第24話 逃避と意志
「私が牽制する!後に続いて!」
壁の上から放たれた魔法が広大な範囲の土を尖らせ、牽制を兼ねた槍が魔物の足元から隆起する。
「一気にあんだけ……」
溢れた血が地面を濡らし、そこらかしこに作られたのはどす黒い沼と浮いた手足。
「忌み子の野郎、こんなに強かったのかよ。あんなもん不意打ちで撃たれたら、俺ら壊滅するぞ……」
範囲と一度にもたらした被害の大きさに、アランは背筋を震わせる。今まで自分達が虐げた時に、反撃しなかったのは何故なのか。戦えば、すぐに平伏せさせることだってできだろうに。ラガムはこれを分かっていて、忌み子を虐げるのを控えろと言っていたのか。
「ぼさっとしてないで!早く!」
村人達は、少女の焦りを含んだ声で一斉に魔法を放つ。狙うのは、土の槍に足踏みして止まった魔物の最前列だ。
「次!」
一息つく暇もなく、号令は飛んでくる。少し遅れての第二波が、死んだ魔物の穴を埋めようと押しかけた魔物たちの命を吹き飛ばした。
ゴブリンやコボルト、オークやレッドキャップに大蜘蛛といった面々には、この戦法で充分に殲滅できる。持久力に乏しいという欠点があるが、壁を壊されたらこちらの負け、持久戦も短期戦もない。
「大物が来たわよ!次は強めに!」
一頭のオーガがその巨体故に通れぬ木の隙間を力でこじ開け、配下の魔物たちを踏み潰して、こちらへと向かってくる。壁を壊せる存在に村人たちが氷の剣、風の刃に土の杭と手厚い特別歓迎を送ったが、
「こんなのじゃ足りないよな!」
巨鬼は立ち込めた土煙を豪腕で振り解き、全身の傷を再生させつつ進む。
「くっそ!あいつの再生力と魔法耐性はマジでなんなんだよ!」
そう、この作戦に存在するもう一つの欠点。オーガのような、耐久力も破壊力もある大物の魔物にはほとんど効果がないということ。
足元の土槍など魔物の死体ごと踏み潰す。炎は高い魔法耐性と頑丈な皮膚の前に掻き消える。油でも撒かない限り引火すらしない。風の刃で薄皮を裂こうがすぐに再生して意味はなく、氷の刃と皮膚がぶつかれば氷が砕けるといった始末。唯一、外気に触れている柔らかい目でさえ、位置が高すぎて魔法を届かせることは至難の技だ。
「この速度を保って!私は前に行く!」
「お、おう!」
だから、シオンが処理しなければならない。彼女の強い口調に気圧されたのか、アランは素直な声で頷いた。従うべき状況だとあっさり飲み込めるのは脳筋故の素直さか。
「足場が、ないわね」
壁から飛び降り、魔物がわしゃわしゃと押し寄せる地面に立つ。
「……ふぅ……しぃっ!」
頭を低くし、走り出した。進む道の魔物の脚を銀剣と魔法剣で刈り取り、離れた位置の相手は土の槍で刺殺する。
「はえぇ……」
仁が苦戦したオークも、シオンの剣にかかれば紙切れ一枚と何ら変わらない。振り下ろされた槍を脇下ごと斬り飛ばし、斜め下への斬り払いで首に赤い一本線を入れた。
「はあああああああああああああああああああああ!」
オークを処理する停滞に殺到する魔物を、シオンは巨大化させた土の剣で全て薙ぎ払う。小さな身体に不釣り合いな大剣を技で軽々と扱うその姿は、とても頼もしいものだった。
「こんなものかしら?」
山と積まれた死体の側で、口についた血を嘲りとともに吐き捨てる。
「なんだありゃ……化け物かよ、っと!?」
その剣技の冴えに、洗練された剣の舞に、その光景を見ていた人間は等しく目を奪われた。とは言っても耳までは奪われず、戦いの音ですぐに現実に引き戻されることになる。
「このままなら、行けるか……?」
完全に止まった状態のオーガに全力で刃を降り下ろすという条件ならば、アランやラガムでも半ばまでなら切断できるだろう。
しかし、動き回っているのなら話は別だ。皮膚を軽く裂いて刃の半分まで刺されば上出来。場合によっては弾かれて終わり。そして刃の半分が刺さろうと、半ばまで切断しようと、オーガの再生能力ならすぐに元通りだ。
シオンだけだ。シオンなら、再生させる間も無くオーガの命を断てる。
「なら、再生させる暇も与えないわ」
一気に侵攻してきたオーガを迎え撃つべく、シオンは魔物の軍勢を斬り開き、巨体の前にその身を晒す。
助走をつけて跳ぼうにも、周りの魔物が邪魔で思うような加速はできない。かと言って土魔法で道を作ろうにも、消費する魔力を考えれば避けたい。
