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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
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第49話 得た者と失った者




「いやぁしかし。参ったねぇ」


 表彰式には意地で出た。自力で歩かなければ良いと、木の魔法を纏って台に登った。


「……はい。無茶し過ぎです」


 しかし、それは強引な手段によるものであって、本来彼はベッドから立ち上がってはいけないような状態だった。両肩の激痛は未だ主張し続け、脳内を直接かき回されたような気持ちの悪さと頭痛があり、身体は言うことを聞かない。魔法無くしては動けないプラタナスの姿が、保健室の寝台の上にあった。


「君もだろう?」


「先生よりは無茶していません」


 とはいえ、保健室の寝台にあるのは彼の弟子も同じこと。彼女も無理に無理を重ね、深い傷を負った。今まではプラタナスの戦いを見て、支える為に精神で痛みをねじ伏せ、魔法で歩いていたに過ぎない。


「これからも、そうであって欲しいねぇ」


「……う、嬉しいですけど、期待に応えられるかは分からない、です」


 無茶を叱る態度から一転、気遣われたことで少女の顔は軟化する。なんとか精神は譲らなかったものの、喜びを隠し切ることはできなかった。


 しかし、それでいい。彼女を見ているのは彼一人だけだ。月と花火が窓の外から照らすこの部屋には、二人だけなのだから。


 しばしの間、花火の音だけだった。二人は無言で、目を合わせては逸らして外を見て、また視線を戻して相手を見ていた。


「……いくつか、後悔がある」


「はい」


 言語の静寂を破ったのは、プラタナスだった。空に弾けた光を見ながら、隣の寝台の少女に後悔を語り始めたのだ。頷いたルピナスは目を閉じて、耳と心に意識を割く。


「もっとも大きな目的は果たせた。しかし、優勝はできなかった」


 一つ目。まず最初に、彼は自分の事を。確かにこの一年間抱いてきた想いは晴らしたが、その先は得られなかったと。


「だがねぇ?不思議と去年ほど、怒りはないのだよ」


 負けたからこそ生まれた執念だった。だが、今年の敗北から執念はほとんど生まれなかった。ゼロとまではいわないが、それでも抑えられるくらいに小さかったのだ。


「……分からなくはないです」


「敵ですら応援したくなるなんて、一種の才能だねぇ」


 彼が魔導師でなかったこと。プリムラを倒すという目的を果たせていたこと。なにより、彼と努力を認めていたということ。些細な他を除けば、大まかにはこの辺り。


「まぁ来年は私が優勝するがね」


「ええ。きっと」


 とはいっても許すつもりは欠片もなく、来年こそはと彼は闘志を滾らせる。三年生からは将来に応じたカリキュラムとなり、基本的に武芸祭に参加することはないのだが、そんなことプラタナスの知ったことではない。なんとか引きずり出してやろうと、彼は来年の話を既に考え始めていた。


「あとは」


「『義枠・三重式』のことなら、私は気にしていませんし、気にしません」


 彼女もまた、先のことを考える。プラタナスの言葉を先取りし、自らの未来を決めて、微笑みながら首を振る。


「本当かい?例え原因となって殺されても?」


 だが、彼は真剣な瞳で問い返す。世界を激動させ、開発者の自らとルピナスが追われるかもしれないと知りながら、プラタナスは『義枠・三重式』を使用した。それでも勝ちたいと、リスクを許容したのだ。


 しかし、許容したからといって後悔を抱かないわけではない。プリムラにはああ啖呵を切ったが、その心中で彼は僅かに悔やんでいた。世界も周りも自分もどうなろうが知ったことではない。でも、と。


 またもだ。またもや、ルピナスと出会う前ならあり得なかった心だった。


「殺してでも他人の物を奪おうとする、不届き者を恨みます」


 その心に、プリムラは再度首を振る。もしもそうなった時、悪いのは新しい魔法を開発した自分たちではない。人の物を奪おうとした者たちが悪いのだと。


「例えその末路を迎えたとしても、私は永遠に先生を恨むことはありません」


 だからこそ、彼女は静かに強く言い放つ。不確定なはずの未来を、確定だと言い切れる。


「……そうかい?そうかねぇ」


 プラタナスは確認して、揺るがぬ彼女に頷いてから深く下を向いた。見られぬように隠したその顔に浮かぶは、安堵と嬉しさの入り混じった、彼にしては非常に珍しい種類の笑顔。


