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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
263/266

第57話 アリス


 遅れて申し訳ありません。

 次回の更新も一応4日後の24日とさせていただきますが、間に合うかは不明です。



 選ぶ早さには個人差がある。特に何かを得る為に何かを捨てる選択であり、捨てるものの価値が高ければ高いほどその差は顕著になる。


 その点において、ヤグルマギクという男は実に早かった。彼は人質の救出及び生徒の安全という軸を中心に、状況に適した答えへところころと変え続けている。最初は人質の奪還を。動きが読まれていると気づいたのなら交渉を。指示に従わなければと脅されたのなら恭順を装いつつ、罠の内側から食い破ろうと。従えない状況に陥ったのなら突入を。


 驚嘆あるいは軽蔑に値する。特に三十人を用意しろという指示、あれは誰がどう見ても罠である。仮に従っていた場合、案内された三十人の内、生きて帰ってこれるのは果たして何人だったろうか。だというのに人質の命の為ならばと、彼は従おうとした。怪我人であろうと関係なく、騎士たちに従うことを、死ぬことを強制しようとした。ただ三人、生徒だけを除いて。


 プリムラもある種、彼に近い。二人には共通の経験と思考があるからだ。経験とは、何かを得る為に何かを捨てたこと。思考とは、どちらにせよ選択しなければならないという諦観である。


 ヤグルマギクもプリムラも、共に戦場で名を馳せた戦士だ。既に何人もの敵の命を奪い、味方の命を救っている。剣聖候補、宮廷筆頭魔導師の地位はそうして築かれた。


 一方でザクロにその早さはない。彼は他人を守るという時には無類の強さと選択力を発揮するが、自分以外を切り捨てる時となると途端に鈍る。暗殺者を殺すと宣言したものの、あれは学長に言われてからの選択だ。それに、宣言と実行には天と地ほどの差がある。実際に対峙した時、彼には斬れるのだろうか。斬るしかないと諦められるのだろうか。


 そして、サルビアも早さを失っていた。剣のように研ぎ澄まされた以前の彼であれば、躊躇いなどなかっただろう。現に自分を襲った暗殺者を斬り捨てている。だが、人の心を得て剣ではなくなった彼に過去と同じ刃を振るえるのか。


 二人はこの戦いで選択を迫られる。










 既に陽は傾いている。夕日が街を照らし、二つの月が登り始める。夜が近い。


「もしも応援の騎士団が到着したのなら、状況の説明をお願いしてもよろしいですか?」


「……それくらいなら」


「頼みました。では」


 突入を拒否した駐屯騎士に、ヤグルマギクは伝令を任せる。やはり、人命救助を拒絶した罪悪感があるのだろう。命の危険が少ないこの任務を、彼は受領してくれた。


「やっぱりね」


 プリムラの予想は当たっていた。瓦礫の下を魔法で更に深く掘り進めれば、そこには明らかに人の手が加えられた空間があった。光が差し込まないように土のドームで蓋をして、音をなるべく立てないように瓦礫を退かし、降りていく。練度の足りないサルビアとザクロだけはヤグルマギクから補助を受けながら慎重に。


 広い空間だった。幅、奥行きともに50m以上。高さも15m以上と、地下でありながら閉塞感を感じさせない。床、壁、天井全ては土で形作られており、全て魔法で補強されている。床と壁に最後に補強が施されたのは推定ではあるものの数日前。


 それに比べて天井の補強は真新しい。間違いない。ここに人がいて、ここから爆弾が仕掛けられた。


 通路は右辺中心に大きなものが一つだけ。壁の補強の日数から、他に隠し扉はないと考えられる。ならばつい数分前に、この通路を暗殺者が通ったはずだ。そして今から、サルビアたちもこの道を行く。


『……見張りはいません。後を』


『了解』


 最も隠密に長けたヤグルマギクが広い通路を先行。騎士たちには暗闇の中のハンドサインで。まだ知識が充分ではない生徒たちには、土魔法で文字を作って掌に押し付ける声のない会話で伝達を行う。


 不自然なことに見張りが立てられていないどころか、人の気配がなかった。罠かと疑いが頭を過ぎるが、リミットは既に十分を切っている。息を潜めて駆け足で、風魔法の『消音』で足音を消しつつ進む他にない。


