第60話 殺意は脳に濡れる
三ヶ月近くも空いてしまいましたこと、お詫びいたします。
申し訳ありませんが、次の投稿も未定です。一応活動報告をあげておきます。見たい方はどうぞ。
人を、初めて「殺したい」と思った。
様々な感情が収束した果ての、純粋な殺意だった。同級生の親を人質にとり、救おうとするザクロに責任を負わせ、暗殺に実行で多数の犠牲者を出し、従者のラクル、詰所の騎士を殺害、そしてサルビアの目の前で人質を全員殺し、ベロニカに傷を与えた。
彼らには当たり前の生活があった。それがサルビアの怒りだった。例え他人に等しい同級生の親の死であろうとも日常を、未来を奪われたことに変わりはない。人の心を得たばかりで、まだ奪われることにも諦めることにも慣れていないから、彼は目の当たりにした人の死ひとつひとつに反応した。
腹立たしい。悲しい。許せない。理解できない。不甲斐ない。申し訳ない。怒りと拒絶に身を任せ、悲しみと罪悪感を振り払う為に、全ての感情は目的と欲望に従って薪となり、黒く燃え盛る「殺意」に焚べられる。
眼前の男は生かしてはならない。殺さなければならない。いや、殺したい。
以前、屋敷を襲撃してきた暗殺者に抱いた殺意とは訳が違う。あれは免罪符を得た興味であった。剣で人を斬るとはどういうことか学ぼうと、「殺してみよう」と振るった刃であった。
しかし、今は違う。ただ「殺したい」だけだ。これは決して、非人間的な感情ではない。悪を許さず、理不尽な誰かの死に悲しむという、通常人が持つであろう心によるものだからだ。
善悪だとか、そういった全てを置き去りにした、どこまでも人間らしい心の剣だった。
その、筈だった。
「けひっ。言ってくれるじゃねえかお貴族様」
宣言したサルビアを、笑顔の仮面の男は嘲笑う。全員殺すと口で言うは容易いが、実行するのはいくら剣豪と言えど難題である。精鋭の騎士を片手間に笑いながら殺害する男を始め、他の子供らも年齢に似合わぬ強者ばかり。
「全員撤退?全員殺す?いやいやいやいや、かわいいねぇ」
ましてや負傷したベロニカを含む騎士らを、全員無事に撤退させようなど。世間知らずのガキの戯言、妄想にしか聞こえない。たった一人の剣士が、十四人の精鋭を前に務められるか。
「そうです……サルビア様。ここにはもう救えるものはいません。ですから、貴方様だけでも」
殺すも守るも不可能。そうだろう。敵も味方もそう思うだろう。だが、
「お前らがいる」
サルビアは揺るがない。前に出て、背後の騎士に声をかける。人質は救えなかった。しかし、騎士は救いたかった。まだ救える。ならば、戦う理由も引けない理由もある。
「行け。邪魔だ。命令だ」
そして、その強さがある。剣がある。たった一人であればと彼は言う。情けないが、守ったままでは戦えないと。傲慢だが、どうか撤退してほしいと真実を。
「させるか、よっ!」
仮面の男が腕を一振り。そうだとも。わざわざ見逃す理由がない。騎士がサルビアの足枷になるのなら、いや、ならずとも殺し損ねることは男にとって最大の恥辱であるのだから。
「っ!?待て!」
男の一振りは子供たちに対する「行け」の合図だったのだろう。意を汲んだ彼らは一斉に駆け出し、騎士に迫り。その波の中を、たった一人の剣士が一直線に逆流する。
「はや……」
目にも留まらぬとは、まさにこのことだった。男も仮面の子供も指に視点を向けた一瞬に、サルビアの足元が弾けた。土を飛ばし、距離を詰める。二人の子供の頭が別れた。仮面も骨も肉も存在しなかったかのように、剣が綺麗に鼻から後頭部まで通り抜けたのだ。そして、その剣は仮面の男の目の前に。
