第47話 後夜祭
後夜祭。それは武芸祭の最終日を締めくくる、毎年恒例の行事である。雑に表すなら、祭の最後とおつかれさまが合わさって、更に弾けた武芸祭。大きな違いがあるとするなら、祭の範囲が街まで広がるということだろうか。
生徒も教師も、一般人も関係ない。この日を楽しもうと決めた人達が、この日に稼ごうと決めた店に足を運ぶ。そうやって法に触れず、人や物を傷つけない範囲で先に騒いで、飲んで、語らって。一緒にいたい人をいて、あるいは今日その人を見つけようとして、もしくは一人でしんみりと。そういうお祭りだ。
範囲が街まで広がることから、校内の人数は減少する。さすがに屋台立ち並ぶ校庭はまだ人に溢れているが、昼間は展示物や演し物で賑わっていた校舎の中は、恋人の逢瀬に使われるほど静かになるのだ。
その廊下を、一人の生徒が歩いていた。時たまあがる花火の魔法に照らされた髪の色は、銀。そうだ。第四位、サルビア・カランコエである。
世話を焼くベロニカも仲の良いザクロもいない。前者には一人にしてくれと言ってきた。後者はアイリスやマリー、酒場者など様々な友人に囲まれていたから、声をかけなかった。だから、一人だった。
別に恋人達の幸せな時間を覗きに来たわけではない。サルビアにはちゃんとした目的がある。いや、正確にはあったというべきか。
「薄々分かっていたが、今はいないか」
学長室の扉をノックするも、やはり彼も後夜祭を楽しんでいるのか返事はなく。剣を突き付けたことを謝りにきたのだが、相手がいないのならば頭を下げても意味はない。
「早めに謝りたかったのだが」
ザクロとプラタナスの命が危険に晒されると分かっていながら、あの時サルビアは二人の本気が見たいと思った。だから、学長に剣を突き付けた。
「……俺はどうして、自分を制御できない」
二人を助けようとした学長を、止めたのだ。二人に死んでほしくないとサルビアも思っているのに、真逆の行いを。とてもじゃないが、許される行いではない。
剣が絡むといつもこうだった。周りや先のことが見えなくなって、好き勝手に振舞ってしまう。まるで、祖父ハイドランジアのように。今回は死者が出なくて良かったが、いつかはきっと。
「……」
その思考に辿り着いた瞬間、サルビアは爪が肉に食い込む程の力で拳を握る。祖父のようになって誰かを傷つけてしまうことを、彼は心の底から恐れていた。剣以外のことを知らなかった時にはなかった恐れだ。学園に入ってから、日に日に膨らんでいく恐れだ。
そう。サルビアは人間として成長すればするほど、己の内に潜む獣の恐ろしさに気付いていった。
「……ん?ああ。そうか」
その帰り道。人気のない廊下を、恐怖を抑えながら歩く。ふと、見覚えのある場所だと思って、なぜかと思い至って、窓を見る。
「ここだ」
この場所から、ちょうど裏庭の木陰が見えるのだ。後で調べてみたが、この窓以外は死角となっていて木陰を見ることができない。ここからだけ、見ることができる。そしてこの窓に気付かず、誰にも見られていないと思ったルピナスの傀儡魔法を、サルビアはかつて目撃したことがある。
「まぁ、あの一回しかルピナスがいるのは見たことが……ん?」
あの日以来、彼女にはプラタナスという大切な人ができた。サルビアの知る限り、それからルピナスがこの木陰にくることはなかったのだが、
「誰だ。いや、まさか」
今日は人がいた。月明かりと花火の下、隠れた木陰に誰かがいたのだ。『暗視』で視えた髪の色は白。更に付け足すなら、ベリーショートの女性だ。
「……姉妹とは、こういうところまで似るものなのか」
