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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
256/266

第50話 悪を知らせる善意の手紙




 増えた。


「サルビア様。もしよろしければ、私達とお茶を楽しみませんか?」


 お昼前の空きコマ。何かと問われたのなら、こういうお誘いがだ。前々からたまに、特に貴族の中でもそこそこ格のある家柄の娘からあった、まずはお茶でもして距離を詰めようという、見え透いたお誘いだ。


 サルビアの婚約者は決まっておらず、それ以前に浮いた話は一つもない。ならば、未だ空席の大貴族の正室におさまれたら望外、側室でも重畳、愛人でも庇護を受けられれば良し、という魂胆だろう。


 問題なのは、これが武芸祭後に急増したことだ。表彰台に登った者の運命ではあるが、サルビアの場合貴族という地位も合わさって爆発してしまった。以前とは違い、家格の低い者や豪商の娘、貴族ではないものからまで誘われる。


「すまない。忙しい」


 残念ながら、サルビアにそれらの誘いを受けるつもりはなく、このように全て断っている。最初の頃はもう少し丁寧な断り方をしていたが、回を重ねるに連れ塩味の効いた機械のような対応に変わり、現在の素っ気ないものに。


 大抵は綺麗なお辞儀をし、「ではまた、都合の良い日に」と、サルビアの言外の意思を読み取って諦めてくれる。時たまひどくショックを受けて食い下がる令嬢や、暇な日を聞いてくる者もいるが、その努力が実ることはない。


 非常に申し訳ないが、サルビアのタイプとは異なる強さだからだ。無論、この手の強さも好ましくないわけではないが、伴侶となると程遠い。彼が望むのはそれこそ、戦場で命を削って争えるような、あるいは背中を任せられるような強さである。


 忙しいことも嘘ではない。サルビアはザクロと剣の鍛錬に励んでおり、今もプラタナスの研究棟で待ち合わせをしているところだ。武芸祭から約半月、近づくグラジオラス家の剣術大会の為に。


 ベロニカ曰く、ハイドランジアは武芸祭を境に一気に二十ほど歳をとったような有様であるらしいが、油断はできない。彼以外の剣豪や特異な系統外保持者にも、勝利せねばならないのだから。


 と、いうように断りたい理由と断る理由があるのだから、彼は決まった対応を繰り返していたのだが。


「サルビア様。もしもお暇ですのなら、私とお茶をしていただけないでしょうか?」


「すまない。忙し……ロウニ?」


「はい。サンフラウ家のロウニですわ」


 今回ばかりはそうもいかなかった。さほど親交はないが、それでも多少は知っている没落貴族のご令嬢が相手ともなれば。彼女は両手を腰の辺りで重ね、上品に立っていた。


「家の意向か?なら、なおさらすまない」


 とてもじゃないが、見え透いた媚を売るような少女には思えない。プリムラに対するかつてと、友人関係にある今がその証拠だ。大方復権を目論む彼女の両親の仕込みだろうとサルビアは推測し、


「いいえ。違いますわサルビア様。これは私の意向です」


「……なに?」


 物の見事に外してみせた。そうだ。聞き間違いでなければ彼女は確かに、自らの意向だと言った。もしも言葉通りに受け取るならば、であるが。


「身分の差があるのは分かっています!しかし、私は……!」


「な、なっ!?」


 言葉通りだけではなかった。態度通り、というのも付け足さねばならなくなった。あろうことか、ロウニはサルビアの手を取った。いいや、それだけではない。


「ま、待て!これはどういうことだ!?」


 更に一歩進み、彼女は抱きついたのだ。世界最高峰の剣豪、サルビア・カランコエが虚を突かれ、懐に侵入を許した世にも貴重な瞬間だった。


「監視。突き放して。一人で」


「っ……!?」


 しかし、許しても無理はない。手と手が触れ合った一瞬から、サルビアは手中に紙を感じている。続いて胸元で恐ろしく小さな声。巧妙に彼女の身体にて隠されたそれらは、彼以外に聞こえることもなく、ましてや見えることもない犯行。


「……申し訳ない」


「あっ……す、すいません。私、なんてことを……」


 彼女にそこまでの芝居ができたことに驚きつつ、ここは黙って指示に従う。すっと脚を引いて後ろに下がり、紙を落とさぬようかつ、誰にも見せないよう素早く握り拳を作って手を離す。


「いい。では」


「ほ、本当に、本当に申し訳ありません!」


 サルビアは踵を返し、堂々を装って離れていく。作ったものとはいえ、後ろの真摯な謝罪に反応しないのはいささか心苦しいものがあったが、仕方がない。なにせ、このような芝居を打たなければならない状況で、渡さなければならない情報であるのならば。演じ切り、速やかに受け取るまで。


