第43話 無理をしてでも
遅れましたこと、また、少々文字数が少なくなりましたこと、誠に申し訳ありません。次回の更新は5月12日日曜日の23時予定です。
呆気ない幕切れ。サルビアの踏み込み以外、傷つくことすらなかった舞台。剣は光らず、魔法は編まれず。会話が時間の大半を占めた。
サルビアの脚が舞台から降りる階段に触れた辺りから、ざわざわと会場の声は大きくなり始める。呆然としていた観衆が我を取り戻し始め、一体どういうことかと隣や前後と話し始めた声だ。中には、サルビアもプリムラも負けて腑抜けたのではないかという罵倒もあった。
無理もない。共に破れたとはいえ、学園でも最強と謳われた剣士と魔導師の戦い。名勝負の多かった今大会だが、それらは剣士同士、あるいは魔導師同士で起こっており、未だ剣士対魔導師の名勝負はない。
一体どんな戦いが見られるかと、彼らは大いに期待したことだろう。どちらが勝つかと議論する者、賭け事に興じる者もいただろう。
そしてそれらの多くは、期待を裏切られたことだろう。期待通りだったのは、プリムラに賭けた者くらいだろうか。
その事に対し、サルビアも思うところがないわけではなかった。入学時の彼なら知ったことではないと背を向けたかもしれないが、今の彼はそうはできなかった。
でも、今以外の結末を、サルビアは選べなかった。こうなると分かっていなくても、分かっていたとしても。あの状態のプリムラに剣を振るうなど、勝利し、三位となって表彰台に上がる未来など、自分自信が許せなかった。だから、
「……」
階段を降り切ったところで、彼は頭を下げる。無言で四方に一回ずつ、申し訳ないという気持ちを込めて深く。これしか、彼にはできなかった。
その姿に、ざわめきがあるところでは大きくなり、あるところでは小さくなる。
頭を上げた彼は、太陽の下から薄暗い通路の中へと歩いていく。敗北したというのに、堂々と。
「…………」
プリムラは振り返らないその背中を、見えなくなるまで眺めていた。
歩みに迷いはない。しかし、白い魔法の灯りに照らされた彼の顔は、悔しさに歪んでいた。
「四位か」
己の順位を口でなぞり、ふぅと息を吐く。サルビアが目指す最強には程遠い数字だ。しかし先も述べた通り、三位決定戦でサルビアにあれ以外の選択肢は取れなかった。
だから、この順位に納得がいかないのなら、ザクロに勝つしかなかったのだ。
「……悔しい」
まるで子供のように、生の感情をそのまま表情に反映する。彼との戦いは非常に満足できるものだったが、かといってこの結果に満足できると言われれば別の話。
「祖父も……そういえば見ないな」
おそらく、不服なのはサルビアだけではない。自らを最強と信じ、孫にも同じことを求める彼が四位という結果に怒りを抱かないわけがない。いや、それ以前、ザクロに負けた時点で激怒したことだろう。敗北の悔しさとプリムラへの落胆ですっかり忘れていた。
「てっきり、怒鳴り込んでくるかと思っていたが」
しかし、おかしい。サルビアの知る彼ならば、敗北直後の控え室に両手の剣を携えて突入し、斬りかかってきたはずだ。それがない。更に思い返せば、三位決定戦時の観客席に彼の姿はなかった。
「どこに行った?」
余りの怒りに、斬りかかる以上に顔を合わせたくなくなったのだろうか。サルビアには祖父の所在も心境も分からなかった。
だから、聞いてみることにした。通路を歩き、警備員に道を尋ね、向かうは祖父がいたはずの特別席。室外に出れば風が生まれ、空気が変わり、視界が開ける。
「ぼっちゃま。おつかれさまです」
「ああ。来ていたのか」
「ここに来られると思いまして」
いつの間に合流したのだろうか。サルビアの姿を見るなり、ベロニカは恭しく頭を下げて労いの言葉をかける。
「あ、サルビア様……」
「もう大丈夫かしら?」
少し遅れて気づいたアイリスはかけるべき言葉に悩み、マリーは困ったような微笑みを浮かべて心配を。
「良き戦いでした」
「ありがとうございます。そういえば、祖父はどこに?」
