第2話 火種
「うっ……おええええ!」
引き抜いた穂先の血と肉を見て、胃が中の物を吐き出した。今まで耐えていた吐き気が、ダムのように決壊したのだ。
「命を意図的に奪ったのは、初めてだもんな」
吐き終えた仁は残った息苦しさのまま、掠れた言葉を絞り出す。人間が自ら直接、なにかの命を奪うことはあまりない。精々、蚊を叩くくらいではないだろうか。ましてや、人型の動物ともなれば。
「結構きついけど……慣れないと」
一般的な高校生だった彼には、奪った命の残骸の光景は刺激的すぎた。得体の知れぬ重りが肩にのしかかったような、精神的な辛さ。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。豚を一匹殺しただけで立ち止まっていては、ダメだ。
「こんな弱いんじゃ、いつ俺があのオークみたいになるか分かったもんじゃない」
袖で口を拭き、白い校舎を見上げる。何人かの生徒が窓から心配そうに仁を見ていた。クラスメイトに友人と見覚えのある生徒もいて、そのことが嬉しかった。
「強くならないと、ダメだな」
仁はまた、物理的にも、精神的にも立ち上がる。草むらから血塗れのコンパスを拾い、ハンカチで拭き取ってカバンにつめる。槍を右手に持ち、校門に左手をかけよじ登った。
「おーい!大丈夫かー!」
手を振りながら走ってくるのは、メールの送り主である友人だ。ここも校舎の中ほど安全とは言い切れないのに、わざわざ迎えに来てくれた。
「大丈夫だよ」
馬鹿でお人好しな友人に仁は、精一杯の作り笑いを顔に貼り付けて、手を振り返した。
「……お前がやったのか?」
「ああ、何度も死ぬ!って思ったけどな」
仁の返答にゴクリと喉を鳴らす友人の名は、荒原 悠斗。高嶺の花を射止めたリア充様で、仁とは小学校の頃からの付き合いである。
「すげえな!なんか不思議な力みたいなの、宿ったりした?どうよ?身体がいつもの何倍も軽いとかない?」
こんな状況なのに、彼は陽気だった。ファンタジー物のアニメや本、映画が大好きだからだろうか。仁のように落ち込むどころか、むしろ興奮しているようである。しかし、このテンションの高さは不自然だ。地獄のような光景を見た人間が、こうも明るく振る舞えるものなのか。
「そんなのなかったよ。悠斗は、あの地震の時から学校に?」
不振に思った仁は、質問の中に探りを入れる。もし、ずっとここにいたのなら、あの光景を見ていない可能性が高い。
「ん?そうだけど?中のやつらは大体そうだと思うぜ。お前が最初じゃないかな?あの地震からここに来たの」
予想通りの明るい声で返答に、心の中で再び暗いもやが噴き出した。もしかしたら彼は、この状況に危機感を感じていないのではないか。いや、状況自体を理解していないのではないかという、不安でできた黒いもやだ。
「怖くないのか?」
下から覗き込むように観察し、悠斗へと尋ねる。仮にあの光景を見ていたなら怖いと答えるか、無理に笑顔を作るはずだろう。
「え?いや、お前がオーク倒したの見たし、それにゴブリンとかオークとか定番の雑魚モンスターじゃん。ほら、おまえがさっき倒したのだってきっとチュートリアルだって!」
しかし彼が浮かべた笑顔は、心底ワクワクしている少年の笑顔だった。発した言葉はとてもお気楽で、ふざけているとしか思えないものだった。
「雑魚、か」
その雑魚に、何千何万もの人々が殺されているだろうに。思わずそう反論しそうになって、その言葉を感情とともに心の中にしまいこんだ。悠斗を責めても何の意味もなく、状況は変わらない。
(どうすればいいんだ?)