「瞬きの間に、殺してあげる」
剣を振るう最中、すぅっとほんの僅かに頰の傷についた血を手元で拭う。こうすると、どこか気分が落ち着くのだ。
暗い拳の影が小さな人の身体を覆い隠し、純然たる力が頭上から振り下ろされる。
「障壁展開」
シオンは慌てることなく、物理障壁でその一撃を完全に塞ぎ、土煙の中、敵の股下を潜り抜けて背後へ。
背後へ回り込んだのを本能的に察したのか、オーガが足元を踏み鳴らし、否、地面を思い切り踏み砕いた。たった一撃で地が揺れ、同心円状の亀裂が走り、木は木の葉を季節が冬になったように落とし、周りの魔物達が全員地に転ぶ。それほどまでの衝撃だった。
いくらシオンでも地面に立っていたのならば、傷は無くともバランスを崩していたとこだろう。
しかし、彼女はオーガの動きを予測して上へと飛んでいた。空中なら、地面の揺れなど欠片も関係ない。
「やっぱり高さは足りない」
さすがのシオンも、溜めも助走もない跳躍で7mも8mも飛ぶことはできず、剣はオーガの頭には届かない。目の前にあるのは、赤い岩盤とも見間違うほどの巨大な背中だ。
「………」
よほど大きな損害を与えない限り、背中では致命傷にはならない。故に狙うは、その首。
「後で、迎えに行くから」
落ちる木の葉に囲まれた、速度がない頂点。上昇と落下に挟まれたその場所でシオンは、銀剣をさらに上へと放り投げた。
「……すぅ」
空いた両手に一本ずつ、土魔法で鋭利な剣を錬成。白銀の剣や鉄の剣ほどの強度はないが、使う目的上これで充分だった。
「がぁっ!」
吸った息を一気に吐き出し、オーガの背中に右手の剣を突き刺す。この程度の深さの攻撃、二秒と経たず再生されるだろう。オーガにしてみれば、蚊に刺されたかな?と言った程度だ。
だがしかし、ここで終わるわけがない。
再生を待たず右手の剣は置き去りに、左手の剣を少し上へと突き刺す。腕の力で自身の身体を引き上げ、その間にもう一度右手に土の剣を錬成。瞬時にその剣も上へと突き刺し、左手の剣は捨て。これを交互に繰り返して、シオンはオーガの首目指して登り続ける。
要は剣を使った、オーガの背中でのクライミングだ。
左、右、左、右、左右左右左右左右……オーガの皮膚を突き破る音と連動するように、陸上を走る速度とほぼ同速で背中を登っていく。
蚊に刺された程度とは言え、敵の居場所が分かるならオーガも黙ってはいない。下から手を回してシオンを追いかけ、押し潰そうとするが、赤と黒の少女の方が速い。
「ひゅっ……」
最後の剣を突き立てたシオンは、勢いと身体強化で身体を一段と上へ投げて、再び到達した上昇と落下の狭間で息を吐く。ここは先ほどより遥かに上で、オーガの首より高い場所。
「おかえり」
宙へ躍り出たシオンは、先に放り投げた剣をその手で掴み、自由落下と風魔法で自らの身体を押し出して。
「しぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!」
食い縛った歯から漏れ出た気合の声と共に、オーガの首の皮へと刃を埋め込んでいく。皮膚を裂き、肉を斬り、骨を断ち、首を落としたその一撃。
「……何が……」
正面から見ていた人間には、シオンがいきなり宙に現れ、首を落としたかのように見えたであろう。
「起きた?」
背後から見ていた魔物には、シオンが蜘蛛のごとく背中を張り付き登り、オーガを絶命させたように見えたであろう。
以前の剣舞にて目を奪われたのは人のみ。だが今、この瞬間だけは、少女と巨鬼の戦いを見ていた全ての生き物が目を奪われ、戦場がしんと静まりかえる。
「一首」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」」
着地の衝撃を足の裏に一瞬だけ吹かせた風魔法で0にし、少女は剣についた血を払った。遅れて落ちてきた首の立てた音とその鬼面に、戦場に戻った音が爆発する。
突然始まって一方的に終わったこの一騎討ちは、人間側に勝てるかもしれないという希望を与え、魔物側に大将の一角を崩されたという不安感を与えた。
もしかしたら、と。希望が見えた人間はもしかしたらと思えるものだ。その小さな光を心の中で大きく錯覚し、士気は盛り上がる。