 しかしその笑顔も、すぐに消える。明るい感情は過ぎ去って、代わりに暗い最後の後悔が湧き上がったからだ。


「最後の後悔はお門違いです」


「……何も言っていないのに?」


「はい。態度で丸分かりです」


 だが、それすら先回りされた。何も口にしていないのに、顔を見せてもいないのに分かられたし、ルピナスは理解した。


「私が勝てなかったのは、私の責任です。先生のせいではありません」


 プラタナスが、ルピナスの敗北を悔やんでいることを。正しく言うならば、彼女に自信をあげれなかったことを。その為に、彼は様々な手を尽くしてきたのだから。


「これに関して、先生でも反論は認めません。あれは私の戦いで、私の敗北でした」


 尽くして、努力して、届かなかった。でも、決して指導が悪かったわけではないと、ルピナスは言い張る。


「むしろ逆なんです。私は感謝しています」


 寝台の上で制限される動きの中で、少女は最大限頭を下げる。深く、心の中を表現するかのように。なぜかなんて、それは。


「先生の指導がなければ、きっと戦いにならなかったでしょう」


「だが」


「私は今日、自信を貰いました」


 あげられた顔は、今朝までとは違っていた。おどおどしていて、目を合わせないように伏し目がちだった少女はいない。自分の事を少しだけ信じている少女が、そこにはいた。


「勝てませんでした。負けた直後は悔しくて、辛くて、おかしくなりそうでした」


 全てが終わったと思った。努力を重ねても実らせてくれなかった世界を呪い、血反吐を吐いても追いつけない姉を恨み、


「私は最後の最後で、今まで私を助けてくれた魔法陣を見捨てました。裏切りました。私はきっと、負けるべくして負けたんです」


 これだけ支えられて、頑張ってなお、台無しにした自分を殺したかった。報いることのできなかった無数の魔法陣と人々にどんな顔で会えばと悔やんだ。


「……そんな戦いを、先生は認めてくださいました」


 そこに優しくかけられたのは、彼の声だった。はっと気付かせる一言が、少女の目を覚まさせた。


「私の負けは変わりません。でも、あの負けは私の心の弱さによる負けです。私の心がもう少し強ければ、勝てたんです。そこまで、来れたんです」


 目先の勝利の誘惑に溺れたからこそ負けた。言い換えれば、溺れなければ勝てたところまで成長したということ。全てが嫌になって投げ出す前に、その事に気がつけた。


「これからは、怯えることなく生きられそうかい?」


 彼女がそう言うのならと、プラタナスは受け入れて、尋ねる。


「ええ。世の中の人間、大抵私より弱くなってしまいましたから」


 すると彼女は、今まで自らを見下してきた大勢を逆に見下して笑う。道理だ。罵倒もいじめも、自分の強さに気づいた今となっては怖くない。怯える必要なんて、どこにもない。今となってはもう、実力で蹴散らすことだってできるのだから。


「まだ彼らに認められたいかい?」


「今はどうでもいいです。先生と一部の人が認めてくれるなら」


 興味はないと首を振って、見つめて。彼らに媚びへつらうつもりはない。拍手も歓声も賞賛ももういらない。認めてもらわなくても構わない。たった数人だけでいい。


「自分を好きになれたかい?」


「まだ嫌いです」


 自身を見下ろし、寂しくも逞しい笑顔で答える。自分の事は嫌いなままだ。先も言った通り、あれだけ支えられたのに負けてしまった。そんな自分は、嫌いだ。いや、例え勝てていたとしても、今までに刻まれた自己否定はそう簡単に拭えるものではない。


「でも、前よりは少しだけ」


 しかし、好きになれなかったわけではない。マイナスのままだったとしても、プラスには近づいた。


「なら、もう胸を張れそうかい?」


「俯かないくらいには」


 姉のように堂々と、顎を上げて歩けはしない。が、地面ばかり見て誰とも目を合わせないようにしていた昔からは、今日決別できた。


「それくらいには、自分を信じられるようになりました」


 自信の有無に考える者に絶対に自信は手に入らないと、プリムラは言った。それはあくまで彼女の主観によるものであり、ルピナスには当てはまらない。重ねた努力の上の惜敗と、大切な人からの賞賛。それらは確かな自信となり、彼女の胸に宿った。


 それは不可能ではないが、容易なことでもなかった。特にルピナスのような人間にとっては、とてつもなく難しい。努力だけでは足りなかった。誰かに助けられ、誰かと競い合って認められて、そこに更に特殊な何かが重なってようやくのもの。