 待ち合わせに遅れることをザクロに悪いと思いつつも、サルビアは手紙を優先した。


 









 彼が向かった一人になれて、通常の監視も見ることのできない場所。


「千里眼のような系統外の持ち主が、この個室を覗き見していないことを祈ろう」


 それは御手洗いであった。座る形式だけは共通しているが、日本の思い描くそれとはかけ離れた装いである。大貴族も通う学校なのだから、綺麗さと美しさの訳が違う。広い室内、床も壁も汚れなき白い大理石。紙は柔らかい高級なもの。水魔法の陣を使った流し方など、様々な差異がある。


 しかし、誰かが入ってくることがまずないプライバシーな空間であることは、世界が変わっても変わらない。


「早速……」


 ここに駆け込むこと自体は生理現象と見なされるだろうが、長過ぎるのはザクロにも悪く、不自然に捉えられるかもしれない。監視がついていると言われたのだ。彼はそういったところまで気を遣うように意識し、紙を開いて、


「………………」


 そこに書かれていた文字に、達筆でありながら震えたそれらが織りなす内容に、サルビアは絶句した。多少悪い内容であるとは想定していたが、これは余りにも想像を絶し過ぎていた。


『私の友達の両親が人質に。交換条件はザクロの殺害。両親の場所、犯人は不明。彼女一人だけではないと予測。誰かに伝えたら処刑』


 婦女子の手に押し込めるような、小さな紙切れ一枚に一杯に、簡潔にまとめられた事実。サルビアは衝撃のあまり文字が滑るだけで、一度読んだだけでは頭に入らず、二度、三度と呼んでようやく理解できた。


「どういう……ことだ?」


 しかし、処理しきるまでには及ばず。紙を一旦閉じて視界から文字を消し、目まで瞑って天井を向いて思考する。見たままの事実、文字通りの内容だ。だが、意味は事実を伝えただけにあるまい。


「考えろ。気を遣え」


 剣を振るより難しいと、頭の片隅で己が言った。おそらくこの手紙が促す意味は、攫われた者の救出ではない。それは願いだ。恐らくロウニの第一目的は、ザクロの身辺の警戒。


 願いである理由は分かりやすい。サルビアが家に伝えて騎士団を動かそうものなら、人質は殺される。そうなっては救出の意味はない。


 しかしもしも、なんらかの伝手がカランコエ家にあり、救出が叶いそうならばその時は。故にこれは願いなのだ。


「だからか。だから、謝っていたのか」


 ロウニはただのご令嬢。それも、力のある貴族ではない。彼女には、力ある誰かに教えることしかできなかった。でも、教えられた人間は重りを背負うことになる。


 ザクロを守り、救えるならば人質を救うべきという正義の重りだ。だから彼女は別れ際にあんなにも、何度も何度も誠心誠意頭を下げていたのだ。背負わせてしまってごめんなさいと。


「すまない。ロウニ・サンフラウ」


 演技とはいえ素知らぬ顔で去ったことに、今更ながらに罪悪感を抱く。そして、折角教えてくれたこの情報を無駄にはしまいという想いと、卑劣な策に頼る犯人に対する怒りに燃えて、サルビアは開いた銀の眼を鋭く尖らせる。まるで、剣を振るう時のように。


「俺の頭ではダメだ。頼るしかない」


 サルビアに妙案は思いつかない。迂闊に動けば処刑されるとあっては、流石の彼も剣を手に突撃する短慮はない。できるのは、ザクロの身辺を固め、叶うならばベロニカに精鋭を秘密裏に動かせるか確認と、もう一つ。


「ひとまず、学長に報告しよう」


 なんらかの手を打てるであろう信頼に足る誰かに、情報を分け与えることくらいだ。


「どうしたものか」


 ここで壁にぶち当たる。なるべく秘密裏にことを進めなければならないのだ。監視がついていることを考えれば、学長の部屋の扉を直接叩くのは不味い。


 すぐに答えは出ない。だが、長居するのも問題だと、虚空庫に紙を仕舞って一度席を立つ。水魔法の陣を起動させ、無駄に流しておくのも忘れない。


「……どうして貴様がここにいる」


 とりあえず、一旦外に。そう思って男子便所から出てきたサルビアの前に、彼女が立ちはだかっていた。


「プリムラ・カッシニアヌム」


「ご機嫌よう。サルビア・カランコエ様」


 両手を腰に胸を張り、顎を上げて低い位置から高慢に態度で見下す天才魔導師、プリムラその人である。名を呼んだサルビアに対し、彼女は完璧な貴族の作法で返すも、その裏にある動揺と激情を隠しきれていなかった。