「くそがぁ!」
この世界における戦いの定石は魔法障壁の展開と、物理と魔法両方の攻撃手段を備えることである。その点において男は忠実で、サルビアは定石破りだった。男が展開していたのは魔法障壁。サルビアが駆けながら換装し、両手に握るのは物理の鋼鉄剣。そうだ。サルビアは物理の攻撃手段しか用意しなかった。
「追うのはいい!俺を守れ!」
故に男は、サルビアの二振りを障壁なしで一秒間耐えることを強いられる。それが如何程の難題であるか、分からぬ男ではない。だからこそ獲物を逃す屈辱を噛みしめ、即座に仮面の子供たちを呼び戻したのだ。少しでもサルビアの気を逸らす、あるいは肉の盾とするために。物理障壁へと切り替える一秒のために。
素早い対応だ。しかし、遅きに失する。子供たちが引き返すまでの一秒未満、サルビアと男は相対する。視線が交わり、剣が、腕が動く。剣士は振り下ろすことで、殺人者は振り上げることでX字の軌道を描いた。
「……けひっ」
激突。火花が舞い散り、がちがちと剣が噛み合う。押され、後退こそしているものの、男がサルビアの剣を受け止めるに成功したのだ。これは彼自身にも予想外の結果であった。男も強いとはいえ、流石にカランコエの天才には及ばない。一対一で真正面からとなれば勝ち目は薄いと、仮面の男自身も理解していた。
だが、蓋を開けてみればどうだ。受けようとした剣ごと叩き切るというサルビアの剣技を、受け止めている。仮面の裏の表情も喜色に歪む。なぜか。
「おてて、いたいいたいでちゅか〜?」
男は思い出す。最初だ。部屋に入ってすぐにサルビアは無理をしていた。人質を助けるために尋常ならざる速度、力で剣を投擲した。その代償として彼は腕を痛め、今の弱体に至るのだろう。負傷してなお押されるという現状に自尊心が僅かに傷つけられるも、すぐに切り替えて愉悦で塗り潰す。
「助けようとするからでちゅよ?」
だって、だって滑稽だ。救えないところに手を伸ばしたから、自らを救えないなんて。まさに正義の欲張り者に相応しい末路。最後にはどんな無様を見せてくれるだろうか。救おうとしなければ良かったと、後悔しながら死んでくれるだろうか。仮面の男はそんな愉快な勝利を想像して、
「……っ!」
鍔迫り合う少年の銀の髪の下に、戦慄した。自分の言葉などサルビアには届いていない。男がそう確信した瞬間、体勢は崩れた。サルビアが剣を引き、競合をやめたからだ。押し切れぬと判断し、違う角度から攻めるのだろう。
「こいつだ!こいつを狙え!」
そう予測した男は、少しでも対処の時間を増やす為に後退しつつ剣を構え、更には仮面の子供たちに加勢するよう指示を与える。この場において通常最善と考えられる動きを、的確にかつ素早く行ったのだ。あとはサルビアの追撃を一度か二度切り抜ければ、仮面の子供たちがその物量と練度、毒で終わらせる。魔法の刃と物理の剣がサルビアの背に殺到するのを視界に捉えながら、男は防御に意識を集中させて。
「……は?」
サルビアは男に攻撃を加えなかった。あろうことか一瞬、背を見せた。身を低くしながらの回れ右だ。振り返りながらの横薙ぎの軌道が、仮面の子供の頭と重なる。更に残る左手の剣を投擲し、別の子供の脳を射抜く。まだだ。まだサルビアは動く。
少年の足元の地面が跳ね上がる。土魔法による剣の形成。大地から射出されたそれは視界に捉えた魔法に属するかつ、直撃するであろうものにのみ割り振られ、接触。衝撃を加えて軌道を逸らす。毒の塗られた物理判定の短剣、槍、吹矢などは全て、サルビアに触れる前に障壁で弾かれた。
