?」
「じゃあ、二人三発ずつでり手加減はしないから」
これで手打ちだと、仁も笑う。顔の火傷の跡がパリっと音を立て、すぐさま痛みに顔をしかめたのだが。
「……それとその、助けられなかった人の事は、ごめんなさい」
無理すんなと怪我人を寝かせようとする夫婦に逆らい、仁はどうしても言いたかったことを、焼けた口でなんとか言葉にした。それは、全員を助けられなかった悔恨の念。
「おまえが気にすることじゃないし、責める馬鹿もいやしない」
「けど……」
「そう抱え込むな。人は出来る範囲のことしかできやしないんだ。その時の範囲の限界の限界まで足掻くことしか、できねえんだよ」
全てを救えなかったことを気にする少年に、ラガムはできないことはできない、それを気にしても意味がないと、優しく諭す。
「……でも、ごめんなさい。なんかそう言わせるように誘導したみたいで」
「おまえ、一々そんなところにまで気を遣ってると禿げるぞ」
「ま、真面目に言ってるのに……」
気遣いすぎだと言って笑う二人に、困惑するしかなかった。知り合いや仲間、もしかしたら家族が死んだというのに、彼らはなぜこんなにも優しいのかと。そんな余裕が、どこにあるんだろうと。
「ま、この話は仕舞いだ。今更やってもなんも変わらねえしな。そもそも俺らがしたこと考えたら、おまえらが気にする義理はないんだからよ」
「……ごめんなさい」
「こいつ、本当に分かってんのか?」
責められることもなく、むしろ気遣われて話を締められた。蒸し返すのも良くないだろうと思い、仁は最後に謝って、口を閉ざして思考を切り替える。ただし忘れることだけは決してせず、心の奥底にしまい込んだ。
(確かに、ひどいことされたんもんだよ。主にシオンが)
ラガム達は、シオンと自分を命の危険に晒した。それは仁にとって、許し難い行為だ。彼らがもし仁を人質に取らなければ、安全に逃げれていたかもしれない。仁は傷を負わずに済んだろうし、シオンは片脚を無くさなかった。
その場合、村人達の避難は間に合わず、壊滅は免れなかっただろう。でも、少なくとも、仁達は傷を負わなかったのだ。
しかしその一方で、この動乱の中で仁達が得たものがあるのも確かなことだ。刻印魔法で身体強化を発動させる方法、魔物への恐怖の克服と、約束。
そしてもう一つ。彼らが仁とシオンを危険に晒したとは言え、自分とシオンを救ったのもまた、彼らだ。
(まぁ、彼らがいなければ危険もなかったが)
(けど、助けられたのは確かだしね)
悪く言えば、いや事実を言えば、マッチポンプだろう。ただ、仁の側にも多大な利点が付いていたという違いはある。
(あとは、この世界で拠点になり得る場所をゲットできたのもでかいか)
(日本人が僕らだけで、他の世界の人々が出会う度に忌み子扱いしてくるんじゃ、心休まる場所がなくなっちゃうよ)
この世界で日本人が生き残れる確率は恐ろしく低い。それこそ、街や村のように自治体を作れるほどの規模で生き残っているとは到底思えない程に。
(電気もなければ水もない。強奪や殺人、魔物の襲来に安息すら許されない。食料が生産できるとは思えない。そして物理攻撃無効のバリア持ちが敵にはわんさか)
(もう完璧に詰んでやがる。個人で生き残るのも絶望的だが、団体で生き残るのも希望無しときた)
徒党を組めば、魔物などの外からの脅威は減る。しかし裏切りや食料難などの内側からの脅威が、代わりに付いて回るのだ。
(紙幣は紙切れに。百円はコインに。さて、物はどうやって手に入れるのか。答えはもう、奪うがぼったくられるなんだよね。あー、やだやだ)
法外な値段をつけようとも、極悪非道な行いをしようとも、この世界にそれらを取り締まる法律はあるのか疑問である。
(法律どころか、そんな日本人の街があるのかさえ疑問だよ)
