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幻想現実世界の勇者  作者: ペサ
外伝 現実幻想世界の剣士
242/266

第37話 四つ目



 学園中が知る因縁の二人の対決、その決着にして歴史に残るほどレベルの高い勝負だったというのに、歓声も拍手もまばらだった。


 無理もない。技術に圧倒された者がいた。三重発動の陣に言葉も出ない者がいた。その代償の重さに血の気の引いた者がいた。戦いの中の覚悟の問答に、気まずくなった者がいた。敗者の慟哭に同情した者がいた。


「先生っ!」


 故に劇的でありながら静かな終わり。故にその声は、かき消されることはなく響いた。観客席に急造された木魔法の上に横たわる、ルピナス・カッシニアヌムの心配の声だ。姉などではない。プリムラを見ていない。彼女の眼に映るのは、プラタナスだけだ。


「……っ!!」


 それがまた、喉を痛めるほど叫んでいた敗者の心を傷つける。ボロボロになっても戦うほど憎んだ肉親だろう。骨を何本も折られても勝ちたいと思い、挑んだ姉だろう。あれだけ醜い本心をぶつけ合い、敗北した相手だろう。


「あなた達は、どこまで私を……!」


 なのに一瞥(いちべつ)もくれず、姉が敗北したことに何の思いも抱かず。ただプラタナスの無事だけを気にしている。いっそ煽ってくれた方が、多少なりとも怒りの炎が灯ったものを。


 プリムラ膝で地に立ち、滲んだ瞳でルピナスとプラタナスを交互に見て、会場を見渡す。苦しくて辛くて悲しい。そういった感情が未だかつてない大きさで渦を巻いて、彼女の全てを支配していた。


「待ちなさい!貴女は動いてはダメ!私が向かいます!」


「でもっ!」


 重傷でありながら駆けつけようとしたルピナスを、自らが向かうと女医が止める。他の事態であれば、彼女は素直に引いただろう。だが、プラタナスの危機という今に関してのみ、彼女は強い抵抗を見せた。


「別に、近くにいるだけならいいのではないか?」


「プラタナス先生の症状についても、何か知ってるかもしれないしな。あ、これ魔法陣。あとは自分で動かせるだろ?」


 そこで助け舟を出したのは、ルピナスの元に駆けつけたサルビアとザクロの二人だった。無策で来たわけではなく、寝台に手を当てたザクロが陣を発動。木製の脚を創造し、寝たままで移動できるように加工して、操作権をルピナスへ。


「は、はい!私、あの状態についての知識はあります!」


「……分かりました。同行を認めます」


 提案した少年達とメリットはあると売り込む少女に、女医は折れた。舞台の上のプラタナスの元へ、彼女らは移動を開始する。


「おそらく三重発動の代償で、頭部及び胸部に強い負荷がかかっています。ただ、先生は治癒の二重発動で常時傷を癒しながら戦っていたので」


「なら、輸血が最優先ね。念の為並行して頭部と胸部の精密な検査を––」


 治癒魔法で傷は治せても、失った血液までは戻らない。女医は受け取った情報から、最善と思われる処置を選択。既に駆けつけていた別の医師達と合流し、治療を開始する。


「……貴女も大丈夫かい?頭部と腹部に攻撃を受けていたし、出血もあるから」


「…………」


 当然、プラタナスの側ということはプリムラの側ということで。医師の一人が手を差し伸べるが、彼女はそれを無言で振り払い、自力で立ち上がって歩き始める。傷故か、それとも精神か。ふらふらと揺れて脚を引きずって。いつもの堂々と鳴らす足音もなく。


「……」


 誰とも目を合わせないようにだろうか。地面を見ながら隣を通り過ぎていく少女に、ザクロは声をかけなかった。


「いい戦いだった」


「っ……!」


 だが、サルビアは。彼は何の躊躇いもなく声をかけた。例え負けたとしたもの、それでも試合は素晴らしいものだったと。


 分かるとも。誰にだって分かるとも。心からの賛美で、何の他意もないことくらい。慰めでも煽りでもないことくらい、分かりきっているとも。


「あなた、は……!」


 しかし、分かっていたとしても。それはまたプリムラの心に深く突き刺さった。顔を上げて、未だ涙溢れるその眼で、少し高い位置にある銀の瞳を睨みつける。わなわなと震える手は、今にも彼の胸ぐらを掴みそうだった。