「単刀直入に聞くわ。立場をいいことに没落貴族の少女を誑かして捨てたって噂が流れてるけど、本当?」


「はぁ?」


 その二つの理由はすぐに知れた。ロウニがサルビアに抱きついたワンシーンを見た内の誰かを始点とし、尾ひれのついた噂話ができあがっていたのだ。


「さっきロウニがね。泣きそうになってたの。事情を聞こうとしても言えないの一点張り。そこで」


「ま、待て!誤解だ!俺はそのようなことはしない!」


 驚き、認識してすぐに否定する。声が被るのも構わず、大慌てで手を振って。サルビア自身でも分からないが、ひどく焦っていた。


 しかしその一方、言い終わった直後に冷えて冴えた心の中のサルビアに、ある考えが浮かんだ。


「そう。ま、そうよね。疑ってご」


「待て」


「め……へ?」


 謝りながら背を向けようとしたプリムラの腕を、サルビアが掴む。焦って弾んださっきとは違う、刃のように冷たい「待て」。物理的にも言語的にも、更に精神的にも、プリムラの身体は停止した。


「ちょ、ちょっと!?な、なに気安く触れてるのよ!」


「こちらからも話がある。疑いをかけておいて、ろくな謝罪もなしか?」


 振り解こうとするプリムラだが、サルビアは離さない。更に大貴族らしく威張った口調で、正式な謝罪を要求する。


「そ、それはそう……!?だけど!」


 しかしその裏、彼は触れ合った手に木魔法で文字を書いていた。誰からも見られぬよう、悟られぬよう。ただ一人、手に文字を押し付けられた少女だけが読み取れるように。最初の内容は『監視付き。手で話す』。


「じゃあ、どんな謝罪がお望みかしら?頭を地べたに擦り付ければいいの?」


『なに?』


「そこまでは求めていない。貴様の良心に従った形で構わない」


『自然に学長室に向かいたい。緊急だ』


 口では憎まれ口を叩き合いながら、手の感触では真剣に会話を交わす。監視やこの()()に頼ったことから、並々ならぬ事態と察してくれたのか。彼女は非常に協力的で、視線も動揺も全く表に出していなかった。


「……そう!私の良心ね!分かったわ!」


『なるほど。こうね』


「待て!」


『助かる。すまない』


 彼女が表に出していたのは、熱き闘志と冷たき氷魔法の槍。それを見たサルビアは口では制止しつつ、離す間際の手には意図を読み取ってくれた彼女へ感謝を述べて、剣を抜いた。


「待つわけないでしょ!ほぉら!これが私の良心よ!」


「ふざけるな!こんな良心があって……!ああそうか!貴様に良心などなかったか!」


「なんですって!?」


 授業中で少ないとはいえ、空きコマの生徒がちらほら行き交う廊下にて、魔法と剣が衝突した。その精度、威力共に迫真だった。不自然ない程度に白熱しよう、憎まれ口を交わしてあって戦おうと、彼らは演じていた。少なくとも、サルビアは。


「私の良心よ?どれだけ貴重で高価で尊いものか分かる?武芸祭で大恥かかせてくれた貴方に、分けてあげるわけないじゃないの!」


「貴様が勝手に萎れて恥をかいただけだろう!」


「言ったわね?貴方、言ったわよね?全力で戦える時にもう一度って!いいわよ!やってやるわ!今ここで殺ってやるわよ!」


 廊下を歩いていた一年生が、いきなり始まった最高級の喧嘩に悲鳴をあげる。その声に釣られ、何事かと教室から顔を出す生徒に教師。騒動の中心を見て、二人の声を聞いた彼らは皆一様に察した。


「馬鹿を言うな!流石に人が……」


「ま、え、も!言ったでしょう!?私が誰かを巻き込むとでも思っているの!」


 容赦なく遠慮なく、巨大な氷杭を六本生み出して放つプリムラ。それらはサルビアの退路を無くすように別々の軌道を辿り、内何本かは壁に突き刺さり、教室の中に侵入を果たした。もちろん、誰も巻き込まないように彼女は調整していたのだが、不自然ない大ごとにするにはそれで充分だった。


「巻き込みかけただろう!」


「ちゃんと計算しているわよ!」


 悲鳴が広がる。被害は廊下に留まらず、教室の中も安全ではないと、生徒たちが知ったからだ。ああ、いい。この辺だ。校舎を破損し、生徒を怯えさせた。この辺りが潮時だろう。