それは、プリムラ・カッシニアヌムその人に他ならない。家に帰るまで耐えきれなかったのか。彼女は木陰で泣いていた。その足元の草むらには、銅のメダルが投げ捨てられていて。
彼女は今日一日で、昨日までの人生全てを合わせたよりも大きい苦痛を味わったのかもしれない。妹に負けかけ、仇敵に負け。更にサルビアに殴られた挙句、仮初めの三位となり、表彰台でメダルを押し付けられた。こんな屈辱、今までの彼女は知らなかったことだろう。
「……」
傷付けた原因の一つである自分が、慰めに行くわけにもいかない。そう思ったサルビアは何も言わず、窓に背を向けた。
先述の通り、静かなのは校舎内。校舎から出て少し歩けば、すぐに人混みの中へと入ることとなる。
原因はいくつかあるが、主なものは二つ。一つ目は、売り上げ一位を目指す屋台達の熱き戦いのせいだ。多くの模擬店は自らも後夜祭を楽しもうと店を閉める。しかし、中にはラストスパートとばかりに後夜祭でも営業中の店舗が存在するのだ。
売り上げ一位を争うということは、それだけ売れているということ。売れているということは、必ずしもではないが美味しい可能性が高いということ。ならばそれを分かっている客も集まり、最後の盛り上がりを見せるのだ。
さて、残る二つ目。それは、校内にいる彼のせいであり、その場所こそサルビアが向かう場所でもあった。
「あ、サルビア様……おつかれさまです」
「で、どうだった?校長には謝れた?」
人混みの中心から僅かに離れ、護衛の騎士に固められたベンチ。そこに腰掛ける二人がサルビアを見つけ、声をかけてきた。
「なぜそれを」
「いや、ベロニカさんにどこ?って聞いたら、校舎の中って言われてね。それ以外に用事ないかなーって」
「正解だ。だが、謝れなかった」
気を遣ってだろうか。謝罪の為にということは伏せていたらしいが、マリーの洞察力の方が一枚上だった。特に隠す理由もなく、両手を挙げて降参を示す。
「ま、そうよね。こんなに騒ぐお祭りですもの」
「学長先生もきっと、このどこかで楽しんでいるのでしょう」
「また今度にする」
楽しんでいる最中に、水を差すような謝罪をしに行くつもりはサルビアにはない。二人の言葉に頷いたサルビアが見るは、マリーの呆れたような、あるいはどことなく嬉しそうな視線の先。
「はははははははは!まじでやりやがった!勝ちやがったな!」
「おかげで一等地に家が建つぜ!ありがとうザクロ!愛してる!結婚しよう!」
「一等地の豪邸どころか、城だってお前との愛の巣ならごめんだよ……なぁガジュマルの冗談、もう六度目でいい加減耳が飽きてるんだけど、えっ?なに?冗談じゃない?おい、求愛の方は冗談だよな?」
「おめでとうございます!ザクロさん!色々と!」
「はっはー!悪いなベロニカさん!お先でな!んなわけあっか!」
模擬店が閉じられたことで出来た空き地を、ある一団が占拠していた。いい歳した大人達が酒気で頰を赤らめて、飲めや歌えや騒げや踊れとまぁ酒場でも中々見れないほどの酷い有様。まさに惨状と言う他にないものであったが、
「みーんな、できあがちゃってるわよ。特に酒場組。おかげでアイリス様が近づけないの」
「べ、別に私はまた後でも……皆様の方が付き合いが長いわけですし……」
「混沌だな。いや、まぁ今日ばかりは仕方がな……待て。あそこにいるのはベロニカか?」
優勝したザクロを祝うものであり、ならば仕方がないと運営側も他の来場者も黙認してくれているようだった。サルビアも微笑ましいものを見る目を向けるが、自分の護衛を見つけた途端に見開いて。
「職務を忘れ、酒に溺れて騒ぎ立てる。騎士失格もいいところです。あれがカランコエ家の筆頭騎士だなんて、とてもじゃないですが信じられません」