ヤグルマギクは皺を笑みの形に集め、健闘を讃えた。サルビアは頭を下げて礼を述べ、祖父の行方を彼とベロニカに訪ねる。
「申し訳ありません。私が来た時にはもう」
「……彼でしたら、貴方とザクロ君の試合が終わったらすぐに出て行きましたよ」
「私が貴方の控え室に行く前の話よ。すごい殺気だったわ」
従者は首を振り、学長は隣の空いた席に視線を移し、少し間を置いてから答える。マリーの補足も併せればやはり、ザクロとの試合の結果が余程我慢ならなかったのだろう。
「あれ以来、会っていないのね」
「ああ。どこかで人を斬っていないといいが」
「ぼっちゃま……冗談に聞こえません。一応、カランコエ騎士団に行方を探らせていますので、何か情報が入りましたらお伝えします」
その矛先は、今はサルビアには向いていない。他の誰かが巻き添えになっていないかと口にすれば、ベロニカは胃の辺りを抑え始める。一応、特別席で剣を抜かなかったことから、分別まで失ったわけでないようだが。
「となると、目先の問題は決勝戦かしら」
「何か問題が……」
「ぼっちゃまぼっちゃま。プラタナス様の容態ですよ」
話は変わり、特別席の面々が心配するのは決勝戦が開催されるか否か。僅かに腹を裂かれたザクロはともかく、プラタナスは三重発動の代償で脳などに深いダメージを負っている。戦えるかどうかは、怪しいところだった。
「私もちょっと会った程度だけれど、あの人が棄権する人じゃないのは知ってるわ」
数回プラタナスとの訓練に参加したマリーですら、プラタナスの性格は大方把握できている。プリムラに勝利するという大願を成就させた彼だが、それ以前。そもそもプリムラに負けたから、あれだけの執着を抱いたのだ。自ら負けを認めるのはあり得ない。
「問題は、そもそも意識があるかどうかなんですよねぇ」
しかし、意識がなければ認めないこともできない。三十分程前に届いた報告ではまだ目が覚めていないとのことだが。
「決勝戦を延期することは?」
「これだけの観客ですから、さすがに日にちを変えることは難しいでしょう。今は小休憩という形を取っていますが……」
学長としても、できる限り粘るつもりではあるらしい。が、それにも限界はある。それまでにプラタナスが目を覚まさない、あるいは彼でも戦えないと判断するような状態にあるのなら、ザクロの不戦勝となる。
「もう少し、長引かせるべきだった」
「いえ、あなたのせいじゃないでしょう?だからといって彼女のせいというわけでも、ないとは思うのだけれど……」
三位決定戦の決着が早すぎたのも影響している。他の試合がいずれも三十分を超えていたのに対し、僅か五分以内。舞台の損傷もほぼなく、修復という名目の時間稼ぎもできない。
「私達にできるのは、待つことだけだわ」
マリーの言う通りだ。サルビア達にできることは何もない。プリムラも立ち去り、誰もいなくなった舞台を眺めることしかできないのだ。
待つ。プラタナスへの心配や、プリムラ戦と敗北の悔しさを抱えたサルビアもいることもあり、あまり会話も弾むことなく、ただ時間だけが過ぎていく。
「失礼します!プラタナス・コルチカム様が目を覚まされました!」
そして、四十五分後。此度の祈りは神に届いた。息を切らして駆け込んできたサルビアの担任、ランタナがもたらしたのは彼の目覚め。だが、吉報か凶報かの区別はまだつかない。
「戦える状態にありますか?」
スッと背筋を伸ばして向き直った学長は、それを確かめるの質問を。
目は覚めた。それは喜ばしいことだ。ならばその次、戦えるかどうか。外傷は極めて少ないが、問題は内側。多重発動は脳に多大な負荷を強いる。つまり、五感への障害や慢性的な頭痛などの後遺症が残る可能性があるのだ。そしてそれは、目を覚まさなけば確認できない。
もしも嗅覚ならばともかく、視覚が閉ざされば。あるいは魔法の発動すらままならない程の頭痛があれば、彼を戦いの場に立たすことはできない。
「本人は大丈夫だと。五感も軽く検査しましたが、一応働いてはいるようです」