「こいつ……!」
異質な情報の洪水の中に、仮面の男も子供たちも叩き落とされた。後ろから狙われているとはいえ、目の前の敵に背を向けるだろうか。せめて背後に魔法で壁を創成する程度ではないか。その上、毒を警戒するために魔法障壁を捨てるなど。
「あはははは!馬鹿だなぁ!」
驚いた。驚いたとも。命知らずの賭博師の如き常識外れの行動、戦法には見事に翻弄された。それが強者に囲まれた劣勢の中で、サルビアを生かした。だが、愚かだ。なぜ常識外れの戦法が残らないか。行った者は皆、最後には死んだからだ。十人もの敵に囲まれながら、魔法障壁を解くということは、
「魔法で殺せぇ!」
広範囲への攻撃が可能、すなわち不可避に近い魔法にその身を晒すということ。再度の号令に従い、仮面の子供たちは炎、氷、土、風と様々な魔法で武器を形作り、サルビアへと向ける。号令を下した男は巻き込まれないために、もしくは道連れを警戒して距離をとる。念には念をと、炎の槍を創成しながら。
「終わりだ」
否、距離をとろうとした。重心を後ろに傾けて、右脚を地面から離した。背中を向けているサルビアから、逃げようとしたのだ。灼熱の矛先、その向こう側の少年の背中が動く。
「……」
飛んだ。男の目線は彼を追う。されど、遅い。既にサルビアは影に過ぎず、その眼にしかと映るのは天井と、そこにある剣の傷。先程サルビアが射出した土の剣だ。天井に刺さっていたそれが、引き抜かれていた。
「え?」
サルビアの姿はなく、魔法の剣が引き抜かれた。そして男が展開しているのは物理障壁。彼の思考が状況を繋ぎ合わせるより前に、背中に強い衝撃。
「かはっ……」
死んだ。そう思った。肺から空気が押し出される。背後に回り込んだサルビアに、土の剣で胸を貫かれた。確かにそう思った。だが、現実は異なる。
「ど」
衝撃は合っていた。だが、貫かれてはいない。剣の柄で強く背中を叩かれただけだ。身体が背後から押し出され、向かう先は魔法による攻撃の嵐の中。火に氷に土に風。サルビアを殺すための凶器が、男を迎え入れようとしていた。
「やめろぉ!」
冷や汗が噴き出るよりも早く、男の声が攻撃の中止を叫ぶ。仮面の子供らも主人を殺さぬよう、叫びよりも早く魔法を解除する。男が安堵したその瞬間、仮面の子供の頭が飛んだ。跳ね飛ばされたそれは壁にぶつかり、大地に落ち着いた。まるで地面に人が埋まり、頭の先だけ出ているかのように綺麗に。
「……まさか」
魔法が解除され、無風となった真正面。その道を一直線に駆け抜けたサルビアが剣を振り切っていた。その後ろ姿に、ちらりと見える横顔の表情に、男は悟る。
「てめぇ……俺を、利用して?」
「ああ。今頃気づいたのか?」
その通りだった。サルビアは男を利用して戦っていた。理由は単純。いくらカランコエ始まって以来の天才とはいえ、男と仮面の子供らを相手に無策で勝利するのは難しい。いや、単純な強さであれば充分に相手取ることは可能だろう。致命傷を避けることに集中し、いくらかの単純な軽傷を受け入れれば、勝てなくはない。だが、仮面の子供らは単純ではない。
まず始めに、彼らは毒を用いる。掠めただけでも致命傷になり得てしまう。であればこの戦いに軽傷は存在せず、サルビアは無傷での勝利を強いられる。
更に彼らは自らの命を顧みない。これは人間ではなく、剣士としてのサルビアが下した判断である。男の指示に従うばかりの異常な強さの子供たちを、人形のようだとサルビアは感じ取った。同時に、人形は命を惜しまないとも。