状況は思ったよりも遥かに悪い。まず、誰も状況を悪いということを理解していないのが最悪だ。校内では何の対処もしていないことだろう。
(何とかしないと、ここも危ないぞ)
不安と怒りに歯を噛み締める。そのうち学校にも、奴らが塀を壊してやってくる。ここには美味しい人間がたくさんあるのだから。早く危機感を伝えて対処をしないと、全員死ぬ。それは間違いない。
(だけど、問題はそこからだ)
しかし全員に危機感を伝えたところで、どう対処すればいいのだろうか。
逃げるか、戦うか。さもなくば死ぬか。
けれども時間は、仁の決断を待ってはくれなかった。
「ギギッ!」
奇妙な鳴き声をあげる醜い小鬼が、道の先に姿を現したのだ。それも一匹ではなく、五匹も。即座に勝てないと判断した仁は、友人へ警告しようと息を吸い込む。
「よっしゃ、仁だけやなくて俺も戦わねえと。なんかの能力発現するかもしれんし、彼女にいいとこ見せたいし」
息が言葉に成るより早く、悠斗の口からふざけた内容の真剣な声が飛び出した。彼からすれば真面目なのかもしれないが、仁としては怒鳴りつけてやりたかった。
「え!ちょっ、おまえ首しまるるるる」
大声で注意を集めたくはない。何も分かっておらず、ふざけた声を上げる悠斗を校舎の中へと引きずり込む。地獄を見た仁からすれば、こんな友人が理解できなかった。
ゴブリン相手に撤退したことが未だ気に入らないらしく、校舎の中でもずっと悠斗はふてくされていた。
「校舎には何人いる?」
仁はそんな事知るかと彼にいくつもの質問を投げ、非常時に必須とも言える状況確認を重ねていく。まずは戦力にも資源の消費速度にもなる、諸刃の剣の人数に関してだが、
「今校内にいる生徒は全学年あわせて40人ちょい。教師もあわせて50人くらいだっけ?ちょっと調べなわからねーけど、俺らの数えた限りそんなもん」
最初は100人ほどいたそうなのだが、あの地震で家族が心配だと家に帰ったそうだ。先生達は二階の職員室で待機しているらしい。
「……少ないな」
下駄箱を通り過ぎ、生徒が避難している三階の教室へと向かう。その最中、仁は家族と会う為に、ここを出た生徒たちのことを考えていた。
果たして、彼らは家族と会えたのか。それ以前に、外に出た彼らはこの世にいるのだろうか。
家族と会えた確率は低く、生きている確率は更に低いだろう。何の心の用意もないまま魔物と遭遇して、勝てるとは到底思えない。
「どうしたよ?暗い顔して」
「いや、家族が心配だなって思ってさ」
どうやら考えが顔に出ていたらしい。伝えるのが怖くて、仁は咄嗟に真実で隠す。決して嘘ではない。家族という単語が頭に浮かんだ瞬間、家族のことを考え、すぐに考えるのをやめた。考えるのが怖かったからだ。
仁の家庭はただの一般家庭だ。この危機を無傷で乗り越えられたとは考えにくい。
もしかしたら、もう死んで……
考えるな。立ち止まると死ぬぞ。
冷めた自分が心の中で、悲しむ自分に声をかけたような気がした。ついに幻聴までもかと自嘲して、心を切り替える。この時から既に、仁は少しおかしかったのかもしれない。
「ここだな。バラけると大変なんで、今は一箇所の教室に固まってる。椅子も机も足りねえって不評だけど」
ちょうど状況報告の会話が切れたところで、二人は目的地へと辿り着いた。
「今からもっと足りなくなる。食料も服も住む場所も、命も」
「……なんか、今のセリフかっけえな」
「内容を聞けよ……怖いな」
仁としては本当に心配な一言だったのに、悠斗は目を輝かせただけだった。その様子に、やはり不安が襲う。この扉の向こうの生徒達は一体、どんな顔をしているのだろうか。
「頼むから、深刻な顔をしててくれ……!」
皮肉なものだ。明るく笑っている光景より、暗く沈んだ絶望の方が希望だなんて。今からどうするかを話し合っていることを期待しながら、仁は教室のドアを開けた。
「すげえな!」「あの豚を倒したんだろう!やべえよ!」「仁に倒せたなら俺だって……」「ばっかだな〜?仁って結構運動神経いいんだぞ?文化部のおまえじゃ無理無理」「その槍ホンモノ?」