「ダチュラさんがいてはしゃいでるの。主人としては愛に嫉妬かしら?」
「いや。祖父はともかく、父が聞いたらどうなるかと思ってな」
ベルオーネの冷たい視線、グラジオラス家の騎士の驚愕の視線、マリーの生暖かい視線、アイリスのどこかワクワクした視線。それらが集まる一点に、サルビアのもう知らないという視線が加わった。
「で、どうする?アレは斬れるもの?」
「……まぁ、斬り開けるな」
マリーはアレが指す陽気を過ぎ去った集団から目線を一瞬だけアイリスに移してから、サルビアに挑戦的な笑みと共に移す。解答は肯定。四位にして剣の頂点を競い合った少年が行けば、彼らは祝福と共に斬り開かれることだろう。
「じゃ、行ってきなさいな。まだ直接は言ってないのでしょう?言わなければ伝わらないこともあるわよ」
「伝わっていると思うが」
「そう?あの子、割と繊細で気遣い屋さんよ?言って保証を付けてあげなさい。貴方もできる気遣い屋さんならね」
しかし、可能であることと実行することは同じ意味ではない。そう渋るサルビアに対し、老練な少女はなればこそと促した。
「むぅ」
「難しいけど五文字でしよ?一息の間に言い終わるわ。そこの関係ない風な顔してるお嬢様もね」
可愛らしいウィンクはともかく、いつかなりたいと思うものを含まれれば、受け入れる他になく。唸り声を了承と受け取ったマリーは励ましの追い撃ちを放ち、更には気を遣い過ぎる少女を巻き込んで被弾させる。
「わ、私は別に……!」
「さぁ!行った行った!私とサルビアが護衛するわ?いいでしょう?ね?」
そしてそのまま、護衛までも可愛らしさと説得力で丸め込んで押し切って、二人の背中を強く押した。ベルオーネだけは素直に頷けないと、自らアイリスの側に付き同行の意を示したが、行くこと自体に変わりはなく。
「おお!サルビアとお嬢様が来たか!ほらてめぇら道開けろ!」
「なんだ。四位おめでとうって言いづれえな。来年頑張れっても、もう頑張りまくってる奴には不要だわな」
共に歩き出した二人と一人を見れば、彼らはすっと道を開けてくれた。正常な判断能力を失いかけるほどの酩酊でありながら、狂気にも近い感情の中にありながらも、素直に声をかけながら。
「すっげぇ勝負だったぜ!もう痺れたってんだい!」
「言ってあげて言ってあげて。貴方達に気を遣って控えめに騒いでるんだから、もどかしいったらありゃしない」
きっとそれだけ、彼らはザクロのことが好きなのだろう。それだけ、サルビアとザクロの勝負を認めてくれたのだろう。
「ああ。今ので決心が付いた」
「……はい」
こういう形の勲章もあるのだと、少年は知って。彼がどれだけのものを積み上げて今に至ったのかを、少女は思って。人並みに走った亀裂の道を、彼らは行く。
「ちょっと待て!今余計なこと言ったの、サザンカか?」
「何が余計なのよバーカ。これじゃ私達も控え目に騒ぐしかないの」
「そうですよぉザクロぉ……もっとはっちゃけて行きましょうよぉ!いつもの私に対する態度の方が、まだ弾けてますよぉ」
「いやもう一回ちょっと待ってくれ。これで控え目に騒いでるのか?てかベロニカさん大丈夫か?あー……よぉ」
亀裂は騒ぎの中心の彼まで続く。ひっくとしゃっくりをする護衛に絡まれ、看板娘に叱られて、二人に気が付いて詰まった挨拶をした彼の元へ。
「なんだ。その」
「おめでとう。ザクロ先輩」
「おめでとうございます。ザクロ様」
何を言おうかザクロが迷っている間に、意を決したサルビアとアイリスが先手を打った。たった五文字とそれを丁寧にした十文字に、相手の名前を添えたもの。だが、たったそれだけの言葉が、二人は中々言えなくて、ザクロにも催促できるものでもなくて。