十人を超える毒使いにして手練れの人形。複数人が自らの命と引き換えに動きと障壁を固定し、残る者たちも命を顧みない特攻を仕掛けたのなら、サルビアとて防ぎきれないだろう。だが、
「どうやら、貴様には覚悟がないらしいからな」
「死ぬ覚悟ってやつかぁ? 馬鹿馬鹿しい!」
指揮官である仮面の男は別だ。彼は紛れもなく人間で、どうしようもない屑だった。
「俺はなぁ、生きるって覚悟してるんだよ。好き勝手自由気ままに殺しまくって犯しまくって、楽しく生きるってなぁ!」
「……なのに、命を奪うのか?」
利用される苛立ちと殺戮の愉悦の双方をもって剣を振るう男。それを虚空庫から引き抜いた鉄剣にて易々と受け止め、かつ仮面の子供らを注視しながら問いかけるサルビア。
「なんだぁ? 人を殺すには殺される覚悟がいるってのか! 誰が決めたよそんなこと!」
何人殺したか計り知れないというのに、男は自らが殺される可能性を、覚悟を微塵も考えていない。他人を殺すだけ殺しておいて、自分の死は許せない。これは決して間違いと断じれるものではなく、珍しいものでもない。一般人だけではなく、騎士にも兵士にも必ず存在する心だ。人間らしいものだ。多くの人は死を怖がるものだ。
「誰も決めてはいない。だが、殺す」
しかし、それ故に負ける。それ故に勝てない。仮面の子供が動く。その瞬間、サルビアは手加減をやめ、男の剣を天高く巻き上げる。
「舐めやがって……!」
殺せるが、殺さない。空になった男の手を、剣士が創成した土の鎖が引っ張る。引き寄せられた身体がサルビアと位置を入れ替え、仮面の子供の攻撃の進路を遮る。そうなれば、子供たちは止まらざるを得ない。
男は人間であり、人形の上位者。命令を発する側である。そして男が死を恐れる以上、子供らに自らを巻き込まぬよう徹底させているはずだ。毒を用いた攻撃が当たる可能性などもってのほか。絶対に許さないだろう。であれば、子供たちは毒の塗られた氷刃を、土の針を思うように投擲できない。
魔法もまた同様。サルビアが両腕の鉄剣をもって、男の障壁を物理で固定している以上、広範囲を巻き込む魔法は禁じられる。
男が物理障壁であるのなら、物理判定の暗器は許可される。しかし、サルビアもまた物理障壁で固定している以上、暗器に意味はない。絶対の防御である障壁に阻まれ、届かない。
だから、利用した。この状況を活かし、サルビアは男を狙うことでベロニカたちを逃した。数で大敗しながらも有利を成立させた。
「この役立たずども! なんとかしろ!」
悲しいかな。命令を下されようとも、子供たちはなんともできないのだ。男の命を害さないよう攻撃はできないのだ。サルビアは器用に、圧倒的にそのように立ち回る。必ず男を子供たちの射線上に配置し、逃がさない。
「怪我してるんじゃねえのかよ!」
「しているが?」
腕を負傷しているはずだと叫ぶ男に、剣士は肯定する。それだけの差があった。負傷していたとしても、手玉に取れるほどの差が。例え男が毒の滴る刃に得物を切り替えたとしても、仮面の子供らに気を配るだけの余裕がサルビアにはあった。拮抗だなんて男の甘い勘違いに過ぎず、いくら斬りかかっても届くことはない。それどころか、
「くそっ! くそがっ!」
子供らの数は減っていった。サルビアは男を盾にしながらも、時にはわざと一部の方向のみ隙を晒し、一人の子供だけに攻撃させた。例え罠だとしても、男がそのように命令を下しているのだから、子供は従わざるを得ない。そもそも死を恐れていないのだから、躊躇うことはない。命令に忠実な人形の弊害だ。