 二人は舞台を移す。プリムラが魔法でサルビアを追い立て、更に広く、被害の出にくい校庭へ。あとは周囲を巻き込まないように手加減しつつ、教師に止められるのを待つだけ。


「き、貴様……!」


 だったはずなのに、頰を掠った石片にサルビアは悟る。プリムラは本気だった。巻き込む心配がなくなった途端に、彼女は牙を剥いていた。


「な、に?」


 白髪の少女は歯を見せ、嗜虐的に笑う。武芸祭の時と()()()()の精度と威力を何の躊躇もなくサルビアにぶつけてきている。間違いない。彼女はあれから、修練を積んでいたのだ。頑張る凡人を嘲笑い、まともな努力をしたことがなかった天才が、本気で。


 肌を刺す強者の威圧。新たなる好敵手の誕生。耳を突く高らかな踵の音。平時であれば、サルビアは大喜びしたことだろう。だが、今は非常事態、それもプリムラの想像などより遥かに最悪な。どうせ戦うなら本気でと考えている彼女には悪いが、サルビアは集中しきれなかった。


「…………」


「そこの二人」


 ノってこないサルビアに、事情の深さを察したのか。プリムラの顔が一瞬だけ陰る。ちょうど、その時だった。


「退学になりたいのなら、続けたまえ」


 駆けつけたパエデリアが止めに入ったのは。実力行使で止められないと知っている彼は、権力を用いて二人を止めてみせた。


「……」


「……ちっ」


 名門校を退学になったなど醜聞もいいところ。貴族だから好き放題できるのではなく、貴族だからこそ普通の生徒よりも悪評に気を使う。故にこの止め方は効果的であり、自然であり、サルビアにはありがたかった。


「なに?訓練をしていただけなんだけど?」


「校舎を傷つけ、周囲を巻き込みかねないような危険なものは、訓練であろうと許されない」


 だが、不満そうにプリムラは食い下がる。まるで止められたくなかったかのように。これは実に彼女らしい。らしくないのは、むしろパエデリアの方だ。


「詳しい話は私の研究室で聞く。さぁ、ついてきなさい」


 入学式の翌日、プリムラとの私闘を叱る時の彼は怒鳴り散らし、くどくどとしつこかった。しかし、今日の彼は極めて冷静で、頭ごなしに怒鳴りはしなかった。


「はぁ?あなたじゃ話にならないわ。学長を出しないよ」


 空気が張り詰め、凍てついたことをサルビアは感じつつ、同時に上手いとプリムラを賞賛する。食い下がったのは、この言葉の為だ。パエデリアの部屋に向かっていては学長に会えない。会えたとしても、タイムロスは免れない。そしてこのセリフもまた、傲慢な彼女が言ってもおかしくはないものだ。


「そうか。それが望みなら、そうしよう」


「だからあなたじゃ足りないって……え?」


「学長室で話をする。ついてきなさい」


「「……」」


 サルビアとプリムラは困惑した顔を見合わせる。先のセリフを聞いたパエデリアは激怒すると、二人は予想していたからだ。そこを更に煽ることで問題を大きくし、学長へと繋ごうとしていた。だというのにパエデリアは冷静を貫き、すんなりと要求を呑んでしまった。


「……やりすぎたかしら」


「かもしれない」


 前を行くパエデリアに聞こえないよう、小声でやりとりする二人。目的は叶ったものの、怒鳴る時より、今の静けさの方が恐ろしかった。


 それ以来、先頭のパエデリアも二人も無言だった。自然と開く人混みの道を気まずさと共に歩く。授業に戻ったのか。野次馬の生徒の数は次第に減少し、目的地の扉の前に辿り着く頃には、数人が廊下の角から見ている程度だった。


「失礼します。問題を起こした生徒を連れてまいりました」


「ええ。聞いていますとも。どうぞ」


 扉を開けたパエデリアに入室を促され、二人は学長室の中に入る。威厳を示す為だろう。煌びやかというわけではないが、落ち着いた艶のある木製の机や椅子が心地よい規則性を持って並べられている。学長の椅子の背後には、一目で異常とわかる白銀の剣と、かなり見劣りするがそれでも相当な品とわかる盾が飾られていた。


「では、私は授業がありますので」


「ご苦労様です」


「失礼しました」


 サルビアは剣に目を奪われ、プリムラは実家よりも豪華で品のある部屋に内心で舌を打つ。その間にパエデリアは己の役割を果たしたと、一礼の後に部屋を出て行った。廊下で聞き耳を立てていた生徒の慌てた音で、二人は現実に引き戻される。