『一度止まってください』


 しかし、すぐにその足は止まる。敵を見つけたからではない。分岐路に差し掛かったからだ。


『部隊を分けます。ザクロ君は私と一緒に。サルビア君とプリムラ君はベロニカさんの指示に従ってください』


 好都合ではあった。元より二十人近い、多過ぎるくらいの大所帯。二手に分かれる程度の余裕はあり、事前にその振り分けも済ませている。生徒だけに個別の振り分けを行い、左右に分かれて先に進んでいく。


 別れ際、サルビアは弱気な眼をザクロへと向けていた。









 振り分けには傾向があった。カランコエ騎士団、ヤグルマギクの私兵はそれぞれ精鋭の集まりであり、即席の連携など造作もない。だが、やはり戦友との連携に比べれば見劣りしてしまう。故に、人数の差による細かい調整はあったものの、サルビア側にはカランコエ騎士団を。ヤグルマギク側には彼の私兵を集中させた。


『ザクロ君。私の側を離れず、指示には必ず従うように』


『はい』


 最前を行くヤグルマギクのすぐ後ろで、ザクロは言葉だけの返事を指で打つ。彼は既に自分を切り捨てる覚悟ができてしまっていた。自分を犠牲にする時だけ、彼は素早いのだ。


 ザクロたちが選んだ右の道が、どこに続いているかはわからない。人質を監禁する牢か、出口か、はたまた敵の首魁の居室か。わからないまま、手探りで進むしかない。一人目の犠牲者まで、残り六分を切っていた。


 どうか、牢か首魁のいる部屋であってくれ。あるいは、サルビア側が人質の救出に間に合ってくれと祈りながら、ザクロは走る。悲しみ、罪の意識、憎しみ、怒り、焦り。そういったものでぐちゃぐちゃになった心を、助けるという意思で握り潰して形にしつつ、彼は前へ。


『止まってください……隊を分けます。指示に従ってください。ザクロ君は私と––』


 再度の分かれ道。ヤグルマギクは一秒にも満たない思考で、戦力の半分に分けることを決意。例え必要な時間とわかっていても、この停止の時間すら少年にはもどかしかった。


 救出した人質を安全な場所まで送り届けるのにも、人がいる。推定される人質の数から考えれば、五人はあまりにも少ない。だがそれでも、短時間でより広範囲を捜索する為には選ばざるを得なかった。


『以降、いだすらに隊を分断しないこと。頼みます』


 ここが限界だ。原則としてこれ以上の分散は、人質を助けることすら叶わなくなる。ヤグルマギクはそう釘を刺し、左の道を選んだ。


 時が経つにつれて焦りは巨大化し、脈拍は上がっていく。それは騎士もヤグルマギクもザクロも同じだった。そしてそれは、分かれられない分かれ道を迎える度に一段と大きくなり、彼らを苦しめた。


 もしも違う道を選んでいたのならば、今頃人質を救出できていたのではないか、間に合っていたのではないかと。選ばなかった仮定が集中を鈍らせる。確かめようのない不安が罪悪感を募らせる。感覚が張っていく。


『これは』


『……』


 最初に辿り着いたのは、行き止まりの厨房だった。虚空庫に入らないような大きさの鉄鍋が、この場所の役割を教えてくれている。これほど怒りの湧いた厨房は他にないだろう。


『先生……』


 間に合わなかったからだ。一人目のタイムリミットを、この場所で迎えたからだ。緊張のピークは既に過ぎ、今ザクロを襲うは頭の先からつま先にかけての冷たい感覚。辛い現実を認識しまいと、脳が遅くなる。


『まだ人質は残っています。急ぎましょう』


 和らげたのは、ヤグルマギクだった。優しさで溶かされたわけではない。老人の切り替えの早さに怒りが湧いたのだ。人が一人、今この瞬間に死んだのになぜ、冷静に次へ行けるのかと。完全なる八つ当たりだった。泣いて喚き、落ち込んだところで誰も救えない。虚勢でもいいから立ち直って、少しでも多くを救おうと尽力する方が正しいに決まっている。


 ザクロは声に出さなかった。その程度の思考は残っており、論理的な部分が理解している。三十分が経過し、一人が処刑された。だが、気づかれたとは限らない。敵はまだ、三十人を揃えるのに時間がかかっている、と認識しているかもしれないのだ。知らぬ間に監視がついており、報告がなされたのなら別であるが。


 それでも、可能性が残されているのなら。やはり、ヤグルマギクは正しかった。一人は死んだものの、他の人質はまだ生きている可能性がある。ならばみっともなく叫んで気づかれて、人質全員の命を危険に晒す行いが正しいわけがない。正義の騎士に許されるはずがない。囚われず、次を考えて動かねばならない。死者と生者を選ばなければならない。