「私に自信を与えてくださり、ありがとうございます」


 努力したのはルピナスだ。それは間違いない。しかし、彼女一人では決して辿り着けない道のりであったこともまた、間違いではない。なればこそ、彼女は感謝を述べる。


「……」


「私、今がすごく幸せなんです。負けたのはすごく悔しくて、嫌で、嫌いで、悲しくて、許せなくて、辛いですけど、それでも」


 負けたのに、負けたはずなのにと。何も言えないプラタナスを見つめながら、彼女は言葉を続ける。幸せと不幸がないまぜになった不思議な気持ちをそのままに。


 ああそうだ。堂々と生きられることが、大切な人に認められることがどれだけの幸せであるか。それらが当たり前でなかった彼女にとっては、敗北を上回るほどの。


「おかしい、ですよね。でも、私」


「なにもおかしくはない。君がそう思うなら、それは君の想いだ。どんな矛盾や他人との差異があったとしても、紛れもなく」


 惜敗でも自信と幸福を得られる程度の人間だった、あるいは異常者だったとでもいうかのように、彼女は自らを嘲る。それを聞いたプラタナスは自嘲を否定し、彼女を強く肯定する。


「……私もだ。私も思い描いた理想とは違う今なのに、幸せを感じている」


 彼もまた同じであるから。かつての因縁を打ち破り、華々しい優勝を飾るはずだった。ルピナスを勝利に導き、その先で自信を得てもらうつもりだった。が、プラタナスも人間だ。描いた未来は実現せず、今は敗北し病室の寝台の上に二人、仲良く横になっている。全ての目的を果たせなかった。だと、いうのに。


「ああ。私も幸せだ」


 大いなる幸せと、少しばかりの後悔しかない。目元が潤んでいる理由は、分かりきっている。最大の目的の二つを果たせたからだ。描いた過程を辿らず、思い通りの未来ではなかったが、その果てに望んだものを得られたからだ。


「それは私も、嬉しいです」


 見つめ合いながらも、彼女は涙に触れず。ただ嬉しいと頷き、微笑むだけ。


「あ、あの!」


「どうかしたかね?」


「……乾杯、しませんか?」


 涙が乾くくらいのしばしの余韻の後、恥ずかしそうにルピナスが提案を。まだ一滴も飲んでいないというのに、顔を真っ赤に染め上げて。


「じ、実は祝杯をと思いまして!先に買っておいたんですが、その!」


「ふぅむ。病室で怪我人だ。実に良いねぇ」


 今の自分たちを省みて、その上でプラタナスは笑って承諾する。医者にも看護師にも申し訳ないが、だって良いだろう。


「いただこう。今日はお祭りだ」


 窓の向こうの花火を見るがいい。外の笑い声を聞くがいい。後夜祭だ。皆、羽目を外して騒いでいる。


「悪さをしようか」


「っ……!はい!」


 だったら少しくらい、自分たちも羽目を外して、悪さをしても。


「よ、用意しますね!」


「いや、君は腕の骨が」


「先生だって折れてます!だったら弟子の私が!」


「いやいや。ここは私が『義枠・三重式』を使おう」


 ならば、どちらが準備するか。共に腕の骨が砕けるか折れている。ルピナスは痛みに耐えると主張して、プラタナスは酒を飲む為だけに『義枠・三重式』を起動するとからかった。