「お前ら馬鹿なのか! なんでそんな簡単に斬られてやがる!」
その度にサルビアの剣が煌めいた。見せかけの隙に飛び込んできた攻撃をあっさりと躱し、事前に誘導しておいた通りの動きに囚われている笑顔の仮面男を放置して、子供の命を、それも必ず脳を壊す。これが三度、僅か一分の間に繰り返された。
「どうせ死ぬなら、奴の動きを止めて死ねぇ!」
次々と傾く状況に焦った男の、命を捨てろという命令が轟く。残る七人を犠牲にしてでも隙を作り、毒も魔法も使い放題である自分が突こうとしたのだ。良い判断である。まぁ、三番目くらいには。
「……」
年下の特攻に対し、サルビアはどこまでも冷静で冷ややかだった。男の剣の間合いから一歩離れ、右横の少女に対し剣を構える。瞬きにも満たぬ一太刀。それは少女が振り下ろす最中の氷剣を砕き、そのまま綺麗な髪ごと頭を断つ。胸を貫くことも胴を裂く中途半端はしない。首すら手加減だ。命があれば魔法を放てるというのならば、一秒たりとも生かしはしない。虫の息すら許さない。狙うのは頭、それも首ではなく即死する脳だ。司令塔を奪われた華奢な身体はがくりと、糸が切れたように地に伏した。それは実に人形らしい末路だった。
「次だ次ぃ! 流れを止めるんじゃねぇ!」
脳髄に濡れた鉄を振り切ったサルビアの背後にて、土の剣を腰に構え、氷の十文字槍を振るう男。リーチの想定を狂わす、虚空庫による戦いの最中での武器の入れ替えだ。奇策ではあるが、そこに努力がないわけではない。仮面の男は剣だけではなく、槍の扱いにも長けていた。
剣の間合いから一歩離れたのみのサルビアに、その槍は届く。ザクロとの戦いで武器の入れ替えに慣れていなければ、あるいは男が槍を使うことを知らなければ、穂先は掠め、毒が全身を巡っていたことだろう。それほどまでに、男の槍捌きは見事なものだった。
「知っている」
間合いとしては届く。だが、槍はサルビアに触れることなく、鉄剣にて弾かれる。初めから想定の内だった。間合いから離れれば、槍かどうかはともかく別の武器に持ち替えるであろうことは。だって、
「ラクルに教わった」
「誰だよそいつ!」
殺された部下の腹には、槍に穿たれた痕があった。剣以外にもハイドランジアから指南を受けていたサルビアには、その綺麗さから傷をつけた者が槍の達人であることが読み取れた。
「……数分前にも話した」
槍を弾いたサルビアは更に一歩踏み込んだ。長物に対して距離を詰め、剣の間合いに戻る動きである。
「覚えてねぇな!」
その行動にかかったとほくそ笑んだ男は氷槍を手放し、コンパクトな氷槌を握りしめる。再度の換装。部下の死骸からサルビアが槍を学んだと知り、ならばと見せた別の武器。
「なっ、なんで……」
しかし、サルビアは男が槌を握りしめるや否や、僅かに距離を取りつつ剣を振るう。それは小槌どころか通常の剣でも届かぬ距離。故に、鉄の剣に切先にはいつの間にか氷の刃が生えていた。明らかに予想された動きと速さ。まるで未来予知のように全て、全てが彼の掌の上。
「スミラの友人は槌で頭を砕かれた」
「だから、殺した奴のことなんざ覚えてねぇって」
「俺は覚えている」
「ひっ……!」
障壁を貫通する氷刃を見た男は慌てて土魔法で盾を展開し、時間を稼ぐ。だが、一秒にも満たぬ間に盾は断たれ、その向こうから剣士の顔が覗く。ああ、恐ろしかった。それは男にとって余りにも恐ろしかった。心が折れてしまうほどに。