 タイムリミットは一人を犠牲に一周し、残り二十九分。しかし、行き着く部屋全てが無人で、人質どころか人一人出会うことはなかった。


『……広過ぎる』


 予想外だった。いや、予想できるわけもなかった。もう数km以上走っているというのに、まだ全容がつかめない。行き止まりから分岐点まで引き返すことにより距離は増えているものの、それを加味しても広大だった。一つの暗殺組織にこれほどの規模の拠点が必要なのかと思うくらいには。


『なのに誰もいない』


 単純な思考ではあるが、拠点が広いということはそれだけ組織の規模も大きいということである。多くの構成員を抱えているはずなのに、一人も姿を現さない。


 いつ建造されたのか、なぜ調査の手が入っていないのかなど、疑問は他にもある。が、それを考える余裕はない。ヤグルマギクがある危険を思いついたからだ。


『物理障壁の展開及び、各自防御魔法の準備を』


『つまり、これは罠だと?』


『そう思うほど静かです』


 彼が出した指示は、爆発魔法による崩壊に備える為のもの。一人の見張りもおらず、誰ともすれ違わないのに、人の手入れが施された痕跡のある部屋などおかしい。


『こちらの動きに、相手が気づいたということですか?』


『元よりこういう罠だった、という可能性の方が高いでしょう』


 自分たちが引き払った拠点に三十人を誘い、起爆して地面の下敷きにする。証拠隠滅も兼ねた作戦だったのではないかとヤグルマギクは考察する。


 というのも、突入してから引き払うまでが短過ぎるのだ。突入前に気づいていたのなら可能かもしれないが、これもまた違和感が残る。一体どのように気づいたか、という違和感だ。


 詰所跡地を監視していたというのが、一般的な気づき方だろう。だが、どうやってその情報をタイムラグなしで届けたのだろうか。入り口と思われる倉庫まで走って届けるのは、時間がかかり過ぎる。思考を広げて思いついたのは、


『敵に『伝令』もしくは『千里眼』に類する系統外がいるかもしれません』


『え?』


 『伝令』だ。範囲内で心の声を通わせられる、『伝令』なら可能だ。他の系統外に比べて所持者が多い珍しい系統外で、国内でも数千人単位で確認されている。つい先ほど殉職したが、リナチア駐屯騎士団にも一人いた。


 そしてもう一つ、『伝令』に比べれば遥かに少ない、『千里眼』の所持者がいた場合も可能だ。この想定は実に最悪だ。一々連絡する必要がない。最初から全てが筒抜けだ。


『でもそんな珍しい系統外が』


『確率で考えるより先に、状況で考えた方が良いでしょう』


 所持者の数から考えて、こちらの可能性は極めて低い。だが、それはあくまで確率に過ぎない。仮に0.1%だったとしても、その0.1%を引き当てていたらどうするというのだ。考え方はそうではない。それよりも今までの状況に当てはめていった方が、よっぽど信頼できる。


『敵は監視に気づきました。それも的確に、かつ気取られることもなく』


 倉庫前の見張りに彼らは気がついた。駐屯騎士の顔なら知っていてもおかしくはない。だが、今日この街に来たカランコエ騎士団のラクルまでわかるものだろうか。


『詰所が爆破された後もです。三十人と我々が用意できるであろう限界の人数を指定してきました』


 詰所には半日近く留まり、何度かカランコエ騎士団や私兵が出入りしていたのだから、そこにいると気づかれても無理はない。だが、あの爆発で三十人近くが生き残ると予測できるものか。ヤグルマギクが組織の立場なら、十人は少なく見積もる。


『あの時、彼らは見ていたのでは?』


 しかし予測ではなく、数えたのならば。範囲内の全てを見ることができるような異能で、この地下から。付け加えるなら、この根拠は『伝令』にも適用される。外の監視が数えて地下に『伝令』で伝えた、など系統外さえあればいくらでもやりようがある。


『じゃあ、今の俺たちも』


『ええ。もしも『千里眼』持ちなら、見逃すことはないでしょう』


『人質は』


『私たちへの対抗策とする為、全員を殺すことはないはずです』


 動きが見えているのなら、この指示に従わない突入も見えている。三十分の区切りを待たずに処刑されているかもしれない。そう怯えたザクロに、ヤグルマギクは現実で慰める。


『っ……』


 まだ助けるべき人がいる。そうとわかっていても、ザクロは易々と切り替えることはできない。音を鳴らさぬように歯を噛み、拳を握って、耐える。本当なら、頭をかきむしって泣いて暴れたいくらいだった。


