第52話 始まり
あまり気持ちのよくない話になると思われます。ご了承の上お読みくださいませ。
きっと彼は、拉致された本人や暗殺を強制された家族の次に辛かった。自分の行いで大勢の人の命が危険に晒され、自らの命も狙われる。その責任や罪悪感、理不尽への憤りは耐え難いものだっただろう。
『暗殺を警戒するってんだから、色々と考えなきゃな』
『……ああ』
だというのに彼はそれらをおくびにも出さず、冷静に対策を練り始める。知っているのだ。これはまだ救える問題であることを。その救い方が泣き喚くことではなく、考えることによって導かれると知っているのだ。
『まず、サルビアが側にいる。それだけで敵の動きは一気に鈍るはずだ』
『後継だからか?しかし、継いだ瞬間にそういった組織は全て叩き潰すつもりだが』
『ハイドランジアの逆鱗に振れる可能性がある。学長の推測が正しいなら、奴らはそれを避けたいはずだ』
紙の上に記されたのは、サルビアの存在そのものが効果的な対策であるということ。暗殺に成功したとしても、彼を巻き込んでしまえば、ハイドランジアがどうなるか。他の貴族にしろ暴走した暗殺組織にしろ、暗殺の目的はカランコエ家の権力保持による保護である。激怒したハイドランジアに見捨てられては意味がない。
『第二に、俺を殺す方法について。一番怖いのは毒か魔法による無差別攻撃だけど、この二つはないと考えていい』
全ての暗殺方法に対処することこそ理想である。しかし、現実とはえてして理想に及ばぬもの。故に、ザクロは真剣に自分自身に突きつけられた刃の形を考え始める。
『一番可能性が高い、というより、それしかないように思えるが……もちろん、俺がいない時を狙ってという制約の上で』
刃は触れなければ殺せないと、サルビアは異を唱える。普通の生徒がザクロを殺そうとするならば、それこそ手段を選ばない手段を選ぶべきだ。授業中の教室に猛毒か病原菌を散布する、あるいは爆破するなど、周囲の被害などまるで考えない方法であるべきだ。
『それが理由の一つ目。二つ目は単にできるとは思えない』
『どうしてだ?』
ザクロは首を振り、頑なにその方法を否定し続けた。疑問を訴える後輩の目と文字を見つめた後、彼は詳しい理由をペンで述べる。
『実行犯は生徒だ。素人なんだよサルビア。家族の為とはいえ、数十人を殺せると思うか?』
『……不可能とまでは言い切れないが、難しいとは』
『組織が人質を取るのは暗殺を実行させる為だ。追い詰め過ぎた結果、騎士団に駆け込まれてしまえば本末転倒もいいところだろ?』
『…………なるほど』
心理的なハードルだ。同じ殺人であっても、一人と数人では訳が違うと彼は論じる。仮にそのような命令を組織が出したのならば、必ず重みに耐えきれない人間が生まれる。故に組織はそのような手法は命じないはずだと、彼は推測した。
『周囲を巻き込まないように俺一人だけを狙う暗殺方法……となるとまぁ定番だが、毒と一人でいる時の不意打ちの二択、あるいはその両方だろう』
『それは成功するのか?』
『俺が気づいていなければ、できるだろうな。さすがに友人から貰ったお菓子に毒が入ってるとは思わねえよ』
実行犯の練度は本職の暗殺者より遥かに落ちる。が、対象に近づく容易さ、不意を打てる可能性が欠点を補って余りある。だからこそ、このような暗殺方法が採用されるのだ。
『幸運なのは俺らが気づいていること。そして俺らが気づいていることに、恐らく相手は気づいていないこと。対策はそう難しいものじゃない』
しかし今回、それらのメリットは全て封じられている。残るのは素人が実行犯というデメリットのみ。はっきり言って、普通の暗殺者を警戒するよりも楽だろう。
食べ物や飲み物の差し入れを適当な理由をつけて断り、食事は全て虚空庫にあるストックで済ませる。常に背後や死角に警戒し、授業は一番後ろの席に座ればいい。無論、可能な限りサルビアが側にいれば、就寝時以外は万全に近い。
『睡眠はどうする?さすがに、眠る時まで側にいるのは怪しまれるだろう』
『素人に家入られても、音で気づくと思う。さすがに家ごと吹っ飛ばされたらどうしようもないが……いや、学校外じゃ素人以外もいると想定した方がいいな』
ここに至ってようやく気がついた、他の暗殺者の存在。ザクロの記した通り、生徒だけが実行犯であると囚われるのは早計である。関わりのある酒場者の家族が人質に取られたケース、単純に本職の暗殺者が襲いくるケースも想定すべきだった。