視覚や聴覚などは本人の申告だけでなく、検査することで正常だと証明された。だが、それ以外の表には出ない部分、頭痛などはどうしても本人の感覚でないと判断できない。
「代償の度合いも、本人にしか分かりません。ただ、医師は大事をとってやめるべきではと」
それに加え、三重発動時のプラタナスの姿は間違いなく異常だった。故に医師は無理をせず、安静にするようにと進言したのだろう。
「……」
医師の診断はやめるべき。絶対にではなく、あくまで忠告に留めている。学長たるヤグルマギクに最終判断を委ねているのだ。
安全面から考えれば、正しいのは医師だ。万が一が起こり得る可能性を、誰も否定できない。今が代償の表面張力で、あと一滴で溢れてしまうのかもしれない。学長の辞任という形で責任を取ることになったとしても、命は帰ってこない。
ただし、本人の強い希望がある。五感も正常で、プラタナス自身は戦えると言っている。万が一が起こり得る可能性を否定できないのなら、万が一が起こらない可能性も否定できない。
例え六十年以上生きて知恵を蓄えてきたとしても、すぐに答えを出せない問いはいくらでも存在する。今がそれだ。
「その、彼本人は三位決定戦があれで、決勝戦も行わないというのも問題ではないか。自分がどうなろうが学長を始めとした他の誰もが責任を取る必要はないと」
「その二つは関係ありません」
学長がすぐに許可を出せないこと見通していたのだろう。責任を気にする必要はないと、プラタナスは病室から先手を打っていた。とはいえ、ヤグルマギクは盛り上がりや責任云々ではなく、命や身体の話だとぴしゃりと言い放つ。
「も、もしそう答えられたのなら、出場が許可されなかった場合の私の行動の責任も、誰にも取ることはできないと……」
「それだけ戦いたいということですか」
プラタナスはそこまで予測していた。もはや脅迫にまで至った伝令に、学長は額を指で摘まむ。それだけ出場したいという想いの表れでもあったし、何より彼なら本当にやりかねなかった。
「……学長」
「ええ。ええ、そうですね。分かりました」
命と誇り、危険性を天秤にかけ、考えに考えて、銀の瞳に促され。ヤグルマギクは最後に深い息を吐き、決断を下した。
「いくつかの条件付ですが、彼の出場を認めます」
全面的に認めるわけではないが、それでも出場に許可を出すことを。
「決勝戦を行うことを伝えてください。ただし、準備に少々時間をいただくこともです」
少しでも時間を稼ぐ為、急ぎはしない。だがそれでも、決勝戦は行われるという音声が会場中に響き渡った。
「皆様、お待たせしました!」
司会が魔源を入れたのは、およそ三十分後だった。最初の待ち時間と合わせ、約一時間十五分。この間に席を立つ者もいるにはいたが、驚く程に少数であり、皆が決勝戦に期待を寄せていることが伺えた。
「只今より、決勝戦を行います!」
きっと、三位決定戦の分までも。待ちぼうけで疲れているだろうに、それを感じさせないほどの歓声が証拠だった。
「まずは剣士の彼から!かつての天才は新たな技術を努力で得て、初めて決勝の舞台に上がります!お調子者、女ったらし、お人好しに器用富豪。様々な呼び名がありますが、今日はこれを使いましょう!」
待ちに待った決勝だ。観衆だけではなく、司会の舌にも脂がのるというもの。朗々と滑舌良く、自らの興奮を伝播させるように、彼の口は唾を飛ばす。
「努力した天才剣士、未来の剣聖!ザクロ・ガルバドル!」
最後に後に当たることとなる予言を呼び名とし、彼の名を叫べば。通路から一人の少年が姿を見せる。右脇腹を負傷したことが嘘であるかのように、両手を一杯に広げて元気に振って、観衆に応えながら、彼は舞台に上がる。
「ザクロ様……!」
特別席の少女は小さく彼の名を呼び、応援に駆けつけた両親は手を振り、ザクロに賭けた証を握り締める酒場者らは野太い声で「女たらしー!お調子者ー!」と野次を飛ばし。
「さぁ!続いては魔導師!彼もまた天才でありながら努力の人。一年前の敗北を三重発動という大発明で乗り越え……再び決勝戦の舞台へ!呼び名?それはもう決まっています!」