「気を遣ったどうこうじゃないですわ。私達は心の底から、貴方を祝福しています」
「悔しさは拭えないが、これもまた拭えない感情だ」
だが、言葉にするのは難しくとも、心で思っていることは確かであるものだ。
「この俺に勝ったんだ。もっと誇ってくれ」
「時として気遣いは、周りをも気遣わせると、貴方様達に教えられました。私もその、実行できているとは言い難いのですが……」
物事の中には、最初の一歩を踏み出すのが難しいことが多々ある。しかしその中には、最初の一歩が踏み出せれば後はすらすらと、まるで決壊するかのように進むものがある。
「……まとめる。先輩が勝った。先輩が一番だ」
「だから、優勝おめでとうございます」
ぶっきらぼうと真剣さを兼ね備えたサルビアのまとめを、アイリスが笑って締めくくる。今回またそういうもので、きっと良きものなのだ。
「……ちきしょう」
自らの中で最強の剣士だったサルビアから、気を遣わせてしまったアイリスから祝福された。それが彼にとってどれだけ嬉しいことかなんて、誰にだって想像できるとも。
「俺今日、何回泣くんだよ……超泣き虫じゃねぇか……」
「よかったじゃねえか!いいじゃねえか!」
「この国でお偉い貴族第一位と第二位様の跡取りだ!そんな有難い言葉、泣かない方が不敬で死刑って話だろうが!」
「いや、死刑にはしねぇって、サルビア、前言ってたじゃん……」
ザクロはまた泣き出し、腕で顔を覆う。そして想像できた周りが完成を爆発させ、ザクロとサルビアをもみくちゃにし始める。アイリス様はベルオーネがいることもあり、サザンカやダチュラ達が上品に対応だ。
「いや、するぞ」
「……あれぇ?酔い過ぎましたかねぇ……?」
しかし、サルビアが発したまさかの言葉に、全員の動きも騒ぎも、呼吸もきっと鼓動すら一瞬止まった。
「サルビア様が今、冗談を口にしたように聞こえたんですけろぉ……あ、冗談言えない人ですから、きっと本当に死刑にするつもりなんですよぉ!」
「ベロニカ。俺はもうお前を庇わん。これは冗談じゃない」
「これは」と彼は言った。ならばその前は、そうであるということ。滅多に冗談を言わない、少なくともここにいる者達の多くは一度も見たことがなかったそれに、度肝を抜かれたのだ。
「いやぁー!まじか!まじだ!ならばあれだ!盛り上がってきた!」
「憂いも消えた!あとはもう飲むのみだ!野郎ども!これ以上は抑えらんねえから、全力で騒いでいい場所に行くぞ!」
「待ちなさい!酒場を使うのは構わないけど、物を壊したら倍額支払ってもらうからね!」
「聞いたかみんな!?倍額払ったら壊してもいいんだってよ!しかもガジュマルの奢りだ!たかれ!」
「おまっ、ふざけんな!」
最後の憂いも無くなって、世にも珍しいサルビアの冗談が聞けて、ついにボルテージは最高潮へ。気を遣わない場所で思いっきりという最後の理性と気遣いを振り絞った彼らは、いつもの酒場を二次会の会場と定めた。
「……すまない先輩。みんな。俺は少し、遅れていく。野暮用ができた。当家の護衛が邪魔だったら、その辺に捨てておいてくれ。後で回収する」
「ええ……まぁ、後で来るならいいや!必ず来いよ!」
「愛しい人との待ち合わせがあるってんなら別……あー、やべぇ。怒らせちゃった?」
しかしその前に。あることに気が付いたサルビアは、少し遅れると宣言。みんなの反応を聞き終えるよりも早く、強化を使用して一目散に騒ぎの渦を抜けて消えた。
「わりぃ。俺も少し遅れるわ」
「はぁ!?いや、お前が主役だろぉ!?」
そしてそれに続くように、ザクロも両手を合わせて片目を瞑る。サルビアならばまだしも、主役である彼が遅れるのはと酔っ払い達が不満を述べるが、