『しばらくは家に帰るのやめて、適当な宿に泊まることにする』
『大丈夫か?』
『家に帰らないなんて、今までにもよくあったことだしな。そう怪しまれはしないと思う。それに、これ以外に方法はないだろ?』
住所が割れている可能性を考え、彼は宿を転々とすることに決める。元より遊び人としても名を馳せた彼だ。不自然なことではない。尾けられることだけが不安ではあるが、ベロニカ以上の尾行技術を持つ暗殺者はそういないだろう。
『こんな卑劣な手段しか取れない組織だ。学長が潰すのに数日もかからないさ』
『そうだといいが……』
学校に牙を剥いた組織に対し、学長は本気で動き始めている。この街のどこかに拠点があり、そこを割り出すあてもあるという。サルビアも詳細は知らないが、彼は戦力の用意もすぐにできると言っていた。
『軽く調べた程度だけどな、学長の経歴凄まじいぞ。月桂勲章を三つも貰ってるし、今の騎士団の実力者のほとんどはあの人の生徒だ』
『……月桂勲章?』
『国の危機を救うぐらいの大仕事をした人に与えられる勲章だ。お前の祖父さんも一緒に貰ってる』
彼の現役時代は二世代ほど上の話であり、在籍する生徒もほとんど知らない。だが、ヤグルマギク・コーデックは英雄と呼ぶに足る存在であった。
『転生教って覚えてるか?歴史で習ったはずなんだが』
『……』
『この世は地獄だから、殺すことでより良い世界に導きましょうっていう狂信者の集まりだ。下手な戦争より死人が出たらしい』
最強を競い合うハイドランジアと共に、彼は幾度となく戦争、災厄の討伐に参加し、その度に多大なる戦果を挙げた。中でも最大の功績と謳われているのが、『転生教』の拠点を割り出し、単独で潜入、この開祖を討伐したことである。
曰く、その開祖は黒髪黒眼であったそうだ。また、彼は転生したことがあると信者に説き、魔法に頼らないおかしな装置や発明をし、それらを証拠にしたという。
『話が逸れたな。まぁ、あの人は俺らよりよっぽど場数を踏んでるんだ。お抱えの部隊があるって噂だし、大丈夫だ』
元よりお喋りなザクロではあるが、今日は輪にかけて無口な雄弁だった。最後の大丈夫は他の文字より力が強く、まるで自らに言い聞かせているかのように、サルビアは感じた。
色んな理由を付け足して、信じようとしているのだろう。信じないと、やっていられないのだろう。隠しきれなかった彼の動揺が、細かな仕草に表れていた。
『数日間、俺たちはあの手この手で暗殺を躱せばいい。それだけだ。それだけで、いいんだ』
彼はそう述べて、笑った。サルビアにでもわかる作り笑顔だった。
『先輩』
『ん?なんだサルビア』
『……必ず生き残ろう。必ず救おう』
『もちのろんだ』
だからサルビアは、彼に気遣った。プレッシャーをかけるわけでもなく、必ずそうなるようにと共に祈り、誓ったのだ。
もう少しだけ細かく詰めたところで、対策会議はお開きとなった。その後、二人は授業や剣術修行などの日常を、警戒しながら演じた。この日は特に何もなく過ぎ去った。
結論から言って、ザクロは中途半端に賢すぎた。頭が良く、理性的であったせいで、そうでない人間の思考に馴染めなかった。論じてしまった。また、更なる悪辣を知らなかった。暗殺などするような人間に、常識を当てはめて考えたことが間違いであった。
しかし、誰にだって間違いはある。どんな完璧超人であろうとも、どれだけ気をつけていようとも、必ず。それは避けられないことなのだ。
少年らにとって不運だったのは、その間違いが取り返しのつかないものであったことだろう。
翌朝。普段通りに登校してきたザクロを見て、サルビアは胸を撫で下ろした。そして不自然にならないように行動を共にした。警戒していた飲食物の差し入れ、不意打ちなどはなく、昼を超え、午後の授業が始まった。
「魔法陣には作成の際、もしくは発動の際に特殊な触媒を必要とするものがいくつか存在する。こういったものは大抵、陣でなければ発動できない極めて特殊な魔法であることが多い」
サルビアもザクロもプリムラも出席する『魔法陣作成』で、事件は起こった。
「主だった例は『伝令』か。かつて存在した古代生物の血液と––」
いつも通り、淡々としながらもわかりやすい授業。いつもと違い、最後列の中央にザクロ、その隣にサルビア。また最後列左端にプリムラが座っている。彼女もザクロを守ろうと、警戒してくれているのだ。