シオンと二人だけでも、生きてはいけるかもしれない。世界中から嫌われ、魔物と戦い続け、必要なものは奪い、世から隠れるように過ごすなら。
だが、その生き方は過酷で険しく困難な道だ。仁は実際それに近い生活を送り、現に死にかけた。拠点はないより、あったほうがいいに決まっている。
しかし、忌み子でも受け入れてくれる、そんな拠点がこの先都合よく見つかるとは思えない。だから、シオンとラガムとの約束は、仁にとってもとても有益なものだった。
これらが、仁が殴るだけで手打ちとした理由だ。
さて、現実を見るとしよう。
「ほら忌み子、どうせなら今殴っておいてもいいんだぞ?強化使ってもいいから」
仁の身体にまともに力が入らないのをいいことに、ラガムがおちょくるようにほれほれと頬を指差している。報復に首くらい要求した方が良かったかもしれない。
「今動けないだろうが。安心しろ。全力出せる時にやってやるから」
その非常に苛立つ顔に、仁はいつか痛快なストレートを叩き込んでやると決めた。
この腹立たしい煽りが仁を少しでも笑わせようと、明るくさせようとする心遣いだと分かるのが、妙に嫌で、嫌いじゃなかった。
「さて。馬鹿はこの辺にして寝ろ。痛みで眠れなかったら、羊でも数えとけ」
「馬鹿やってたのは俺じゃない」
仁は寝転がっていただけである。煽ったりふざけたりしていたのは主にラガムだったはずだ。
「それにしても、この世界でも数えるのは羊なのか。理由、知ってたりは?」
「そんな理由知らねえよ。古い言い回しだ」
「恐るべき羊、時空を超えるとは」
仁も日本で『なぜ寝る時に羊を数えるか』の理由を知らなかった。どうやら、世界の壁を超えてこの言い回しは存在するらしい。
「じゃ、言われた通りに数えて寝るわ。羊がいっぴーき、羊がにーひき、さんびき」
「全部食べた」
「……あのなぁ」
こんなやり取りもあったが、仁はすぐに眠りについた。やはり疲れがたまっていたのだろう。羊の数は二十も超えなかった。
「少しは気、紛れたんじゃない?」
嘘でもない、規則正しい本当の寝息が仁から聴こえてきたのを確認して、ラシャがひっそり声をかける。
「なんの話だ?まぁこの野郎、なかなかに察しがいいのか、気づいてた節があったのがまた腹立つ」
「こんなことでしか償えないのが、本当に嫌だわ」
少しでも元気づけようと、わざと明るく振る舞った。この嘘にシオンは全く気付かず、むしろ幸せな気分で夢の中に入れただろう。
「変なところだけ大人びたガキだな」
しかし、仁はどこか感づいていた。彼はそのことがどうしても、気に入らなかった。
ラガムとラシャの子供は今、他の子達と一緒に寝ているはずだ。昨日の馬車で疲れが出たのだろう。仁が目覚める前に、松葉杖をついて見に行った時はだが。
「張り詰めたツラして寝てんなこいつ。何かあったら飛び起きれるみたいに」
「それだけのことがあったんでしょうね。してた側の私達が言えることじゃないけど」
そんな我が子のすやすやとした無垢な寝顔とは違う、苦しげに歪んだ仁の寝顔を見て、夫婦はいろいろと察する。
「父さん……母さん……」
「寝言でシオンシオンだの言っていたのなら、まだからかいがいもあったてのによ」
仁の寝言を聞いて、彼の周りにシオンしかいないことを知っていて、ラシャとラガムは申し訳ない気持ちになった。自分達がしてきた忌み子への迫害が、この少年を親から引き離したのでは無いかと。
「今まで忌み子のことを化け物みたいに扱ってきたけど、ただの人間で私達と何も変わらないのよね」
「本当に、そうだ」
親にとっても子にとっても、一緒にいられないのはこの上なく辛いことだ。ラガムもラシャも、子供の為なら鬼にだってなる覚悟がある。
「ただのガキだな。まだ」
