第45話後編 舞台裏
見守っていた。厳重な注意を施した。条件を破れば敗北になると、何度も念を押した。
無理を押して戦うことはあるだろう。それはまだ目を瞑る。だが本当に命に関わると思えば、そこで止めに入ろうと思っていた。もう一つの条件が発動するとは、夢にも思っていなかった。
「まさか」
土柱を挟む戦場で、戦いを中止した二人を見たその瞬間、ヤグルマギクの背筋を何かが駆け上がっていった。それは脳に入り込み、警鐘を鳴らす。長い年月で培われた、勘というものだったのかもしれない。
「……いえ」
しかし、勘とは論理に基づくものではない。あるいは基づいていたとしても、そのことに気付いていないものである。今回も同様。故に、彼は動かなかった。しっかりと根を張った論理を信じていた。
プラタナスの言動だ。彼は代償の重さと影響力を踏まえ、『義枠・三重式』をプリムラに対してのみ使うと言った。あの一戦のみの使用であり、封印、秘匿するとも言った。
言ってしまった以上、例え負けそうになっても、彼は使うことはないだろう。そういう男だ。誠意で約束を守るのではなく、意地と誇りで守る男だ。
そしてそもそも、ザクロは魔導師ではない。宮廷筆頭魔導師の称号を奪われることはない。故にこの試合は、単なる学園最強を決める以外の意味を持たない。
だから、あり得ないと。ヤグルマギクは思っていた。
その考えは間違いではない。実際、プラタナスは負けそうになっても、『義枠・三重式』を用いることはなかった。受け入れ難い敗北を受け入れ、来年にザクロを無理やり武芸祭に連れ込んで、再戦を挑むはずだった。
そのはずだった。だから、対応が遅れた。途中までは、最後に全力の一撃で試合を決める為の談合だと思っていた。いや、それは希望的観測だった。ヤグルマギクは教師失格だ。生徒の変化に気付けていなかった。
「っ……まさか、君から使えと頼むなど」
『義枠・三重式』の名を聞いてようやく、ヤグルマギクは確信に至った。今までのザクロとは、余りにもかけ離れたお願いだったからだ。それまではどうしても、信じられなかった。
後の面倒も自らの不利益も顧みず、誰彼構わず助けてしまうお人好し。小鬼の命を奪うことすら、躊躇っているように見えるという報告すらある甘い男。そんな彼がまさか、対戦相手に命の危険を強いるなんて。
「どういう、ことですか?」
「男は凄まじくバカってこと!学長先生!」
信じられないのは、同じく特別席にいたアイリスもマリーも同じ。ああそうだ。本当に今までのザクロからは考えられないような、お願いだったのだ。
「ええ。今すぐ試合を中止してください」
「っ……!はい!」
初動は遅れたのだから、対応自体は迅速に。ヤグルマギクは即座に、隣に控えていたランタナに中止を宣言するように要請。
「し、しかしその、学長自ら宣言なされた方が」
「私は直接止めに行きます」
虚空庫からぬらりと鉛色に光る短剣を取り出し、シワとタコと傷に埋め尽くされた両掌へ。老いながらも鍛え上げられた肉体に身体強化で力を灯し、彼は直接止めに入る。
剣と魔法が構え直される。その中心へと向かう為、足を動かそうとしたのその刹那。
「これは、どういうことですか?」
「どうもなにも、止めないでほしいというお願い、です。学長」
「それはそれは。えらくものが斬れそうな、物騒なお願いですなぁ」
サルビアが動いていた。僅かに膝を曲げて立ち上がり、右手を左腰のすぐ側に置き。紛うことなき居合の構えであるが、剣は握られていない。しかし、ヤグルマギクは理解していた。身動ぎしたその瞬間、虚空庫から引き抜かれた剣に止められると。
「本当に申し訳ない。俺にはあなたの止め方が、これ以外に思いつかなかった」
緊張も姿勢も緩めぬまま、サルビアは謝罪する。そうだ。彼はヤグルマギクを止めたかった。でも、呼びかけに物理的拘束力はない。だからこうするしかなかった。学長に対して、武力で脅すしか。あとでどのような処罰を受けようとも、止めたかった。
だってサルビアには、全力の相手と戦いたいという気持ちが、痛いほどに理解できるから。
「……ええ。二人とも正解です。言葉で私は止まりませんでした」
そして観客席の下。舞台の側に控えていたルピナスが、服に仕込んだ魔法陣に触れていた。もしもヤグルマギクが飛び出していたら、彼女は攻撃を加えていたことだろう。
「構いません。通してください」
ルピナスは浮遊魔法でふわりと、客席を飛び越えて特別席に着地する。警備の者たちはヤグルマギクの制止によって、剣と魔法を向けたまま彼女を通す。もっとも、警備からの妨害を受けたとしても、彼女はここに来れただろうが。
「ルピナス様……」
学長に対して、それも愛する人の命の危機を救おうとする彼に躊躇いもなく戦闘態勢をとるルピナスに、アイリスはなぜと名前で問う。
「いいのですか?彼の命も危うくなりますが」