「サルビア。サルビア」


 ザクロは後輩の裾を引っ張り、強引に誘導する。決してプリムラには話しかけず、目も向けず。まるで腫れ物扱い。だがそれは、一般的には正しい対応だ。何を言っても、()()彼女を傷つける。慰めも褒め言葉もまともに受け取れる状態ではない。


「……ああ」


 サルビアは眉を寄せたが、抵抗はしなかった。しかし、謝ることも言葉を付け足すこともせず、ザクロに引きずられてこの場を去る。


「…………」


 ぽつんと。取り残されたプリムラは去って行く二人の背中を見つめ続けていた。やがて、観衆の無数の興味や同情といった視線に晒されながら、舞台から姿を消した。










 魔法の灯り照らす石造りの通路の中、サルビアは橙色の髪の後ろについていく。向かう先は選手控え室。原型がないほど舞台は破壊されており、修復にはかなり時間を有する。それ故、彼らの足取りはゆっくりとしたものだった。


「やはり、無神経だったろうか」


 その途中で、サルビアは俯きながら口を開いた。先の自分の言葉をかけなかったほうが良かったのではないかと、自分よりずっと人付き合いの上手い先輩に尋ねる為に。


「そう思ってたのにあんな真っ直ぐ言えたのか?」


 振り向いたザクロの顔は、驚きに満ちていた。あの言葉には何の躊躇いもなかった。なのにかと。


「いや、違う。思ったのは言った後だ。プリムラの反応を見て、ザクロ先輩に止められて、それで」


「なるほどな」


「……多分、悪い癖だ。俺はたまに、思ったことをすぐ言ってしまう。いや、たまにではないかもしれない」


 それに対しサルビアは訂正を入れ、しゅんと身体を小さくする。入学してから、サルビアの精神は大いに成長した。が、彼はまだその途上故に、色々なことに悩んでいる。これもまた、その一つだ。

 

「先輩?」


「いや、本当になんだかなぁ。うん。成長してんなぁと。女子供以外には基本しない主義なんだが。よしよしいるか?」


「いらない」


「即答は流石に傷つくぜ……」


 黙り込んだ先輩に声をかけると、彼は再起動し何度も頷いた。そしていつも彼が女性にされているようにしているように、頭を撫でて褒めようかとサルビアに聞いてきたのだ。答えはご覧の通り、秒の拒絶だったのだが。


「で、気を取り直してだ。まずお前の言葉、確かに無神経っちゃ無神経だが、あれはあれでいいと思う」


「無神経なのにいいのか?」


 がくりと肩を落としたと思えば、パッと元の姿勢に戻って彼は言う。サルビアの知識からでは、とても信じられないようなことをだ。


「いやまぁ、無神経じゃなきゃあれは言えん。で、これは本当に推測でしかないんだが、ああいう性格のやつにはあれくらいの言葉がいる……のかもしれない」


 原則として、無神経は良い意味で使われることはない。しかし、例外はある。普通の人なら気を使い遠ざけるであろう時に、ちゃんと心からの声をかけることができることなどだ。


「推測ばっかりだな先輩」


「しゃあないだろう。人はみんな違うんだから後輩」


 無論、それが良いかは人による。ザクロは実体験とプリムラの性格から今回の件を良いとみなしたが、その推測が外れていることも大いにあり得る。戦闘中プラタナスが言っていた通り、他人の心を完全に把握するなど不可能なのだから。


「そしてあれだ。お前が言ったことに意味がある。俺が言ったとしても、ダメだった」


「……俺が?」


「お前だよお前」


 そしてザクロは、サルビアが言ったからこそ良かったのだと述べる。なぜかは分からない後輩に、先輩は優しく微笑んで、


「人の才能を妬むことなく、心からすごいと思えるお前が、気遣いでもなんでもなくただの感想として述べた」


 その理由を教えてくれた。そうだ。サルビアは人の才能に嫉妬することがない。すごいと思い、時に見習いたいと思うだけだ。そして彼には裏表がない。純粋だ。あれは感想で、健闘を讃える言葉でしかない。気遣いでは決してない。


「俺は超有神経だからな!絶対に気遣いが出ちまう。で、ぶっちゃけお前が言うんじゃないかと期待してた」


 ザクロではダメなのだ。彼は才能を妬んでしまう。彼の言葉には性格上、慰めの意思が含まれてしまう。そしてそれにプリムラは必ず気付き、傷付く。


 とはいっても、サルビアの言葉にも限度はあるし、今すぐ良い効果が出るわけではない。現に言われた瞬間、プリムラの心は荒れた。だが、良い荒れ方だ。後で一人になって自室にこもって、ある程度過ぎた頃からじわじわと効いてくる。