「俺は、覚えている」
「やめ……え?」
「お前も思い知る」
銀の線が走った。足首から身体がずれ落ちる感覚。立てない。無様にどさりと尻餅をつく。腰が抜けたのもあるが、違う。両足首を断たれたのだ。あの表情に見下ろされる。
「お前が殺した人々が、お前を殺す」
「あ……」
笑っていた。サルビアは笑っているのだ。復讐の言の葉を吐きながらも、剣士は甘美なる愉悦に酔いしれている。不気味だった。口と顔がかけ離れている。復讐の成就を喜んでいるわけではない。彼の口調は断じてそのようなものではなく、純粋な怒りによるものだ。しかし、なればこそ恐ろしい。釣り上がった唇の端が。細められた瞳が。歪んだ頬が。痛みを忘れるほどに。
「やめてくれ! 殺さないでくれ! たの……」
そしてその笑顔こそ、男の目が最後に見た光景だった。サルビアの剣が視界を通り過ぎ、世界に細く黒い横線が生まれる。それは左から右へと徐々に広がり、赤が染み込み、仮面が剥がれる。
「あ、あ? ああ、あぁぁぁぁぁぁ! いだいいだいいだいいだいいだい!」
耐えがたいほどの痛みを思い出し、目に映るもの全てが黒に落ちる。何も見えない。剣と笑顔が焼きついて消えない。目を手で押さえ、先のない足をピンと伸ばして、男は暴れまわる。治癒魔法を何度もかけて、かけてはばたばたと地面に埃を舞わせて。しかし、欠損に治癒魔法は効かない。ただ、傷口が閉じるだけ。その眼を永遠に閉じるだけだ。
「……愚かな」
サルビアはまだ生きている男に嘲りの言葉を、首に剣を向ける。目線を送れば、今にも飛びかかろうとしていた子供たちの動きが止まる。これでいい。今はまだ殺さない。範囲攻撃を打たせない為の、子供らにとっての足手まといが必要だからだ。本当に愚かだった。屑だった。
「お前らは勝てたのに」
仮に今この瞬間、男が自らの命を捨てる判断をすれば、あるいは残る全てを振り絞り、サルビアの足止めに徹すれば、彼らは勝てるかもしれない。男がもっと早くに手足の二、三本と臓器の一つや二つを失う覚悟をすれば、必ず勝てた。仮面の子供らに自らを巻き込む広範囲殲滅、または毒の使用を許可していれば、サルビアとて全てを防ぎ切れはしなかっただろう。
男は生きようとしたから負けた。いや、無傷で勝とうとしたから負けたのだ。命か、残りの健常な人生を捨てる覚悟であれば、勝てたのだ。生きる為に極限まで命を投げ打ってこそ、絶望の中に活路は見出せる。しかし、もう遅い。既にその覚悟を決めようとも、「必ず」は消えた。残りの人数では互角が精々。そしてそれ以前に、もはや死ぬことが定まったとしても男は諦めない。生きることを諦めない。これ以上傷つくことを受け入れられない。
「お前らの主人はこんな状態だが、まだやるのか?」
残る子供は六人。白い無表情の仮面から覗く十二の瞳に怯えの色はない。何もない。ただ主人を害さぬようにサルビアを殺害しようとする以外には、何も。
「そうか」
換装。鉄の剣を右に、氷の剣を左に。身体は男に背を向けて、戦いに。子供たちは主人から剣が離れたことを確認した後、一斉にサルビアへと飛びかかる。
「そうか」
悲しみとも、あるいは喜びとも取れる言葉が響き、剣と魔法の音がそれをかき消す。だが、顔は笑っていた。満面の笑みだった。しかし、それを咎める者も止める者もいない。仮面の子供たちにとってサルビアの表情はどうでもいいことであったし、仮面の男は悶え苦しむことに精一杯だ。
例え身体は止められても、心を止めることはできない。サルビアは今を楽しんでいた。