 確かにこの魔法陣の目的は、痛覚を無効化するもの。手脚の感覚も無効化されて動かなくなるが、それなら魔法で無理やり動かせばいい話。


「冗談だ。そう睨まないでくれたまえ」


「悪い冗談です」


 しかしまぁ、ルピナスにとっては冗談でもあまり嬉しくはないことである。膨れた彼女に、男は両手を挙げる代わりに首を振った。


「さぁ。君のおすすめは何かな……?おやおやこれは」


 虚空庫に折れた手を入れる際、少女の一瞬だけ走った顔の歪みを彼は見逃さなかった。でも、見ていないふりをして、彼女が取り出した銘柄に目を見開く。


「えへへ。少し奮発しちゃいました。こっちは『菫星』で––」


「うん。それがいい」


 相当な高級酒。少なくとも、学生がおいそれと買えるものではない。しかも、それ一本だけではないのだろう。『菫星』はかなりキツイ苦めの酒だ。


「え?でも、先生の好みは後味のあっさりした」


「今日私は負けてしまってねぇ?私だって、そういう時にはキツイお酒を飲みたくなる」


 プラタナスの好みとは違う。用意周到気遣い屋の彼女のことだ。もう一本同ランク以上を用意しているはず。だが、彼はその気遣いを無視した。


「なにより、今日は一緒の酒を飲みたい。これでは足りないかねぇ?」


 世の大半が聞けば、気障だと思う台詞だろう。しかしこれは彼の本心であり、


「……そ、そういう、ことでしたら!」


 少女は彼に惚れていた。いっそ、盲目的なまでに。ならば心の減点はない。


「で、では」


 少女木魔法の蔓で栓を開け、浮遊させたグラスに注ぐ。一切の濁りなき透明が杯の中に満ち、僅かに揺れている。


「悲願の達成に」


「自信に」


「「乾杯」」


 ルピナスがプラタナスの成したことに、彼は彼女の得たものに杯を捧げ、ぶつけて鳴らす。一瞬見つめ合った後、窓の外で花火が弾けて笑いあって、口付ける。


「……ふぅ。美味しい、です」


 後までもしっかりとした味わいに、少女は熱い息を吐く。その吐息は酒の香に塗れ、口内には未だ上質な苦味が残っている。


「ああ。本当に」


 プラタナスにとってはあまり飲み慣れないものであり、好みの味の傾向ではない。しかし、だからといって不味いわけでもない。たまにはこういうのも良いと、美味しいと彼は目を閉じて、


「苦汁が美酒ではないと、誰が決めたのやら」


 肩をすくめて、少女と再び笑い合った。


 彼らは共に敗北せし者。だが、何も得られなかったわけではない。負けて、悔しくて、苦しくて、辛かった。でもその中に、得たものも意味もあった。少なくとも、心折れるだけのものではなかった。


 ならば祝おう。敗北しても得られたものに、意味に。それを共に分かち合える人に。


「ご、ごめんなさい先生。情緒、不安定で……」


「構わないとも。それくらいで私が君を嫌うものか」


 でも、敗北は敗北で、時に涙は勝手に溢れ出て。笑いながらも涙を流した少女の頭を、彼は木魔法の腕で優しく撫でる。


「好きにしなさい。少なくとも、私の前では」


「ありがとう、ございます……」


 今日は泣き、笑い、祝おう。そしてまたいずれ、今度は勝利の美酒で笑って祝おう。











「なんだ」


 獣が森にいた。銀の髪の獣だ。それは、四本の手脚の内、下の二本で地を蹴っていた。凄まじい勢いで駆けていた。


「なんなのだ」


 上の二本は地に触れない。柄を握っているからだ。ぎらりと輝く美しき直剣を振るう為に。


「一体、あれは」


 外聞も何もなく、ただ思うがままに叫ぶ。全てを気にせず剣を振るい、手当たり次第に木と生き物を刈っていく。


「やつらは、なんなのだ!」


 故に人ではなく獣。いや、獣の方がまだ理性が伺える。今の彼は、獣よりも手がつけられなかった。しかし、なぜこうまで堕ちたかと問われたのならば、


「サルビアとあの若造の剣はっ……!なんだっ!」


 涙と洟を撒き散らし、惨めに泣き叫ぶ姿を見ればやはり、人間であるが故だろう。


「たかだか生きて十数年だというのに……なぜ儂の上を行く!」


 嗚咽に詰まった一拍の後、空に吠える。そうだ。彼は負けた。実際に剣を交えることなどしなくても、見れば分かった。


 サルビアとザクロ。二人の剣技は既に彼を凌ぎ、更にその上にいる。見ていなかった数ヶ月で、驚異の成長を遂げていた。


 最初は良かったのだ。サルビアの素晴らしい集中に満足し、ザクロの剣技に「ほぅ」と感嘆した。


「サルビアめ!孫の癖に祖父の儂を……!」


 また言葉の途中で詰まる。それは言えなかった。最後のプライドが邪魔をした。孫を鍛えたのは何の為だったのかと考えて、言葉を噛み殺したのだ。


「あの小童!あんな剣とも呼べぬような剣で!」


 ならば代わりにと、もう一人を罵倒する。少年が努力にて成し遂げた、剣術と魔法の融合の偉業。サルビアとは違い、純粋な剣士の価値観を持つハイドランジアはそれを受け入れられなかった。