 ただ一人でも認めてくれた人がいるということが、苦境の中でどれほどの支えになることか。敗北直後のザクロが、どれだけそれを求めたことか。


「つってもほどほどに。今回のお薬は少量の処方で充分だ。いや、まぁできるならもう一人か二人くらい、本気で認める奴がいたらいいんだが……」


 あれ以上サルビアがなにかを言ったら、それは蛇足と油になる。ザクロがプリムラに気遣ってサルビアを引っ張っていく役を演じることで、適量に留めさせた。


「ま、さっきも言ったがそれは俺じゃないし、誰もいないと一人の差は、単に一じゃない。そこには絶対的な差がある」


 孤独か否か。あの戦いで分かったが、恐らくプリムラは孤独を嫌いながらも孤独に投げ込んでいる。


 だからこその、違和感なく損な役回り。できないことはできるものに任せて、例え悪役だろうが自分にこなせる役割をできる限り。ザクロはそういう男だった。


「……俺では思いつかないことばかりだ。ザクロ先輩は、本当に色々考えているんだな」


 ザクロには良いと言われたとはいえ、それでも短慮ではあったプリムラへの言葉を思い出し。ザクロの熟慮と比べて、改めて尊敬の念を抱くサルビア。


「いやぁ。割と俺、感情任せで周り見えなくなる時あるし。別にいつもこんなに考えているわけじゃないし、考え過ぎることがいいってわけでもないだろ」


 だが気遣いのできる人でも、常に気遣いができるわけでもなく。そしてまた、気遣いや熟慮が必ず良い結果を招くわけでもない。今回の件にもサルビアの短慮が必要だった。


「ま、そういうわけだ。今日の件はそんなに気にすんな」


「……分かった。先輩、ありがとう」


「いいってことよ!」


 そんなに落ち込むなと、ザクロはぽんとサルビアの肩を叩く。お礼を言えば、彼はにっこりと笑って親指を立てて。


「気遣いといえば、ザクロ先輩」


「なんだ?」


「もしも俺が勝ったとしても、アイリス様は絶対に守る」


 そういえばと思い出したように、表情を一転。好戦的にして不敵な笑みを浮かべ、ザクロに宣言する。これもまた、短慮な気遣いにして本心。


「なんだサルビア。やる前からもう勝った気か?」


「そういうわけじゃない。でも、負けるつもりは微塵もないだけだ」


「……そうか」


 強さは認めている。尊敬している。だが、それでも負けるつもりはなく。そして仮にどんな結果になったとしても、アイリスは守ると。故に、変に気負わないで、全力で斬り合ってほしいという意味を込めて。


「悪いが、今回に限っちゃ俺も同じだ。負ける気は一切ない」


 だが、それはザクロも同じこと。サルビアと同様に表情を鋭いものに変える。今までの彼とは違う。今までのサルビアに対して劣等感を抱いていた時の顔でもなく、虚勢を張っているわけでもない。彼は今、心から己の勝利を信じている。


「それにサルビア。慣れない気遣いなんてしないでいいぜ。今のこそいらない気遣いの良い典型だ」


「それは、先輩が必ず勝つつもりだからか?」


「いいや違う。それ以前だ」


 ザクロが必ず勝つのだから、アイリスの心配はないという意味か。サルビアはそう捉えたのだが、そうではない。


「アイリス様の問題とは関係なく、俺はお前に勝ちたい」


 アイリスを救う為にサルビアに挑むのではなく、サルビアに勝ちたいからこそ挑むのだと。そこは最初から何も変わっていないと。


「しないとは思うが一応確認だ。アイリス様の為だなんだで、俺に手加減はするなよ」


 最近のサルビアの性格の変貌を考えて、念の為。殺意にも近いほどの戦意を滾らせて煽るように、釘を刺した。


「安心してくれ先輩。負けるつもり以上に、手加減するつもりはない」


「よかった安心したよ……ありがとな。サルビア」


 サルビアもまた、先輩の確認に失礼だと戦意を募らせる。それを聞いたザクロはふっといつもの調子に戻り、感謝を。


 ルピナス戦の時と同じだ。全力でない宿敵に勝ったとして、そこに何の意味があるのか。少なくとも、ザクロはそこに意味を見出せない。本気のサルビアでなければ、勝ちは勝ち足りえない。