『……それに、見えているとは限りません。あくまで想定の一つです』


 慰めを続けながら、老人はもっと深く考えを伸ばす。気休めではなく、事実として疑問があった。動きが見えているのならなぜ、相手は動かない。場所もわかるのだから、ピンポイントで爆発を起こし、埋めることも可能なはずだ。


 有利に働く待ち伏せもなければ、迎撃すらない。見えていることを活かして、鉢合わせにならない道を選んで逃げたのだろうか。常識の範囲で考えられるのはここまでだった。


 いくつもの分岐路を経て、トイレと思しき簡易な遮りの布に行き当たった。大理石で組み立てられた浴槽のある部屋を見つけた。雑魚寝していたであろう、複数の綺麗な布が敷かれた大部屋に辿り着いた。豪華で大きな天蓋付きベッドがある個室を見つけた。


 時間は二人目を通り越し、三人目に突入していた。極限を超えた焦燥感は少年の感覚を麻痺させ、情緒を不安定にさせた。いきなり涙を溢れさせることもあった。


 彼だけではない。突入した者全員が狂い始めていた。一向に見つからず、規模だけが広がっていく得体の知れない敵。生死不明の人質にも辿り着けず、この蟻の巣のような迷宮をいたずらに駆け回るだけ。苛立ち、虚無感、罪悪感、焦燥。前向きな感情など生まれるわけもなかった。


『止まってください……人がいます。二人です』


 だから、だからこそ見つけた時、憎しみより先に歓喜が湧いた。達成感があった。報われたとすら思った。広く開けた大部屋に、彼らはいた。


「遠路遥々、ようこそおいでくださいました。『蟻巣(ありす)』の主人、セシリフォーリアと申します。以後、お見知り置きを。あ、もう喋っても大丈夫ですよ?」


 小さな影を伴い、前に進み出た一人は礼儀正しくスカートの裾を摘み、挨拶を。そう、組織の主人は女性だった。するりと流れるような金髪に、どこまでも深い碧眼。目鼻立ちは柔らかくも整っており、右目下の泣きぼくろ、少し厚い唇が注意を惹く。怪しい魅力を放つ絶世の美女が、そこに微笑んでいた。


「ヤグルマギク・コーデック」


「ええ『蛇刃』の。ご存知です。そしてそちらの可愛らしい子はザクロ・ガルバドル。要件は人質の解放、で間違いありませんか?」


「話が早くて助かりますな」


 名乗り返そうとしたヤグルマギクを遮り、彼女はザクロに目を向ける。隠しきれない愉悦の色が、そこにはあった。消さぬまま視線を戻し、ヤグルマギクたちがここまで来た意味を改めて口にする。


「では、私たちの要求を叶えてくださいますか?」


「内容次第としか答えられません」


「では、ザクロ・ガルバドルの身柄を」


「お断りします」


 それを叶えることに、何の代償もないわけがない。彼女が欲するのはやはり、ザクロ・ガルバドルだった。そしてその要求を、ヤグルマギクはきっぱりと断った。


「人質の命がかかっているのに?ああ、ごめんなさい。実はわかっていました。生徒想いの貴方が受け入れるはずがないなんて」


 断られたというのに、彼女は怒りも苛立ちも反論もしなかった。予想通りだと、くすくすと袖で口元を抑えて笑っている。何がそんなに面白いのか、不気味だった。


 不気味なのは彼女だけではない。すぐ側に控えるフードを被った影も、得体が知れなかった。身動ぎ一つせず、声も出さず。また、背丈からしておそらくだが、ザクロやサルビアとそう変わらない年齢と思われた。更にはその姿勢から、相当な強者だとも。


 そして影と対比することで、セシリフォーリアの不気味さが増す。彼女は驚くほどに、平凡の域を出なかった。無論、そこらの騎士よりは強いが、此度の突入作戦に参加した精鋭よりは弱い。ザクロなら一呼吸の間に勝てる程度に過ぎなかったのだ。