「立ち話もなんです。かけなさい。お茶はいかがかな?」


「い、いえ。気遣いなく」


「私は貰うわ。喉が渇いてるの」


「……申し訳ありませんが、やはり、私もいただいてよろしいでしょうか?」


「あなたの敬語って気持ち悪いわね」


 柔らかくも確かな反発のある感触に腰掛け、学長からの問いに最終的には頷く二人。渇いてたのについ断ってしまうほど、サルビアは緊張していた。


「……うるさい」


 見抜かれていたのか。精神を安定させる効能を持つ茶葉だった。少年はすぅっと鼻や喉奥に染み入る味の残滓を感じつつ、多少落ち着いた心で小さく反論する。


「さて、お二人は問題を起こしてしまった。理由を聞く前にまず、騎士の在り方から話をしましょう」


『こうした方が良いですか?』


 対面に座った学長は微笑み、口を動かしながら虚空庫に手を入れ、白い紙と共にある物を机の上に取り出した。砂だ。純黒の、白い紙によく映える砂。それらは学長の魔力によって文字の形となり、口頭とは違う会話を生徒らに示す。


「は……」


『はい』


 思わず口で答えそうになったサルビアをプリムラが制し、学長を真似て黒い砂で文字を作る。うっかりの理由は、学長の適切な対応が予想外だったからだ。まだ何も言っていないのに彼は、監視及び盗聴の対策を用意してくれた。


『サルビア君はザクロ君と出会ってから、プリムラ君は武芸祭以降丸くなりましたから。喧嘩をするにしても、もう少し場所を選ぶでしょう?』


 騎士の在り方を口で語りながらの、彼の砂の言葉は実に正しかった。人を巻き込みかねない場所で戦えば止められるのは目に見えているし、何より観客に恐怖を与えるのは本意ではない。二人ともそう考えられるくらいには成長していたのだ。


『自然にここまで来たつもりだったのですが、迂闊でした』


『いえ。あなた方を昔からよく見ている者でなければ疑うことはありますまい。我が校の一部の教師のように』


『……』


 二人より汚い文字と、己の中の教師に対する今までの認識にサルビアは恥を抱く。上手く欺いたつもりになっていた。だが、それは愚かだった。ともすれば彼らは、自分たち以上に自分たちのことを見ていてくれたのだ。だからパエデリアはあの場で怒らず、事情があることを察し、プリムラの要求を呑み、学長室まで連れてきてくれた。自然な流れで学長室に行きたいと、彼は読み取ってくれていた。


『付け加えると、最近学園が騒がしい。何人かの生徒がここ数日挙動不審であるという報告が上がっていましてな』


 サルビアとプリムラだけではなかった。教師は他の個人に対しても目を向け、異常を察知していた。もしも彼らが生徒に無関心であれば、こう上手くことは運ばなかっただろう。


『それに関することで、あっていますかな?』


『おそらくは。しかし本題に入る前に』


『なによ。私が邪魔ってわけ?ここまで来たんだから、私も巻き込みなさいよ』


 サルビアの目配せ。その対象となったプリムラは怒りを露わに、震えた文字を形作る。だが、サルビアも引けなかった。


『ダメだ。理由がある』


『納得したなら引き下がるわ。さぁ、言いなさい』


『悪いが言えない』


『言われない理由で納得できるわけないでしょう!』


『言えないものは仕方ないだろう!』

 

 ロウニがプリムラに伝えなかったのは、彼女を巻き込まない為だろう。そうであるなら、サルビアから伝えることはできなかった。どれだけ詰められようと答えることはせず、感情の昂りに合わせて、とめ、はね、はらいを鋭くしていく。


『サルビア君はどうやら、君を巻き込みたくないようですなぁ。しかし、言えないの一点張りでは納得できないのも事実です』


 高速で交わされる二人の黒い会話を前に、ヤグルマギクは一旦黙ってお茶で喉を潤す。飲み終わるまでがタイムリミットだったのだろう。カップを皿の上に置いた老人は口を開いて偽りのお叱りを再開し、二人の間に文字の壁を作って仲裁に入る。


『危険だから、カランコエ家内部の問題だから、あるいは誰かに口止めされているからなど、それくらいの理由は言ってもよろしいのではな』


『もしかしてロウニ?』


『違う』


『違わないわね。文字がブレたもの。彼女に関することなのね?』


 それが思わぬ結果を招いた。「言えないの一点張り」という共通点でプリムラが友人の顔を思い浮かべ、流布された噂と繋ぎ合わせてしまった。サルビアは咄嗟に否定するが、元より嘘が下手な性分。本題による動揺も合わさり、隠し通せるわけもなかった。