しかし仁を迎えたのは、クラスメイトの期待を裏切った無邪気な歓迎。彼らから熱を浴びせられた仁は、どんどん心と頭が冷めていくのを感じた。
浴びさせられたのは本当に歓声なのか。冷水の間違いではないのだろうか。そう思うほど、仁と彼らの感情の熱には差があった。
「おまえらは」
耐えてきた声が震えて漏れ出る。胸の中にしまい込んだ感情が爆発しそうだった。目の前ではしゃいでいる生徒達はまるで、新しいおもちゃを買い与えられ、わくわくしている子供のようだった。それが、理解できなかった。
冷めた、いや、先ほどからずっと冷静な判断を下してきた自分が、駆け寄ってくる人間を拒絶する。
だが、感情のままに彼らに八つ当たりをしても無駄だろう。それよりは彼らに危機感を与え、現状を正しく認識させるのが先決だ。
そう思い、先ほどの嘔吐物よりも強く込み上げてくる怒りを飲み込もうとして、
「本当にすごいこと起こってるよな!仁にできたなら俺にだってすっごいことが……!」
「ふっざけんなよっ!」
感情を抑え込もうとして、友人の言葉に爆発した。余りにも現実を見ていなかったから。目の前の少年が、無邪気に幻想に浸っていたから。
「おまえらは……おまえらは……なにも分かってない!」
槍を思い切り地面に叩きつけ、感情のままに言葉を吐き出した。あんな物を見た仁には、もう限界だった。
突然声を荒げて怒気をぶつけたその姿に、側の生徒が怯えた声を上げる。しかし、仁にとっては彼らの悲鳴も、苛立ちを加速させる音に過ぎなかった。
「この程度で怯えるのか?俺なんかで怯えてどうするんだ?外には俺なんかより怖い化け物がうようよしてるんだぞ!」
「お、おい、なんだよ……そんな大きな声で怒鳴ったりしてさ。ちょっと落ち着けよ」
いきなり怒鳴りだした生存者を、悠斗は訳も分からず宥める。確かに落ち着くことはとても大事だ。冷静さが、今までの仁を救ってきた。
「こんな最悪な状況で落ち着いてられるかっ!」
しかし、状況を欠片も理解できずに落ち着くよりは、状況を理解した上で冷静じゃないほうがいいに決まっている。
「なんでおまえ達は危機感の欠片もないんだっ!?あれを見てないからか?それとも、化け物に襲われてないからか!」
友人の制止を振り切った仁の大声が、教室の空気と窓ガラスを震わせる。激情が全身を駆け巡っていた。見た地獄が脳内で再生され、それがまた仁の怒りを加速させていた。
骸! 骸! 骸! あの赤と肌色で積み上げられた山のオブジェ。生あった者の成れの果て。ただ、運が悪かったのだろうか。判断が遅かったのだろうか。失い、貫かれる時なにを思ったのだろうか。死ぬ時とは、どんなものだろうか。
常に考え続ける仁の頭に、ある計画が思い浮かぶ。危機感を与える方法。見たままを話し、実際に体験させる……
「あれってなんだよ……?なんの話だ?なぁ、よくわかるように説明してくれよ!」
仁につられたのか、悠斗の声が少しだけ荒くなる。遅すぎる焦りに、仁は彼を侮蔑の目で見つめ、
「ゴブリンに襲われて殺された、パーツの欠けた大人の死体。オークに犯されて最後は苦悶の表情を浮かべたまま死んだ女の死体。頭をスイカのように食べられた幼児の死体、胸を貫かれてぽっかり穴の空いた生徒の死体……まだ聞くか?」
自らが見た光景を、全員へと伝えた。それはただの言葉で、彼らの頭に浮かんだのはただの想像だ。だがそれでも、それは現実にあったものだった。
「こ、怖いよ……何それ……」
「全部現実だった。夢だとか、ゲームだとかそんなんじゃない。全部本当の出来事だ」
仁が発する言葉に、また何人かの生徒が短い悲鳴をあげる。今度は良い悲鳴だ。ようやく分かってきたのだろう。今自分が置かれている状況が。
「いやでもさ、ほら。オークとかゴブリンは最初に出てくる弱いモンスターじゃ……」
「弱くてもモンスターだ。でも俺らはなんだ?英雄か?ヒーローか?超人か?武術の達人か?」
仁の本気の煽りに、誰も答えない。誰も答えを知っていても、答えられない。