 だからこそ、感謝を。純粋で裏表のない彼が宣言したのだから、手を抜くことはあり得ない。それはとても、例え負けたとしても、ザクロにとって嬉しいことで感謝すべきことだった。


「じゃ、俺はここだから」


 当たり前だが控え室は別。彼割り当てられた部屋の扉の前で、ザクロは後輩に短い別れを告げる。


「ああ。次は舞台で」


「剣で」


 サルビアもまた別れを返し、剣による再会を誓い、背を向けた。











「さっきの三重発動の陣とプラタナスとプリムラとやらの技術にも度肝を抜かれたが、次こそ本番だ!我が孫の出番だぞ!」


 場所は移り変わって、貴賓席。プリムラ対プラタナス戦の直後は三重発動の陣で持ち切りだったが、今はもう別の話題へと移り変わっていた。


「ええ、そうですね」


「いいかヤグルマギク!その耄碌(もうろく)した眼を水魔法で洗浄してひん剥いて、しかと焼き付けるがいい!」


「それ、逆に見えないでしょう」


「細かいことはいい!いいから見ろと言っているのだ!」


 半時間にも及んだ舞台の再建もほぼ終わりかけ。二人の剣士の開戦まで秒読みとなっているのだ。自然、彼らの話となる。ハイドランジアは今にも立ち上がって腕を振り回さんばかりの勢いで、孫の応援を。


「次ね」


「……はい」


 どちらにも親交のあるマリーとアイリスは、傾きこそあるものの、誰を応援するかを明言することはなく。そしてどちらかに傾いているからと言って、そっちだけを応援しているわけではないのだ。


 勝負で引き分けはそうあることではなく、例えそうなったとしても、彼らは納得しないだろう。どちらかが勝つまで負けるまで、場所も日にちも変えて戦い続けることだろう。


 勝負とはそういうものだ。白黒はっきりつけるものだ。だが、それでもマリーもアイリスも、できることなら二人ともに勝ってほしかった。


「そんなに緊張せずに見届けましょう?見応えはあるのは間違いないし、死に至ることはないでしょうから。ね?」


「……はい。今までの方と、同じように」


 でも、それはあり得ない。ならばせめて、彼らが納得のできるような決着を望むと。ルピナス対プリムラ戦、プリムラ対プラタナス戦に続く、歴史に残る名勝負を眼を瞑ることなく見届けようと決めた。








 

 控え室での待ち時間、ザクロはそのほとんどを戦いの準備に費やしていた。


「よしよし……いい感じだ。さすがはマネッチアの爺さん、いい仕事するぜ」


 虚空庫の中の剣たちの様子を見て、陣の数を確認して。鎧は着ない。サルビアの剣に鎧はほぼ意味をなさない。いっそ身軽になった方が避けやすくなり、傷も減る。


「いっち、に、さん、し……」


 体操をして柔軟をして、座りっぱなしだった身体をほぐす。念入りに丁寧に。当然だ。この戦いをどれだけ待ち望み、この戦いにどれだけ緊張していることか。それを少しでも軽くしようと試みる。


「すぅ……はぁ……」


 最後に深呼吸。身体から余計な力をそぎ落とし、意識を落ち着かせる。ありあまるこれらの想いを爆発させるのは、戦いの途中でいい。その時でいい。それまでは腹の奥にグッと押し込み、溜めておくのだ。


「……よし」


 できる限りの準備を終えて、最後にパンと両手で自らの頰を叩いて、彼は待つ。


「お待たせしました。ザクロ・ガルバトルさん。お時間です」


「おう!」


 そして修復が終わって迎えの者に連れられ、彼は舞台へと上がる。










 一方、サルビアの準備は別のものだった。部屋に入るやいなや、剣の点検をして、魔法陣の縫い込まれた服を着て、陣の魔力を確認して。鎧を着なかったところまでは同じ。


「……」


 しかしその後、椅子に腰掛け、剣を腕の中に抱えて、目を閉じる。以来一度も微動だにせず、呼吸と鼓動のある鉄になる。


 いっそ寒気や恐怖を覚えるまでの集中が、そこにはあった。緊張などあるわけもない。本気のザクロと戦える喜びすら見えないのだから。


 突然、彼は立ち上がった。音も無駄な動きもなく、ゆらりと。そして、それから十五秒後。


「えっ!?」


 サルビアはドアノブを回し、扉を引いた。部屋の外の廊下、そこで目を見開いていたのは迎えに来た係の者。なにせ、ノックをする直前だった。偶然かどうかの判断はつかずとも、驚くことに変わりはない。