『すいません。仲裁に入ろうとしたのですが、肩入れをしてしまったようです』


『いや、故意でないのはわかっています』


 自らの言葉が引き金となったことに気づいたヤグルマギクが頭を下げる。まさか現状を表した一言で他の誰かに結び付くなど誰にだって予測できるものではなく、サルビアは不慮の事故と理解していると返す。


『言っとくけど、私もう絶対に引かないわよ』


『彼女はおまえの安全に気を使って伝えなかったんだ』


『ふーん。じゃ、サルビア様は素直にお引きになるんだ。友人が何か危険なことに巻き込まれているかもしれないけど、当人に関わらないでって言われたから仕方ないって?』


 背もたれに深く身体を預け、足を組んでここから動かない意思を示すプリムラ。サルビアがロウニの気遣いを伝えても、彼女は彼女なりに筋の通った理をもって反論する。


『ふざけないで。何と言われようが、友人が危ない目に遭いそうなら助けるわよ』


 気遣いはわかる。でも、だからといってそれは止まる理由にはならない。サルビアが仮にプリムラの立場であったのなら、きっと同じことをしただろう。その確信があった。


『……わかった。ロウニには悪いが……』


『私が無理やり聞き出したの。その責任を奪わないでちょうだい。というより早く話して』


『急かすな……まずはこれを見てください』


 裏切る覚悟と怒られる覚悟を決めたサルビアは、まずロウニからの手紙を机の上に置く。覗き込んだプリムラの顔が理解と同時に歪み、不快感を露わにする。ヤグルマギクは眉を一瞬動かしただけだったが、それだけで彼の怒りは読み取れた。


『…………』


『……このような手法を用いる組織があることは知っていました。しかし、彼らの活動領域はもっと南のはずです』


 大切な人を人質に取って一般人に暗殺を強制し、口と行動を縛り付ける。暗殺が失敗しても成功しても、人質が殺されることを恐れて彼らの多くは真実を伝えず、ただ「自分がやりました。行方不明の家族は私が殺して虚空庫に捨てました」と、組織の指示通りに繰り返す。


『ご存知なのですか?』


『いえ、あくまで同様の事件があったことだけです。罪悪感から暗殺を行えず、誘拐された夫と娘の救出を求めて騎士団に駆け込んできた、大貴族の使用人がいました』


 動機のあやふやな実行犯に、似たような証言、必ず近くに行方不明者が存在するという共通点から、可能性は示唆されていた。それが確信に変わったのは、どちらも選べなかった者が現れた時。


『その時の見せしめは五体満足だった?』


『鋭いですな。その通りです。騎士団に駆け込んだ数日後、夫が五体満足で街の外壁に磔にされていたそうです』


『娘さんは?』


『未だ行方不明です』


『どういう意味ですか?』


 プリムラの質問に頷く学長。二人の会話についていけなかったサルビアが説明を乞う。騎士団に伝えた時点で見せしめがあるのはわかるが、なぜその死体の状態が重要なのか。


『わからない?五体満足だったら虚空庫に入らない。彼らは本当に誘拐してるのよ』


『いや、それはわかる。そもそも手紙には誘拐と……』


『あなたって本当に鈍くて純粋なのね。手紙に誘拐って書いてあっても、生きているとは限らないの。暗殺なんかする奴らが、律儀に約束を守るとでも?』


 言われてようやく、サルビアも気づいた。そうだ。人質を返して欲しければ殺せという指示があったとしても、人質が生きているかはわからない。しかし、大切な人を人質にとられれば、生きていると信じたくなる。わからない以上、自分の行動次第で家族を助けられるかもしれない以上、暗殺を行う他にない。


『そんな……じゃあ彼らは、既に殺されている家族を生きていると信じて、自分は誰かを殺して、その罪を背負ったのか?』


『……そう考えるのが、普通ね』


 もしかしたら、既に人質は殺され、バラバラにされ、虚空庫に投げ捨てられているかもしれないのに。それを確かめる術はなく、淡い希望で人を殺した人間がどれほどいたことか。なんともまぁ、醜悪を極めた暗殺の手法である。