「おまえら分かってんのか?俺らは一般人だ!オークたちは俺らなんかより、ずっとずっと強いんだよ!やつが十匹もいれば、ここにいる全員は殺せるくらいに!現にたくさんの人が死んでた!さっきからずっと言ってるだろ!」
オークは強かった。最初の槍を運良く避けられなければ、心構えができていなければ、突進に構えていなければ、コンパスが上手く刺さらなければ、諦めずに考えなければ、傷口を抉ることを思いつかなければ、思ったより深く傷口を抉れなければ、槍をあいつが偶然落としていなければ、一番柔らかい目を狙わなければ、幸運にも綺麗に目を貫けなければ、仁は死んでいた。
仁が勝てたのは本当に偶然で、次戦えば九割以上の確率で負けるだろう。たまたま運が良くて、最初の一戦で一割を引いただけなのだ。
やつらは雑魚などではない。立派な人類の天敵だ。オークから見たら、人類の方がよっぽど雑魚だ。だというのに、ここの人間は。
「いつ、自分が死ぬかも分からない状況なんだぞ!なのにっ!なんでっ!おまえらは対策も何もしてない!」
状況は悪い、悪すぎる。仁がここに来るまでの間で話し合うことも、バリケードを築くこともできたはずだ。ただの学生が作ったバリゲードごときでずっと守れるとは思えないが、時間稼ぎにはなる。
それなのに彼らは何の対策もせず、軽い地震にあったかのように浮かれていた。更にその中の一部は、異世界に来れたと喜んでいた。学校の休みを楽観して、楽しんでいた。
「で、でも俺ら、そんなの教えられてねえし……」
ああ、そうだ。生徒は現状を理解する手段を持たなかった。そう考えれば、仁の怒りはある意味不当なものと言えるだろう。
「何も見てないおまえらが知らなかったってのは、仕方がない。けど、おまえらが知っても知らなくても、奴らは関係ねえんだよ!むしろ好都合だって笑いが止まらなくて、横隔膜引きつってるくらいだろうさ!」
例え不当な怒りだと分かっていても、仁の怒りは止まらなかった。不当であろうがなかろうが、状況は変わらない。以前最悪のままだからだ。
「ねえ……じゃあさ、家族は……?ねえ!ねえ!」
激情に身を任せて周りを責め続ける仁に、一人の少女がすがりつくように尋ねる。しかし、聞いた彼女も感情が拒否しているだけで、答えを分かっているのだろう。
「運が良ければ、俺らみたいに生きてる。悪ければ……だ。いいか!俺らは、ほんの少し運が良かったんだ!」
答えを聞いた少女の泣き出した声が、どこか遠くで聞こえた。泣き叫ぶまではいかなくても、他の生徒も似たようなものだ。
「俺らに特殊な力なんてない!いつまでも遊び気分なら死ぬぞ!」
チートなんてない。特殊能力なんてない。不思議な力なんてない。都合良く、ヒロインや英雄が助けに来てくれるかなんて分からない。
「この世界はファンタジーじゃない。正真正銘の現実だ。前の世界より、よっぽど厳しい現実なんだ!」
「だったらどうすればいいのよ!どうせみんな死ぬんでしょ!」
渦巻く怒りと叫び声。行き場を無くした感情を互いにぶつけ合う。戦うか逃げるかで意見が割れる。中には、家族を助けに行くなんて無謀な案さえあった。全員が生き残ろうと、我を失うほどに必死だ。だが、仁だけは己を無くしてはいなかった。
そうだ。これでいい。この展開だ。
生徒はようやく危機感を覚えだした。そして、仁と同じように様々な恐怖に駆られている。友人や家族を失ったかもしれない恐怖。死への本能的な恐怖、あとはその恐怖を原動力とした力を、やつらへと誘導するだけだ。
「助かる方法は、ある」
石突きを地面に叩きつけ、全員の視線をその身に浴びる。議論は消え、水を打ったように静かになった教室に、仁の声だけが響く。
「戦うんだよ……戦って、勝って、生き残る。それしか道はない」
逃げるという手段も考えた。しかし、この場所以外にも魔物が溢れているとしたら、どこに逃げればいいというのだろうか。もし安全な場所があったとして、その場所まで辿り着けるのか?その場所への行き方は分かるのか?