守ろうとする人間と、喰らおうとする魔物の戦いは拮抗している。シオンの縦横無尽な殺戮と個々の連携が、圧倒的とも言える数の差を中和していた。
「あっちは今の所大丈夫そうだな。あの女に助けられたのは癪だが」
森に描かれた馬車の跡をゆっくりとなぞいて歩く。重なった影の片方、担がれた片脚の男が荒い息を吐いていた。
「それ、どういう能力なんだ?」
「忌み子野郎に手の内晒すかよ。…くそ!魔力があと少しあれば…」
仁はいつもの倍以上の体重に軽く汗を流しつつ、戦場から少しでも遠ざかろうとする。重いのはラガムのせいなのに、運んでるのは仁なのに、彼は相変わらず嫌味ったらしい。
いや、どちらかといえば助けられているのは仁の方か。
「その脚は魔物にか?」
先程から気になっていた、担ぐ原因となった怪我。左脚の付け根に巻かれた包帯と、その先の何もない空間が、部位の欠損を教えている。
「ああ?これか。魔物に押し潰されて使い物にならなくなった脚を、綺麗さっぱりあの女が切断してくれたんだよ。お陰さまで岩の下から抜け出せて助かったん」
「部位欠損は治癒魔法でも治せないって聞いたんだが、傷塞がってないか?」
包帯についている血の量が切断した割には少なく、それが気掛かりだったのだ。
「治癒魔法で生えてこないだけで、断面の傷は塞げる。んなことも知らねえのか」
「魔法を知ってまだ日が浅いんだ」
「そうかよ」
この程度は一般常識で、晒しても問題ないらしい。辛そうにそっぽを向いたラガムのせいで会話は途切れ、再び沈黙が続く。
「素直に逃げればいいとは思わないのか?」
いきなり、仁が口を開いた。さっきからずっと、どうしても聞きたかったのだ。なぜラガムは、死ぬことが決まっている戦場に自ら行きたがるのか。理由が知りたかった。
「はぁ?お前なぁ……少しでも数減らせば、先に行った連中が助かるかも知んねえだろうが」
「無駄死にの可能性の方が遥かに高い」
首に回された手に少しだけ力が入ったのを感じつつも、言葉を止めない。
「あんた一人が行って、戦況が激変するのかって話だ。精々殺せて数匹、下手したら足手纏いになるんじゃないか?」
片脚の無い人間が助けに行ったところで何が変わるのかと。その一人の加勢で勝てるのかと。
援軍に加わったところで、ラガムが今までと同じように戦えるわけが無い。片脚で戦う訓練をしていたのなら話は違うかもしれないが、彼は今日脚を斬り落とされたのだ。綺麗にバランスをとって動けるわけがない。
勝ち目もなく、足手まといになるかもしれず、死ぬことだけは分かりきっている。それでも、行く価値はあるのかと。そして、
「死ぬのは怖くないのか?」
俺がずっと心の底から思い続けていることを、ラガムも思わないのかと。俺はいつだって死が怖い。だから逃げれない戦場では仕方なく戦ったし、逃げれる戦場からは今逃げている。
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「……なんとなくだ」
あまり聞かれたくない質問を、仁は震えた口調で誤魔化した。だがそれも無意味だったらしく、背中の緩んだ手の力が、ラガムが笑ったことを伝えてくる。
ふぅと息を吐かれたのを背中で感じた。それから少しの沈黙の後、ラガムは口を開き、
「当たり前だ。怖いに決まってる。怖くないわけがない」
今までよりずっと重みのある声で、俺が人に言うのを恥ずかしがったことを、恥ずかしがらずに告げた。
「なら」
なんで、そう続けようとしたところだった。
「……っ」
「く、苦しい。やめろ!離せ!」
首の手に力を込められ、息が急に堰き止められた。目の飛び出そうな苦しみの中、慌ててラガムの手を叩いて解放を要求。
「悪い」
要求が聞き届けられ、新鮮な空気を肺が取り込んだのは、たっぷり三秒も経ってからだった。
「何があった?魔物でも来たか?」
「……お前には関係ない」
「そうか。でも止めてくれ」
それ以来、ラガムは何かに耐えるように口を噤み続けていた。もう絞められることはないだろうと、仁は止まっていた歩みを再開する。足元の土を踏む音と、たまに聞こえる戦場の声がやけに耳についた。
(多分、一定範囲内の生物が生きてるか死んでるかとか、強さとかが分かる能力なのかな?)