『でも、普通じゃないかもしれないのよ。虚空庫に入れないってことは、彼らは本当に誘拐してるの』


『つまり、人質はまだ生きているのか?』


『可能性はあるわね。助けられるかもしれないのよ』


 奇妙だった。理由はわからないが、彼らは人質を生かしている。暗殺が成功した後の話は聞いたことがないが、少なくとも数日の間は。


『はっきり言って非効率ですが、私たちにとっては有利に働きます』


『それも一人や二人じゃないなら、必ずどこかに足跡が残っているはず』


 挙動不審な生徒の数は多い。それだけ誘拐を行なっているのならば、その犯行を見聞きした者がいてもおかしくはない。また、人質を監禁する為の場所も限られてくる。


『巨大な建造物、もしくは地下室があり、人の出入りが激しい。これだけ揃っていればすぐに見つかるでしょうな』


 一般人にも魔法が使えるこの世界において、一人を拘束する手間は日本の比ではない。協力されないように個室に分け、一人に対し多人数で監視を行い、更に交代の人員が必要ともなれば。


『ですから、この先は私たち大人に任せてもらいましょうか。プリムラ君とサルビア君には自分と家族、ザクロ君や友人の周囲の警戒を不自然なくお願いしたい』


『なんでよ』


 そこまで絞れればもう十分だと、ヤグルマギクは二人に役割を与えつつ、この件の根底から遠ざけようとする。それがプリムラには不満で、彼女は文字を荒げた。


『不慣れな私たちに場所の特定を任せられない、監視もついてるからいつも通りを装えって理屈はわかるわ。でも、救出作戦なら』


『不慣れでしょう?人命に直結する作戦です。本職に任せます』


『私たちよりずっと弱い本職じゃない。私たちが戦って、その間に騎士が救出。それじゃダメなの?』


 確かに人質の救出は専門の訓練を積んだ者に任せるべきだ。しかし、仮に戦闘となった場合、より多くをより早く、音もなく仕留められるのは騎士ではなくプリムラである。常に指示を絶対遵守する戦闘要員として連れていくのは、合理的な判断のはずなのだ。


「認めません。あなたたちは学生です。危険に晒すわけには』


『既に高難度な依頼で何度も晒されてるわよ!こいつだって動龍骨とかいう化け物とやり合ったんでしょ?』


『そういった類の危険ではないのですよ。心と知恵がある人間は、魔物よりも恐ろしい。最低でも、四年生になってからです』


 経験の少ない学生だから。それだけで合理的な判断は却下される。守られるべきであり、また、人間の汚さと知恵を知らないからと。正論だ。まさしく正論だ。正しさのみで天秤が決まるのならば、これ以上ない。


『友達の両親の命がかかっているかもしれないのに、黙って指咥えて待ってろって言うの!』


 正論に対する彼女の、決して正しくはない感情論の文字は荒れ狂っていた。灰色の瞳は揺れ、叫ばないように淡い桜色の唇は固く結ばれ、身体は怒りと無力感で震えていた。


『……プリムラ。誘拐されているのは』


『ほんっっっっとに純粋ね!ロウニの友人って書いてあるわ!でも、それ本当なの?本当だとしても、なんでロウニは複数人誘拐されてるって知っているの?』


『……』


 そんな彼女が描く文字を見て初めて、サルビアは気づかされ、彼の文字は途中で崩れ落ちた。確かにそうだ。この手紙が全て真実と断ずることはできない。ロウニの性格上あり得ない話だが、全てがタチの悪すぎるいたずらという可能性だってある。そして、彼女の性格上ありえるならば、


『変に気負わないように気を遣ったんじゃないの?わからない、けど!本当にロウニの友人の家族が誘拐されたのかもしれないけど!それでも!』


 わからない。ただの深読みかもしれない。でも、そうであったとしても、友人の友人の家族が誘拐されていることに違いはない。もしも人質を助けられなかったその時は、


『ロウニが悲しい顔してたら、こっちまで悲しくなるの。わかる?後悔するの。あの時無理やりにでも行っていたら、助けられたかもしれないのにって!』


 学生だろうが危険だろうがなんだろうが、自分が行った方が必ず作戦の成功率は上がると、彼女は文字で叫ぶ。


『行って助けられなかった時は?貴女が死んだ時、ロウニ君は更に悲しむのでは?』


『行って助けられなかった時?そりゃ後悔するわよ!でも、行かなかった時より絶対にマシ!死んだ時?死んでから考えなさいよ!』


 冷静な学長を相手に、元から汚かった言葉遣いを更に汚くして反論する。まるで駄々をこねる子供のように。


『では、貴女が行くことで作戦が失敗した時、その責任はどう取るつもりですか?』


『そんなこと考えてやめるなら、誰も救出しに行けないじゃないの!そういうの全部覚悟の上で、失敗しないよう最善を尽くしに行くんじゃないの?違う!?』


 しかしこの論理と覚悟だけは、大人よりも勝っていたのかもしれない。彼女の言う通りだ。失敗したらどうしようと考えてやめるのが常ならば、誰も挑戦者にはなれない。誰も救えない。