「暴走しないように見張る為、わざわざこのような地まで連れてくるなんて泣けてしまいます」


「本題からずれましたな。要求を変更してくださると、こちらとしても助かるのですが」


 交渉は続く。時間稼ぎかつ情報を引き出す為の交渉だ。流石のザクロもそれがわかっているから、黙って下を向いていた。


 この部屋に人質は見えなかった。別の場所にいるのなら、それはどこか。また、そもそも生きているのかを交渉の中で探っている。同時に、この交渉の間に別働隊の救出が叶うことを祈っている。


「お上手ですね……では訂正、というより付け足しを。私たちはザクロ・ガルバドルに指一本触れるつもりはございません」


「なんですと?」


「危害を加えない、と申し上げています。ザクロ様や貴方様方が何かしない限りという条件はありますが」


 思惑を見抜いているのか。褒め言葉を一つ口にしてから、セシリフォーリアは交渉の内容をより具体的にしてきた。今までの行動との乖離にヤグルマギクを含む全員が驚かされたが、考えてみれば理解できた。


「つまり、ハイドランジアに優勝させたいと」


「ご想像にお任せします」


 一つ飛ばしに目的を推測すれば、彼女はにっこりと微笑んだ。組織の目的がハイドランジアによる保護ならば、必要なのは彼の優勝であって、ザクロの殺害ではない。ザクロが出ないだけでいい。つまりこの要求の真意は、大会が終わるまでの監禁だろう。


「彼に危害を加えないという保証がありません」


「できるものではないでしょう?ですが、誠意は見せます。彼の身柄さえ引き渡していただければ、人質を解放いたします」


 ないことの証明はできない。代わりに示されたのは人質の解放という対価。ザクロはその対価で構わないと顔を上げ、ヤグルマギクを見る。監禁程度なら受け入れられる。例えザクロが出なくとも、サルビアが代わりに大会を壊してくれるはずだからだ。


「今いる全員を五体満足ですか?」


 が、彼は手と言葉で逸る少年を制した。まだ早い、細部まで詰め切れていないと。はっと気づかされる。そうだ。数十人の内の一人を解放しても、人質の解放と呼べる。ザクロたちが望むのは全員の解放だ。それ以外に認められるわけがない。


「既に死亡、欠損している方は不可能ですが、それ以外なら全員を」


「もう誰も残っていない、なんてことは?」


「ご安心を。時間によって処刑された二人を除き、今回の件で誘拐した者は皆生きております」


 二人、死んでいた。時間通りにしっかりと処刑していた。身体を突き抜ける氷の感覚に、ザクロの心中が燃え上がる。だがその一方で、僅かな安堵があった。あってしまった。他の人質は無事であるという事実に対する安堵だ。一人死んだ時点で、既にザクロたちは負けているというのに。


「確認させていただいても?」


「疑り深いですね。ええ、構いません。ですが彼らの部屋はここと真反対にありまして、時間がかかります。それでも?」


「もちろんです。無事を確認できるのなら、いかなる手間も惜しみません」


 学校で事件を起こされ、生徒を殺され、騎士も殺された。その元凶たる相手を信じるなど、土台無理な話である。故にヤグルマギクは最後まで手を抜かない。この交渉が嘘の上に成り立っていないことを、可能な限り証明しようとする。


「では手間として、ザクロ・ガルバドルをこの部屋に残していただきたい」


「それは」


「承服しかねると?わかります。わかりますよ。でも、こちらとしても人質のところに何の対価もなく案内することは、承服しかねるのです」


 それはセシリフォーリアも同じだった。彼女もまた、ヤグルマギクを信用していなかった。彼が約定を破らないようにする為の碇を要求した。


「貴方なら強引に人質を救出することが可能でしょう?そうなると、私たちには手札がなくなってしまう」


「新たな人質としてですか?ですがザクロ君を残すとなると、貴方の目的は達成されてしまう。私たちを裏切るのでは?」


「そっくりそのままお返ししましょう。貴方、他の騎士なら切り捨てますよね?守るべき生徒であるザクロ様以外なら、覚悟を決めた騎士だからと」


「……平行線ですな」


「お互い信じていませんからね。しかし、なればこそ信じなければならない」


 互いに信じてなどおらず、故に裏切りを警戒し、故に一歩も引くことはない。どちらかが、あるい双方が信じなければ(折れなければ)、話は先に進まない。


「では、こうしましょう。私一人で人質の無事を確かめに行き、ザクロを含む四人をここに残します」


 ヤグルマギクはその為の道、つまりは互いが許容範囲で折れ合う妥協点を提示した。精鋭三人の護衛が見張っている以上、迂闊なことはできない。仮に裏切られたとしても、ヤグルマギクなら一人で対応することができる。そして彼女ご指名のザクロはしっかりと部屋に残るという、実に合理的な落下地点だ。