(おそらくな。さっき腕に力が入ったのは、誰か死んだんだろうよ)
会話の端々に散りばめられた情報の欠片を集めて、自分なりの推測を心の中で話し合う。戦闘で役に立つ使い方は思い浮かばないが、こと逃げることに関しては有用な能力になりそうな系統外だ。
(今ばかりは協力関係だし、活用してもらわないと)
(……それにしても、この世界の人間は何かしら生きる力があって羨ましいや)
シオンの剣技、ラガムの系統外、他の人間たちだって自由に魔法を使うことができる。
仁の一般的な日本人より鍛えた身体能力なんて、身体強化の前では無力。人より少しばかりある知恵と頭の回転だけでは、どうにもならない敵も多い。ままごとのような刻印での魔法は、種類も威力も本家に大きく劣る。
精々あるとしたら、日頃鬱陶しくて非常時に少し頼れるもう一人の人格、そして彼と痛覚を分けれることくらいだ。
「ぐえっ!?」
今の自分にない物があればどうなるかと、歩きながら考えていた仁の首が再び絞められた。
「おまえっ!……ほどほどにしてくれ。頼むから」
知り合いが死んだのをまた感じ取ったのだろう。怒鳴りつけようとするが、理由が理由だ。威勢がよかったのは最初だけで、あとは尻すぼみになっていく。
「……返せ」
「……」
精一杯絞り出したような声を背に受け、俺は言葉に悩む。ラガムの気持ちが分からないわけではない。ただ彼との関係性を考えると、何と声をかければよいかわからなかったのだ。
敵か味方か、そのどちらでもない歪な協力関係。利益が一致しているから、行動しているだけ。精神面のケアや無茶なお願いを聞き入れることはペイの内にない。
(背中でぐずられるの困るけど、そっとしてあげよう)
僕の意見に同意し、俺は無言の態度を貫こうと決める。だが、次の一言には反応せざるを得なかった。
「引き返せっ!」
伏せていた顔を上げ、声を荒げたラガムの命令に近い叫び。当然、背負っている仁の鼓膜が悲鳴を上げるが、ぐっと我慢。おそらく知り合いが次々と死ぬことに耐えられず、抑えていた本心が溢れ出たのだろう。
「気持ちは分からなくもないが、俺らが行ったところで何が出来るんだ?」
自分たちが行っても何も変わらないと、やんわりと断る。しかし、ラガムはその言葉だけでは収まらず、背中から必死で抜け出そうともがき続けている。
彼が仲間の死に耐えられなくなっただけなら、仁が抑えつければ済む話だった。そう、それだけなら、無理やり運べばよかった。
「忌み子の野郎がまともに戦えてねえ!戦線が崩壊して魔物がこっちに来るぞ!」
ラガムが叫んだのは、系統外で観測された仁の予想と大きく違うアクシデント。
「は?なんの冗談だ?シオンがそう負けるわけないだろ」
「分からねえが、脚をやられたのと魔物を抑えきれてないこと、オーガらしき魔物に押されてるのだけはわかるんだよ!とっとと戻れ!」
「やめろ!」
降って湧いた予想外の出来事を受け入れられない俺に唾を飛ばして、ラガムは現実を受け入れろと首を絞める。
「今すぐ行かねえと俺らも死ぬんだぞ!こんなに早く壁を破られたら、すぐ追いつかれる!」
背中に一人背負った人間の歩みと、魔物の進軍の速度。どちらが速いかなど言うまでもない。そして追いつかれて逃げ切れるか、戦えるかの答えもまた明白。
「うるっ……せぇな!」
ラガムを地面に下ろし、正面から向かい合う。あの近距離で意見を交わせば、きっと互いに鼓膜が破れてしまうだろうから。それほど俺は、あの戦場に行きたくなかった。
「なら突っ込んで何匹か道連れにして死のうってか!?ふざけんなよ!俺はごめんだね!」
助けに行ったところで何が出来るのか。脚のない足手まといと、戦えない足手まとい。どっちも3秒ほど魔物を引きつける餌になるのが精々だ。それならまだ逃げた方がマシだろうと、俺は譲らない。