『……』


 絶対に折れないプリムラとその覚悟には、学長も参ったようだった。何度か文字を紡ごうとしては崩しを繰り返し、最後には大きくため息を吐いて天を仰ぎ、


『わかりました。同行を認めます。ただし、命令には必ず従うこと。戦闘も極力避け、必要なだけ戦わせます。よろしいですね?』


『ええ。もちろん。役割は果たすわ』


 ついに、彼は折れた。元より学生だから許可を出さなかっただけで、広範囲殲滅及び救出の能力だけを見るならいの一番に連れて行きたい人材である。そんな彼女が覚悟を決め、命令にも絶対に従うというのであれば役に立つ。連れて行かない方が単騎突撃などの厄介な事態を招きかねないのであれば、近くに置いて首輪をつけた方が安心だった。


『で、あなたはどうするの?』


『……俺も行きたい。でも、ザクロ先輩の周りにも警護は必要だと思う』


『そうね。あなたはそうして。できれば、ロウニも』


『最善を尽くそう』


 一方サルビアは剣士だ。広範囲殲滅に不向きであり、人質の救出だって満足に行えるかわからない。行って足を引っ張るくらいならば、剣の届く範囲を守る方が良い。


『サルビア君。重荷かもしれませんが、あなたに頼みたいことがあります』


『何でしょうか?』


『人質のことは伏せつつ、命を狙われているとだけザクロ君に伝えていただけませんか?』


『……了解しました』


 落ち着いた判断を下したサルビアに、任せても良いだろうとヤグルマギクは伝令を頼む。できる限りサルビアかプリムラがザクロの側にいて警戒するとはいっても、一日中ずっと張り付いているわけではない。やはりザクロ本人の警戒が必要なのだ。特に、毒や睡眠中の奇襲に関しては。


『それと最後に、カランコエ家の力は使わないようにお願いします』


『なぜですか?』


『……暗殺組織がカランコエ傘下のものかもしれないからです』


『何ですって!?』


 続いて告げられた老人のお願いと推測に、プリムラが声をあげそうになった。しかし、冷静に考えればその可能性は高いのだ。


『広い土地や防音の地下室を用意し、豊富な人員を抱えられるだけの資金がある。更に、今まで事件が一度も解決に迫ったことがない。何か強力な裏がいると想定すべきです。そして奴は今までに幾度も、暗殺者の力を借りています』


『そうね……剣術大会の参加者で動機もある。真っ黒じゃないの!』


『いえ。それがそうとも言えないのですよ。そうですよね?サルビア君』


『ええ』


 この国で暗殺組織も騎士団も動かせる存在は極めて少ない。その筆頭であるハイドランジアに疑いの目が向けられるのは当然のことではある。だが、プリムラの述べた動機は一見筋が通っているように思えるものの、彼をよく知る二人からすればおかしなものだった。


『祖父は剣には誠実です。ザクロが剣で挑むと宣言した以上、剣で斬り殺そうとするはずです。だから俺、私は今回の件、祖父に関係のない組織だと思っていたのですが……』


『奴はそういう男ですからなぁ。私もです。奴が暗殺組織を動かしたとは思えないのです』


 剣士の誇り。たったそれだけで、白銀の剣に目を向ける二人はハイドランジアをほとんど疑っていなかった。例え繋がりがある組織だったとしても、今回だけは関わっていないと信じていた。


『じゃあ一体誰が依頼したの?』


『わからん。ただ、武芸祭以降様子がおかしいから、祖父でないとも言い切れん』


『私はハイドランジアの失墜を恐れた他の貴族からの依頼、あるいは暗殺組織の暴走を有力視していますが……確かめてみないことには何とも』


 だが、物事に確実はない。最近の異変を思えば万が一もありえると、二人は断言を避ける。


『どちらにせよ、カランコエ家傘下の組織である以上、カランコエの力を使えば伝わる可能性があります』


『わかりました。肝に命じておきます』


 ただ警戒が必要なことに変わりはなく、ヤグルマギクの言葉にサルビアは首を縦に振る。ベロニカに秘密裏に精鋭を動かせるか尋ねようとしていたが、それも却下だ。


『では、今日はここまでにしておきましょう。潜伏場所がわかり次第、お二人には何らかの形でお伝えします』


 こうして、黒き砂による秘密の会話は終わりを迎える。しかし、この事件はまだ始まったばかりだった。


 サルビアたちは人の本当の悪意を、現実を知ることとなる。それも、僅か二日後の夜に。



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