どれも現実的ではない。だったら、ここに籠城しながら戦った方がマシだ。何の備えもないまま、無闇に外に出て死ぬよりマシだ。
「戦う……?私達が?」
「そうだ。何の訓練も受けてない、ただの学生の俺達、私達がだ」
震える声で問う少女に、仁はしっかりとした声で返す。もし不安があっても、それを見せないように。
「なんの力もない俺達が?」
「そうだ。なんの力もない俺達、私達がだ」
友人の怯えたような問いに、言い聞かせるように強気な声で返す。自身の怯えを隠すように仁が言い終えた、その時だった。
「ゴガォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
咆哮と呼ぶべき大音量の叫びが鼓膜を、大気を、窓を、校舎までをも震わせた。人間の出せる音でもなければ、知っている動物の鳴き声でもない。考えられるのは、奴らしかいない。
「な、なんだよ!」
「来たんだよ!俺らが雑魚だってなめてたやつが!」
生徒は一斉に窓へと向かい、音の発信源を探す。みな、今度こそ状況を理解しようと必死だった。
「あ、あいつだ!」
誰かの声を聞かなくても、見つけるのは至極簡単。何せその声の主は、とてつもなく巨大だったからだ。
校門の前にオークが約十匹。ゴブリンが数えるのが億劫になるほど。そして一際大きな、角の生えた鬼が一。
「まじかよ……」
「あれ、何メートルあるんだ?」
「俺らが人間ピラミッド作っても敵わないくらいだろうな。おまえら、あれ見ても雑魚だって言えんのかよ!」
「あれ」の指す意味は全員に伝わった。それほどまでに、あの鬼は巨大だった。筋肉で覆われた巨大で血のように赤い体躯。目測で学校二階分の高さ、約7メートルはある。咆哮の主はやつで間違いないだろう。
「おいおいおいおい……それはやばいって!」
巨鬼が、丸太のように太い腕をゆっくり振り上げる。やつが何をしようとしているのか、全員が分かっていた。しかし、いくら止めたくても、教室から止める術などない。
一瞬の静寂の後、腕が霞むほどの速さで振り下ろされた。地響きが辺りへ轟き届き、あの攻撃の恐ろしさを物語る。
「なんて馬鹿力だ」
振り下ろされた腕のあった場所には、ひしゃげた金属製の校門の残骸が散らばっていた。もう、役割を果たせない鉄くずだった。
「おい!ゴブリンのやつらが中に入ってきてやがるぞ!」
ひしゃげた校門を飛び越えるようにして、ゴブリンたちがゾロゾロと侵入してくる。あと十分もしないうちに、この場所までやってくることだろう。
巨大な鬼を、仮にオーガとでも呼ぼうか。オーガは道を開けたことに満足したのか後ろに下がり、今までの襲撃で得たであろう戦利品を食べだした。
「あんなの、どうやって戦えばいいんだよ」
窓から見た光景に誰もが絶望し、うつむき頭を垂れる。兵器がなければ、魔法がなければ、特殊な能力がなければ、あんな化け物に勝てるわけがないと。事態を遅まきながらに自分なりに理解し、そして諦めたのだ。
それは正しい。真正面から戦って、あの化け物に勝てるわけがない。認めなければならない。人間は弱いということを。魔物の方が格が上だということを。
「だからといって諦めて下を向いて、ただ死を待つのか?」
誰もが下を見る中で、ただ一人顔を上げた仁は宣言する。
「優しい世界は終わったんだよっ!戦わなきゃ生き残れない!賢くなきゃ生き残れない!戦って、逃げて、何してでも生き残るんだよ!」