「そうなるかもしれねえが、ちげえよ!忌み子はまだ生きてるんだ!奴を守って敵の頭を潰せば、まだ望みはある!」
シオンの強さは異常なレベルだ。それこそ、彼女一人でこの戦場を左右しかねない程。シオンを助けて敵の頭を討てばまだと、ラガムは望みを訴える。
「だから!守れる望みはあるのかよ!」
「行かなきゃ分からねえだろ!どの道ここにいても死ぬんだよ!」
「俺は戦えねぇんだ!てめぇだって戦えない身体だろ?」
敬語も遠慮も配慮も、何もかもをかなぐり捨てての、助けたい本心と生きたい本心の幼稚な殴り合い。どちらが間違っているわけではない。状況が余りにも酷すぎて、どちらも正解になれないのだ。
「てめぇは死ぬのが嫌なだけで!戦わねぇだけだろうがっ!」
「俺は強化も魔法も障壁も使えないんだよ!そんな俺が行って何になる?」
「さっき魔法が使えるとか言ったのは嘘か?ああ?使えるなら戦えるだろ!」
「あーもう!洒落臭いなぁ!君達2人とも落ち着きなよ!」
逃げた先で意味なく死ぬ事を恐れるラガムと、命を捨てること自体を恐れる俺。そんな二人が言い争いを続けても解決しないと、僕の人格が強制的に主導権を奪い取る。
「おい!僕勝手に出てくんな!」
「ふざけてのんか?今この状況が……!」
「分かってるさ!だからこそ、こんな状況で言い争ってる君達を止めに来たんだよ!このまま魔物に喰われるまで言い争う気かい?」
心理世界では俺を、現実世界でラガムを諭し、僕は二人の気持ちと頭を落ち着かせようとする。先ほどこのような状況で役に立たないと思ったが、撤回だ。
「……ちっ。で、どうしたよ急に口調なんて変えやがって」
「僕のことはいいのさ。今はちゃんと落ち着いて話し合ってよ。そいじゃ、また熱くなったら出てくるからね」
やるべきことは果たしたと、僕は主導権を俺に返して心理世界であぐらをかく。彼のおかげか、さっきまで沸騰していた俺の感情はいつの間にか落ち着いていた。
「あれは俺のもう一つの人格だ。話せば長くなるから割愛で頼む」
「変なもん内側に飼ってんだな。別に聞きたかねえから説明はいらん。で、魔法が使えるのに、使えないという理由はなんだ?刻印だか陣がどうだか言っていたが」
落ち着いた彼らは感情ではなく、理性で話し合いを再開する。まずは確認すべきは仁とラガムの戦闘力と、自分たちにできることだ。
「魔法陣と同じ紋様を何かに魔力を込めて刻むと魔法刻印ってやつになるらしい。これは直接物に魔力を刻むから、発動時に必要ない」
「んな魔法、聞いたこともねえ。確かに魔力のねぇおまえでも使えることにはなるな。じゃあ、身体強化も使えるんじゃねぇのか?何か理由があるってことか?」
簡単な刻印の説明、もといシオンの受け売りだけでラガムは要点を抑えていく。時間のない今、その頭の回転の良さは、余計な説明を省けてありがたかった。
「刻んだ物質本体にしか魔法が使えないんだ。俺の剣から氷の刃を生やすのはいいが、俺の剣に強化の刻印を刻んでも、俺の身体にはかからない」
この世界で生きていくのに必須とも言える強化の魔法を、仁が使えない理由。誰が決めたか知らない魔法のルール。これに背く方法は、シオンでも分からなかった。そもそもこの刻印自体、人使うべからずの禁術なのだ。
「これが俺の戦えない理由だ。身体強化も無しに戻っても、あの軍勢を相手にできるわけがない。最初の数匹に潰されるのがオチだよ」
「なんで使えねぇんだ?」
「そういうルール……あー、決まりだって、さっき言ったはすだ?時間ないから、諦めよう」
使えないと説明したのに食いつくラガムへの苛立ちを抑えつつ、仁は話を次に進めようとするが、
「……おまえの身体に直接刻めば、使えるんじゃねぇのか?」
彼の言葉に、動きも呼吸も止まった。もしかしすると、心臓も一回お休みしたかもしれなかった。
「……いや、そんな……」