「ほら。さすがにアイリス様を善意で暗殺しちまいそうな会場にお連れするわけにはいかねぇだろ?そのお別れに、な」
「え……で、でも私!」
「ほぅ、ほぅほぅ。だったら、しゃねえなぁ!みんなぁ!」
「おう!上手くやれよ!」
「早く来ねえと、店が更地になっちまうからなぁ!」
少年が述べた理由を言葉通りに受け取った少女は抵抗しようとして、裏の意味を取り違えた大人達は口笛と冗談の応援を浴びせ、酒瓶片手に動き出した。どっちに転ぼうが新しい肴が手に入ったとでも、思っているのだろう。
「ふぅ……やっと静かに……」
「ベ、ベルオーネ!私、私も酒場に行きたいですわ!」
「何を仰いますか!?聞きましたでしょう?ザクロ様も仰られたでしょう?酔った勢いで店を潰すような連中です!そんな危ないところに、貴女様をお連れすることはできません!」
「ならなかったか」
「いいですか?こういう祭りで浮かれた時こそ、暗殺者は現れるのです!祭りや式典を狙った暗殺が過去にどれだけあったことか、もう一度お勉強しますか?」
うるさい奴らが去って、普通の祭りの騒がしさ程度に落ち着くと彼は予想していたのだが、どうやら外れてしまったようで。震えながら精一杯の抵抗を見せたアイリスを、ベルオーネが大音量で叱りつける。
「ちょっといいかな。ベルオーネさん。いや、俺もアイリス様はここで帰った方がいいと思うんだけど、ちょっとその説得というか、話をさせてほしいなぁと」
「私からもお願いするわ。確かに貴方の方が正しいけど、それを伝えるのは大きな声だけではないと思うの」
びくりと怯え、怒鳴られたことと許可が出なかったことの二つの理由でアイリスが瞳に涙を溜め始めたその時、ザクロとマリーが二人の間を遮るように割って入った。そしてそのまま、言外に少し二人きりにしてくれとお願いするのだが、
「ほぅ……貴方にしては実に名案ですね。マリーの言葉にも一理あります。では、どうぞ」
「……ベルオーネさん。ベルオーネさん。空気読んでください」
「……なぜだ?」
彼女に言外は通じなかった。これまた珍しくザクロを褒めながら、さぁ説得しろと顎を突き出すベルオーネ。そんな彼女の肩を一人の部下がとんとんと叩くが、効果は今ひとつのようで。
「あー、いや。大丈夫です。そういうのではないんで。結構恥ずいけど」
「でしょうね。じゃ、頑張りなさいな」
「……説得が恥ずかしいのか?」
その態度に仕方がないかと少年は頭を掻き、マリーは溜息を吐いて肩を竦めて数歩身を引いて。未だ空気の読めないベルオーネだが、まぁ当たらずとも遠からずだ。少なくとも、部下達が思っているようなことではない。
「アイリス様。悪い。気を遣わせちまった。だから、そのことを謝らせてくれ」
「い、いえ。私は先ほども申しました通り、心からの祝福を……」
「あー、そうじゃなくて、そこじゃない。決勝戦についてだ」
護衛に囲まれ、全てを聞かれる円の中。照れ臭そうにしながら、ザクロは謝り始める。そう、ついさっきの話ではなく、決勝戦の時のことでだ。
「……謝罪は二つある。一つ目は、俺のわがままのせいで怖い思いをさせたこと。二つ目は、これからもきっと、俺はああいうことをするってこと」
申し訳なさ故か。「こと」を重ねて用いてばつが悪そうに、彼は謝罪と共に宣言する。あの時の選択は彼にとって後悔の少ないものであり、今後も取り続けるだろうと。
「聞かせて、ください。ザクロ様はあの時、本当に覚悟をしていたのですか?」
少女はその謝罪と宣言を、受け入れるかはまだ決めない。更に深くを知るまで、彼女は判断できなかった。だから、聞いた。