ただ、元よりあまり接触する関係でもなく、彼女に推測される暗殺方法などを話すことはできていなかった。これが逆に、功を奏したのかもしれない。
「きゃああああああああああああ!」
授業が始まって六分。大きな悲鳴があがった。ザクロがいつも座る席から、二つ上段の金の長髪の女子生徒からだ。その少女もまた、いつもと座る席が違った。全員の視線が集まるが、彼女がなぜ悲鳴をあげたのか、多くの者にはわからなかった。ただ、近くにいた生徒とプリムラだけが理解していた。女子生徒の左腕にペンが突き刺さっており、その手から一枚の魔法陣がひらひら地面に舞い落ちたことを。
「どうした!」
「全員両手を挙げて動くな!」
声を最初にかけたのはパエデリアだったが、誰よりもまず先に動いたのはプリムラだった。彼女は短剣を三本虚空庫から取り出し、立ち上がる。教室を見渡しつつ、女子生徒の左腕から『操風』で遠隔操作したペンを引き抜く。更には地面に落ちた魔法陣にペンを突き刺し、回収まで果たしてみせた。
「……っ!」
ザクロ、サルビア、学長から事情を聞いていたであろうパエデリアの三人も事態を把握した。そして女子生徒の行動が意味することに、戦慄した。ザクロの予想は外れていた。
席が離れているにも関わらず、教室内で魔法陣を取り出し、発動しようとしたのだ。無論、今から後ろを振り向き、照準を合わせるような魔法であったのかもしれない。だが、例えそうであったとしても、授業中の教室という人が密集した場所で暗殺を行おうとした。つまり、彼らは周囲を巻き込んでもやむを得ないと考えている。
もっと悪い方向に考えるのならば、毒魔法や爆発魔法による無差別攻撃の可能性だってあった。事前にプリムラが止めたからこそ、わからなかっただけで。
「ひっ!?」
「ち、血?」
「か、カッシニアヌム様?どうなされたのです?」
静かな混乱が教室に染み込み始める。突然のプリムラの攻撃と宣告。左腕を穿たれた女子生徒。流れ出す血。理解が及ばぬ生徒は小さな悲鳴をあげ、血液から距離を取り、プリムラに言葉の真意を尋ねる。
「両手を挙げて動くなと言ったのが聞こえないの?指示に従わないなら、その子と同じ目に遭わせるわ」
「始まったのか?」
それら一切、視線をくれてやることもなく歯牙にも掛けず。教室全体を見て、おかしな動きがないかを確かめ続けている。立ち上がったサルビアが問えば、彼女は首を小さく縦に振った。
「事態を理解できないとは思うが、全員指示に従って両手を上に」
「パエデリア先生!?」
「い、一体どういうことなんですか!説明してください!」
「いいから上に挙げなさい!私語も慎みたまえ!」
一向に上がらない両腕を見たパエデリアが、プリムラを援護する。理由は説明しない。説明などできるはずもない。大混乱を招くだけだ。鋭い怒鳴り声で疑問を一喝し、恐怖と立場にて強制的に従わせる。
「元私の取り巻きで……友人よ。さっきから何度もあなたたちの方を見てたわ」
「理解した」
プリムラは未だ警戒を続けながら、左腕を抱えてうずくまる女子生徒の凶行に気づけた理由を述べる。それを聞いたサルビアもまた、勘違いなどではないと確信に至る。この子だ。この子が例の、ロウニが手紙に記した友人だったのだ。
「二人は今の内に外に出て。この場は私とパエデリア先生でなんとかするわ」
じわじわと挙がる腕が増える中、プリムラがザクロとサルビアに退室を促した。周囲を巻き込むより先に、標的を逃がそうという算段だろう。頷いたサルビアは虚空庫から鉄の剣を引き抜き、左手に土魔法の剣を創り出してその思惑に乗ろうとした。
「……わりぃ。恩に着る」
「早くいき……ちぃ!」
だが、遅かった。彼らは家族を愛していたのか。礼を述べたザクロが剣を抜いた瞬間、思惑を悟った実行犯たちが一斉に動き出したのだ。挙げていた腕をそのまま虚空庫に突き入れる者。あるいは手を挙げるより先に、魔法陣を握りしめる者。
「ぎゃあああ!?」
「くっそがぁ!」
「ああああああああああ!ダメ!ダメなの!発動しないと!」
舌打ちと共に、プリムラが短剣を宙に走らせる。発動するよりも早く、三本の刃が掌ごと魔法陣を貫き、引き裂いた。これにて教室後方の三人。
「せ、先生……どうしてぇ!」
「いたいいたいいたいいたい!」
悲痛な面持ちのパエデリアが二重発動にて鉄杭二本を最速で放ち、教室前方の二人を。プリムラより遅れたものの、なんとか発動する前に魔法陣の破壊に成功していた。