「あの、サルビア・カランコエ様、お時間です」


「ああ」


 つっかえながらの案内にただ二文字で頷き、廊下を歩き始める。余計なことを考えることも、視覚から意識に伝達することもなく、向かうは戦場。


 そしてサルビアも、舞台へ。







「うおおおおおおおおおおおおお!」


「ザクロ先輩ー!」


「頑張りなさいよー!」


 二つを除いてほぼ瞬殺だったとはいえ、十三戦を終えた武芸祭。会場も疲れ果ててくる頃かと思いきや。そこには熱狂があった。掛け値無しの大歓声があった。


 先に舞台に上がり、手を振るザクロへと向けられたものだ。この学園の者、いや、街の者なら誰もが彼を知っている。


 曰く、剣と魔法の天才。曰く、一番になれない天才。曰く、器用富豪。曰く、女ったらし。曰く、困っている人を助けずにいられないお人好し。誹謗中傷が若干混じっているが、あながち間違いではない。


 それでも歓声が上がったのは、彼が好かれているからだ。顔も良くて気遣いもできて話も面白くて強い。その上、さっぱりとした性格で程よく助平で、男性とも仲がいい。困っている時彼に助けてもらった生徒は、少なくはない。


 そして最近、彼の名前は国中に広がり始めている。アイリスを救う為の売名兼人助けの成果だ。ルピナスやプリムラ、プラタナスらの試合を見てしまった観衆は、新たなる名勝負を望んでいた。名のあるザクロに、それを期待していた。


「うおおおおおおお……お?」


「えっ……」


「……」


 だが、その歓声はある瞬間を境にぴたりと止んだ。サルビアの入場だ。サルビア・カランコエが姿を見せた途端、観衆は静まり返った。


  別に血塗れだったとか、殺意を撒き散らしていたとかではない。むしろその逆。落ち着いているように見える。見えるのだが、同時に恐怖が止まらないのだ。


「……ほぅ……」


 彼を見たハイドランジアは感心したかのように、顎鬚を撫でる。ヤグルマギクもまた同様、動きを止め、じっと舞台を歩く少年を見続けている。


「……怖い、です」


「申し訳ないけど、正直言うとそうね」


 隣のアイリスとマリー、ベルオーネは震えていた。普段のサルビアと同じに見えるのに、まるで違う。あまりにも研ぎ澄まされている。


 例えるなるそう、自分が決して勝てない魔物と目があった時の感覚。実際に経験したことはなくても、分かる。本能が怯えているのだ。


「ぼっちゃま……」


 そんな主人を見たベロニカは、震えながら心配し、彼を呼んだ。届かぬとは知っていても、呼ばずにはいられなかった。


「……」


 半径数メートルの距離を取られた円の中。観客席に座る白色の短髪の少女は、ただ見ているだけだった。


「これは」


 観客席の端では、同じような白の髪に黒の瞳の青年が、興奮しながらペンを動かしている。


「よぉ、サルビア」


 彼は。舞台の上で向き合う少年、ザクロ・ガルバドルは、臆することなく後輩の名を呼んだ。


「一つ、空は青」


「いい」


 そして、あの最初の真剣勝負をなぞるかのようにザクロは指を一本立てて、サルビアに遮られた。


「その三つはよく分かっている。知っている」


 ただ立ち振る舞いだけで会場を静止させたというのに、その声は優しかった。親しみが込められていた。


「だから今日、新しい四つ目を俺に見せてくれ」


 だがやはり、戦意も込められていた。虚空庫から剣を一本引き抜いて右手に持ち。左手には土魔法で創成した剣を握りしめ、構える。


「四つ目かぁ……考えてもなかったが、ああ。いいぜ。とびっきりをくれてやる」


 言葉の前半で頭をかいていたザクロもまた、後半に差し掛かると表情を引き締め、剣を構えた。右手に氷魔法の剣、左手に物理の鉄剣を強く。


 会場の静寂は、未だ解けていなかった。しかし、それは当たり前だ。誰もが皆、一瞬足りとも見逃したくないと思ったからだ。一音も聞き漏らしたくはないと思ったからだ。


「それでは準決勝第二試合、ザクロ・ガルバトル対サルビア・カランコエ……」


 響くことを許されたのは、二つのみ。その内一つは審判が告げる始まりの声。


「試合、開始っ!」


「しっ!」


「……」


 そしてもう一つは、剣と剣がぶつかり合う音。


 サルビアとザクロ。共に剣の頂を目指す者同士の戦いが今、幕を開けた。


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