「ああ。相手に命の危機を強いたんだ。だったら、俺にも強いなきゃ公平じゃない」
「……っ!」
ならばザクロも、真摯な淑女に対して真面目に答えよう。あの時は怯えていた。今もまた死に恐れを抱きながら、彼は真っ直ぐに橙の瞳を向ける。
「……その杯と金貨と表彰台と栄光に、それだけの価値があったのですか?」
震えた蒼の瞳が、逸らさずに射抜き返す。そうだ。ザクロが得たものは彼女が述べたものだけだ。世界平和や大多数の命には程遠く、少なくとも命と命の天秤ではない。
「あったよ。俺の、一番になりたいっていうあのわがままには。他の誰にも理解されないかもしれないけど、俺にはあった」
「……そう、ですか」
しかし、彼の瞳も意志も揺らぐことはなく。静かな熱を秘めた声が、言い切った。それを聞いたアイリスは目を伏せて、噛みしめるように呟いた。
「そしてそのわがままの種類はきっと、これからも増えると思う。だから、その、今日と未来を含めてごめんなさいって、俺は言いたい」
少年は更に付け足した。分かっていようが辞めることはできず、今後その機会は増えていくだろうと。それ故の謝罪。
「……分かり、ました。どちらにしろ、無力な私には止めることはできません」
「あー、いや、本当にごめんなさい」
アイリスはそれを、嫌々ながらも受け取った。もちろん、ただではなくちくりとした棘を生やして。
「……今日はもう、帰りますわ。ご迷惑をおかけしました」
「いや、迷惑かけたのは俺の方で……」
そして、唇を噛みながら引き下がった。本当は嫌だったろう。辛かったろう。酒場にも行きたかっただろう。でも、聡い少女は周りに気を遣って己を押さえ込んで。
「でも、今日はです。私が大人になって、強くなって。そうしたら、必ず行きます。貴方の祝勝会に、必ず」
だが、今日の彼女はいつもとは違う。ただ押さえ込むだけではなく、条件を付けた。いつかの約束を取り付けようとした。
「そのわがままもきっと、誰にも止められませんわ」
決意を固めた表情で、アイリスは言い切った。それはきっと、彼女なりの反抗期にして成長期。
「……ああ。そうだな。その時になったら俺は、アイリス様に加勢するよ」
「私も力になるわ。その時になれば、ね」
ああもちろん。その時になれば、ザクロもマリーも認めるとも。例え護衛がいくら反対しようと押し切って、酒を飲み交わしにいくとも。
「では、これで。最後にもう一度、優勝おめでとうございます」
「私からもね。おめでとう。じゃ、楽しんできなさいな」
最後にアイリスは貴族らしく高貴にスカートの裾を持ち上げ、祝福と共に別れを伝え。マリーも主人が帰るのならばと、さようならと手を振って。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
ザクロは二人に対し、ただ感謝を述べた。
「ベルオーネ。マリーさん」
「なんでしょうか。お嬢様。引き返すことは認めませんよ」
「なにかしら?寝る前のお茶くらいなら、付き合うわよ?」
ぞろぞろと護衛を引き連れた帰り道。涙を堪えて、鼻を湿らせた少女が、最も信頼できる二人の名前を呼ぶ。それに対し、前者は厳しい態度を崩さずに。後者は優しく、まるで姉か保護者のように。
「私に剣を教えてください」
「はい?」
「……なるほど。うん。分かったわ。明日からみっちり、しごいてあげる。なにせスタイル……体型も綺麗になるんだからね!」
「ちょ、ちょっと待ってください!お嬢様!その必要が貴方のどこに……!」
「自衛の為も兼ねています!だから、お願いします!」
呼んだ理由は頼みごと。それもまた、彼女の成長期。