「おまえが他に何か隠してるってなら分からんが、この方法ならいけるんじゃねえのか?」
そう、仁の身体に身体強化を作用させるなら、仁の身体を切り刻めばいいのだ。
「なんで、そんな簡単なことに気づかなかったんだ」
「……シオンも俺君も僕も気付かなかったね…考えるのをやめなければよかった……!」
あっさりと見つけられた、刻印を使った身体強化に成功する方法。ルールに背く方法ではなく、ルールに則った方法。
なぜ気づかなかったのかと、仁は頭を抱えて自問し、自答する。最初からシオンに無理と言われ諦めていた。専門家に無理と言われ、碌に考えていなかった。諦めていたゆえの視野狭窄だ。
「あの女の忌み子もおまえも馬鹿だな」
ラガムの哀れな物を見る目に、仁はなにも言い返せない。これに関しては完璧に自分とシオンの失態だ。
とは言っても、魔力のない人間がそもそもこの世界に存在したことがなかったのだ。存在したこともない存在のための魔法理論など、シオンが知らなくても無理はない。
仁に至っては魔法の存在自体がファンタジーで、手にしたのは最近である。自身より知識のあるシオンの話を鵜呑みにしてしまっていた。それでも充分に大ポカと言えるが。
「これでおまえは身体強化が使えるな。行くぞ」
「ちょっと待て!誰が刻印を刻む?シオンはあっちにいるんだぞ?」
話は終わったとばかりに、虚空庫から剣を取り出すラガムを引き止める。その答えに彼は剣をかざして、
「俺が刻む。要は魔法陣をおまえの身体に刻め込めばいいんだろ?」
「そ、そうだけど」
「何を渋ってる?死にたくないなら、忌み子に助けてもらうのが一番だろ?」
「あれだけの大量の魔物をどうするつもりだ?強化が使えたくらいで突破できるとは思えない」
それでも俺は首を縦に振らない。確証が無いと、逃げた方がマシだと、死にたくはないと、戦わないための理由を探す。
「戦いの場に必ずなんて言葉はねぇんだよ。腹をくくれ」
「……いいや、ある。俺は必ず魔物に負ける」
いくつもの戦いを潜り抜けた経験で、俺の言い訳を潰すラガムの言葉。そしてその言葉を否定する、何度も死にかけて恐怖の刻まれた俺の逃げ。
「は?なんでそんな事、戦う前から分かんだよ?」
「分かるさ。戦えないんだよ。魔物が近づいてくれば、俺は脚が震えて動けなくなる」
はは、と仁は軽く情けなく惨めに笑い、理由を口にした。
「一回ゴブリンに捕まって、全身に矢を撃たれて、腕を剣で刺されて、脚の皮を食べられた。あとはオーガに殺されかけたのもある」
経験を話しながら、全身に散らばる傷跡と恐怖を確かめるようになぞる。思い出すだけでも目眩がして、全身の震えが止まらなくなる。そんな暗い記憶の数々だ。
ガタガタと凍えるように震えて、酸素を求めるように言葉を話す俺を、ラガムは何も言わずに見ているだけだった。
「今日、本当はこのトラウマを安全で安心に克服しようとシオンと出かけたんだよ。いざとなれば助けてもらえるからって。ああ、トラウマっての恐怖の記憶的なやつだ」
シオンを遠足と言う名の狩りに、自分の護衛として誘った。実に小汚い案だが、彼女は遠足という名前に釣られて喜んで引き受けた。
死なないように安全に、石橋を叩いて渡るように、このトラウマを克服しようと思っていた。
「そしたらこの様だよ。今の俺に強化が使えたとしても、ゴブリンにだって殺される。だって動けないんだ!いくら強化したって動かないんじゃ意味がない」
せめて克服していたら。あるいはトラウマを負う前なら。世界が変わったあの日なら、仁は助けに行ったかもしれない。
「どうしようもないんだよ。そんな俺にできることは、おまえを逃がして俺自身も身の安全を確保することくらいだ。全員仲良く死ぬより、数人生き残ったほうがいい」
今の仁はなんて弱い。ただ単純な強さという意味合いなら、世界が変わった日の仁の方が弱いだろう。