「それならば。ではアネモネ。彼を案内してあげなさい。くれぐれも失礼なきように」


「はい。ご主人様」


 セシリフォーリアはその妥協点を良しとし、側に控える影に道案内を命じる。アネモネと呼ばれた影の声はほどほどに低く、声変わりを終えた思春期の男性と推定された。


「ザクロ君。もしもの時は自分の命を最優先に。では、信じていますよ?」


「ええ。信じてください」


 最後までヤグルマギクはザクロを気にかけて、アネモネとともに部屋から出て行った。


「さて、彼が戻ってくるまでの間、少しお話でもしましょうか」


「断る」


 頭を下げて見送ったザクロに、ひらひらと手を振って見送っていたセシリフォーリアが声をかける。当然、怒りと憎しみを抱く相手の誘いに乗るわけもなく、少年は即答で拒絶した。


「あら、つれませんね。では勝手にお話しをさせていただきます。お茶はいりますか?」


「飲むと思うか?」


「毒を入れたりしませんよ?そんな使い方、つまらないですから。いえ、最初はそのつもりでしたが、気が変わったのです」


「……っ!そいつらは!」


 断られても彼女はめげなかった。上機嫌のまま指を鳴らす。すると部屋の後方の通路から数人の仮面を被った男女が姿を見せ、茶会の用意をし始める。背丈からして、アネモネと同年代。彼らもまた子供に思えた。そして驚くことに、彼ら一人一人がアネモネと同等以上、私兵以上の実力を持っているとザクロの眼は見抜いたのだ。


「お気になさらず。私の可愛い子供たちです」


「隠してたのか……!」


「見せろと言われませんでしたので」


 仮に彼らの姿を見ていれば、あるいは気がついていれば、ヤグルマギクは妥協点を提示しなかっただろう。カランコエ騎士団のラクルを殺せる者が一人はいると推測されていたが、こうもあっさり数人と出てくるとは思わなかった。それだけ規格外だった。


「話を戻しまして。ザクロ・ガルバドル。次の剣聖と謳われるその強さ、誰かを助けようとしてしまうその心。貴方はまさに英雄の器です。実に素晴らしい」


「いきなりどうした」


「どうもしていません。独り言です」


 木魔法で生み出された席に座り、こちらまで届く良い香りのお茶をすすりながら、セシリフォーリアはザクロを褒める。いや、評価する。促された席に座らず、立ったままのザクロはひどく困惑した。何が言いたいのか、わからなかったからだ。


「ですからね。私、見たくなったんです。そんな貴方が墜ちるところを」


「……え?」


「だって、とても綺麗ですから」


 ああそして、満面の笑みで語られても、わからなかった。何が言いたいかわかったはずなのに、何故そうなるのかがまるで。


 正義の人間に、悪が理解できるわけもない。














 最初の分岐点にて、サルビアとベロニカを含む五人で右へ、プリムラは四人で左へと分かれ、その先へ進んでいた。ヤグルマギクたちも同じく、幾度も外れを

引いては引き返してを繰り返し、辿り着いた。それぞれ違う場所だ。だが、目の前に広がる光景は人がすげ替えられただけで、全く同じだった。


「なにを、する気だ」


 最初に降りたった空間と同じくらい、大きな部屋だった。そこには仮面を付けた男女と膝をついた人質がずらりと横並びに、騎士たちを待ち構えていた。右手には剣を、左手で目隠しされた人質の頭を掴んで。そしてその列の中央に立つのは、それぞれ別の男にして同じ役割を持つ指揮者。


「けひっ。来た来た」


 サルビアが相見えたのは、笑顔の仮面を被った茶髪の男。彼は突入者たちを見て、笑顔の奥でもまた笑みを浮かべていた。


「ああ!来てしまったのですか!立ち会えたのですか!ようやく!この瞬間に!ならば、喜びなさい!」


 プリムラと邂逅したのは、泣き顔の仮面を被った金髪の男。彼は喜んでいた。身体を震わせ、まるで絶頂するかのように大きく、狂喜していた。


「殺っちまえ」


「今こそ解放の時ですっ!」


 そして彼らの号令とともに、人質の首めがけて一斉に剣が振り下ろされた。


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