「ひぃ!?」
ザクロは一人が限界だった。鉄の剣を氷魔法の腕に握らせ、延長させて魔法陣を穿ったのだ。実行犯にも周囲の誰も傷つけることない、正確さで。
「くっ!」
「あっ……あああああああああ!」
サルビアは躊躇った。三人よりも遅れて、後方右端に剣を投げた。そうしなければ届かなかったからだ。そうしなければ、守らないと思ったから。投擲された剣は綺麗に人の隙間をすり抜け、目標の腕を貫通した。躊躇ったのに間に合った理由はただ一つ。相手も躊躇ったからに他ならない。
最初の一人と合計して八人。これだけの数の実行犯がいた。これだけ家族を誘拐された人がいた。更に彼らは周囲を巻き込んででも、ザクロを殺そうとしていた。サルビアが隣にいるのもお構いなしにだ。
「なにが、どうなって」
「くそ……!」
あまりにも予想と食い違う。何もかもが違いすぎる。常識が通用しない。突き付けられた現実に、ザクロの足元がぐらつく。サルビアの世界がまた黒く染まる。
「ああっ……息が……」
「く、苦しい?」
「なんで」
「おえぅ!」
その時だ。声がした。声の方向を見れば、喉を抑える生徒の姿が数人。血管が浮き出て、顔色は青白く死人のようで。天井に手を伸ばしながら倒れる者もいた。それが二ヶ所。両腕を挙げていない生徒の中に、魔法陣を発動させた者がいたのだ。
毒だ。毒を生成し、散布する魔法陣。表の世界では基本的に禁止されているものだが、暗殺者に表の道理は関係ない。
「息を吸うな!」
叫んだのも行動に移れたのも、またプリムラだった。操風の解除によって短剣が地に落ちる。瞬間、暴風が室内をなぎ払い、窓を全て破壊した。風は続く。凄まじい風が何度も教室を吹き抜け、毒を外へと追い払う。
「先輩は左を!」
「右は任せた!」
サルビアとザクロは駆け出していた。己の立場、狙われているのが誰かなども考えず、ただ救おうと二ヶ所の毒の源に別れて。息を吸わないように徹底しながら、机を踏み越え人を飛び越え、多くが倒れるその場所へ。
「……ふざけんなよ!」
ザクロの方は早く片付いた。というより、既に終わっていた。一番近くで毒を吸った発動者は、泡を吹いて倒れていたのだ。当然、術の発動は解かれていた。彼にできたのは、自らを中心に風を発生させて、少しでも周囲の毒をプリムラの風に合流させることだけだった。何の毒かわからないのだから、痙攣している彼への治療などできなかった。
「早く解除しろ!死にたいのか!」
「ひゅー……ひゅー……」
サルビアの方は難航した。実行犯の男子生徒が腹に魔法陣を抱え、守っていたからだ。今もなお毒を吸い込みながら、必死に。サルビアが呼びかけても答えはなかった。だって、
「ご、めん……し、らな、かっ……で、も……かぞ……」
「っ……!」
家族の命がかかっているから。そして聞こえた「知らなかった」。つまり、彼ら実行犯は魔法陣の中身を知らなかった。ただ発動するようにと言われたのだ。自分たちすら殺すものと知らずに、発動してしまった。
「…………!」
そして彼は、自分たちを殺すものと知りながら、今もなお発動し続けている。これがなにを意味するかなど、サルビアにだって。
「なにやってんの馬鹿!峰打ちすればいいでしょ!」
「……すまない」
豪風を貫く叫び声。サルビアの戸惑いを察したプリムラの叱責だ。我に帰ったサルビアは剣の腹で男子生徒の肩を砕き、強引に魔法陣を奪い取った。
「これで、全部か?」
忌々しい陣を握りつぶしながら、サルビアは周囲を見渡す。風によって紙が舞っていた。毒の圏内にいなかった生徒は、既にパエデリアの指示によって教室の外へと避難し始めている。僅かに吸ってしまったのか。意識がぐらぐらと揺れていた。
「……おそらくは」
でも、見えた。しっかりと見えた。毒を吸った生徒の内、十人近くが床に倒れている。異常な呼吸に痙攣、泡を吹き、命をすり減らしている。専門ではないプリムラ、サルビア、ザクロには何もできない人々だ。
「……」
あり得ないと切り捨てた無差別攻撃が、行われた。標的であるザクロは死ななかった。だが、被害は多すぎた。何人もの生徒が倒れ、ぐちゃぐちゃになった教室を見て、標的の少年は言葉なく佇んでいた。
彼らはようやく、事の大きさを知った。敵の恐ろしさを思い知った。人の悪意に触れ始めた。そう。触れ始めたのだ。
これはまだ、地獄の始まりに過ぎなかった。繰り返す。これはまだ始まりなのだ。