だが心はきっと、あの日の方が強かった。
賢き弱者はもういない。臆病で役立たずな弱者が、ここに震えているだけだ。
「……決まりだ。早く刻印を刻んで逃げよう」
「それだけか、クソ忌み子」
今度は俺が話を終わらせようとして、ずっと黙って聞いていたラガムに引き止められた。先ほどとは真逆の立ち位置で、されど意見は変わっていない。しかし、言葉に込められた重みは増していた。
「……それだけだよ。俺をどこかの脚をちょん切られてまで命を捨てに行こうとする、蛮勇に満ちた『勇者』と一緒にしないでくれ。俺は臆病者なんだ」
背を向け、吐き捨てるように。自分の弱さを自覚するように。そして自覚しているからこそ、俺は逃げの手を選ぼうとする。
「気にいらねぇ。仁とか言ったか?忌み子だとかそうだとか、そんな事抜きにしてもおまえはクソ野郎だな」
逞しいのに縮んで見える大きな仁の背を、ラガムは言葉で追いかけた。
「そうか。俺もおまえみたいに、自分の都合で人を死に追いやるようなやつは気にくわないよ」
ラガムの煽りでも本心でもある言葉に、振り返らず立ち止まって反撃した俺の言葉。自分を馬鹿にされたから、相手の悪いところをあげる子供じみた反撃。
「その言葉、お互い様だな。おまえは女の忌み子を見捨てようとしてるんだぜ?」
そんな子供の反撃を、大人は笑って受け流した。その嘲るような態度に、仁の心が黒くふつふつと沸き立ち始める。
「それが……どうしたよ。俺は誓ったんだ。命を大事にしようってな」
仁が仲間に裏切られた時に立てた、自己的な誓い。それは今も心の中で暗く、確かに存在を主張し続けている。裏切られたあの日から今までの仁の行動は、全てあの誓いが根源だ。
「誓いなんざ、破れば何の意味のない」
そんな誓いを基にした俺に、ラガムの笑みが消えた。彼が口にしたのは、身もふたもないようなそんな理論。
「シオンとやらはおまえにとって大事な人間じゃねえのか?少なくとも、あいつはそう思ってるみたいだったがな」
「シオンと一緒にするな。俺は生き残りたいんだよ!俺は、俺が一番生きたいんだよ!」
仁はもう一度ラガムと向き合い、戦いの音と森のざわめきの中に新たな声を叩き込む。
仁は他人の為ではなく、自分の為に戦おうとする。いくらシオンに大事にされていても、助けられても、命を捨てようとまでは思わない。
生きたい。それが仁の願いで、ラガムの提案を断り、シオンを見捨てようとする理由だ。
「もう一人の人格、出てくんじゃねえ。こいつと冷静に話し合って、分からせるのは無理だ」
「……お好きなように。さっきと違って冷静に熱くなって話してくれるなら、僕はそれでいいよ」
ラガムは暗に今から怒鳴ると、熱くなると告げる。それを僕は我を見失わないことを条件に許し。
「ふぅ……すぅ……」
頭を冷やそうとしたのか、これから言うことを整理したのか。ラガムは軽く深呼吸をして、
「てめぇはさっきから、何を履き違えてやがる?あの忌み子を見捨てて、てめぇはどう生きる気だ?魔力も何もない、碌に魔法も使えない人間がずっと生きれると思ってんのか?」
落ち着いていて、しかし、その裏に激情を秘めた声が俺の心に突き刺さる。ラガムは仁を戦場に駆り立てるために、俺のしている勘違いを正そうとした。
この世界が優しくないことを、ラガムも仁も知っている。天災、魔物、飢餓……そして争い。これらから生き残るために、魔法は必須とも言えるものだ。
魔法が使ないままこの世界で生き抜こうとして、オーガに殺されかけた。ゴブリンに身体を弄られた時も、シオンの治癒魔法がなければ死んでいる。
この世界で生き抜くには、魔法の使える強者に保護してもらうしかない。そして忌み子とされる仁を救うような強者は、シオンの他に何人いるか。仮にいたとして、出会える確率は?
シオンを見捨てる道は、本当に先に続いているのか?