「そうね。子供なあなたよりもずっっっと子供」
忌み子の髪を撫でるなんて、数日前には考えられなかった。それでも、助けられて彼らを知って、自責の念に駆られ、少年が寂しそうにいない親を求めたなら。
「代わりで、ごめんね」
ラガムもラシャも、自然と仁の髪を撫でていた。まるで悪夢を見ている自らの子供をあやすように。それは少年の苦しげな寝相が、安らかな寝息に変わるまで続いて。
「こっちの子供は落ち着いたみたいね」
「……だな」
もう大丈夫だろうと、二人は手を離す。ラガムは上を向いたまま何も言わず、ラシャはラガムを見たまま何も言わず。
「ねぇ」
先に風音だけの静寂を破ったのは、ラシャだった。
「ん?」
「あなたは頑張ったわ」
「……」
かけられた労いの言葉に、ラガムは自分の中の何かが崩れ去るのを感じた。それは子供の前では大人でいたいプライドか、周りに見せたくない男の意地か、それとも意図的に封じ込めていた心を壊そうとする衝動か。
「……たよな……!」
いやきっと、そのどれもだろう。
雲が少しずつ流れていき、悲しみにくれる人の声が聴こえてきて、愛する者が隣にいた。
「頑張っ、たよな……」
「うん、頑張ったわよ。ほら、みんな見てないから」
ずっと堪えていて、胸の内にしまっていた涙がラガムの目から溢れ出ていた。
「みんな、本当にごめんな……助けられなくて……!」
いい年をした大人が、涙で声を濡らす。普通ならかっこ悪いと思われるような、そんな光景をラシャはずっと見ていた。
「じゃ。この辺で」
「まぁ、あれだ。無理はするな」
「ま、また来るから!」
翌朝、仁とシオンはこの村を去った。村人達から感謝と謝罪を受け取り、とある約束もいただいてだ。
少年が一生残る傷を対価に得たのは力と、力ある者から信頼、そして魔物への恐怖の克服。
少女が片脚を対価に得たのは、優しさをくれる少年と、約束であった。
物語はまだ、始まりに過ぎない。この約束が叶うかどうかも、今はまだわからない。未来は分からないのだから。
少年と少女は三人で歩き出した。この世界で生き抜く為に。
『桜義 仁の現状』
剣の腕前は初心者。強化と策に頼りっきり。
魔力保有量はゼロ。しかし刻印魔法により、障壁や虚空庫以外の魔法は使用可能。お気に入りは身体強化と氷魔法。まだまだ甘いところはあるが、魔法の形成に関しての才能はそこそこある方。適性はそもそも魔法刻印である為、関係ない。
今回の炎で、身体前面部、及び顔面下部分から首のあたりまでに深い火傷の痕。以前ゴブリンに弄ばれ、全身に切り傷刺し傷と矢傷。両腕の肘と手首の間に剣が貫通した後。脚の皮膚は齧られて変色。精神面の魔物へのトラウマは克服済み。
持ち物はシオンから借りている剣と、彼女お手製のポーチのみ。
『シオンの現状』
剣の腕前、達人より更に上。強化を得た仁を、軽く片腕であしらえるレベル。
魔力保有量、常人数百人分と莫大。両親から教わり、森の家で時間の限り読み尽くした本の知識、繰り返した訓練にて、相当数の魔法を習得している。また、その殆どの陣や刻印の形も暗記しており、見ただけで大抵は識別できる。適性は若干土、次点で水に偏っているものの、総じてハイレベル。お気に入りは土魔法。
胸の大穴や頰の刺し傷を代表とする、全身に数え切れないくらいの傷跡。治癒魔法を使ってもこれだけ残るということは、どれもが骨に届くような一撃であったと伺える。また、よくよく見れば骨が折れて曲がっている箇所も。此度のオーガとの戦いによって、左脚の膝から下を切断。腹部に大きな傷跡が追加された。
持ち物は最高級の白銀の剣に、今までに描き溜めた相当数のスクロール(土魔法は此度の戦いにて大量消費)。その他、森で拾った剣や鎧など。また、大量の食材と料理を虚空庫に眠らせている。