弱者は強者に喰われる。それは自然にして当然の摂理。
だがしかし、ある弱者は抵抗し、強者を破った。その弱者は、自らが弱いということを分かっていた。理解していた。把握していた。
故に賢かった。この非常で非情なる事態で、常に適切な判断を下し生き残った。
弱者は頭を使い、愚かな強者の目を槍で貫いた。
「俺らは弱い!なんの戦いの訓練も受けてないし、なんの力もない。魔法なんて使えない。けど、知恵と戦う意思はある」
弱き彼は、叫ぶのだ。
真正面から勝てないのなら、真正面から戦わなければいい。知恵を絞り、地形を活かし、道具を使い、不意をつき、策を練り、連携し、そして勝てばいい。
誰も仁を見てはいない。しかし、下を向いていても、声は耳に届く。言葉に乗せられた熱が、彼らの心を少しだけ温める。諦め、投げ捨て、冷めた心を熱くする。
下から怒声が聞こえてきた。今度は人間の声だ。仁が窓から外を見下ろすと、残った何人かの教師が下駄箱付近でゴブリンと戦っているのが目に入った。逃げ出そうとしたのか、それとも生徒を守ろうという気高い意志か。どちらかは分からない。
とりあえず、時間は稼げた。
なればこそ、この計画を成功させ、その次の策も成功させなければならない。この時間を無駄にはできない。もうきっと助からない彼らの死を、犬死ににしてはならない。
「いいな!見ただろ?聞いただろ?感じただろ?もう逃げれない状況だ!なら、どうする?ここで諦めるのか?俺はそんなの嫌だ」
温めるだけにとどまらず、その小さな熱は小さな火種となる。諦めた心へとその火種は増殖する。一人、また一人と、顔を上げる。
「戦うんだよ。生き残るために。勝つんだよ。生き残るために。そうするしか、もう俺らに道はない。策はある。時間がない。手を貸してくれ」
最後にその火種へ、『生き残る策』というガソリンを撒いて、この計画は終了だ。
「は?」
最後に頭を下げた仁を、全員が見ていた。今言った内容が信じれないと言わんばかりの目で。
「策なんて……あるのか?」
さぞ驚いたことだろう。絶望的な状況と理解させられたすぐ後に、窮地を脱する策があると言われたのだから。
「ある。勝てるかは分からないけど、少なくとも諦めて頭を抱えて死を待つよりは遥かにマシだ。だから……やろう」
希望の火種は生き残れるかもしれないという燃料により、大きく燃え上がった。
この時、仁は気づいていなかった。先ほどまで守ろうとした者達を、死地に送りこもうとしていることに。
いや、もしかしたらそれは、守ろうとした上での無意識の内の行動だったのかもしれない。
この世界は見くびり、ゲーム感覚でいる者や、怯えて頭を抱えているだけの者が生きれるほど優しくはなくなったのだから。
世界が変わり約一時間、小さな戦争が幕を上げる。
『荒原 悠斗』
高校一年生16歳。兄二人がいて左利きで、趣味は読書とゲームとアニメ。最近流行りの異世界物からサスペンスにミステリー、SFラブコメ古典文学とほとんどが守備範囲。彼の影響で仁は本を読み始めた。
顔はそこそこ。運動もそこそこ。常にテンションが高い。何故か学年で一番美人の女子に告白して、何故か成功して何故か付き合うことになった。
良くも悪くも楽観的。落ち込んだり恐怖したりすることもあるが、すぐにいつものお調子者の調子に戻り、みんなの気持ちを盛り上げてくれる。ムードメーカー的存在。