「あんな小狡い方法の癖に!儂を、儂の剣を越えようなど!」


 いや、正しくは別だ。確かに大道芸紛いの魔法剣は認め難い。だが、何よりも許し難いのは、単純な剣の技術で上回られたことだ。きっと魔法剣でなくとも、ザクロはハイドランジアに勝るだろう。


「一体何をどうやった!どんなズルをした!系統外か?悪魔とでも契約したか!?」


 口では卑怯と叫びながら、サルビアに引っ張られた成長であることは重々心も理解している。更に、それ故にあの橙髪の少年は、己の強さをまだ完全に把握していないことも。単純な剣術でハイドランジアを超えていることに、彼は気づいてすらいない。なんと腹立たしいことか。


「ふざけるな!儂の剣は人生を捧げたものだぞ!餓鬼に、それもあんな平民の芸人に!」


 ハイドランジアが人生を費やして辿り着いた境地に、遥か短かき時間で押し入り、駆け抜けて先を行った二人。特に片方は正当とは言い難い剣術で踏み荒らし、老人の心に深い傷を負わせていった。


「ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!」


 一言ごとに剣を振るって、手当たり次第に命を絶つ。小鬼も豚鬼も灰色狼も差異なく紙切れが如く、肉片と変えられていく。そこに大義も騎士としての誇りもありはしない。そもそも生命を斬っているという感覚すらない。ただの八つ当たりでしかない。


 彼の通り道は血と死体、倒れた樹木で満ち溢れていた。この森に住む生き物たちにとって、彼はまさに災厄だったことだろう。その剣技を前に、何者も抵抗も生きることも許されない。


「あああああああああああああああああああ!」


 だが、それもまた油だった。自分はこんなに強いと、この森の中では思える。でも、街に戻ったのなら二人がいる。所詮井の中の蛙でしかないと、思い知らされる。


「もしも、もしも奴らなら!」


 更に想像は膨らむ。この森の生き物がサルビアとザクロだったなら、どうなったか。こんなに斬れるわけがない。逆だ。むしろハイドランジアが斬られている。今斬り捨てた小鬼のように、その辺にごろりと転がっている。


「なぜだ!どうしてだっ!」


 振るって振るう。生涯をかけて練り上げた剣技を。昨日までは誇りであったそれは、今や彼を傷つける刃でしかない。天下であったからこそ、栄華を極めたからこそ、破れた時は重い。


「儂はなぜ……!」


 足取りはゆっくりとしたものに変わり、やがては止まった。苦しい肺から荒い息を吐き、沸騰した脳を冷やすように新しい酸素を取り込む。


「なぜ、負けるのだ」


 シワの刻まれつつも整った顔、銀の髪に豪勢な服をもおびただしい返り血で染め上げ、彼は木々の隙間の月に問う。そこに『剣聖』はいなかった。枯れかけた老木のような男が一人、いるだけであった。


「答えて、くれ……!」


 見上げた天から答えはない。あるわけもない。だが、問わずにはいられなかった。人生全てを、否定されたような気持ちだったから。


 才能なんてなかった。努力など無駄だったと、思い知らされたようだったから。


「だからか」


「何者かっ!」


 しかし、地上の人は答えた。怒りと虚無に苛まれていたハイドランジアが気づいていなかった、一人、いや、二人の人影。背の高い片方が声を発していた。


「何者と言われても……まぁ、旅人だ」


「森が騒いでたのはこのじじぃのせいかよ」


「じ、じじぃだと?」


 少し悩みながら答えた男に、背の小さいもう片方が口悪く続く。女、それもまるで子供のような声だ。どちらもフードを深く被っていて、声を聞くまで判別がつかなかった。付け足すなら、その立場故にまるで縁のなかった「じじぃ」という罵倒に、驚き固まっていたせいもある。


「エキノプス。初対面の人に対してじじぃというのは失礼だ。覚えて、彼に謝ろう」


「知らねぇよカス!どっちにしろ、手当たり次第に生き物殺しまくってるクソ野郎だ!気遣う必要なんてねぇだろ!」


「……連れが申し訳ない。年頃なんだ。後できつく言っておくから、どうか許してほしい」


 動けぬハイドランジアを前に、二人はまるで慣れきっているようなやりとりをかわす。不気味だった。なにせ今のハイドランジアの姿は血で染め上げられている。森の中で虐殺を行ったことも知っているのに、両手の凶器を見ても怯えた様子がない。