「先生がそれを望むのならば」
しかし、包帯に包まれた手を向ける少女は答えることなく、眼を標的へと移して声も同じように震わさず。
「命に勝るものはありません」
「それは学長の価値観です。私達は違います」
命の尊さによる説得を試みても、ルピナスはそれよ
も大事なものがあると拒絶する。
「私には命を守る義務と責任があります」
「私達には、それに対抗する権利と自由があります」
学長として、それ以前に騎士として負うものがある。故に押し通ると剣を光らせたヤグルマギクに、彼女は一歩も引かずに立ち向かう。
サルビアの剣とルピナスの魔法に挟まれた学長は、動くことができなかった。無論、負けるつもりは毛頭なかったとしても、生徒の命を奪いかねない事態は避けたかった。特に、ルピナスの危うさを考えれば。
アイリスは事態についていけていない。学長は止まった。ベロニカもベルオーネもランタナも静観したまま。
「……死んでもいいって言うの?」
「いいわけがないです。でも、望むように生きていてほしい。だからです」
残るマリーの驚愕が滲む確認に、ルピナスは首を振りながらも肯定する。矛盾している意思ではあるが、抜け道はある。
プラタナスが『義枠・三重式』を使わない選択をすれば、彼の望まぬ結末を迎えることは確定事項となる。だが、『義枠・三重式』を使ったとしても、必ず死ぬとは限らない。
ルピナスが望むのは、プラタナスが望むように生きること。そして、できるならば彼の生存。その二つを満たす未来があるのなら、彼女はその為に己の全てを使う。その一つが、後の処分も反撃による負傷も厭わぬ武力。
「私の個人的感情を完全に排除した意見を述べます。『義枠・三重式』の使用による負担に先生の身体が耐えられるかどうかですが、短時間ならば可能です。死に至る可能性も、極めて低いと思われます」
「根拠は?」
「現在の先生の状態と、今までの訓練の記録を基にした予測です」
もう一つは、『義枠・三重式』の開発と訓練に携わり、医師と共にプラタナスを診療した魔導師としての彼女の意見。使用時間が増えるにつれて時間ごとの代償も増加する傾向にあるが、それは一定のものであり、予測が可能だと。
「もちろん、不確定要素はいくつかあります。私達が隠れた代償を見落としていた可能性。もしくはある時間を超えた瞬間、一気に代償が跳ね上がる可能性などです。耐久実験は五分まででしたから」
助けとなる為とはいえ、研究者として意見を述べているのだ。当然、彼女は否定的な事実も隠さず、全てを伝える。代償を確かめる実験をした。慣れる為の訓練もした。でも、それで全てが分かったわけではないと。
「その上で、ですかな?」
「はい。不確定要素はいずれも実験中には見られず、今日の長時間の使用における代償の増加の傾きも、一定の数値を保っています」
そしてそれらの可能性を低いものと推測して、ごく短時間の使用であるならばと。研究者としてそう進言する。
「どうか、お願いします」
「学長。どうか」
感情による嘆願と論理的な推測によって、二人の生徒は戦闘態勢のまま、心の中で頭を下げる。
「……」
悩み故の沈黙だった。それら全てを台無しにするバッドエンドも、ありえないわけではないのだ。
だが、かつて純粋に最強を目指した者として、気持ちは分からないでもない。もしも中止しようとすれば、サルビアはともかくルピナスは本気で抵抗を図ったことだろう。それは避けたかった。命の危険も、少ないと思われるのであれば。
「……条件を緩和します。『義枠・三重式』の使用は時間は九十秒まで。それ以上、もしくは命に関わると判断した場合は、中止とします。これは決して覆しません」
ない時間の中で悩める限り悩んだ末、深い溜息と共に吐き出された結論だった。
「ありがとう。学長。そして、この非礼のお詫びを」
「感謝致します。処分はどうぞ、如何様にもお受けします」
それを聞いた二人は武器を下ろし、深く深く、頭を下げる。決断してくれたことについて。また、彼に武器を向けたことについて。
「……あなた達の行いは、形は違えど愛や好意によるものです。今回はあなた達にも理があった。だから、今回はいいのです」
ふぅと。また深い溜息に合わせて短剣を虚空庫にしまい、二人にそれぞれ厳しくも優しい眼を向けて、彼は告げる。
「しかし今後、それらを理由に何をしてもよいと勘違いしないでください。もしも不当に人を傷付けたその時は、私があなた達を捕らえることになります」
善意でも好意でも愛でも、それを理由にして不当に人を傷つけることは許されないと。自らが正しいと信じ込み、それに溺れてはならないと。
「別の処罰は追って伝えます。ですがこれだけは、何があろうと守ってください」
「分かりました」
「……はい」
サルビアは即座に。ルピナスは、少しだけ間をおいて、言葉の処罰に頷いた。
そして、彼らの戦いに至る。