逃げようとする理由そのものを崩されるのだから、俺にとっては派状に耳が痛かった。この男は本当に、痛いところばかりを突いてくる。でもこの事は仁自身、薄々分かっていたことだった。
「でも、今すぐ死ぬよりは……」
「あの忌み子を助けるのに、命を捨てなきゃいけないわけじゃねえだろうが!身体強化を使って、魔物の群れから女を1人、連れ出すだけだ」
ラガムの言う通り、シオンを助ける=仁の死が確定しているわけではない。死ぬ可能性が高いだけだ。身体強化が使える今なら、全員が助かる道が見えるかもしれない。
だが、それでも俺は頷かない。否、頷けない。
「だからそれが難しいって言ってるだろ!人を二人も担いで魔物の群れをどう潜り抜ける?俺は魔物と戦えないんだよ!」
それはあくまで『かもしれない』に過ぎないからだ。人を二人も背負い、魔物の群れを斬り抜けるのは難易度が高すぎる。仁には誰も背負わずでも怪しいというのに。
俺は自分の実力を考えて、この作戦は不可能だと言った。しかしラガムの覚悟は、決意は、想像の遥か上を行くものだった。
「行きは俺を餌にしろ。障壁と魔法を使えばそれなりに時間は稼げる。帰りは背中の忌み子に道を切り開いてもらえればいい。こうすれば、おまえは戦わなくて済む」
「……正気か?」
ラガムは自らを魔物の群れに放り投げろと、そう言ったのだ。仁の価値観からすれば、狂気とも言える行動。魔物に生きたまま喰われるなんて、想像するだけでも吐き気がする。
「頭がおかしいと思うか?俺はおかしくていいんだよ。元から捨てようとした命なんだ。どうだ?忌み子、おまえは戦わなくていい。女の忌み子を連れ出して、馬車まで送り届けるんだ」
「……死ぬのが怖いって言ってなかったか?」
ついさっき聞いた質問で、忘れるわけもないラガムの答え。それと矛盾した作戦に、俺は聞かずにはいられなかった。
「はぁ?はぁ……」
その質問に、ラガムはなんで分からないのかとため息を一つ落として、
「怖いに決まってるって言っただろ。だがそれよりもな?何も残せず、守れず死ぬ方がずっと怖いんだよ」
「……」
まるで、いつかの賢き弱者のように。誰かを救おうと黒板に作戦を書き出し、オーガを魔法も使わず殺そうとした、いつかの馬鹿とまるで同じその言葉に、俺は。
「できるのか?忌み子。できなくてもやらせるが」
「……無理だな。俺にはできない」
「っ!」
ラガムの確認に俺はそれでも、俺にはできないと首を横に振った。
「これだけ言っても……!おまえは戦えないじゃなくて、戦わないだけだろうがっ!」
「餌を使っても俺が魔物の群れを突破できない。難しいって分かってるだろ。おじさん肉より、俺の瑞々しい肉の方が美味しそうに見えるやつらかもしれないだろう」
実力不足。シオンが食い止められなかった魔物の群れを、仁ごときがどう掻い潜ると言うのか。餌を放ったしても全員が食いつくわけではないだろう。
「でも、可能性はなくは……」
「なくはない。それは同意だ。でも、ラガム……さんの作戦だとその可能性が低すぎる」
やってみなきゃ分からない。これはどのことにも共通して人を狂わし、励ます魔法の言葉だ。その言葉の意味も効力も俺は否定する気はない。
だが俺はもし狂うならば、もっと確率の高い励ましの言葉で狂いたかった。
「さん?」
「……気にしないでほしい。頼むから。とりあえず刻印を刻みながら話そう。時間がない。僕、すまないが頼めるか?」
「仕方ないなぁ。作戦話し合うなら、俺君の思考がはっきりしてな
いとだからね」
皮の鎧を外して傷跡と筋肉がついた背中を再び、だがおぶるのとは違う意味でラガムへ向ける。しかし、いつまで経っても仁の背中に予想した痛みは来ない。
「おい、なにきょとんとしてるん、ですか。早くやって!」
振り返り、固まっている狩人を怒鳴りつける。再起動を果たしたラガムだが、未だ状況が掴めないと言った顔だ。
「やってくれる……のか?」
「ああ。それが俺の生き残る最善だって思いました」
黒板の前で浮かべたあの日の真剣な表情で、仁は戦場へ向かうと決めた。
「だから、やる」
自己中な少年が決めた、戦いの意志だった。
『治癒魔法』
系統「身体魔法」。身体能力ではなく、治癒力の向上に特化させ、常に身体の最善を保たせようとする魔法。名前の通り、傷を治す魔法である。ほとんどの者が適性を持つ。
擦り傷、切り傷、刺し傷、打撲に骨折、断裂などありとあらゆる傷に効果がある。ただし、余りにも深い傷の場合、治ったとしても痕が残る。部位欠損の傷は治癒不可能。傷口が塞がれるだけである。また、病気や寿命には効果は少ない。失った血は戻ってこない。
日本なら塞がるのに数日かかる怪我でも、この魔法を発動すれば大幅に時間を短縮することができる。