「小童。儂のことをじじぃ、更にはクソ野郎と呼んだな?」


 だが、彼にはそんなことどうでもよかった。それくらいむしゃくしゃしていた。そこに出くわした人間が、敬意も払わずいきなり失礼な口をきく。ハイドランジアの人生の中で一度も面と向かって言われたことがなかった、悪い口を。それだけ揃えば、理由には充分だ。


「なんだよ耳が遠かったのか?なんべんだって言ってや」


「待て!」


 背の高い男が止めようとしたのは、小さな連れの暴言か。あるいは、


「よかろう。殺してくれるわ」


「っ!?」


 ハイドランジアの殺意か。手遅れとなった今では、どちらかなど無意味なことだった。


「な、なに……?」


 ああそうとも。止めることは無意味だ。止めなくとも、


「薄々分かってたけど、このじじぃくそ強えな。ちょっと驚いたぜ」


 少女に剣は当たらなかった。ハイドランジアが剣を抜いて振るうまでの間に、木の上に飛び移っていた。


「どういう」


「危うかっただろう。侮るからだ」


「は、はぁ!?全然危なくなんかねぇし!余裕でかわしたし!」


「毛が逆立ってる」


「〜〜〜〜!るっせ!」


 同心円状に亀裂の走った大地と、遅れて舞い散る木の葉、軽業師のように木の枝に立つ少女を眺めても、プラタナスの理解は追いつかない。そしてその間に進む二人の軽いやりとりにもまた、老人は追いつかなかった。


「なぜ、儂の、剣が……?」


「どうする?このじじぃ殺すか?」


「一気に警戒したな……待て。無意味な殺しはしないでいい。それに、分かるだろう?」


 ハイドランジアの強さを知って臨戦態勢をとる少女を、男は止める。言葉通り、無意味な殺しを避けるべきだというのもあるし、老剣士の強さを重く見た静止だった。


「……ちっ!」


「いい子だ。さて。これでどうか手打ちに」


 まだ幼いが、強さを知らぬ弱者ではない。殺し合いになれば無事では済まないと予測し、舌打ちと共に拳を開く少女。それを見た男は両手を広げ、終わりにしようと呼びかけて、


「ああああああああ!」


「し……ふぅ……」


 ハイドランジアの振り回した剣が、彼の腹を通過した。己の身体を横切った刃を見て、男は息を吐き、


「……無意味な殺し合いはしたくないと、こっちは言っている」


「な、なぜだ!?なぜ、斬れていない!」


 静かでありながら力強い声で、本心からの言葉を述べだ。そう、斬られたはずなのに身体に傷はなく、男は依然として地に両脚を付けて立っている。


「そいつまじムカつくよな。分かるぜじじぃ」


「なぜだ!どうしてだ!なぜ!どうして!」


「やっべぇ。頭おかしくなっちまった」


 うんうんと木の上で頷く少女を、ハイドランジアは見ていなかった。見えていなかった。剣を見て、斬れていない男を見て、指をさして喚き散らす。


「こんなに、斬れないものがある!」


「……おいまじでどうすんだよこいつ。強いどうこう以前に面倒くせぇ」


「今の内に行くとしようか」


「なんだなんだ?見捨てんのかおまえ!」


「申し訳ないとは思うが、止めようとしても逆に熱くなりそうだ」


 剣を振り回して一人勝手に暴れ回る老人を前に、少女と男は困ったと立ち尽くす。やがて男は説得を諦め、無視して先に行くことを提案した。


「あああああああ……?あああああああああ!」


「ちっ!そうだな」


 叫び、止まり、頭を抱え、暴れ出す。それを繰り返すハイドランジアを前に、少女は男の言葉を最もだと肯定。下手に止めに入っても、斬りかかられるだけだろう。その前にこの場を去る方が、血は流れない。


「じゃあなじじぃ!で?街はこっちか?」


「ああ。なんでも忌み子が変な武器を売っているらしい」


「んなのどうでもいいんだよ!美味い飯を寄越せ!」


「エキノプスはともかく、俺に売ってくれるかどうか……」


 最後にハイドランジアに声をかけ、二人はその場を去っていた。少女は楽しそうに、男はその無邪気さに手を焼きながら。


「なぜだ……なぜ」


 一人残された剣士は、だらりと力なく俯き、剣を見つめて問う。


「儂には、斬れない」


 それは誰への問いか。答えは何処か。分からない。


 剣に人生を捧げた男の一つの果てが、そこにはあった。





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