もう一人へと舌が移れば、観衆の視線は彼が出てくるであろう通路に集中した。両肩を折り、血を吐き、血に塗れた戦いを見せ、最後には倒れた魔法使い。彼は本当に戦えるのか、どんな姿で現れるのかと、誰もが注目していた。
「宮廷筆頭魔導師!プラタナス・コルチカム!」
まだ暫定ではあるものの、取り戻したのその名で呼べば、彼らは姿を太陽の下へ。そうだ。彼ではなく彼らだ。彼が腰掛ける木の椅子を、ルピナスが魔法で押しての登場だった。
「熱気凄まじく、実に盛り上がる決勝戦ですが、ここで少しお水を。皆さんご存知の通り、プラタナス選手は先の戦いで大いに消耗しています!」
やはり戦えないのではと、客席から心配の声が上がる。無論、それは予想済み。司会は用意していた原稿を読み上げ始める。
「しかし、戦えないわけではありません!今の介助は少しでも彼の負担を減らし、戦いに集中させる為のものです!」
まずは、彼が戦えないわけではないという説明だ。打ち合わせ通りにプラタナスが一度立ち上がり、大丈夫だということを示す。
「ですがその一方、三重発動が大いに危険な代償を伴うことも事実!ですので申し訳ありませんが、今回の決勝戦において三重発動は禁止および、危険と判断しましたら、いかなる事情があれ即座に中止するという規則を盛り込ませていただきますことを、ご了承くださいませ」
そして次は、学長が取り付けた条件の中身だ。とはいうものの、特におかしなものではなく、さして縛るものでもない。
元より三重発動の陣は、プリムラに対抗する為だけに創られたもの。彼自身もそれ以外には一切使用せず、封印すると宣言している。二項目の危険だと判断すれば即座に中止のルールも、元からあったものを少し厳しくしただけだ。
「ささ!実は去年の準決勝でもあったこの組み合わせ。今年はザクロ選手が雪辱を果たすのか。はたまたプラタナス選手が––」
「来てくれてありがとう。先生」
「当たり前だとも。右脇腹はどうかね」
司会の声が鳴り響く裏、舞台の中央で近付いたザクロとプラタナスが言葉を交わす。まずは無理をしての出場にザクロが礼を述べ、プラタナスが自分の為だと低い位置から見下ろして。
「剣でも刺されない限り、傷は開きませんよ。むしろ、先生こそどうなんですか?」
「はっはっはっ!私は万全……いや、百全くらいだとも!それでも勝つがね」
剣士は教師の質問に脇腹を撫でながら答える。魔導師は少年の冗談に口を開けての大笑いと自信という、二種類の笑顔を見せる。
「覚えていますか先生。去年、俺らが戦ったこと」
「覚えているとも。君が負けたことはねぇ」
「だったら、分かりますよね?」
そうだ。彼らは去年も戦い、ザクロは惜敗した。去年の時点で大きな差はなかったとは思うが、それから
一年。今はどうなっているか、不完全とはいえここで確かめる。
「先生がプリムラに負けたように、俺も先生に負けたんだ」
「……」
ぎゅぅと、ザクロの拳が握られる。彼が勝ちたいと思った相手は、サルビアだけではない。誰に対しても勝ちたいという思いはあるが、この二人にだけは特段大きい。そしてその気持ちは、プリムラに負けたプラタナスにも分かること。
「今日は勝つぞ。先生」
「さっきも言ったが、私が勝つとも。だね?ルピナス」
「はい。どうか、ご武運を。でも、負けても嫌いになんてなりませんから!」
「ならば勝利し、もっと好きにさせてみせよう」
「……!?は、はい!期待してます!」
かといって、譲るつもりなど微塵もなく。ザクロは開いた拳を虚空庫に沈ませ、魔法剣をその手に。プラタナスはルピナスと最後の別れを済ませ、土の椅子を舞台の中央から少し離れた位置に固定し、服と椅子に仕込んだ魔法陣を確かめて。
「なぁ。女ったらしの名前、先生の方が似合うと思うんですけど」
「生憎だが、女をたらしたいわけではない。ルピナスたけでいいからねぇ」
「そういうところだって……」
最後に軽口を叩きあって向かい合って。影に隠れた因縁の対決が今、始まる。
「それでは決勝戦……試合、開始っ!」




